私の優しくない先輩

私の優しくない先輩

本日は一本です。密かに連休公開映画の本命、

私の優しくない先輩」を観てきました。

評価:(95/100点)– アイドル不毛の時代でカウンター・カルチャーとしての王道


【あらすじ】

西表耶麻子は女子高生。あこがれの南愛治先輩に思いを寄せるがなかなか切り出す勇気も無い。ある日耶麻子は、所属部員2名しかいないマット運動部で、先輩・不破風和に愛治宛のラブレターを見られてしまう。すると、暑苦しい不破は勝手に2人をくっつける「たこ焼き大作戦」を始めてしまうのだった、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> 耶麻子の部活動。
 ※第1ターニングポイント -> 不破がたこ焼き大作戦を提案する。
第2幕 -> たこ焼きの練習と喜久子との仲。
 ※第2ターニングポイント -> 耶麻子が倒れる。
第3幕 -> 祭り。


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【感想】

さて、実は密かに大本命でした、一部で局所的な盛り上がりを見せている「私の優しくない先輩」です。監督はご存じ「涼宮ハルヒ」や「らき☆すた」で知られるアニメ演出家のヤマカンこと山本寛です。正直、お客さんはオタクしか居ないだろうと思っていたんですが、予想に反してティーンエイジの女の子ばっかりでした。なんで!? お笑いはまったく分からないんですが、はんにゃのファンでしょうか?
先に書いておきますが、本作は映画としては駄目駄目です。とにかく耶麻子が性悪なゲスですし、その落とし前もロクにつけません。でもね、、、そんなことはアイドル映画にとってはどうでもいいんですよ!!! 私はここからはアイドル映画としての本作のみを言及します。映画としてはダメって書いたからね? 許してね? そりゃモノローグずっと流して演技もへったくれもないし、登場人物達は下らない一発ギャグみたいなアドリブを繰り返すし、ダメダメですよ。クソ映画すぎてマジで1桁点数です。でもそれは普通の青春映画という視点で見ているからです。本作はZ級アイドル映画なんじゃ(`・ω・´) (不破先輩風)!!!

アイドルという存在

まず「アイドル映画」という特殊な基準を持ち込むからには、それがどういうものなのかを前もって定義する必要があります。
アイドルと一口に言いましても、歌を歌う「アイドル歌手」も居れば、水着写真を撮られる「グラビアアイドル」も居ますし、「アイドル女優」や「アイドル声優」なんて単語もあります。非常に難しいんですが、アイドルを頑張って定義すると「特定のコミュニティに人気があって、ファン達の応援によって実力に見合わない立場で活動できる人」だと思います。後半に若干トゲがありますが悪意はありませんw 要は、ファンが思わず応援したくなるような存在だということです。例えば、今のAKB48は間違いなくアイドルだと思いますが、今のPerfumeはアイドルかと言われるとちょっと微妙です。それは、AKB48が実力を遙かに凌駕するファン達の熱気・投資によって支えられているのに対し、Perfumeは音楽の質が十分に認められているからです。AKB48は大人買いするオタク達なしではオリコン上位に食い込むことは不可能ですが、Perfumeは一人が何十枚も買わなくても普通に上位に入れます。別にどちらが偉いということではなく、アイドルはそういう存在だということです。たまたま極端な例を出してしまいましたが、AKB48に他意はございませんのであしからず。
そういう意味では「アイドル女優」というのが一種の悪口になり得るという問題もあったりするんですが、それを書き始めると長くなるんで止めましょうw 私の基準では新垣結衣はアイドル女優で、宮崎あおいは若手女優ですw

「アイドル映画」というもの

もう大分前になりますが、当ブログを始めた直後に「携帯彼氏」についてちょこっと書きました。あの映画は、普通の映画としてはゴミ以下で、アイドル映画としても完全にB級でした。本作を見て確信したのは、残念ながら川島海荷という素晴らしい素材を「携帯彼氏」はまったく生かせていなかったという事です。
本作は初めから終わりまで完璧なまでに「アイドル映画」として特化した演出がなされています。映画として整合性はほとんど放棄していると言っても過言ではありません。それはどういうことかと言いますと、、、
アイドル映画を撮る際に重要なのは、いかにしてそのアイドルの持つ「応援してあげたくなる力(ぢから)」を発揮させるかという事に掛かっています。前述したようにアイドルはファンからの応援によって成立しています。ですから、そのアイドルの魅力とはすなわち「応援してあげたくなる力(ぢから)」なんです。本作では、冒頭いきなりあからさまなハリボテの中で、あからさまに腰ベルトにワイヤーを着けられて浮遊”させられている”川島海荷から始まります。もうお分かりですね? 本作は完璧に「女優・川島海荷の羞恥プレイ集」なんです。

・ワイヤーで無理矢理吊されているのに笑顔で演技をしようとする
    (でも演技が下手な)川島海荷。
・アドリブ全開のはんにゃ金田を前に笑いをこらえながら一生懸命台本通りの演技をしようとする
    (でも演技が下手な)川島海荷。
・物凄い量のモノローグを必死にアフレコしている
    (でも滑舌が悪くて何を言ってるか分からない)川島海荷。
・やったこともないミュージカルを無理矢理やらされて必死に踊る
    (でもちょっと足がもつれてる)川島海荷。
・土砂降りの中で本格演技派っぽいシーンをやらされる
    (でも全然出来てない)川島海荷。
・そしてエンディングで一生懸命歌って踊ってる
    (でも音痴で踊りもつたない)川島海荷。
・おなじくエンディングで一生懸命踊ってる
    (けど途中で振り付けを忘れて適当に流し始める)高田延彦。
・最後に「MajiでKoiする5秒前」という今最高に恥ずかしく煮詰まったダサイ歌(苦笑)を歌わされる
    (でも世代的に恥ずかしさが分かって無い)川島海荷。

断言しますが、全部わざとです。
だってやろうと思えば何十回でもテイクを重ねればいいんですもん。でもこれで良いんです。というかこれが正解なんです。私は本作を見ている間中ずっと「大林宣彦っぽいな~~」と思っていました。その要因はここにあります。大林監督はロリコンとして知られていますが(苦笑)、それは彼のアイドル映画が例外なく「アイドルに羞恥プレイを強要」しているからですw。極端な話、映画を見ている私たちはロケで監督にいじめられているアイドルを想像して「頑張れ!!!」って応援しているんです。本作でもそうです。

川島海荷という最高の素材

本作がアイドル映画として傑作だと思うもう1つの要因が、川島海荷というとてつもない素材です。皆さん、下の川島海荷さんの顔を良く見て下さい。

川島海荷

気付いていただけますでしょうか?
まず、鼻が横に大きいです。次に眉毛が今時の子にしてはあり得ないほど太く濃いです。そして口が大きすぎます。これ悪口じゃないですよ(苦笑)。100%褒めてます。要は「いわゆるアイドルとしてはあんまり可愛くない」ってことなんです。その代わりものすごい小動物的な愛嬌とちょっと男の子っぽい中性的な雰囲気があります。
つまり、川島海荷さんという存在そのものが「アイドル」として成立できるギリギリの所にいる感じがするんです。これもまた「応援してあげたくなる力(ぢから)」の一種です。この子は応援してあげないとアイドルとしてすら成立しない気がしてくるんです。これは物凄い素質だと思います。本人が聞いてもあんまり褒められてる気がしないでしょうが最高に褒めてます(苦笑)。あなたは間違いなく現代日本で最高のアイドルになる素質をもっています。
余談ですが、AKB48の前田敦子さんもこのタイプの子です。あきらかに顔のパーツが真ん中に集まっていて歌も踊りも下手ですが、そこが逆に「応援してあげないとこいつはダメかも」という母性本能に似た応援を誘発します。最近仕事でアイドル関係の3Dの事をやってるんでそんな事ばっか考えてますw

【まとめ】

本作がアイドル映画として傑作なのは、この川島海荷さんの持つ素質と「羞恥プレイとしてのアイドル映画」という部分を自覚的に演出している点です。でなければ、あのワイヤーは見せません。絶対にCGで消します。とはいえ実はここに一点だけ不満があります。最後にCGで宇宙に浮遊する耶麻子と不破のシーンが出てくるんですが、ワイヤーを消しちゃってるんです。そこはワイヤーを見せないとダメです。地球はCGでもいいから、ワイヤーは残さないといけません。そうしないとこのプレイは完成しないんです。ここで「もしかしてヤマカンは自覚して演出してないのか?」とちょっと疑ってしまいました。でもそんな不満もエンディングの高田延彦が全て吹き飛ばしてくれます。
書いてて自分で自分をちょっとキモイかもとか思ってるんですが(苦笑)、本作はアイドル映画として最高でした。決して新しいことをしているわけではありませんが、アイドル不毛の時代にある種のメタ的な視点(=これがワイヤー/羞恥プレイをしているという露悪的な主張)を取り入れて王道の演出を行ったことに大きな意味があります。
今の時代でも80年代アイドル映画は再生産可能なんです。
冒頭にも書きましたが、青春映画としては耶麻子というクソアマ(失礼)が酷すぎるんでまったくダメです。でもアイドル映画としては文句なく大傑作です。
そのあたりを念頭において見る場合に限り、全力でオススメします。

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レポゼッション・メン

レポゼッション・メン

2本目は

「レポゼッション・メン」です。

評価:(65/100点) – フィリップ・K・ディック風の未来世紀ブラジル


【あらすじ】

2025年、人々はユニオン社の人工臓器によって、もはや臓器移植の順番待ちをする必要がなくなっていた。その一方で、ユニオン社は高額な人工臓器をローンで購入させ、返済を滞納した者から、回収人(レポ・メン)を使って人工臓器の没収をしていた。
ユニオンに務めるやり手回収人のレミーは、ある日回収の途中で除細動器が暴発し心臓を焼き切られてしまう。目覚めたレミーにはユニオン社の人工心臓を移植する以外生きる道が残されていなかった。人工臓器を使う側になって初めて、レミーは回収人の仕事が人殺しであると気付き、足を洗おうとする。しかし、人工心臓のローンが払えずに回収人に負われる立場となってしまう、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> レミーの回収
 ※第1ターニングポイント -> レミーが人工心臓を移植する。
第2幕 -> 追われるレミー
 ※第2ターニングポイント -> レミーがジェイクに襲撃される。
第3幕 -> ユニオン社本部への潜入


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【感想】

今日の2本目は「レポゼッション・メン」です。近未来を舞台に、ある企業のプロフェッショナルが自ら企業と対立する立場になって結局は、、、というそのまんまフィリップ・K・ディックが書きそうなディストピアSFの小品です。
この手のプロフェッショナルがアイデンティティクライシスを起こす話は、SFでは定番中の定番です。そんでもってミステリアスな美女と出会って協力関係になるのもお約束です。余談ですが、この美女・ベス役のアリシー・ブラガは先週見たザ・プレデターズでもヒロインを好演しており、アクションSFでは今後大いに活躍が期待される女優さんです。是非名前を覚えておきましょう。
なんかあんまり詳しく書くとネタバレになりそうなんですが、要は「未来世紀ブラジル」のオリジナル版と話は一緒です。主要登場人物はわずかに4人だけですし、別に凝った話でもありません。ただ、いまさら感よりは「未来世紀ブラジル」をポップに焼き直した佳作という印象です。決して手放しで褒められる作品ではないですしオリジナリティもありませんが、ジャンルムービーとしてはかなり上手く纏まっていると思います。あとはジュード・ロウvsサラリーマン軍団という爆笑必至の名アクションシーンを楽しむだけの映画ですw
特に後半は話が適当過ぎてアラが目立つんですが、それもわざとで済ませられる都合の良いオチが待っていますので、腑に落ちないものの諦めがつきます。
決して一般受けするような作品ではありませんが、SF好きならとりあえず押さえておいて損はない作品でした。でもレンタルDVDで十分な気もしますw

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ザ・ロード

ザ・ロード

今日は有楽町で2本見てきました。1本目は

「ザ・ロード」を見てきました。

評価:(10/100点) – ドラマの薄い単調な終末ロードムービー


【あらすじ】

天変地異で文明が崩壊したアメリカで、親子はひたすら南を目指す。


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【感想】

本日の1本目は「ザ・ロード」です。公開から結構経っていますが、お客さんはかなり入っていました。とはいえ有楽町シャンテの小さな箱でしたのでせいぜい20~30人と言ったところでしょうか。結構良い評判を耳にしていましたので期待して見てみました。が、、、、確かに好きな人がでそうな雰囲気は分かるのですが、私にはまったく合いませんでした。

本作の基本プロットと引っ掛かる所

本作は、何らかの事情で文明が崩壊してしまったアメリカが舞台となります。母親は気がふれて自殺してしまい、残された父と子は母の遺言である「暖かいところを目指して。」という言葉を守り、ひたすら南へ向かいます。生き延びた人間達は、ギャングのような集団を作って人を襲っては人肉を食べるならず者と、ひたすら彷徨うだけの善良な市民に別れています。親子は時に残虐な連中とニアミスしながらも、ただただ南に向けて歩き続けます。
はっきりと言いますが、本作にドラマはありません。あるのはシチュエーションだけです。上記のような世界で、ひたすら親子が悶えあっているだけです。恐ろしい、、、。
しかも時折挟まれるイベントも2パターンしかありません。1つは、ならず者達に見つかりそうになって逃げるイベント。もう1つは善良そうな不審者にあって、息子が施しを与えようとするのを父が窘めるイベント。以上です。後は何もありません。
私は本作を見ていてほとんど怒りに近い感情をもってしまったんですが、その大きな要因が息子の存在と世界観の適当さです。
本作の世界は、人食い連中がうようよいる危険な環境のはずなんです。ところが、例えば物音がして隠れなきゃいけないシーンですら、明かりや焚き火をつけっぱなしで大声で親子が怒鳴り合うんです。おまえら10秒で見つかって瞬殺だよ!!!しかもナイフがあるのに堂々と銃声を響かせたり、敵のアジトからこっそり抜け出すときに階段をブーツでドタドタ駆け下りたりするんです。どういうリアリティなんでしょう?
それにプラスして、息子がほとんど頭がイカレてるんじゃないかと思うほど危機管理能力がなく、学習もしません。延々と泣き言を言っているだけで、不審者にホイホイついていって勝手に危険になったり、大声で喚きチラしたり、腹減ったとか駄々こねる癖に浮浪者に缶詰をあげて同行させたりします。
フォーマットとしては、「頭の足りない息子をかばいながら南を目指すお父さんの苦労話」としか見えません。それはエンディングまでつづきます。エンディング手前のある重要な事件で成長したのかと思いきや、結局この息子は知らない人にホイホイついていくんです。たまたま良い人だったからいいものの、普通なら即死ですよ、本当。
本作はルックスだけは「ザ・ウォーカー」に似ています。しかし、あちらが西を目指す明確な理由があるのに対して、こちらには何もありません。だから、極端な話、いつまででも話が転がるしいつ終わってもいいんです。画面を持たせるためなのか、時折母親との思い出が回想として差し込まれますが、それすら単なる雰囲気作りにしかなっていません。せめて何かの伏線にでもなっていれば良いんですが、雰囲気以上の何者でもないため、まったく乗りようがありませんでした。
個人的に駄目な映画には「ツッコミをいれてニヤニヤできる映画」と「ただただつまらない興味の続かない映画」と「不愉快な映画」があるんですが、本作は「不愉快な映画」の部類でした。

【まとめ】

本作の評価は、一重に自分に子供がいるかどうかに掛かっているような気がします。自分に子供が居るひとなら、「子供は理屈がとおらない事をするしワガママ放題言うし時折ウザイ」というのを許せると思います。現に、作中の父親は手を焼いてはいるものの、その世話焼きも含めて子供を愛してるのが伝わってきます。
でも、どうしても第3者として客観で見てしまうと、申し訳ないですが「早く死ねば?」としか思えないほど息子がウザくて仕方がありませんでした。特に途中で食料を山ほど見つけて調子に乗るシーンなんぞは、いきなり子供の態度がでかくなってスナック菓子を食い散らかしはじめて物凄い腹立ちますw 「あんだけ食い物で苦労したのに食い物の大事さも学べないのか!!!」と怒り心頭です。
お子様が居る方は、子供を連れずにお一人か夫婦で見に行かれると楽しめるかも知れません。が、それ以外のかたには結構博打な作品だと思います。

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借りぐらしのアリエッティ

借りぐらしのアリエッティ

今日の最後は

ジブリ最新作「借りぐらしのアリエッティ」です。

評価:(55/100点) – 演出は良し。でもストーリーが、、、、。


【あらすじ】

小人のアリエッティは両親とともに人間の家の床下で暮らしていた。ある日、家に養生に来た少年に、アリエッティは姿を見られてしまう。姿を見られたものは引っ越さなければいけないという小人たちのルールを尻目に、アリエッティは少年と交流していく、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> 翔が養生に来る。
 ※第1ターニングポイント -> アリエッティが”借り”で角砂糖を落としてしまう。
第2幕 -> アリエッティと翔
 ※第2ターニングポイント -> アリエッティの母が誘拐される。
第3幕 -> 母の救出と引っ越し。


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【感想】

本日3本目はジブリ最新作「借りぐらしのアリエッティ」です。宮崎駿が引退したくても後継者がいない苦悩が続くジブリですが、本作ではまたしても新人監督を起用しています。といっても米林監督は本職が原画家ですので、演出という面ではほとんど素人同然です。やはりジブリのネームバリューは絶大で、本当にお客さんがよく入っていました。それも全年代勢揃いという感じで、まだまだブランド力は健在です。
このブランド力がある内に早いところ新監督を発掘しないといけないわけですが、ジブリの苦悩はもしかしたら米林監督出現でなんとかなるかも知れません。本作もゲド戦記や猫の恩返し同様にダメはダメなんですが、しかし演出は悪くありません。むしろ宮崎駿自らの書いた脚本があきらかに失敗しています。
この失敗は「キャラ立て不足」に尽きると思います。なにせ翔とハルが決定的に不審者以外の何者でもないんです。ハルがなんであそこまで「こびと」を捕まえようとするかが分かりませんし、翔に至ってはいきなり「君達は絶滅する種族なんだ」とかわけ分からんこと言ったと思ったら「君は僕の心臓の一部だ」とか言い出す狂人です。心臓病も全然活かされていませんし、翔の両親は一切出てきません。まったく意味不明です。
しかし一方のアリエッティ家はきちんとキャラが立っています。開始30分程度で”借り”に出かけるシーンまでは、傑作の予感すらするほど良く出来ていました。それだけに後半の失速が半端じゃなく、特に人間側があまりに酷すぎて、結局逃げた小人達が正解にしか見えません。
本作はとってもシンプルで内容の薄い作品です。アリエッティが人間に見られて引っ越すだけです。なのに、そこに誘拐話や翔との交流が入ってくるとどうしようもなく酷いことになってしまいます。
ガジェット的にも気になる部分があります。「9~9番目の奇妙な人形~」と同様に本作では「人間の使うもの」を小人が利用しています。だから切手が額縁に入っていたり、壁にボタンを飾っているのはすごくワクワクするんです。その一方で、明らかに小人用に作られたと思われる食器や家具が物凄く浮いて見えます。彼らの技術力がブレブレなんです。しかもせっかくマチ針を剣にしてるのに、戦闘がありません。1カ所ぐらいネズミと戦うシーンでも入れれば良かったのに、、、。
結局、日本語が通じちゃったり、小人の声が人間にも鮮明に大きく聞こえちゃったりする時点でリアリティ・ラインはボロボロなんです。しかも彼らは体調10cm以上あるんですよ。普通に隠れられる大きさじゃないです。

【まとめ】

設定だけを見るとトトロを連想するんですが、足下にも及びません。しかし、単なる駄作として切り捨ててしまうにはもったいないと思います。あまり期待しないで見に行く分には意外と満足出来るかも知れません。オススメです。

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エアベンダー

エアベンダー

本日に2本目は

エアベンダー」です。

評価:(4/100点) – シャマラン、、、、故郷へ帰れ。


【あらすじ】

「火」「水」「土」「気」の4つのエレメントを司る4つの国で分断された世界で、ある日火の国が反乱をおこした。4つのエレメントを自在に操り精霊と会話ができる「アバター」を妬んだ火の国が、アバターの生まれる「気の国」のベンダー達を皆殺しにしたのだ。
そんな中、南の水の国に住むカタラは、氷の下から少年を発見する、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> カタラがアンを発見する
 ※第1ターニングポイント -> アンが修行を決意する。
第2幕 -> 北の水の国へ向かう旅
 ※第2ターニングポイント -> 水の国に着く
第3幕 -> 火の国との戦い


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【感想】

さて、本日の2本目はM・ナイト・シャマランの最新作「エアベンダー」です。原作はTVアニメ「Avatar: The Last Airbender」でエミー賞とアニー賞を獲った傑作です。初日なのに観客が一桁しかいませんで、ちょっと意外でちょっと納得という感じでした。
実際、私もかなりの「シャマラー」を自負してはおるんですが、本作は本っ当に厳しいものがあります。「レディ・イン・ザ・ウォーター」を全面的に擁護している私をもってしても(苦笑)、本作は最低ランクの映画ですw。すみません。限界ですw
なんといいましても、話は面白いんです。いわゆる「勇者様ご一行もの」のストーリーで、未熟な勇者様が修行をしつつ独裁帝国を倒すというとても類型的でありきたりな作品です。でも、すくなくとも原作ではこのお約束をきちんとキャラを立てた上で語っており、まったく問題ありません。
で、映画版なんですが、これがまた演出がビックリするほど下手くそです。とにかく大事なことはモノローグと一人言でクリアし、それ以外のどうでも良い部分だけが丁寧に描かれます。会話がぎこちないのもそうですし、なにせアクションが本当にどうかという程ひどいです。そもそもエレメントを呼び出すときに太極拳みたいな動きをするんですが、これが長すぎかつショボイため、まったく盛り上がりません。
本作は110分ですが、上手くまとめれば40分ぐらいで終わります。とにかく長い演出のすべてが無意味で、描かないといけない所を省いてしまっており、もうどうしようもありません。
おそらくオリエンタル感をだすためなのか、俳優陣はとてもアジアっぽい顔が揃っています。シンガポールやインド系がメインで、白人・欧州人が全然出てきません。このあたりの世界観の作りが良いだけにその演出の酷さが余計際立ってしまいます。
なんか書いててゲンナリしてきたんですが(苦笑)、シャマランはこれで5連続駄作がほぼ決定しましたので、そろそろハリウッドで干されるかも知れません。シャマラーとしては大変残念なんですが、今回分かったのは、やはりシャマランは色物監督としてしか生きる道がないってことです。普通の映画を撮ろうとすると、普通につまらない映画になりますw。
次回作に期待しつつ、でもお客さんが入ってないのですでに一般にもシャマランの底の浅さがばれているという事を残念に思いつつ、微妙にオススメいたします。
念のためですが、3Dで見る必要はまったくありませんので、レンタルDVDを待つのが一番ですw。

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インセプション

インセプション

本日は三本です。最初は先行公開の

インセプション」です。

評価:(80/100点) – 使い古された題材をスタイリッシュなB級に再生産


【あらすじ】

コブはターゲットの夢に侵入し秘密を覗き見る産業スパイである。ある時、ターゲットのサイトーの夢でスパイに失敗したコブは、逆にサイトーから仕事を依頼される。それはサイトーのライバル会社の会長・モーリスが死ぬのを受けて跡取りの息子に会社を解体させることだった。普段行っている情報泥棒とは逆の「情報植え付け(インセプション)」に難色を示すコブだったが、自身の犯罪歴を消してやるという条件につられ、仲間を集めて決行することにする、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> サイトーの夢への侵入
 ※第1ターニングポイント -> サイトーからの提案を受ける
第2幕 -> 仲間集め
 ※第2ターニングポイント -> ロバートの夢に侵入する
第3幕 -> インセプション作戦


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【感想】

3連休の初日は久々に三本の映画を見ました。1本目は先行公開の「インセプション」です。ダークナイトで”不必要に上がりすぎた”ネームバリューからか(苦笑)、観客はほぼ満員の入りでした。感慨深いと言いましょうか「こんなにメジャーになっちゃって、、、」という感じのクリストファー・ノーラン監督ですが、本作ではきっちり自身の資質である「ギミックB級サスペンス監督」という部分が前面にでた良い映画でした。
話の内容はまさしく「どこかで見たような気がする設定」のオンパレードです。そもそも「他人の夢の中に入り込む」というのが定番ですし、それをスパイ大作戦風の「チームもの」として表現するのもありきたりです。ですが、そんなありきたりな内容だからこそ、きっちりとルールを説明してくれる律儀な作りが非常に好感が持てます。
もともとノーランはこういった「面白ギミック」を使ってストーリーを転がすのが得意な監督です。どちらかというと演出は下手な部類に入ると思います。実際、本作でも単調な音(ブーンという例の重低音)の使い方や無意味なスローモーションの数々など、時折「イラッ」とする部分がないわけではありません。でもそれを補ってあまりある「メジャー感」がドーンと芯にあります。
本作でのルールは明確です。
(1) 夢の中で死ぬと目が覚めるが、痛みは本当に感じる。 
(2) 夢の中でも夢を見られる。
(3) 現実より夢の中の方が時間の流れが遅い。
(4) 夢の中では潜在意識が他者を排除しようとする。
このシンプルなルールを序盤にチュートリアル形式で説明し、それがすべて応用編たる3幕目に登場します。言ってみれば、1幕から2幕に続く「サイトーの夢」と「仲間集め」はすべてこのルールを説明するためにあるようなものです。ですから実は二時間半ある上映時間はもっと削れるはずです。確かにこの説明が長すぎて眠くはなってくるんですが、でもこれがあるおかげでインセプション作戦の超絶に入り組んだ夢の階層構造が理解しやすくなっているのも事実です。
見ているときにはどうしても「この夢は何階層目の夢か?」という部分を理解するので手一杯になってしまいがちです。しかし、少し冷静に見てみると、夢の中の出来事が、1つ上の階層の現象を上手く反映しているのに気付くはずです。この辺りの設定/設計は本当によくできています。惜しむらくはノーランの演出力によってイマイチ分かりづらくなってしまっている点です。もしかするとノーランを脚本に専念させて、職人監督に演出を任せた方がよかったんじゃないかとさえ思ってしまいました。

【まとめ】

余韻の残し方がシャッターアイランドに似ているのはディカプリオの顔が監督にそうさせているのでしょうかw 決して易しい内容の作品ではありませんが、最後の落とし方をポップにすることで「なんとなく分かったような気にさせる」のはノーラン監督の成長の跡だと思います。夏休み大作映画の第一弾としては間違いなくお勧め出来ます。

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トイ・ストーリー3

トイ・ストーリー3

今週の金曜レイトショーは

「トイ・ストーリー3」です。

評価:(95/100点) – お帰りなさい、極上のストーリー。


【あらすじ】

17歳になったアンディは大学入学を控え部屋の掃除をしていた。母から引っ越し先へもっていくものを選別するよう言われたアンディはお気に入りのカウボーイ人形・ウッディだけを残し他のおもちゃ達を屋根裏部屋にしまおうとするが、母親の手違いでゴミに出されてしまう。絶望したバズ達はアンディを捨て近所の保育園・サニーサイドのやっかいになることになる。しかしそこは、「捨てられたおもちゃの墓場」であった、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> アンディの引っ越し
 ※第1ターニングポイント -> バズ達がサニーサイドに入る。
第2幕 -> おもちゃの墓場
 ※第2ターニングポイント -> ウッディが救出に戻る。
第3幕 -> サニーサイド脱出作戦。


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【感想】

さて、今週は金曜の新作が無かったので取っておいたトイ・ストーリー3を見てきました。というのも、私はここ何作か連続でピクサーに泣かされているため、土日以外の空いてるタイミングを狙ってたんですw 平日夜中のレイトショーでしかも3D字幕でしたので、ほとんど観客は入っていませんでした。環境バッチリw
結論から言いますと、今度のピクサーも凄い事になっています。とにかくシンプルな話を演出だけで持っていっていまして、まさに「映画力」満点といった貫禄の趣です。
一応おさらいしておきますと、「トイ・ストーリー」はディズニーアニメが停滞していた時期にジョン・ラセターとピクサーの名を一躍世にしらしめた歴史的な作品です。「おもちゃと持ち主」というある種絶対的な主従関係(=所有関係)にあって、それでも「おもちゃ」の幸せって、、、、という部分がテーマになっています。
ところが、「トイ・ストーリー2」では1での「おもちゃの幸せ」がごっそり抜け落ちてしまい、「おもちゃにとっては主人の言うことを聞くのが一番」という「どこの独裁国家だ!」って酷さになってしまって、お怒りの方も多数かと思います。っていうか言ってることが1作目と真逆w
そういった背景があって、「トイ・ストーリー」のファンは10年以上もやもやしていたわけです。で、今作ですが、、、、すっげぇ。まさに1作目の時のクオリティが戻ってきました。素晴らしいです。1作目から関わっているだけあって、リー・アンクリッチはきちんと本作の肝を理解して演出をしていますし、脚本のマイケル・アーントも完璧です。
本作ではきちんと「おもちゃにとっての幸せ」に一定の結論を出しています。そこは是非劇場で確かめていただくとして、、、、やはり本作で一番凄いところは、真の意味で悪人がいないっていう部分です。悪には悪になる理由があって、ある程度は情状酌量の余地があります。根っからの悪人は出てきません。みんなちょっとしたすれ違いで道をはずしたりすれ違ったりしていくんです。
ですが、本作ではウッディ達の「友情パワー」によって窮地をくぐり抜けていきます。今作における「善人」と「悪人」の差はそこだけなんです。友達がいるかいないか。ロッツィは友達がいないからグレていって、バズやジェシーは友達が居たから戻れたんです。「友達って大事」という教訓をここまで明確に出せるのは凄いです。しかも「ジェダイの復讐」のオマージュまでやってきます。
また、冒頭のシーンから顕著ですが、この監督は「マクロな視点で見るとショボイことをミクロに寄って迫力を出す」という事に特化した抜群の演出力があります。すんごいショボイことをやっているだけなのに、画面上では一大スペクタクルなシーンにきちんとなってますし説得力もばっちりです。
私は恥ずかしながら2箇所で号泣してしまいました。1カ所はもちろん冒頭のビデオカメラシーンです。本当に幸せそうなんだ、これが。手ぶれグラグラのヘンテコなショットなんか使わずに、誰がどう見ても手持ちカメラだっていうのが一発で分かって、しかもそのローテクな感じとノスタルジーを混ぜてくるあたりは完璧です。
そしてもう1カ所は終盤の手をつなぐシーンです。無理。マジ無理。完全に涙腺決壊。絶望の淵で、ご主人様を呼ぶでも泣き叫ぶでもなく、ただ仲間達で手を繋ぐんですよ。ここが本作が一番「分かってる」所だと思うんです。
結局、本作ではアンディとウッディを「主従関係」ではなく「友情関係」として描ききるわけです。「ご主人様の言いたいことも分かるけどそれでも仲間が大事」というウッディの思いがアンディに通じたとき、本作を1から見てきた人たちへのご褒美のような極上なエンディングが待っています。最後にウッディがつぶやく一言で、もう無理なんです、私。涙が止まらんのですよ(苦笑)。

【まとめ】

とにかく、1作目・2作目を見てない人はいますぐレンタル店に駆け込んで1・2を見て、続けて劇場へ走り込んで下さい。断言します。このクオリティの作品をシネコンで全国公開しているのに見に行かない人は大バカモノです。人生の何分の一かは損をしています。悪い事は言いませんので、劇場で、3Dで、トイ・ストーリー3、是非見て下さい。
大プッシュです。

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記事の評価
ぼくのエリ 200歳の少女

ぼくのエリ 200歳の少女

本日は一本です。

ぼくのエリ 200歳の少女」を見ました。

評価:(95/100点) – 珠玉の青春映画


【あらすじ】

いじめられっ子のオスカーはある日隣の部屋に引っ越してきた子と出会う。エリと名乗るミステリアスな少女に魅かれるオスカーは、やがて彼女の勧めに従いいじめに抵抗するようになる。一方その頃、町では奇妙な殺人事件が発生していた、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> エリとの出会い
 ※第1ターニングポイント -> エリがヨッケを襲う
第2幕 -> オスカーとエリ。
 ※第2ターニングポイント -> オスカーがエリが吸血鬼だと気付く。
第3幕 -> いじめの結末。


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【感想】

本日は「ぼくのエリ 200歳の少女」です。まだ全国で銀座テアトルシネマのみ公開ですので、完全に満席でした。完全に映画オタクで埋まっており、前評判の高さもあって凄いことになっています。スウェーデンでは2008年に公開された作品で、多くのファンタスティック映画祭で話題を攫っていました。2年掛かってようやく日本公開です。

はじめに

まず、私としては謝らなければいけません。今年の3月に「渇き」を見て「そんじょそこらのジャンルムービーでは太刀打ちできない」と書いてしまいましたが、「そんじょそこら」でないとんでも無い映画が来てしまいました。本作はラブストーリーでありながら怪奇映画でもあります。
ヴァンパイアのラブストーリーというと、どうしても「トワイライト・シリーズ」を思い浮かべてしまうかも知れません。たしかに「トワイライト」もヴァンパイアのラブストーリーでした。しかし、大変申し訳ないですが、本作とはかなりレベルに開きがあります。それは、ラブストーリーとしても、そしてヴァンパイアムービーとしてもです。本作ではヴァンパイアとしての負の部分をがっつりと描きます。決して恋愛の障壁としてのみ使っているわけではありません。そして生まれながらの魅力ある血とかいうご都合主義丸出しの設定もありません。本作の主人公・オスカーはなんの変哲もない少年です。いじめられっ子で、それに抵抗する勇気も無く、一人で夜な夜な憂さを晴らすようにエア抵抗をするような内気な少年です。その少年が、いつしかヴァンパイアの子と交流し、お互いにお互いが絶対必要な存在になっていくわけです。
本作の原題は「Lat den ratte komma in ( Let the Right One In / 正しき者を入れよ)」です。文字通り、オスカーは物理的にもそして心理的にも、エリを”正しき者”として受け入れていきます。この過程で、彼は彼女への共感と恋と拒絶を味わいます。それは決して一目惚れというレベルではなく、もはや分かち難いものとしての依存関係なわけです。

本作におけるヴァンパイア

本作において、エリは決して怪物としては描かれません。彼女は「血を吸い日光に弱い」という性質をもった一人の少女です。そしてホーカンという庇護者と共に生活しています。ホーカンはエリのために夜な夜な通り魔殺人を起こし、ポリタンクで血を収拾します。ある事件があってホーカンが居なくなってからも、彼女はむやみに人間を襲うことはしません。エリは無慈悲なモンスターではなく、あくまでも生きるために血を吸わなければならないという性質をもってしまっているだけです。それはまるで私たちが魚や肉でタンパク質を取らなければいけないように、彼女にとっては血を吸うことが必要なんです。
そして、彼女は人間以上の身体能力を持っていますが、決して万能なわけでもありません。特に「日光に当たると死んでしまう」という一種の虚弱体質でもあります。極端な話、彼女を殺そうと思えば昼間に部屋に忍び込んでカーテンを開けるだけで良いんです。そういった意味で、彼女は弱い存在でもあります。

オスカーとエリ

オスカーは徐々にエリを唯一の友人として、そして唯一の居場所として心の支えとしていきます。一方のエリも、彼女を怖がらずに話をしてくれる人間としてオスカーに魅かれていきます。本作で最もすばらしい所は、このエリとオスカーの交流が、文字通り性別を超えた心の繋がりになっていく点です。
そして、エリはいつまでも年を取らず、オスカーは年を取っていきます。これは穿ち過ぎかも知れませんが、彼らの行き着く先が、エリとホーカンに思えてなりません。ホーカンは冒頭ではエリの父親として登場します。しかし仕草や覚悟は親子と言うよりは恋人のそれです。明らかにホーカンはエリを愛しています。しかしその一方、エリはあまり愛情を表現しません。
彼女は数百年も12歳の姿で生き続けています。ですから、もしかしたらホーカンとも彼が子供時代に出会ったのかも知れませんし、オスカーも彼女にとっては数十人目の庇護者かも知れません。実際にはエリは生存本能としてホーカンの代わりにオスカーを必要としただけなのかも知れません。それでも、本作ではオスカーとエリの甘く重苦しい交流を情緒的に描ききります。まるでハッピーエンドのように描かれるラストの甘酸っぱいシーンにあってさえ、彼らには「血の調達」という困難がすぐに迫ってきます。オスカーはエリと一緒にいるためにこの先何十年も人を殺し続けなければいけません。でもそんな厳しい現実を見る直前の、まるで一瞬の休息のような彼らの希望溢れるラストシーンに、どうしても心揺さぶられざるをえません。

ショウゲートによる改変の問題

本作はオスカーとエリの依存関係の成立が肝になるわけですが、その際に重要な改変が配給会社により行われています。
劇中で何度も「私は女の子じゃないよ」というセリフが出てくるように、エリは男です。終盤エリの去勢根をオスカーが見てしまう場面もあります。これはオスカーとエリの愛情というのが完全に性別を超えた心理的関係であることを表しています。なんかヤオイ肯定派みたいな言い草ですがw
それを「ぼくのエリ 200歳の少女」とかいう変な邦題でエリが女性であるような先入観を与えたり、肝心の場面に修正を入れたりして普通の少年少女のラブストーリーのように誤解させようとしてる根性が気に入りません。エリが男で何が悪い。宣伝のために内容変えるとか最低の悪行です。

【まとめ】

すばらしい作品でした。ラブストーリーとしても、ヴァンパイアムービーとしても、何の文句もございません。ヴァンパイアムービーでここまで愛おしく実在感を持ったストーリーはなかなかありません。ホラームービーが苦手という方もご安心ください。ホラー要素はほとんどありません。それ以上に異種間恋愛としてとても良く出来ています。本当に惜しむらくはフィルム1本の4スクリーン順次興行という上映形態です。こんなに素晴らしく、こんなに話題の作品が小規模公開というのは映画文化にとって間違いなく損失です。
本作はハリウッドでのコピーリメイクが決まっており、10月に公開される予定です。もしかするとリメイク版がシネコン上映されかねない状況だったりするのが、非常に複雑な心境です。ですが、もし、もしお近くで上映がある方は是非とも足を運んでみてください。映画ファンであれば絶対に見ておくべき作品です。
文句なく、全力でオススメいたします!

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