イングロリアス・バスターズ

イングロリアス・バスターズ

イングロリアス・バスターズ」に行って参りました。

評価:(90/100点) – タランティーノの中二病が上手く出ました


【あらすじ】

第二次世界大戦時ナチス占領下のフランスにてユダヤ人のショシャナは”ユダヤ・ハンター”ランダ大佐に家族を殺され命からがら逃げ出した。その後、彼女はミミューと名乗り映画館の経営者として生活していた。一方、アメリカ軍のアルド・”アパッチ”・レイン中尉は特殊部隊”バスターズ”を率いてナチス狩りを行っていた。
ある日ナチスSSの英雄・フレデリック一等兵はミミューの気をひこうと彼女の映画館で主演映画のプレミア上映を行う事を企画する。それを聞きつけたアメリカOSS(戦略諜報局)はバスターズを送り込むことを決定した、、、。


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【感想】

今年は本当に(映画秘宝的な意味で)巨匠監督の新作が目白押しです。ジム・ジャームッシュ、サム・ライミと来て、ついにクエンティン・タランティーノの登場です。まさに真打ち。そして一番頭が悪い(笑)。もちろん褒め言葉ですよ。すばらしいです。

■ストーリーについて

頭が悪いと書きましたが、本作は非常に巧みな構成でストーリーが進んでいきます。本作は「キル・ビル」と同様に一章あたり約30分程度の全5章構成となっており、それぞれ下のようになっています。

  • 第一章 その昔…ナチ占領下のフランスで (Once upon a time in Nazi-occupied France)
  • 第二章 名誉なき野郎ども (INGLOURIOUS BASTERDS)
  • 第三章 パリにおけるドイツの宵 (GERMAN NIGHT IN PARIS)
  • 第四章 映画館作戦 (OPERATION KINO)
  • 最終章 ジャイアント・フェイスの逆襲 (REVENGE OF THE GIANT FACE)

そして第二章~第四章のそれぞれに独立した「主役級」がおり、それが最終章で見事に集結して事件が起きます。この章立てが少々ぎこちなく見えるのは確かですが、それが最終章で収束する時のカタルシスは爽快です。
またポスターや宣伝ではブラッド・ピット扮するアルド・レインが前面に出ていますが、本作のメインはショシャナです。そして今回もタランティーノが大好きな東映ヤクザ映画の基本プロットである「酷い目にあった女性がいろいろあって復讐する」というフォーマットに忠実です。しかしそれだけに留まらず、コラージュのように多くの映画からテイストを持ってきてごった煮になっています。はっきりとは解りませんが、おそらくタランティーノ監督の発想はこうです。


 「ナチスって最低だよね。ボコボコにしようぜ!
 そういや映画を洗脳につかったゲッペルスとかムカツクな~。
 そうだ!映画館でぶっ殺せば面白くね!?
 しかも映画フィルムでぶっ殺せばトンチが効いてていいじゃん!」


すごい中二病(笑)。でも最高です!

■タランティーノ流の悪ふざけ

“ユダヤの熊”ドニーが洞穴から出てくる場面ですとか所々に悪ふざけが満載でとても楽しめます。また、新しくキャラクターが出るときにフラッシュバックのように割り込むショート・シーンの酷さ(←褒め言葉)であったり、多用される長回しであったり、巧みな面も随所に見せます。タランティーノのよく使うストーリーと関係のない長い無駄話も健在です。もちろん軽めのゴア描写も忘れません。
しかし一方で、とても”普通”なハリウッド・エンタメ映画としても通用しています。いわゆる”秘宝ファン”の映画フリーク以外でも、それこそキネ旬しか読まないような人でも全然問題無いと思います。

【まとめ】

本作は、タランティーノの集大成的な作品でありながら、彼には珍しくこぢんまりとまとまった良作です。ですので、タランティーノの熱狂的なファンにはちょっと物足りなく感じます。でも、あんまり酷い作品(←褒め言葉)ばっかり作ってて干されても困るので(笑)、これはこれで良いのではないでしょうか。十分面白いですよ。エンニオ・モリコーネやヤクザ物の音楽が流れる度にニヤニヤできます。
最後に、映画を見る人には常識中の常識ですが、タランティーノは悪趣味で中二病で足フェチのアホです(←褒め言葉)。今回もちょっとではありますが、ついうっかり脳味噌が出たり、ついうっかり顔が蜂の巣になって崩れたり、ついうっかり足を変態的になで回したりしてしまいます(笑)。CMを見て爽快戦争活劇だと勘違いして、デートに使うのは絶対やめましょう。
私の隣で見ていたティーンの女性は、ドニーがドイツ兵を撲殺するシーンから100分近く顔を押さえてうつむいてました(笑)。絶対あとで彼氏がグチられてると思います。
タランティーノの作品は、一人でいそいそと見に行って忍び笑いするのが、オススメです。

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なくもんか

なくもんか

「なくもんか」を玉砕覚悟で見てみました。

評価:(25/100点) – うすら寒いッス。


【あらすじ】


下井草祐太は幼い頃母親と別れ、さらに父親に逃げられてハムカツ屋「山ちゃん」で育てられる。その生い立ちから心を閉ざし誰にでも笑顔を振りまきながら、無類のお人好しとして善人通り商店街の名物となっていく。父親代わりの山岸正徳から「山ちゃん」を継いだ祐太は、山岸の娘・徹子と結婚するも、戸籍謄本で生き別れの弟・祐介の存在を知ることになる、、、。

【三幕構成】


第1幕 -> 祐太の生い立ち
 ※第1ターニングポイント -> 山ちゃんに徹子が帰ってくる
第2幕 -> 祐太と徹子の日常と、弟の発見
 ※第2ターニングポイント -> 父親が祐介の前に現れる
第3幕 -> 祐太と祐介の関係修復と沖縄


【感想】


「舞妓Haaaaan!!!」「少年メリケンサック」「カムイ外伝」と宮藤官九郎とは相性が悪い(笑)私ですが、本作も見事に撃沈しました。とにかく作品全体に流れるうすら寒いギャグと、これでもかと言うほど畳みかけてくる内容の伴わないお涙頂戴に、130分間ずっと心の中で舌打ちが止まりませんでした(笑)。

■ 宮藤官九郎のギャグ

私、ブッチャーブラザーズは大好きです。学生の頃「ゲームWAVE」でぶっちゃあさんが出てる回は全部見てましたし、伊集院光の深夜の馬鹿力でフィーチャーされるたびに録音していました。でも、、、でもですね、、、本作のコント・シーンはひどすぎます。
本作は「笑う警官」の角川春樹のように、宮藤官九郎の「僕ってインテリでしょ。オサレでしょ。」というオーラが節々に出てきます。水田監督・宮藤脚本・阿部主演といえば「舞妓Haaaaan!!!」が思い浮かびますが、あの作品も肝心の舞妓修行の動機等がロクに描かれずにテキトーなギャグが散りばめられた酷いものでした。随所で言われているように、宮藤脚本の特徴はこの畳みかける小ネタギャグにあります。
本作で最もどうかと思うのは、劇中に出てくる「売れっ子お笑い芸人の弟」がまったく面白くないことです。画面内では爆笑されてモテモテなのに実際には全然面白くないため、猛烈な乖離感に襲われます。僕の笑いのセンスが悪いんでしょうか?でも劇場内でもまったく笑い声が起きていなかったので、客観的にもスベってると思います。この「宮藤ノリ」という猛烈なアクに乗れるかどうかが本作の全てと言って良いと思います。
クライマックスのコント・シーンなんて、最も安直な笑いである「下ネタ」ですよ?もはやストーリーテリングを放棄しているとしか思えません。カタルシスが起こるわけ無いじゃないですか。

■ ストーリーについて

ストーリーは安直で捻りが無く、よく言えば王道であり悪くいえば平板で退屈です。本作の中心になっているのは「親と子/兄弟のかたち」です。本作にはいろいろな家族関係が出てきます。父子関係で「健太と祐太(バカ親父と捨てられた子)」「山ちゃんと祐太(育ての親)」「祐太と徹子の連れ子」「大臣と認知した子」の4パターン、兄弟では「祐太と祐介(実の兄弟)」「祐介と大介(仕事上の兄弟)」と2パターン、描こうと思えばいくらでも展開できる材料はそろっています。しかし「真の家族とは?」とか「家族の形って?」みたいな所まではテーマが及びません。ただ単に連れ子が祐太を受け入れて大団円になってしまいます。残念ですが、本作の兄弟関係・親子関係は状況のハードさとは裏腹に大変浅薄に描かれてしまいます。

【まとめ】


見ている最中にいろいろと映画について考えさせられました。宮藤さんはおそらく舞台演劇ではすばらしい評価を得ているのでしょうが、やはり映画には向いていません。くだらない小ネタを重ねても、暗い中でスクリーンに集中している映画観客はあんまり笑えません。それよりは脚本でのテーマ設定だったり時間配分だったり、そういった所をもう少し丁寧にやっていただかないとやっぱり駄目映画なんです。
家族や親子関係についての映画であれば、今年「湖のほとりで」というすばらしい映画がありました。まだ掛かっている映画館もありますので、「なくもんか」よりも「湖のほとりで」をオススメします!
二時間見るには正直に厳しい内容でした。徹子が祐介に「おまえがそこまで言う笑いを見せてみろ」と詰め寄る場面がありますが、私も宮藤さんにそっくりそのまま伝えたいです。
「くだらない小ネタはいらないから、あなたが本当に面白いと思う全力の笑いを見せてくれ!」

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僕らのワンダフルデイズ

僕らのワンダフルデイズ

「僕らのワンダフルデイズ」を見てきました。
評価:(50/100点) – どこを切っても竹中直人


<あらすじ>
胆石で入院していた藤岡徹は、ある日リハビリ中に主治医が「末期の胆のうガン。もって半年」と言うのを聞いてしまう。生きる気力を失った藤岡だが、息子の学園祭でバンド演奏を目撃し自身の学生バンド時代を思い起こす。彼は人生の最後にバンドを再結成することを決意する、、、。
<三幕構成>
第1幕 -> 藤岡が自身を末期の胆嚢ガンと思い気力をなくす。
 ※第1ターニングポイント -> 息子の学園祭でバンド演奏を目撃する。
第2幕 -> シーラカンズの再結成と練習風景
 ※第2ターニングポイント -> 練習後に山本が倒れる。
第3幕 -> 演奏会とエンディング


<感想>
本作は竹中直人が主演する他の映画と同じくどこを切っても竹中直人です。シリアスな話の内容とは裏腹に、彼の「面白い」「いつもどおりの」「ふざけた」演技が炸裂します。本作の評価は彼の演技を「うざい」「しつこい」「くどい」と感じるかどうかが全てといっても過言ではありません。
前半の気力を無くした藤岡と、バンド結成後に命を燃やし尽くそうとする藤岡を、竹中直人は非常に上手く表現します。彼が心の中の絶望をまったく表に出さずにハジけまくる様子は、竹中のオーバーリアクションと相まって悲痛な中にもすがすがしさすら感じます。お涙頂戴は前半も前半のみで、中盤からは仕事や私生活の悩みに翻弄されながらも趣味に打ち込む中年の青春活動を描きます。決して巧みなエンターテインメント映画ではないですが、かなり丁寧に作られている良作だと思います。
惜しむらくは、クライマックスであるバンド演奏会が終わった後の「後日談」が長すぎるため、見終わった後の「竹中直人がくどい」という印象を加速してしまっている点です。演奏会のバンド演奏をバックにエンドクレジットが出るか、せめて結婚式の演奏開始と同時にエンドロールでも良かったのではないでしょうか?10分は「後日談」としては間延びしすぎです。
またこの手の音楽物で一番難しい「音楽の説得力」の部分ですが、私はかなり良かったと思います。さすが奥田民生監修と言いましょうか、良い意味で素人バンド感がでていました。素人のわりに観客を煽りすぎではありますが、そこは竹中直人なので、、、諦めましょう(笑)。
<まとめ>
不覚にも、私は前半で一回泣きました。まさか竹中直人に泣かされる日が来るとは思わなかったです。本作は決して大絶賛できる内容ではありません。脚本もわりと雑ですし、観客の予想を超える展開はありません。でも安心して楽しめる良作だと思います。前売り券も安いですし、もし時間がある方は行ってみてください。なかなか良い2時間を過ごせると思います。オススメです。

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スペル( 2回目鑑賞 )

スペル( 2回目鑑賞 )

を持して「スペル」を見てきました。TIFFについで二回目です。公開したらネタバレありで書きたいこと全部書こうと思ってメモとってたのですが、パンフレットを買ったら高橋諭治さんがほとんど書いちゃってました。
なので、それ以外のことを書いてみようかと思います。ちょっと悔しい(笑)
あらすじとかその辺の基本的な事はコチラを見てください。


【感想補足】

■ 非常に「道徳的な話」
間違いなく主人公のクリスティンは超常識人です。すごい良い子。どんなにテンパってても(猫以外の)無実の他人は自分から巻き込みません。すばらしいです。ホラークイーンにあるまじき(笑)優等生です。

■ 直接的な表現を極力控えている
これはサム・ライミ自身も清水崇さんと中田秀夫さんからの影響と語っていますが、直接表現が殆どありません。例えば変な黄色いゼリーや泥を効果的に使って、グロいものを映すことを避けています。
既に見た方はお気づきかと思いますが、ラストのあるシーンでクリスティンが泥水の中に沈むシーンがあります。そこから出てくるときの演出も素晴らしいのですが、それ以上にすごいのは泥の質感です。サラッとしつつも顔に薄く土が張り付く感じは、完全に血の描写方法です。ここは本来であれば血の海に沈む描写のはずなんです。でも、それをやらずに泥水でやってるところが中途半端ながらJホラーイズムみたいなものを感じてすごく好感が持てました。

■ そもそもギャガの宣伝がおかしい。
言葉通りです。宣伝が明らかにおかしい。特に宣伝映像は方向性がおかしいです。この物語は単にババァに逆ギレされて不条理にも呪いをかけられたOLが右往左往する話ではありません。もっというと、「逆ギレされた」と解釈してしまっては話を根本から誤読してしまいます。
作品中で何度も出てくるとおり、クリスティンは「自らの意志」で「出世のために」ババァのローン延長要請を断ったんです。そしてそれがもっとも重要です。この物語の原型は「因果応報の話」です。すなわち、クリスティンが自らの出世のためにババァの生活を壊してしまったことの報いを受ける話なんです。ただし「クリスティンがやったこと」と「クリスティンがやられること」のギャップが凄まじすぎるが故にギャグっぽくもなるし道徳的にもなるということです。
皆さんは子供の頃に「指切りげんまん、嘘付いたら針千本飲~ます。指切った。」ってやりませんでした?あれと一緒です。この場合「嘘をつくこと」と「一万回げんこつで殴られる」&「針を千本飲む」というのがトレードオフになっています。普通それは釣り合いがとれないので「嘘をつくの辞めよう」となるわけです。これが道徳です。本作は「ちょっと悪い事をしただけでも、こんなに酷い目に会うんだからやっちゃ駄目だよ」というのを物凄いスケールでやってるという訳です。なんせ命がけ+地獄でずっと拷問ですから。しかもクリスティンは完全に反省してるんですよ。それでもやっちゃった以上は報いを受けるんです。
だから「逆ギレ」「不条理」という風に捉えるとこの道徳教育が成立しなくなってしまいます。クリスティンはあくまでも自分がやった事の責任を取ってるわけで、意味もなく巻き込まれたのではありません。ギャガの宣伝映像を企画した方はこの一番大事なテーマを見落としたみたいです。

とりあえず以上の三点ぐらいでしょうか。あとちょっと気になったのは、上映中にあんまり笑い声が無かったことです。TIFFの時はみんな爆笑してたんですけど、やはり「映画は静かに見る」というマナーが良く行き届いてるんでしょうか?「映画は静かに」っていうのは「知人と雑談するな」っていう意味であって、クスクスしたりはOKですよ。特にホラー映画は隣の人がビクつと飛び起きたり目を覆ったり、ちょっと笑ったりしてるのが雰囲気作りに役立ちますから。TIFFで笑いが起こってたのは、外人がいっぱいいてちょっとぐらい騒いでも良い雰囲気があったのが要因かも知れません。

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ファイナル・デッドサーキット3D

ファイナル・デッドサーキット3D

二本目は「ファイナル・デッドサーキット3D」です。
なんか今週はホラーばっかり見てる気がします。
評価:(40/100点) – 3Dの嫌な使い方と吹き替え問題


<あらすじ>
ニックは友人とカーレースを観戦していたが、突然事故の予知夢を見てその場を立ち去る。するとサーキットで予知夢通りの大事故が起き、多くの死者がでてしまう。しかし助かった人間達にも死の運命が襲いかかってきた。
<三幕構成>
第1幕 -> サーキット場の大惨事
 ※第1ターニングポイント -> カーター・ダニエルズが事故死する。
第2幕 -> 次々に人が死んでいく
 ※第2ターニングポイント -> ジャネットが助かる
第3幕 -> 映画館での大惨事と終幕


<感想>
本作は「ファイナル・デスティネーション」シリーズの四作目です。このシリーズは全体のプロットはまったく同じです。冒頭に大事故が起きて数人が助かりますが、彼らには「死ぬ運命」がついていて、結局何らかの事故で死んでしまいます。ドラマも大してありません。言うなれば、「いかに細かい出来事を連鎖させて(面白く)人を事故死させるか」という部分を徹底的に研究している非常にストイックなブラックコメディです。
さて、このブラックコメディは1996年にテクモから発売された「刻命館」というゲームのシリーズに影響を受けています。このゲームは「罠ゲー」と呼ばれる独自性の強いホラーゲームで、主人公の館に侵入してくる敵を罠に仕掛けて次々にハメ殺していくという凄い内容のものです。このゲームはホラーとコメディを非常に上手いさじ加減で融合させて大人気になりました。「床の油で滑ったら、柱に頭をぶつけて階段を転げ落ちたあげく、暖炉に突っ込んで服に火がついた直後に、天井からシャンデリアが落ちてきた。」というように「泣きっ面に蜂」を大げさに重ねることで他人の不幸を笑おうという趣旨の嫌~な感じで楽しむゲームです。
このファイナル・デスティネーションシリーズの趣旨も全く同じで、細かい偶然がどんどん連鎖していくことで、しまいには人間が死んでしまいます。そして連鎖から死に至るまでのクリエイティビティが余りに高いために、一種の芸術性すら帯びている変テコなシリーズです。超ブラック。そして超悪趣味。でもちょっと面白い。ホラーと呼んでいいのかすらよく分からない、「珍しい生活事故のアイデア集」です。
さて、本作「ファイナル・デッドサーキット 3D」ですが、シリーズ初の3Dということで、いかに3Dを利用してクリエイティビティを広げてくるかが一つの見所になっています。結論から言いますと、良かったり悪かったり、過去作と比べると結構微妙な内容です。ちょっと偶然と呼ぶには強引な演出が多く、不自然なシーンが結構あります。
ただし本作は3Dを上手く利用しています。作中でもいろいろな「とがったもの」がどんどん飛び出して来て、思わずのけぞってしまうほどです。釘やら木片やらが目の前に飛び出してくるのは、生理的に嫌ですし本当にビックリします。いままでの3D映画にはなかった実験的な使い方をしているとても意欲的な作品です。
■ 吹き替えの問題
これは是非配給会社の方も真剣に考えていただきたいのですが、吹き替えがあまりにも酷すぎます。最近では「くもりときどきミートボール」もそうでしたが、3D映画が吹き替えのみで公開されることが増えてきています。おそらく3D映画で字幕を出すと目が疲れやすいという配慮だと思いますが、一方で吹き替えが酷いときに回避策が無いという深刻な状況を生んでいます。特に本作は素人芸能人のオンパレードで、ことごとく大根役者がそろっています。もはや文化祭レベルの棒読みオンパレードで情緒もへったくれもありません。字幕という選択肢が無い以上、この吹き替えも込みで映画の評価とせざるを得ませんから、本作の評価は作品内容以上に低くなってしまいます。もしかするとDVDでは字幕が付くかもしれませんが、是非劇場でも字幕版を上映していただきたいです。消費者に選択肢すらないのは非常につらいです。
<まとめ>
はっきり言ってドラマは全然面白くないですから、本作の評価はその「珍しい死に方」がいかに面白かったかにかかっています。こればかりは個人個人の趣味ですので、是非見てみてください。ただし、本作は非常に作り物っぽい・安っぽい演出ですが、結構ゴア(残酷)な描写があります。ブラックコメディとはいえ、残虐描写が苦手な方は止めといた方が良いでしょう。嫌なのを我慢してまで見るほど面白くはありません。
また、もしこのシリーズを見たことが無い人は、是非一作目の「ファイナル・デスティネーション」と二作目の「デッドコースター」をDVDで見てみてください。僕たちの身の回りには危険がいっぱいです。

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パイレーツ・ロック

パイレーツ・ロック

「パイレーツ・ロック」を見てきました。
評価:(55/100点) – 音楽は良いし面白いけど映画としては、、、。


<あらすじ>
1966年、イギリスBBCラジオでは週に2時間しかロックとポップが流れなかった。そんな中、海賊ラジオ局は法の届かない公海から毎日24時間、ロックとポップを流し続け、多くの国民から支持を集めていた。そんな海賊ラジオ局のひとつ「ラジオ・ロック」を舞台に、ゆるい日常をお送りする。


<感想>
面白いことは面白いんです。面白いんですが正直映画としてはかなり出来が悪いんですね。それは何故かと申しますと、結局ドラマが無いからなんです。実は上のあらすじを書くのにすごく悩みました。だって書くことが無いんです。一応映画の大枠では、「ラジオ・ロックはイギリスの風紀を乱している」として潰そうとする政府の偉い人が出てきて、彼のラジオ・ロック掃討作戦が柱になっています。なっていますが、どうでもいいというか、描写が非常に淡泊で、はっきり言って演出に全く力が入ってないんです。そんなことより熱心に描写されるのは、下品で、ユニークで、だけどすごく爽やかなラジオ・ロックのDJ達の緩い日常的な”おちゃらけ”です。
ふつう映画と言えば、一つの柱があってそこに沿うように90分なり120分かけてドラマを展開させていきます。例えば誘拐された娘を助けたり、例えば悪の親玉を倒したり、例えばお宝を奪い合ったり、なにかしら物語上のクライマックスに向けて進んでいきます。ところが、このパイレーツ・ロックにはいわゆる物語の柱がありません。あるのは魅力的なキャラクター達だけです。フィリップ・シーモア・ホフマンやビル・ナイを筆頭に、実力派が勢揃いして馬鹿な事をやりまくってます。だから間違いなく面白いんです。でもそれって映画的ではありません。
「魅力的なキャラクター達がいろいろやる」というのは、これ典型的な「ソープ・オペラ」の方式です。ソープ・オペラというのはアメリカにおける「連続ドラマの文法」の一つで、特に大きなストーリーを決めることなく魅力的なキャラクターをたくさん作って、ひたすらキャラクター同士の絡みで転がしていく劇スタイルです。今放映している作品だと、例えば「LOST」とか「HEROES」なんかが分かりやすいと思います。キャラクターごとに過去の出来事を掘り下げたり、キャラとキャラがくっついたり離れたりして際限なく話を展開させていきます。ソープ・オペラにおいては、ストーリーのクライマックスは決まっていないことが多いです。むしろ打ち切りが決まって初めてストーリーの最後を考えたりします。言ってみれば一話完結の週刊連載マンガみたいな物です。
<まとめ>
さて、以上のようにこのパイレーツ・ロックはバリバリのソープ・オペラ方式です。だから映画としては完全に駄目です。ただし舞台はすごく良いですし、キャラクター造形もなかなか魅力的です。できれば連続ドラマとして企画して欲しかったですね。連続ドラマだったら、間違いなく毎週見てたと思います。
でも少なくとも上映中につまらないと思うことは無いと思います。なにせ音楽も役者も一流揃いですから、60年代ロックが好きな方や連続ドラマが好きなかたにはオススメです。

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スペル

スペル

仕事帰り東京国際映画祭に行ってきました。
サム・ライミの最新作「スペル」です。

評価:(100/100点) – ホラーとギャグは紙一重という真理


【あらすじ】

銀行の融資係をするクリスティンは、ある日、小汚いババァのローン延長要請を断る。するとその夜ババァが駐車場で襲ってきた! ババァはクリスティンのボタンをむしり取ると呪いの言葉をかけて去っていく。その日から、クリスティンの周りに不可解な事が起こり始めた。

【三幕構成】

第1幕 -> クリスティンの日常。
 ※第1ターニングポイント -> ババァが呪いをかける。
第2幕 -> 呪いをかけられてから、四苦八苦して解決策を探すまで。
 ※第2ターニングポイント -> 降霊会の終わり。
第3幕 -> 解決編

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【感想】

はじめに

とにかく面白いです。ホラーが苦手な方には朗報ですが、この映画にいわゆる「グロい演出」はありません。すべてのショック・シーンやホラー演出は、ホラー文法に則った緻密な怖さをきちんと体現しています。しかし、たとえば血が出ると言ってもせいぜい鼻血ぐらいです。肉体破損描写もありません。ですからホラーが苦手な方も安心して(笑)見に行ってください。もちろん怖いというかビクッとする「音で脅かす演出」はあります。東京国際映画祭の先行上映でしたが、ホラー好事家が集まってるのかと思えばそうでもありませんでした。会社帰りの人といかにもな人が7:3ぐらいで、みんな終わった後はゲラゲラ笑いながら「ヤバイ」「キテる」を連呼されてました。まだ劇場公開されていない作品なので、いつもガンガンやってるネタバレは控えめにします。ですが、せっかくなので「ホラーとギャグは紙一重だ」という話、そしてホラー文法の基本について考えてみたいと思います。

ホラーとギャグは紙一重

さて今日の題目にもしましたが、ホラーとギャグは紙一重です。この感覚はホラーをあまり見ない人には分かりづらいかもしれません。そこで一般論に行く前にまずは本作「スペル」についていくつか脇道にそれてみます。

「スペル」って、、、(失笑)

まず「スペル」を見た方はこの映画がホラーだと思うでしょうか? おそらく皆さんがホラーだと言います。それはひとえにお化けが出てくるからです。では「この映画はギャグとして面白かったですか?」と聞くとどうでしょう。やはり皆さんがギャグとして良かったと言うと思います。これが何故かと言うことを考えていくわけですが、まずは原題を見てみてください。この「スペル」の原題は「Drag me to hell」です。直訳すると「私を地獄へ引っぱって」となります。これ要は「Take me out to the BALLGAME(私を野球に連れてって)」と同じ感覚なんです。つまり「地獄」が楽しい所で、「私」は行きたがってるんですね。これを見てアメリカ人は「あ、これギャグだ」と分かるわけです。
今月号の映画秘宝で町山さんがサム・ライミに「Don’t drag me~」にしなかった点を聞いていましたが、まさに普通行きたくない地獄に「Drag me~」と言ってる時点で作品全体のトーンが分かるんです。タイトル一つで作品の趣旨を全部表しているわけですから、すばらしいセンスだと思います。なので、配給元のギャガで「スペル(呪文)」などという恥ずかしいタイトルをつけた担当者は本気で反省してください。センスなさ過ぎ。サム・ライミへの冒涜です。

本題

ここからが本題です。ホラーとギャグは紙一重。これを説明するのにもっとも分かり易いのは「お化け屋敷」の構造です。皆さん、学生時代の文化祭で喫茶店とかやりましたか?たぶん文化祭のポピュラーかつ安易な出し物の一つに「お化け屋敷」があると思います。黒いカーテンで教室を暗くして机やロッカーで迷路を作った上で入ってきたカップルや客を、特にカップルを私怨を混ぜて脅かすわけです(笑)。さてこのお化け屋敷の構造は、真面目に考えるとずいぶんとマヌケじゃないですか?だって普段知ってる奴が、いつ来るかもしれないお客さんを待ってひたすらロッカーの中に入ってたりするんですよ?トイレとか必死に我慢して(笑)。つまりこれがホラーとギャグは紙一重という構造です。お化けは人間を脅かすためにひたすら待ってるんです。その待ってる方にフォーカスすると完全にギャグになるわけです。ドリフターズの定番ネタで消化器を使う幽霊コントがありますが、要はそれです。
「スペル」の中でもクリスティンをババァやお化けが脅かす演出がなされますが、特にババァについてはすべての登場シーンについて「ひたすら待ってる」んです。舞台の袖で(笑)。しかもサム・ライミは明らかにこの構造を熟知していて、いわゆる画面の端に「見切れる」演出を毎度やってきます。つまり、ロッカーの中で客が通りかかるのを待ってる友達が、ロッカーの窓からちょっと見えちゃってるんですね。ドリフの「志村!後ろ!後ろ!」を徹底的にやってるんです。是非これから見る方は、その「見切れ演出」に注目してください。ウォーリーを探せみたいなものです(笑)。
そういえば「ハリー・ポッターと秘密の部屋」で便所に住んでる女の子の幽霊がいましたが、彼女は全然怖く無いじゃないですか。それはどう見ても人間にしか見えないという要因もありますが、それにプラスして無害だからという事があります。彼女は危害を加えませんから。そうすると、幽霊の能力である「ものを透けて通れる」事だったり「飛べる」ことだったりが残って味のあるキャラになるわけです。物を投げても素通りしたり、そもそも物がつかめなかったり、そういう特徴はとてもギャグに生かしやすいものです。
「スペル」の大きな特徴は、クリスティンがお化けを怖がる描写がある一方で、彼女がとてもタフであることが挙げられます。彼女は劇中でそれこそ何度もお化けを腕力で撃退します。ここで「腕力で撃退」=「ツッコミを入れる」という構造が成立し、お化けがお化けらしく前述した特徴をいかした「ギャグ的な存在」として成立できています。ですので見ている間中、それこそ全体の六~七割程度はギャグシーンといっても差し支えありません。実際にスクリーン内で起こっていることはとても笑える状況では無いのですが、それでも笑いが絶えないのは、ホラーとギャグは紙一重という真理を上手く表現しているからです。お化けとクリスティンの夫婦漫才が行われているんです。クリスティンは命がけですけどね。

ホラー文法の基本

ホラー文法の基本はそれこそ無数にありますが、ちょっと長くなりすぎているので一個だけ紹介します。それは「いかに脅かすか」と言うことです。
みなさん、稲川淳二さんをご存じでしょうか?夏になるとテレビ番組に引っ張りだこで、怪談話のカリスマ的存在です。実は彼の話し方は「いかに脅かすか」というホラー文法に非常に忠実です。それは「集中と衝撃」というロジックです。
人間の感覚には閾値があります。閾値とは「これ以上になると~する」という境界線の事です。ホラーでは閾値を超えるとビクっとする訳です。例えば寝るときに部屋の電気を消すとします。最初は暗くて何にも見えないですね。でもしばらく経つと段々と見えるようになってきます。これは目の光に対する閾値が下がっている訳です。閾値が下がるとより少ない光を知覚できるようになりますから暗い中でも見えるわけです。ここで、いきなり電気を付けるとどうなるでしょう。すごく眩しくて目を細めますよね。これが衝撃です。あまりに閾値が低くなってしまったので、普段ならどうって事無い光でもとてつもない衝撃を受けるわけです。これをホラーに応用したのが「集中と衝撃」です。
ホラーでは「暗いシーン」や「静かなシーン」を続けることで、観客の閾値を下げていきます。暗いシーンであれば集中してよく見ないといけません。静かなシーンであれば耳をすまして集中しないと台詞や音が良く聞き取れません。そうすると当然観客は聴覚や視覚の閾値を生理的に下げるわけです。これは観客が意識してやるようなことではありません。人間である以上、勝手にそうなってしまうんです。そこで、いきなり画面いっぱいに怖い顔をだしたり大きな音を鳴らしたりすると「ビクッとする」わけです。これがホラーにおけるショック演出の基本です。「スペル」ではこの基本が随所に使われています。是非集中して見てみてください。

【まとめ】

ここまで色々と書いてきましたが、この映画は間違いなく今年の映画でトップクラスに面白い作品です。それどころか、ある種のマスターピースになる可能性をもった作品です。是非、映画館で歴史を目撃しましょう。ホラーが嫌いな方でも大丈夫です。なにせギャグ映画ですから。文句なくオススメです。

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