マリアンヌ

マリアンヌ

先週末はロバート・ゼメキスの最新作

「マリアンヌ」を見ました。

評価:(40/100点) – オシャレ。以上!


【あらすじ】

時は1942年、モロッコのカサブランカ。RAF(ロイヤルエアフォース=イギリス王立空軍)のマックスは、ドイツ大使の暗殺任務を負ってスパイとして彼の地へ降りたった。マックスに先行して現地社会に潜り込んだフランス人工作員のマリアンヌとともに、マックスは作戦を遂行する。その過程でマックスはマリアンヌに惹かれていく、、、。

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【感想】

さてさて、先週末はロバート・ゼメキスの「マリアンヌ」を見てきました。

ロバート・ゼメキス監督に脚本がイースタン・プロミスのスティーヴン・ナイト、音楽は毎度コンビのアラン・シルヴェストリ。そして主演でブラッド・ピットとマリオン・コティヤール。ガッチガッチに固めてきているこのスタッフ・キャストリストを見ただけで、「こりゃ絶対オシャレないい映画になるんだろうな」という雰囲気をビンビンに出しています。

しかもタイトルが「ALLIED」ですよ。大戦中の連合軍を意味する「ALLIED」の文字間をちょっと開くことで、「ALL LIED = 全部 嘘だった」と「LIED = ドイツ語で”歌”」を掛けてくるというこのオシャレっぷり。

そして実際に見てみますと、、、お、、、オシャレしかない(笑)。

久々に凄いアレな映画がやってきました。雰囲気7割、音楽2割、内容1割。とてもオシャレでオシャレなオシャレ映画です。

前半後半で話が全然違う

本作は良くも悪くも古風な作りをしています。昔は3時間超えの映画だと真ん中に休憩が入ったじゃないですか。私が劇場で見て覚えているのだと、「サウンド・オブ・ミュージック」とか、「十戒」とか、「2001年宇宙の旅」とか。日本映画で最近だと、「愛のむきだし」とか「沈まぬ太陽」とかですかね。本作も、作りはモロにこの「休憩付き前半後半構成」の映画です。

本作の前半1時間はカナダ出身イギリス軍人のマックスがカサブランカで同じく同志マリアンヌと出会い、偽装夫婦としてドイツ大使を暗殺するというスパイものです。マックスがフランス語の訛りをケベック訛からパリ訛に特訓したり、モロッコの風習をマリアンヌに教わったりと、コッテコテのスパイものです。

後半ではうって変わってその18ヶ月後にすっ飛び、マリアンヌがマックスと結婚・引退してロンドン郊外で家庭をもつ話になります。そしてそこで、マリアンヌのダブルスパイ疑惑が浮上し、マックスが真相を探るために奔走します。

そう、この映画は、完全に前半と後半で話が分断されているんです。しかも肝心の中心人物であるマリアンヌが結構な形でキャラ変します(笑)。前半部分では「戦う女」だったマリアンヌは、後半は「子供と家庭の庇護者」としてマックスに守られる”か弱い”存在になります。そしてマックスも、家族を守る男と軍人との間で走り回ります。前半はとっても愉快なんですが、一方の後半は、とっても甘ったるい家族愛ものに変わります。サスペンス・探偵要素も特にありません。

そうなると、当然これはもうストーリーとかほったらかしでベテラン実力俳優の掛け合いを楽しむだけの映画になるわけで、「オシャレだね~」という感想しか出てこないのです(笑)。

とにかくオシャレなんだよ!

舞台となったカサブランカ/ロンドンの背景といい、ジャズ中心の音楽といい、そしてブラピとマリオン・コティヤールの衣装といい、本作にはオシャレ要素がテンコもりです。とにかく画面上の全てがオシャレ。そんななかで火曜サスペンス劇場もびっくりのやっすいサスペンスが展開されたとしても、果たしてそれに文句をいっていいのかというそんな気さえします。言うて見れば荻上ワールドみたいなもんです。だからストーリーを期待してはいけません。とにかくオシャレ。雰囲気命。そして疑いようもなく、オシャレ作りは成功しています。

まとめ

私自身が、何を隠そうオシャレとは正反対の人生を送っていますので、こういう映画の感想を書くのにどうしても語彙が貧弱になってしまいます(笑)。

だってマリオン・コティヤールがセクシーでオシャレじゃん。ブラピだって渋くて軍服が似合っててオシャレじゃん。2人の子供が来てるニットのベビー服だってすごいオシャレじゃん。だからもう映画自体がオシャレじゃん。

ということで、オシャレな方たちのオシャレな昼下がりを彩るのに最適なオシャレ映画です。オシャレにオシャレな時間を過ごしたいオシャレ男子・女子のみなさんにオシャレにおすすめします!

これを見れば、今日から君もオシャレ(ウー)メンだ!

※余談ですが、こういうのを見ると女子高生が「カワイイ!」という単語だけで会話が成り立つという都市伝説がすごい納得できます(笑)。たぶんこの映画をカッポーとかで見て感想を言い合うと、マジで「オシャレ」しか出てこないと思います。

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ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち

ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち

週末は1本、

「ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち」を見ました。

評価:(65/100点) – やる気復活のティム・バートン節


【あらすじ】

ジェイクは、いつもお爺ちゃんから不思議な話を聞かされて育った。空を飛ぶ女の子。奇妙な双子。力持ちの兄弟に、透明な男の子。そしてそんな奇妙な子どもたちの世話をするミス・ペレグリン。お爺ちゃんの話に空想を膨らませ、彼は学校でもちょっと浮いた存在になっていた。
ある日、ジェイクはお爺ちゃんから電話を受ける。心配になったジェイクがお爺ちゃんの家に駆けつけると、そこには家を荒らされ、そして裏の林で両目をくり抜かれたお爺ちゃんがいた。

「島へいけ。1943年9月3日のループへ。鳥が全てを教えてくれる」。

息を引き取ったお爺ちゃんの言葉を頼りに、ジェイクは父親と共にお爺ちゃんの昔話に出てきたケインホルム島へ向かう。

【三幕構成】

第1幕 -> お爺ちゃんが襲われ、ケインホルムへ行く。
 ※第1ターニングポイント -> ジェイクがループへ入る。
第2幕 -> ミス・ペレグリンの屋敷での交流。
 ※第2ターニングポイント -> ペレグリンがバロンに捕まる
第3幕 -> ペレグリン救出大作戦。


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【感想】

さてさて、週末はティム・バートンの最新作「ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち」を見てきました。

最近--特に「 スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師 (2007)」以降のティム・バートンはちょっと中途ハンパというか、「オレに求められてるのはフリークスが出てくるサブカル受けするコメディだろ?」みたいな感じが凄いでていました。 「アリス・イン・ワンダーランド(2010)」しかり、 「ダーク・シャドウ (2012)」しかり、なんというか、思いっきり滑ってるうえにあんまり監督自身も楽しそうじゃない感じが伝わってきて、ちょいといたたまれない感じです。もうやる気なくなっちゃったのかな、、、という寂しさこみで。

本作は、その迷いが晴れたように、ものすごく全力で「ティム・バートン」をしています(笑)。

ちょいとグロテスクだけどキュートな「奇妙な子どもたち」のキャラクター造形。正統派ゴシック・ホラー調の舞台・背景。「こまけぇことはいいんだよ!」っていう言葉が聞こえてきそうなほど雑だけど勢いのある脚本と、そしてたぶんハリーハウゼンのオマージュであるカクカクしたCGドクロ兵士やモンスターたち。同じくハリーハウゼン・リスペクトのギレルモ・デル・トロとちょっとモンスター造形が似ちゃってるというところも含めて、とっても画面全体から楽しんでる様子が伝わってきます。

そう、たぶん昔からのティム・バートンのファンならばファンなほど、本作はとってもニヤニヤしながら楽しめるはずです。ジョニー・デップ/ヘレム・ボナム=カーター
の呪縛から解き放たれた無邪気なティム・バートンを楽しめる、とても愉快な作品です。

とてもストレートなジュブナイル活劇

本作はとっても古風なジュブナイルものです。私は原作の小説を読んでいないのですが、この本が2011年発表というのを聞いてちょっとびっくりしました。本作は、それこそ70~80年台に流行った一連の「少年冒険映画」そのものです。「お爺ちゃんから”宝の地図”をもらった少年が、悪党たちに追われながらも旅の仲間と共に宝を探しだす」という超王道ストーリー。このド直球な話に、ティム・バートンの為にあるんじゃないかってくらいちょいグロ・悪趣味なモンスターや異能者たちの要素を載っけていきます。ただ、この映画はたぶん昨年のスピルバーグ監督作「BFG」のように現役の子供に向けて作ったものではなく、「昔こどもだったティム・バートンファンへ作ったセルフパロディ」的な要素が強いです。それこそ目玉をくり抜いたり、小学生が見るにはちょっときつめなショッキング描写が所々に散りばめられており、あきらかに楽しんでワザとやってる感じがビンビン伝わってきます。良くも悪くもポリコレとかなんも気にしてないです(笑)。

これ、作戦としてはとても良く機能しています。いうなれば作品全体として「ダブル・スタンダード」を観客にすんなりと押し付けてきてるんですね。ストーリーが雑な部分は「だって子供向けだし」で押し切ってきて、一方悪趣味描写な部分については「だってこういうの見に来たんでしょ?」と急に大人向けになるという(笑)。でもこれこそが、ティム・バートンであり、そしてヘンリー・セリックと組んだ一連の傑作(ナイトメアー・ビフォア・クリスマス (1993)、コララインとボタンの魔女(2009))の一番の肝だったと思います。キモかわいい的な意味でのグロテスク・ファンタジーとして成立している本作は、もうそれだけでファンならば大満足できるはずです。

逆に言うと、ティム・バートンがあんまり好きじゃないっていう人は、この映画はただのトンデモ作品に見えてしまうかと思います。話や設定が結構穴だらけですし、敵のバロンはおちゃめすぎて脇ががら空きですしね^^; 一番気になるのはループとよその世界との繋がりですよね。ループの中の「奇妙な子どもたち以外の人」はどうなってるんだろうとか、時空の穴/特異点みたいな扱いなのに意外とすんなり未来と繋がっちゃってるなとか、変に平行世界ものみたいになってる部分はうまい具合にボヤかして適当に流してたりしてます(笑)。

【まとめ】

ということで、ティム・バートンのファンの方は当然見に行ったほうがいいですし、見たらもう大満足すること請け合いです。久々に「ちゃんとティム・バートンしてる作品」が見られます(笑)。一方、もし彼にあんまりピンと来ないという方は、まずは 「チャーリーとチョコレート工場(2005)」あたりで予習したほうが良いかもしれません。個人的にはティム・バートンは「PLANET OF THE APES/猿の惑星(リメイク版/2001)」より前が最高に好きです。本作は、なんか昔の彼がちょっと戻ってきた気がしてとても楽しめました。是非是非、劇場でお楽しみください。

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9~9番目の奇妙な人形~

9~9番目の奇妙な人形~

二本目は

「9<ナイン>~9番目の奇妙な人形~」を見ました。

評価:(15/100点) – あの短編が何故こんな無残に、、、。


【あらすじ】

布人形のナインが目覚めると、そこは荒廃した世界であった。そこで彼は自分とそっくりのツーと出会う。しかしツーは機械の獣に攫われてしまう。その後同じくウリ二つのファイブと出会った彼は、ツーの救出作戦を計画し実行に移すが、、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> ナインが目覚める。ツーとの出会い。
 ※第1ターニングポイント -> ナインがマシンを目覚めさせる。
第2幕 -> 打倒マシン。
 ※第2ターニングポイント -> ナインが目覚めた部屋で科学者のメッセージを見る。
第3幕 -> マシンとの決戦。


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【感想】

さて、本日の二本目はCGアニメ映画の「9<ナイン>~9番目の奇妙な人形~」です。原題は単に「9」ですが、セレブカラオケ大会の「NINE」と紛らわしいということで変な副題が一杯ついてしまったという、公開前から災難な映画です(苦笑)。
夜の回でしたが、客席は5~6割ぐらいは入っていたでしょうか? 感覚的にはCGアニメでSFっていうとガラガラな事が多いので、もしかしたら「ティム・バートン制作」が結構なネームバリューになっているかも知れません。
本作は2005年にシェーン・アッカーが作った短編アニメ「9」(以下原作)をティム・バートンが気に入って出資を募り長編映画化させたという経緯があります。
でまぁいきなり結論を言ってしまいますと、原作の方が1億倍面白いです。正確に言うならば、原作の良かった点が全部消えています(苦笑)。
原作は10分程度の無声・ディストピアSFです。そして世界観の作り方が絶品です。とにかく無声ならではのヒリヒリする緊張感と、説明が無いからこそ想像する無限の物語可能性。なぜ布の人形が?なぜ機械獣が? そもそも人間は?
ディストピア(=ユートピアの逆。絶望郷)SFというのは、荒廃した地上が舞台となります。無限の荒野や崩れた廃墟が舞台となりますので、このジャンルのキーワードは「孤独」「疎外」「暗闇」「テクノロジーの残骸」です。実は原作にはこの全ての要素が完璧に備わっています。ところが、、、



本作ではナインがそもそも孤独じゃないんです。ナインには動く仲間達が一杯いますし、ちょっと恋愛っぽいニュアンスすらあります。これでディストピアSFとしては20点マイナス(苦笑)。
それに加えて画面も暗く無いし、テクノロジーの残骸もぜんっぜん効果的に使われません。ディストピアSFなんだから、銃弾をそのまま銃弾として使っちゃ駄目なんですよ!!! 彼らには鉄砲の概念は無いのですから「見たことも無い尖ったもの」として使って下さいよ!!! これでさらに20点マイナス。
決定的なのは、ナイン達が作られた背景や、この世界が崩壊した理由をベラっベラとセリフで説明してしまう点です。そこは言わなくて良いから!!! 何でもかんでも説明するのがファンサービスじゃないですし、作品価値の向上にはなりません。本作ははっきりと想像の余地が無いんです。これで30点マイナス。
そして物語に対してそもそも尺が長すぎます。80分でも長い。この話って、要は一体の敵を倒すだけなんですよ。敵倒すだけで30分も40分もかけてもらっても困ります。しかも結構あっさり倒されてしまいますし、、、残念!!!
正直言って、申し訳ありませんが褒めるところが見当たりません。
話として破綻しているというわけでは無いんですが、ただただワクワクしないというかセンス・オブ・ワンダーを刺激されないんです。断言しますが、この映画を見るくらいなら原作の短編を8回見たほうがよほど面白いです。

【まとめ】

ちなみに原作はコチラのYOUTUBEにありますので、是非ゆっくりご鑑賞下さい。
「9 By Shane Acker」
もしこの短編に点数を付けるとしたら、これはもう90点代はかたいです。



なんでこんな大傑作が、あんなになってしまったんでしょう(涙)。
「作品は尺を増やしたり説明を増やせばいいってものでは無い」という良い例だと思います。

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アリス・イン・ワンダーランド

アリス・イン・ワンダーランド

今日の一本目は期待の新作、

「アリス・イン・ワンダーランド」です。

評価:(55/100点) – つまらなくはないが、、、中途半端。


【あらすじ】

19歳になったアリスは、ある日大勢の前でヘイミッシュにプロポーズをされる。しかし困惑した彼女は見かけた白ウサギを追いかけて逃げ出し、ウサギの穴に落ちてしまう。目が覚めるとそこは子供の頃から夢に出てきたワンダーランドだった、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> アリスがパーティーに出席する。
 ※第1ターニングポイント -> アリスがアンダーランドに迷い込む。
第2幕 -> アリスとハッターとの再会。アリスと赤の女王の城。
 ※第2ターニングポイント -> アリスがヴォーパルの剣を持って城の女王に合流する。
第3幕 -> アリスとジャバウォックの決闘。


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【感想】

さて、本日はディズニー期待の大作実写映画・アリス・イン・ワンダーランドです。宣伝は去年の11月頃から散々見せられてきましたから、話の内容はあらかた想像がついていました(笑)。監督はティム・バートン。おなじみジョニー・デップとヘレナ・ボナム・カーターがメイン級ででており、鉄板のバートン組って感じでしょうか?

話のディティールについて

本作の話自体は、よくある類の異世界に迷い込んで独裁者を倒すファンタジー・アドベンチャーです。最近ですと、ナルニア国物語第一章/第二章あたりが全く同じ話ですし、古くは「ネバーエンディングストーリー」や「オズの魔法使い」など山程ある話です。
そんな中で本作がアリスとしてギリギリ成立出来ているのは、一重にキャラクター造形の巧さです。特に見た目に関しては本当にジョン・テニエルが描いたオリジナル挿絵にそっくりです。ジャバウォックなんてそのまんまで3Dで動きますから、感激とまでいかないまでも感心はしました。
しかし、キャラクターの性格については正直に言ってほとんど原作と関係ありません。っていうかハッターが真面目かつヒロイックすぎますし、原作での最重要キャラ・白ウサギもキャラが薄すぎます。
結局ですね、本作はルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」と「鏡の国のアリス」にある単語やエピソードやキャラクター造形を使って、ティム・バートンが(ディズニーの制約の中で)好き放題やっているという印象がします。この「ディズニーの制約」というのが結構微妙だったりします。

ティム・バートンという監督の資質

いまや日本でも一般認知度の高い人気監督になりましたティム・バートンですが、当ブログで彼の作品を扱うのは初めてです。ということで、そもそもこの監督の資質というものについて考えてみたいと思います。
ティム・バートンの代表作といえば、バットマンシリーズやシザーハンズ、マーズ・アタックあたりが有名でしょうか? 彼の作品に共通するキーワードは「弱者に対する優しさ」と「カルトな描写」です。例えば「シザーハンズ」では生まれつき人とふれあうことが出来ない孤独なエドワードの悲哀を描いていますし、「バットマン・リターンズ」では親に捨てられた孤独なペンギンの悲哀が前面にでてきます。「チャーリーとチョコレート工場」では貧乏な少年が正直さと真面目さで評価されるようになりますし、「スウィーニー・トッド」では悪徳判事にハメられた一小市民の反撃を描きます。
そしてこれらの「弱者に対する優しい視点」がカルトな雰囲気を混ぜて倒錯した描かれ方をします。
では今回の「アリス・イン・ワンダーランド」はどうでしょうか?
「アリス・イン・ワンダーランド」はまさに赤の女王の圧政で虐げられた人々の復讐劇です。その意味ではこれ以上ないほど「弱者の味方」そのままです。ところが、、、本作を見ていてイマイチ物足りないのはここに「カルトな描写」が入ってこないことです。具体的にはマッド・ハッターがまったくマッド(=気狂い)じゃないんです。せっかくジョニー・デップなのに、全然変人ではありません。マッドなのは服のセンスぐらいです(苦笑)。
本作で私が一番ワクワクしたシーンはずばり言って、赤の女王城のお堀に浮いた顔(生首)を飛び石にしてアリスが渡るシーンです。あとはアン・ハサウェイ演じる「白の女王」のエドワード・シザーハンズを連想させる変な動きぐらいでしょうか?
逆に言うとですね、、、そこ以外はきわめて普通で、「毒気」を抜かれたティム・バートンの抜け殻のように見えてしまいます。とてもディズニーっぽいと言った方が良いかもしれません。ディズニーなので赤の女王を処刑するわけにはいかないですし、人間の形をしたクリーチャーは殺せないんです。
でもそれってティム・バートンの魅力の大部分を削いでしまっているわけです。じゃあカルト表現を削いだ分だけファミリー向けになっているかというと、そうでもありません。生首が出てきたりしちゃうわけで、100%ファミリー向けにはなっていません。とっても中途半端です。

話のプロット上で気になる点

物語で気になる点は結構あります。まず一番は、そもそもアリスが救世主であることの根拠の薄さです。「預言に書いてあるから」ってだけだとちょっと、、、。おそらく実際には「アンダーランド(ワンダーランド)はアリスの夢なのだから自分が最重要人物になるのは当然」って辺りの事情だと思いますが、ちょっと微妙です。しかも終盤では、いくら「ヴォーパルの剣が戦ってくれるから握ってるだけで良い」とはいえ、ちょっと驚くほどのアクションを見せてくれます。せめて白の女王に合流した後で剣術の練習ぐらいはして欲しかったです。
第二に、この物語の着地の仕方です。本作は最終的には「ダウナー系の不思議ちゃん」だったアリスが「物事をハッキリ自己主張する大人の女性」に成長する物語になります。でですね、、、この自己主張の仕方に問題があると思うんです。特に姉とおばちゃんに対しての態度は自己主張っていうよりは冷や水をぶっかけてるようにしか見えません。もしかしたらアメリカ人の感覚では問題無いのかも知れませんが、ちょっとどうなんでしょうね?

【まとめ】

ここまで書いていない重要な事があります。
原作の「不思議の国のアリス」「鏡の国のアリス」が何故ここまで名作として普及しているかという理由は、もちろん1951年のディズニーアニメの影響もありますが、その原作の持つ暗喩性によるところが大きいと思います。早い話がアリス・キングスレーが少女から女性に成長する過程をワンダーランドのメタファーに置き換えて語っているわけです。
ですから、私個人としては「千と千尋の神隠し」で宮崎駿がやったような「倒錯した自分流の不思議の国のアリス」をティム・バートンがやってくれることを期待していました。その意味ではちょっとがっかりです。
しかし、決してつまらない話ではありません。手放しでは喜べないものの、最近のファンタジーアドヴェンチャーとしては手堅い出来です。小さいお子さんを連れて行くのは考えものですが、友人や恋人と気軽に見るには最適ではないでしょうか? ディズニーのエンタメ・ファンタジーとしては十分に及第点だと思います。

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