パイレーツ・ロック

パイレーツ・ロック

「パイレーツ・ロック」を見てきました。
評価:(55/100点) – 音楽は良いし面白いけど映画としては、、、。


<あらすじ>
1966年、イギリスBBCラジオでは週に2時間しかロックとポップが流れなかった。そんな中、海賊ラジオ局は法の届かない公海から毎日24時間、ロックとポップを流し続け、多くの国民から支持を集めていた。そんな海賊ラジオ局のひとつ「ラジオ・ロック」を舞台に、ゆるい日常をお送りする。


<感想>
面白いことは面白いんです。面白いんですが正直映画としてはかなり出来が悪いんですね。それは何故かと申しますと、結局ドラマが無いからなんです。実は上のあらすじを書くのにすごく悩みました。だって書くことが無いんです。一応映画の大枠では、「ラジオ・ロックはイギリスの風紀を乱している」として潰そうとする政府の偉い人が出てきて、彼のラジオ・ロック掃討作戦が柱になっています。なっていますが、どうでもいいというか、描写が非常に淡泊で、はっきり言って演出に全く力が入ってないんです。そんなことより熱心に描写されるのは、下品で、ユニークで、だけどすごく爽やかなラジオ・ロックのDJ達の緩い日常的な”おちゃらけ”です。
ふつう映画と言えば、一つの柱があってそこに沿うように90分なり120分かけてドラマを展開させていきます。例えば誘拐された娘を助けたり、例えば悪の親玉を倒したり、例えばお宝を奪い合ったり、なにかしら物語上のクライマックスに向けて進んでいきます。ところが、このパイレーツ・ロックにはいわゆる物語の柱がありません。あるのは魅力的なキャラクター達だけです。フィリップ・シーモア・ホフマンやビル・ナイを筆頭に、実力派が勢揃いして馬鹿な事をやりまくってます。だから間違いなく面白いんです。でもそれって映画的ではありません。
「魅力的なキャラクター達がいろいろやる」というのは、これ典型的な「ソープ・オペラ」の方式です。ソープ・オペラというのはアメリカにおける「連続ドラマの文法」の一つで、特に大きなストーリーを決めることなく魅力的なキャラクターをたくさん作って、ひたすらキャラクター同士の絡みで転がしていく劇スタイルです。今放映している作品だと、例えば「LOST」とか「HEROES」なんかが分かりやすいと思います。キャラクターごとに過去の出来事を掘り下げたり、キャラとキャラがくっついたり離れたりして際限なく話を展開させていきます。ソープ・オペラにおいては、ストーリーのクライマックスは決まっていないことが多いです。むしろ打ち切りが決まって初めてストーリーの最後を考えたりします。言ってみれば一話完結の週刊連載マンガみたいな物です。
<まとめ>
さて、以上のようにこのパイレーツ・ロックはバリバリのソープ・オペラ方式です。だから映画としては完全に駄目です。ただし舞台はすごく良いですし、キャラクター造形もなかなか魅力的です。できれば連続ドラマとして企画して欲しかったですね。連続ドラマだったら、間違いなく毎週見てたと思います。
でも少なくとも上映中につまらないと思うことは無いと思います。なにせ音楽も役者も一流揃いですから、60年代ロックが好きな方や連続ドラマが好きなかたにはオススメです。

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携帯彼氏

携帯彼氏

ふと気の迷いから、「携帯彼氏」を見てきました。
評価:(35/100点) – D級ホラーだと思ったらB級アイドル映画だったの巻


<あらすじ>
女の子の間で話題沸騰の携帯彼氏(=ポストペット?)。ただの擬似恋愛ゲームだが、恋愛ゲージが0か100になると死ぬという噂が流れる。そんな中、実際に里美の周りでも不可解な死亡事故が次々と起こる。里見は真相を探るべく捜査を開始するが、、、。
<三幕構成>
第一幕 -> 里見の周りで携帯彼氏が原因と見られる死亡事故が連続で起こる。
第二幕 -> 里見がふとしたきっかけで高原直人の携帯彼氏を手に入れる。そして由香関連の色々。
第三幕 -> 解決編。
<感想>
もう何も言えません。いちいち真面目にツッコんだ方がよいのか、ただ呆れた方がよいのか、、、悩ましいです。そもそもこれはホラーではありません。それどころか怖いと思う(思わせようとする)描写が一つもありません。ひとえに「ホラーの文法」が全くできていないからですが、かといって劇映画として見るには物語が破綻しています。今回はどこが破綻したのかを考えながらグチりたいと思います。なので、携帯彼氏を夜も眠れないくらい楽しみにしている諸君はいますぐブラウザを閉じてください。マジ無理。
ストーリー(=劇中設定)について、根本的な破綻が二つあります。それは見た人なら一発でわかるように「携帯彼氏サービスの運用方式」と「携帯彼氏のメカニズム」です。
いきなりネタバレしますが、携帯彼氏サービスは「配信サーバで人物データを管理」し、ユーザは会員登録することでサーバから携帯彼氏プログラムをダウンロードします。つまり買切型ないし月額課金型のゲームで、基本はクライアントのローカルで動くプログラムです。さて劇中で流行っている携帯彼氏ですが、物語のラストで特に管理者がいない廃墟ビルのなかのサーバラックで運営されていることが明らかになります。運営会社が実在するかどうかまでは語られませんが、少なくとも設置ビルは完全に閉鎖されています。
「ハード保守は?」とか「DBのメンテは?」とか「回線や電気の維持費用は誰が出してるの?」とか色々ありますが、一番のツッコミは何で警察が運営会社を調べたときに分からなかったのかです。もはやグダグダ。だいいち、ゲームで人が死ぬみたいな美味しいゴシップネタがあれば、どこかのタブロイド系雑誌が速攻で運営会社を調べると思うんですが、、、。つまり根本的に「ミステリアス」にすらなってないんです。だって現場に行けば分かるんですもの。駄目だこりゃ。
さらに輪をかけて酷いのが、携帯彼氏のメカニズムです。携帯彼氏の「呪い」は、かつて雑居ビルでレイプサークルが被害者の女子もろとも焼死した際に上の階の携帯彼氏サーバに「死んだ人間の魂が入った」ために発生したと説明されます。つまり怨念です。劇中でもバッテリーの切れた携帯電話上で携帯彼氏が突然起動するなど、その「呪いパワー」は描かれます。さらには、携帯彼氏の入った携帯電話に他人が電話をかけると、携帯彼氏が妨害したりするんです。つまり非科学的存在で携帯電話を操れる訳です。呪いなんだから当たり前ですけどね。ところが映画のラスト、呪いを止めるために里見は「携帯彼氏サーバからデータの消去プログラム(=修正パッチ)を配信する」んですね。なんでその通信は邪魔しないんでしょうか?というかプログラムで消えたら非科学的存在じゃないわけで、、、。一応、「目には目を」「呪いには呪いを」ということでレイプ被害者・女子のデータを配信することで最後は呪われた携帯彼氏を消滅させて着地しますが、なんだかなぁ。しかも他のデータが消えてるのに高原直人だけが夜明けまで粘れたり、、、基準がよく分かりません。
結局、話の展開が全部行き当たりばったりで、その瞬間・そのシーンのことしか考えていないんです。だから通しで見ると無茶苦茶で収拾がつかなくなってるんです。また一つ携帯小説とやらのレベルのすさまじさが浮かび上がってしまいました。読んだこと無いのであくまで推察ですが、たぶん原作の携帯小説は、暇なときにちょっとづつ携帯電話で読むことを想定してるために通しでスクリプトのチェックをしてないんだと思います。
もう、携帯小説を映画化するの辞めませんか?




と、ここまでボロカス書いてみたんですが、その割に35/100点とはどういうことかというと、、、、




この映画はアイドル映画として見た瞬間に評価が急上昇します!まさに綾瀬はるか主演「僕の彼女はサイボーグ」状態!
とにかく川島海荷が超可愛い。話が酷かろうが、演出が酷かろうが、そんなことはどうでも良いくらい可愛い。
アイドル映画の水準としては「BALLAD 名もなき恋のうた」なんて遥かに超えています。
と言うことで、アイドル映画が好きな男の子と、ストーリーとか気にしない頭の軽い女の子にはオススメです!!!

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マイケル・ジャクソン THIS IS IT

マイケル・ジャクソン THIS IS IT

「マイケル・ジャクソン THIS IS IT」を見てきました。
評価:採点不能 – 史上最高のアイドルの歴史的映像


<感想>
この映画はマイケルの「This is it ツアー」のリハーサル映像をつなげて「擬似コンサート」にしたドキュメンタリーミュージカルです。劇映画ではありませんし、ストーリーもドラマもありません。一番近いのは「ライブDVDのDisc2に入ってるメイキング映像+リハーサル集」でしょうか。
もはや説明不要。キュートでセクシーでクールで、そして何より超真剣な50歳のMJがたっぷり見られます。マイケルのファンは言われなくても、下手すれば毎日でも、繰り返し足を運ぶでしょう。彼のファンじゃない人・よく知らない人は、だまされたと思って一度見てみてください。これは間違いなく歴史的な資料映像です。マイケルと同じ時代を生きられたことに感謝します。そして、この映画はリアルタイムだからこそ見る価値があります。DVDが出てからとか言わずに、是非劇場の大画面・大音量で見て欲しい映像です。
ちなみに映画内容とは直接関係ありませんが2週間限定公開というのはどうなんでしょう。「日本人は限定に弱い」みたいな感じかもしれませんが、もっと細々とでも長く劇場にかかって欲しいです。
また完璧主義者のマイケル自身は、未完成状態のリハーサル映像を流すのは嫌かもしれないなとは思いました。でも、無邪気に喜び、自分の半分ぐらいの年の若者に真面目に語りかける彼は、十分に観客の心を虜にします。この映画を見てマイケルを好きにならない人はいないでしょう。
KING OF POP, R.I.P.

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沈まぬ太陽

沈まぬ太陽

角川のビッグバジェット映画「沈まぬ太陽」を見てきました。
評価:(10/100点) – 大自然を最後に持ってくる映画にご用心


【あらすじ】

国民航空社員・恩地は労働組合の委員長としての活躍を疎まれ世界中をたらい回しにされる。そんな中、国民航空機墜落事故が発生する。遺族世話係として尽力する恩地は新会長のもとで抜擢され、会社の改革に着手していく。しかし、待っていたのは再度の報復人事であった。

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【感想】

演出ダメ、テーマダメ。以上!



と言いたいですが、それじゃこの映画と同じになってしまうので(笑)具体的に挙げていきたいと思います。
ちなみに、この映画は皆さんご存じの通り限りなく日航機墜落事故をモチーフとして描いています。それはもうモデルの人が透けて見えるレベルです。この「事実を元にしながらエンターテイメント性を上げるため大幅に設定変更・エピソード追加をした結果、政治的な意図すら透けて見える」という状況が随所で非難の的になっています。ただ、そこに踏み込むと色々面倒なので、今回はあくまでもフィクションとしての映画として意見を書きたいと思います。

それぞれのパート

この物語は「ひとりの真面目な男が周りの色々な(理不尽な)事件にめげずに信念を貫く」というフォーマットをとっています。すなわち、この映画は大前提として主人公・恩地に感情移入しなければいけません。これが演出家の腕な訳ですが、、、ご愁傷様です。何故かと言うところを全四部構成のそれぞれについて見ていきしょう。

1) 労働組合闘争編
冒頭、墜落事故から過去に戻る演出で労組闘争が描かれます。恩地は「劣悪な労働環境は労働者の集中力を削ぎ安全性を損なう」という主張で経営陣に冬のボーナス4.2月を要求します。ところが、肝心の「劣悪な労働環境」が描かれません。また「労働環境の改善」の話が無くひたすら賃上げのみ要求している姿を見るにつけ、とてもじゃないですが感情移入できません。「労組闘争って格好いい!」「勝ち取ったぞ!」という生き生きした雰囲気はガンガン伝わってきますが、なんというか草野球で頑張るおじさんを見るのと同じ感覚で、客観的に「よかったね。」レベルで止まってしまいます。明らかに描写が足りません。

2) 海外僻地勤務編
さて報復人事で海外に飛ばされる恩地ですが、ここでも描写不足が目立ちます。それは「恩地の会社に対する執着」と「海外僻地勤務の苦悩」です。たとえば「明日からイランに転勤ね」と言われて、普通の人はどうするでしょう? まず悩んで、次にどうしてもと言われたら会社辞めることも考えますよね。恩地も当然悩むんですが、彼は「2年我慢しろ」と言われて転勤を受け入れます。あまり元気とは言えない母親一人を残してです。ここで、「あれっ?」という感覚が出てきます。つまり、恩地の会社に対する愛です。彼は再三にわたって「労組の仲間のために」と口にするんですが、カラチ・テヘラン・ナイロビで具体的に労組をサポートすることはしません。いまいち会社にこだわってる描写が見えないので、「家族を振り回す自分勝手な男」にしか見えないんです。「そこまでして国民航空で働くことにこだわらなくてもよくないか?」と思ってしまいます。また、恩地の海外就労風景も少し出てくるんですが割と楽しくやってるんですね。ここは苦悩もきちんと見せてほしかったです。どうしても日本に帰りたいというエピソードが少なすぎます。唯一このパートのラストで、海外僻地勤務であるが故の人間として絶対に逃したくない事件を逃してしまう場面があります。ここで初めて海外勤務の苦悩が具体的になるのですが、直後に娘から届く手紙の「自分勝手なお父さん」「家族はバラバラです」という言葉にこそ観客は感情移入してしまいます。画面作りとしては渡辺謙に感情移入させて「こんなに頑張ってるのに、なんでわかってくれないんだろう」という共感をしないといけないのですが、残念な演出になっています。

3) 墜落事故編
この作品の一番のメインパートである墜落事故編です。恩地は遺族の側にたった誠意ある姿勢を見せ、遺族達の信頼を獲得していきます。ここがこの作品で一番共感を呼ぶ場面です。非常に正義感あふれる恩地は、まさに「あるべき日本男児の姿」として感情移入度MAXです。冗長な演出が目立ちますが、遺族の方々の空虚になってしまった絶望を表現するのであれば仕方のない事だと思います。

4) 会長室編
10分間の休憩を挟んで、映画は大きく動き出します。すなわち石坂浩二演じる新会長のもと会社の改革が行われます。「真摯な遺族お世話係」として評価を上げた恩地は新会長に抜擢され、会長室としてこの改革に携わっていきます。ここから、恩地は徐々にストーリーラインから外れて行きます。というのも、テーマが「大会社と政治とマスコミの腐敗」にシフトしていくからです。恩地が具体的に改革する様子はまったく描かれず、むしろかつての同士・行天が汚い手でのし上がっていく描写がメインになっていきます。フィクションなので当然最後に悪は失脚するのですが、「悪の行天」「善の恩地」という対比が弱い、もっというと「善の恩地」が並行で語られないため、カタルシスが少なく「淡々と失脚」(笑)していきます。ここも演出上どうかなと思います。また、美談に着地するために恩地の妻や子供との和解描写も描かれますが、海外僻地勤務編の移入度の低さが災いしてイマイチ乗れません。「頑固な親父が折れた」というより「家族があきらめた」様に見えてしまいます。

■ それらを総括すると、、、

ここまでざっと見てきましたが、一言で総評すると「描写が整理されていない」という事です。この物語は恩地に感情移入できない限りはまったく面白くないんです。極端な話、ダーレン・アロノフスキー監督の「レスラー」のように恩地の一人称視点を中心に描いても良かったのではないでしょうか?

テーマについて

本作のテーマは、僕の見る限り三つあるように思えます。
[1] 周囲に振り回される真面目な男の苦悩
[2] 大会社の腐敗、政治の腐敗、マスコミの腐敗
[3] 大自然のすばらしさ

まず[1]についてですが、労組での暴れっぷりを冒頭で見せられているので「振り回される」と言うところに引っかかりが残ります。また恩地も家族を振り回しているので、なんだかなぁ感が出てきてしまいます。でもテーマとしては良いと思うんですね。渡辺謙のしかめっ面にかなり助けられていますが少し残念です。

[2]については「浅薄」と言う言葉が似合います。後半にとってつけたように汚職・収賄・横領が起こるのですが、その絡繰りが非常にずさんでこの作品の制作者が真摯に考えてるとは到底思えません。ホテルの買い手と売り手の帳簿で値段が食い違っているってギャグですか?監査法人に対する冒涜ですよ。あまりにディティールがずさん過ぎて、真剣に受け取りづらいんです。もっと言うと、一般論としての判官贔屓感というか「よくわかんないけど政治家とか金持ちとかロクでもないんでしょ」という安いワイドショー感(笑)で終わってしまっています。しかもこれが後半のメインなので、作品全体がワイドショー感で包まれてしまいます。このテーマに手を出すのであれば、きちんと描かなければむしろ逆効果です。

[3]は正直に言って私は不愉快です。ご飯ブハッって奴です。本作のラストはナイロビに行った恩地がお遍路をする事故遺族に向けて送る手紙の朗読で終わります。きちんとメモとっていなかったのですが、要約すると以下のような感じです。

「お体大丈夫ですか?家族を失ったあなたの苦悩は私の想像を遙かに超えています。だから簡単に言葉で何かを言う資格は私にはありません。もし良かったら一度アフリカに来てください。ここの自然はすばらしいです。」

私にはこれを見て「大自然を目にすれば、自分の苦しみなんてちっぽけなものだと思って立ち直れるかもよ?」としか理解できませんでした。ふざけてるんでしょうか? 延々3時間30分やって来て結論それですか?
私の誤解の可能性もありますが少なくとも僕はこんな印象を持ったため、それまでの「つまんない映画」という評価から一気に「不快な映画」にランクアップしてしまいました。
超好意的に解釈すれば「大自然で癒されてください」とも取れるのですが、なんだかなぁ。冒頭でフィクションとして感想書くと言っておいて何ですが、これ日航機墜落事故の遺族が見たら、どう思うんでしょうか?作り手はエンターテインメントやるなら最低限のモラルをもって欲しいです。見終わった直後に、もし監督が目の前にいたら手が出そうな位に腹立ちました。

【まとめ】

冒頭に書いたとおり、演出駄目・テーマ駄目の最低ランク映画です。しかめっ面して真面目風なテーマを掲げれば社会派の良い映画になるわけではないという典型例です。社会派気取りで駄目な邦画の見本みたいです。
そういう意味で、邦画の現状を把握するという意味ではお勧めです。是非見てください。そして今のメジャー系邦画がいかに酷いことになっているかを見てください。
ちなみにほとんどの役者さんは頑張ってました。この点だけが唯一の救いです。でも政治家役の皆さんは腹から声を出し過ぎ。シェークスピアではないので、普通よりちょっと滑舌良いくらいでトーンを合わせて欲しかったです。
余談ですが、取って付けたような「癒し描写」って何とかなりませんね?最近の邦画に多すぎるんです。

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きみがぼくを見つけた日

きみがぼくを見つけた日

風邪から回復したので
きみがぼくを見つけた日」に行ってきました。

評価:(75/100点) – タイムトラベル。いいね。良くないけど^^;


■ あらすじ

タイムトラベル能力を持った男の前に、自分を知っているという女が現れた。未来の自分が過去でナンパしてきたらしい。結婚するものの、タイムトラベルを制御できない男はいわば放浪癖のあるダメ男。妻は嫌気がさしつつも惚れた弱みで離れられない。そんな二人に子供のことである問題が、、、。
<三幕構成>
第1幕 -> ヘンリーとクレアの出会いとタイムトラベル、そして結婚。
第2幕 -> 夫婦に子供はできるのか? どうすれば良い?
第3幕 -> 死期を知ってしまうヘンリーとアルバの交流。

■ 感想

素直に面白かったです。かなり好印象。ただし、ちょっと一部のSFファンには厳しいだろうなという点もちらほら。それは後ほど整理します。まずはざっと感想を。
この話は、カテゴリとしてはSFではなくラブストーリーです。タイムトラベルは一種の「放浪癖」であり、「どうにもならない理由で引き裂かれる二人」を演出してくれます。初夜でいきなりいなくなる新郎。クリスマス前にいきなりいなくなる新婚の旦那。でも待ち続ける妻。泣けてきます。
ちなみに原題は「The Time Traveler’s Wife(タイムトラベラーの妻)」というモロにSFでございって言うものです。日本では「きみがぼくを見つけた日」というラブストーリーを前面に出したタイトルにしてますが、たぶん正解です。OL層の取り込みを考えてのことだと思いますが、この映画はコテコテのSFファンよりは間違いなく女性の方が楽しめると思います。
妻と夫の引き裂かれる愛、そして娘への思い。泣きたい方は思う存分、泣けば良いじゃない。ちなみに私もちょっと涙腺やられました。泣ける。

● SFとしてどうよ問題

これは絶対に出てくる問題です。しょうがないです。結論から言いますと、「きみがぼくを見つけた日」は
SFレベルを思いっきり下げてセンチメンタルに流した作品です。
サイエンス・フィクションには「SFレベル」というものが存在します。要は科学考証の厳密さです。SFというのは基本的にはハッタリです。ぶっちゃけ嘘です。ですので「どこまで嘘をついて」「どこから本当のことを入れるか」というサジ加減が必要になってきます。
たとえば、スターウォーズというSFの超名作があります。この作品中のC3POとかR2D2の造形を見ると、きちんと腕にシリンダーが見えたりしますし、攻撃されると火花が出ます。つまり、「人工知能ができるかどうかはハッタリだが、駆動部分のメカ機構は本当」ということです。また、「宇宙空間では無重力なのでデススターの近くに宇宙ゴミが浮いているのは本当だが、真空なのにレーザーガンの音が聞こえるのはおかしい」ということもいえます。ジェダイが使うライトセーバーやフォースは完全にファンタジーな超能力です。でもスターウォーズはSFです。つまり、スターウォーズは「SFレベルをちょっと押さえてファンタジーに振った作品」と言えます。
では、「きみがぼくを見つけた日」はどうでしょうか?
タイムトラベルについて、どうやって能力を取得したのかは一切語られません。また、過去の自分と接触したり、過去の人に未来を教えるなど、この手の「タイムトラベルもの」ではタブーとしていることもバンバンやります。過去の世界に干渉すれば、当然バタフライエフェクトが起きて未来が大きく変わるはずですが、そんな気配はありません。でも良いのです。
上記のスターウォーズと同じように、この作品ではタイムトラベルをただの超常現象としてあくまでファンタジックに使ってるんです。だから科学的考証はほとんど入っていません。わりと厳格なSFファンが見ると「なんじゃそりゃ」と言いかねませんが、これでも十分SFなんです。

■ さいごに

「きみがぼくを見つけた日」を気に入った方は、是非「ダンデライオン・ガール」という短編SFを読んでみてください。残念ながら文庫本は絶版ですが、ネットで検索してみてください。原文はこちらのwikipedia(英)の下部にリンクがあります。
タイムトラベルと恋愛を重ねるのはとても古典的な手法です。マンネリといえばマンネリですが、でもなんか好きなんです。
男のクセに乙女ちっくなだけかもしれません。お勧めです。
あ、ちなみに、SFレベルの高いタイムトラベルものが見たければ、「バタフライエフェクト3」も超お勧めです。こちらは単館系ですがめっちゃ良作です。必見。

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ブログをはじめるに当たって

ブログをはじめるに当たって

年に200本程度の映画を映画館で見ていましたが、なんかもったいない気がしたというか、この体験を何かに残しておこうと思いましてblogでもやってみっかと思い立ちました。
今後、たぶん何でもない映画を目茶苦茶褒めたり、かと思いきや大人気な映画をボロクソに書いたりすると思います。読んでくださる奇特なあなたが大好きな映画が私ごときに文句を言わる可能性は大いにあります。
そんな時は、ある適当な人間が私的に思ったことをひたすら書いてるだけだと思って聞き流していただけると幸いです。評論家ではないですし、まして物書きでもないので、そこはご勘弁を。
とかいいつつ、エンタメ業界の端っこのそのまた端っこでおまんま食ってたりします。すんません。
自分がプロモーションしてる作品をけなすのはご愛敬ってことで。^^;

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心の森(TRÄDÄLSKAREN:スウェーデン)

心の森(TRÄDÄLSKAREN:スウェーデン)

本日も東京国際映画祭に行ってきました。
「心の森」

評価:(60/100点) – スウェーデンのぼんくら三人組の奮闘記


<あらすじ>
スウェーデンは森が国土のほとんどを占めながら平地に人口の九割が住む国である。
そこで、スウェーデンのぼんくら三人組は木の上に小屋を造ることを考える。一夏三ヶ月をかけた建築をドキュメンタリーで送る。
<感想>
まず木の上に小屋を造ると聞いて一番最初に浮かぶのは、トム・ソーヤ的な冒険感覚です。そしてそれはあってます。いい歳して間違いなく「頭悪い(褒め言葉)」ですし、なんというか中2病(笑)な感じがプンプンします。でも面白いんですこれ。やってることはただ小屋を造ってるだけなので、別にドラマとか無いです。しかしそれだけで90分も画面がもつわけはないので、合間合間に森や自然をテーマにした専門家のインタビューが流れます。たとえば、キリスト教の神父さんが失楽園の知恵の実について語ったり、ジェンダー学者が森を母性にみたてて語ったりします。これは監督の意図とは違うかもしれないのですが、この「真面目な語り」と「ぼんくら三人組の中二病感」が見事に対比されていて、そのギャップがギャグとして成立する要因になっているのは否定できません。そして、ラストの小屋が完成した時の達成感と景色の美しさ。まさにFEEL THE NATURE。すっごいくだらない、そして半笑いが起こるようなことが、この最後の景色と合間の森語りによって、まるで人間が大自然に上手く協調したように見えるんです。言うなれば、GO BACK TO AFRIKA。でも「自然に帰れ」という歯の浮くようなメッセージをここまで柔らかくーしかし明確に表明したものはなかなかありません。「自然に優しくしろ。なぜならば地球が破壊されるからだ」という良くある(偽善的な)論法では無く、「自然と協調すると気持ちいいよ。オススメ。」という論法なんです。すばらしいフィルムでした。なかなか劇場配給するのは厳しいでしょうが、NHKで是非放送して欲しいですね。とてもオススメです。

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スペル

スペル

仕事帰り東京国際映画祭に行ってきました。
サム・ライミの最新作「スペル」です。

評価:(100/100点) – ホラーとギャグは紙一重という真理


【あらすじ】

銀行の融資係をするクリスティンは、ある日、小汚いババァのローン延長要請を断る。するとその夜ババァが駐車場で襲ってきた! ババァはクリスティンのボタンをむしり取ると呪いの言葉をかけて去っていく。その日から、クリスティンの周りに不可解な事が起こり始めた。

【三幕構成】

第1幕 -> クリスティンの日常。
 ※第1ターニングポイント -> ババァが呪いをかける。
第2幕 -> 呪いをかけられてから、四苦八苦して解決策を探すまで。
 ※第2ターニングポイント -> 降霊会の終わり。
第3幕 -> 解決編

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【感想】

はじめに

とにかく面白いです。ホラーが苦手な方には朗報ですが、この映画にいわゆる「グロい演出」はありません。すべてのショック・シーンやホラー演出は、ホラー文法に則った緻密な怖さをきちんと体現しています。しかし、たとえば血が出ると言ってもせいぜい鼻血ぐらいです。肉体破損描写もありません。ですからホラーが苦手な方も安心して(笑)見に行ってください。もちろん怖いというかビクッとする「音で脅かす演出」はあります。東京国際映画祭の先行上映でしたが、ホラー好事家が集まってるのかと思えばそうでもありませんでした。会社帰りの人といかにもな人が7:3ぐらいで、みんな終わった後はゲラゲラ笑いながら「ヤバイ」「キテる」を連呼されてました。まだ劇場公開されていない作品なので、いつもガンガンやってるネタバレは控えめにします。ですが、せっかくなので「ホラーとギャグは紙一重だ」という話、そしてホラー文法の基本について考えてみたいと思います。

ホラーとギャグは紙一重

さて今日の題目にもしましたが、ホラーとギャグは紙一重です。この感覚はホラーをあまり見ない人には分かりづらいかもしれません。そこで一般論に行く前にまずは本作「スペル」についていくつか脇道にそれてみます。

「スペル」って、、、(失笑)

まず「スペル」を見た方はこの映画がホラーだと思うでしょうか? おそらく皆さんがホラーだと言います。それはひとえにお化けが出てくるからです。では「この映画はギャグとして面白かったですか?」と聞くとどうでしょう。やはり皆さんがギャグとして良かったと言うと思います。これが何故かと言うことを考えていくわけですが、まずは原題を見てみてください。この「スペル」の原題は「Drag me to hell」です。直訳すると「私を地獄へ引っぱって」となります。これ要は「Take me out to the BALLGAME(私を野球に連れてって)」と同じ感覚なんです。つまり「地獄」が楽しい所で、「私」は行きたがってるんですね。これを見てアメリカ人は「あ、これギャグだ」と分かるわけです。
今月号の映画秘宝で町山さんがサム・ライミに「Don’t drag me~」にしなかった点を聞いていましたが、まさに普通行きたくない地獄に「Drag me~」と言ってる時点で作品全体のトーンが分かるんです。タイトル一つで作品の趣旨を全部表しているわけですから、すばらしいセンスだと思います。なので、配給元のギャガで「スペル(呪文)」などという恥ずかしいタイトルをつけた担当者は本気で反省してください。センスなさ過ぎ。サム・ライミへの冒涜です。

本題

ここからが本題です。ホラーとギャグは紙一重。これを説明するのにもっとも分かり易いのは「お化け屋敷」の構造です。皆さん、学生時代の文化祭で喫茶店とかやりましたか?たぶん文化祭のポピュラーかつ安易な出し物の一つに「お化け屋敷」があると思います。黒いカーテンで教室を暗くして机やロッカーで迷路を作った上で入ってきたカップルや客を、特にカップルを私怨を混ぜて脅かすわけです(笑)。さてこのお化け屋敷の構造は、真面目に考えるとずいぶんとマヌケじゃないですか?だって普段知ってる奴が、いつ来るかもしれないお客さんを待ってひたすらロッカーの中に入ってたりするんですよ?トイレとか必死に我慢して(笑)。つまりこれがホラーとギャグは紙一重という構造です。お化けは人間を脅かすためにひたすら待ってるんです。その待ってる方にフォーカスすると完全にギャグになるわけです。ドリフターズの定番ネタで消化器を使う幽霊コントがありますが、要はそれです。
「スペル」の中でもクリスティンをババァやお化けが脅かす演出がなされますが、特にババァについてはすべての登場シーンについて「ひたすら待ってる」んです。舞台の袖で(笑)。しかもサム・ライミは明らかにこの構造を熟知していて、いわゆる画面の端に「見切れる」演出を毎度やってきます。つまり、ロッカーの中で客が通りかかるのを待ってる友達が、ロッカーの窓からちょっと見えちゃってるんですね。ドリフの「志村!後ろ!後ろ!」を徹底的にやってるんです。是非これから見る方は、その「見切れ演出」に注目してください。ウォーリーを探せみたいなものです(笑)。
そういえば「ハリー・ポッターと秘密の部屋」で便所に住んでる女の子の幽霊がいましたが、彼女は全然怖く無いじゃないですか。それはどう見ても人間にしか見えないという要因もありますが、それにプラスして無害だからという事があります。彼女は危害を加えませんから。そうすると、幽霊の能力である「ものを透けて通れる」事だったり「飛べる」ことだったりが残って味のあるキャラになるわけです。物を投げても素通りしたり、そもそも物がつかめなかったり、そういう特徴はとてもギャグに生かしやすいものです。
「スペル」の大きな特徴は、クリスティンがお化けを怖がる描写がある一方で、彼女がとてもタフであることが挙げられます。彼女は劇中でそれこそ何度もお化けを腕力で撃退します。ここで「腕力で撃退」=「ツッコミを入れる」という構造が成立し、お化けがお化けらしく前述した特徴をいかした「ギャグ的な存在」として成立できています。ですので見ている間中、それこそ全体の六~七割程度はギャグシーンといっても差し支えありません。実際にスクリーン内で起こっていることはとても笑える状況では無いのですが、それでも笑いが絶えないのは、ホラーとギャグは紙一重という真理を上手く表現しているからです。お化けとクリスティンの夫婦漫才が行われているんです。クリスティンは命がけですけどね。

ホラー文法の基本

ホラー文法の基本はそれこそ無数にありますが、ちょっと長くなりすぎているので一個だけ紹介します。それは「いかに脅かすか」と言うことです。
みなさん、稲川淳二さんをご存じでしょうか?夏になるとテレビ番組に引っ張りだこで、怪談話のカリスマ的存在です。実は彼の話し方は「いかに脅かすか」というホラー文法に非常に忠実です。それは「集中と衝撃」というロジックです。
人間の感覚には閾値があります。閾値とは「これ以上になると~する」という境界線の事です。ホラーでは閾値を超えるとビクっとする訳です。例えば寝るときに部屋の電気を消すとします。最初は暗くて何にも見えないですね。でもしばらく経つと段々と見えるようになってきます。これは目の光に対する閾値が下がっている訳です。閾値が下がるとより少ない光を知覚できるようになりますから暗い中でも見えるわけです。ここで、いきなり電気を付けるとどうなるでしょう。すごく眩しくて目を細めますよね。これが衝撃です。あまりに閾値が低くなってしまったので、普段ならどうって事無い光でもとてつもない衝撃を受けるわけです。これをホラーに応用したのが「集中と衝撃」です。
ホラーでは「暗いシーン」や「静かなシーン」を続けることで、観客の閾値を下げていきます。暗いシーンであれば集中してよく見ないといけません。静かなシーンであれば耳をすまして集中しないと台詞や音が良く聞き取れません。そうすると当然観客は聴覚や視覚の閾値を生理的に下げるわけです。これは観客が意識してやるようなことではありません。人間である以上、勝手にそうなってしまうんです。そこで、いきなり画面いっぱいに怖い顔をだしたり大きな音を鳴らしたりすると「ビクッとする」わけです。これがホラーにおけるショック演出の基本です。「スペル」ではこの基本が随所に使われています。是非集中して見てみてください。

【まとめ】

ここまで色々と書いてきましたが、この映画は間違いなく今年の映画でトップクラスに面白い作品です。それどころか、ある種のマスターピースになる可能性をもった作品です。是非、映画館で歴史を目撃しましょう。ホラーが嫌いな方でも大丈夫です。なにせギャグ映画ですから。文句なくオススメです。

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