9~9番目の奇妙な人形~

9~9番目の奇妙な人形~

二本目は

「9<ナイン>~9番目の奇妙な人形~」を見ました。

評価:(15/100点) – あの短編が何故こんな無残に、、、。


【あらすじ】

布人形のナインが目覚めると、そこは荒廃した世界であった。そこで彼は自分とそっくりのツーと出会う。しかしツーは機械の獣に攫われてしまう。その後同じくウリ二つのファイブと出会った彼は、ツーの救出作戦を計画し実行に移すが、、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> ナインが目覚める。ツーとの出会い。
 ※第1ターニングポイント -> ナインがマシンを目覚めさせる。
第2幕 -> 打倒マシン。
 ※第2ターニングポイント -> ナインが目覚めた部屋で科学者のメッセージを見る。
第3幕 -> マシンとの決戦。


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【感想】

さて、本日の二本目はCGアニメ映画の「9<ナイン>~9番目の奇妙な人形~」です。原題は単に「9」ですが、セレブカラオケ大会の「NINE」と紛らわしいということで変な副題が一杯ついてしまったという、公開前から災難な映画です(苦笑)。
夜の回でしたが、客席は5~6割ぐらいは入っていたでしょうか? 感覚的にはCGアニメでSFっていうとガラガラな事が多いので、もしかしたら「ティム・バートン制作」が結構なネームバリューになっているかも知れません。
本作は2005年にシェーン・アッカーが作った短編アニメ「9」(以下原作)をティム・バートンが気に入って出資を募り長編映画化させたという経緯があります。
でまぁいきなり結論を言ってしまいますと、原作の方が1億倍面白いです。正確に言うならば、原作の良かった点が全部消えています(苦笑)。
原作は10分程度の無声・ディストピアSFです。そして世界観の作り方が絶品です。とにかく無声ならではのヒリヒリする緊張感と、説明が無いからこそ想像する無限の物語可能性。なぜ布の人形が?なぜ機械獣が? そもそも人間は?
ディストピア(=ユートピアの逆。絶望郷)SFというのは、荒廃した地上が舞台となります。無限の荒野や崩れた廃墟が舞台となりますので、このジャンルのキーワードは「孤独」「疎外」「暗闇」「テクノロジーの残骸」です。実は原作にはこの全ての要素が完璧に備わっています。ところが、、、



本作ではナインがそもそも孤独じゃないんです。ナインには動く仲間達が一杯いますし、ちょっと恋愛っぽいニュアンスすらあります。これでディストピアSFとしては20点マイナス(苦笑)。
それに加えて画面も暗く無いし、テクノロジーの残骸もぜんっぜん効果的に使われません。ディストピアSFなんだから、銃弾をそのまま銃弾として使っちゃ駄目なんですよ!!! 彼らには鉄砲の概念は無いのですから「見たことも無い尖ったもの」として使って下さいよ!!! これでさらに20点マイナス。
決定的なのは、ナイン達が作られた背景や、この世界が崩壊した理由をベラっベラとセリフで説明してしまう点です。そこは言わなくて良いから!!! 何でもかんでも説明するのがファンサービスじゃないですし、作品価値の向上にはなりません。本作ははっきりと想像の余地が無いんです。これで30点マイナス。
そして物語に対してそもそも尺が長すぎます。80分でも長い。この話って、要は一体の敵を倒すだけなんですよ。敵倒すだけで30分も40分もかけてもらっても困ります。しかも結構あっさり倒されてしまいますし、、、残念!!!
正直言って、申し訳ありませんが褒めるところが見当たりません。
話として破綻しているというわけでは無いんですが、ただただワクワクしないというかセンス・オブ・ワンダーを刺激されないんです。断言しますが、この映画を見るくらいなら原作の短編を8回見たほうがよほど面白いです。

【まとめ】

ちなみに原作はコチラのYOUTUBEにありますので、是非ゆっくりご鑑賞下さい。
「9 By Shane Acker」
もしこの短編に点数を付けるとしたら、これはもう90点代はかたいです。



なんでこんな大傑作が、あんなになってしまったんでしょう(涙)。
「作品は尺を増やしたり説明を増やせばいいってものでは無い」という良い例だと思います。

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アーサーと魔王マルタザールの逆襲

アーサーと魔王マルタザールの逆襲

2本目は

「アーサーと魔王マルタザールの逆襲」です。

評価:(10/100点) – 前編だって先に言ってよ、、、見ないからさ(苦笑)。


【あらすじ】

アーサーがミニモイの国を救って早1年が過ぎ、再び10番目の満月が迫っていた。その当日、アーサーの元にクモからメッセージ付の米粒が届けられる。そこには「HELP」とだけ掘られていた。果たして誰がメッセージを送ったのか? ミニモイの国の危機を感じたアーサーは、再びミニモイの国へと向かう。

【三幕構成】

第1幕 -> アーサーと両親とハチ。
 ※第1ターニングポイント -> アーサーがミニモイの国へ行く。
第2幕 -> ベタメッシュの救出とミニモイの国への旅。
 ※第2ターニングポイント -> ミニモイの国へ着く。
第3幕 -> マルタザール登場。


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【感想】

本日2本目は新宿ピカデリーで見ました、「アーサーと魔王マルタザールの逆襲」です。リュック・ベッソン監督の実写+CGアニメ「アーサー三部作」の2作目です。19:30からの回で見ましたが、観客は1桁。子供はゼロでした。あれ? 原作ってリュック・ベッソンが小学生向けに書いた児童書じゃなかったっけ???
結論を言いますと、、、なんか予告編をお金払って見に行った気分です(苦笑)。っていうか、前編ってどっかに書いとけって。
本作では風呂敷を広げるだけ広げてな~んにも回収されません。物語上でケリが着いたエピソードが1つもないんです。これって、そもそも映画作品として成立していないんですが、、、。
例えば3部作の先駆けとして「ゴッドファーザー」があります。あの映画は、Part1で「マイケル・コルレオーネ」がマフィアになるまでを描いており、そこには兄の悲劇だったり父の苦悩だったりが情緒たっぷりに表現されています。Part2ではマイケル・コルレオーネが遂に後を継ぎ、どんどんマフィア色に染まっていく過程が妻との距離感を使って語られていきます。それはマイケルの成長話であり、そして人間性の喪失でもあります。Part3では、完璧にマフィア思考に染まりきった非情なマイケルが、娘の悲劇を目の当たりにして遂に人間らしい悲痛な苦悩をさらけ出してしまう話です。これらは、全ての作品がそれぞれ独立してすばらしい出来であり(3は微妙ですがw)、それぞれがきちんと作品としてハイレベルで成立しています。
それはスターウォーズ新・旧3部作でもそうですし、ロード・オブ・ザ・リング3部作もそうです。3部作っていうのはあくまでも個々がきちんと独立していて、しかしそれらが大きなドラマの一部分であるという構造をしていないといけません。
ところが、本作は完全に「アーサーと魔王マルタザールの逆襲・前編」なんです。だって風呂敷を広げるだけ広げて、それをなんの解決もしないんです。だから「この映画ってどういう話?」と聞かれたら、答えは1つです。「3作目を作るお金を稼ぐために途中までで公開した作品。3作目が公開するときにDVD借りて見れば?」
以上です!!!!
公式サイトとかポスターに前編って書いとけよ、マジで。 「…to be continued.」ってなんだそれ?
あと、一応お約束ですが、またまた「芸能人吹き替え問題」の作品でもあります。IMALUとか、、、親の七光りだけで演技力の無い芸人なんて何で使うの? エンディングも勝手に変えるし、、、。余談ですが、「日本語版エンディング」で過去一番腹が立ったのは「007 ワールド・イズ・ノット・イナフ」です。ニルヴァーナのど真ん中世代の私は、当然ブッチ・ヴィグもチェックしていて、garbageもメチャクチャ好きだったんです。で、その大好きなgarbageが大好きな007の新作に抜擢されたと聞いて小躍りで劇場に行ったわけですよ。ところがエンドクレジットで流れてきたのはなぜか「Luna Sea」(苦笑)。超ズッコケました。
まぁ今思えば素人芸人じゃないだけマシだったのかも知れませんが(苦笑)。
ちなみに前作の「アーサーとミニモイの不思議な国」はその有名人テンコ盛りな声優が話題となりました。セレニア姫がマドンナ。魔王役でデヴィッド・ボウイ。そしてマックスにスヌープ・ドギー・ドッグ。王様がロバート・デ・ニーロ。
前作も吹き替えしか公開していなくて「ふざけんな」と思いましたが、今作では実は声優はスヌープ以外が降板してグレードダウンしています(笑)。そういった意味では前作よりは腹が立たないんですが、それでもセレニアにはマイリー・サイラスのライバルであるアイドル子役のセリーナ・ゴメスが起用されてるんですよ。字幕もやってくだいよ、本当。

【まとめ】

見る価値ないので、3作目が公開する来年春にDVD借りて見て下さい!!!



だってDVDなら字幕版もあるし、まとめて見れるし、言うこと無いですよ。なにが悲しくて映画館でIMALUを爆音で聞かなきゃいけないんだっていう、、、ね、、、。
ちなみに今日チラシをもらったんですが、「コララインとボタンの魔女」の字幕2D版を7月に公開するみたいですね。やはり字幕版の需要はあるってことですよ、配給会社の方々。だって、子供が一人も見てないような糞映画なんだから、字幕でいいじゃんか(苦笑)!字幕プリーズ!!!!
あと後編プリーズ!!!!
ま、後編が公開されたら行くんですけどね(苦笑)。

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スパイアニマル・Gフォース

スパイアニマル・Gフォース

本日も二本観てきました。一本目は

新作3D映画「スパイアニマル・Gフォース」です。

評価:(10/100点) – 「可愛いだけじゃダメかしら?」「はい。ダメです。」


【あらすじ】

FBIのベンは独自に動物をスパイ要員として育てるプロジェクトを立ち上げていた。しかし、FBI本部は研究費の削減を理由にプロジェクトの廃止を決定する。なんとか実績を上げてプロジェクト存続を狙うベンは、かねてよりFBIが目をつけていたセーバリング・テクノロジーのCEO・レオナルド=セーバー邸への潜入ミッションを計画する。実戦部隊は三匹のモルモットと一匹のモグラとハエ。こうしてGフォースの初ミッションが始まった。

【三幕構成】

第1幕 -> Gフォースの初ミッション。
 ※第1ターニングポイント -> Gフォースが研究室を追われる。
第2幕 -> ペットショップからの脱出。
 ※第2ターニングポイント -> ベンの元に合流する。
第3幕 -> セーバー邸への再突入。


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【感想】

本日の一本目は「スパイアニマル・Gフォース」です。本当はワーナー・マイカルMMのRealDで見るつもりだったのですが寝過ごしてしまいまして、ブルク13のXpanDで見ました。観客は圧倒的に子供連れが多く、入りは6割といったところでしょうか? そういえば、そろそろ春休みが始まってるんでしょうかね。子供が多かった割には本編上映中はおとなしかったので、子供達はきっと集中して楽しんでいたと思います。
しかしですね、、、本作を子供連れで見に行くのは正直どうなんでしょうか? その理由を述べたいと思います。

本作の立ち位置と難点

本作は人間の言葉が話せるモルモットが活躍する戦隊ヒーローものです。「モンスターズ・インク」と「ボルト」で完全に確立された「動物の毛並みの表現」をフルに使用したモルモットは本当に可愛いです。ラブリーです。そして敵は家電業界のトップ。世界滅亡を企むテロリストとしてFBIが数年来マークしていたそうで、そこにGフォースが突入します。話の構図の単純さやルックスを見るにつけ、完全に子供連れファミリーをターゲットにしています。子供向けの勢い重視の作品で脚本の穴を指摘するのはヤボだと思いますが、しかし本作を私は子供騙しの酷い駄作だと思います。
まず、話に一切驚きや興奮がありません。スパイの大味ヒーローものというと真っ先に「ミッション・インポッシブル」が浮かびますが、あの作品で描かれていたようなハラハラドキドキのシチュエーションが一切ありません。「ミッション・インポッシブル」も決して褒められた作品では無いですが、それでも一時的なサスペンス・シチュエーションだけは作っていました。そういったハラハラが無いので、そもそもGフォースの活躍が良く分からないという事態になっています。

本作の倫理的な問題点

次に、本作の抱える倫理的な問題です。私が見る限り、許し難い問題点が3点あります。
1点目は途中でダーウィンが自信を無くすシーンです。彼は自分が遺伝子操作をされておらず、普通のモルモットだということにショックを受けます。そして、そこから立ち直る理由が「僕はエリートだから」なんですね。はぁ!!!???? 挙げ句の果てには「僕はペットショップのモルモットとは違う。訓練を積んだスペシャルなモルモットだ!!」とか言い出すわけです。これって素直に「僕は努力をしたから出来るはずだ」って言わせれば済むことなんです。なんでそんな差別的な表現をするんでしょうか? しかも肝心の努力をするシーンが全然映らないものですから、まったくのお笑い草です。
2点目は、ハムスターとフェレットの合いの子を「合いの子だから(純血じゃないから)」という理由で主人公・ダーウィンがいじめる描写です。しかも謝らない。それどころか、その合いの子が実は嫌な奴だというエクスキューズまで後からつけるんです。合いの子をいじめるのはOKなの? 合いの子って根性ひねくれるものなの? それってナチスに通じる純血主義そのものですよ。他民族国家アメリカでは一番センシティブな話題のはずです。もしやアメリカでは、父親が黒人で母親が白人だといじめてOKみたいな裏ルールでもあるんでしょうか?
3点目は、勧善懲悪のフォーマットがボロボロだという点です。今回の黒幕は「両親を人間に殺された」恨みをはらすために人間を皆殺しにする計画を立てます。そして実際に実行に移すのですが、ダーウィンの説得にあっさり応じて計画を緊急停止します。そして罰として自分の作った兵器の後片付けを命じられます。
まず、この緊急停止までにかなり時間があるため、作品内の描写の威力であれば間違いなく何(百)人かは死んでます。人が死んでいるのに後片付け程度で済んで良いのかというのが引っかかります。さらに、そもそも根本的な問題である「黒幕の両親が人間に殺された件」が完全にスルーされています。それは落とし前つけないとダメじゃないですか? 殺した人間が謝るでも良いし、今後殺さないようなルールや工夫ができるでもいいし、何かしら回収するべきです。ものっすごい人命軽視です。

【まとめ】

本作は話が単調でつまらないという以上に、倫理的に問題がありすぎます。可愛ければ/格好良ければなんでもOKという酷いスタンスです。もしあなたが子供連れの親御さんだとして、子供にこういう思想を持って欲しいですか? 「いじめ上等。」「人間は見た目が全て。」「人を殺してもせいぜい数年刑務所に入るだけならいいじゃん。」等々。もしこれがOKということであれば、いますぐお子さんを連れて劇場に行きましょう!! オススメです!!!
本作のプロデューサーであるジェリー・ブラッカイマーの親はナチスから逃げてアメリカに来たユダヤ移民なんですが、本当にこれでいいんですかね? 「ブラックホーク・ダウン」でもソマリアの黒人をゾンビのように描いていましたし、ちょっとブラッカイマーはファミリー映画をやらせるには思想に問題がありすぎるように思えるんですが、、、。

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プリンセスと魔法のキス

プリンセスと魔法のキス

二本目は今日見た作品です。

「プリンセスと魔法のキス」

評価:(85/100点) – ディズニー・アニメ完全復活!!!


【あらすじ】

ニューオリンズで母親と住むティアナは、亡き父との夢であるレストランを持つために二つの仕事を掛け持ちしてお金を貯めていた。ある時ニューオリンズにマルドニアのナヴィーン王子がやってくるニュースが飛び交う。プリンセスになることを夢見るティアナの友人にして金持ちのシャーロットは、父に頼んで王子とのパーティーを計画する。そしてパーティーの夜、ティアナはシャーロットの部屋で一匹のカエルと出会う。カエルは自身をナヴィーン王子だと言い張り、魔法を解くためのキスの見返りに開業資金の提供を申し出る、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> ティアナの半生と夢。
 ※第1ターニングポイント -> ティアナがカエルになる。
第2幕 -> 人間に戻る方法探し。
 ※第2ターニングポイント -> ティアナ一行がニューオリンズに戻る。
第3幕 -> 解決編。


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【感想】

本日公開と同時に見て参りましたのは「プリンセスと魔法のキス」です。昨年「カールじいさんの空飛ぶ家」の時にも書きましたが、本作はジョン・ラセター体制になったディズニーの非3DCGの長編アニメーション第一作目です。「ボルト」でまだまだ実力があることを証明したディズニー・アニメーション部門が満を持して送る待望の「トラディッショナル・アニメ(=デジタル手塗り/非3DCG)」です。
監督はジョン・マスカーとロン・クレメンツで、80年代後半から90年代初頭のディズニー黄金期の終盤を担ったゴールデンコンビです。2004年に両名ともディズニーを辞めていましたが、ジョン・ラセターの依頼により復活しました。この配置を見ても、ラセターの「ディズニー黄金期復興計画」への想いが伺えます。
公開初日ですが私の見た箱では3割ぐらいの入りでした。子供連れも数組で、どちらかというと男・女問わず一人で見に来ている人が多かったように思います。

物語について

話のベースは劇中でも登場するグリム童話「かえるの王子様」です。ディズニーがかつて得意としていた「有名な童話をディズニー調に書き換えて家族向けのハートウォーム・テーマに噛み砕く」という手法を踏襲していまして、まさしくディズニー・クラシックスにふさわしい内容です。
物語の部分は文句のつけようがありません。ある種の”道徳的問題”を背負ったティアナとナヴィーンが一連のドタバタを通じて「本当の愛」に気がつき成長する普遍的ストーリーです。道徳的問題と書きましたが、ティアナは「働き過ぎ」、ナヴィーンは「女ったらし」というだけで、別にそんなに大問題ではありません。しかしそこはディズニー、「本当の愛」のためならそんな小さな人間的ほころびすら許しません(笑。とはいえこんな優等生的で正論すぎるテーマでも、押しつけがましくすることなく綺麗にストーリーの盛り上がりと併せて発信出来ています。その違和感の無さ(少なさ)がディズニーの特徴であり、そしてこの作品の脚本の巧さでもあります。
物語で言いますと、終盤にある悲劇的事件が起きます。これは過去のディズニー・アニメには無かった(※あったかも)シーンですが、これをエピローグで綺麗に回収して見せます。もしかしたら彼の夢も叶ったのかな、、、とか勝手な事を思えるシーンでして、私は完全に号泣モードでした。
一点気になることがあるとしたら、最後の最後の場面です。王子に起こったある事件は説明があって納得出来るのですが、でもその論法だとティアナに起こった事についてはまったく説明できないんです。なんか勢いで持って行かれますが、ちょっと引っかかりました。

「アナスタシア」について

実は本作を見ている最中に、ものすごい既視感を覚えていました。最後のエンドロールで気付いたんですが、原因は「アナスタシア」だったんです。
皆さん1997年公開の「アナスタシア」という劇場アニメをご存じでしょうか?アナスタシアは20世紀フォックスの作った長編アニメ第一号でして、80年代のディズニーアニメを支えたドン・ブルースとゲイリー・ゴールドマンがディズニーを辞めた後で制作しました。「アナスタシア」の名前は出しませんでしたが、「カールじいさんの空飛ぶ家」の時にちょろっと書いた作品です。
(※ カールじいさんの空飛ぶ家はこちら https://qbei-cinefun.com/up/)

この「アナスタシア」はメグ・ライアンが主役の声を当ててましたが、吹き替え版では本作と同じくミュージカル女優の鈴木ほのかさんが演じています。さらには敵役が優男の魔術師でして手下の影を使って主役を追い詰めます。この辺のディティールがそっくりなんです。これはパクリという意味ではなくて今回の作品がそれだけ「80年代ディズニー・クラシックス」のテイストを出せているということです。「アナスタシア」は完全にディズニーアニメのルックスでありながら(作ってるのがディズニーの人なので当然ですが)、ディズニーの枷をはずれたことで少し「怖い事」「酷い事」を描けていたのが画期的でした。本作はその「酷い事」の部分も上手に取り込んでいます。なので、必ずしも子供向けというわけでは無く、大人でも十分に楽しめる内容になっています。

数少ないノイズの部分

と、ここまで絶賛モードなんですが、どうかと思う部分が一点だけあります。それが「劇中内の日本語訳」です。私の気付いたところだと、「お父さんがイラストの上に書く”ティアナのレストラン”」「新聞の見出し”王子が来るよ”」「ティアナの店の看板」が、それぞれ日本語表記になったり英語表記になったりします。特に「ティアナのレストラン」は結構酷くて、同じシーンでもティアナが手に持ってる時は日本語で、額に入れた瞬間に英語になったりします。おそらくディズニーなりの「ローカライズ」なんだと思いますが、はっきり言ってズサンです。やるなら全部のシーンできっちり日本語表記にするべきだし、やらないなら他のアメリカ映画と同様に縦の字幕を出せば良いだけです。中途ハンパ過ぎてものすっごい気になりました。
見出しだけ日本語で本文が英語のニューオリンズ新聞ってどうなんでしょう?(苦笑

【まとめ】

最後にちょっとノイズ部分を書きましたが、作品全体ではとても素晴らしい出来です。なにせミュージカル・パートが楽しいですし、特にワニのルイスは最高です。ルイスのぬいぐるみがあれば欲しいですもの。そのためだけにディズニー・ストアに行くぐらいのテンションです(笑。
率直に言いまして、本作をもってディズニーアニメが完全復活をしたと思って間違いないと思います。
作品単体として見ても、そして歴史を目撃するという意味でも、間違いなくオススメの作品です!!!
ラセターはまだ53歳なので、あと20年はディズニーの第三黄金期が続くのでしょうか。いまからどんな傑作を量産してくれるのか楽しみで仕方がありません。

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コララインとボタンの魔女

コララインとボタンの魔女

「コララインとボタンの魔女」を観てみました。

評価:(95/100点) – ヘンリー・セリックの狂気の職人芸


【あらすじ】

コララインは両親と共にピンク・パレス・アパートに引っ越してきた。両親に構ってもらえないコララインは、居間に壁紙で隠された小さなドアを発見する。その夜、小さなトビネズミを追ってそのドアをくぐると、そこには現実とうり二つの世界が広がっていた。しかもそちらの世界の両親はとても優しくコララインをもてなしてくれる。もう一つの世界はまさしく夢のようだった。ただ一つ、彼らの目がボタンであることを除けば、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> コララインが引っ越してくる。アンバーとの出会い。
 ※第1ターニングポイント -> コララインがもう一つの世界に行く
第2幕 -> もう一つの世界での楽しみ。
 ※第2ターニングポイント ->コララインがボタンの魔女と賭けをする。
第3幕 -> 解決編。


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【感想】

遅ればせながら、本日はコララインとボタンの魔女を見てきました。監督はご存じ「ナイトメア・ビフォア・クリスマス」で有名なヘンリー・セリックです。ストップモーション・アニメ(=コマ撮りアニメ)の巨匠にして、ディズニーのファンタジアやバンビで有名なジュール・エンゲルの弟子筋に当たる御大です。
本作では「ナイトメア~」からさらに進化/深化した、狂気としか言いようのない程の精巧で緻密な人形コマ撮りを披露してくれます。そもそも、ストップモーション・アニメは一日気合いを入れてガッツリ撮影してようやく数秒の画が撮れるような世界です。
それをこの情報密度で100分間も突っ走るわけですから、もうただただ脱帽です。

物語の推進力

本作はそのストップモーションアニメの凄まじさもさることながら、それ以上に物語の語り口がとても良くできています。本作の様に登場人物が限られた作品の場合、もっとも難しいのは観客の興味を引っ張りながら物語の推進力を得ることです。そこで本作の場合には徹底してコララインを追い詰めていくことで実に上手く物語を進めていきます。
例えば序盤、コララインは両親から冷たく扱われることへの現実逃避としてもう一つの世界へ行きます。次はもう一つの世界で起こるある恐怖から逃げるために奔走します。あまり書くとネタバレになってしまいますが、さらに追加で2つの事件がコララインを襲います。要は映画100分間の内ほとんどで彼女は何かから逃げたり何かをやらざるを得ない状況に追い込まれています。それによって、観客も高いテンションを常に維持しながら画面に引き込まれ続けます。まったく気が休まるときがないですし、画面の情報量も物語の盛り上がりに比例してドンドン上がっていきます。

テーマ

さらに本作が圧倒的なのは、ホラー風味でかつ驚異的なルックスでありながらもテーマがとてもオーソドックスな教訓話だということです。「うまい話には罠がある」「家族は大切に」「変わり者のご近所さんでも実は良い人かも」。こんなに道徳的な話をこんなに怖く描ける人もそうそういないと思います。

【まとめ】

物語、画面構成、演出、全てが超一流レベルでまとまったとんでもない傑作です。アメリカで大ヒットした話は聞いていましたが、正直なところここまでは期待していませんでした。今年はのっけから高レベルな作品が目白押しでうれしい限りです。もし、子供向けアニメーションだと思って敬遠している方は、騙されたと思って是非見に行ってください。圧倒的な映像体験を確約します。
またストップモーションアニメと3D上映の親和性の高さも良く表れていました。ボタンの魔女が迫ってくる場面は本気で怖かったですし、なんか夢に出てきそうです。
もしかしたら早くも今年一番の作品かもと思いつつ、絶対にオススメな作品です!!!
一応最後に触れなければいけない点がありまして、それはGAGAで良くある吹き替え問題です。なにせオリジナルは天才・ダコタ・ファニングですよ。戸田恵子さんはまったく問題無いですが、やはり榮倉奈々と劇団ひとりをメイン級で使うのはどうかと思います。芸能人枠なら脇役でやってくださいよ、本当。でもそのノイズを差し引いても素晴らしい大傑作なのは間違いありません。

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パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々

パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々

今日はレイトショーで「パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々」を観てみました。

評価:(60/100点) – ハリー・ポッターの後継狙いとしてはそこそこ。


【あらすじ】

神の世界である日ゼウスの稲妻が盗まれてしまう。ゼウスは初め兄のポセイドンを疑うが、彼が潔白を証言するやいなやポセイドンの息子に疑いを向ける。一方その頃、高校生のパーシー・ジャクソンは授業で訪れた博物館で魔物に襲われてしまう。ケイロン先生の力で魔物を何とか追い払うが、危機を感じたパーシーは親友のグローバーと母親と共にキャンプ・ハーフブラッドを目指して逃走する。しかし目前で母親をミノタウロスに攫われてしまう。パーシーはキャンプ・ハーフブラッドで自身の血筋を聞かされ、仲間と共に母親を救出する旅に出かける、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> ゼウスとポセイドン。またはパーシーが襲われ逃げる。
 ※第1ターニングポイント -> パーシーとグローバーとアナベスが旅に出る。
第2幕 -> ハデスを目指す旅。そしてハデスとの邂逅。
 ※第2ターニングポイント ->冥界から脱出する。
第3幕 -> 最後の対決とオリンポス訪問。


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【感想】

さて、本日は「パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々」です。監督は少年向け冒険ファンタジーの脚本を多数手がけるクリス・コロンバスです。どちらかというとホーム・アローンやハリー・ポッター初期2作の監督といった方が通りがよいかも知れません。
会社こそ違いますが、ワーナーのハリー・ポッター・シリーズが残すところ1冊分(=前後編で映画二本)で終了することを見越して、後継のシリーズを狙ってきたという趣旨がヒシヒシと伝わってくる作品です。原作の児童書はハリー・ポッターに負けず劣らずアメリカで大人気ですし、素材としてはこれ以上ないほど適しています。

物語の大筋とキャラクター

物語部分は非常にシンプルでありがちなストーリーです。主人公が実はものすごい力を隠し持っていて、それを突如開花させ大活躍する話です。まるでRPGゲームのようなベタさです。主人公はキャラが薄くて「正義感がある真面目な子」という以外の背景はまったく描かれませんし、仲間のアナベスとグローバーに至ってはただの賑やかしです。
しかし、展開のつけ方やちょっとした神話の引用など子供心をくすぐるポイントはきっちり押さえています。中二病を上手くくすぐる絶妙な湯加減で、見終わってからギリシャ神話を読み直したくなってしまいました。

展開の無茶さ

とはいえ、展開はかなり強引かつ行き当たりばったりです。一番気になるのは本作のタイトルにもなっている稲妻泥棒の件です。気付いたら勝手に解決しているというか、答えが勝手にこっちに向かってきてくれて、ご都合主義なんて言葉では言い表せないほどです。そもそも主人公が気付かないのが変ですし、犯人の計画も無理がありすぎます。主人公が無事にハデスの元に着く確率は相当低いはずなのに、それを見越して計画を建てていないと本作は成立しません。
また、犯人の人間描写もイマイチ稀薄です。「例のアレな感じの人」みたいな「雰囲気のみで構成されたキャラクター」になってしまっています。記号的といいますか、「みんなこんな感じのキャラ見たことあるでしょ?それ。そのイメージで。」という適当な描写が目立ちます。
とはいえ、児童書が原作で小中学生をターゲットにしている割には整理はされていますし、そこそこの佳作だと思います。

【まとめ】

本作は決して高いレベルのハリウッドエンタメではないですが、ハリー・ポッターの後継としては十分通用するレベルだと思います。何より徹底したキャラの記号化によって抽象度が上がっていますから、観客各自が好きなように移入することが出来ます。裏を返せばそこまでキャラに惹かれるものが無いとも言えますが、まぁまぁありかなと思います。
子供向けのエンターテインメント映画としてなら十分に及第点のオススメ作品です。。

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Dr.パルナサスの鏡

Dr.パルナサスの鏡

本日は二本見てきました。一本目は

Dr.パルナサスの鏡」です。

評価:(80/100点) – これぞカルト映画の神髄。安心のテリー・ギリアム印。


【あらすじ】

パルナサスは数世紀前に悪魔・Mr.ニックと賭けをして永遠の命を手に入れた。しかし永遠の命は彼に生きることのつらさを思い知らせることとなる。そんな中、パルナサスは街で見かけた女性に恋をする。しかし彼は1000歳を越える年寄りで寄る辺もない。そこでMr.ニックはパルナサスに若さと彼女の愛を与えることにする。その代償は生まれてくる2人の子供が16歳になった時、ニックに引き渡すことであった、、、。


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【感想】

カルト映画好きならばニヤニヤが止まらない、傑作と呼ぶにふさわしい内容の作品でした。
話の内容は至ってシンプルで、「パルナサス老人が悪魔と勝負をして娘を助ける話」です。「96時間」などと同じプロットです。ただしそこはテリー・ギリアム。老いてなお手練れというか、この人は本当に変な映画を撮らせると天下一品です(笑)。
特に今回の「鏡の中には入場者の理想・妄想の世界が広がっている」「入場者は最後に2択を迫られ、正解を選べば現実に戻れるが不正解だと悪魔の手に落ちる」というこれ以上ないほどシンプルで意地悪な気色悪いゲームの設定は素晴らしいです。シンプルなストーリーも、このギリアム特有の「歪んだ世界」とヒース・レジャーの「胡散臭さ」が見事にトッピングされ、これ以上ないほど魅力的で気持ち悪い(←褒め言葉)ストーリーへと変身します。ごちゃごっちゃいうのも野暮なほど魅力あふれる役者達。そして微妙に薄暗くフィルムグレインのたっぷり乗った画面構成。少ない登場人物で物語の推進力を高める展開の旨さ。何処にも文句の付け所がありません。
強いて言うべきことがあるとするならば、ショウゲートの予告編は嘘ばっかってことです(笑)(Youtube)。
そりゃこんなカルトな映画に若い女性を一杯入れようと思ったらイケメン俳優で釣るしかないんですが、にしても酷い。少なくともヒース・レジャーはメインじゃないし、娘を救い出すために鏡に入るわけではありません。すごい意図的なミスリードです。どちらかというと、TOHOシネマズで流れるジョニーデップとおばちゃんが変なタンゴに乗せて踊る映像が一番内容に即してます(笑)。
是非劇場で見て欲しい作品ではあるんですが決して万人にはお勧めしません(笑)。特にジョニー・デップ狙いの女性には「そんなんじゃないよ!」と警告しつつ、しかし確実に、何があろうと、鉄板でオススメです!!!

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レイトン教授と永遠の歌姫

レイトン教授と永遠の歌姫

久々の映画は「レイトン教授と永遠の歌姫」です。

評価:(20/100点) – 子供騙しなのに劇場に子供がいないっていう、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> レイトン教授とルーク少年の日常、またはジェニスから手紙が届く。
 ※第1ターニングポイント -> クラウン・ペトーネ劇場でゲームが始まる
第2幕 -> 永遠の命を巡るゲーム大会
 ※第2ターニングポイント -> レイトン教授が別行動を取る
第3幕 -> デスコールとの対決とアンブロシア王国の復活


【あらすじ】

ある日大学教授のレイトンはかつての教え子にしてオペラ歌手のジェニスから一通の手紙を受け取る。その手紙は一年前に死んだ友人のミリーナが子供の姿でよみがえったという相談であった。レイトンと助手のルーク少年はジェニスに会うためにクラウン・ペトーネ劇場のオペラへと出かけていった。しかしオペラ終了後、劇場では「勝者は永遠の命を手に入れ、敗者は命を奪われる」というゼロサムゲームが始まってしまった、、、。


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【感想】

はじめに

まず言い訳からはじめさせてくださいw
というのも正直な話、別にこの映画見る気が無かったんです。たまたまアバターまで時間が空いちゃいまして、せっかくだからとスケジュール見てたらたまたま都合の良い時間だったと、、、それだけのことです。このシリーズのゲームはやったことがありませんし、事前知識は劇場のパンフレットが全てです。ファンの方には大変申し訳ありませんが、あくまでも門外漢がパッと見たらイマイチだったと、、、その程度に捉えてください。

大枠について

冒頭でいきなり手厳しいことを書きますが、要はよくある子供騙しの冬休み映画です。なのに大きなお友達しかいないていう、、、マーケティング的には大丈夫なんでしょうか?
「英国紳士」が口癖で謎解きが大好き、シルクハットにスーツで助手を連れていてちょいニヒルというキャラターは、そのまんまシャーロック・ホームズで良いと思います。子供の助手を連れているという意味では、それこそ大正・昭和初期の少年探偵団とか明智小五郎シリーズに通じる子供向け探偵物のお約束です。そしておとぎ話に出てくる「不老不死の薬をもった伝説の国」を巡るアドベンチャーと”どうかと思うほど適当な”ナゾナゾの数々。ライバルとして出てくるデスコールの仮面舞踏会的な格好(=セーラームーンのタキシード仮面に通じるセンス)。レイトンの助手一号のレミ女史が格闘が出来るという、コナンの毛利蘭以来のお約束。かように画面内の全ての要素がどこかで見たことがあるお約束で占められています。別にパクリとかパロディとか言うつもりはありませんで、要は大人が企画会議を繰り返して出てくる「子供が喜ぶ要素の集合知」ということです。そういった意味ではよくぞここまで突っ込んだという「強引なコラージュ感」が結構面白かったりします。
ただですね、、、劇場に子供がいないんですよ。日曜の昼間でしかも冬休みなんて一番子供連れが入りそうじゃないですか?どっか連れてくのも面倒になったお父さんが近場の映画館で子供と見るにはなかなかの作品だと思います。もしかして皆さん「カールじいさん~」や「ウルトラ~」に行っちゃってるんでしょうか?
実際にこの手の映画を見る場合は子供が劇場内に居るのってかなり重要なんです。子供が驚いたり喜んだりするのを見てこちらも納得したり、そういうポイントが分かるのって子供向け映画を劇場で見る醍醐味だったりします。でも居ない、、、本当に大きなお友達ばっかりなんです。ばっかりっていっても150人のキャパで観客10人ぐらいでしたので、もうみんな見ちゃったのかも知れません。そんな中ですと、ただただショボくて飽きてきてしまってポップコーンを食べる手が倍速になってしまいますw
たぶんアイデアは悪く無いと思います。少なくともゼロサムゲームをきっちり描いてくれれば、それこそ「KR-13」的なソリッド・シチュエーション・スリラーとしてカルトな人気が出たかも知れません。でも、やっぱり子供向けなので、人は死にませんし、別にどうと言うことはありません。特に、チェルミー警部がサメだらけの海の中を泳いで逃げるシーンのコミカルさを考えると、たぶんこの世界では車にひかれても「ペチャンコになってヘナヘナヘナ」みたいな描写で終わったり、大爆発に巻き込まれても「頭がアフロになって顔がすすける」程度のレベルで済んでしまうと思います。それが冒頭で分かってしまうので、後半に小型ヘリでレイトンが巨大ロボットに立ち向かうシーンも別にハラハラドキドキ出来ません。「どうせ墜落したって死なないでしょ」って思ってしまうんです。その辺の「世間スレした感性(笑)」を持っている人はたぶんこの映画には向いていません。あくまでも子供が見たときに「格好良い~」「イェ~イ!!!」みたいなテンションになるように画面・物語が設計されていますから。

「子供向け」と「子供騙し」

非常にデリケートな話題なのですが、「子供向け」と「子供騙し」には明らかに乖離があります。「子供向け」というのはあくまでも子供の感性や子供の知識力の中でエンターテインメイントを成立させているものへの呼称で、「子供騙し」は明らかに子供を侮って手を抜いている場合の呼称です。そういった意味で本作は残念ですが子供騙しになってしまっています。
子供が好きな要素を詰め込むのは良いのですが、それが非常に恣意的なせいでちょっと舐められてる感じがしてしまいます。作り手側が子供の目線まで降りておらず、すっごい上の方の大人目線で「こんなもんでしょ」って放り出されているような感覚です。その一番の理由は序盤の謎解きゲームに対する不誠実さです。
序盤の謎解きゲームは観客も一緒に頭を使って考えられないと意味が無いのですが、観客への情報提供が不十分なために成立していません。本来ならこちら(子供の観客)が考えてギリギリ分からないナゾナゾを解いてこそ「レイトン教授は分かるんだスゴ~い!」となるわけです。ところがナゾナゾを解くための材料が提示されないために、画面内で後出しじゃんけんをしているようにしか見えずに他人事になってしまいます。これだとレイトンの凄さが伝わりませんので、必然的にルークへの感情移入も出来ません。
物語の根幹は非常にハードコアなサイコ・スリラーなのに、あまりにも子供騙し要素を詰め込みすぎて、ただショボくなってしまっています。大変もったいないです。

【まとめ】

ただただ惜しいです。下手なファンタジー要素や子供狙いを詰め込まずに、「マッドサイエンティストvs大学教授のアドベンチャー」にテーマを絞ればとっても面白かったはずです。だって話のプロット自体は「インディ・ジョーンズの新作ですw」って言われても何の違和感もないほど良いんです。しかもどうせ子供が見に来てないんですから(←失礼)これは本当にもったいない話です。是非、デスコール関連をばっさりカットして実写リメイクして欲しいですね。船の中だけで完結すれば良いんですよ。
一週間の船旅でゼロサムゲームをやって勝者には永遠の命を授ける。最初は派閥に分かれる参加者だったが、裏切り者が仲間を罠にはめたことで疑心暗鬼になっていく。極限状態の中でついには殺人事件が起きてしまう。レイトン教授と助手のルークは一癖も二癖もある参加者たちから犯人を捜すことは出来るのか?そもそも不老不死の秘薬は存在するのか?そして主催者の意図は?なぜ死んだはずのミリーナがよみがえったのか?、、、、レイトン教授は生き残ることが出来るのか?
これで良いと思うんですけど、、、。
実写化のあかつきには、是非、井口昇監督でお願いします!!!そしたら間違いなく初日に見に行きますよ。シアターNかシネパトスの単館上映でしょうけどw

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