本日は一本です。密かに連休公開映画の本命、
「私の優しくない先輩」を観てきました。
評価:
– アイドル不毛の時代でカウンター・カルチャーとしての王道【あらすじ】
西表耶麻子は女子高生。あこがれの南愛治先輩に思いを寄せるがなかなか切り出す勇気も無い。ある日耶麻子は、所属部員2名しかいないマット運動部で、先輩・不破風和に愛治宛のラブレターを見られてしまう。すると、暑苦しい不破は勝手に2人をくっつける「たこ焼き大作戦」を始めてしまうのだった、、、。
【三幕構成】
第1幕 -> 耶麻子の部活動。
※第1ターニングポイント -> 不破がたこ焼き大作戦を提案する。
第2幕 -> たこ焼きの練習と喜久子との仲。
※第2ターニングポイント -> 耶麻子が倒れる。
第3幕 -> 祭り。
【感想】
さて、実は密かに大本命でした、一部で局所的な盛り上がりを見せている「私の優しくない先輩」です。監督はご存じ「涼宮ハルヒ」や「らき☆すた」で知られるアニメ演出家のヤマカンこと山本寛です。正直、お客さんはオタクしか居ないだろうと思っていたんですが、予想に反してティーンエイジの女の子ばっかりでした。なんで!? お笑いはまったく分からないんですが、はんにゃのファンでしょうか?
先に書いておきますが、本作は映画としては駄目駄目です。とにかく耶麻子が性悪なゲスですし、その落とし前もロクにつけません。でもね、、、そんなことはアイドル映画にとってはどうでもいいんですよ!!! 私はここからはアイドル映画としての本作のみを言及します。映画としてはダメって書いたからね? 許してね? そりゃモノローグずっと流して演技もへったくれもないし、登場人物達は下らない一発ギャグみたいなアドリブを繰り返すし、ダメダメですよ。クソ映画すぎてマジで1桁点数です。でもそれは普通の青春映画という視点で見ているからです。本作はZ級アイドル映画なんじゃ(`・ω・´) (不破先輩風)!!!
アイドルという存在
まず「アイドル映画」という特殊な基準を持ち込むからには、それがどういうものなのかを前もって定義する必要があります。
アイドルと一口に言いましても、歌を歌う「アイドル歌手」も居れば、水着写真を撮られる「グラビアアイドル」も居ますし、「アイドル女優」や「アイドル声優」なんて単語もあります。非常に難しいんですが、アイドルを頑張って定義すると「特定のコミュニティに人気があって、ファン達の応援によって実力に見合わない立場で活動できる人」だと思います。後半に若干トゲがありますが悪意はありませんw 要は、ファンが思わず応援したくなるような存在だということです。例えば、今のAKB48は間違いなくアイドルだと思いますが、今のPerfumeはアイドルかと言われるとちょっと微妙です。それは、AKB48が実力を遙かに凌駕するファン達の熱気・投資によって支えられているのに対し、Perfumeは音楽の質が十分に認められているからです。AKB48は大人買いするオタク達なしではオリコン上位に食い込むことは不可能ですが、Perfumeは一人が何十枚も買わなくても普通に上位に入れます。別にどちらが偉いということではなく、アイドルはそういう存在だということです。たまたま極端な例を出してしまいましたが、AKB48に他意はございませんのであしからず。
そういう意味では「アイドル女優」というのが一種の悪口になり得るという問題もあったりするんですが、それを書き始めると長くなるんで止めましょうw 私の基準では新垣結衣はアイドル女優で、宮崎あおいは若手女優ですw
「アイドル映画」というもの
もう大分前になりますが、当ブログを始めた直後に「携帯彼氏」についてちょこっと書きました。あの映画は、普通の映画としてはゴミ以下で、アイドル映画としても完全にB級でした。本作を見て確信したのは、残念ながら川島海荷という素晴らしい素材を「携帯彼氏」はまったく生かせていなかったという事です。
本作は初めから終わりまで完璧なまでに「アイドル映画」として特化した演出がなされています。映画として整合性はほとんど放棄していると言っても過言ではありません。それはどういうことかと言いますと、、、
アイドル映画を撮る際に重要なのは、いかにしてそのアイドルの持つ「応援してあげたくなる力(ぢから)」を発揮させるかという事に掛かっています。前述したようにアイドルはファンからの応援によって成立しています。ですから、そのアイドルの魅力とはすなわち「応援してあげたくなる力(ぢから)」なんです。本作では、冒頭いきなりあからさまなハリボテの中で、あからさまに腰ベルトにワイヤーを着けられて浮遊”させられている”川島海荷から始まります。もうお分かりですね? 本作は完璧に「女優・川島海荷の羞恥プレイ集」なんです。
・ワイヤーで無理矢理吊されているのに笑顔で演技をしようとする
(でも演技が下手な)川島海荷。
・アドリブ全開のはんにゃ金田を前に笑いをこらえながら一生懸命台本通りの演技をしようとする
(でも演技が下手な)川島海荷。
・物凄い量のモノローグを必死にアフレコしている
(でも滑舌が悪くて何を言ってるか分からない)川島海荷。
・やったこともないミュージカルを無理矢理やらされて必死に踊る
(でもちょっと足がもつれてる)川島海荷。
・土砂降りの中で本格演技派っぽいシーンをやらされる
(でも全然出来てない)川島海荷。
・そしてエンディングで一生懸命歌って踊ってる
(でも音痴で踊りもつたない)川島海荷。
・おなじくエンディングで一生懸命踊ってる
(けど途中で振り付けを忘れて適当に流し始める)高田延彦。
・最後に「MajiでKoiする5秒前」という今最高に恥ずかしく煮詰まったダサイ歌(苦笑)を歌わされる
(でも世代的に恥ずかしさが分かって無い)川島海荷。
断言しますが、全部わざとです。
だってやろうと思えば何十回でもテイクを重ねればいいんですもん。でもこれで良いんです。というかこれが正解なんです。私は本作を見ている間中ずっと「大林宣彦っぽいな~~」と思っていました。その要因はここにあります。大林監督はロリコンとして知られていますが(苦笑)、それは彼のアイドル映画が例外なく「アイドルに羞恥プレイを強要」しているからですw。極端な話、映画を見ている私たちはロケで監督にいじめられているアイドルを想像して「頑張れ!!!」って応援しているんです。本作でもそうです。
川島海荷という最高の素材
本作がアイドル映画として傑作だと思うもう1つの要因が、川島海荷というとてつもない素材です。皆さん、下の川島海荷さんの顔を良く見て下さい。
気付いていただけますでしょうか?
まず、鼻が横に大きいです。次に眉毛が今時の子にしてはあり得ないほど太く濃いです。そして口が大きすぎます。これ悪口じゃないですよ(苦笑)。100%褒めてます。要は「いわゆるアイドルとしてはあんまり可愛くない」ってことなんです。その代わりものすごい小動物的な愛嬌とちょっと男の子っぽい中性的な雰囲気があります。
つまり、川島海荷さんという存在そのものが「アイドル」として成立できるギリギリの所にいる感じがするんです。これもまた「応援してあげたくなる力(ぢから)」の一種です。この子は応援してあげないとアイドルとしてすら成立しない気がしてくるんです。これは物凄い素質だと思います。本人が聞いてもあんまり褒められてる気がしないでしょうが最高に褒めてます(苦笑)。あなたは間違いなく現代日本で最高のアイドルになる素質をもっています。
余談ですが、AKB48の前田敦子さんもこのタイプの子です。あきらかに顔のパーツが真ん中に集まっていて歌も踊りも下手ですが、そこが逆に「応援してあげないとこいつはダメかも」という母性本能に似た応援を誘発します。最近仕事でアイドル関係の3Dの事をやってるんでそんな事ばっか考えてますw
【まとめ】
本作がアイドル映画として傑作なのは、この川島海荷さんの持つ素質と「羞恥プレイとしてのアイドル映画」という部分を自覚的に演出している点です。でなければ、あのワイヤーは見せません。絶対にCGで消します。とはいえ実はここに一点だけ不満があります。最後にCGで宇宙に浮遊する耶麻子と不破のシーンが出てくるんですが、ワイヤーを消しちゃってるんです。そこはワイヤーを見せないとダメです。地球はCGでもいいから、ワイヤーは残さないといけません。そうしないとこのプレイは完成しないんです。ここで「もしかしてヤマカンは自覚して演出してないのか?」とちょっと疑ってしまいました。でもそんな不満もエンディングの高田延彦が全て吹き飛ばしてくれます。
書いてて自分で自分をちょっとキモイかもとか思ってるんですが(苦笑)、本作はアイドル映画として最高でした。決して新しいことをしているわけではありませんが、アイドル不毛の時代にある種のメタ的な視点(=これがワイヤー/羞恥プレイをしているという露悪的な主張)を取り入れて王道の演出を行ったことに大きな意味があります。
今の時代でも80年代アイドル映画は再生産可能なんです。
冒頭にも書きましたが、青春映画としては耶麻子というクソアマ(失礼)が酷すぎるんでまったくダメです。でもアイドル映画としては文句なく大傑作です。
そのあたりを念頭において見る場合に限り、全力でオススメします。