デッドクリフ

デッドクリフ

成人の日は

デッドクリフ」を見てきました。

評価:(40/100点) – 細かい所で意味が分からないが、勢いで押し切る!


【あらすじ】

クロエは友人のフレッドとカリーヌのカップル、恋人のルイック、元彼のギョームの5人でクロアチアにクライミングに来ていた。山頂に到達した後にケーブル滑空で降りてくる半日ほどの行程を選んだ一行だったが、途中、立ち入り禁止の行き止まりに会ってしまう。クライミング経験豊富なフレッドは看板の上の崖をよじ登り、注意書きを無視して道を拓いていく。しかしその山には、恐怖が待っていた、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> 一行とクライミング
 ※第1ターニングポイント -> フレッドが行方不明になる。
第2幕 -> フレッドの捜索。
 ※第2ターニングポイント -> 山小屋に着く。
第3幕 -> アントンとの決着。


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【感想】

月曜の成人の日はシネパトスで「デッドクリフ」を見て来ました。完全に単館の上映でしかも2009年の作品ですが、かなりお客さんが入っていました。こういう誰がどう見てもB級なタイトル&ポスターでここまで入るというのは、大変素晴らしいことだと思います。
恥ずかしながらgoogleで検索してはじめて気付いたのですが、タイトルが「レッドクリフ」のパロディになってたんですね。非常にパチモノ臭くて完璧な邦題だと思います。フランスでの原題は「vertige」で「空間識失調」=「高いところでの極度の目眩い」のことです。本作では前半から高いところが苦手なルイックがずっーっと掛かってしまった症状です。とはいえ、もちろん本作の主役はクロエです。何せ5人の人間関係がクロエを橋渡しにして繋がっていますから。
さて、本作はいわゆるシリアルキラーものです。クロアチアの断崖に囲まれた山の頂で、五人は謎のハンターに狙われ、一人また一人と襲われていきます。いきますが、、、、、、本作は本当に割り切ったジャンルムービーでして、このハンターがいったい何なのかですとか、普段何してるのかとか、そういったことは全く分かりませんw ちょっとだけエンドロール直前にテロップで説明が出ますが特別どうという意味もありません。発想としては、ワイワイキャッキャな若者がシリアルキラーに襲われてギャーーーーッという「13日の金曜日」「エルム街の悪夢」でお馴染みの例のフォーマットを山の上に移しただけですw
割り切るというと聞こえは良いですが、実際には結構雑です。前半はクライミング本来の部分での落下するスリルを重点的に見せておいて、二幕目と同時に急にシリアルキラーものに展開します。その展開のしかたがびっくりするほどやっつけ仕事でして(苦笑)、場面がまったく繋がらないというか、シリアルキラーものになった途端に”崖”要素が消えますw 山の上という体裁のだだっぴろい林&野原に場面が変わってしまうため、クリフハンガー的なスリルは一切ありません。タイトルに偽りありですw
そして唐突にでてくるシリアルキラー・アントンも、見た目が完全にロブ・ゾンビ版の「ハロウィン」に出てくるマイケル・マイヤーズです。
そうです。この映画は楽しそうな要素をごった煮にして適当に並べた、正しい意味での娯楽B級映画ですw 細かい所にツッコミは無用。その場面その場面を頭をカラッポにして楽しむ映画です。ですから、「あれ?おかしくね?まぁいいや。ウヒョー!!」みたいな感じで、観客の見ている態度まで雑になってきますw とはいえ間違いなく面白いですし、見ている間は勢いだけでノリノリになれます。
オススメはオススメですが、真面目な態度で見に行くのだけは絶対に止めた方が良いです。ちょっと半笑いな感じで劇場の席に座れれば、きっと楽しい100分が待っているはずです。

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デイブレイカー

デイブレイカー

日曜の二本目は

デイブレイカー」です。

評価:(55/100点) – ジャンル映画としては相当良い感じ。


【あらすじ】

世界の大半をヴァンパイアが占めた世界。人間の絶滅が危惧され、ヴァンパイア達は血に飢えていた。代替血液の研究を行うエドワードはある日帰宅途中に逃走する人間達をかばったことから一転、反ヴァンパイアのレジスタンスに引き入れられる。レジスタンスの頭領・コーマックはヴァンパイアから人間に戻ったと言い、その再現方法を研究していた、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> エドワードと会社と弟。
 ※第1ターニングポイント -> エドワードがレジスタンスに引き入れられる。
第2幕 -> ブロムリー・マークス社の人間狩り。
 ※第2ターニングポイント -> エドワードが人間に戻る
第3幕 -> ブロムリー・マークス社への潜入


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【感想】

11月28日の二本目はデイブレイカーです。こちらも東京国際映画祭で先行上映していましたが、TIFFでは未見でした。夕方の回で見たのですが、結構お客さんが入っていて驚きました。大抵こういう作品はおじさんと好き者ばっかりなんですが、以外とカップル客も来ていました。
実は12月に入ってから仕事で徹夜が続いていまして、すでにあんまり良く覚えていませんw なのでメモを頼りにさっくりと書きたいと思います。
本作は、ジャンルムービー的なお約束もまぜつつ新しいアイデアも盛り込みつつ、バランスが結構良いなという印象です。最近よくあるヴァンパイアものですと、「ヴァンパイアが人間とのギャップと怪物性に苦悩する」というタイプの作品が多く見られます。「ぼくのエリ」しかり、「渇き」しかり。本作の場合、極端な事をいってしまえば、作品内でヴァンパイアがヴァンパイアである必然はありません。というか、作品全体が「搾取する側・される側」の構造になっていて、非常に意図的に社会問題をつっこんできています。あくまでもヴァンパイアは体制側の暗喩として使われています。
というと退屈そうに聞こえますが、実際に見てみるとこれが結構乗れます。というのも、所々に挟まれるゴア描写によってジャンルムービーとしてのサービスをきっちり入れてくるからです。共同監督のスピエリッグ兄弟はかなり演出が上手いです。間の引っ張り方や長回しのアクションシーンで、そこまでエキサイティングな内容では無いシーンでも十分に引きつけてきます。
もちろん役者陣に演技派を揃えているからでもあるのですが、ジャンルムービーとしてはかなりの出来だと思います。
アイデアをテンコ盛りにしたディストピア・ヴァンパイアムービーという変なジャンルの作品として、結構画期的ではないでしょうか? この手のやり方は今後定番化していくような気もします。ということで、まぁDVDでも十分かなとは思いつつ、そこそこオススメな作品でした。
余談ですが、ポスターのいかにも近未来SFっぽいデザインに反して中身は結構ゴアです。あんまりデートでは行かない方が良いと思いますw

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ザ・ホード 死霊の大群

ザ・ホード 死霊の大群

2本目はアート系映画の鬱憤晴らしw

「ザ・ホード 死霊の大群」を観てきました。

評価:(35/100点) – よくある脱出系ゾンビ映画の凡作。


【あらすじ】

とあるフランスの郊外、警官の一人がナイジェリア人ギャングの兄弟に殺されてしまう。彼の仕事仲間や不倫相手の一行4人は復讐のためギャングのアジトを襲撃する。しかしギャングに囚われてしまい、リーダー格のジメネスは射殺されてしまう。しかしその時、別の死体が急に暴れ始める。外には咆哮が響き、一行はゾンビの大群に襲われることになる。果たして彼らはアパートから脱出することができるのか?

【三幕構成】

第1幕 -> アジトの襲撃
 ※第1ターニングポイント -> 便所の死体が急に襲ってくる。
第2幕 -> ゾンビからの逃走と脱出手段の模索。
 ※第2ターニングポイント -> レネと出会う。
第3幕 -> 地下からの脱出。


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【感想】

さて、アート系映画で眠くなった頭を戻すべく、2本目は「ザ・ホード 死霊の大群」です。近年流行っている「動きの速いゾンビ」の最新型で、おしゃれとスプラッタの国・フランスからやってきました。ジャンル映画な上に公開からも結構時間が経っていますので、さすがのシアターNでもガラガラでした。
いきなりですが、本作はいわゆる「脱出型モンスター映画」のフォーマットに非常に忠実です。というかとても基本的で捻りが無く平凡です。近作ですと「斬撃 -ZANGEKI-」が一番近いでしょうか。なんらの理由でゾンビが増えてしまった世界で建物から脱出することを目的にサバイバルしていきます。ジャンル映画ですので、なんでゾンビが一杯居るのかとか、脱出した後どうするのかとか無粋なツッコミは無しですw きちんとお約束として戦闘力の高い助っ人も登場しますし、生き残るのが一番生き残りそうに無い奴というのもお約束です。
問題点があるとすれば、それはキャラの立ち不足と脱出プロセスのアイデア不足です。
せっかくサスペンス並に入り組んだ人間模様を設定しているのに、それが物語に全く活かされません。本作には対立する警官とギャングが対ゾンビで協力するという面白い設定があります。しかしこれですらロクに使われません。結局変な口喧嘩が頻繁に挟まるだけで、行動自体は普通の仲間です。
そして脱出プロセスについてもどうかと思います。というのも、ただただ曲がり角でゾンビを殺しつつ階段を下りていくだけなんです。裏道があるわけでもないですし、道無き道をアクションを駆使して進むこともありません。本当にただ階段を下りるだけ。これでどうしろというのでしょう、、、、。
とまぁここまでボロクソに書いているわけですが、決して完全な駄作というわけでもないと思います。というのも1カ所だけ褒めるべき所があるんです。それはゾンビのタフさに任せて過剰なまでに「ボコボコにする」描写です。とにかく本作に出てくる人間達は強く、当たり前のように素手でゾンビと渡り合ってしまいます。その時点でホラーとしては怖くないわけですが(苦笑)、一方でコントとして見ればこれが結構成立しています。以前「スペル」の時に書いた「お化けがぼけて人間がツッコむ」という関係性です。とくにオロールとグレコは相手が一人だろうが二人だろうが素手やナイフでゾンビをぶち殺していきます。2人で正面突破出来るんじゃないかと思うほど屈強に描かれています。この辺りはとても好感がもてる描き方です。
とはいえ、やはり物語の部分で残念なところがありすぎます。「俺がここを食い止めるからおまえら逃げろ!!!」という熱い展開を3回もやってしまったり、物語の1/3ぐらいが無意味な泣き言&口喧嘩であったり、どうにも作りが不細工です。決してつまらない作品ではないのですが、どうしてもジャンル映画としての「お約束」を理解していてそれが好きであることが前提となってしまいます。ですので、万人にはとてもオススメ出来ません。
今年はゾンビ映画豊作の年でうれしい限りなんですが、そういった文脈でのみオススメ出来るかと思います。そういえば散々前半で時間を使った不倫や妊娠の件はどこにいったんでしょうw その辺の適当さもジャンル映画ならではです。

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ゾンビランド

ゾンビランド

2本目は

ゾンビランド」です。

評価:(95/100点) – 爆笑必至。童貞と筋肉バカとマセガキ・悪女のハートフル珍道中。


【あらすじ】

ゾンビ病によりアメリカ合衆国がもはや「ゾンビランド」と化した世界。童貞元引きこもりのコロンバスは、自身の考えたサバイバル32箇条を忠実に守って生き延びていた。ある日、彼は実家のオハイオに戻る途中でゾンビハンターのタラハシーと出会う。ゾンビを殺すことを生き甲斐とするタラハシーにとって、唯一の休息は大好きなトゥインキーを食べることだった。連れだった2人は途中スーパーマーケットに立ち寄りトゥインキーを探すが、そこで詐欺師の姉妹と出会う。色々あって4人連れとなった一行は、ゾンビが居ないという都市伝説を持つLAパシフィック・プレイランドへと向かう。

【三幕構成】

第1幕 -> タラハシーとの出会い
 ※第1ターニングポイント -> ウィチタとリトル・ロックと合流する。
第2幕 -> LAへの旅とビル・マーレイ
 ※第2ターニングポイント -> 姉妹が居なくなる。
第3幕 -> パシフィック・プレイランド


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【感想】

週末の2作目は「ゾンビランド」です。こちらもハングオーバー同様に昨年公開の映画でアメリカでは大ヒットいたしました。現時点でも興収100億を超えており、ゾンビ映画史上最も売れています。お客さんもホラーにしてはめずらしくかなり入っていました。とはいっても、本作は厳密にはホラーではありません。ジャンルとしてはホラー風コメディです。一番近い感覚は「死霊のはらわたIII/キャプテン・スーパーマーケット」でしょうか? 一応ゾンビは出てきますし、バリバリのゴア描写もありますが、怖いというよりは「うわぁ~~~~キモっwww」という感じで笑える描写が多くなっています。しかも「スペル」とは違い脅かそうという気もありません。完全にギャグのみで使われています。
なにをおいても本作が素晴らしいのは、引きこもりの童貞少年が女に惚れてありもしない勇気を奮い立たせるというそのフォーマットに他なりません。それだけで満点でも良いくらいですw 登場人物はリトルロック以外が全部ダメ人間なんです。コロンバスも、タラハシーも、ウィチタも、みんな変人ばっかりです。でも、そこに最終的に信頼が生まれるところがグッとくるんです。ビル・マーレイの酷い(←褒め言葉)使い方も含めて、絶賛せざるを得ません。間違いなく今年屈指の良作です。
ある種の保存食として良くネタにされるトゥインキーという小道具の選び方、最終的には33に増える「サヴァイバルの掟」の説得力、パシフィック・プレイランドという架空の遊園地の微妙なショボさ、完璧です。
とりあえず、悪い事はいいませんから、劇場に行ってください。手抜きじゃなくて(苦笑)、ごちゃごちゃ言うのはヤボですw。
アホ万歳!!! ゾンビ万歳!!! そんでもってカウボーイ万歳!!! みんな万歳!!!! オススメです!!!!!!!

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ぼくのエリ 200歳の少女

ぼくのエリ 200歳の少女

本日は一本です。

ぼくのエリ 200歳の少女」を見ました。

評価:(95/100点) – 珠玉の青春映画


【あらすじ】

いじめられっ子のオスカーはある日隣の部屋に引っ越してきた子と出会う。エリと名乗るミステリアスな少女に魅かれるオスカーは、やがて彼女の勧めに従いいじめに抵抗するようになる。一方その頃、町では奇妙な殺人事件が発生していた、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> エリとの出会い
 ※第1ターニングポイント -> エリがヨッケを襲う
第2幕 -> オスカーとエリ。
 ※第2ターニングポイント -> オスカーがエリが吸血鬼だと気付く。
第3幕 -> いじめの結末。


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【感想】

本日は「ぼくのエリ 200歳の少女」です。まだ全国で銀座テアトルシネマのみ公開ですので、完全に満席でした。完全に映画オタクで埋まっており、前評判の高さもあって凄いことになっています。スウェーデンでは2008年に公開された作品で、多くのファンタスティック映画祭で話題を攫っていました。2年掛かってようやく日本公開です。

はじめに

まず、私としては謝らなければいけません。今年の3月に「渇き」を見て「そんじょそこらのジャンルムービーでは太刀打ちできない」と書いてしまいましたが、「そんじょそこら」でないとんでも無い映画が来てしまいました。本作はラブストーリーでありながら怪奇映画でもあります。
ヴァンパイアのラブストーリーというと、どうしても「トワイライト・シリーズ」を思い浮かべてしまうかも知れません。たしかに「トワイライト」もヴァンパイアのラブストーリーでした。しかし、大変申し訳ないですが、本作とはかなりレベルに開きがあります。それは、ラブストーリーとしても、そしてヴァンパイアムービーとしてもです。本作ではヴァンパイアとしての負の部分をがっつりと描きます。決して恋愛の障壁としてのみ使っているわけではありません。そして生まれながらの魅力ある血とかいうご都合主義丸出しの設定もありません。本作の主人公・オスカーはなんの変哲もない少年です。いじめられっ子で、それに抵抗する勇気も無く、一人で夜な夜な憂さを晴らすようにエア抵抗をするような内気な少年です。その少年が、いつしかヴァンパイアの子と交流し、お互いにお互いが絶対必要な存在になっていくわけです。
本作の原題は「Lat den ratte komma in ( Let the Right One In / 正しき者を入れよ)」です。文字通り、オスカーは物理的にもそして心理的にも、エリを”正しき者”として受け入れていきます。この過程で、彼は彼女への共感と恋と拒絶を味わいます。それは決して一目惚れというレベルではなく、もはや分かち難いものとしての依存関係なわけです。

本作におけるヴァンパイア

本作において、エリは決して怪物としては描かれません。彼女は「血を吸い日光に弱い」という性質をもった一人の少女です。そしてホーカンという庇護者と共に生活しています。ホーカンはエリのために夜な夜な通り魔殺人を起こし、ポリタンクで血を収拾します。ある事件があってホーカンが居なくなってからも、彼女はむやみに人間を襲うことはしません。エリは無慈悲なモンスターではなく、あくまでも生きるために血を吸わなければならないという性質をもってしまっているだけです。それはまるで私たちが魚や肉でタンパク質を取らなければいけないように、彼女にとっては血を吸うことが必要なんです。
そして、彼女は人間以上の身体能力を持っていますが、決して万能なわけでもありません。特に「日光に当たると死んでしまう」という一種の虚弱体質でもあります。極端な話、彼女を殺そうと思えば昼間に部屋に忍び込んでカーテンを開けるだけで良いんです。そういった意味で、彼女は弱い存在でもあります。

オスカーとエリ

オスカーは徐々にエリを唯一の友人として、そして唯一の居場所として心の支えとしていきます。一方のエリも、彼女を怖がらずに話をしてくれる人間としてオスカーに魅かれていきます。本作で最もすばらしい所は、このエリとオスカーの交流が、文字通り性別を超えた心の繋がりになっていく点です。
そして、エリはいつまでも年を取らず、オスカーは年を取っていきます。これは穿ち過ぎかも知れませんが、彼らの行き着く先が、エリとホーカンに思えてなりません。ホーカンは冒頭ではエリの父親として登場します。しかし仕草や覚悟は親子と言うよりは恋人のそれです。明らかにホーカンはエリを愛しています。しかしその一方、エリはあまり愛情を表現しません。
彼女は数百年も12歳の姿で生き続けています。ですから、もしかしたらホーカンとも彼が子供時代に出会ったのかも知れませんし、オスカーも彼女にとっては数十人目の庇護者かも知れません。実際にはエリは生存本能としてホーカンの代わりにオスカーを必要としただけなのかも知れません。それでも、本作ではオスカーとエリの甘く重苦しい交流を情緒的に描ききります。まるでハッピーエンドのように描かれるラストの甘酸っぱいシーンにあってさえ、彼らには「血の調達」という困難がすぐに迫ってきます。オスカーはエリと一緒にいるためにこの先何十年も人を殺し続けなければいけません。でもそんな厳しい現実を見る直前の、まるで一瞬の休息のような彼らの希望溢れるラストシーンに、どうしても心揺さぶられざるをえません。

ショウゲートによる改変の問題

本作はオスカーとエリの依存関係の成立が肝になるわけですが、その際に重要な改変が配給会社により行われています。
劇中で何度も「私は女の子じゃないよ」というセリフが出てくるように、エリは男です。終盤エリの去勢根をオスカーが見てしまう場面もあります。これはオスカーとエリの愛情というのが完全に性別を超えた心理的関係であることを表しています。なんかヤオイ肯定派みたいな言い草ですがw
それを「ぼくのエリ 200歳の少女」とかいう変な邦題でエリが女性であるような先入観を与えたり、肝心の場面に修正を入れたりして普通の少年少女のラブストーリーのように誤解させようとしてる根性が気に入りません。エリが男で何が悪い。宣伝のために内容変えるとか最低の悪行です。

【まとめ】

すばらしい作品でした。ラブストーリーとしても、ヴァンパイアムービーとしても、何の文句もございません。ヴァンパイアムービーでここまで愛おしく実在感を持ったストーリーはなかなかありません。ホラームービーが苦手という方もご安心ください。ホラー要素はほとんどありません。それ以上に異種間恋愛としてとても良く出来ています。本当に惜しむらくはフィルム1本の4スクリーン順次興行という上映形態です。こんなに素晴らしく、こんなに話題の作品が小規模公開というのは映画文化にとって間違いなく損失です。
本作はハリウッドでのコピーリメイクが決まっており、10月に公開される予定です。もしかするとリメイク版がシネコン上映されかねない状況だったりするのが、非常に複雑な心境です。ですが、もし、もしお近くで上映がある方は是非とも足を運んでみてください。映画ファンであれば絶対に見ておくべき作品です。
文句なく、全力でオススメいたします!

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エルム街の悪夢(リメイク)

エルム街の悪夢(リメイク)

今月の映画の日は

エルム街の悪夢」を見てきました。

評価:(60/100点) – え? リメイク?。


【あらすじ】

ディーン・ラッセルは3日間寝ずに精神が不安定になっていた。ディーンは彼女・クリスの目の前で自らの喉を切って死んでしまう。彼女はディーンの葬式で幼い頃の自分が墓穴に引きづりこまれる幻覚を見る。その夜、彼女は夢の中で右手にかぎ爪を付けた男に襲われる。

【三幕構成】

第1幕 -> ディーンの死。
 ※第1ターニングポイント -> クリスが死ぬ。
第2幕 -> ナンシーとクエンティンの捜索。
 ※第2ターニングポイント -> 不眠72時間が経過する。
第3幕 -> フレディ退治。


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【感想】

今月の1日は「エルム街の悪夢」です。ご存じ「フレディ・クルーガー・シリーズ」の9作目(スピン込みで12作目)で1作目のリメイクというアナウンスをされています、、、が、、、リメイクか?これ。
1,000円かつ名作リメイクということもあってか、レイトショーでしたがそこそこの人が入っていました。

一応おさらい

念のためということで一応おさらいをしておきましょう。「エルム街の悪夢」は1984年公開の超有名ホラーです。ジェイソンと並ぶホラー・ヒーロー:フレディを生んだ傑作で、夢の中で襲ってくるという変な設定と特徴的なボーダーセーターによって一躍ヒーローになったフレディは、シリーズを重ねる毎にギャグキャラ化していきます。この辺は前に「スペル」の時にちょろっと書きましたが、まさに「ホラーとギャグは紙一重」というのを突進してしまったんです。そしてそれが極限に達したのが「フレディVSジェイソン」です。
「フレディvsジェイソン」はお茶目なフレディがジェイソンを操ろうとして失敗しちゃって、、、、という完全に人間的というかヘタレなフレディになってまして、ちょっとキャラとしては閉塞的になっちゃったわけです。
早い話がこの作品は「アウトロー・ヒーローvsトップ・ヒール」のプロレス映画です。両方ヒールなのでフレディがベビィターンしたところが重要です。つまりニュー・ライン・シネマの中では、シリアル・キラーっぽさで言えばフレディよりジェイソンの方が上だという判断があったという事です。

再誕失敗!?

そこで、フレディをホラー・ヒーローとしてリセットする目的で作られたのが本作です。実際に見てみると、たしかにフレディのお茶目さは影を潜め、完全にシリアル・キラーになっています。が、、、、
非常に厳しい言い方をすれば、フレディがフレディでは無いというか、「フレディ」というキャラクターの持っていた個性が完全に消え失せて、単なる「ロリコン逆恨み地縛霊」になってしまっているんです。しかもフレディに人間味を感じさせないようにする目的なのか、彼のバックボーンが全く描かれません。だから、本当にイカれたロリコン以上のキャラクターではありません。
フレディの部分の不満を無視したとしても、お話しの部分で演出上かなり気になる点はあります。中でも一番違和感を感じるのが、群像劇スタイルで始まるにも関わらず唐突にナンシーとクエンティンの視点に絞られる中盤です。そしてこちらも唐突に始まる、「フレディ冤罪説」を巡る半端なサスペンス・ストーリー。あのですね、、、、「エルム街の悪夢のリメイク」って聴いて見ている人にとって、「フレディが冤罪かも」っていうのは茶番以外のなにものでもないんですよ。「そんなわけあるか!?」っていう。仮にそこを変えちゃったら、今までのシリーズよりもっと人間味が出ちゃって本末転倒じゃないですか。
しかも本作では「フレディは夢の中の存在だから、人々に忘れられると存在が消えてしまう」という大前提が崩れちゃってます。実際に完全にフレディを忘れていた人たちが襲われますし、被害者達に記憶を取り戻させようとするのもフレディの被虐趣味でしかなくなっています。
全体として、「旧作のフレーバーを残しながらもリアル路線を目指す」というバットマン・ビギンズやスーパーマン・リターンズと同じ手法を使っていますが、結果としてまったく意味不明でがっかりなキャラクターになってしまいました。

【まとめ】

一応このリメイク版(=仕切り直し版)の続編として二本は新作を作る計画のようです。ですが、個人的には本作の続編を見たい気はしません。あまりにも今作のフレディには魅力が無さ過ぎます。
「エルム街の悪夢」だということを忘れて見る分には平均よりちょっと悪いぐらいのスプラッタ・モンスター・ホラーだと思いますが、ちょっと期待していた分だけがっかり感が強いです。
シリーズのファンであれば、間違いなく見に行くべきですし見に行ってるとは思いますが、もし旧作を見たことが無い方は、レンタルで「エルム街の悪夢(1984)」を見た方が良いと思います。

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戦闘少女 血の鉄仮面伝説

戦闘少女 血の鉄仮面伝説

本日はようやっと

戦闘少女 血の鉄仮面伝説」を見てきました。

評価:(90/100点) – 僕、こういうの好き。勧めないですけどw。


【あらすじ】

いじめられっ子の高校性・渚凜は右腕の痛みに悩まされていた。16歳の誕生日に特殊部隊の襲撃で両親を惨殺された凜はヒルコとして覚醒、そのまま襲い来る人間達をなぎ倒していく。街で出会った如月と玲に従って訪れたヒルコ部隊で、彼女はヒルコの仲間と共に戦士として修行することになるが、、、。


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【感想】

本日はようやく「戦闘少女」を見て参りました。先週末は某フェスで踊り狂っていて渋谷に行けなかったので、念願の鑑賞です。やはり人気監督&アイドル映画ということなのか、お客さんはかなり入っていました。
本作の監督は井口昇・西村喜廣・坂口拓という悪趣味映画の第一線で活躍するトリオです。本作は、3幕構成に従ってきっちり章立てされており、各章毎にそれぞれの監督が仕切っています。しかし仲が良いのかあまりに趣味が似通っているのか、まったくチグハグした感じが無く、一人のディレクションで撮っているといわれても何の違和感も無いほど良く出来ています。
とはいえ、他の井口作品・西村作品と同じく、決して一般受けするような作品ではありません(笑)。なにせ基本は「外国人が見た誤解や偏見が入りまくった日本観」の誇張に乗っけて70年代の東映・女性アクション映画を好き放題やっている作品です。そこにはグロい肉体破損を徹底的にギャグとして描く悪趣味センスがあったり、人間では無いヒロインが苦悩しながらも人間との調和を目指すというデビルマン的な異形愛があります。中盤で玲がフリークス・ショーで見世物にされていたという過去エピソードが入りますが、これこそまさに典型的な一昔前のアメリカンモンスター/スラッシャームービーの設定そのものです。
そういった意味でも、やはり本作では主役級3人の魅力というものに大きな比重がかかってきます。結果としては、3人ともとても魅力的に見えますのでアイドル映画としても大成功だと思います。血みどろのアイドル映画ってのも変な話ですが(笑)、それこそ梶芽衣子とかかつてのグラインドハウスっぽいB級ならではの(雑な)熱量を物凄く感じます。特に自ら「コスプレナースの佳恵です!」と意味が分からない自己紹介をする森田涼花さんは主役を食うほどの存在観を見せてくれます。なんというか、笑いながら人を惨殺するシーンがこれほど似合う人は居ません。(←一応褒め言葉w) ファンの方には申し訳ないのですが、ちょっと腹黒い感じが漏れてしまっているような「無垢な笑顔」がとんでもなく可笑しくもあり怖くもあります。
杉本有美さんもきちんと回し蹴りが頭まで届いていますし、ちょっとギコチないなからも身体能力の高さが良く分かるアクションを見せてくれています。残念ながら私はあんまり特撮ヒーローものを見てないのでゴーオンジャーでの活躍を見てないのですが、これなら将来アクション路線に行っても通用するかもと思わせてくれる内容でした。
また、敵役ながらやはり竹中直人はいろんな意味で群を抜いています(笑)。下らないっちゃあ下らないんですが、天丼のくだりは完全に爆笑でした。反則というか場をぶちこわして全部持ってくというか、感服です。そして忘れていけないのがやはり亜紗美の存在感です。完全にB級映画のアクション女優として板についた彼女ですが、かなり驚くレベルの殺陣を見せてくれます。
ストーリーとしてはよくあるタイプではあります。異形の者が覚醒して、同種の仲間達に合流して、でも結局は人類との調和を目指し敵対者と戦う。ダレン・シャンもそういう話ですし、パーシー・ジャクソンもそうです。そこにとにかく悪趣味なものを詰め込みまくると本作になります。それが竹中式ギャグであったり、井口式のゴア・ギャグであったりするわけです。

【まとめ】

個人的にはかなり好きな作品ですが、他人には決して勧めません(苦笑)。あまりにも内容が偏り過ぎていてとてもじゃないですが映画としての完成度は低いです。でもそんなことはまったく問題ありません。決して日本ではメインストリームに行けないタイプの作品ですが、作り手達が本当に楽しんで作っていて、そしてファンサービスをしようとしているのがとても伝わってくるので、変な連帯感というか共犯感がついて回ります。
好きな人だけがこそこそ見に行って、好きな人同士で「面白かったね」って盛り上がる。そういうニッチでカルトよりな良作だと思います。

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いばらの王 -King of Thorn-

いばらの王 -King of Thorn-

本日はアニメ映画の二本立てです。一本目は

いばらの王 -King of Thorn-」です。

評価:(4/100点) – ポスト・エヴァンゲリオンの有象無象の一つ。


【あらすじ】

体が石化してしまう謎の奇病”メデューサ”が流行した世界。コールドスリープカプセルセンターにて治療法が見つかるまでの眠りについたカスミ・イツキは、突如眠りから起こされる。するとそこにはモンスター達が蔓延っていた。逃げ惑う160人のほとんどは殺され、残ったのはわずかに7人。はたしてイツキはセンターから脱出することができるのか? そして世界に何が起こったのか?

【三幕構成】

第1幕 -> 世界観の説明。カスミとシズクとコールドスリープ。
 ※第1ターニングポイント -> カスミがコールドスリープから目覚める。
第2幕 -> 城からの脱出。
 ※第2ターニングポイント -> カスミがビデオカメラの映像を見て城に再突入する。
第3幕 -> 結末。


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【感想】

本日はアニメ映画の新作を2作見てきました。1作目は「いばらの王」です。さすがに平日の昼間でしたので、観客も数人でした。
基本的に本作はかなり駄目駄目だと思うのですが、原作のファンの方もいらっしゃると思いますので、どうしても具体的な指摘をせざるを得なくなってしまいます。ですので、以下は多大なネタバレを含んでしまいます(=というか結末も書きます。)ので、例によって原作未読の方や楽しみにしていらっしゃる方はご遠慮下さいo(_ _*)o。
ちなみに私は原作未読で、前知識もまったく無い状態で見ています。

本作の概要と基本プロット

まずは概要をざっとおさらいしておきましょう。本作のストーリーは、宇宙から飛来した細菌「メデューサ」が核となります。「メデューサ」は感染者の「夢」「空想」を具現化します。作中では「進化を促す存在」とされており、一種のオーパーツ的な存在、もっというと「2001年宇宙の旅」のモノリスのイメージです。
で、この「メデューサ」を宗教の信仰として利用としたのが「ヴィナスゲート社」の社長さんで、彼がイツキの双子の姉・シズクを適合者として確保するところから話しがややこしくなります。シズクは確保される直前に愛する妹を殺してしまっており、軽い錯乱状態にありました。ということで、シズクが「メデューサ」で生み出したのは「妹のコピー」と「茨のツタ」でした。彼女は茨のツタで世界から城を隔離して、妹のコピーと平和に暮らそうとしましたとさ、、、とまぁこんなところです。全部ネタバレ(笑)。
上記のような概要が背景で、基本プロットとしては「モンスター有りの脱出もの」です。ミラ・ジョボビッチの映画版「バイオハザード」一作目と同じプロットです。なんか良く分からない怪物達がウヨウヨする中で、サバイバル型の脱出作戦が展開されます。主人公一行は完全にテンプレ通りで、頼れる勇者(正義のマッチョマン)、物知りの案内役、母性剥き出しの介護キャラ、サブ・マッチョマン(キャラかぶってるので途中で脱落)、役に立たない嫌な奴、そして内通者。
襲い来るモンスターから逃げながら、彼らはサバイバルしていきます。
とまぁここまで書くとB級ホラーとして私の大好物なように思えるのですが、、、、、、。

シナリオがガタガタですよ、、、。

まずですね、開始して10分くらいで私の心が折れました(苦笑)。
というのも、見てるこっちが赤面するほど画面作りがダサイんです。本作の冒頭、世界各国のニュースで「メデューサ」と「ヴィナスゲート社」が報道されている映像がでます。ここでいきなり言語の不一致が起きています。日本のアニメですので、別に外人が日本語を喋っているのはそこまで気になりません。問題は、ヴィナスゲート社長の記者会見でイギリスの放送でも中国の放送でも日本語を喋っている点です。仮に劇中で本当は英語をしゃべっているのだとしたら、中国の放送では中国語の字幕が必要です。もし中国の放送が同時通訳の放送なら、LIVEとかのマークの横に訳者の名前が出ないといけません。そのくせ、囲いとか下のテロップは英語・中国語なんです。
その直後、城に入るときにケージにある英語の注意看板が写ります。これはわざわざ日本語字幕を付けてきます。意味不明。格好付けすぎてダサさが半端無いことになってます。イングロリアス・バスターズほど徹底しろとは言いませんが、背伸びするなら中途半端な事はしないで欲しいです。
次に心が折れるのは、7人になってから初めてモンスターが襲ってくるシーンです。このモンスターは目がほとんど見えないらしく音に反応するそうです。つまり、「ディセント」に出てくる地底人のアイツと一緒です(笑)。ところが、、、ガキが「走っちゃ駄目だよ!あいつらは音に反応するんだ!」って大声で叫ぶんです(苦笑)。しかもモンスターはその声をスルー(笑)。ちょ、おま(笑)。
このモンスターの「音に反応する」という設定は劇中通してメチャクチャ適当です。都合の良いときだけ反応して、都合の悪いときは完全スルーを何度もします。それって全然サバイバルホラーになってないんですけど、、、っていうか自分らで作った設定なら、最後までちゃんとやって下さいよ。
さらになんかいろいろあって、SDカードに機密データをいれたりとかを華麗にスルーしますと(←セキュリティ厳しいパソコンに外部記憶デバイスは普通無いです。)、やはり次なるがっかりは全部喋ってくれるヴェガの登場です。出来の悪いセカイ系作品の大きな特徴として「聞いても居ない裏設定をベラベラと長時間喋るキャラが出てくる」という要素があります(苦笑)。まさにそれ。ヴェガ独演会によって、ようやく話しの概要が浮き彫りになり、サバイバルホラーから一転してヘボいセカイ系作品に急展開します。
ここからがもう怒濤のツッコミどころです。まず「眠ってた時間が48時間ぽっちってどういうこと?」っていう所でしょうか?
また、モンスター達の存在も意味不明すぎます。だって彼らは途中でメデューサに罹って石化する描写があるんです。ところが一方でメデューサで夢が具現化した者はメデューサには罹らないとも言っています。ってことは、、、あのモンスターはメデューサから生まれたのでは無いんです。じゃあ、48時間で驚異の進化を遂げた謎の巨大生物なんでしょうか? 結局コイツらの正体は最後まで語られません。なんじゃそれ?
さらに、3幕に入る直前に、なんとA.L.I.C.E.が監視するための腕輪をポロッと外す描写があるんですね。あれはさすがにビックリしました。「え、はずれるの?それも簡単に?」っていう(笑)。よく洪水とか大爆発で外れなかったと感心します(笑)。それって物語上は外れちゃ駄目なんじゃないのでは、、、とか思っていると別に何にも使われていないみたいでそれもズッコケです。てっきり腕輪がキーかと思ったら、なんと首筋注射が鍵だった!、、、、、ミスリードにすらなってない、、、、。
とはいえ本作一番のツッコミどころはラストです。結局、本作では「メデューサ病」は何にも解決していないんです。唯一分かっているのは、メデューサによって具現化したコピー・カスミはメデューサには罹らないってことだけです。で、一緒に生き残るガキは生身なんです。だから本作が終わって数日後には、人類が全滅してカスミだけが生き残るはずです。ま、いっか、、、別に。セカイ系が恐ろしいのは、主人公さえ良ければハッピーエンドって所です。人類全滅おめでとうございます(笑)。

【まとめ】

一応フォローしておきますと、私は片山一良監督は大好きです。「THE ビッグオー」というアメコミ風(=バットマン風)アニメの傑作を世に出しましたし、なによりポスト・エヴァンゲリオンのアニメ群で最も私が好きな「アルジェントソーマ」の作者です。「アルジェントソーマ」は既存の「エヴァンゲリオン風セカイ系」というフォーマットを逆手に取って、最終的には「コミュニケーションの齟齬における悲劇」と「夢敗れたロマンチストがそれでも愛を貫こうとする執念」というすばらしいヒューマニズムに着地する離れ業をやってのけました。
だからこそ、そんな片山監督が本作のような「出来の悪いセカイ系」を監督しているのは、正直信じられません。彼は10年前にはもっと凄い作品を作っていたんです。私は今でも「エヴァンゲリオンのフォロワー」の中で最も重要な作品は「アルジェントソーマ」だと思っています。まぁ「ラーゼフォン」も好きなんですけど(苦笑)。
とにかく、すくなくとも本作は劇場で見るような作品ではありません。極端な事を言えばですね、こういう台詞で全部説明するようなセカイ系の作品は、全部ラジオドラマで十分です。
ですので、本作を見るぐらいなら今すぐレンタルDVD屋に走っていただいて、片山監督の「アルジェントソーマ」を一気鑑賞するのがオススメです!!!!!

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