鬼神伝

鬼神伝

GW初日の今日は2本です。
1本目は

鬼神伝」を見て来ました。

評価:(18/100点) – 良くある微妙なエコロジー志向ファンタジー。


【あらすじ】

中学生の天童純はひょんな事から迷い込んだ寺でタイムスリップをして平安京へ連れて行かれてしまう。そこでは鬼と人間とが戦っていた。純は僧正・源雲より自身の能力を聞かされる。源雲によると純は伝説のヤマタノオロチを操ることが出来る選ばれた”救いの御子”なのだ。鬼達に襲われる純と純の護衛につく頼光。果たして純はオロチを目覚めさせることができるのか? そして鬼とは何者なのか? 鬼の素顔を見たとき、純は選択を迫られる、、、。


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【感想】

連休初日の今日の1本目は新作アニメ「鬼神伝」です。監督はアニメーターの川博嗣。監督をやってたのを知らなかったので調べましたら「劇場版 NARUTO -ナルト-」の2作目(2005)以来とのことです。アニメーターとしては結構有名な人ですが、確かに本作を見るとあんまり監督は向いてないかなという気もします。
劇場では連休に当てていろいろな子供向け映画をやっているんですが、本作も客席は子供連れの家族でかなり埋まっていました。ぶっちゃけた話し予告を見るだにあんまり子供向けではありません。もしかしたら「ドラえもん」や「クレしん」や「コナン」から流れてきているだけかも知れません。
正直なところあんまり気が向かないので触りだけさらっと書きます(苦笑)。
本作の世界観はかなりファンタジーレベルが高くなっています。たとえば、冒頭ではいきなり人間と鬼との戦いに祝詞(※ほとんど魔法)が出てきますし、かなり前半からみんなガンガン空を飛びます。話しが転がるきっかけになる現代で始めて純が鬼に追われるシーンなんぞは、いきなり空から黒い煙が振ってきて野良犬に乗り移って鬼になるのに、純は「バ、バケモノ???」とか不思議な事をつぶやいて冷静に逃げます。普通目の前で犬が鬼に変身したら「バ、バケモノ???」どころでは済みません。もうリアリティラインがワケ分からないことになっています。
そしてお約束のように平安時代にタイムスリップしてからは「都市vs田舎」「貴族vs土人」「文明志向vsエコロジー志向」というよくあるパターンが展開します。この点ではそれこそ「風の谷のナウシカ」や「もののけ姫」に代表される宮崎駿的なエコロジー信仰の匂いを感じます。ただ、本作の場合はそこまで突き詰めていないというか、たぶん監督・脚本家も宮崎駿ほどは本気でエコロジーを信じていない感じがします。というのもものっすごいペラいんです。本作では「大自然&土人バンザイ!!!」みたいな方向に行くかと思いきや、結局最後は可愛い女の子に熱を上げてるだけというしょうもない所に落ち着きます。
こういった「異次元(異世界)に迷い込んでファンタジーを経験したあと成長して現実に戻ってくる」という物語は、星の数ほどあります。クラシックで言えば歴史的名作「オズの魔法使い」「ネバーエンディング・ストーリー」、最近だと「千と千尋の神隠し」や「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ 戦国大合戦」なんかもそうです。これらで大事なのは、「現代パートではあくまでもリアリティを重視して私達が生活している現実に近くすること」と「ファンタジーの世界では創意工夫や常識・知識のずれを利用して乗り越えること」です。これが無いと何が何やらさっぱりでおかしな事になってしまいます。
本作でマズいのは、第一に純を「生まれながらの選ばれし者」にしてしまったことです。しかも冒頭でいきなり純は切り札のオロチを手に入れてしまいます。さんざん「オロチは八個の頭の八個のしっぽがある」と言っておきながら登場するとドラゴンボールのシェンロンのような普通の龍であるため、これはもう最後に純の覚醒と同時に真・ヤマタノオロチに変身するのが見え見えです。しかもその姿に誰一人突っ込みを入れません。「頭が八つないじゃん」と誰かに言わせるだけでも救われるのですが、誰も疑問に思わず完全スルーです。あまりにもあんまりです。これによって「いつ純が本気を出すか?」という心底どうでもいいガキのご機嫌取りが物語りの中心になってしまいます。せめてオロチを手に入れるまでの冒険譚にした方がまだ見られたと思います。
そして第二が肝心のエコロジーメッセージです。これもすごい中途半端です。本作の鬼たちは半神半人のような描かれ方をしており、妖怪と言うよりは「自然の化身」「八百万神(やおろずのかみ)」という趣です。神道をモチーフにしている以上は当然です。それこそ「トイレの神様」じゃないですが(苦笑)、「どこにでも神様がいる」というかなり極端な思想はエコロジーとは大変相性が良いです。「もののけ姫」や「千と千尋の神隠し」はそれを上手く設定に取り込んで見せていました。本作では肝心のエコロジーメッセージはちょっとセリフと雰囲気であるぐらいで、ほとんど入りません。たとえば鬼達は自然に囲まれた鞍馬山でくらしていて、最後は琵琶湖の化身が大活躍します。しかし「だから大切に」とかそういう方向ではなく、物語はあくまでも権力志向のある極悪支配者を倒すことが目的になってきます。勧善懲悪というシンプルな子供向けのメッセージをファンタジー・エコロジーにぶち込んだ結果、薄い「もののけ姫っぽさ」「千と千尋っぽさ」だけが残っています。
というような感じでして、全体としてはあんまりテンションが上がらない作品でした。「つまらない」というよりは「どうでもいい」部類です。ちなみに本作で一番語りがいがあるのは間違いなく頼光です。彼は鬼と人間との間で揺れ、アイデンティティクライシスを見せてくれます。特に後半は完全に頼光と水葉のエピソードが主役・純を食ってしまいます。
そのくせちょっと怒っただけで純君は覚醒してしまうものですから本当に拍子抜けで、「そんな簡単に覚醒するなら最初から本気出せ(怒」としか思えませんw
なので、連休中にヒマをもてあましてしまった方にのみオススメいたします。変に鬼が気味悪いデザインなので親子連れで見る映画を探している方はやめておいた方が良いと思います。

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ナルニア国物語第3章 アスラン王と魔法の島

ナルニア国物語第3章 アスラン王と魔法の島

今日は話題作が多く公開される中であえてこの2本です。1本目は

ナルニア国物語第3章 アスラン王と魔法の島」です。

評価:(35/100点) – もう3Dじゃなくていいんじゃ、、、、。


【あらすじ】

舞台は第2次世界大戦下のイギリス。ペベンシー4兄弟のうち、長男のピーターと長女のスージーはアメリカへ疎開していた。残されたエドマンドとルーシーは従兄弟の家に預けられる。嫌味な従兄弟のユースチスに悶々としながら耐えていた2人は、ある日壁に掛けてあったナルニア風の絵に誘われナルニア国へ戻ることとなる。しかし寄りによってユースチスまで付いてきてしまった。
カスピアン王の「朝びらき丸」に拾われた3人は、王の旅に同行することになる。それはかつてカスピアンの父王の側近だった「七人の偉大な領主」を探す旅だった、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> ナルニアへの帰還と孤独の島
 ※第1ターニングポイント -> 孤独の島を抜け出す。
第2幕 -> アスランの剣を探す旅。
 ※第2ターニングポイント -> アスランのテーブルに剣を6本置く。
第3幕 -> 暗闇の島での決戦。


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【感想】

今日の1本目は「ナルニア国物語第3章 アスラン王と魔法の島」です。金曜・土曜とテレビで前作をやっていますし、結構一押し感のある大作、、、、のはずですが、正直あんまりお客さんが入っていませんでした。
え~~~~~何を書いていいか正直わからないくらいフツ~~~~につまらない子供向け映画でした(苦笑)。
というのも、物語の大半が「島を渡り歩いて領主を見つけて剣を集める」という内容であり、その「島の設定的な面白さ」で引っ張っているからです。じゃあその島がどれぐらい面白いかというと、、、、、う~~~ん。私は原作未読なのでピンと来てないだけかもしれませんが、なんか「007 ゴールドフィンガー」や「シンドバッド黄金の航海」っぽい島とか、「インディ・ジョーンズ/最後の聖戦」で見たような机とか、あんまり目新しくグッと来るものがありませんでした。非常に淡々と物語りが進むので、あんまり盛り上がることもないままなんとな~く気付いたら映画が終わってしまいますw
本作はすごくキリスト教的な道徳に溢れた作品だと思います。早い話が、本作は「誘惑」という名のサタンのトラップを少年・少女がかいくぐって成長する「試練の話」なわけです。そして全ての試練を乗り越えると、アスランの国(=神の国)が現れてアスラン(=神様)自らが招待してくれます。「一度アスランの国(=神の国)に入ると戻ってこれない」というのも考えれば当たり前の話しです。「ナルニア国物語/第1章 ライオンと魔女」でペベンシー兄弟達は「アダムの息子」「イブの娘」と呼ばれているわけで、この辺りはかなり意図的に作っています。親御さんも安心してお子さんを連れて見に行ける鉄板の内容です。
だからこそ、盛り上がることが無く淡々と説教をされている気分になってきますw twitterでちょろっと書いたように、これはまさに小学校の道徳の授業で「NHK教育テレビ」のドキュメンタリーっぽい放送を見せられて感想文を書かされるときの憂鬱に限りなく近いです。「つまんないけど、つまんないって書くと怒られるからとりあえずお茶を濁すか、、、。」みたいな感じですw
ちなみに3Dになったとはいえ、スペクタクル度は前作と比べて大幅にダウンしています。1作目と2作目でお馴染みだった大群vs大群のモブシーンもありませんし、魔法的な演出もほとんどありません。全く3Dの価値はありませんので、どうしても字幕で見たいという私のような輩いがいは2D吹き替えで十分だと思います。
とはいえ、家族連れで行くのであればという注釈付きではオススメできます、、、、たぶん、、、、いや2の方がまだ面白いです、、、でもそれだと1の方が面白いし、、、とりあえずオススメデス。

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ハリーポッターと死の秘宝 Part1

ハリーポッターと死の秘宝 Part1

2本目は

ハリーポッターと死の秘宝 Part1」をみました。

評価:(40 /100点) – 惰性で見るには申し分ないが、新しいファンを獲得するのは無理。


【あらすじ】

セブルスの裏切りにあった魔法界はヴォルデモート一派に席巻されていた。魔法省の大臣は殺され、ホグワーツにはセブルスが校長として就任する。
ハリー、ロン、ハーマイオニーはヴォルデモートを殺すため、ダンブルドアからの遺品を元に分霊箱を破壊する旅に出る、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> 逃走と結婚式。
 ※第1ターニングポイント -> ハリー、ロン、ハーマイオニーが旅に出る。
第2幕 -> ロケットの奪取と破壊方法を探す旅。
 ※第2ターニングポイント -> 分霊箱を破壊する。。
第3幕 -> ヴォルデモートの屋敷からの脱出。


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【感想】

土曜の二本目は「ハリーポッターと死の秘宝 Part1」です。初日の割にはお客さんは6割~7割ぐらいの入りでした。「ハリー・ポッター」シリーズの七作目であり、原作最終刊の前編です。予告では「遂に完結」とあおってはいますが、あくまでも原作が最終刊というだけで3作目から6作目までと同様に普通に前振りだけして終わります。まったく完結ではありません。

おさらい

「ハリー・ポッター」シリーズは当初シリーズ化をにらんではいたものの、前提になっているわけではありませんでした。具体的には「賢者の石」「秘密の部屋」「アズガバンの囚人」「炎のゴブレット」は一応作品単体として成立しています。ホグワーツにある不思議な事件が起きて、その謎解きをする課程で魔法のガジェットが登場します。さらにそのガジェットに何かしらヴォルデモートに通じるエピソードが入ってきます。物語の最初は必ず学年末休み空けで、乗り物にのってホグワーツに登校、学年が上がるところから始まります。そしてその学年で色々あってハリー達が成長し、最後はその学年末に「またね!」で家に帰るところで終わります。いうなれば完全に定型化されたフォーマットであり、昔からよくある「ちびっ子学園探偵物」です。何故かホグワーツ魔法魔術学校は卒業資格が明記されていませんので、極端な話、ハリーが10年生になっても続けられるようにはなっていますw
このフォーマットが崩れるのが4作目「炎のゴブレット」です。「炎のゴブレット」の最終盤、ヴォルデモートが遂に復活します。これにより、「ハリーvsヴォルデモート」という対立構造がより明確化され、それがストーリーの全てになります。ですので、非常にざっくばらんにいってしまえば、シリーズ未見の人は「秘密の部屋」「アズガバンの囚人」「炎のゴブレット」は見なくても大丈夫ですw 一話完結で同じような話しかしていませんからw ガジェットだけは本作でも出てきますが、大した意味はありません。
言い換えれば、「炎のゴブレット」以降の作品、「不死鳥の騎士団」「混血のプリンス(謎のプリンス)」「死の秘宝」の3作は全て続き物の作品です。意地悪な言い方をすると、いまさら「死の秘宝 Part1」とか銘打たなくても、すでにこの三作が「ハリーポッターと闇の魔法使い Part1」「Part2」「Part3」なわけで、、、そういう意味では「遂に完結」というラベルですでに失笑が生まれてしまったりはします。

本作の魅力と欠点

作品を重ねる毎にどんどんオッサンになっていくラドクリフ君ですが、本作では笑顔要素ゼロでず~っとしかめっ面をしています。そう、本作は初期の和気藹々な学園探偵物のテイストは完全に消え失せ、一種のディストピアSFになっています。悪に支配された世界で、数少ない正義のレジスタンスが一発逆転のために駆けずり回ります。これ自体は非常に愉快で熱血な展開です。作品としてアクション要素はありませんが、しかし襲い来る敵をかいくぐりつつ戦うという要素はかなり良い感じです。
しかし、まず単純にハリー御一行の三人がほぼ完成されてしまっている(=修行・成長しない)点と、ものがたりの着地が示唆されない(=宛が無いまま駆けずり回る)点にかなりつらい物があります。見ていてワクワク出来ないというか、何がしたいかわからない状態が暫く続いてしまうため、興味が続きません。早い話が飽きます。
そして何より、ハーマイオニーやトビーが強すぎるため、あまりピンチらしいピンチが訪れません。極端な話、真っ正面から戦っても余裕でヴォルデモート派に勝てそうに見えてしまうんです。

3Dについて

本作には特に前半に多くの「3D演出」が登場します。例えば冒頭、セブルスがヴォルデモートの屋敷に入っていくシーンでは、奥行きのある長い庭を真っ正面から捉え手前では門が閉まる演出がされます。 さらにその直後、不死鳥の騎士団サイドの面々がハリーに変身するシーンでは、意図的に全員がカメラから見て別々のレイヤーに立ちます。つまり本来であれば”違った飛び出し方”で何人ものハリーが見られるという「マルコビッチの穴」的なギャグだったわけです。魔法省に忍び込むシーンではエレベーターを真っ正面から捉え、奥に急に引っ込んだり、手前に急に出てきたり、かなり意識して奥行きを使っています。
本作は事前のアナウンスでは普通のフィルム(コダックのVision3)で撮影した後、夜中にHDDにテレシネ(キャプチャー)して、その後で3D変換するはずでした。ところが、10月12日に3D版のお蔵入りが発表されます。公式発表では「最高の3D品質基準で観客の皆さまにお届けすることができないと判断した」となっています。
残念ながら3D変換が間に合わなかったという話は聞いていませんが、10月の頭に本国のワーナーブラザーズが各国の支社に12月払いで上納金の御触れを出したという話は聞いています。ちなみに、Part2も含めて、「ハリーポッターと死の秘宝」は2010年6月12日にクランクアップしています。ですので、そこからラッシュにしてファーストプレビューするのはおそらく7月中旬です。ちなみに2Dから3Dへの変換は2時間もので通常3ヶ月掛かります。(余談ですが「海猿」はその4分の1の超短納期やっつけ仕事でしたので質が低いのも当然ですw) 逆に言えば、通常なら多分9月下旬には3D版「死の秘宝」が出来ているはずなんです。
少なくとも、上期で不調だったワーナー・エンターテイメント・ジャパンとしてはどう考えても3Dによる入場料金アップは欲しかったはずなので、本国はともかく日本法人として3Dを中止にする理由はありません。なので、これは確かに間に合わなかったかプロデューサーOKが出なかったぐらいしか考えられません。穿った見方をすれば、もしかすると春先の「タイタンの戦い」がアメリカでそこまでヒットしなかったため、「ハリー・ポッター」という不動人気のシリーズを使って3D映画の将来性をテストしているのかなとも思います。
真相はともかく、本作を見た限りは3Dで公開する必然性はそこまで感じませんので、観客サイドとしてはどうでもいいかなとは思いますw

【まとめ】

「ハリー・ポッター」シリーズのファンであれば間違いなく行くべきですし、行かないと気になってかなり気持ち悪いと思いますw ですが、そこまで熱狂的なファンで無ければ、Part2の公開時にDVDでチェックするのも手だと思います。なにせあくまでも前編ですので、本作でなにかが起こるわけではありません。ひたすら風呂敷を広げるだけで終わります。決して手放しではオススメしませんが、エマ・ワトソンの成長っぷりを微笑ましく見ているだけでもやり過ごせますので、テンション低めでオススメします!
※ちなみに私はシリーズを全部DVDとBDで揃えています。なので一応はファンですw あしからず。

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ガフールの伝説

ガフールの伝説

土曜の2本目は

ガフールの伝説」です。

評価:(50/100点) – 話は平凡。よくある普通の冒険譚。


【あらすじ】

メンフクロウの兄弟・ソーレンとクラッドは、飛行練習中に純血団なる軍団に誘拐されてしまう。それはかつて世界征服を企んだものの「ガフールのガーディアン」達によって退治されたメタルビークの新勢力であった。ふたたび世界征服を企むメタルビークに兄のクラッドは同調、純血団の戦士として生きることを決意する。一方、弟のソーレンとサボテンフクロウのジルフィーは、純血団の元から脱走することに成功する。彼らの目的地はガフールの神木。かつてメタルビークを倒した伝説の英雄・「キールのライズ」が居るガーディアンの王国である。

【三幕構成】

第1幕 -> ソーレンとクラッドが誘拐される。
 ※第1ターニングポイント -> 純血団からの脱出。
第2幕 -> ガフールの神木への旅。
 ※第2ターニングポイント -> ガフールのガーディアンが戦を決意する。
第3幕 -> 決戦。


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【感想】

土曜日の二本目はザック・スナイダー監督の新作「ガフールの伝説」です。川崎で見たんですがガラガラでした。キャラがフクロウという点で子供向けと思われたのでしょうか。下手すると去年の「ウォッチメン」よりも観客が入っていませんでした。
ざっくりと結論を書きますと、本作はあまり目新しいものや特筆するような部分がありませんでした。「300」「ウォッチメン」でも多用された超スローカメラによる(といってもフルCGですが)マンガの「止め絵」/カブキの「見得」的な演出が多用され、なんかスタイリッシュに見えないこともないような、、、格好付けを多用しすぎて逆にダサイような、、、という微妙な感覚です。話自体も「勇者様ヘルプもの」の王道そのものでして、見ようによっては「スターウォーズ 新たな希望」っぽい感じもあり(特にラストの授与式)、かなり見慣れた展開なので別にどうという感じもありません。至極平凡で、正直に言うと「3Dであること」以外には今2010年にやる必要すら無いような気がします。
ストーリー上もガフールのガーディアン(勇者)達はそこまで活躍せず、どちらかというと新参者のソーレン・パーティ4羽が大活躍してしまいます。なので、そこまで盛り上がりも説得力もありません。
ただ、「キールのライズ」ことエジルリブにはかなりグッときました。「戦争の英雄」=「敵を殺しまくった者」という現実をきちんと見せた上で、空しいけれども「やる時はやるしかない」という展開に持って行くあたりはさすがのザック・スナイダーです。ここで下手に流行のヒューマニズムみたいな方向にいかず、きっちり勧善懲悪でまとめてくるところもさすがです。
こういう単純な勧善懲悪の冒険譚って最近はポリティカル・コレクトネスの視点からやりづらくなっているように思います。悪にも悪の理由があるとか、ついつい悪役のキャラも掘り下げたくなってしまいます。でもそこはグッとこらえて、あくまでも悪い奴は悪いし良い奴は前面的に良いという単純化された対比構造を最後まで通します。
ですので、大変教育上よろしい作品だとおもいます。それこそ文部省推薦マークが付いてても可笑しく無いくらいですw
平凡ではあるんですが、王道を見せてくれるため途中で飽きることもありませんでした。
積極的にオススメするような作品ではないと思いますが、可もなく不可もなくという感じの作品だったと思います。もし時間に余裕があったり、フクロウが好きで好きで仕方がないという方は見に行って損はないと思います。

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魔法使いの弟子

魔法使いの弟子

遅くなりましたが、先週末は一本、

「魔法使いの弟子」をみました。

評価:(20/100点) – ファンタジアの何所をみるとこうなるのか。


【あらすじ】

デイヴは小学生の時、迷い込んだ怪しげな骨董屋でドラゴンの指輪をもらう。それから10年後、彼の前にかつて骨董屋で出会った魔法使いのホルヴァートが現れる。ホルヴァートは昔デイヴが路地に捨てたマトリョーシカを探していた。そのマトリョーシカの中には魔法使い達が封印されているという、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> デイヴとバルサザール
 ※第1ターニングポイント -> バルサザールが復活する。
第2幕 -> グリムホールドを巡る争い。
 ※第2ターニングポイント -> ホルヴァートがグリムホールドを手に入れる。
第3幕 -> モルガナの復活


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【感想】

遅くなりましてすみません。先週末は1本、魔法使いの弟子を見ました。夏休みって食べられるの?
本作はニコラス・ケイジがプロデューサーで、彼の主演作・ナショナルトレジャーのスタッフを集めて制作されました。それだけで強烈な「俺様映画」なわけですが、なんでこれがディズニーなのか良く分からないほどとてつもなく低いレベルの子供向け映画になっています。
一番初めにツッコまなければいけないのは、キャラクターの命名に見られる強力な中2病センスです。いわずもがなのアーサー王伝説に出てくるマーリンとモルガン、そしてアーサー王の象徴であるドラゴンをあしらった指輪。マーリンの弟子が、バルタザール(東方の三賢者)、マクシモス(証聖者)、ヴェロニカ(ゴルゴタの丘でイエスにタオルを貸した人)。さらに主役がデヴィット(ダビデ/旧約聖書の古代イスラエルの王様)、ヒロインがレベッカ(リベカ/ヤコブの母/全イスラエル人の母)。
全部アメリカなら小学校高学年~中学校ぐらいで習う格好いいキリスト教的有名人です。このすさまじく臆面の無いネーミングセンス、、、凄すぎるw
でまぁ話自体はなんてことはなく、いつも通り少年に「君は伝説の勇者だ!」ってな具合に白羽の矢があたり、別段苦労するでもなく覚醒して「俺ってサイキョー!イェーイ!!!」とはしゃぐだけの下らない話です。今回は一応気休め程度ですが師匠と弟子の特訓シーンが入ります。その意味ではハリー・なんちゃらよりはマシではあるのですが、しかし結局それ自体があんまり役に立たないというか、なぜか突然覚醒してメチャクチャ強くなってしまうため特訓の意味がありません。甘やかし過ぎ。
しかも今回の主人公は完全なナードなためあまり華がありません。このあたりはカツラでフサフサになったプロデューサー様が一番格好良く写るための絶妙なキャストです。しかもプロデューサー様の恋人役が絶世の美女/イタリアの宝石・モニカ・ベルッチで、ヒロインはほぼ無名のテレサ・パルマー。職権乱用しすぎw
とはいえ、元々本作の趣旨はファンタジアの中でミッキー激萌え展開を呼ぶ「魔法使いの弟子」パートを実写にするというものです。なので極端な話この「魔法使いの弟子」パートさえ上手く実写に出来ていればなんの問題もありません、、、、が、、、、出来てな~~~~いw
ファンタジアの「魔法使いの弟子」が素晴らしいのは、ミッキーが手抜きをしようとして魔法で掃除してたら眠っちゃって洪水になっちゃってさぁ大変という「ドジっ子萌え」にあります。そして気付いたミッキーが取り繕うために魔法でモップ達を止めようとした結果、まるで満天の星空のように泡が舞って幻想的な風景が展開されるわけです。
「魔法使いの弟子」パートの肝は、ミッキーの可愛らしい失敗と、それを収めようとした結果に起こる奇跡的に美しい光景にあるんです。
ところが本作ではそこが全く出来ていません。そもそもからして本作で起きる失敗はデイヴの力量不足によるもので、しかも手抜きではなく彼女が来てしまうから早く片付けないといけないという必要に迫られたものです。さらに、デイヴはうっかり寝てしまうのではなく、シャワーに入ってやる気満々で目を離しただけです。全然ドジじゃありません。ただの馬鹿です。しかも止めようとして魔法を追加するのではなく、単にあたふたしてるだけです。こんなので音楽だけ「魔法使いの弟子」を流されても全然乗れません。

【まとめ】

子供向けのファンタジーというにはあまりにもレベルが低く、ファンタジアのファンが期待していくにはあまりにもファンタジアへのリスペクトが足りません。残念ですが、本作を見に行くのであれば、ファンタジアを借りてきて見た方が100倍面白いです。それにしてもファンタジアの中で唯一ディズニーキャラクターが出ている「魔法使いの弟子」を使ってこれかと思うと悲しくなってきます。いっそのこと「はげ山の一夜」を使って実写のゾンビ映画にしたほうが面白かったかも知れません。

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ヒックとドラゴン

ヒックとドラゴン

本日は二本です。
1本目は

ヒックとドラゴン」を見ました。

評価:(95/100点) – ちょっと説教臭い傑作ファンタジー。


【あらすじ】

襲い来るドラゴン達と戦うバイキングの村で、村一番のドラゴンハンターの息子・ヒックはヘタレと思われていた。ある日、彼は自分の能力を証明するため自動投げ縄機を開発する。実践で初めて使った日、彼は誰も見たことのない伝説のドラゴン、ナイト・フューリーを打ち落とす。後日ドラゴンの落下地点へと出向いたヒックだったが、どうしてもトドメを差すことが出来ずに縄をほどいて解放してしまう。自分のせいで尾びれをケガしたドラゴンを放っておくことが出来ないヒックは、やがてドラゴンの世話をし、交流を深めていくことになる、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> 村がドラゴンに襲われる。
 ※第1ターニングポイント -> ヒックがトゥースレスに魚をあげる。
第2幕 -> ヒックとトゥースレスの交流。
 ※第2ターニングポイント -> ストイックがドラゴンの巣へと向かう。
第3幕 -> レッドデスとの戦い。


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【感想】

本日の1本目は「ヒックとドラゴン」です。全米では大ヒットなんですが、あんまりお客さんは入っていませんでした。年齢層もかなり低く、子供達が大騒ぎして全然映画に集中出来ませんでした。
とはいえ、本作は本当にすばらしいです。ストーリーも、キャラクターも、演出も、文句の付けようがありません。強いて言えば一部のキャラが類型的過ぎるんですが、それも「3DCGアニメ」という類型的でも許される絶妙なリアリティラインに後押しされてそこまで気になりません。
本作は非常に良くあるタイプのファンタジーです。対立する種族間での交流とそれを巡る周囲との軋轢、そして最終的には両種族で共通の敵を倒すという所に着地します。この基本系に仲間との交流や父親との不器用な関係がプラスされるわけです。
ただの成長物語と言えばそれまでなのですが、この「どうしようもないヘタレが世界の価値観を変えてしまう。」ということ自体で、もう十分ガッツポーズが出るような内容なんです。それをとても丁寧にエピソードを積み重ねて描いていきます。
原作からはかなり大きく変更を加えられていますが、特に一番大きいのはヒックがドラゴン語をしゃべれないという部分です。個人的には、これは変えて正解だったと思います。単純に「猛獣使い」として言葉をしゃべれるという設定よりも、言葉が通じないからこそ仕草や態度で心の交流をしていく本作の方が、より異種間交流の本質に近いと思います。
最終的には文字通り2人で1つになるヒックとトゥースレスの描写も、日本ではなかなか出来ないくらい重たい描写になっています。
なにより忘れてはいけないのは本作のキャラクター造形のすばらしさです。もちろん人間達の造形も良いんですが、それにもましてドラゴン達が完璧すぎます。ぬいぐるみ欲しいですものw ナイト・フューリーの犬っぽさや、ダブルジップの怖さと愛嬌の絶妙なバランス、最高です。

【まとめ】

貶すところが見当たらないくらいの完璧な作品ですが、一点だけどうしても許せないところがあります。それがナイト・フューリーの名前です。英語ではトゥースレスとなっていますし、原作の翻訳本でもトゥースレスです。しかし本作の吹き替え版では、「トゥース」となっています。これは本作の宣伝をお笑い芸人のオードリーにさせるため彼らの一発ギャグ「トゥース!」と掛けたという死ぬほど下らない理由から来ています。宣伝のためにキャラクターの名前を変えるというのは、ちょっと聞いたことがありません。というか、100%作品に対するリスペクトがありません。このアイデアを考えた人間はどういう職業倫理を持っているんでしょうか? これは完全に作品への侮辱です。特に本作にはトゥースレスと呼ばれるきっかけになるエピソードまできっちり描かれています。別に適当に名前を付けてるわけではないんですよ。ある意味吹き替え問題なんかよりもよっぽど深刻です。あいにく地元では吹き替え版しか上映していないのですが、こんな侮蔑的な事をされたあげく選択肢もないというはどういう事なんでしょうか。
間違いなくオススメではありますし今年屈指の良作ですが、上記のような客を舐めた配給の方針が理由であんまり大々的にはオススメしたくありません。それにしても、こんな横暴な宣伝をするってこと自体、文化レベルが低すぎます。

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アーサーと魔王マルタザールの逆襲

アーサーと魔王マルタザールの逆襲

2本目は

「アーサーと魔王マルタザールの逆襲」です。

評価:(10/100点) – 前編だって先に言ってよ、、、見ないからさ(苦笑)。


【あらすじ】

アーサーがミニモイの国を救って早1年が過ぎ、再び10番目の満月が迫っていた。その当日、アーサーの元にクモからメッセージ付の米粒が届けられる。そこには「HELP」とだけ掘られていた。果たして誰がメッセージを送ったのか? ミニモイの国の危機を感じたアーサーは、再びミニモイの国へと向かう。

【三幕構成】

第1幕 -> アーサーと両親とハチ。
 ※第1ターニングポイント -> アーサーがミニモイの国へ行く。
第2幕 -> ベタメッシュの救出とミニモイの国への旅。
 ※第2ターニングポイント -> ミニモイの国へ着く。
第3幕 -> マルタザール登場。


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【感想】

本日2本目は新宿ピカデリーで見ました、「アーサーと魔王マルタザールの逆襲」です。リュック・ベッソン監督の実写+CGアニメ「アーサー三部作」の2作目です。19:30からの回で見ましたが、観客は1桁。子供はゼロでした。あれ? 原作ってリュック・ベッソンが小学生向けに書いた児童書じゃなかったっけ???
結論を言いますと、、、なんか予告編をお金払って見に行った気分です(苦笑)。っていうか、前編ってどっかに書いとけって。
本作では風呂敷を広げるだけ広げてな~んにも回収されません。物語上でケリが着いたエピソードが1つもないんです。これって、そもそも映画作品として成立していないんですが、、、。
例えば3部作の先駆けとして「ゴッドファーザー」があります。あの映画は、Part1で「マイケル・コルレオーネ」がマフィアになるまでを描いており、そこには兄の悲劇だったり父の苦悩だったりが情緒たっぷりに表現されています。Part2ではマイケル・コルレオーネが遂に後を継ぎ、どんどんマフィア色に染まっていく過程が妻との距離感を使って語られていきます。それはマイケルの成長話であり、そして人間性の喪失でもあります。Part3では、完璧にマフィア思考に染まりきった非情なマイケルが、娘の悲劇を目の当たりにして遂に人間らしい悲痛な苦悩をさらけ出してしまう話です。これらは、全ての作品がそれぞれ独立してすばらしい出来であり(3は微妙ですがw)、それぞれがきちんと作品としてハイレベルで成立しています。
それはスターウォーズ新・旧3部作でもそうですし、ロード・オブ・ザ・リング3部作もそうです。3部作っていうのはあくまでも個々がきちんと独立していて、しかしそれらが大きなドラマの一部分であるという構造をしていないといけません。
ところが、本作は完全に「アーサーと魔王マルタザールの逆襲・前編」なんです。だって風呂敷を広げるだけ広げて、それをなんの解決もしないんです。だから「この映画ってどういう話?」と聞かれたら、答えは1つです。「3作目を作るお金を稼ぐために途中までで公開した作品。3作目が公開するときにDVD借りて見れば?」
以上です!!!!
公式サイトとかポスターに前編って書いとけよ、マジで。 「…to be continued.」ってなんだそれ?
あと、一応お約束ですが、またまた「芸能人吹き替え問題」の作品でもあります。IMALUとか、、、親の七光りだけで演技力の無い芸人なんて何で使うの? エンディングも勝手に変えるし、、、。余談ですが、「日本語版エンディング」で過去一番腹が立ったのは「007 ワールド・イズ・ノット・イナフ」です。ニルヴァーナのど真ん中世代の私は、当然ブッチ・ヴィグもチェックしていて、garbageもメチャクチャ好きだったんです。で、その大好きなgarbageが大好きな007の新作に抜擢されたと聞いて小躍りで劇場に行ったわけですよ。ところがエンドクレジットで流れてきたのはなぜか「Luna Sea」(苦笑)。超ズッコケました。
まぁ今思えば素人芸人じゃないだけマシだったのかも知れませんが(苦笑)。
ちなみに前作の「アーサーとミニモイの不思議な国」はその有名人テンコ盛りな声優が話題となりました。セレニア姫がマドンナ。魔王役でデヴィッド・ボウイ。そしてマックスにスヌープ・ドギー・ドッグ。王様がロバート・デ・ニーロ。
前作も吹き替えしか公開していなくて「ふざけんな」と思いましたが、今作では実は声優はスヌープ以外が降板してグレードダウンしています(笑)。そういった意味では前作よりは腹が立たないんですが、それでもセレニアにはマイリー・サイラスのライバルであるアイドル子役のセリーナ・ゴメスが起用されてるんですよ。字幕もやってくだいよ、本当。

【まとめ】

見る価値ないので、3作目が公開する来年春にDVD借りて見て下さい!!!



だってDVDなら字幕版もあるし、まとめて見れるし、言うこと無いですよ。なにが悲しくて映画館でIMALUを爆音で聞かなきゃいけないんだっていう、、、ね、、、。
ちなみに今日チラシをもらったんですが、「コララインとボタンの魔女」の字幕2D版を7月に公開するみたいですね。やはり字幕版の需要はあるってことですよ、配給会社の方々。だって、子供が一人も見てないような糞映画なんだから、字幕でいいじゃんか(苦笑)!字幕プリーズ!!!!
あと後編プリーズ!!!!
ま、後編が公開されたら行くんですけどね(苦笑)。

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記事の評価
タイタンの戦い

タイタンの戦い

本日のレイトショーは

タイタンの戦い」です。

評価:(55/100点) – 名作のリメイクとしては無難な出来。でもちょっと3Dが、、、。


【あらすじ】

漁師の夫婦はある日、海で女性と赤ん坊の入った棺を発見する。幸運にも生存していた赤ん坊はペルセウスと名付けられ漁師として育てられた。それから十数年後、成人となったペルセウスと家族がアルゴス沖で漁をしていると、たまたまアルゴス兵達が巨大ゼウス像を倒す所に遭遇してしまう。そして冥王ハーデスの逆襲に巻き込まれ、ペルセウス一家は彼を除いて全滅してしまう。
さらに、ハーデスはアルゴス王に対し次の日蝕に怪獣クラーケンを解き放つ事を宣言し、止めたければ娘のアンドロメディアを生け贄として差し出すよう要求するのだった、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> ペルセウスの生い立ちと一家の死。
 ※第1ターニングポイント -> ハーデスがアルゴス王に要求を突きつける。
第2幕 -> クラーケンを倒す方法を探る冒険。
 ※第2ターニングポイント -> 日蝕がはじまる。
第3幕 -> クラーケン襲来。


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【感想】

さて今週の新作レイトショーは「タイタンの戦い」です。ご存じストップモーションアニメの巨匠レイ・ハリーハウゼンの作品として知られる「タイタンの戦い」のCG実写版リメイクです。
主演は去年のターミネーター4から急に主役級で見かけるようになった期待のサム・ワーシントン、脇には往年のいぶし銀名優が勢揃いという映画ファンならエンドロールだけで御飯2杯はいける作品です。

ストーリーについて

作品の内容としては、まさにそのまんまオリジナルの「タイタンの戦い」です。かつてストップモーションアニメで撮っていた部分をフルCGで作り、そして3D用の演出に書き換えたようなものです。さすがは「アンドロメダ型」とまで言われるほどの「お姫様を救う勇者の冒険譚」の物語原型でして、非常にオーソドックスな骨組みにはなっています。実はそういった意味では限りなく「アリス・イン・ワンダーランド」と同じ話と言えます。
ただ、かなり駆け足な印象はありまして、明らかに描写が足りない部分も多々見受けられました。特に、本作の第2幕(=冒険パート)では大きく4つの有名イベントがあるのですが、その間の移動描写が極端に少なかったり、次のイベントに行くきっかけがかなり省かれたりしています。もし旧作を見たことが無ければ、おそらく最初に森やら砂漠やらをうろついている意味が分からないと思います。グライアイ三姉妹の件も人物関係を説明してくれませんから、ギリシャ神話自体を知らなければ何が何やら分かりません。
そしてこういった駆け足が何故行われているかというと、、、私はこれは3Dのせいだと思います。

3D表現について

本作は2D映画として撮影された映像をあとから3D変換しています。そして(ここが肝だと思いますが)、あらかじめ3Dを前提として撮影していないため、3D用にあとから追加した描写と元からあった物語本編の描写のトーンがあきらかにズレてしまっています。ここが3D変換を前提に2Dで撮影された「アリス~」との決定的な違いです。
3D用の描写は本作では大きく2パターンしかありません。1つはデジタルのコピぺを使った無限遠風景の表現です。要は地平線まで繋がる砂漠や波の表現でまさに奥行き表現そのものです。もう1つはある対象物の周りをぐるっと回る空撮っぽい描写です。これはオープニングの星座やゼウス像、巨大サソリに乗った一行や、冥界の渡し船など、繰り返し多用されます。
一方、作品の本道では、アクションシーンが多いせいか比較的アップで速いパンを連続させる描写を多用します。
そうするとですね、、、3D用のシーンは非常に間延びして冗長に見え、本道のシーンは動きが速すぎて3Dが破綻するという、かなり残念な状態になってしまいます。実際問題、本作はもしかしたら2Dの方が楽しめるかも知れません。あまりに不自然すぎて、3Dが逆にマイナス要素になってしまっています。
そもそも3Dはいわゆる「見せびらかす描写」になりがちです。「ほ~ら、凄いだろ、3D」って感じの長回しがどうしても多くなるので、その分本編に使える時間が少なくなってしまい、結果としてストーリーが駆け足になるという本末転倒な自体が起こってしまっています。

【まとめ】

個人的には、この作品に3Dは要らないと思います。なんでもかんでも3Dにすれば話題になるのかも知れませんが、それにしてもやはり作品によっては3Dの向き不向きはありますし、何より3Dが必ずしもプラス要素とは限りません。
本作をこれから観ようという方には、申し訳ございませんが2D上映をオススメいたします。これを機に、もう少し制作サイドが3D映画にすることによる影響範囲や作品価値の上げ方を考えていただければと思います。
でも面白かったんで、是非是非。ちょっと怖いシーンもありますが、お子さん連れでも十分楽しめると思います。

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