プリンセス・トヨトミ

プリンセス・トヨトミ

今日の一本目は大阪よ立ち上がれ!!!

「プリンセス・トヨトミ」でファイナルアンサー!!!!。

(4/100点) – 中学校のドアの件どうなった? 知らねヽ(´▽`)ノ


【あらすじ】

会計検査院の松平は部下2名を従えて大阪に会計監査に訪れた。特に何事もなく監査は進んだが、社団法人OJOの監査で不思議な事が起こる。監査後に忘れた携帯電話を取りに戻った松平が見たのは、つい1時間前までいた職員達が忽然と消え、電話も不通、机の中ももぬけの殻になった姿だったのだ。不信に思いながらも決定的な証拠を得られなかった松平だったが、空堀中学校で不思議な扉を見たことと研究者の漆原の言葉から、OJOに抜け道があることに気付く、、、。


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【感想】

本日の1本目は「プリンセス・トヨトミ」です。まるで2chのコピペでお馴染みの「大阪民国」を絵に描いたような映画ですが、結構客席は若い人もいて、埋まっていました。監督はフジテレビの鈴木雅之。フジテレビと東宝の協賛映画です。
ここでお約束のお断りです。本作にはロクにドラマがありませんがそれでも「話しが無い」という説明をするために結末付近までネタバレ有りで書きます。特に支障は無いと思いますが、未見の方はお気を付け下さい。

話しの地滑りっぷり

いきなりですが、本作はかなり話しが地滑りします。というか、そもそも話しが始まるまでに1時間以上かかります。
本作の前半は会計検査院の鬼の松平・ミラクル鳥居・旭の監査行脚を軸に物語が進みます。OJOで不思議な事があった後も監査は普通に進められます。物語が動き始めるのは開始約1時間目。松平がOJOの扉を開けさせるところです。ここまでがとにかく退屈です。いわゆる謎らしい謎もないまま(=話しが無いまま)ひたすら監査が続くものですから、とてつもなく退屈で睡魔との戦いになります。そして通路が開くと同時に、大阪国についての話しがすべて中井貴一の口から語られます。ここは完全に説明口調で、ナレーションで良いレベルで一気に情報が伝えられます。実は本作はある意味ではここで終わっているとも言えますw ここまでが言うなれば「前置き」にあたります。そして「木曜日」のインタールードの後、「金曜日」としてようやくドラマが始まります。最近の邦画にありがちなのですが、前置きでたっぷり状況やキャラクターの説明をして、映画上の第三幕だけで独立したドラマを語る構成になっています。これが私が良く使う「全○話のテレビドラマ」というやつです。
金曜日になると、ストーリーは監査から離れて一転、「豊臣国松の末裔が誘拐された」という話しになります。しかも「誘拐された」裏側も並行して見せながらの展開です。当然それまでにそんな誘拐の話しはありませんから、本当にここだけ全体から独立した話しになっています。そして、映画は最終的には「父と息子の関係性」「会話が途絶えがちな父と息子の幸せな一子相伝の話し」に着地します。前半の展開からは思いも寄らない所へのすごいすっ飛び方ですw 普通の映画は尺を最大限に使ってあるテーマ(=ゴール)を語るためにエピソードを逆算で構築するのですが、本作の場合はどうしても行き当たりばったりな感じがしてしまいます。だってこのテーマなら前半は丸々要らないですからw
ということで、本作にはかなり置いてきぼりにされた印象があります。「あれ、そこ曲がるの?」「あれ、その道は違くない?」って言ってる間に気がついたら知らない土地で迷ってる感じですw

細かい所が行き当たりばったりすぎる

当然話し全体の流れがずさんであれば、細部を見ればボロボロですw 例えばそもそものきっかけになった「OJOの職員が入り口から出ていないのに忽然と姿を消した件」は最後まで意味が分かりません。話しの流れ上は「OJOの建物に隠し扉があったのだ!!!!」ってことで解決しているような雰囲気になっていますが、この隠し扉の先は部屋が一つあるだけで行き止まりですw そもそもこの隠し扉の通路は「人生で2度しか歩かない」「父と子が語り合うための神聖な場所」なわけで、断じて昼休みに通るための通用口ではありませんw よしんばカメラが映していない所でこの行き止まりの部屋からさらに別の通路があったとしても、OJOの職員がそんな所を通って別箇所に行く理由がありません。OJOのオフィスで大阪国の業務をすればいいだけですからw
隠し通路といえば、やはりこちらも話しのきっかけになる中学校にあった不思議な扉があからさますぎる上にその後は一切登場しません。江守徹扮する漆原教授曰く「大坂城には最低でも三カ所の隠し通路がある」はずですが、これと中学校/OJOの扉との因果関係もまったくありません。けっきょくなんだったんでしょうか? もしかして中学校の扉とOJOの扉が中で繋がってたんでしょうか? じゃあOJOの職員って本業は学校の用務員とかっていう設定? なんかよく分かりません。
分からないと言えば、やっぱりそもそもこの「秘密結社 大阪国」という設定がさっぱりです。そもそも年間5億円の資金のためにものすごい苦労しているわけですが、有志団体で推定会員266万人(=大阪の人口)いるんだから、全員から年会費200円取った方が秘密が守れるんじゃないの? 「他へ引っ越した人はどうなるの?」とか、「そもそも大阪城が赤くなったら観光客にはバレバレじゃね?」とか「大阪城の前で数万人単位で集まって数で脅しといて秘密も何も無いだろ!」とか、「結局鉄砲もってるんだから危険分子じゃん!!」とか「御神体=教祖が匿名の”ミスX”じゃあ求心力無いでしょ。」とかツッコミ所は山ほどあります。
そもそもからしてメインのはずの「プリンセス・トヨトミ」がなんにもしませんから。ドロップキックを一回やったくらいですw
着地も結局「鬼の松平」が拳銃にびびって逃げ帰ったようにしか見えません。情にほだされたとも見えなくはないですが、それも単に拳銃で撃たれて気が弱ってただけにも見えます。っていうか検査員なんだから仕事しろ。ちゃんと報告挙げろ。おまえの独断で揉み消して良い規模の裏金じゃない。

でも良いところもあるよ!!!

文句ばっかりになってしまったので、良い所も挙げておきましょう。なんといっても一番良いところは沢木ルカの存在感です。この子がまだ13歳だというのでかなりビックリしてるんですが、かなり良いです。ちょっと古風な感じのボーイッシュさと相まって、往年の角川映画のヒロインっぽさを凄い感じます。東宝映画ですけどw
その他の存在感ではやはり玉木宏です。大阪城公園の屋台のお兄ちゃんというズルい役でシークエンスのすべてを掻っ攫っていきますw いきますが、残念ながら話しの本筋とは一切関係ない出オチです。本作で非常に困るのは、柱になる話しが無いためメインの役所のキャラクター達が総じて薄っぺらいことです。結果、沢木ルカや玉木宏や甲本雅裕のような直接ドラマに絡まない俳優の「地力」が目立ってしまっています。

【まとめ】

色々書きましたが、沢木ルカを見るためだけでお釣りがくるぐらい彼女は素晴らしいです。なのでオススメしておきたいのですが、、、ちょっと内容が内容だけに難しいです。幸い映画の日が近いですから、1日に1000円で見に行くぐらいでちょうど良いのではないでしょうか?
真面目に見るとやってられないくらいの出来ですから、あくまでも半笑いでビール片手に見るぐらいの態度でOKですw

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少女たちの羅針盤

少女たちの羅針盤

土曜の2本目は

「少女たちの羅針盤」を見ました。

評価:(8/100点) – 内容もドラマも無い「アイドル青春まったり映画」。


【あらすじ】

ネット映画の撮影で福山を訪れた女優のマリアは、地元では名の通った存在だった。ミステリー仕立ての映画で、監督より台本が最終稿でガラッと変わったと告げられる。
どうにか撮影を続けるマリアだったが、控え室でメイクをしていた彼女の元に脅迫文が届く。かつて仲間だったインディ劇団・羅針盤のメンバーを殺したというマリア。脅迫者はその事実を知って脅してきているのだ。それは、4年前の出来事だった、、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> マリアの撮影と脅迫。
 ※第1ターニングポイント -> 羅針盤結成。
第2幕 -> 羅針盤のストリート・デビューと市のイベント。
 ※第2ターニングポイント -> 仲間が自殺する。
第3幕 -> 現代での復讐。


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【感想】

昨日の二本目は「少女たちの羅針盤」でした。「ばらのまち福山ミステリー文学新人賞」の優秀作の映画化ということですが、原作は未見です。言われてみれば福山駅前のロータリーで古墳が出たとかいって工事してる時に島田荘司のでっかい看板が立ってた気がしますw
監督は長崎俊一。すみませんがこの人の映画はみんな大好き栗山千明のデビュー作「死国」以外見たことがありません。本当にすみません。
公開初日でしたが結構ガラガラでした。せっかく成海璃子と忽那汐里に加えて美少女クラブ21の森田彩華とおまけで草刈正雄の娘まででてるのに、酷い話しです。
さて、ここで毎度毎度のお約束です。結末ずばりは書きませんが、以降を読めばたぶん犯人やそのほか諸々は感づいてしまうと思います。未見の方で見る予定がある方はお気を付け下さい。つまんない映画ですが、主演の羅針盤の4人組はなかなかナイスなので顔を見ているだけでなんとかやり過ごせますよ。

は、、、、話しが無い、、、、。

さて、いきなりですが本作の公式キャッチコピーを見てみましょう。「ねえ、殺すって どんな気持だった」。いきなり看板に偽り有りです。本作は駆け出しっぽい女優(アイドル?)のマリアが撮影現場に入るところから始まります。で、彼女の独白形式で彼女がかつて人を殺したことが分かるんですが、、、、「じゃあこのキャッチコピーって誰の台詞?」ってなるわけで、作品を見てお分かりのとおり”アイツ”なワケです。っていうか主演の成海璃子がイケイケで友人を巻き込んでいく話しなんで最初っから分かりきってるんですけどね。
本作は、現代のマリアの撮影現場での会話と脅迫をフックにして物語が進んで行きます。つまり、劇中内監督の「マリアちゃん羅針盤にいたんでしょ?この辺じゃ有名だよ。」と、「私は人を殺しました。」の2つです。ここから4年前に舞台が移ります。
こういう流れですので当然観客が期待するのは「伝説的な羅針盤とはそもそもどういうグループで、どうして地元で有名なのか」と「羅針盤にどういういざこざがあって殺人事件にまで至ったのか」です。私はいますごく当たり前のことしか書いていません。だってこの2つがフックで過去の話にいくんですから。

フックがフックになって無いんですけど、、、、、。

ところが、、、、、これがびっくりするんですが、両方ともショボいというか見当外れなんですね、、、。まずそもそも「伝説的な羅針盤」というところが微妙です。映画のほぼ7割ぐらいはこの羅針盤が結成されてからストリートで人気が出てステージバトル・フェスティバルに出場し話題になるという過程です。要は「部活/サークルの活動シーン」なわけですが、伝説にまでなる意味がわからないんです。だって特別に何かの賞をとったわけでもないですし、テレビに出たわけでもありません。あくまでも商店街のストリートパフォーマンスで口コミで広がり、そして大勢の観客の前で披露してスタンディングオベーションを貰うわけです。
で、、、たぶん椅子の形からしてステージバトル・フェスティバルの会場は福山市の神辺文化会館の大ホールだと思うんですが、ここって公称で800人ぐらいしか入らないんですね。つまり、多く見積もってもストリート入れて1000人前後しか見てないワケです。これって映画監督が演技を評価するほどの伝説にはほど遠いので、、、なんなんでしょう???

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※椅子・手すりの形・配置が一緒です。
左:公式ポスター
右:神辺文化会館の大ホール
(こちらのサイトからお借りしました。 http://www.cheriver.com/blog/?m=201012 )

ちなみに、本作を最後まで見ると分かるんですが、この劇中の映画監督も人間違いをしているので、実は伝説でもなんでもなくて監督が知ったかぶっただけっていうオチがたぶん正解ですw
っていうか劇中の描き方だと、マリアの方が羅針盤のメンバーなんかよりよっぽど昔から地元の有名人なんじゃないの? しかも普通だったらアリキリの石井扮するマネージャーも事件の事は知ってるでしょ。それって藤谷文子さんのマネージャーがセガールの事を知らないのと同じ様なものでしょ。または後藤真希のマネージャーがEE JUMPの事を知らないようなものでしょ。まぁいいですけど。
またどうしても突っ込まざるを得ないのは、ラストで告発者として出てくる羅針盤メンバーです。彼女たちを同じ女優さんが回想シーンのまんまで演じているわけですが、高校から大学への4年って顔や体格や服装は結構変わりまっせ、、、、これも別にいいですけど。
もう一つのフック、つまり「どういういざこざがあって殺人事件にまで至ったのか」ですが、これがもっと驚くことになってます。この「メンバーの死」は殺人事件では無く飛び降り自殺として不審点も無いまま普通に警察処理されているんです。つまり、そもそもフックになってないw ミステリーで殺人事件が題材になる以上は、「あの子が自殺するわけがない!!!!」みたいな感情論だけではなく、明らかに不可思議な点が無いといけません。じゃないとそもそも謎解きが始まりません。本作の場合、実際に始まらないんですけどね、、、、、、これってミステリーか???
本作の中ではなんとまぁ恐ろしい事に、事件をメンバーが独自に捜査するというあってしかるべきな描写が何一つありません。飛び降り自殺が起きると、すぐに過去の話から現在の話しに舞台が移って解決編が始まります。なのでさっぱり意味がわからないんです。そもそも事件そのものに「謎」が無いのに、捜査も無いままにいきなり「犯人はオマエだ!!!」みたいな話しになるので、まったくついて行けません。支離滅裂。
そんなわけで、本作には話しもドラマもないんです。そもそも語られるべきものが何も無い。そうすると、そういった支離滅裂とした要素を省いた残りはなんなのか??? これはもう「旬のアイドル/女優4人がいちゃつく様子をみるだけ」というピュアな、、、本当にピュアな意味でのアイドル要素しか残らないんです。
唯一の救いはアイドル要素としての「美少女4人のいちゃつきあい」としては何とか格好だけは付いているという点です。だからギリギリ、本当にギリギリの所でなんとか頑張れば2時間耐えることが出来ます。「耐える」という表現が全てを物語っています、、、。

【まとめ】

いろいろ書いてきましたが、本作はまったくミステリーではありません。ですから公式の予告やサイトで期待して見にいくのは大変危険です。あくまでも成海璃子の男気に胸を熱くし、忽那汐里の透明感に惚れ惚れし、草刈麻有の幸薄い感じを心配しつつ、森田彩華を懐かしく愛でる、、、、そういう一部の特殊な人向けの作品です。
個人的には全く問題ありませんが、、、、ちょっと映画として人様にオススメするのははばかられます。でもやっぱりせっかくの成海璃子の新作なので、超オススメです!!!!

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星を追う子ども

星を追う子ども

今日は3本見ましたが、一番面倒なコレを最初に書きます。
そう、新海誠の最新作

「星を追う子ども」です。

評価:(9/100点) – みんなジブリが好きね、、、。


【あらすじ】

アスナは山の上で一人鉱石ラジオを聞くのが好きだった。父は他界し、医者の母親はいつも夜遅くまで帰ってこない。
ある日、彼女は山でケモノに襲われたところをシュンという少年に助けられる。はじめて秘密のラジオを共有できる仲間が出来たが、彼は数日後に忽然と姿を消し、川縁で遺体が発見される。アガルタという遠い所から来たというシュンの手がかりを探すため、彼女は新任教師のモリサキから話しを聞く。
その後暫くして、彼女の元にシュンとそっくりの少年が現れる、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> アスナとシュンの出会いと別れ。
 ※第1ターニングポイント -> アスナがシンと出会う。
第2幕 -> アスナとモリサキの「生死の門」への旅。
 ※第2ターニングポイント -> アスナとモリサキが別れる。
第3幕 -> 生死の門


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【感想】

土曜の1本目は「星を追う子ども」です。知ってる人には超有名、知らない人は全く知らない新海誠監督の最新作です。完全に狭いマーケットの監督ですので客席も似たような雰囲気の20代~30代ぐらいのオタク系男子ばかりでした。結構みなさん大人数で連れ立って来ていまして、かなり埋まっていました。
さて、twitterでちょろっと書きましたが、ここから先は結構デリケートなことを書きます。ネタバレも含みますので未見の方はご注意ください。またアリバイを作るために(苦笑)、先ほどまで新海誠監督のDVD化された作品をすべて見返しました。「彼女と彼女の猫」「ほしのこえ」「雲のむこう、約束の場所」「秒速5センチメートル」。まずはそもそも新海誠監督が歴史的にどういう位置にあって、そこから本作でどうなるのかという所を書いていきたいと思います。

前提:そもそも新海誠監督って、、、という話し

では面倒な話しに行きましょう。「新海誠」の名前を一躍有名にしたのは「ほしのこえ」です。2002年制作のこのアニメはほぼ全ての工程を当時まだ20代だった日本ファルコム社員・新海誠が制作した「同人アニメ」です。この作品は決して真新しいことはやっていませんでしたが、石原慎太郎のぶち挙げた「第1回新世紀東京国際アニメフェア21(いまの東京国際アニメフェア)」で一般公募部門の優秀賞を獲ることで歴史的な「象徴」となりました。なぜこの「ほしのこえ」が象徴になったかを説明するには、時代背景を理解する必要があります。以下3つのキーワードで新海誠を探っていきましょう。

新海誠を考える上でのキーワードの1つ目は「パソコン時代の自主制作アニメ」です。
自主制作フィルムというのはかなり昔からありました。1960年代にはNHK主催で一般公募の8mmフィルムコンクールがありましたし、例えば自主制作アニメという意味では80年代の関西SFオタクコミュニティを牽引したダイコンフィルム/ゼネラルプロダクツなんかもあります。ちなみにゼネプロは元々は輸入プラモデルやフィギュアを扱うグッズ屋でしたが、後にアニメ制作会社・GAINAXになります。
こういった状況がありつつ、90年代に入ると劇的な変化が始まります。それまで自主制作の現場ではあくまでも8mmフィルムが主体でしたがWindows98によってパソコン編集が使われるようになります。特に重要だったのは「Lightwave」「StrataVision 3D」という3Dモデリング・レンダリングのソフトと「Adobe Premiere」という編集ソフトの存在です。それまではパソコンを動画編集で使うとなるとAmigaみたいな100万円越えのワークステーションを用意するか、OpenGLに特化したグラフィックボードを数十万で用意する必要がありました。要はすっごいお金が掛かったんです。それがWindows98の登場で劇的に安上がりになりました。
この自主制作映像のパソコン編集の流れを決定づけたのが2000年に放送を開始したNHK衛星第一の番組「デジタル・スタジアム」です。
デジタル・スタジアムは毎週一般公募によって投稿された30秒~1分程度の映像をひたすら紹介・批評しつづけるというかなりチャレンジな30分番組でした。ここでいわゆる常連投稿者が誕生し、3Dモデリングのノウハウや編集方法がテレビで大々的にレクチャーされるというものすごいアグレッシブな内容になります。つまり、前述した2002年というのはパソコンを使った自主制作3D動画が一番盛り上がりを見せていたときだったんです。実は私も相当嵌っていまして、CGモデリングのためだけにLinuxマシンを自作してBlenderを回しまくっていました。
そこで登場したのが「ほしのこえ」だったんです。「ほしのこえ」は全編がパソコンを使って制作されており、まさしく2002年当時の自主制作シーンのど真ん中でした。しかもそれをほぼ一人で制作しているわけで、まさしく「21世紀の引きこもり型自主制作映画」の最先端だったんです。「ほしのこえ」はパソコン1台とガッツがあれば誰でもアニメ作品が作れるという夢に満ちていました。
「ほしのこえ」の作品自体はまったく新しいものではありません。宇宙と地球で離ればなれになった恋人達がお互いに携帯メールを送るものの、何光年も離れた2人のメールはとてつもない時差を伴って2人を引き裂いていきます。この作品の概要・世界観は前述のダイコンフィルム→GAINAXの代表作である「トップをねらえ!」からの影響と思われます。ヒューゴ賞・ネピュラ賞・ローカス賞のアメリカ3大SF賞を総ナメにした1974年の傑作「終りなき戦い」をモチーフにした「トップをねらえ!」のウラシマ効果を大々的にフィーチャーし、そこに恋愛と「セカイ系」の要素を入れてきます。

新海誠のキーワードの2つめは「GAINAX」です。
新海誠の作風は直接的にGAINAXの影響を受けています。新海誠の最大の特徴である「ウジウジした男が延々と一人言をつぶやくモノローグ」は「新世紀エヴァンゲリオン」の影響で、これが「セカイ系」、つまりキャラクター個人の感情・事情が直接セカイと結びつくという「狭く閉じた自己中心的な世界観」に繋がります。プラスして、彼はカメラワーク・画面構成も庵野秀明から影響をうけています。人が映っていない自然風景からキャラクターに頻繁にパンしたり、廊下や線路といった奥行きのある背景を広角レンズ式の歪みで俯瞰で描いたり、こういった特徴的な画面構成です。これらは実際には庵野秀明の発明品ではなく実相寺昭雄監督の特徴的なカメラワークです。しかし新海誠はおそらく実相寺昭雄から持ってきたわけではなく、庵野秀明を経由した孫参照です。それは全体的に庵野流の演出・セリフ回しを多用していることから伺えます。

新海誠のキーワードの3つめは「サウンドノベル」です。
新海作品を注意深く見ていると、カメラフレームが静止することがほとんど無いことが分かります。キャラクターの動きとは関係無く、常にゆっくりとカメラフレームが縦・横にスライドしていきます。そして、画面の中央にキャラクターが居ることもほとんどありません。こういった手法はアニメーションにおいてはかなりイレギュラーといいますか、はっきりいって駄目出しされる手法です。少なくともアニメ制作会社で下積み勉強をした人間には出来ません。
これはアニメと言うよりは紙芝居・サウンドノベルの手法です。サウンドノベルはスーパーファミコンの名作「弟切草」が発明したジャンルで、名前の通り「音がでるゲームブック」です。(※最近は「ゲームブック」も見かけませんがw) このジャンルはカセットやディスクの容量との戦いなので、いかに挿絵を減らして音を入れるかというのが大切になります。ですので必然的に細かいエフェクトを多用することになります。これが前述のゆっくりスライドするカメラフレームであったり、中心よりずれたキャラクター配置です。つまり、新海誠はアニメ作品としてはかなり異端な事をしていて、どちらかというとビデオゲームに近い構図をとっているということです。逆に言うと、こういう構図を取るアニメ監督はあまりいないので、それが個性に繋がっています。

だらだらと書いてきましたが、一旦まとめましょう。新海誠監督は21世紀のはじまりに、パソコンによる映像自主制作の象徴として登場しました。彼の作風は直接的にGAINAX作品やビデオゲームから影響を受けています。つまり文脈上「いまどきの監督」というポジションで語られる人だということです。

本題:あれ、参照元を変えたの?

とまぁ延々と言い訳と予防線を張りつつ本題にいきますw
ジブリすぎ。さすがになんぼなんでもジブリすぎ。
本作はいままでの新海誠の特長・作風とはまったく違います。まず一見してわかるのが、うざったいほどのモノローグが無くなっている点です。単純にすっきりしています。そして画面の作り方もまったく違います。これまでは庵野演出 a.k.a. 実相寺昭雄演出だったのが、宮崎駿タッチにかわっています。宮崎駿演出の最大の特徴はフェティッシュなまでの「実動作のアニメ化」です。「水が流れるとはどういうことか」「草が風になびくとはどういうことか」。そして「空から女の子が落ちてくるとき、スカートはどういう風になびいてパンチラになるか」。彼は、スロービデオで研究したのかと思うほど、溜めと抜きによってデフォルメされた「実物よりも実物っぽい動き」をアニメーションで再現して見せます。今回の新海誠はこの宮崎駿演出を参照しています。いるんですが、あんまり出来てません。上っ面だけそれっぽい感じになってるだけです。

これまでの新海作品は背景を実際の風景写真からトレースした高密度の線で埋め、一方の人物は線の少ないアニメアニメした陰影で構成されています。そうすると背景から人物が浮き上がって見えますので、それが”素人っぽさ”に繋がり、結果的には新海誠の「インディ界の大物」という雰囲気にマッチしていました。ところが、今回は背景の線が減り、より「普通のアニメ」っぽくなっています。

今回の作品を総括すると、「いままでの新海誠節を捨てて”より普通のアニメ”を目指した結果、下手な上に参照元とおぼしき”ジブリ調”が露骨に出過ぎた」ということに尽きます。何度も書きますがジブリすぎ。
ムスカっぽい先生・モリサキが最後ちゃんと「目が~~~目が~~~!!!!」な展開になったり、ミミ(猫)のデザインや仕草はナウシカのテト(キツネリス)だし、クラヴィスのペンダントはそのまんまラピュタの飛行石と同じデザインだし、ちょっとこれは酷すぎます。そもそも「自然(=生死)を受け入れる」「ボーイ・ミーツ・ガール(少女と出会うことで少年が成長する)」ってのは宮崎駿のお家芸なワケで、絵柄から小物のデザインからテーマから一緒にして「知りません」はさすがに無理でしょう。
でも、別にパクるのがいけないというつもりはまったくありません。参照は大いに結構。だって全ての作品は大なり小なり他作品からの引用で出来ているわけで、本当にブランニューな革新的作品なんてまずありません。だから参照行為それ自体によって作品がマイナス評価になることはありません。
問題は、本作の完成度が参照元に遠く及ばないってことです。
例えば終盤近くの殺陣のシーン。チャンバラをやっているのに絵がほとんど動いていません。集中線の止め絵とカットエフェクトだけで構成されています。これは宮崎駿オマージュでは絶対にあり得ません。宮崎駿はこういった動きをアニメーションに起こすところに労力を傾ける人です。でも本作では新海誠はいままでどおりの「サウンドノベル」のやり方を使って、少ない枚数でいかに乗り切るかという方法論でやっています。
例えば前半の渓谷橋からバケモノが落ちるシーン。ただ漫然と同じスピードで落ちています。でも本来の物理法則からしたらそうはなりません。現実では、始めに溜めがあり、そこから徐々に加速して最後は一気に川に突っ込んで、そして突っ込んだ水面が落下点だけ最初一気にへこみ、次に周りの水が戻ってきて真ん中で高く舞い王冠型になります。こういった現実世界の動作/現象を、宮崎駿は徹底的にデフォルメ/再現してみせます。しかし、本作にはこういった細かいフェティッシュな表現はまったくといっていいほど出てきません。
本作に出てくる宮崎演出/ジブリっぽさというのは、本当に絵面だけです。なんとなくそれっぽい記号としてのジブリだけです。
その薄っぺらさを象徴するのが本作のストーリーのずさんさです。本作はストーリーが彷徨いまくっています。「モリサキ先生が亡き妻を蘇らせるためにアガルタにある生死の門を目指す」という軸はありますが、それに対してシンとアスナの行動原理がまったくはっきりしません。てっきりアスナはシュンに会いたくてアガルタに行ったと思ったのですが、終盤には死んだお父さんの話にすり替わっていて、あげく「さびしかっただけ」とか元も子もないことを言い出す始末です。友達に「一緒に帰ろう!」って誘われてるのに断ってたじゃん。
シンはシンで「異種族交流」みたいな無難な線に着地するんですが、「アガルタにも地上にも居場所がない」件はいつの間にか無かったことになってハッピーエンドっぽくなっています。
そもそも本作のフォーマットは「行って帰ってくる話」であって、「アスナが異世界に迷い込むけど成長して戻ってくる」という最近多いパターンの作品です。で、、、、アスナってなんか成長してましたっけ??? アスナってほとんど主体的に行動して無いと思うんですけど。ものすごい勢いで周りに流されまくってるだけでは、、、。アスナが主体的に行動したのは「アガルタから出ない」と決断したときと「モリサキ先生を追って生死の門に行く」って言った時だけです。そしてその二つとも理由がよく分かりません。
これらは駄目な作品の典型で、「興行上の必要はあるけど物語内での必然性がない」ということなんです。つまり、アスナが「じゃあ帰ります。お母さんが心配してますので。」って言うと映画が30分で終わりますし、「モリサキ先生は行ってしまいました。私達は帰りましょう。」っていうと盛り上がらないままシンミリと終わってしまいます。でも、作品内でのアスナの性格を考えれば帰って良いんですよ。だって家で洗濯物があるから友達の誘いを断る人物なわけでしょ。お母さんが心配してるんだから帰れよ、、、、、とかいってるとエピローグで母親がまったく心配していないという驚愕の事実が浮き彫りになるんですけどね。万事が万事これです。「誰がどうしたからどうなった」っていう因果関係がグチャグチャなので、見ててかなりどうでもよくなります。
前作までの新海監督は、基本的にはGAINAX作品のテイストを参照しながらも、そこに「現代の若者達の社会性/関係性」というテーマを入れてきていました。だから多少嘘くさかったり中2病っぽく見える恥ずかしい部分もなんとか「作家性」としてカバーできていました。
ところがいわゆる「普通のファンタジー」みたいな所に挑戦した結果、脚本も演出もガタガタで、素人っぽいというより、ただ下手なだけのトンデモ作品になってしまいました。

【まとめ】

相変わらずグダグダと愚痴ってきましたが(苦笑)、結論は前述したとおりです。
「いままでの新海誠節を捨てて”より普通のアニメ”を目指した結果、下手な上に参照元とおぼしき”ジブリ調”が露骨に出過ぎた」
あえて書きますが、見終わった後の感覚は「ゲド戦記」に近いです。本家に似ても似つかない妙なパチモノ感だけが残ります。
いやぁ、、、、、「作家性」って本当に難しいですね。ということで、オススメDEATH!!!!!

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アバター(2011/邦画)

アバター(2011/邦画)

4月最後の映画は同名のハリウッド映画とは全く無関係な

「アバター」です。

評価:(65/100点) – 無茶苦茶すぎて一周して面白い。


【あらすじ】

阿武隈川道子(あぶくまがわ みちこ)は高見女子高校に通う二年生。しかしクラスは女王様・阿波野妙子が牛耳っており、教師の面前で平然とイジメが行われるほど荒れていた。
道子は17歳の誕生日祝いで母親から携帯電話をプレゼントされた。喜んで学校にもっていった道子だったが、それを阿波野に見つかり、強制的にアバQなるSNSに招待されてしまう。この学校ではアバQの人気こそが絶対で、そのゲーム内でレアアイテムを持っていることが阿波野の権力の源だったのだ!
しかし道子が期間限定スロット企画でレアアイテムを手に入れてしまったことから状況は一転する、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> 道子とアバQの出会い。
 ※第1ターニングポイント -> 道子と西園寺の結託。
第2幕 -> アバターサークル結成と道子の復讐。
 ※第2ターニングポイント -> 道子が阿波野に復讐する
第3幕 -> 阿波野の逆襲


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【感想】

土曜の2本目は「アバター」です。とはいっても某ジェームズ・キャメロンの3D大作では無く、「リアル鬼ごっこ」「Xゲーム」でお馴染みの山田悠介原作の方です。たぶん製作費用はキャメロンの800分の1ぐらいですw 初日で昼の回は舞台挨拶をやっていましたが、あまり混んでるのが苦手なので敢えてレイトショーで見てみました。そして予想的中。初日に行くような人は当然舞台挨拶が見られるなら見たいわけで、夜の回はガラガラでした。現在渋谷のシアターNと名古屋のシネマスコーレだけで上映していまして、画質が荒かったのでたぶんBD上映だと思います。
いきなり結論を言ってしまいます。本作は突っ込み所だらけで出来もヘッたくれもありませんが、テンションだけは無駄に高く、面白さはかなりのものです。なので全然OKです。問題なし。オススメです!!!!!
真面目な話し、面白さだけで言えば間違いなくジェームズ・キャメロンのアバターを越えてます。いまからダメな所を書きますが、でもだから最低ということではなく、そういう適当な所も含めて本作はアイドル映画として十分成立しています。
ここでいつものお約束です。これ以後書くことは本作の直接的なネタバレを含みます。まっさらな気持ちで鑑賞したい方はご遠慮下さい。重ねて言いますが、オススメですよ!!!!

本作の話しの流れ

本作は行き当たりばったりで滅茶苦茶な話しなので整理しないとワケが分かりませんw なのでまずは設定とストーリーを整理しましょう。
本作における学校ではアバター(=ネット上の似顔絵キャラ)を着せ替える「アバQ」というサイトが物凄く流行っています。「アバQ」は広告収入で成り立っており、アバQ公式サイト内のアフィリエイト広告をクリックするとポイントが溜まり、そのポイントと着せ替えグッズを交換してアバターを着飾っていきます。
ポイントを獲得するにはアフィリエイト以外にも、他人を招待したり直接的にwebマネーで買う方法やイベントゲームで獲得する方法もあります。また着せ替えグッズには星1~星5までのレア度が設定されており、レア度の高い物はイベントゲームでしか手に入りません。
学校内では阿波野妙子が絶対的な女王様として君臨しています。彼女は手下をつかって弱い者達からレアアイテムをカツアゲしており、そのレアアイテムを見せびらかすことで生徒達から指示を得ています。レアアイテムの譲渡を拒んだ西園寺真琴(さいおんじ まこと)は猛烈なイジメにあっています。
そんな状況下でたまたま道子が全国で50個しかないレアアイテムを手に入れたことから状況が一変します。西園寺と道子は美人局をしながら金を巻き上げレアアイテムを次々と購入、学園内でのし上がっていきます。
その道子の強烈な野心の背景として、かつて妙子によって父親を間接的に殺されたことと、そして自身の顔に対するコンプレックスが描かれます。次第に道子は権力におぼれ、狂気に走るようになります。
この作品はいろいろなエピソードがぐちゃぐちゃに混ざっていますが、柱になるのはこの道子のコンプレックスの話しであり、コンプレックスがやがて強迫観念に変わり、そして遂には決定的な狂気になって周りも巻き込んでいくというサイコホラーになっています。
本作の一番の見所はこの「道子がどんどん狂っていく」部分です。ただの内気な少女が、自己表現としてのゲームにのめりこんで行き、しまいには完全にそこに取り込まれます。このディティールは素晴らしく良く出来ています。それこそお金と時間を掛けて脚本を書き直せば、普通にファンタスティック系の賞レースに絡めるぐらいのプロットです。

本作のツッコミ所。又は、ほつれ具合

本作のツッコミの全ては「大仰」「嘘くさい」「そんなアホな!」。この3パターンが全てです。そしてその全てが脇がガラ空き過ぎてそもそもガードする気が無いくらい途方もなくほつれており、そこが逆に魅力になっています。
一番ひどいのは道子が整形手術するくだりでしょう。整形前と整形後でかわったのはアイシャドーとファンデーションが濃くなって髪がシャギ掛かっただけ。つまりただの高校デビューです。それは整形じゃないw しかもこの前後で橋本愛がものすごい無理をして話し方を変えようとするものですから、その滑舌の悪さと相まって悶えるレベルの恥ずかしさになっています。この瞬間、私はこの映画がアイドル映画として完璧に成功していると確信しましたw
これ以外にもツボは山ほどあります。たとえば何故かサークルの皆が付けるガスマスクです。ガスマスクには「金のガスマスク(道子専用)」と「銀のガスマスク(西園寺専用)」と「銅のガスマスク(幹部用)」と「黒のガスマスク(雑魚用)」があるんです。何故ガスマスクかもわかりませんし、ガスマスクを特注している意味もわかりませんw 東急ハンズとかで頼めるのでしょうか? 意外と部活グッズで流行るかも知れません。 しかもこのガスマスクはチェーンソーを跳ね返すほどの強度をもってます。是非一家に一個!!!
あとはなにせ阿波野です。昨年の実写版マリみてで令ちゃんを演じた坂田梨香子がいかしたテンションで怪演しています。男に振られた腹いせにチーズ味のカールを泣きながらヤケ食いしたり、キレてチェーンソーを持ち出してきたり、いちいち小ネタを仕込んできます。阿波野最高。
アバター程度でなんでそこまで人を操れるのかとか、この世界の警察は無能すぎるとか、夜中に学校に侵入している割に声が大きすぎとか、プロジェクターがどんだけでかいんだとか、高校性がwebマネーを何百万も使ったら不審だろうとか、そういう現実とつなげたリアリティは全くありません。ですが逆に言うと本作のリアリティ水準は冒頭からその程度ですので、特に引っ掛かる部分もなく見ることが出来ます。
本作は最初から最後まで設定が無茶苦茶なため、ある意味ではツッコミ所だけで出来ているとも言えます。ただその無茶苦茶さこそがハイテンションさにつながり、そしてアイドル映画としての魅力にもなっています。だから昨年の「私の優しくない先輩」と似たような雰囲気になります。純粋に映画としてみれば酷い出来ですが、アイドル映画としては十分ですし、結果として面白さはかなりのものです。

【まとめ】

ということで、本作は好事家専用の良作と言って良いと思います。とにかく面白いですが絶対に一般受けはしませんし、なによりアイドル映画視点を持っていないと結構つらいと思います。演技力は全員お察し下さいレベルですし、話しも無茶苦茶です。でもあまりに弾けすぎていてむしろ物凄く熱気・スクリーン圧力のある作品になっています。DVDが出るかもわからない作品ですので、お近くの方は是非映画館で見てみて下さい。オススメです!!!

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八日目の蝉

八日目の蝉

昭和の日の2本目は

八日目の蝉」です。

評価:(85/100点) – 永作の狂気と母性全開のロードムービー


【あらすじ】

秋山恵理菜は生まれてすぐに父の不倫相手の野々宮希和子に誘拐された。4歳の時に希和子が逮捕され実の両親の元に戻ったものの、結局両親とも上手くいかず、自身も大学に入って不倫に走ってしまう。そんな時、彼女のアルバイト先に千草と名乗るジャーナリストが現れる。彼女は恵理菜に誘拐されていたときの様子を聞き出そうとする。徐々に記憶を辿っていく恵理菜は、やがて希和子との”親子関係”を思い出していく、、、。


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【感想】

昨日の二本目は「八日目の蝉」を見てきました。GWではほぼ唯一の邦画大型作品ですので、結構お客さんが入っていました。原作は角田光代。1993年の「日野OL不倫放火殺人事件」を元ネタにアレンジしたサスペンス小説です。去年一度TVドラマにもなっていたようですが、私はこちらはノーチェックでした。

本作の概要

さて、本作は非常に説明しづらい内容になっています。内容を簡潔にいうと、「子供の時に起きた事件で親の愛情を知らずに育った女性が、自分が妊娠したときに不安を覚えるが、過去と向き合うことで実は親の愛情を受けていたことに気付く。」という話しです。
でまぁそんな感じの話ですので、倫理的には相当きわどいことをやっています。ただ、本作では昨年の「悪人」と違ってかなり丁寧に描写を積み上げていますので倫理的な問題や描写としての不自然さはそれほど感じません。

本作は開始早々、裁判での秋山恵津子(実の母親)と希和子の供述から始まります。ここでハッキリと希和子が反省していないことと、そして恵理菜に感謝をしていることが告げられます。本作はすべての事件が終わった後に大学生になった恵理菜が回想をちょくちょく挟む形で進行していきます。そこで展開されるのが、恵理菜の家庭事情と希和子と恵理菜の逃亡生活です。

かなり序盤の段階で丈博(恵理菜の父)がいかに最低かという部分と恵津子がかなりのヒステリーかつ娘との関係でどんどん精神的に病んでいく部分が語られ、その一方で希和子には同情的に肩入れしていきます。希和子は堕胎により子供が産めなくなり、そして不倫相手の嫁からは罵倒され、ふらっと侵入した秋山家の中でたまたま赤ん坊の恵理菜を見つけて攫います。そして恵理菜に堕胎した娘につけるはずだった薫という名前を付けて実の娘として育てます。

本作のタイトル「八日目の蝉」については劇中で2回ほど言及する部分があります。一度目は夜の公園で恵理菜と千草が語り合う場面。ここでは「普通は一週間で死ぬのに八日目まで生き残ってしまった蝉はさみしい」という説明があります。そして終盤、今度は原っぱに寝そべってやはり二人が語り合う場面です。こちらでは千草が「とはいえ、八日目まで生き残った蝉は、きっと普通の蝉が見られなかった世界が見えたんだ。」と幾分かポジティブな解釈がなされます。

これは微妙に作品のテーマとはずれますが、おそらく希和子の事だと思われます。普通なら不倫がバレて子供が産めない・男不信という最悪な状態で終わるのに、そこから不倫相手の子供を攫ってしまったことで強烈な母性が目覚め、希和子は4年間だけ幸せな時間を送ります。それは希和子にとっては堕胎した娘とすごすはずだった時間の穴埋めであり、非常に利己的・自分勝手な行為です。というか犯罪ですし。

本作において、恵理菜は自分が忘れたと思っていた「育ての親」である希和子と境遇が似てくることに焦りと不安を感じています。自分も希和子と同じように妻子持ちのダメ男と浮気をし、そして希和子と同じように妊娠し、希和子と同じように男からは「今は生まないで欲しい」といわれてしまいます。そんな状態の中で、彼女は唯一の友達となった千草と共に自分のルーツを探る旅にでます。希和子の逃亡生活を追体験するように、恵理菜と千草は旅をし、そしてその土地々々で思い出を取り戻していきます。その思い出が遂にすべて戻ったとき、彼女は自分の境遇に折り合いが付くようになるわけです。

本作の良い所

ということで、本作は二重のロードムービーとなっています。
一つは「希和子と薫の幸せな親子の日々」
もう一つは「恵理菜と千草の自分探しの旅 a.k.a トラウマ克服話し」
このどちらもかなり面白いのですが、やはり尺のボリュームからしても話しの構造からしても、前者の「希和子と薫」の方が圧倒的に面白くなっています。こちらはただひたすら本当に何気ない日常を淡々と描いていきます。ちょっと舞台が某ヤ○ギシ会っぽいカルト・コミューンだったりしますが、そこで行われる親子関係は至って普通のものです。そして舞台が小豆島に移った後はより一般的なノスタルジー描写になっていきます。それは例えば「歩いても 歩いても(2008)」を見て泣いちゃうのと同じような、なんのドラマ性も無いノスタルジーの中にちょろっと見える怖さを魅力として見せてくれます。そして最後には本当に反則的な超ウェットで真っ正面な親子愛をド直球で見せてきます。ものすごいあざとく、感じ悪い演出なのですが(苦笑)、泣いちゃうのが人情ってもんです。「なんじゃこの監督、こんな甘ったるいことしやがって!!!!」と怒りながら顔は泣いてますw

後者の「恵理菜と千草の自分探しの旅」については正直な話しそこまで絶賛するほどとは思えません。一応「親子愛の認識・再確認」というのがこちらの主題なのですが、肝心の千草側の事情については具体的にはほとんど語られませんし、恵理菜についても「希和子に誘拐されていた4年間は実は幸せだった」という劇場予告でも分かる部分を受け入れるかどうかという話しになっています。結局実の両親との関係がどうこうなるわけではありませんし、希和子とどうこうなるわけではありません。正しい意味での「自分探し」だけです。そういう意味では本作はサスペンスでは無く、ジャンル的には「人間賛歌/ヒューマンドラマ」です。「人生はいろいろあるし良い事も悪い事もあるけど、でも最高!!!!」。演出のあざとさとか井上真央と劇団ひとりがダメダメだとか不満はありますが、でもここまでちゃんとやられたら褒めざるを得ません。いや面白いです、本当に。

演技はアレですが、井上真央と永作博美が顔がすごい似てるんです。目の感じですとかアゴ周りですとかそっくりです。この時点でたぶんキャスティングは大成功だと思います。
相変わらず怪演を見せてくれる永作博美はすばらしいです。この人の魅力はギョロッとして分厚いクマのある引っ込んだ目だと思います。結構危ないことを書きますが、時折ちょっとヤ○中に見えるんです。この「童顔でかわいいんだけどちょっとイッっちゃってる感じがする」のが永作博美の最大の魅力です。ちょいちょい狂気がちらついて、優しそうなのに結構怖いんです。本作でもその狂気性がそのまま母性の爆発に繋がっていきます。それが完全に物語とリンクしているので、ものすごい説得力があるんです。本当いい役者です。「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」の時と同じような怖さがあります。

井上真央もいままでより明らかにちゃんとした役で(←失礼)、それに本気で取り組もうという姿勢が見えて大変好感が持てます。芸歴は長いのにまだ「これは井上真央の役」みたいな得意技がありませんが、何かハマリ役やゴリゴリに追い込む監督に出会ったら化けるような雰囲気はありました。「ダーリンは外国人」の汚名返上傾向です。

【まとめ】

正直まったく期待しないで見に行きましたし、ぶっちゃけた話し上映時間の都合で「キッズ・オールライト」から「八日目の蝉」に見る物を変えたぐらいノーマークでした。なんか中島美嘉の大仰なテーマソングといい、予告といい、安い泣き脅し映画の匂いをビンビン感じます。実際泣き脅し気味なのは否めませんが、でもちゃんとした泣き脅しです。素直に面白い作品でした。
手放しで大絶賛!って感じではないですが、今年だと邦画の「白夜行」とためを張れるくらいの作品だと思います。拡大ロードショー中ですので、なにか別の映画を見に行ったついでにでも見ていただくと結構満足感が高いのではないでしょうか? 原作をかなりバッサリ整理していて、間違いなく原作よりもスマートになっています。とりあえずGWになにを見るかで迷ったら押さえておくと良いでしょう。オススメです。

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鬼神伝

鬼神伝

GW初日の今日は2本です。
1本目は

鬼神伝」を見て来ました。

評価:(18/100点) – 良くある微妙なエコロジー志向ファンタジー。


【あらすじ】

中学生の天童純はひょんな事から迷い込んだ寺でタイムスリップをして平安京へ連れて行かれてしまう。そこでは鬼と人間とが戦っていた。純は僧正・源雲より自身の能力を聞かされる。源雲によると純は伝説のヤマタノオロチを操ることが出来る選ばれた”救いの御子”なのだ。鬼達に襲われる純と純の護衛につく頼光。果たして純はオロチを目覚めさせることができるのか? そして鬼とは何者なのか? 鬼の素顔を見たとき、純は選択を迫られる、、、。


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【感想】

連休初日の今日の1本目は新作アニメ「鬼神伝」です。監督はアニメーターの川博嗣。監督をやってたのを知らなかったので調べましたら「劇場版 NARUTO -ナルト-」の2作目(2005)以来とのことです。アニメーターとしては結構有名な人ですが、確かに本作を見るとあんまり監督は向いてないかなという気もします。
劇場では連休に当てていろいろな子供向け映画をやっているんですが、本作も客席は子供連れの家族でかなり埋まっていました。ぶっちゃけた話し予告を見るだにあんまり子供向けではありません。もしかしたら「ドラえもん」や「クレしん」や「コナン」から流れてきているだけかも知れません。
正直なところあんまり気が向かないので触りだけさらっと書きます(苦笑)。
本作の世界観はかなりファンタジーレベルが高くなっています。たとえば、冒頭ではいきなり人間と鬼との戦いに祝詞(※ほとんど魔法)が出てきますし、かなり前半からみんなガンガン空を飛びます。話しが転がるきっかけになる現代で始めて純が鬼に追われるシーンなんぞは、いきなり空から黒い煙が振ってきて野良犬に乗り移って鬼になるのに、純は「バ、バケモノ???」とか不思議な事をつぶやいて冷静に逃げます。普通目の前で犬が鬼に変身したら「バ、バケモノ???」どころでは済みません。もうリアリティラインがワケ分からないことになっています。
そしてお約束のように平安時代にタイムスリップしてからは「都市vs田舎」「貴族vs土人」「文明志向vsエコロジー志向」というよくあるパターンが展開します。この点ではそれこそ「風の谷のナウシカ」や「もののけ姫」に代表される宮崎駿的なエコロジー信仰の匂いを感じます。ただ、本作の場合はそこまで突き詰めていないというか、たぶん監督・脚本家も宮崎駿ほどは本気でエコロジーを信じていない感じがします。というのもものっすごいペラいんです。本作では「大自然&土人バンザイ!!!」みたいな方向に行くかと思いきや、結局最後は可愛い女の子に熱を上げてるだけというしょうもない所に落ち着きます。
こういった「異次元(異世界)に迷い込んでファンタジーを経験したあと成長して現実に戻ってくる」という物語は、星の数ほどあります。クラシックで言えば歴史的名作「オズの魔法使い」「ネバーエンディング・ストーリー」、最近だと「千と千尋の神隠し」や「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ 戦国大合戦」なんかもそうです。これらで大事なのは、「現代パートではあくまでもリアリティを重視して私達が生活している現実に近くすること」と「ファンタジーの世界では創意工夫や常識・知識のずれを利用して乗り越えること」です。これが無いと何が何やらさっぱりでおかしな事になってしまいます。
本作でマズいのは、第一に純を「生まれながらの選ばれし者」にしてしまったことです。しかも冒頭でいきなり純は切り札のオロチを手に入れてしまいます。さんざん「オロチは八個の頭の八個のしっぽがある」と言っておきながら登場するとドラゴンボールのシェンロンのような普通の龍であるため、これはもう最後に純の覚醒と同時に真・ヤマタノオロチに変身するのが見え見えです。しかもその姿に誰一人突っ込みを入れません。「頭が八つないじゃん」と誰かに言わせるだけでも救われるのですが、誰も疑問に思わず完全スルーです。あまりにもあんまりです。これによって「いつ純が本気を出すか?」という心底どうでもいいガキのご機嫌取りが物語りの中心になってしまいます。せめてオロチを手に入れるまでの冒険譚にした方がまだ見られたと思います。
そして第二が肝心のエコロジーメッセージです。これもすごい中途半端です。本作の鬼たちは半神半人のような描かれ方をしており、妖怪と言うよりは「自然の化身」「八百万神(やおろずのかみ)」という趣です。神道をモチーフにしている以上は当然です。それこそ「トイレの神様」じゃないですが(苦笑)、「どこにでも神様がいる」というかなり極端な思想はエコロジーとは大変相性が良いです。「もののけ姫」や「千と千尋の神隠し」はそれを上手く設定に取り込んで見せていました。本作では肝心のエコロジーメッセージはちょっとセリフと雰囲気であるぐらいで、ほとんど入りません。たとえば鬼達は自然に囲まれた鞍馬山でくらしていて、最後は琵琶湖の化身が大活躍します。しかし「だから大切に」とかそういう方向ではなく、物語はあくまでも権力志向のある極悪支配者を倒すことが目的になってきます。勧善懲悪というシンプルな子供向けのメッセージをファンタジー・エコロジーにぶち込んだ結果、薄い「もののけ姫っぽさ」「千と千尋っぽさ」だけが残っています。
というような感じでして、全体としてはあんまりテンションが上がらない作品でした。「つまらない」というよりは「どうでもいい」部類です。ちなみに本作で一番語りがいがあるのは間違いなく頼光です。彼は鬼と人間との間で揺れ、アイデンティティクライシスを見せてくれます。特に後半は完全に頼光と水葉のエピソードが主役・純を食ってしまいます。
そのくせちょっと怒っただけで純君は覚醒してしまうものですから本当に拍子抜けで、「そんな簡単に覚醒するなら最初から本気出せ(怒」としか思えませんw
なので、連休中にヒマをもてあましてしまった方にのみオススメいたします。変に鬼が気味悪いデザインなので親子連れで見る映画を探している方はやめておいた方が良いと思います。

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GANTZ PERFECT ANSWER

GANTZ PERFECT ANSWER

土曜は

「GANTZ PERFECT ANSWER」を見てきました。

評価:(45/100点) – 名作の使い捨て、モッタイナ~イ。


【あらすじ】

前作から数ヶ月後、玄野は多恵とともに死んだ加藤の弟の面倒を見ながら、着々とGANTZの得点を稼いでいた。そんなある日、玄野の元に死んだはずの加藤が現れる。時を同じくして打倒黒服星人のミッションではバトルフィールドが現実世界とリンクし、一般人に直接的な被害者が出てしまう。果たしてGANTZはどうなってしまうのか、、、?


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【感想】

土曜日は劇場版GANTZの後編、「GANTZ PERFECT ANSWER」を見てきました。相変わらず中高生の女子を中心に物凄い人が入っていまして、客席は8割方は埋まっていました。これについては言いたいことは一杯あるのですが、とりあえず興行的には良い線に行っていると思います。製作費用もかかっているのでペイできるかは厳しそうですが(苦笑)。

本作の良い所:CG満載だけど十分に見応えがある剣劇アクション

後から不満をたくさん書きますので、まずは良かったところを挙げてしまいたいと思います。
本作で本当に良かった点は前作から大幅に改善したバトルシーンです。前作では引き金を引けば全てが片付く絶大な威力の「Xガン」しか武器がほぼ無かったため、バトルは「いつ引き金を引くか」というしょうもない引っ張りしかありませんでした。ところが本作ではXガンはほとんど使われず、ガンツソードが多用されます。これによって前作のテイストとは全く違うCGテンコ盛りの剣劇アクションが展開されます。たしかにCGを使ったワイヤーアクションもどきばっかりだったりカメラを揺らしすぎだったりはしますが、この剣劇アクションは本当に面白いです。特に序盤の地下鉄での黒服討伐ミッションでの水沢奈子vsGANTZ古参3人の対決はかなり良いクオリティです。
後半に行くと剣劇が減ってバトルシーンもかなり失速していくのですが、それでも偽加藤vs玄野&加藤でもそこそこ見られる瞬間もあるぐらいの感覚です。これに関しては、邦画の中ではかなり頑張っている方です。

本作の悪い所:剣劇アクション以外の全て

とまぁ一応褒めた上でなのですが、、、ハッキリ言って剣劇アクション以外はかなり厳しい事になっています。「剣劇以外」と言っているのは、つまり剣劇アクション以外のバトルシーンもがっかりポイントだという意味です。というか突っ込み所が多すぎます。
時系列で行きますと、まずはチビガンツの存在です。本作では冒頭でチビガンツが鮎川の元に届けられ、彼女がチビガンツからのミッションを遂行していく所から始まります。そしてそこをフックにして時間を戻して、そこに至る経緯を描いていきます。
本作では鮎川を使ってガンツ100点卒業生達を殺させることで、ガンツはガンツ部屋にOBを召還しようとします。そのターゲットとなるのが小林(メガネデブ)と中村(アフロ)と山本(女子高生)と多恵です。
ところが本作では多恵がガンツに召還される意味が分かりませんし、何の説明も何の伏線もありません。普通に考えれば多恵も100点卒業生なのですがそれに対するものがなにも無いので、後半のストーリーの流れが非常に理解しづらいです。
後半はガンツからの「小林多恵を倒せ」という緊急ミッションを巡るあれこれになります。このミッションはそもそも「チビガンツのミッションを偽加藤が完遂してしまうとガンツ部屋に来られてしまうから、ミッションを完遂できないように先に多恵を殺せ」というガンツの意志だという説明が作中にあります。ところが、チビガンツはあくまでもガンツのパシリみたいなもので、そもそもガンツの意志でOB集めをしていたはずです。「4人殺せというミッションなのに最後の一人を殺すだけで手柄になるのか?」という話しもありますし、「そもそも自分でだしたミッションなんだからミッション自体を無かったことにすればいいんじゃないか?」とか思いますが、やっぱり何の説明もないので良く分かりません。
実はここも含めて今回の作品では「GANTZ」の設定そのものが持っている変な所がかなり目立ってしまっています。例えば冒頭の黒服ミッション編です。GANTZの世界ではミッションが始まると異次元に迷い込んでターゲットの星人以外は誰もいない世界でバトルが行われます。ところが異次元で破壊された建物は現実でも実際に壊れます。これは前作でも何度か描写されています。
そうすると当然思うのは、「ミッションが始まる瞬間、ターゲットの星人はどうなるのか」です。ガンツの討伐メンバーは変な光で転送されますが星人もそうなのでしょうか? でもそんなあからさまなことになったら星人側に警戒をあたえてしまいます。前作でも星人とのファーストコンタクトで星人が「自分が狙われている」という明確な警戒を抱いている描写はありませんでした。
一方、地下鉄のシーンではその逆で異次元から現実に討伐メンバーが移動して、その直後に乗客が「何かのイベントかしら?」とつぶやく描写があります。人が急に現れたら「イベントかしら?」じゃすまないと思うのですが、これは現実側からはどういう風に見えていたんでしょう?本来こういう部分は気にしないで適当にスルーするべきなのですが、下手に「現実とリンクする」という展開にしたためにワケの分からないことになっています。
とはいえ、設定や描写の変さというのはそれ以外が良ければ勢いで何とかなったりします。例えば前述の地下鉄のシーン。普通地下鉄には緊急安全装置が付いてますし司令室から送電停止すると止まります。本作では運転手が殺されていますし、発砲事件になっているのですからすぐに止めてしかるべきです。また本作では前方の電車に追突もしないですし対向列車とすれ違うこともありません。明らかに変です。でもそんな細かいことは気にならないくらいアクションが良く出来ているため、こういった描写のおかしさはあまり気になりません。
特に後半につらくなっていく一番の理由は、作品に玄野と多恵のヌル~い恋愛要素が入り始めるからです。せっかく玄野が多恵を背負って逃げるという良いシーンなのに、途中で突然手を引いて走り出したり(※背負ってるときはガンツスーツのおかげで超速いですが、手を引いてるときは普通の人間の早さです。じゃないと多恵の腕がもげます。)いきなり甘ったるい愁嘆場を展開したりします。前編では西君がスーツのステルス機能を使う描写がありましたが、よりによって今回は追いかけっこの最中に誰一人ステルス機能を使いません。なによりシラケるのは、鈴木と多恵が二人で逃げる場面です。よりによってここのシークエンスでは、予想外に見つかったり画面の外から急に攻撃されたりする描写が一回もありません。かならず追っ手側は画面の向かって奥からゆっくりと現れ、鈴木達にXガンを向けながら警告します。さっさと撃てばいいのに、そして不意打ちすればいいのに、何故か一回もそういった行動は取りません。これは偽加藤にも言えます。偽加藤はかなりジェントルメンで、目の前でいちゃついているのを待ってくれたり、わざわざ多恵がすぐに死なないように急所をはずして3回も甘く切りつけたりしてくれます。あまりのジェントルメンぶりにちょっと涙が出てきました。アクビのせいですけど、、、。
そうなんです。相変わらず後半は安い泣き脅しの展開になってしまうんです。せっかく前半はアクションのテンポが良かったのに、後半はいつもどおり愁嘆場を演じて、いつもどおり致命傷を負ってるのになかなか死ななくて、いつもどおり都合の良い生き返り方をします。最終盤なんて銃弾の嵐で蜂の巣にされてるのに、加藤はピンピンしていて、玄野はハァハァいいながらも10分ぐらい雑談する余力があって、それなのに他のメンバーはみんな即死なんです。意味がまったく分かりません。主人公補正かかりすぎ。というか本来はここのシーンって玄野以外はみんな虫けらのようにあっさりと死なないと成立しないんです。そこで絶望するから自己犠牲に繋がるわけで、劇中だと別に玄野がそういう決断をする必要はなくて他のだれかでも良いんです。そもそも玄野って本当は死んでいてガンツに生かされている立場なんだから、最終盤の状況はマッチポンプになっておかしいでしょ。電池を入れ替える際には一瞬とはいえ電源が落ちるわけだから。
今回の作品では、「ガンツとは何だったのか?」とか「星人って何なのか?」という事に関しては全く触れられません。でもそれはOKです。「CUBE」シリーズが「CUBE ZERO」で設定を説明された途端にものすごいズッコケたように、おそらくガンツについても下手な説明があるくらいなら謎のままの方がSFとして遙かに面白いはずです。
ただ、「多恵が何故チビガンツに召還されたのか?」というようなストーリーの流れを把握するために絶対に必要な部分まで説明がないのは頂けません。あまりにもそういった細かい部分の整合性がとれていないため、とても難解でわけのわからないストーリーになってしまっています。(もちろんGANTZの大ファンなら描かれていない部分も汲み取って想像で補ってやることはできますけど、、、)

【まとめ】

とまぁグダグダとグチを書いてきましたが、前作を見た上で本作を見るかどうか悩んでいる方は間違いなく観た方が良いです。少なくとも漫画に囚われずに映画は映画でまとめるんだという制作者側のガッツは見ることが出来ますし、なにより前半の地下鉄バトルまでは本当に面白いです。
私は冒頭で「中高生の女子が一杯入っていることに言いたいことがある」と書きましたが、たぶん一番の微妙な点はここだと思うんです。GANTZの話しは本来的には「魔物狩り」の話しであり、それってグロい描写と相まって非常にアクション色やカルトSF色・モンスター映画色が強い作品なんです。だから当然それは男の子向けなワケです。本作は主演と準主演に二宮和也と松山ケンイチというあんまり演技の上手く無いアイドルを起用することで、女性向けなマーケティングに寄らざるを得なくなったように思います。結果、話しの本筋に全く関係無い薄っぺらい恋愛要素が入ってきて、それがせっかくのアクションシーンのテンポを壊滅的に破壊していきます。そうすると残るのはいつものテレビ屋映画、大袈裟でテンポが悪い愁嘆場の連続になってしまいます。
せっかく作って貰ってなんですが、多分GANTZの映画化はVシネのように限られた予算でアクションに徹した方が良い出来になったと思います。そういった意味では惜しい作品でした。
とりあえずしばらくは劇場で掛かっていると思いますので、迷っている方はゴールデンウィークの合間にでも暇つぶしで見てみて下さい。前半は結構テンション上がります。オススメします。

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記事の評価
ランウェイ☆ビート

ランウェイ☆ビート

エイプリルフールだったけどこれだけはガチです。

「ランウェイ☆ビート」でも食らえ!!!!!

評価:(2/100点) – 美糸(びいと)って名前、ホストの源氏名?


【あらすじ】

東京下町の月島高校に通う塚本芽衣は平凡な生活を送っていた。クラスメイトには引きこもりの留年生がいたり、ヤンキーがいたり、大人気のティーンモデルがいたりする。ある日文化祭の出し物を企画していると、昨年と同じくモデル・美姫を大フィーチャーしたファッションショーに決まる。しかし美姫はそれだけではつまらないといい、みんながオリジナルのデザインを持ち寄り自分が気に入るものがあれば、自身の持つファッション雑誌の連載で紹介すると約束する。張り切るクラスメイト達だったがなかなか気に入るデザイン画は書けない。そんなとき、やってきた転校生・溝呂木美糸がいじめられっ子の引きこもり留年生・犬田悟を一晩でイケメンにプロデュースし、さらには素晴らしい出来のデザイン画を複数点見せつける。なんと美糸は有名ファッションブランド・スタイルジャパンの社長の息子だったのだ。そんな美糸の元にクラスメイト達は一致団結する、、、。


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【感想】

4月1日、映画の日は「ランウェイ☆ビート」を見ました。先々週末公開の松竹/TBS映画ですが、震災の影響で得意のごり押し地上波宣伝が出来ず興行的にはかなり悲惨な事になっています。今日も客席は7人しかいませんでした。1,000円なのに、です。
さて、本作は根本的な部分が駄目すぎます。大きく分けると2つの要素で絶望的に失敗しています。1つは「ダサい」こと。もう1つは「話しがぎこちない」こと。それぞれについて詳しく書いていきたいと思います。
ということで、今回はネタバレをガンガン含めて書きます。公開後2週間経ってますので大丈夫だとは思いますが、もし万が一見に行く気がある方はいますぐブラウザを閉じて下さい。もっとも、本作は話しをネタバレされたからと言ってどうこうなる映画ではありません。話しなんぞ予告である程度分かってますから。そんなことよりも、この作品は細かいディティールが酷い事になっています。

絶望を感じる所その1: ダサい

一言で「ダサい」と言っても、本作には2種類のダサさが入り交じっています。そしてその2種類は切っても切り離せない関係にあります。
本作が始まってすぐ、3~4分ぐらいでしょうか、、、月島商店街での人物紹介シーンがあります。なんてことはないシーンなんですが、ここで頭をハンマーでぶん殴られるような強烈な衝撃を受けます。というのも、いわゆる「コマ落ちエフェクト」が入るんです。急に一時停止して、2~3秒飛ぶものです。どんびきするほどのダサさです。そう、ダサさの1種類目は「演出のダサさ」です。これは最初から最後まで随所で見られます。私もついうっかり使ってしまう言葉なのですが、「ポップ/POP」という単語は非常に危険です。一般的には「ポピュラー/大衆的」の略語ですが、和製英語として特に創作畑では「かわいい/いまどき」みたいな意味で使われることがあります。おそらくですが、本作の演出面でのキーワードはこの「ポップ」だと思います。何故かと言いますと、本作での演出はすべて「スカしたハズシ」を意図されているからです。息抜き的な意味で、あえて少しダサいことをしているという空気をビンビン出してきます。これは大谷健太郎監督の過去作「NANA」「NANA2」でも見られた現象です。直近の「ジーン・ワルツ」では直球でダサかっただけ好感が持てたのですが(苦笑)、本作の様に小細工をしようとして失敗していると見るに堪えません。特にもっとも気になるのは、やはりクライマックスのファッションショーに挟まれる観客席からのカメラ映像です。クライマックスのファッションショーは爆笑ポイントの連続でそれはそれは愉快なシーンなのですが、なんと観客席からのハンディカメラ映像(たぶんSONYのHDハンディカム)に光量不足でデジタルノイズが入っていますw
フィルムから見る限り、最後のファッションショーはある程度進行も実際にやっていると思います。実際にファッションショー・イベントを通しでやって、それを映しています。そうすると当然撮影用のライトを最適化できません。かなり暗い客席から少し明るいランウェイをハンディカメラで撮っても上手くは撮れません。本作ではその失敗した映像をポスプロ段階で白黒レベルをカチ上げることで明るくしようとしています。そこでカチ上げすぎたため、デジタルノイズが乗っちゃっているんです。撮り直せって話しなんですが、そんな失敗映像を入れているということは、これは監督の意図としては「ハズシ」であり「実在感の表現」だっていう事です。
実は超直近で同じ演出を試みている作品があります。「ザ・ファイター」です。「ザ・ファイター」では試合のシーンになると突然画面の解像度が落ちわざとインターレースの映像になります。輪郭にシャギがかかる映像で、テレビの放送波で使われる形式です。これはまさしく実在感の表現であり、テレビ中継の映像を再現することで実際の出来事のように見せる演出です。まぁ「ザ・ファイター」の場合は多分に「ロッキー・ザ・ファイナル」へのオマージュではありますけれど。
なぜ同じことを意図し同じ手法をとりながらこんな悲惨なまでに開きができるのでしょうか? 演出力っちゃあそれまでですが、それはやっぱり真面目さだと思います。つまり、実在感の表現としてなぜハンディカメラを使うのかという大元の部分です。「ザ・ファイター」だったらテレビ放送を真似するため。「ロッキー・ザ・ファイナル」だったらリングの中の視点で臨場感をだすため。「レスラー」だったらドキュメンタリー調にするため。でも本作にはその根拠がありません。「なんとなくハンディカメラを使っとけば本当っぽくみえるだろ?」っていう短絡的で上っ面だけの演出です。映画監督は映像作家でありクリエイターなんだから最低限の頭は使ってください。
ちょっと長くなりすぎました。2種類目のダサさに行きます。これはもう文字通りの見たまんま。そもそも服装がダサいです。
Twitterでは面白おかしく「ロディ・パイパーっぽい」と書きましたが、これは決して大袈裟ではありません。主役のビートはデザイナーとは思えないほどいつもワンパターンの服装をしています。トップスはワイシャツに大きめのレザーブルゾン/革ジャン。右手首には驚くべき事に星柄の皮のベルトをブレスレットのように常に付けています。たとえ制服であってもです。先生は没取しろ。ボトムスはジーンズないしチノパンの上から、常に青か赤のタータンチェックのスカートを穿いています。足下はコンバースのハイカットか革ブーツ。レザーじゃなくキャンバス地です。このパターンをずっーーーーーーと着続けます。以下参考画像です。

↑ こちらランウェイ☆ビートの舞台挨拶。真ん中がビート。

↑ こちら往年の名レスラー。”ラウディ”ロディ・パイパー。
「格好良い」タイプではなく、スコットランドからきた飲んだくれというキャラです。
瓜二つです。すごい相似形w でもやっぱパイパーのが渋くて格好良いです。
作中ではビートは「おしゃれさん」で通っているわけです。意味が分かりません。おしゃれではないでしょ、これ。舞台挨拶の衣装なんて本当にコスプレっていうか役者が可哀想。完全に羞恥プレイです。やっぱり本作で一番オシャレなのは田辺誠一演じるお父さんです。彼は常に細身のスーツを着ていてシンプルで格好良いです。一方でビート側の「格好よさ」表現っていうのは、すごくゴテゴテしたものを付けていくやり方なんです。顕著なのは劇中でのワンダの変身です。類型的なオタク・ひきこもりとして登場するワンダは、髪を切って服装を変えることでイケメンとして生まれ変わり、性格まで明るくなり、ついには超人気モデル美姫の恋仲になります。大出世なのですが、彼のイメチェン時の服装は正直無理です。というのも、このワンダ変身後の服装は、ベルトを多用して、革のブーツにデザインYシャツという「渋谷に昔居た勘違いしたヤンキー高校生」そのものなんです。一目見ただけで痛々しさが伝わってくるんですが、劇中では女性陣がみんな見とれてしまいます。こういったセンスにものすごいギャップを感じます。私ももう歳なんでしょうか、、、。
また、中盤でビートのデザインがワールド・モードに盗用されるというイベントがあります。この時の衣装もそんなにみんな騒ぐほど可愛いかが全然ピンときません。たしかに桐谷美玲が可愛いのは間違いないですが、特にパクッたワールド・モードの服はかなりダサいと思います。星いっぱい付けた真っ赤なタイトシャツって、、、小学生のお絵かきじゃないんだから。
ファッションに疎い私が無いセンスを振り絞って考えたんですが(苦笑)、たぶんこれってそもそも「オシャレ」ってものを考えるときのポイントのズレなんだと思います。私なんかが「オシャレ」を考えると、一番最初に気になるのは「シルエット」なんです。例えばボトムスだったら、パイプドなのかテーパーしてるのかとか、太めなのか細めなのかとか。トップスも同じで、細身なのか余裕があるのかとか、シャツの襟の形であるとか、そういうところです。でもこの作品内での価値観は明らかにシルエットではなく装飾なんです。ベルトが一杯あるかとか、星が一杯付いてるかとか、そういうゴテゴテしたオーバーカロリーな感じです。個人的にはそれってジャンクフードに通じるセンスだと思うんですが、でもこの辺は個人差があると思うので一概に否定は出来ません。
唯一言えるのは、「ビートのデザイン・センス」は劇中内での扱いほど万人に受けるすごいものでは無いってことです。

絶望を感じる所その2: 話しの進め方がぎこちない

すでに書き始めてから2時間経過して4600字を突破したのでちょっと先を急ぎますw
本作で絶望的なのはダサさだけではありません。話しの運びも本当にキてます。
Twitterでハナミズキを引き合いに出したのは、実は本作もハナミズキと同様に映画の構成ではなくテレビドラマのフォーマットを垂れ流しているからです。ハナミズキ同様に本作は全5話です。
第一話「転校生ビートとワンダのイメチェン」
第二話「文化祭やるぞ!!!!」
第三話「ミキティの裏切り / 父との和解」
第四話「プロジェクト・ランウェイ・ビートとワールドモードの妨害」
第五話「ファッションショー本番」
しかも本作の問題はフォーマットだけではありません。イベントの進め方にも大きな問題があります。本作では何回か大きなイベントがあります。しかしその一つ一つのエピソードがその後にほとんど影響を与えません。極端な事を言えば、ミキティの裏切り・ワールドモードのパクリのあたりはエピソード自体を丸々削除しても全体に影響がありません。その後のワールドモードの妨害の話しも、大勢に影響がありません。だって、本来この話しは「学校の文化祭でファッション・ショーをやろう!」っていう物なんです。だから、実は本作を整理すると15分ぐらいに収まります。
本作のストーリーには大きく2つの柱があります。1つはファッション・ショーの企画を通じて語られる父と子の和解の話しです。こちらはベタベタで安っぽいもののそれなりにまとめてきています。父を憎んでいた息子が父の思いを知ることで和解し、やがて父と同じ境遇を経験し乗り越えることで成長します。しかし、全体尺の半分ぐらいにはもう父子が和解してしまうため、いまいち興味が続きません。後半は結構どうでも良くなってきます。
もう1つは忍ぶ恋の話し。こちらは「主役(のはずの)塚本芽衣がビートに惚れてしまうがビートにはすでに恋人がいる」という片思いの話しです。こちらも描写がかなり適当で、「ここで惚れたな」っていうポイントが無いまま唐突に好きとか言い出すのでかなりどうでも良いことになっています。しかもわざわざ同じ境遇としてミナミを出してくるあたりも小賢しいです。だってミナミとビート父とビート母の三角関係がまったく同じ構図のまま子供に引き継がれるってそれはちょっと適当過ぎるでしょ。しかも同じイベントの同じタイミングで同じように緊急手術とか、、、これがいわゆる「天丼ギャグ」って奴です。どんなに真面目にやっていても繰り返されると笑いに転化してしまうという恐ろしい現象です。
先ほどもちょろっと出ましたが、これが本作を語る上での2つめのキーワードです。「小賢しい/小手先」。いかにも「企画会議で一生懸命練りました!!!」っていう上っ面だけの人物配置。このいかにもな「やっつけ感」が本作を極めて不愉快で見ていて腹が立つものにしています。それが最高潮になるのがラストのファッション・ショーです。これはもう是非映像でご自身の目で見て下さい。あまりの破壊力に爆笑必至です。でも本来ここって笑われてはいけない場面です。しかし劇中内の観客の少なさもあいまって非常にシュールなコント空間になってしまっています。

【まとめ】

話しダメ、演出ダメ、音楽ダサイ、俳優大根、とかなり極まった作品です。唯一の救いは桐谷美玲の可愛さですが、でも本当にそれだけ。しかもキャラクターの魅力ではなく単に顔が可愛いってだけです。ですから本作を映画館で見る必要は万に一つもありません。どうしても気になる方はレンタルDVDで十分です。
ただやっぱりここまで完成度の低い作品というのもなかなか見られませんので、記念にはなるかと思います。ご自身の忍耐力を試したい、またはゆったりとした空間でポップコーンを食べてウトウトしたいという方にのみオススメです!!!

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