私の優しくない先輩

私の優しくない先輩

本日は一本です。密かに連休公開映画の本命、

私の優しくない先輩」を観てきました。

評価:(95/100点)– アイドル不毛の時代でカウンター・カルチャーとしての王道


【あらすじ】

西表耶麻子は女子高生。あこがれの南愛治先輩に思いを寄せるがなかなか切り出す勇気も無い。ある日耶麻子は、所属部員2名しかいないマット運動部で、先輩・不破風和に愛治宛のラブレターを見られてしまう。すると、暑苦しい不破は勝手に2人をくっつける「たこ焼き大作戦」を始めてしまうのだった、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> 耶麻子の部活動。
 ※第1ターニングポイント -> 不破がたこ焼き大作戦を提案する。
第2幕 -> たこ焼きの練習と喜久子との仲。
 ※第2ターニングポイント -> 耶麻子が倒れる。
第3幕 -> 祭り。


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【感想】

さて、実は密かに大本命でした、一部で局所的な盛り上がりを見せている「私の優しくない先輩」です。監督はご存じ「涼宮ハルヒ」や「らき☆すた」で知られるアニメ演出家のヤマカンこと山本寛です。正直、お客さんはオタクしか居ないだろうと思っていたんですが、予想に反してティーンエイジの女の子ばっかりでした。なんで!? お笑いはまったく分からないんですが、はんにゃのファンでしょうか?
先に書いておきますが、本作は映画としては駄目駄目です。とにかく耶麻子が性悪なゲスですし、その落とし前もロクにつけません。でもね、、、そんなことはアイドル映画にとってはどうでもいいんですよ!!! 私はここからはアイドル映画としての本作のみを言及します。映画としてはダメって書いたからね? 許してね? そりゃモノローグずっと流して演技もへったくれもないし、登場人物達は下らない一発ギャグみたいなアドリブを繰り返すし、ダメダメですよ。クソ映画すぎてマジで1桁点数です。でもそれは普通の青春映画という視点で見ているからです。本作はZ級アイドル映画なんじゃ(`・ω・´) (不破先輩風)!!!

アイドルという存在

まず「アイドル映画」という特殊な基準を持ち込むからには、それがどういうものなのかを前もって定義する必要があります。
アイドルと一口に言いましても、歌を歌う「アイドル歌手」も居れば、水着写真を撮られる「グラビアアイドル」も居ますし、「アイドル女優」や「アイドル声優」なんて単語もあります。非常に難しいんですが、アイドルを頑張って定義すると「特定のコミュニティに人気があって、ファン達の応援によって実力に見合わない立場で活動できる人」だと思います。後半に若干トゲがありますが悪意はありませんw 要は、ファンが思わず応援したくなるような存在だということです。例えば、今のAKB48は間違いなくアイドルだと思いますが、今のPerfumeはアイドルかと言われるとちょっと微妙です。それは、AKB48が実力を遙かに凌駕するファン達の熱気・投資によって支えられているのに対し、Perfumeは音楽の質が十分に認められているからです。AKB48は大人買いするオタク達なしではオリコン上位に食い込むことは不可能ですが、Perfumeは一人が何十枚も買わなくても普通に上位に入れます。別にどちらが偉いということではなく、アイドルはそういう存在だということです。たまたま極端な例を出してしまいましたが、AKB48に他意はございませんのであしからず。
そういう意味では「アイドル女優」というのが一種の悪口になり得るという問題もあったりするんですが、それを書き始めると長くなるんで止めましょうw 私の基準では新垣結衣はアイドル女優で、宮崎あおいは若手女優ですw

「アイドル映画」というもの

もう大分前になりますが、当ブログを始めた直後に「携帯彼氏」についてちょこっと書きました。あの映画は、普通の映画としてはゴミ以下で、アイドル映画としても完全にB級でした。本作を見て確信したのは、残念ながら川島海荷という素晴らしい素材を「携帯彼氏」はまったく生かせていなかったという事です。
本作は初めから終わりまで完璧なまでに「アイドル映画」として特化した演出がなされています。映画として整合性はほとんど放棄していると言っても過言ではありません。それはどういうことかと言いますと、、、
アイドル映画を撮る際に重要なのは、いかにしてそのアイドルの持つ「応援してあげたくなる力(ぢから)」を発揮させるかという事に掛かっています。前述したようにアイドルはファンからの応援によって成立しています。ですから、そのアイドルの魅力とはすなわち「応援してあげたくなる力(ぢから)」なんです。本作では、冒頭いきなりあからさまなハリボテの中で、あからさまに腰ベルトにワイヤーを着けられて浮遊”させられている”川島海荷から始まります。もうお分かりですね? 本作は完璧に「女優・川島海荷の羞恥プレイ集」なんです。

・ワイヤーで無理矢理吊されているのに笑顔で演技をしようとする
    (でも演技が下手な)川島海荷。
・アドリブ全開のはんにゃ金田を前に笑いをこらえながら一生懸命台本通りの演技をしようとする
    (でも演技が下手な)川島海荷。
・物凄い量のモノローグを必死にアフレコしている
    (でも滑舌が悪くて何を言ってるか分からない)川島海荷。
・やったこともないミュージカルを無理矢理やらされて必死に踊る
    (でもちょっと足がもつれてる)川島海荷。
・土砂降りの中で本格演技派っぽいシーンをやらされる
    (でも全然出来てない)川島海荷。
・そしてエンディングで一生懸命歌って踊ってる
    (でも音痴で踊りもつたない)川島海荷。
・おなじくエンディングで一生懸命踊ってる
    (けど途中で振り付けを忘れて適当に流し始める)高田延彦。
・最後に「MajiでKoiする5秒前」という今最高に恥ずかしく煮詰まったダサイ歌(苦笑)を歌わされる
    (でも世代的に恥ずかしさが分かって無い)川島海荷。

断言しますが、全部わざとです。
だってやろうと思えば何十回でもテイクを重ねればいいんですもん。でもこれで良いんです。というかこれが正解なんです。私は本作を見ている間中ずっと「大林宣彦っぽいな~~」と思っていました。その要因はここにあります。大林監督はロリコンとして知られていますが(苦笑)、それは彼のアイドル映画が例外なく「アイドルに羞恥プレイを強要」しているからですw。極端な話、映画を見ている私たちはロケで監督にいじめられているアイドルを想像して「頑張れ!!!」って応援しているんです。本作でもそうです。

川島海荷という最高の素材

本作がアイドル映画として傑作だと思うもう1つの要因が、川島海荷というとてつもない素材です。皆さん、下の川島海荷さんの顔を良く見て下さい。

川島海荷

気付いていただけますでしょうか?
まず、鼻が横に大きいです。次に眉毛が今時の子にしてはあり得ないほど太く濃いです。そして口が大きすぎます。これ悪口じゃないですよ(苦笑)。100%褒めてます。要は「いわゆるアイドルとしてはあんまり可愛くない」ってことなんです。その代わりものすごい小動物的な愛嬌とちょっと男の子っぽい中性的な雰囲気があります。
つまり、川島海荷さんという存在そのものが「アイドル」として成立できるギリギリの所にいる感じがするんです。これもまた「応援してあげたくなる力(ぢから)」の一種です。この子は応援してあげないとアイドルとしてすら成立しない気がしてくるんです。これは物凄い素質だと思います。本人が聞いてもあんまり褒められてる気がしないでしょうが最高に褒めてます(苦笑)。あなたは間違いなく現代日本で最高のアイドルになる素質をもっています。
余談ですが、AKB48の前田敦子さんもこのタイプの子です。あきらかに顔のパーツが真ん中に集まっていて歌も踊りも下手ですが、そこが逆に「応援してあげないとこいつはダメかも」という母性本能に似た応援を誘発します。最近仕事でアイドル関係の3Dの事をやってるんでそんな事ばっか考えてますw

【まとめ】

本作がアイドル映画として傑作なのは、この川島海荷さんの持つ素質と「羞恥プレイとしてのアイドル映画」という部分を自覚的に演出している点です。でなければ、あのワイヤーは見せません。絶対にCGで消します。とはいえ実はここに一点だけ不満があります。最後にCGで宇宙に浮遊する耶麻子と不破のシーンが出てくるんですが、ワイヤーを消しちゃってるんです。そこはワイヤーを見せないとダメです。地球はCGでもいいから、ワイヤーは残さないといけません。そうしないとこのプレイは完成しないんです。ここで「もしかしてヤマカンは自覚して演出してないのか?」とちょっと疑ってしまいました。でもそんな不満もエンディングの高田延彦が全て吹き飛ばしてくれます。
書いてて自分で自分をちょっとキモイかもとか思ってるんですが(苦笑)、本作はアイドル映画として最高でした。決して新しいことをしているわけではありませんが、アイドル不毛の時代にある種のメタ的な視点(=これがワイヤー/羞恥プレイをしているという露悪的な主張)を取り入れて王道の演出を行ったことに大きな意味があります。
今の時代でも80年代アイドル映画は再生産可能なんです。
冒頭にも書きましたが、青春映画としては耶麻子というクソアマ(失礼)が酷すぎるんでまったくダメです。でもアイドル映画としては文句なく大傑作です。
そのあたりを念頭において見る場合に限り、全力でオススメします。

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記事の評価
恐怖

恐怖

3本目は

恐怖」です。

評価:(15/100点) – あれ? 高橋さん、どうしたの??


【あらすじ】

太田みゆきは、自殺した父親の命日に、インターネットで知り合った男女4人とともに練炭自殺をする。彼女は死の間際に夢を見る、、、。それは脳外科医の母親が人体実験を行うというおぞましいものだった、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> みゆきの自殺
 ※第1ターニングポイント -> かおりが上京してくる。
第2幕 -> みゆきの捜索と母の研究。
 ※第2ターニングポイント -> かおりがみゆきを発見する。
第3幕 -> 結末。


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【感想】

3本目はJホラーのパイオニアにして偉大なる脚本家・高橋洋監督の「恐怖」です。
眠くなってきたのでいきなり結論を書きますが、本作はまったく怖くありません。それはもうパラノーマル・アクティビティ並に怖くありません。その理由は非常に簡単でして、要はこれは脳に電極を埋め込まれた女性がこの世ならざる者になってしまう話だからです。つまり日常と関係無いw
題材としてはいわゆるディメンジョン・スリップ(位相ズレ)ものです。例えば有名な話ですが、カタツムリは3次元立体を理解出来ません。ガラスの表と裏にそれぞれカタツムリを貼り付けて同一線上で向かい合わせると、カタツムリは正面衝突すると思ってお互いに避けます。これはカタツムリが2次元平面のみ認知して生きているためで、3次元を理解出来ないからです。本作は『通常の人間には理解出来ない第5次元という軸がこの世にはあってそれが「死者の国」なんだ』という設定の元で、脳に電気刺激を与えられるとそちらが見えるということになっています。
それ自体はとってもワクワクする良い設定だと思います。しかし、、、、
肝心の描写がまったくよろしくありません。幽体離脱を表現するのがCGで人が出てくるだけとか、目がカラコンで青くなるだけとか、、、失笑w
しかも中盤で斉藤陽一郎さんが幻覚でお化けをみるシーンで寄りによってCGで半透明になった男が歩いてくるというコントみたいな描写があります。さらには地獄が漏れ出すシーンで黄色い煙がプレステ1ってレベルのCGで表現されます。もうね、、、、これでどう怖くなれっていうんでしょう?
本作は、本気で怖く作ろうって気が無いように見えます。なにせ最後は夢オチです。正確には夢ではなく「みゆきの主観」オチなんですが、それにしても酷いです。さんざん下らない映像を見せられた上に結局それかよ、、、、っていうゲンナリする気分ですw。
一応フォローしておきますと、間違いなく高橋洋さんはJホラーのトップ・クリエイターです。重要人物の一人であり、脚本家として傑作も書いています。だからこそ、ちょっとこのクオリティはまずいです。

【まとめ】

俳優さんはどなたも素晴らしかったと思います。ですが、あまりにも演出と話が悪すぎます。Jホラーで怖くないって時点で商品価値としては限りなくゼロです。実は「鉄板に面白いだろう」ってくらい期待していた作品だけに、この落差はかなりキツイです。とっても残念です。

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踊る大捜査線 THE MOVIE 3 ヤツらを解放せよ!

踊る大捜査線 THE MOVIE 3 ヤツらを解放せよ!

遂にやって参りました。

踊る大捜査線 THE MOVIE 3 ヤツらを解放せよ!」です。

評価:(0/100点) – 「死んじゃえば良かったのに。(by 恩田すみれ)」 「同感です!!!!」


【あらすじ】

新社屋への移転を間近に控えた湾岸署。引越対策本部長に任命された青島係長であったが、引っ越しの最中に拳銃三丁が何者かに盗まれてしまう。そして盗難された拳銃による連続殺人事件が発生する。パニックに陥る湾岸署であったが、第2の殺人の被害者宅に爆弾があったことから状況は一転。そこにはかつて青島が捕まえた日向真奈美の影があった、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> 湾岸署の引っ越し
 ※第1ターニングポイント -> 拳銃が盗まれる。
第2幕 -> 連続殺人事件
 ※第2ターニングポイント -> 犯人宅にて日向の手紙が発見される
第3幕 -> 結末


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【感想】

さぁ、やって参りました。今年一番の注目作にして最恐映画二本を世に送り出したモンスターシリーズ、「踊る大捜査線」最新作です。ちょっと見ようか見まいか迷っていたんですが、意を決してチャレンジしてみました。観客はすごい入り方でして、7~8割は埋まっていたかと思います。「アリス~」と同じくらいの混み方でしたので、間違いなく週末興収ランクではトップに来るでしょう。
またまたテレビ屋映画を書く上でのお約束です。本作は一応サスペンス仕立てですが、以後犯人を含めて多大なネタバレを含みます。っていうかほとんど全部書きます。これはネタバレが目的では無く、あくまでもツッコミを入れようと思うと細部にいかざるを得ないからです。点数を見てお分かりいただけるように、個人的には今年ワースト映画をぶっちぎりで更新しました。ですから酷評いたします。まだ未見でこれから見る予定がある方には、「心して行ってください」とアドバイスした上で、ここまででブラウザを閉じていただけるとよろしいかと思います。
あと申し訳ないのですが、あまりの長さと退屈さでちょっと記憶があいまいです。若干エピソードが前後してしまっているかもしれませんがご了承ください。いや、きつかったのよ、マジでw

順を追っていくぜ!!!

まず冒頭、開始早々に湾岸署の引越し風景が写されます。どうも全社総出で引越しをやっているようで、各部署の代表が集まって引越し対策会議が開かれています、、、、が、、、ちょっとまて!!!。引越し対策本部長で青島が出てくるんですが、彼は現場の人間でしょ? なんで引越しを仕切ってるの? 普通は総務というか警務課がやるんじゃないの? だって事件が起きたら引越しどころじゃないじゃん。、、、、と思っていると、早速事件発生!!! 銀行の金庫破りとバスジャックが同時に発生します。しかし銀行からは何も盗まれておらず、バスジャックのほうもバスと人質を放置して犯人だけ逃走。なんで、、、、、っていうか、待て~~~~~wwwww。
バスジャック側は乗客全員が覆面4人組の犯人グループを見ているわけでしょ。そして運転手だけ目隠しして、乗客は放置ですよね??? なんで乗客達はおとなしく座ってるわけ? 犯人が逃げたら、乗客もすぐに逃げるでしょ、普通。ぜんっっぜん意味が分かりません。
そうこうしていると、引越し先の新社屋で引っ越し業者を装った4人組が拳銃保管庫に侵入して3丁の銃が盗まれます。このシーンは本当につっこみどころの宝庫です。まず、なんで引越し時に拳銃だけ先に保管庫に入れとくんですか? しかもセキュリテイが何もかかっていない保管庫にw鍵ぐらいつけとけってことですし、防犯カメラや防犯センサーをつけとけよ。もし引越し途中でセキュリティがかからないなら置くなよw 君塚さんもふざけた脚本書くなってことですよ。しかも弾丸をこめた状態で拳銃を保管することはありえません。かならず鍵のかかる別々の場所に保管します。そして、なぜ犯人は3丁だけ盗んだんでしょう。どうせなら全部もってけばいいじゃん。
また本筋とは全然関係ないところで青島の肺ガン疑惑が持ち上がりますが、、、、この話題は最後まで引っ張るんですが、早々に医者の診断ミスだとわかるわけです。これは本当に意味が分かりません。そんなすぐに無事だって言っちゃったら、そのあとの青島と恩田のシーンはギャグとして見ればいいんでしょうか? でも演出はシリアス寄りですし、とっても戸惑いました。
そんでもっていろいろあって連続殺人事件が発生するわけですが、まずね、、、つっこみどころは2件目の殺人なんですよ。2件目の被害者を追って秋葉原のジャンク通りにある犯人宅に行くと、いかにもアニオタって感じの部屋がでてきまして、そこに爆弾と爆薬があるわけですね。ってことは、この2件目の被害者は自分で爆弾を作る技術があるわけです。さて、犯人グループは最初5人組で、拳銃で2人殺して最終的に3人組みになるわけです。主犯の須川圭一はいいとして、ほかは頭の悪いギャルとアホ1匹です。誰がどう考えても爆弾作れる奴は最後まで残すでしょ。ほかの2人のほうが遥かに無能なんですから。
ちょっと話は前後しますが、一方で新湾岸署の鉄壁セキュリティのマニュアル本が配られます。そういうのって安易に配るもんじゃないと思うんですが、そこはスルーしましょう。被害者宅のネットゲームのアカウントをつかってチャットをするとすぐに犯人とコンタクトを取れるのは失笑なんですが、なんと犯人はボイスチェンジャーを使いませんw すぐにわりだせよw
しかもよりによって自分の目をドアップでビデオチャットに上げるわけです。本広監督・君塚さんの両名は警察にちゃんと取材してないんでしょうか? 目っていうのはモンタージュを作るうえでもっとも大事な部位ですし、そもそもドアップにしたら網膜チェックで警察はDB照合できちゃうんですよ。 とくに犯人はソーシャルワーカーとして刑務所(精神病棟?)に入ってるわけでしょ?当然警察も顔写真や指紋や経歴は記録してますよ。アホが、、、、。早く指名手配しろw
さらになんと犯人はマニュアルすり替えというアナクロな手口で湾岸署の連中に自らセキュリティシャッターを下ろさせるわけです。が、、、そのときのパスワードが「wangan」ってのはひどいですw 小文字英字6文字w 総当りやっても2分ぐらいでクラックできますw せめて記号とか数字とか大文字小文字混ぜるとかあるでしょ。このあたりに君塚さんのメディアリテラシーの無さが如実に現れています。さらにはそのちょっと前に「プロクシを使ってアクセスしています」「ログは残りません。」という君塚さんにしては精一杯頑張ったセリフがあるんですが、これは間違いです(苦笑)。プロクシには基本的にログは残ります。追跡できるかどうかはログの保管期間次第です。通常、ネットの荒らしやクラッキングで海外プロクシを使うのは、海外だとログの提出依頼がしづらいことと、多段でプロクシを通すと跡を追っている間に保管期間切れでログが消えちゃってるサーバが出てきてそれ以上追えなくなるからです。最初からログをとっていない匿名プロクシなんてまずありませんよw 気取ったつもりが超ダサい凡ミス、、、ご愁傷様です。
なんか書くのが段々面倒になってきたんですが(苦笑)先に進みましょう。この直後から君塚さん特有の気持ち悪い政治メッセージが入り始めます。官僚や体制を悪く書くのはいつものことなんですが、今回はよりによって「国民の命を救うために、凶悪犯を釈放しよう。」というまったく意味不明な論理が登場します。はぁ????? 坊や、、、頭大丈夫??? そういえば「交渉人 The Movie」でも犯人は囚人の解放を求めてましたね、、、、もしかして糞映画業界のトレンドなんでしょうか(苦笑)。とはいえ、そこは元容疑者・室井慎次。唯一常識的な判断で釈放反対を訴えます。
さてさて、一方湾岸署はというと、、、相変わらず閉じ込められつつ、外にいる青島はシュアリー・TAJOMARUとともに犯人宅に向かいます。無防備に突撃しすぎなんですが、いろいろあって日向からの手紙だけ回収して帰ってきます。この後、ついに本作最大の見せ場にして笑劇の展開が待っています。なんと、バーナーでも焼ききれず電動ノコギリでも切れなかったシールドに、青島が木の杭一本と腕力で勝負を挑みます!!!!!

キタ━(Д゚(○=(Д゚(○=(Д゚(○=(゚∀゚)=○)Д゚)=○)Д゚)=○)Д゚)━!!!

見かねた恩田が署内から説教するんですが、それでも収まらないオダルフィのリビドーw もう何が何やら、、、、。ちなみにこのシーンを私は完全に爆笑しながら見てました。
そしてこちらも笑劇の事実が明らかになります。なんと犯人が要求していた釈放対象者9人のうち、すでに5人が刑期満了で出所済みwww 調べとけよw 結局2人だけを釈放することになるんですが、こっからグダグダがピークに達します。99岡村は結局釈放されず、キョンキョンは羽田に行きたいといって見たり、旧湾岸署に行きたいといってみたり支離滅裂です。そしてついに来る本広監督・君塚さん究極コラボの集大成、、、なんと今回は白い服をきて携帯電話で掲示板に書き込むゾンビの群れw 君塚さんは本当にネットが嫌いなんですねw こういうコンプレックスむき出しのことするから笑われるって誰か教えてあげてw
キョンキョンはキョンキョンで実は目的は自殺して教祖として伝説になることだと告げます。だったら舌噛んで死ね。結局この一連の事件はすべて無意味なんですと。お~~~怖っw どうせ身柄確保するなら今度からは最初から確保しようね。なんで奥まで行かせたんだっていう、、、。

【まとめ】

私の2時間半を返せ~~~!!!!!!!!!!!
マジきっつい。
結局、犯人はネットゲーオタクと秋葉原に住むアニオタで、最後はネット喫茶に篭る20代前半の連中なわけですよ。いかにも君塚良一が嫌いそうな若者像そのものです.
最後にこれだけは突っ込まないといけません。これまたいつもどおり、湾岸署の連中は一度も活躍しませんw すべて犯人が勝手にペラペラしゃべってくれます。いいのか、それで、、、。「踊る大捜査線」っていうより「浮き足立つ大捜査線」って感じです。バタバタしてるだけで、結局なんにもやってませんから。
お勧めできる唯一のポイントは、深津絵里と内田有紀の可愛さでぐらいでしょうか。とはいえ、後者はバーニングがらみで水野美紀の代わりにブッキングされているので複雑です。
旧作のファンならば見に行くのは損ではないとは思いますが、正直こんな映画が興行収入で上にくるのはちょっと納得いきません。
ここまでの本年度ワーストは「板尾創路の脱獄王」だったんですが、ぶっちりで本作がエントリーです。おめでとうございますw しかもこれ続編映画の製作が決定してるんですよね、確か。恐ろしい。 なんで本広監督や君塚脚本家に仕事が行くのか理解に苦しみます。人気があるシリーズなんだから、せめて映画としてまともだったら全然問題ないんですけどね、、、。

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さんかく

さんかく

三本目は

さんかく」です。

評価:(95/100点) – ん~~~~ナイス。


【あらすじ】

釣具店で働くダメ人間の百瀬は、恋人の佳代と同棲している。ある日、佳代の妹が夏休みを利用して遊びに来ることになった。いつもは面倒そうに付き合っていた百瀬だったが、わがままで愛くるしい桃の姿に、やがて心を奪われていく、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> 桃がやってくる。
 ※第1ターニングポイント -> 桃が実家に帰る。
第2幕 -> 百瀬と佳代の破局
 ※第2ターニングポイント -> 佳代が実家に帰る。
第3幕 -> 百瀬の落とし前?


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【感想】

さて、先週末に見ましたのは、吉田恵輔監督の「さんかく」です。初日の舞台挨拶は混んでいたみたいですが、時間をはずしたのでそこまでの混雑ではありませんでした。とはいえ、6~7割ぐらいは入っていたでしょうか。上映館が少ないので、このぐらいの混雑は平均的だと思います。
吉田監督の大きな資質というのが、「中年のダメ男」が「無垢な(に見える)少女」に魅かれるという駄目なファンタジーを描く点にあります。それだけなら単なる平凡な監督なんですが、吉田監督の凄い点は、そのファンタジー自体に客観的なツッコミを入れられる点にあります。「そんな上手いこと行くわけないだろ!」という当たり前の視点が入ることで、そこに悲哀というか情緒というか、そういった微妙な「おとこ心」を重ねてくるわけです。
本作ではその視点はより一層強化されています。作品を重ねる毎にどんどんファム・ファタール (=妖婦/主人公を誘惑する女性) が低年齢化していっていますが、今回は遂に中学生(中の人は16歳)です。ご存じAKB48の小野さんなわけですが、日本人にありがちな「いい年なのに顔が子供っぽい」という童顔に加えて、ちょっと肉付きが良いところがファム・ファタールにばっちりです。仲里依紗的というか、「こいつ素は黒いんだろうな」と思える感じの雰囲気が大変素晴らしいです。その桃に勝手に振り回される百瀬役の高岡蒼甫さんも実在感ばっちりの「ウザイ不良あがり」感が大変すばらしいです。まぁ宮崎あおいがらみでドス黒い背景ばっかり浮かび上がる高岡さんですが、こういった小者の役には本当にばっちりです。
本作の大変良いところは、はっきりとバカな百瀬と中盤に変貌を遂げる佳代との「似たもの同士」な二人が、どうしようもなく阿呆な衝動でお互い猛烈な勢いですれ違いつつ、でも結局最後はお互いしかいないという閉じた世界のラブストーリーをブラックコメディタッチで描いてくる点です。他の人には相手にされない人間達が、失敗しまくりながらも結局すれ違ったりくっついたりする感じが大変愛くるしいです。
高岡さんも小野さんも決して演技が上手いわけではないんです。でも、なんか強烈な現実感を持っているんです。「こういうの居る居る」っていう感覚。それが急にエスカレートしていきつつ、、、というところが本作の肝であり最高の盛り上がりを見せていきます。
上映館は少ないですが、必見の作品だと思います。絶対に損はしません。
余談ですが、AKB48云々という部分は単なると宣伝材料であって、作品自体はアイドル映画でもなんでもありませんので、その辺に抵抗を感じる方もご安心下さい。
面白いラブコメ映画として最高クラスの出来だと思います。

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孤高のメス

孤高のメス

日曜の2本目は

孤高のメス」です。

評価:(45/100点) – 手術描写は頑張ってるが、話としては退屈。


【あらすじ】

さざなみ市民病院はロクな外科医がおらず、近隣の大学病院に頼り切っていた。そこにピッツバーグ大学出身の当麻が赴任する。彼は急患で運ばれてきた料亭のオヤジを緊急オペで見事に救って見せ、市民病院でもオペが可能であることを見せつける。やがて停滞していた看護師達もやる気を見せ始め、市民病院には活気が戻ってくる。
一方、大学から派遣されてきていた医師達は当麻を快く思っていなかった、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> 弘平と母。
 ※第1ターニングポイント -> 当麻先生が赴任してくる。
第2幕 -> 当麻先生の活躍。
 ※第2ターニングポイント -> 脳死肝移植手術を決意する。
第3幕 -> 脳死肝移植手術


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【感想】

日曜の二本目は「孤高のメス」です。先週公開の作品でスルーしてたんですが、結構評判が良かったので見てみました。お客さんは中高年を中心にかなり入っていました。

確かに、本作での手術描写はかなり頑張っているように見えます。きちんとオッサンの肝臓は汚く、若者の肝臓は綺麗なピンク色で描いています。私も実物は分かりませんが、なんか「本物っぽい」感じはとても伝わってきました。ところが、、、肝心のストーリー部分がかなり雑です。類型的なスーパー外科医に、類型的な感じ悪いエリートが突っかかるという構図。そしてその中で起こるのは、典型的な足の引っ張り合いです。倫理的な問題を脇においても、決定的に盛り上がりません。
相変わらず日記で始まるのに浪子が見られないシーンが一杯出てくるのですが、そこはそれほど気になりません。やはりどちらかというと、手術のシーンに力をかけ過ぎてしまいそれ以外がおざなりになってしまっている点が問題だと思います。

特に後半、脳死の話になってからは、もはや登場人物の誰一人冷静な判断をせず、みんなが泣き方向に行ってしまいます。あまりに無茶苦茶な事をみんなで言い始めるため、物語の整合性以上に予定調和的な展開になることが丸わかりで急激に冷めてしまいました。

作品全体がストーリーよりも泣き脅しの方向に向かう傾向にあるため仕方がないのかもしれませんが、もうちょいドラマ側でなにかイベントが欲しかったです。結局当麻先生は欠点がないんです。じゃあなんでさざなみ市民病院に来る前に各地を転々としていたんだって話はあるんですが、あまりにも欠点がなさ過ぎて、サスペンス的なハラハラがまったくありません。安心して見られてしまうので、成功率は5分5分と言われても全然気になりません。本当に惜しいです。

【まとめ】

さながら2時間ドラマのような地味さと記号表現でした。ですが、手術シーンは間違いなくワクワク出来ます。もし時間が余っているようであれば、見て損はないと思います。

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記事の評価
告白

告白

今週の本命、

二本目は「告白」です。

評価:(75/100点) – 原作のクオリティを考えると相当頑張ってる。


【あらすじ】

1年B組の年度最後の終業式の日、担任教師・森口悠子は生徒に衝撃の告白をする。事故死と見られていた彼女の娘が実は二人の生徒によって殺されたというのだ。さらに彼女は顛末を皆に語った後ですでに犯人に復讐を仕掛けたと宣言する。それを機に、犯人二人を取り巻く環境が大きく変わっていく、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> 悠子先生の告白
 ※第1ターニングポイント -> 告白終了。
第2幕 -> 委員長と少年A・少年Bの告白。
 ※第2ターニングポイント -> 少年Bが母を殺す。
第3幕 -> 悠子先生の復讐。


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【感想】

さて、二本目は今週公開映画の本命、中島哲也監督の「告白」です。湊かなえさんによる原作は本屋大賞を獲っており、そこそこ売れているようです。個人的にはあまりに規模が小さすぎるため本屋大賞に価値があるとは思っていないんですが、でも書店受けが良いってのはエンタメ本には大事です。恥ずかしながら原作未読だったため、朝に紀伊國屋で買って、映画見る前まで読んでました。ちょうど原作・第三章の途中ぐらいまで読んで映画を見て、さっき続きを全部読みました。

おさらい:中島哲也監督について

まずはざっと概要を語る上で必要なことを整理しましょう。
中島哲也監督と言いますと、「下妻物語(2004)」以降にその個性を爆発させた感があります。それは当たり障り無い言い方をすればヘンテコで大げさな作風であり、ハッキリ言ってしまえば実相寺昭雄とティム・バートンを足して2で割ったような絵面です。中島哲也監督がCM出身だからなのか、映画的な意味でのメッセージのある/見せたいものがある画面よりも、雰囲気重視の絵作りが目立ちます。そこが生理的にダメっていう人が結構多く、賛否がガッツリ別れることでもおなじみです。

特に私は「嫌われ松子の一生(2006)」は傑作だと思っています。「客観から見ればえげつないことでも主観ではすごくハッピーかも知れない」という所から発展させて、とんでもなくドラッギーな松子の内面を頭がクラクラするような躁状態で描いています。
中島哲也監督は、この「客観」と「主観」、「外見」と「内面」と言う部分にかなり執着・興味があるように見受けられます。それが時としてはちゃめちゃで暴力的な感性を伴ってあふれ出て来てしまうところが彼の特徴であり、そしてそのドラッギーな感覚にヤラれてしまったファンが多く居ます。

原作「告白」について

今しがた読み終わったばかりなので深い読み解きをしていないのはご勘弁下さい。原作は全六章からなり、その中で6人のキャラクターの独白形式の文章が展開されます。第一章は悠子先生、第二章は美月、第三章は少年Bの姉と母親、第四章は少年B、第五章に少年Aが来て、最後は悠子に戻ります。正直小説としてはどうかと思う部分もあるのですが(苦笑)、原作小説の最大の美点は第三章にあると思います。第三章において、少年Bの母は主観全開で悠子先生を糾弾します。それまで悠子先生と美月の独白を読んできた読者には、明らかにこの母が過保護であり自己完結型であり、そして被害妄想傾向にあると分かるようになっています。当ブログでも何度か書いていますが、映画に限らず登場人物が「語り出す」時には必ずその人物の主観が入り、フィルター(=バイアス)が掛かります。それをこの第三章ではかなり分かりやすく提示しています。映画や小説を数多く見ていると常識になってしまうんですが、こういう叙述トリック的な仕掛けが可能なんだという作品形態上の構造を意識させるのにはとても良い方法だと思います。

これは巻末インタビューでも中島監督が語っていますが、原作には「地の文」が無いため、全てのストーリーが誰かしらの主観で語られます。なので極端な話、真実は何所にも無いかも知れないわけです。複数人が同時に語って一致したことは良いとしても、それ以外の事柄は全て完全に自己申告です。だから疑おうと思えば全て疑うことが出来ます。極端な話、少年Bが妄想狂で、目を開けた云々をでっち上げている可能性だってあるわけです。

映画について

さて原作を読んで思うのは、この本は間違いなく中島哲也という個性に合っているということです。なにせ上記のような「主観のみで構成される世界」というのは中島監督の資質そのものです。よくこんなぴったりな本を見つけてきたと感心するほど、本当に中島監督が映画化するためにあるような原作です。しかし一方で、登場人物が延々とグダグダ一人語りをするというのは映画的には完全にアウトです。ですから、本作で忠実な映画化を目指すのはかなり無謀です。では中島監督はどうするか、、、。

これが非常に上手いと思ったのですが、彼は本作で主観と客観を上手に切り分けて演出しているんです。例えば、、、冒頭、約30分に渡って松たか子の「告白」が展開されます。当然ここは小説では一人称語りなのですが、映画では客観視点で描かれます。そして再現映像のような形で主観のイメージ映像が合間合間に入ります。この場面に見られるような「物語の整理」を中島監督は全編で丁寧に行っています。結果として、ラジオドラマの方が向いていそうな原作を上手く映画化出来ていると思います。
映画版ではかなり大規模に原作の内容を変えています。起こっているディティールは一緒なのですが、その細かい部分でキャラクターをよりキ○ガイ方向に振って、可能な限り悠子先生側の論理を強化できるように組み立てています。例えば、少年Bは小説では途中までは理性を保っていますが、映画では引きこもってすぐに発狂します。少年Aも起こした事件の詳細をより具体的に描写し、また「処刑マシーン」という新たな要素を足すことで、より救い難い方向へ持って行きます。

そして腹立ち必至の少年Bの母親・木村佳乃の超自分勝手なモンスターペアレンツぶり。はっきりと「こいつらは酷い目にあって当然だ」という印象を持てるようになっています。そしてウェルテルのキレっぷりと委員長の危ないメンヘラ全開な感じ。「学校では真面目そうな子がゴスロリ私服で出てくると危ない」という邦画のお約束をちゃんと守っています(笑)。もちろんそれは悠子先生といえども例外ではありません。最後の最後に彼女が言うワンフレーズによって、実は彼女の内面も相当キてるという片鱗が見られます。

こういった形で全てのキャラクターをマッドにすることで、本作全体の躁状態・お祭り感を存分に発揮できていると思います。ところが、、、演出が完全に一本調子なのがすごく気になります。とくに音の使い方に顕著なのですが、ほとんど全部の場面で映像と音楽の対位法を用いてきます。一回くらいなら良いんですが、それが本当に何度も何度も繰り返されるため、すっごい嫌気が差してきます。なんか変なCMを見せられてる気分です。また、これは作品上仕方がないのですが、やはり各キャラの告白シーンを全てセリフで説明しようとするため、映画的にはまったく盛り上がりません。

ただ、倫理的な所に話を落ち着けるのではなく、あくまでもエンターテイメントに徹して一種の青春映画にしたててきたのには大拍手を贈りたいです。

【まとめ】

正直に言って、このつまらない原作をこれだけの映画に出来たのだから十分だと思います。細かいストーリーについてはツッコみ所が一杯あります。そもそも少年Aが全然匿名になってないとか、悠子先生はどこで爆発を見たのかとか 少年Bの第2の犯罪は正当防衛だとか etc。でもそれ以上にテンションの高さかがかなり面白かったです。間違いなく見て損はありません。個人的には、シネコン映画できっちりバラバラ殺人の返り血を出しただけで合格です。
オススメです!!!
余談ですが、原作小説は本当につまらないので、下手に読まずに映画を先に見た方が良いと思います(苦笑)。

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記事の評価
RAILWAYS  49歳で電車の運転士になった男の物語

RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語

今月の映画の日は

RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語」を見ました。

評価:(25/100点) – 夢じゃなくて寝言。


【あらすじ】

筒井肇はエリートサラリーマンである。何事も会社が第一で娘とも上手く話せない。娘が大学に入って育児も一段落したことで、妻はハーブティー屋を始めるなど華やかな生活を送っていた。ある日、彼の元に田舎の母が倒れたとの知らせが届く。そして時を同じく同期の川平までもが交通事故で亡くなってしまう。彼は川平が常に口にしていた「楽しいことをやる」たに会社を辞め、バタデンの運転手になることを志す、、、。


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【感想】

少し遅くなりましたが、今月1日は「RAILWAYS」を見てきました。「意外と良かった」みたいな評判を聞いていましたから、それなりに楽しみにはしていたんですが、、、、、う~~~~~~~~~~~~~ん。1000円で良かったと言うべきか、1000円も取られたと言うべきか、、、なんにせよ微妙でした。
ROBOTの制作ということで完全に「ALLWAYS」を意識したタイトルなわけですが、本作では「ALWAYS 三丁目の夕日」にあったような反吐が出るほど気持ちの悪いファンタジー・ノスタルジーはほとんどありません。代わりにあるのは中年男のファンタジーであり、責任や家族から解放されて童心に戻る中年男のロマン溢れる夢舞台です。
本作はその全てがファンタジー(=究極のご都合主義)に覆われています。なにせ夢を追うために一流企業の取締役の座を捨てて月給14万の契約社員になる50歳の話です。そしてそれを当然のように受け入れる菩薩のような天才妻まで居ます。彼女は趣味で始めたハーブティー屋が雑誌で取り上げられるなどして一気に有名店の経営者となった天才辣腕経営者で、夫が田舎で高卒対象の契約社員になることを笑顔でOKしてくれます。一方の娘はといえば、父がエリートサラリーマンの時には険悪だったにも関わらず、田舎に単身赴任で引っ込むと聞いた途端に優しくなっておばあちゃんの看護のために大学を休んで顔をだしてくれるようにまでなります。
つまり、、、お金を持ってエリートサラリーマンをやっていたときよりも、田舎に引っ込んで月給14万の契約社員になった方が周りのみんながハッピーになっているんです。凄い事だと思います。It’s AMAZING!!!!!
「娘の学費は何処から出てるんだ」とか「東京の家のローンはどうしてるんだ」とかツッコミ所は山ほどありますが、そういったことは中年男の夢の前では些末なことです(苦笑)。
結局本作も近年の糞映画によくみられるエコロジー志向というか、反大都市・反近代的なメッセージに満ちあふれています。だからですね、こういう作品を良いと思った人には、まずは「パーマネント野ばら」を見るようお勧めしたいです。田舎は田舎で大変なんだぞと。閉鎖社会な上で経済活動も多岐にわたらない田舎ってのは、それこそ一回のけ者にされたら人生が終わっちゃうような危なさがあるんだぞと。
現実感のカケラもないような本作は、まさしくファンタジーそのものです。でも多分それこそが本作の狙いなわけで、早い話が人生に疲れちゃってる中年男性をターゲットにして適当なメッセージで癒してあげようというとっても広告代理店的な発想なわけです。まさか本作をみて本気で転職を考える人はいないと思いますが、そういった方には一言「50歳じゃ書類審査に通らないですよ」とつぶやいた上で、是非とも頑張っていただきたいと思います。
中年男性のファンタジーというと、今年「マイレージ、マイライフ」という作品がありました。「マイレージ~」ではあくまでも現実に起こりうる範囲でのリアリティを持って男のロマンを見せていますので、私もノリノリで見ることが出来ました。ところが、本作ではリアリティの片鱗すら見えません。そもそもおばあちゃんが乗り遅れそうだという理由で、独断で司令室の命令を無視して電車を遅延させまくる新人運転手ってなんですか? それって人情的には「良きこと」かもしれませんが、でもそれで秩序を破っても構わないっていうのは違うでしょう? だって目に見えている人は助かったかも知れませんけど、もしかしたら電車が10分遅れたことで親の死に目に会えなかった人が居るかも知れないじゃないですか。だから、決してそれは無条件に美談として了解できるような話ではないと思うんです。でも本作ではそういう傲慢な正義感から生じる歪みは描かれません。あくまでもみんながハッピーになるんです。
だから、ハッキリ言って本作は「誰かが私にキスをした」と変わりません。この世界の全ては主人公・筒井肇のためだけに存在しています。彼が夢を叶えると、世界の全てがハッピーになるんです。気持ち悪い。こんなんで喜ぶ中年男性って本当にいるんでしょうか?よっぽどじゃないと騙されない完成度です。少し前の作品ですが、去年の「プール」にも通じる思想的な気持ち悪さがあります。どんだけワガママ放題をやってものんびりした田舎に行けば全部許されるっていう、ある意味エコロジーで安い精神メッセージです。気持ち悪い。
結局、きっとこの主人公は山ほどお金を貯金して退職金ももらい、本当に道楽として鉄道の運転手になっただけなんでしょうね。せっかく「夢敗れて運転手くらいしか仕事がなかった」という生きるために運転手になった対比キャラまで出てくるのに、結局そのキャラも本作の思想に恭順してしまいます。なんかいろいろな事にたいして酷い作品でした。現役のバタデンの運転手さんは怒って良いと思いますよ。少なくとも本作で運転手は「電車でGO!」レベルの素人でもできる仕事として舐められてますから。

【まとめ】

電車ファンならば見ていおいて損はないとは思いますが、本作の思想に乗れるかどうかで結構評価が別れる作品だと思います。責任や家族を捨て去って田舎で童心に返りたいという野望を持った中年男性にはぴったりな作品ですので、是非劇場でご鑑賞を。

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記事の評価
ヒーローショー

ヒーローショー

本日も2本です。1本目は

ヒーローショー」です。

評価:(35/100点) – やりたいことは分かるけど、、、。


【あらすじ】

漫才芸人を志すユウキは、元相方の先輩・剛志からヒーローショーのバイトを紹介される。ある日、剛志の彼女と浮気したことから、ノボルと剛志はステージ上で殴り合いの喧嘩をしてしまう。剛志は旧知のチンピラ・鬼丸にノボルへの復讐を頼む。一方、鬼丸から恐喝を受けたノボルはギガブルー・勉の兄・拓也に泣きつき、自衛隊あがりの石川勇気を使って鬼丸への逆襲を計画する。そして遂に、両者の抗争は殺人事件へと発展する、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> 美由紀の浮気
 ※第1ターニングポイント -> ノボルと剛志が殴りあいをする。
第2幕 -> 剛志組とノボル組の抗争。
 ※第2ターニングポイント -> 剛志が殺される。
第3幕 -> ユウキの人質生活と石川勇気。


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【感想】

本日の1本目は局所的な話題作・ヒーローショーです。監督は適当かつ暴論解説でお馴染みの井筒和幸。名物監督の作品ということなのか、かなりお客さんが入っていました。「ガキ帝国」「岸和田少年愚連隊 BOYS BE AMBITIOUS」でのピークを境にみるみる作品の質が失墜している井筒監督ですが、久々の18番・青春バイオレンス映画ということでかなりの期待を持っていきました。ところが、、、、あれっ?っていう作りで、やはり近作の井筒作品と同じく、監督の言動に作品の質がついていっていないような印象を受けました。

バイオレンスの捉え方

一口に”バイオレンス(暴力)”といっても、映画におけるバイオレンスにはいろいろなレベルがあります。例えば、いわゆるアメコミヒーローものにおけるバイオレンスというのは、一種の記号化したアクションです。殴った時に鼻が折れるかどうかや血が出るかどうかというリアリティラインもありますし、どこまで殴れば人が死ぬのかという設定ラインもあります。例えば、昨日見ました「戦闘少女」では血しぶきが出まくりですが、一方で実は主演達の純白の戦闘服にはあまり返り血がついていません。これは血しぶきを一種のコント道具、もっというとギャグの特殊効果/漫画におけるトーン演出として使っているためです。だからあえて主演のアイドル達が血で汚れることはほとんどありません。
また、これは井筒監督が今月号の映画秘宝のインタビューで名指し批判していますが、お笑い芸人の品川祐が撮った「ドロップ」は金属バットでどれだけ殴ろうが人は死にませんし、顔が変形することもありません。
こういったバイオレンスの描き方というのは、そのまま監督の暴力観が表れる部分です。
これも井筒監督本人が語っていることですが、彼は暴力が嫌いだから、暴力を嫌なこととして見せるために本作のリンチシーンを長くしたそうです。この思想は、それこそスピルバーグや北野映画における人殺しのシーンに共通しています。この思想自体はとても映画的であり、そしてとても作家性の表れる部分です。
では本作では実際にどうかといいますと、、、これが驚くほど軽~い暴力の描き方をしています。あのですね、井筒監督、言ってることが出来てないんですけど(苦笑)。
本作で暴力が振るわれるシーンは4カ所あります。ステージ上での殴り合い、食堂での鬼丸のかち込み、山中でのノボル組のリンチ、そして最後のアパートでの襲撃です。この4カ所できっちり暴力が描かれるかというと、これがまた全然描かれません。ステージ上では単に唇が赤くなるだけですし、食堂ではちょっとスネを蹴る位です。一番激しいはずの山中も、鬼丸なんてゴルフクラブで胸を何度も叩かれたあげく助走付のフルスイングで金属バットを2度も頭にたたき込まれて、物凄い量の血反吐を吐いているのに、2日後には松葉杖のみで笑顔でお礼参りを敢行します。そしてラストに至っては結果のみの描写でまったく仮定が描かれません。全っっっ然嫌悪感の湧く暴力描写が出来てないんです。むしろ変な格好付けも相まって、暴力が割と楽しそうに見えます。
さらにもっともどうかと思うのは、この暴力に対しての報いがあまり描かれないという部分です。別に勧善懲悪である必要は全くないのですが、映画で暴力を描く以上は、なにかしらそれの結果も描かれていないと話として成立しません。本作では、暴力の報いを受けるのは勇気だけで、他の人間はやり得です。鬼丸兄弟にいたっては、とっても楽しそうです(苦笑)。でもですね、それじゃダメなんですよ。それこそ「息もできない」のように、復讐した者が新たな復讐の標的にされ、さらにその被害者も暴力を振るうようになって、、、、というスパイラルを描くでも良いですし、「復仇」のように敵も味方も全員死んで虚無だけが残るのでも良いです。でも、なにかしら暴力に対して落とし前だけは付けて下さいよ。それをよりにもよって暴力を振るった方の事情を見せて何か美談的な方向に落とそうとする根性が気に入りません。勇気は人を殺したわけで、それがのうのうとバツ一子持ちの女とくっつこうって発想がそもそも腐ってます。だいいち、途中で勇気は警察に自首するような言動をしておきながら、次のシーンでは死体を焼いて証拠隠滅するように動いてるじゃないですか。それもたかが共犯者が飲酒運転で事故死しただけの理由でですよ。だからコイツは倫理的にも物語的にも死んで当然です。そこに叙情を挟もうとして変な設定を詰め込んでも本質は変わりません。
もしも勇気サイドをきっちり描くのであれば、それはキチンと彼なりの落とし前を見せるしかないんです。でも結局彼はウジウジ40分も尺を使って女々しくしているだけです。まったくのれません。
片や鬼丸サイドですが、これもとても雑です。あんなドチンピラで人を恐喝するようなヤツが、相手の待ち伏せ確実な場所に丸腰でノコノコ行きますかね? 山中で一方的にリンチされますが、実質一人だけで相手の指定場所に突っ込むような素人じゃないでしょう? まぁあれだけ痛めつけられても2日で戻ってくる位ですから、不死身力でもあって丸腰上等なのかも知れません(笑)。こちらサイドは暴力に説得力も痛みもありません。
本作で私がもっとも腹が立ったのは、ラストのしょうもない締めかたです。
結局、夢をあきらめろってことですか?
夢をすてて現実を見ろってことですか?
それとも、親のスネを囓れってことですか?
「おまえに俺の何が分かるんだよ!山梨に一度来てみろよ!」からの帰郷なんですが、そもそも両親は屋台で鯛焼き屋をやってるわけであって、彼が手伝っても売る上げが上がるわけでは無いわけで、食い扶持が増える分生活は厳しくなるんですよ。もし両親を思って帰郷するなら、故郷で就職してくださいよ。それか東京で就職して仕送りしてください。
いかにもハートウォーミングな雰囲気で落としていますが、これこそ井筒監督が随所で批判している「幼稚園のお遊戯会」的な日本映画のよくあるまとめ方ですよ。

【まとめ】

監督のやりたいことは多くのインタビューを通して伝わってくるんですが、それが作品に全く反映されていません。非常に困った作品となっています。演者に関しては、所詮は吉本芸人のお遊戯会なんであんまり文句を言う気も起きないんですが、監督にはそうじゃないっていう気概だけはあるようで、少々困惑しています(苦笑)。
おそらく井筒監督が言ってることの半分でもできていれば、現状の邦画では半分より上に行けると思います。なんにせよ名物監督の突っ込みどころ満載・ニヤニヤ映画なのは間違いありませんので、井筒監督のキャラが好きなかたは是非とも足をお運び下さい。前半のリンチまではさすがと思わせる内容だっただけに、リンチ以降の投げやりな迷走が残念でなりません。

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