ぼくのエリ 200歳の少女

ぼくのエリ 200歳の少女

本日は一本です。

ぼくのエリ 200歳の少女」を見ました。

評価:(95/100点) – 珠玉の青春映画


【あらすじ】

いじめられっ子のオスカーはある日隣の部屋に引っ越してきた子と出会う。エリと名乗るミステリアスな少女に魅かれるオスカーは、やがて彼女の勧めに従いいじめに抵抗するようになる。一方その頃、町では奇妙な殺人事件が発生していた、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> エリとの出会い
 ※第1ターニングポイント -> エリがヨッケを襲う
第2幕 -> オスカーとエリ。
 ※第2ターニングポイント -> オスカーがエリが吸血鬼だと気付く。
第3幕 -> いじめの結末。


[スポンサーリンク]

【感想】

本日は「ぼくのエリ 200歳の少女」です。まだ全国で銀座テアトルシネマのみ公開ですので、完全に満席でした。完全に映画オタクで埋まっており、前評判の高さもあって凄いことになっています。スウェーデンでは2008年に公開された作品で、多くのファンタスティック映画祭で話題を攫っていました。2年掛かってようやく日本公開です。

はじめに

まず、私としては謝らなければいけません。今年の3月に「渇き」を見て「そんじょそこらのジャンルムービーでは太刀打ちできない」と書いてしまいましたが、「そんじょそこら」でないとんでも無い映画が来てしまいました。本作はラブストーリーでありながら怪奇映画でもあります。
ヴァンパイアのラブストーリーというと、どうしても「トワイライト・シリーズ」を思い浮かべてしまうかも知れません。たしかに「トワイライト」もヴァンパイアのラブストーリーでした。しかし、大変申し訳ないですが、本作とはかなりレベルに開きがあります。それは、ラブストーリーとしても、そしてヴァンパイアムービーとしてもです。本作ではヴァンパイアとしての負の部分をがっつりと描きます。決して恋愛の障壁としてのみ使っているわけではありません。そして生まれながらの魅力ある血とかいうご都合主義丸出しの設定もありません。本作の主人公・オスカーはなんの変哲もない少年です。いじめられっ子で、それに抵抗する勇気も無く、一人で夜な夜な憂さを晴らすようにエア抵抗をするような内気な少年です。その少年が、いつしかヴァンパイアの子と交流し、お互いにお互いが絶対必要な存在になっていくわけです。
本作の原題は「Lat den ratte komma in ( Let the Right One In / 正しき者を入れよ)」です。文字通り、オスカーは物理的にもそして心理的にも、エリを”正しき者”として受け入れていきます。この過程で、彼は彼女への共感と恋と拒絶を味わいます。それは決して一目惚れというレベルではなく、もはや分かち難いものとしての依存関係なわけです。

本作におけるヴァンパイア

本作において、エリは決して怪物としては描かれません。彼女は「血を吸い日光に弱い」という性質をもった一人の少女です。そしてホーカンという庇護者と共に生活しています。ホーカンはエリのために夜な夜な通り魔殺人を起こし、ポリタンクで血を収拾します。ある事件があってホーカンが居なくなってからも、彼女はむやみに人間を襲うことはしません。エリは無慈悲なモンスターではなく、あくまでも生きるために血を吸わなければならないという性質をもってしまっているだけです。それはまるで私たちが魚や肉でタンパク質を取らなければいけないように、彼女にとっては血を吸うことが必要なんです。
そして、彼女は人間以上の身体能力を持っていますが、決して万能なわけでもありません。特に「日光に当たると死んでしまう」という一種の虚弱体質でもあります。極端な話、彼女を殺そうと思えば昼間に部屋に忍び込んでカーテンを開けるだけで良いんです。そういった意味で、彼女は弱い存在でもあります。

オスカーとエリ

オスカーは徐々にエリを唯一の友人として、そして唯一の居場所として心の支えとしていきます。一方のエリも、彼女を怖がらずに話をしてくれる人間としてオスカーに魅かれていきます。本作で最もすばらしい所は、このエリとオスカーの交流が、文字通り性別を超えた心の繋がりになっていく点です。
そして、エリはいつまでも年を取らず、オスカーは年を取っていきます。これは穿ち過ぎかも知れませんが、彼らの行き着く先が、エリとホーカンに思えてなりません。ホーカンは冒頭ではエリの父親として登場します。しかし仕草や覚悟は親子と言うよりは恋人のそれです。明らかにホーカンはエリを愛しています。しかしその一方、エリはあまり愛情を表現しません。
彼女は数百年も12歳の姿で生き続けています。ですから、もしかしたらホーカンとも彼が子供時代に出会ったのかも知れませんし、オスカーも彼女にとっては数十人目の庇護者かも知れません。実際にはエリは生存本能としてホーカンの代わりにオスカーを必要としただけなのかも知れません。それでも、本作ではオスカーとエリの甘く重苦しい交流を情緒的に描ききります。まるでハッピーエンドのように描かれるラストの甘酸っぱいシーンにあってさえ、彼らには「血の調達」という困難がすぐに迫ってきます。オスカーはエリと一緒にいるためにこの先何十年も人を殺し続けなければいけません。でもそんな厳しい現実を見る直前の、まるで一瞬の休息のような彼らの希望溢れるラストシーンに、どうしても心揺さぶられざるをえません。

ショウゲートによる改変の問題

本作はオスカーとエリの依存関係の成立が肝になるわけですが、その際に重要な改変が配給会社により行われています。
劇中で何度も「私は女の子じゃないよ」というセリフが出てくるように、エリは男です。終盤エリの去勢根をオスカーが見てしまう場面もあります。これはオスカーとエリの愛情というのが完全に性別を超えた心理的関係であることを表しています。なんかヤオイ肯定派みたいな言い草ですがw
それを「ぼくのエリ 200歳の少女」とかいう変な邦題でエリが女性であるような先入観を与えたり、肝心の場面に修正を入れたりして普通の少年少女のラブストーリーのように誤解させようとしてる根性が気に入りません。エリが男で何が悪い。宣伝のために内容変えるとか最低の悪行です。

【まとめ】

すばらしい作品でした。ラブストーリーとしても、ヴァンパイアムービーとしても、何の文句もございません。ヴァンパイアムービーでここまで愛おしく実在感を持ったストーリーはなかなかありません。ホラームービーが苦手という方もご安心ください。ホラー要素はほとんどありません。それ以上に異種間恋愛としてとても良く出来ています。本当に惜しむらくはフィルム1本の4スクリーン順次興行という上映形態です。こんなに素晴らしく、こんなに話題の作品が小規模公開というのは映画文化にとって間違いなく損失です。
本作はハリウッドでのコピーリメイクが決まっており、10月に公開される予定です。もしかするとリメイク版がシネコン上映されかねない状況だったりするのが、非常に複雑な心境です。ですが、もし、もしお近くで上映がある方は是非とも足を運んでみてください。映画ファンであれば絶対に見ておくべき作品です。
文句なく、全力でオススメいたします!

[スポンサーリンク]
記事の評価
さんかく

さんかく

三本目は

さんかく」です。

評価:(95/100点) – ん~~~~ナイス。


【あらすじ】

釣具店で働くダメ人間の百瀬は、恋人の佳代と同棲している。ある日、佳代の妹が夏休みを利用して遊びに来ることになった。いつもは面倒そうに付き合っていた百瀬だったが、わがままで愛くるしい桃の姿に、やがて心を奪われていく、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> 桃がやってくる。
 ※第1ターニングポイント -> 桃が実家に帰る。
第2幕 -> 百瀬と佳代の破局
 ※第2ターニングポイント -> 佳代が実家に帰る。
第3幕 -> 百瀬の落とし前?


[スポンサーリンク]

【感想】

さて、先週末に見ましたのは、吉田恵輔監督の「さんかく」です。初日の舞台挨拶は混んでいたみたいですが、時間をはずしたのでそこまでの混雑ではありませんでした。とはいえ、6~7割ぐらいは入っていたでしょうか。上映館が少ないので、このぐらいの混雑は平均的だと思います。
吉田監督の大きな資質というのが、「中年のダメ男」が「無垢な(に見える)少女」に魅かれるという駄目なファンタジーを描く点にあります。それだけなら単なる平凡な監督なんですが、吉田監督の凄い点は、そのファンタジー自体に客観的なツッコミを入れられる点にあります。「そんな上手いこと行くわけないだろ!」という当たり前の視点が入ることで、そこに悲哀というか情緒というか、そういった微妙な「おとこ心」を重ねてくるわけです。
本作ではその視点はより一層強化されています。作品を重ねる毎にどんどんファム・ファタール (=妖婦/主人公を誘惑する女性) が低年齢化していっていますが、今回は遂に中学生(中の人は16歳)です。ご存じAKB48の小野さんなわけですが、日本人にありがちな「いい年なのに顔が子供っぽい」という童顔に加えて、ちょっと肉付きが良いところがファム・ファタールにばっちりです。仲里依紗的というか、「こいつ素は黒いんだろうな」と思える感じの雰囲気が大変素晴らしいです。その桃に勝手に振り回される百瀬役の高岡蒼甫さんも実在感ばっちりの「ウザイ不良あがり」感が大変すばらしいです。まぁ宮崎あおいがらみでドス黒い背景ばっかり浮かび上がる高岡さんですが、こういった小者の役には本当にばっちりです。
本作の大変良いところは、はっきりとバカな百瀬と中盤に変貌を遂げる佳代との「似たもの同士」な二人が、どうしようもなく阿呆な衝動でお互い猛烈な勢いですれ違いつつ、でも結局最後はお互いしかいないという閉じた世界のラブストーリーをブラックコメディタッチで描いてくる点です。他の人には相手にされない人間達が、失敗しまくりながらも結局すれ違ったりくっついたりする感じが大変愛くるしいです。
高岡さんも小野さんも決して演技が上手いわけではないんです。でも、なんか強烈な現実感を持っているんです。「こういうの居る居る」っていう感覚。それが急にエスカレートしていきつつ、、、というところが本作の肝であり最高の盛り上がりを見せていきます。
上映館は少ないですが、必見の作品だと思います。絶対に損はしません。
余談ですが、AKB48云々という部分は単なると宣伝材料であって、作品自体はアイドル映画でもなんでもありませんので、その辺に抵抗を感じる方もご安心下さい。
面白いラブコメ映画として最高クラスの出来だと思います。

[スポンサーリンク]
記事の評価
告白

告白

今週の本命、

二本目は「告白」です。

評価:(75/100点) – 原作のクオリティを考えると相当頑張ってる。


【あらすじ】

1年B組の年度最後の終業式の日、担任教師・森口悠子は生徒に衝撃の告白をする。事故死と見られていた彼女の娘が実は二人の生徒によって殺されたというのだ。さらに彼女は顛末を皆に語った後ですでに犯人に復讐を仕掛けたと宣言する。それを機に、犯人二人を取り巻く環境が大きく変わっていく、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> 悠子先生の告白
 ※第1ターニングポイント -> 告白終了。
第2幕 -> 委員長と少年A・少年Bの告白。
 ※第2ターニングポイント -> 少年Bが母を殺す。
第3幕 -> 悠子先生の復讐。


[スポンサーリンク]

【感想】

さて、二本目は今週公開映画の本命、中島哲也監督の「告白」です。湊かなえさんによる原作は本屋大賞を獲っており、そこそこ売れているようです。個人的にはあまりに規模が小さすぎるため本屋大賞に価値があるとは思っていないんですが、でも書店受けが良いってのはエンタメ本には大事です。恥ずかしながら原作未読だったため、朝に紀伊國屋で買って、映画見る前まで読んでました。ちょうど原作・第三章の途中ぐらいまで読んで映画を見て、さっき続きを全部読みました。

おさらい:中島哲也監督について

まずはざっと概要を語る上で必要なことを整理しましょう。
中島哲也監督と言いますと、「下妻物語(2004)」以降にその個性を爆発させた感があります。それは当たり障り無い言い方をすればヘンテコで大げさな作風であり、ハッキリ言ってしまえば実相寺昭雄とティム・バートンを足して2で割ったような絵面です。中島哲也監督がCM出身だからなのか、映画的な意味でのメッセージのある/見せたいものがある画面よりも、雰囲気重視の絵作りが目立ちます。そこが生理的にダメっていう人が結構多く、賛否がガッツリ別れることでもおなじみです。

特に私は「嫌われ松子の一生(2006)」は傑作だと思っています。「客観から見ればえげつないことでも主観ではすごくハッピーかも知れない」という所から発展させて、とんでもなくドラッギーな松子の内面を頭がクラクラするような躁状態で描いています。
中島哲也監督は、この「客観」と「主観」、「外見」と「内面」と言う部分にかなり執着・興味があるように見受けられます。それが時としてはちゃめちゃで暴力的な感性を伴ってあふれ出て来てしまうところが彼の特徴であり、そしてそのドラッギーな感覚にヤラれてしまったファンが多く居ます。

原作「告白」について

今しがた読み終わったばかりなので深い読み解きをしていないのはご勘弁下さい。原作は全六章からなり、その中で6人のキャラクターの独白形式の文章が展開されます。第一章は悠子先生、第二章は美月、第三章は少年Bの姉と母親、第四章は少年B、第五章に少年Aが来て、最後は悠子に戻ります。正直小説としてはどうかと思う部分もあるのですが(苦笑)、原作小説の最大の美点は第三章にあると思います。第三章において、少年Bの母は主観全開で悠子先生を糾弾します。それまで悠子先生と美月の独白を読んできた読者には、明らかにこの母が過保護であり自己完結型であり、そして被害妄想傾向にあると分かるようになっています。当ブログでも何度か書いていますが、映画に限らず登場人物が「語り出す」時には必ずその人物の主観が入り、フィルター(=バイアス)が掛かります。それをこの第三章ではかなり分かりやすく提示しています。映画や小説を数多く見ていると常識になってしまうんですが、こういう叙述トリック的な仕掛けが可能なんだという作品形態上の構造を意識させるのにはとても良い方法だと思います。

これは巻末インタビューでも中島監督が語っていますが、原作には「地の文」が無いため、全てのストーリーが誰かしらの主観で語られます。なので極端な話、真実は何所にも無いかも知れないわけです。複数人が同時に語って一致したことは良いとしても、それ以外の事柄は全て完全に自己申告です。だから疑おうと思えば全て疑うことが出来ます。極端な話、少年Bが妄想狂で、目を開けた云々をでっち上げている可能性だってあるわけです。

映画について

さて原作を読んで思うのは、この本は間違いなく中島哲也という個性に合っているということです。なにせ上記のような「主観のみで構成される世界」というのは中島監督の資質そのものです。よくこんなぴったりな本を見つけてきたと感心するほど、本当に中島監督が映画化するためにあるような原作です。しかし一方で、登場人物が延々とグダグダ一人語りをするというのは映画的には完全にアウトです。ですから、本作で忠実な映画化を目指すのはかなり無謀です。では中島監督はどうするか、、、。

これが非常に上手いと思ったのですが、彼は本作で主観と客観を上手に切り分けて演出しているんです。例えば、、、冒頭、約30分に渡って松たか子の「告白」が展開されます。当然ここは小説では一人称語りなのですが、映画では客観視点で描かれます。そして再現映像のような形で主観のイメージ映像が合間合間に入ります。この場面に見られるような「物語の整理」を中島監督は全編で丁寧に行っています。結果として、ラジオドラマの方が向いていそうな原作を上手く映画化出来ていると思います。
映画版ではかなり大規模に原作の内容を変えています。起こっているディティールは一緒なのですが、その細かい部分でキャラクターをよりキ○ガイ方向に振って、可能な限り悠子先生側の論理を強化できるように組み立てています。例えば、少年Bは小説では途中までは理性を保っていますが、映画では引きこもってすぐに発狂します。少年Aも起こした事件の詳細をより具体的に描写し、また「処刑マシーン」という新たな要素を足すことで、より救い難い方向へ持って行きます。

そして腹立ち必至の少年Bの母親・木村佳乃の超自分勝手なモンスターペアレンツぶり。はっきりと「こいつらは酷い目にあって当然だ」という印象を持てるようになっています。そしてウェルテルのキレっぷりと委員長の危ないメンヘラ全開な感じ。「学校では真面目そうな子がゴスロリ私服で出てくると危ない」という邦画のお約束をちゃんと守っています(笑)。もちろんそれは悠子先生といえども例外ではありません。最後の最後に彼女が言うワンフレーズによって、実は彼女の内面も相当キてるという片鱗が見られます。

こういった形で全てのキャラクターをマッドにすることで、本作全体の躁状態・お祭り感を存分に発揮できていると思います。ところが、、、演出が完全に一本調子なのがすごく気になります。とくに音の使い方に顕著なのですが、ほとんど全部の場面で映像と音楽の対位法を用いてきます。一回くらいなら良いんですが、それが本当に何度も何度も繰り返されるため、すっごい嫌気が差してきます。なんか変なCMを見せられてる気分です。また、これは作品上仕方がないのですが、やはり各キャラの告白シーンを全てセリフで説明しようとするため、映画的にはまったく盛り上がりません。

ただ、倫理的な所に話を落ち着けるのではなく、あくまでもエンターテイメントに徹して一種の青春映画にしたててきたのには大拍手を贈りたいです。

【まとめ】

正直に言って、このつまらない原作をこれだけの映画に出来たのだから十分だと思います。細かいストーリーについてはツッコみ所が一杯あります。そもそも少年Aが全然匿名になってないとか、悠子先生はどこで爆発を見たのかとか 少年Bの第2の犯罪は正当防衛だとか etc。でもそれ以上にテンションの高さかがかなり面白かったです。間違いなく見て損はありません。個人的には、シネコン映画できっちりバラバラ殺人の返り血を出しただけで合格です。
オススメです!!!
余談ですが、原作小説は本当につまらないので、下手に読まずに映画を先に見た方が良いと思います(苦笑)。

[スポンサーリンク]
記事の評価
ヒーローショー

ヒーローショー

本日も2本です。1本目は

ヒーローショー」です。

評価:(35/100点) – やりたいことは分かるけど、、、。


【あらすじ】

漫才芸人を志すユウキは、元相方の先輩・剛志からヒーローショーのバイトを紹介される。ある日、剛志の彼女と浮気したことから、ノボルと剛志はステージ上で殴り合いの喧嘩をしてしまう。剛志は旧知のチンピラ・鬼丸にノボルへの復讐を頼む。一方、鬼丸から恐喝を受けたノボルはギガブルー・勉の兄・拓也に泣きつき、自衛隊あがりの石川勇気を使って鬼丸への逆襲を計画する。そして遂に、両者の抗争は殺人事件へと発展する、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> 美由紀の浮気
 ※第1ターニングポイント -> ノボルと剛志が殴りあいをする。
第2幕 -> 剛志組とノボル組の抗争。
 ※第2ターニングポイント -> 剛志が殺される。
第3幕 -> ユウキの人質生活と石川勇気。


[スポンサーリンク]

【感想】

本日の1本目は局所的な話題作・ヒーローショーです。監督は適当かつ暴論解説でお馴染みの井筒和幸。名物監督の作品ということなのか、かなりお客さんが入っていました。「ガキ帝国」「岸和田少年愚連隊 BOYS BE AMBITIOUS」でのピークを境にみるみる作品の質が失墜している井筒監督ですが、久々の18番・青春バイオレンス映画ということでかなりの期待を持っていきました。ところが、、、、あれっ?っていう作りで、やはり近作の井筒作品と同じく、監督の言動に作品の質がついていっていないような印象を受けました。

バイオレンスの捉え方

一口に”バイオレンス(暴力)”といっても、映画におけるバイオレンスにはいろいろなレベルがあります。例えば、いわゆるアメコミヒーローものにおけるバイオレンスというのは、一種の記号化したアクションです。殴った時に鼻が折れるかどうかや血が出るかどうかというリアリティラインもありますし、どこまで殴れば人が死ぬのかという設定ラインもあります。例えば、昨日見ました「戦闘少女」では血しぶきが出まくりですが、一方で実は主演達の純白の戦闘服にはあまり返り血がついていません。これは血しぶきを一種のコント道具、もっというとギャグの特殊効果/漫画におけるトーン演出として使っているためです。だからあえて主演のアイドル達が血で汚れることはほとんどありません。
また、これは井筒監督が今月号の映画秘宝のインタビューで名指し批判していますが、お笑い芸人の品川祐が撮った「ドロップ」は金属バットでどれだけ殴ろうが人は死にませんし、顔が変形することもありません。
こういったバイオレンスの描き方というのは、そのまま監督の暴力観が表れる部分です。
これも井筒監督本人が語っていることですが、彼は暴力が嫌いだから、暴力を嫌なこととして見せるために本作のリンチシーンを長くしたそうです。この思想は、それこそスピルバーグや北野映画における人殺しのシーンに共通しています。この思想自体はとても映画的であり、そしてとても作家性の表れる部分です。
では本作では実際にどうかといいますと、、、これが驚くほど軽~い暴力の描き方をしています。あのですね、井筒監督、言ってることが出来てないんですけど(苦笑)。
本作で暴力が振るわれるシーンは4カ所あります。ステージ上での殴り合い、食堂での鬼丸のかち込み、山中でのノボル組のリンチ、そして最後のアパートでの襲撃です。この4カ所できっちり暴力が描かれるかというと、これがまた全然描かれません。ステージ上では単に唇が赤くなるだけですし、食堂ではちょっとスネを蹴る位です。一番激しいはずの山中も、鬼丸なんてゴルフクラブで胸を何度も叩かれたあげく助走付のフルスイングで金属バットを2度も頭にたたき込まれて、物凄い量の血反吐を吐いているのに、2日後には松葉杖のみで笑顔でお礼参りを敢行します。そしてラストに至っては結果のみの描写でまったく仮定が描かれません。全っっっ然嫌悪感の湧く暴力描写が出来てないんです。むしろ変な格好付けも相まって、暴力が割と楽しそうに見えます。
さらにもっともどうかと思うのは、この暴力に対しての報いがあまり描かれないという部分です。別に勧善懲悪である必要は全くないのですが、映画で暴力を描く以上は、なにかしらそれの結果も描かれていないと話として成立しません。本作では、暴力の報いを受けるのは勇気だけで、他の人間はやり得です。鬼丸兄弟にいたっては、とっても楽しそうです(苦笑)。でもですね、それじゃダメなんですよ。それこそ「息もできない」のように、復讐した者が新たな復讐の標的にされ、さらにその被害者も暴力を振るうようになって、、、、というスパイラルを描くでも良いですし、「復仇」のように敵も味方も全員死んで虚無だけが残るのでも良いです。でも、なにかしら暴力に対して落とし前だけは付けて下さいよ。それをよりにもよって暴力を振るった方の事情を見せて何か美談的な方向に落とそうとする根性が気に入りません。勇気は人を殺したわけで、それがのうのうとバツ一子持ちの女とくっつこうって発想がそもそも腐ってます。だいいち、途中で勇気は警察に自首するような言動をしておきながら、次のシーンでは死体を焼いて証拠隠滅するように動いてるじゃないですか。それもたかが共犯者が飲酒運転で事故死しただけの理由でですよ。だからコイツは倫理的にも物語的にも死んで当然です。そこに叙情を挟もうとして変な設定を詰め込んでも本質は変わりません。
もしも勇気サイドをきっちり描くのであれば、それはキチンと彼なりの落とし前を見せるしかないんです。でも結局彼はウジウジ40分も尺を使って女々しくしているだけです。まったくのれません。
片や鬼丸サイドですが、これもとても雑です。あんなドチンピラで人を恐喝するようなヤツが、相手の待ち伏せ確実な場所に丸腰でノコノコ行きますかね? 山中で一方的にリンチされますが、実質一人だけで相手の指定場所に突っ込むような素人じゃないでしょう? まぁあれだけ痛めつけられても2日で戻ってくる位ですから、不死身力でもあって丸腰上等なのかも知れません(笑)。こちらサイドは暴力に説得力も痛みもありません。
本作で私がもっとも腹が立ったのは、ラストのしょうもない締めかたです。
結局、夢をあきらめろってことですか?
夢をすてて現実を見ろってことですか?
それとも、親のスネを囓れってことですか?
「おまえに俺の何が分かるんだよ!山梨に一度来てみろよ!」からの帰郷なんですが、そもそも両親は屋台で鯛焼き屋をやってるわけであって、彼が手伝っても売る上げが上がるわけでは無いわけで、食い扶持が増える分生活は厳しくなるんですよ。もし両親を思って帰郷するなら、故郷で就職してくださいよ。それか東京で就職して仕送りしてください。
いかにもハートウォーミングな雰囲気で落としていますが、これこそ井筒監督が随所で批判している「幼稚園のお遊戯会」的な日本映画のよくあるまとめ方ですよ。

【まとめ】

監督のやりたいことは多くのインタビューを通して伝わってくるんですが、それが作品に全く反映されていません。非常に困った作品となっています。演者に関しては、所詮は吉本芸人のお遊戯会なんであんまり文句を言う気も起きないんですが、監督にはそうじゃないっていう気概だけはあるようで、少々困惑しています(苦笑)。
おそらく井筒監督が言ってることの半分でもできていれば、現状の邦画では半分より上に行けると思います。なんにせよ名物監督の突っ込みどころ満載・ニヤニヤ映画なのは間違いありませんので、井筒監督のキャラが好きなかたは是非とも足をお運び下さい。前半のリンチまではさすがと思わせる内容だっただけに、リンチ以降の投げやりな迷走が残念でなりません。

[スポンサーリンク]
記事の評価
戦闘少女 血の鉄仮面伝説

戦闘少女 血の鉄仮面伝説

本日はようやっと

戦闘少女 血の鉄仮面伝説」を見てきました。

評価:(90/100点) – 僕、こういうの好き。勧めないですけどw。


【あらすじ】

いじめられっ子の高校性・渚凜は右腕の痛みに悩まされていた。16歳の誕生日に特殊部隊の襲撃で両親を惨殺された凜はヒルコとして覚醒、そのまま襲い来る人間達をなぎ倒していく。街で出会った如月と玲に従って訪れたヒルコ部隊で、彼女はヒルコの仲間と共に戦士として修行することになるが、、、。


[スポンサーリンク]

【感想】

本日はようやく「戦闘少女」を見て参りました。先週末は某フェスで踊り狂っていて渋谷に行けなかったので、念願の鑑賞です。やはり人気監督&アイドル映画ということなのか、お客さんはかなり入っていました。
本作の監督は井口昇・西村喜廣・坂口拓という悪趣味映画の第一線で活躍するトリオです。本作は、3幕構成に従ってきっちり章立てされており、各章毎にそれぞれの監督が仕切っています。しかし仲が良いのかあまりに趣味が似通っているのか、まったくチグハグした感じが無く、一人のディレクションで撮っているといわれても何の違和感も無いほど良く出来ています。
とはいえ、他の井口作品・西村作品と同じく、決して一般受けするような作品ではありません(笑)。なにせ基本は「外国人が見た誤解や偏見が入りまくった日本観」の誇張に乗っけて70年代の東映・女性アクション映画を好き放題やっている作品です。そこにはグロい肉体破損を徹底的にギャグとして描く悪趣味センスがあったり、人間では無いヒロインが苦悩しながらも人間との調和を目指すというデビルマン的な異形愛があります。中盤で玲がフリークス・ショーで見世物にされていたという過去エピソードが入りますが、これこそまさに典型的な一昔前のアメリカンモンスター/スラッシャームービーの設定そのものです。
そういった意味でも、やはり本作では主役級3人の魅力というものに大きな比重がかかってきます。結果としては、3人ともとても魅力的に見えますのでアイドル映画としても大成功だと思います。血みどろのアイドル映画ってのも変な話ですが(笑)、それこそ梶芽衣子とかかつてのグラインドハウスっぽいB級ならではの(雑な)熱量を物凄く感じます。特に自ら「コスプレナースの佳恵です!」と意味が分からない自己紹介をする森田涼花さんは主役を食うほどの存在観を見せてくれます。なんというか、笑いながら人を惨殺するシーンがこれほど似合う人は居ません。(←一応褒め言葉w) ファンの方には申し訳ないのですが、ちょっと腹黒い感じが漏れてしまっているような「無垢な笑顔」がとんでもなく可笑しくもあり怖くもあります。
杉本有美さんもきちんと回し蹴りが頭まで届いていますし、ちょっとギコチないなからも身体能力の高さが良く分かるアクションを見せてくれています。残念ながら私はあんまり特撮ヒーローものを見てないのでゴーオンジャーでの活躍を見てないのですが、これなら将来アクション路線に行っても通用するかもと思わせてくれる内容でした。
また、敵役ながらやはり竹中直人はいろんな意味で群を抜いています(笑)。下らないっちゃあ下らないんですが、天丼のくだりは完全に爆笑でした。反則というか場をぶちこわして全部持ってくというか、感服です。そして忘れていけないのがやはり亜紗美の存在感です。完全にB級映画のアクション女優として板についた彼女ですが、かなり驚くレベルの殺陣を見せてくれます。
ストーリーとしてはよくあるタイプではあります。異形の者が覚醒して、同種の仲間達に合流して、でも結局は人類との調和を目指し敵対者と戦う。ダレン・シャンもそういう話ですし、パーシー・ジャクソンもそうです。そこにとにかく悪趣味なものを詰め込みまくると本作になります。それが竹中式ギャグであったり、井口式のゴア・ギャグであったりするわけです。

【まとめ】

個人的にはかなり好きな作品ですが、他人には決して勧めません(苦笑)。あまりにも内容が偏り過ぎていてとてもじゃないですが映画としての完成度は低いです。でもそんなことはまったく問題ありません。決して日本ではメインストリームに行けないタイプの作品ですが、作り手達が本当に楽しんで作っていて、そしてファンサービスをしようとしているのがとても伝わってくるので、変な連帯感というか共犯感がついて回ります。
好きな人だけがこそこそ見に行って、好きな人同士で「面白かったね」って盛り上がる。そういうニッチでカルトよりな良作だと思います。

[スポンサーリンク]
記事の評価
書道ガールズ!!わたしたちの甲子園

書道ガールズ!!わたしたちの甲子園

例によって土曜は二本です。一本目は

書道ガールズ!!わたしたちの甲子園」です。

評価:(55/100点) – ベタベタな青春映画。


【あらすじ】

愛媛県は四国中央市。紙産業が盛んな街だったが、商店街は寂れ相次ぐ閉店・倒産に見舞われていた。そんな中、三島高校に臨時教師として赴任してきた池澤先生は、書道部の顧問として書道パフォーマンスでの勧誘を行ってみせる。音楽を掛けながら大きな筆で大きな半紙に書くスタイルに、部長の里子は戸惑いを隠せないが、一方で清美はその姿に惚れ込んでしまう。清美は父の好永文具店の閉店記念に、部員みんなでの書道パフォーマンスを企画するが、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> 書道部の日常と池澤先生の赴任。
 ※第1ターニングポイント -> 池澤先生が書道パフォーマンスを披露する
第2幕 -> 書道パフォーマンスの練習。そして清美の転校。
 ※第2ターニングポイント -> 美央が書道部に復帰する
第3幕 -> 書道パフォーマンス甲子園


[スポンサーリンク]

【感想】

本日の1本目は「書道ガールズ!!わたしたちの甲子園」です。TV局映画だからか観客はかなり入っていました。客層もお年寄り夫婦からカップルから子連れまで幅広く、週末の興業ランクでは上位にくるかも知れません。
話の内容はこれ以上ないほどシンプルです。「真面目でぶっきらぼうな努力家」「陽気なムードメイカー」「変わりもの」「おとなしいミステリアスな美少女」「訳ありで部を離れた天才」と超類型的なキャラクター達による青春スポ根映画です(笑)。書道はスポーツじゃないと思ったそこのアナタ! 甘いですよ(苦笑)。本作では書道は完全にスポーツとして扱われます。大事なのは仲間とのチームワーク、そして強靱な足腰。特訓は走り込みと千本ノック的な反復練習。完全にスポ根です。
でまぁ結論を言ってしまうとですね、青春映画としては平均的な出来ですが、肝心の書道があんまり関係無いんです(笑)。せっかく里子の父親が厳しい書道家で「書道パフォーマンス」なる遊びに否定的なのに、里子自身に全然葛藤がないんです。多分この映画を見て「書道パフォーマンス」に興味がでた方はいるかも知れませんが、「書道ならではの楽しさ」が分かった人はあんまり居ないと思います。実際には「書き手の心が字に表れる」所が面白いわけですが、その喜びなり楽しさは表現されていません。だからせっかく本物を連れてきて書道パフォーマンス甲子園の本番を描いたのに、どこが優勝したかを言わないという酷い事になっています。本来なら「一番思いを込めて書いたチームが一番素晴らしい字を書いた」という所に着地しないといけないんですが、、、これもやはり実在の参加校への配慮でしょうか? この部分については、同じ成海璃子さん主演の武士道シックスティーンの方がきちんと描けていました。
とはいえ、 山下リオ、桜庭ななみ、小島藤子というアイドル・テンコ盛りの映画として見ることは十分にできますし、あまりにベタ過ぎてダサイっていう以外はそこそこ楽しめる作品ではあります。ぶっちゃけ病院のシーンで泣いちゃいましたし。
顔に墨汁が飛んで変な顔になるというギャグをしつこく重ねてくるのには正直辟易しましたが、この際桜庭ななみに免じて大丈夫です(苦笑)。
でもせっかくなのだから、エピローグとして「書道パフォーマンスの結果、商店街が活気づいた」ぐらいの描写は見せて欲しかったです。この作品では町興しのために書道パフォーマンス甲子園を開いて頑張ったわけですから、その結果が「池澤先生が書道の楽しさを思い出す」「池澤先生と部員達の信頼関係」っていうのはちょっと違うかなと思い引っかかりました。美央の件にしても、商店街の不況のことにしても、本作では全然解決していないんです。な~んかヨサ気な感じで流れてっちゃった印象ですが、本当に良いんでしょうか? 結構重たい話だと思うんですけど、、、。

【まとめ】

青春映画の佳作として、どなたでも安心してポップコーンを食べながら見れます(笑)。そこまで絶賛するほど出来は良くないですが、なんか今月は変な映画ばっかりだったので感覚的には大当たりです(笑)。
シネコンでの公開ですので、もしお暇な方はフラっと入って見ると良いかも知れません。意外と拾いものでした。

[スポンサーリンク]
記事の評価
恋する幼虫 / 中身刑事

恋する幼虫 / 中身刑事

昨日の2本目+短編1本は、
『戦闘少女 血の鉄仮面伝説』公開記念特集上映 「MUTANT MOVIES -SQUAD-」

「恋する幼虫」「中身刑事」二本立てです。

評価:(85/100点) – だって面白いんだも~~ん。井口ワールド全開!


【あらすじ】

●「恋する幼虫」
アスペルガーの気がある漫画家のフミオは、担当編集者のユキのふとした行動にキレて、Gペンで彼女の頬を刺してしまう。やがて出版社から連載打ち切りを告げられ仕事を無くしたフミオは、音信不通になったユキのアパートを訪ねる。するとそこには変わり果てて自暴自棄になるユキの姿があった。彼女の頬のアザは無残に膨れあがり、そこから食指が出て血を吸うようになってしまったのだ。吸血鬼となったユキは腹いせにフミオを扱き使うが、やがて二人の間には不思議な信頼が芽生え始める、、、。
●「中身刑事」
謎の感染症でゾンビが流行する世界。科学者のコージはゾンビ病を直す研究を進めていたがいっこうに成果が上がらない。ある日、恋人で婦警のサチエがゾンビに噛まれて感染してしまう。しかし、偶然にもサチエの同僚でストーカー気質の変態・ムラカミのゲロがサチエに掛かると、なんと病気が治ってしまった!ムラカミのゲロにはゾンビ病を治す不思議な効果があったのだ!次第にムラカミを頼りだすサチエと、それを快く思わないコージ。そして調子に乗り始めるド変態のムラカミ。こうして妙な三角関係が発生した、、、。


[スポンサーリンク]

【感想】

え~、今回は当ブログで初めてとなる非新作映画です。といっても名画座みたいなおしゃれな感じでは無く、完全に悪趣味(笑)。そう、5月末に公開される井口昇最新作「戦闘少女 血の鉄仮面伝説」にちなんだお祭り企画です。

恋する幼虫

「恋する幼虫」については今や局所的にメジャーな作品で、井口昇監督の出世作と言ってもいいでしょう。ちょっとアスペルガーっぽいフミオの描き方が秀逸ですし、ユキが徐々に心を開いていく姿も完璧です。
なにせ、このフミオのキャラクターというのが、出てきてものの数分で誰の目からも明らかなほど的確かつ簡潔に描写されます。突然気が狂ったように喚き・暴れたり、かと思うと次の瞬間には急にオドオドしたり、最低なクズだけれどもどこか憎みきれないような絶妙な位置です。この糞野郎が徐々にユキに惚れていくのにそれでもここ一番で根性が出ないというもどかしさ。そして溜めに溜めたところからのラストの開放感。もちろん画面で起きていることはかなり酷く惨いんですが、それでも本当に奇跡的なハッピーエンドなんです。
でまぁ一応指摘しておけば、本作の「吸血」というのは直接的にSEXのメタファーになっているわけです。だからこそ、フミオはユキが元恋人や自分の知人を吸血するのを見て嫉妬しますし、ユキは同じ女性のササキさんの血は吸わないんです。
これはかなり重要な井口昇監督の特徴ですが、エログロをメタファーとして使用するため、そこを元の意味に置き換えるととてもオーソドックスな話になるんです。本作で言えば、頬をGペンで刺すのは「深く傷つける事」のメタファーですし、「吸血」はSEXのメタファーです。
ですから、実は本作は
「ある男が気になっているおとなしい女性を傷つけてしまった結果、彼女は自暴自棄になって男遊びに走ってしまう。罪の意識から彼女の言うとおりに合コンをセッティングしていた男だが、やがて二人の間に奇妙な信頼が生まれ、互いに恋に気付き純愛に発展する。」
というストレートなラブストーリーなんです。
ちょっと肉体破損描写があったり、ちょっとゾンビっぽいのが出たりするだけで本質は完全に良質なラブストーリーです。
だから恋を燃え上がらせる要素でしかない点、すなわち「何故ユキが吸血鬼になったのか?」「吸血鬼が増殖していって世界は大丈夫か?」という点は完全にスルーされます(笑)。だってラブストーリーの小道具に理屈もへったくれもないですもん(笑)。
DVDがツタヤにも置いてありますので、よかったら是非お手にとって見てみて下さい。グロいって言ってもモロに安い作り物がちょっと出るぐらいなので、ちょっと苦手なぐらいでも大丈夫ですよ。

中身刑事

こちらはビデオやDVDにはなっていません。昔「刑事(デカ)まつり」というイベント企画がありまして、そのなかで井口昇監督が撮った一本です。完全に出オチの悪ふざけなんですがこの15分という尺の中にこれでもかと下らないギャグネタを詰め込んできて変なニヤニヤ笑いが止まりません(笑)。この作品を見ると、エログロに頼らない井口昇の基礎能力の高さが良く分かります。オススメと言いたいのですが、なにせソフト化していないお蔵入り作品なので、目にするのは難しいかも知れません。
悪い事言いませんから、渋谷の近くの方は5月2日のシアターNで21時からやる再上映に行っといた方が良いですよ。次にいつ上映するか分かりませんから。本当は「刑事まつり」のDVDボックスでも出して欲しいんですけど、、、、やっぱ権利上難しいですよね、、、残念です。

[スポンサーリンク]
記事の評価
武士道シックスティーン

武士道シックスティーン

本日は2本です。

1本目は「武士道シックスティーン」です。

評価:(65/100点) – 邦画の中では文句なく良作。若干剣道描写が、、、アレか?


【あらすじ】

剣道の中学チャンピオンの磯山香織は、中学時代に唯一敗れた西荻早苗を追って東松高校に入学する。しかし高校で再会した西荻はへっぴり腰で気迫のない情けない少女であった。そこで磯山は西荻の潜在能力を発揮させるために特訓を企画する。剣道一筋の人生だった磯山は、西荻との交流で徐々に心を開いていく。しかしそれは磯山の強さを奪うことでもあった、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> 早苗と香織の出会い。
 ※第1ターニングポイント -> 香織が放課後に早苗を自宅に誘う。
第2幕 -> 地区大会と香織の苦悩。
 ※第2ターニングポイント -> 早苗が父と再会する。
第3幕 -> 早苗と香織の決闘。


[スポンサーリンク]

【感想】

さて本日は2本見てきました。一本目は武士道シックスティーンです。原作本の人気もあってか、結構混んでました。映画を見てる間中ずっ~と気持ち悪い笑い声を上げてるキテるアイドルオタク風の人が居る一方で、親子連れや年配の男性一人で来てる人など、観客層もさまざまでした。
でまぁ結論から先に言いますと、これがなかなか良い出来の青春スポーツものでした。本作のような内容はおそらく日本でしか成立しづらいものです。そういった意味で十分に邦画として見る価値のある佳作だと思います。

ストーリーについて

本作のストーリーは早苗と香織という2人の似たもの同士が互いに距離を測りながら友情を深めていく青春映画です。先日見た「海の金魚」とほぼ同じフォーマットです。
早苗の父親は、人が良すぎるために企業秘密を漏洩してしまい大借金を背負って蒸発してします。それを見た早苗は「負けること」に強烈な抵抗を示すようになり、逃げ回ってでも「絶対に負けない」事を信念に気迫のない腰の引けた剣道スタイルになっていきます。
一方の香織は母を亡くし、不器用な剣道家の父親に幼い頃から「勝つ剣道」を叩き込まれ続けます。「勝つこと」だけが生き甲斐で、趣味も剣道の鍛錬と剣道関連書の読書など、完全に剣道のみの人生を歩んできています。
このお互い「父親に理解して欲しい」という欲求を心の底にもったーーしかし表面への出方が180度違う2人が出会うことで相互に支え合うようになっていきます。
主演の成海璃子と北乃きいは結構な好演を見せてくれますし、剣道シーンは一部を除いてなかなか良く出来ています。剣道を囓った身としては、ここまで剣道シーンを描写してくれればもう十分及第点です。
しかしですね、実はこの剣道描写でちょいちょいガックリさせられるんです。
まずは北乃きいが勝つ2つのシーンです。両方とも相手が完全に棒立ちなのも酷いんですが、北乃きいが背中を反っちゃってるのがダメダメです。面を打つときは一足一刀から踏み込んで手を伸ばしつつ絞りますので、背中は絶対に反りません。胸は張りますが、背中が反り返ってるのは変です。
次に最後の決闘シーンです。ここは心底がっかりです。ここでは両者が制服姿で剣道をするんですが、2人とも下手なんです(苦笑)。しかもスゴい下手。もしかして他の剣道シーンはスタントマンの吹き替えなのかもと思ってしまって急に冷めてしまいました。

スポーツにおける「道」の問題。

あまり意識されることが少ないかも知れませんが、日本のスポーツや文化には「道」と言う文字が最後に付くものがあります。ちょっと思いつくだけでも、柔道、剣道、茶道、華道なんかがあります。この「道」という文字はそのまま「生き方」を表しています。要は柔道や剣道や茶道や華道は、単なる技術論や勝負論ではなく、そこから「人生とは?」というところまで拡張された価値観・精神を修行するものなんです。
本作で描いている「剣道」もまさにその典型です。「剣道」は相手の3部位を竹刀の先端から中結いまでの37~38センチで打つスポーツです(プラスで突きもあります)。ルールは超単純です。しかし単純過ぎるがゆえに、そこには技術論以上に精神論が大きくなっていきます。本作で描かれる早苗のように細かい横ステップを多用すると、普通はぶっ飛ばされます(笑)。っていうか本作の剣道シーンでは一足一刀の間合いに入っても動かなすぎです。
本作の早苗と香織は剣道を通じて人生について考えさせられます。剣道を続ける意味を互いに悩んだとき、そこには「父と自分の関係」であったり自分の人生観を見つめ直す事になります。
こういったスポーツと人生観を重ねるというのは非常に日本的な発想です。

【まとめ】

本作は剣道を通じて友情を深め合う2人のまっすぐな少女の成長物語です。役者陣はみなさん良いですし、ストーリーもちょっと類型的な嫌いはあるものの十分に及第点です。
必見というほどでもありませんが、もしお時間があれば映画館で見てみるのも良いかもしれません。随所に小笑いが起きるようなギャグも挟んできますので、剣道を知らない方でも全然問題ありません。万人におすすめできる佳作です。

[スポンサーリンク]
記事の評価