君に届け

君に届け

本日の1作目は

「君に届け」です。

評価:(65/100点) – 緩い恋愛映画かと思ったら熱血友情物語だったの巻


【あらすじ】

高校性の黒沼爽子は長い黒髪と愛想の無さから「貞子」と呼ばれいじめられていた。彼女は入学式の朝に出会った風早翔太や、クラスのはみだし者である吉田千鶴・矢野あやねコンビらと友情を深めていく、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> 爽子と翔太
 ※第1ターニングポイント -> 席替えが行われる。
第2幕 -> 千鶴・あやねとの友情と、くるみの策謀。
 ※第2ターニングポイント -> 翔太がくるみの告白を断る。
第3幕 -> 翔太の告白と大晦日


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【感想】

今日の1本目は「君に届け」です。ティーンエイジの女性を中心にかなりお客さんが入っていました。別マガ連載の人気少女コミックの映画化で、去年末から2クールで深夜アニメにもなっています。
作品としてあんまり内容がないので、ざっくりと書いてしまいますw
要は性格は物凄い良いが社交性が薄く見た目が冴えない爽子が、イケメンでクラスでも人気者の翔太に好かれるという夢のような話です。「あの人だけが私の内面を分かってくれる」というヲトメの欲望そのままな内容ですので、それだけなら「都合良すぎ」「甘えるな」でバッサリ切って捨てるんですが(苦笑)、本作にはバッサリいけない部分が一カ所だけあります。それが爽子・千鶴・あやねの「仲良し三人組」のチーム分です。
この三人組の描写がベタながら完璧なんです。三人とも「見た目で誤解されがちだけど根は超良い人」であって、お互いが足りない部分を支え合うように友情を深めていきます。不覚ながら、中盤に夜の神社前で千鶴・あやねが相談するシーンとその後の屋上のシーンで、私完全に涙腺決壊いたしましたw
あやねのヘルプコールを受けて男子陣を捨ててすぐに駆けつけるシーンであったり、千鶴がお好み焼きを泣きながらヤケ食いするシーンであったり、この3人が集まったシーンはどれも大変素晴らしいです。
ただその一方で、やはり翔太・くるみ絡みの恋愛要素は限りなく類型的で退屈です。爽子も翔太もほとんど一目惚れ状態なためそもそもエピソードの積み重ねがありませんし、くるみも用意周到というにはお粗末です。なので、中盤以降はテンションがみるみる降下していってしまいます。

【まとめ】

恋愛映画としてはお世辞にも出来が良いとは言えませんが、女同士の友情物語としては大変すばらしい出来です。「女の子ものがたり」や「パーマネント野ばら」が好きだった方には是非オススメです!!!

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記事の評価
×ゲーム(バツゲーム)

×ゲーム(バツゲーム)

今日も今日とて1本、

×ゲーム」を見てきました。

評価:(55/100点) – 出来はイマイチだが、やっとまともなスリラーが来た!


【あらすじ】

小久保英明は大学生である。ある日、彼の元に小学生時代の同級生から担任が自殺したとのメールが届く。しかし彼らはつい3日前に同窓会で会っていたばかりだった。担任の自殺を不審に思う彼の元に、不思議なDVDが届く。そこには、担任の先生が何者かに拷問されている姿が映っていた、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> 英明と同窓会と先生の死。
 ※第1ターニングポイント -> 謎のDVDが届く。
第2幕 -> 黒髪の女の捜索。
 ※第2ターニングポイント -> 英明が拉致される。
第3幕 -> ×(バツ)ゲーム。
 ※第三ターニングポイント -> 英明が13番を引き罰を受ける。
第四幕 -> 逆襲。
 ※第四ターニングポイント -> 英明が小学校から抜け出す。
第五幕 -> 解決編。


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【感想】

さて、本日は一本、先日公開の「×ゲーム」です。若い子を中心にお客さんが4~5割は入っていまして、ちょっとびっくりしました。AKB48とD-BOYSのネームバリューでしょうか? あんまり山田悠介の映画って入っているイメージが無かったのでうれしい誤算です。
本作は「SAW」シリーズに近いソリッド・シチュエーション・スリラーです。SAWが2004年1月で、「×ゲーム」の原作が2004年8月ですから、テーマ的にも見せ方的にもかなり意識していると思われます。ツッコミ所はかなり多く、ストーリーにもずさんな点が目立ちますが、しかし日本で「SAW」をやってみようという気概だけはビンビン伝わってきました。だからソリッド・シチュエーション・スリラーが好きな方は絶対に見た方が良いです。
まず本作で一番好感が持てる部分は、きちんと「拉致」→「部屋に閉じ込められる」→「ゲーム開始」→「いろいろあって一人だけ生き残る」→「だけど、、、」というCUBEから脈々と続くソリッド・シチュエーション・スリラーのジャンルムービーとしてのお約束をきちんと踏襲している点です。日本で最近作られ始めた同ジャンルもどきの作品は、このお約束が全然出来ていません。このジャンルはあくまでもジャンルムービーとして続編が作り易いように、バッドエンドで終わらなければいけません。だから本作の作りはその一点において紛れもなくソリッド・シチュエーション・スリラーとして正しいんです。
肝心のゲーム部分ですが、これがまた良い湯加減です。実は結構ここに不満があるんですが、でもきちんとスプラッター的な嫌な感じを出そうという努力は見えます。ただし、この罰ゲームが思った以上にヌルイです。エグいのは「画鋲の刑」と「洗濯ばさみの刑」ぐらいで、後は「牛乳イッキ飲み」だの「髪を燃やせ」だの「ウジ虫イッキ食い」だの見た目の面白さはあってもスプラッタ方向には行かず、どうしてもギャグに見えてしまいます。しかもそのエグいものは一番先に見せてしまうんです。
本作で一番の問題はまさにこの「ヌルさ」です。ストーリーの核である罰ゲームをギャグにしてしまった結果、CGのショボさも相まってその後の展開が真面目に見られなくなってしまうんです。只でさえ滑稽な背景部分が、これにより一気に嘘臭く見えてしまいます。ここはもう少し見せる順番を考慮して欲しかったです。最初ギャグみたいな物が続いて油断していた所で「画鋲の刑」が来た方がストーリー上は絶対に自然です。
ちょっと細かいツッコミになってしまうんですが、画鋲の刑の後で英明の太腿の裏には血が付いているのにお尻にはズボンの破けた跡さえ無かったり、あれだけやられてるのにすぐにスクッと立ち上がって暴れ回ったり、極めつけは頸動脈や胸の上に焼き鏝を当てられたのにピンピンしていたり、ディティールのずさんさはかなり目立ちます。追加するなら、一応嘘でもいいのでゲームが終わる条件は設定した方が良いかなとは思いました。
ストーリー的なツッコミで言いますと、一番大きいのは「主人公が偶然と奇跡の積み重ねで生き残らないと成立しないトリック」問題です。この手の映画ではよくある問題ですが、ドンデン返しにしたつもりがその罠が成立するためのハードルが物凄い高すぎて全然罠になってません。映画なんで主人公はたまたま生き残りますが、でもそのたまたまを犯人が当てにしてはいけませんw
またこれは構成上の問題ですが、小学校を脱出した後のエピローグが長すぎます。しかも全部犯人側からベラベラとネタばらしをしてくれるため、著しく集中力と興味が低下します。こういうキャストが少ない低予算のスリラーの場合、全ての裏側を説明してしまうと世界観が薄っぺらに見えてしまいます。想像させる分には無料ですから、もっと思わせぶりにバッサリと省略してしまっても良かったと思います。ここまで喋られてしまうと、続編を作ろうにもコピー作品しか作れなくなってしまいます。
この辺りの演出は日本でこのジャンルが成熟してノウハウが蓄積すればある程度進歩していくのではないかとは思います。
ちょっと苦言が多くなってしまいましたが、でも私はこの作品は結構好きです。少なくともSAWの(超)劣化コピーまでは日本でも作れるというのが分かっただけでも儲け物だと思います。

【まとめ】

ずさんはずさんですし、B級と呼ぶにもかなり苦笑いな部分は多いです。でも先月の「KING GAME」のように表面だけなぞっているわけでは無く、きちんと作ろうという気概は感じました。ジャンル好き限定でオススメします!!!

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記事の評価
悪人

悪人

さてさて、本日はモントリオール最優秀女優賞で何かと話題の

悪人」を観てきました。

評価:(2/100点) – 人間の振れ幅ではなく、恣意的なキャラの振れ幅。


【あらすじ】

解体業の清水祐一は、出会い系サイトで出会った保険外交員の石橋佳乃を激情にまかせて殺してしまう。その後飄々と生活をしていたが、出会い系サイトで出会った別の女性・光代とデート中に家に警察が来ていることを知り、そのまま光代と共に逃亡生活をする。それまで殺人を何とも思っていなかった祐一だったが、光代に本気で恋したことで罪の重大さに気付いていく、、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> 石橋佳乃と増尾圭吾
 ※第1ターニングポイント -> 佳乃が殺される。
第2幕 -> 裕一と光代の出会い
 ※第2ターニングポイント -> 裕一の家に捜査が及ぶ。
第3幕 -> 裕一と光代の逃避行


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【感想】

本日は川崎チネチッタが1,000円だったので、あんまり見る気のなかった「悪人」に行ってきました。お客さんはよく入っていまして、ほぼフルハウスだったと思います。本作は先日、深津絵里がモントリオール国際映画祭で最優秀女優賞を獲ったことで話題になっていましたが、そのせいもあるかも知れません。春先の「パレード」よりも観客は入っていました。モントリオール映画祭自体はマスコミをいっぱい連れて行けばくれるモンドセレクションみたいなもんなので価値無いんですが、日本人はこういう謎の横文字に弱いですからね(笑)

大変申し訳ないというか、予告である程度予感はあったんですが、相変わらずな感じでボロカスに書かせていただきます。それも同じ吉田修一原作のパレードみたいに「腹は立つし酷い出来だけどやりたいことはわかるから、点数だけは45点」みたいな事もありません。っていうか満島ひかりと松尾スズキ以外に褒めるところが見当たりません。私の駄文を読んでいただいている奇特な方にはなんとなく察しがついているとおもうんですが、私は好きな俳優や可愛いアイドルがでていると点数が大幅に甘くなりますw 満島ひかりが出ているのに2点を付けたという根拠をこれから一気に書かせていただきます。すなわち私の燃えたぎる怒りのリビドーをw
お約束ですが、以後の文章は多大なネタバレを含みます。まぁ予告を見ただけであらすじは全部分かると思いますが(苦笑)、本作はそれ以上に演出面で本当に怒りを呼ぶレベルの事を平然としてきます。どうしても細部になってしまいますので、これから見ようと思っている映画未見の方はご遠慮下さい。

本作の流れ。

本作の流れをざっとおさらいしましょう。第1幕では、殺される事になる佳乃がいかに最低な女で「殺されても仕方がないか」という描写が続きます。

そして第2幕前半では、裕一が祖父の介護をしたり近所の年寄りの世話をしたりする「良い人」描写があります。そして「将来に希望が持てない閉塞的な人生を送る寂しい女」光代と出会います。裕一はここで光代のあまりの純朴さに惚れてしまいます。そして光代もまたそれまでの人生に居なかった「不良っぽい強引で影のあるイケメン」にコロっといきます。そして当初犯人と思われていた圭吾が実は直接的に事件と関係無いことが明らかになり釈放されます。この段に来てついに裕一に捜査の手が及び、裕一は光代をつれて逃亡します。道中の食事中に裕一が光代に語る回想シーンによって、再度、佳乃がいかに殺されて当然の女かという描写が入ります。一方、裕一の居なくなった実家では、祖母が詐欺にひっかかったりマスコミに追い回されたりして踏んだり蹴ったりな状況になっていきます。また、佳乃の父は、警察の取り調べから釈放された圭吾を逆恨みし、モンキーレンチをもって追いかけ回します。一度は自首を決めた裕一でしたが、光代は逃避行の続行を希望し、再び逃げます。

ついに光代のあこがれの灯台に潜伏した裕一は、買い出しにいった光代の後を付けた警察によって取り押さえられてしまいます。取り押さえられる間際、裕一は光代の首を絞めます。これによって光代はあくまでも犯人に連れ回された被害者として、逃亡援助の罪を免れます。

映画におけるモンタージュ理論の基本

ちょっと話がそれますが、映画にはモンタージュ理論というものがあります。いまや常識としていろいろな表現に使われているもので、この理論を使っていない映像はほとんどありません。ソ連のエイゼンシュタイン監督の「戦艦ポチョムキン」から脈々と続く革命的な理論です。詳しく知りたい方は沢山本が出ていますので読んでみて下さい。

ざっくり説明しますと、これはまったく別々のカメラで撮った映像を編集によってつなげることでそこに意味が付加されるという理論です。例えば建物の映像が10秒ぐらい流れて、次いで居間のような所で夫婦が話している映像に切り替わるとします。これを見た観客は、当然この居間が建物の中にあると思います。でも、実際に最初に写っていた建物の中に居間があるかどうかは本当は分かりません。テレビドラマであれば、外観はロケで実物を撮影して、部屋はスタジオのセットで撮影していることだってあり得ます。ですが、私達はこの並びで映像を見せられると、「写っていた建物の中に居間がある」と認識します。これがモンタージュ理論です。映像は編集によっていくらでも恣意的に観客の心理や感覚を操ることが出来るんです。

これは映像に限ったことではありません。脚本にも同じ事が言えます。脚本はたとえ個別のシーンが全く同じだったとしても、見せる順番や編集点を変えることでいくらでも恣意的な印象操作をすることができます。これに失敗している映画は、見ててどうでもよくなってきたり、飽きてしまったりします。

本作で怒りを呼ぶ主張。

さて、前置きはこれくらいにしまして、いよいよ本題です。本作は、明らかに監督・脚本家の意図として、佳乃と圭吾を「最低な人間」、裕一と光代を「根は良い人」として印象操作を仕掛けてきています。それはエピソードのつなげ方を見ても明らかです。冒頭から佳乃と圭吾は本当に最低に描かれますし、一方の裕一は地元では世話焼きで無口な純朴青年として描かれます。そして逃避行の最中、駄目押しで犯行シーンを見せて佳乃を決定的な糞女として描きます。

私が一番怒りを感じるのは、この佳乃が完全な最低女として描かれる犯行シーンです。満島ひかりを使ってこれかよってのもあるんですが、それ以上に、このエピソードの入れ方に問題があるんです。いいですか、、、このシーンは、港町っぽい食事処で、裕一が光代に「人を殺してしまった」ことを弁解するシーンに裕一の回想として入れ込まれるんです。これぞまさに前述したモンタージュ理論の最低な悪用です。さんまイカの目のアップから回想に入るという面白演出で見失いがちですが、犯行シーンは真実(=神の視点のカメラ)では無く、あくまでも殺人犯が一緒に逃げてくれる恋人に弁解している都合の良い回想なんですよ? それをこのタイミングで入れてくるんです。そしていかにも同情するような深津絵里の顔を繋いできます。本っっつっっっ当にこういう事をされると腹が立ちます。加えて遺族の父親は指名手配犯の裕一を捜すのではなく、釈放された圭吾に説教しにいきます。おかしいでしょ、どう考えても。作品全体で裕一を全面擁護する方向につなげてるんです。

しかも極めつけは、母が訪ねてくるというエピソードと、夕日を灯台で見ている子供の裕一のカットです。つまり、彼は親に捨てられて寂しくってグレちゃったんだから人ぐらい殺してもしょうがないという繋ぎ方なんです。これに関しては、作り手側の良識を疑います。「重力ピエロ(2009)」で「親が人殺しの子供は人を殺しても仕方が無いから自首しなくてOK」という結論がありましたが、それ以来の衝撃です。今度は「孤児はグれて当然だから人を殺しても仕方が無い」そうです。全国の人を殺したことがない孤児の方は本気で怒ったほうが良いです。

もちろん裕一だけでなくこういった描写は光代にもあります。そもそも光代ってそうとう頭がイっちゃってます。だって出会い系サイトでナンパした男にいきなり「ホテル行こうか」って言われてホイホイついて行ったあげくに「私は本気で好きな人が欲しかったの」とかいうような子ですよ。描写がないですが、たぶんこれ出会い系サイトでナンパしたのは初めてじゃないはずでしょ。これって所謂ひとつの「ヤンデレ」ってやつですか? むしろ怖いんですけど、、、。だけど、その明らかにおかしい子を「理解力と包容力のある優しい純朴な子」みたいに演出してくるのがかなり引きます。要は光代はいままで誰からも相手にされなかったのに、裕一が相手にしてくれたのがうれしくって舞い上がっちゃっただけです。それをいかにも「本当の愛を知った」見たいな描かれ方をされるとツッコミたくなります。だって初めて会った日はホテルに連れ込まれてその場でさよならで、次に会った日の夜にはもう逃避行してるんですよ? いくらなんでも早すぎでしょ。もっとも、作りて側の「女なんて一発やっちまえば言うこと聞くんだよ!」という逞しい信念に基づいた物ならば大変結構なんですが、普通それはちょっとねぇ、、、、、女性を馬鹿にしすぎでしょ。北方謙三あたりが言ってるなら苦笑いで済みますけどね(笑)。

なんかもう全部が雰囲気でずさんなんです。そもそも祖母が詐欺に遭う話だって映画の本筋と全然関係ないじゃないですか。悪人と善人の見分けって話ですが、それはそれで余所でやれって。マスコミはマスコミで加害者の祖母の家には押しかけるのに、被害者の葬式や遺族の家には押しかけ無いんですよ。現実のマスコミは被害者の方にだって節操無くガンガンにアタック掛けるでしょ?さらには被害者の父親が、釈放された元容疑者をモンキーレンチで白昼堂々と襲うんですよ。なんで無実の元容疑者を襲うのかもさっぱりですが、そんなもん写真週刊誌に一発でやられますよ。

あと、圭吾君はたいして悪くありません。ストーカー気味の女の子に夜中にばったり会っちゃって仕方無くドライブに誘ったらウザイくらいアピールしてくるから車から蹴り出しただけです。まぁ蹴りはやり過ぎですけど。だから被害者の父は完全に言いがかりの八つ当たりです。そんな暇があったら駅前で裕一の似顔絵のビラでも配れ。そもそも、本作のテーマは「悪人にだって人間的な振れ幅はある」って部分でしょう?そのくせに圭吾を類型的な「嫌な奴」に描くのは、これ作品内矛盾じゃないですか。

ラストで「あの人は悪人なんですよねぇ」とか光代が言いますが、私断言します。裕一は悪人だし、おまえも刑法第100条・逃走援助で普通に逮捕じゃ。もっというと被害者の父も障害罪で逮捕じゃ(っていうか普通に通り魔)。ということで、結論としてはみんな悪人です。監督も、脚本も、こんな程度の演技に賞をくれてやったモントリオールの審査委員も、そしてこんなに口汚い言葉で罵ってる私も。

【まとめ】

映画館で見る価値はありませんが、DVDが出たらレンタルで見る価値はあると思います。確かに日本で出会い系サイトによる売春が普通に行われていて、田舎の閉塞した村社会で切れやすい若者が一杯いて問題視されているとカナダ人が誤解したならば賞の1つぐらいは来てもおかしくはないかも知れません。なぜなら、おそらくこの内容をコンゴとかパキスタンとか日本人に馴染みの薄い国の映画としてやられたら、日本でも文化を誤解して褒める人がいても不思議じゃないと思うからです。
一応マイナス方面でオススメをしておきますが、最後に1つだけ。
見終わった後、30代半ばぐらいの夫婦が「1,000円でよかったね」「いや、これはないでしょ。」という会話をしていたことをご報告いたします。でも後ろの若い女の子2人組は泣いてたんですよね、、、。

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オカンの嫁入り

オカンの嫁入り

本日は二本です。まずは

オカンの嫁入り」です。

評価:(35/100点) – 危ないですから駆け込み乗車はご遠慮下さいw


【あらすじ】

ある日、母子家庭の月子は夜中の三時に玄関の音で起こされる。帰ってきた母・陽子は泥酔しており、なんとヤンキー風の男を連れてきてしまったのだ。朝になって、陽子は連れてきた男・研二との結婚を宣言する。受け入れられない月子は、隣にある大家の家へ逃げ出すのだが、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> オカンが男を連れてくる。
 ※第1ターニングポイント -> 月子の家出。
第2幕 -> 月子の過去と研二の過去。
 ※第2ターニングポイント -> 母が倒れる。
第3幕 -> トラウマの克服と母の結婚


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【感想】

本日の1本目は「オカンの嫁入り」です。結構お年寄りの夫婦連れで賑わっていましたし、上映中も特に犬の仕草に対して笑いが結構出ていました。公開一週経って、ある程度評判が出回っているということでしょうか?
とはいえ、私個人としてそこまで面白い話だとは思いません。ただ、決してグダグダというわけではありません。相変わらず氾濫している「難病で全部解決」パターンではありますが、一応月子の視点できっちり統一はされています。まぁ統一しているにも関わらず心が変化していくポイントが適当という問題はあるんですが、それは物語部分の問題であり、もっというと原作の問題なので仕方無いのかなとは思います。そう、本作で全体をわりと台無しにしてしまっているのがストーリー運びの不味さです。
本作はプロット上はそこまでイベントが入りません。月子が「異物」として邪険にした研二が実は結構良い奴だと言うことに気付いて徐々に受け入れ始め、そして母の余命を知ることで決定的に心変わりします。あとはこの研二と脇役の村上先生のエピソード、そして月子のトラウマを入れるだけです。なので、本来であればそこまで変になるボリュームではないんです。
やはり問題は、研二のエピソードで祖母の死を使って、さらに陽子の部分でも死を使ったことです。そうすると研二が自分の祖母に孝行できなかったことを悔いていて、陽子を代替にしようとしているように見えてしまいます。このおかげで研二が手放しで良い奴に見えなくなってしまいます。さらに月子のトラウマ・パートがあまりにも衝撃的過ぎるため、全っっ然笑えないというかメチャクチャ重い話になってしまい、むしろ後半の陽子の説得が「ちょ、、、そんな簡単なことじゃないでしょ。」とツッコミたくなってしまいます。
そうなんです。これ、ストーリーとキャラクターのトーンがずれちゃってるんです。みんなポジティブ過ぎるというか、エピソードのエグさに対してキャラクターが軽すぎるんです。これは携帯小説の映画化によくある問題でして、起こるイベントに対して反応が鈍すぎるというか、実在感がなさ過ぎるというか、衝撃が過剰すぎるというか、誠実さが無いように見えてしまうんです。
例えば、月子は駅でストーカー男に襲われたことがトラウマで電車に乗れなくなってしまいます。でも男(研二)は平気なんです。本来このレベルでトラウマ化したら、電車はおろか男も自転車も怖くなってもおかしくないんです。そもそも電車は直接関係ないですし、そちらの方がよほど実在感があります。でも実際には電車が怖いだけで、駅も男も自転車も全然OKなんです。こういう細かいところが駄目です。
父親の位牌を持ち出したのにその後で拝むシーンがないとか、犬の尿道結石についてエサが変わったことと関係がないとか、極めつけは散々やっておいて最後まで結局母が生きてるとか、すごく物語の詰めが甘いです。後日談は当然母の死後どうなったかでないと月子の成長物語にならないじゃないですか。だって、月子が「トラウマを負った後は好き勝手にニートを満喫していたけど結局は母親に守ってもらっていたのだ」という事に気付くのがクライマックスなんです。なのに最後まで母親に世話してもらっていたら振り出しに戻って終わりですよ、それ。せっかく俳優が良い仕事をしているのにかなりもったいない事になっています。

【まとめ】

ツッコミばかり入れてしまいましたが、難病ものの中では比較的マシな方だとは思います。一応ですが核として月子の成長物語(風味)がありますし、なにより宮あおいと桐谷健太と國村隼はアップだけで画面を持たせる力があります。
俳優のファンであれば文句なしで行った方が良いですが、あくまでも浅いネット小説を良い俳優をつかってちょっとたどたどしく映画化したという事だと思います。
余談ですが、呉美保さんは映画監督2本目だと思いますが場面転換含めて課題山積みだと思います。特にトラウマパートに繋ぐ場面転換の不細工さは結構すごいです。そういったところも見所だと思いますw

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記事の評価
トイレット

トイレット

8月最後の映画は

トイレット」です。

評価:(45/100点) – 見やすくはなった荻上ワールド


【あらすじ】

ある日レイの母親が亡くなってしまう。残されたのはレイと、引きこもりで兄のモーリー、学生の妹リサ、そして母が死ぬ直前に日本から連れてきた祖母・バーチャンだった。4人は一つ屋根の下で暮らしながら、交流を深めていく。


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【感想】

8月の最終日は荻上直子の「トイレット」を見てきました。OLを中心にかなりのお客さんが入っていまして、男の私は若干肩身が狭かったです。
本作を語る上ではどうしても荻上直子という監督に注釈が必要になってきます。荻上監督は「ぴあフィルムフェスティバル」のスカラシップ上がりで独特の世界観を作ってくる個性派です。ここから私が書くことはあくまでも個人的な見方ですので、荻上監督の熱烈なファンの方には先に謝っておきます。
荻上監督が「かもめ食堂(2006)」「めがね(2007)」で行ったのは「なんとなくそれっぽい”雰囲気”だけを積み重ねることで生じる”癒し空間”を観客とスクリーンが共有する」ことです。ファンの方には本当にすみませんが、ハッキリ言います。これは新興宗教のミサと同じです。その独特の”癒し空間”にわらわらとメンヘラなOLの方々が引き寄せられる作品ですから、当然彼女たちの作品の評価・満足度は相当に高くなります。しかしその一方で、これは決して普遍的な何かをメッセージとしているわけではありません。だからその他の観客にとっては退屈だったり意味がわからなかったりするわけです。
私の「かもめ食堂」と「めがね」の感想は、一言で言うと「気持ち悪い」です。あまりにも押しつけがましい”癒し”に逆に身構えてしまいましたし、何より周りの女性達の異様なまでの熱気に本当にマズい宗教行事に紛れ込んでしまったような気分になりました。そういった意味では昨年の「仏陀再誕」と同じとも言えます。
さて、その中で三年ぶりの新作である本作です。当然世界観は全二作を踏襲していまして、本当に気色の悪い共同生活が唐突に始まります。引きこもりを舐めているとしか思えないモーリーのキャラ設定に心底腹がたったり、レイのあまりのステレオタイプの「いけてないギーク」っぷりに心底腹が立ったり、リサのいかにもババァの考える「イケイケな白人女子大生 a.k.a ビバリーヒルズ青春白書」っぷりに心底腹が立ったり、そしてバーチャンの「雰囲気だけミステリアスな奇人」な描き方に心底腹が立ったりしたんですが、そういったことはとりあえず置いておきましょう。
本作で全二作から大きな進歩だとおもうのは、とはいえその雰囲気を説明しようとする努力の跡だけは見えることです。つまりいままでは雰囲気だけで完全に流されていった不思議設定達に、ちょっとは意味らしきものを深読みして汲み取ってやれないこともないくらいにはなっているということです。なので、腹は立ちますが決して「まったく意味不明」というわけでは無く、「意味はあるけど下らない」というぐらいには良くなっています。全然褒めてませんがw

【まとめ】

間違いなく荻上ワールドの中では見易い(=嫌悪感が少ない)作品になっています。前2作を観ていない方は、是非「荻上ワールド入門編」としてご覧になると良いかもしれません。でもくれぐれも「癒し空間」の勧誘にだけは乗らないように注意しましょう。そこはフォースのダークサイドですw

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記事の評価
KING GAME

KING GAME

今日は一本、

「KING GAME」を見てきました。

評価:(2/100点) – アイデア未満のソリッドシチュエーション


【あらすじ】

見知らぬホテルで目が覚めた女性はチェーホフという名札をぶら下げていた。扉をくぐるとそこには10人の男女が居た。そして司会の白兎は10日間の王様ゲームの開始を宣言する。

【三幕構成】

第1幕 -> 王様ゲームが始まる。
 ※第1ターニングポイント -> ドアが開く。
第2幕 -> 王様ゲーム第二ラウンド。
 ※第2ターニングポイント -> 主催者が判明する。
第3幕 -> 最後の王様ゲーム。


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【感想】

今日も新作一本、漫画家の江川達也が監督をした「KING GAME」です。単館の割に人が結構入っていたのはネームバリューからでしょうか? めずらしくK’sシネマで20人ぐらいは見ていました。

ソリッド・シチュエーション・スリラーというもの

さて、今春のライアーゲームあたりからテレビ局系でもソリッド・シチュエーション・スリラーが作られるようなってきました。世界的には5~6年ぐらいは遅れているんですが、それでもそういった環境が出来たのは喜ばしいことだと思います。
このブログでも何回か書いていますが、ソリッド・シチュエーション・スリラーはアイデア勝負のジャンルであり、そして出オチになりがちです。ある固定された環境とルールを設定してそこでの”ゲーム”の面白さで引っ張るわけですから、当然といえば当然です。
で、肝心の本作はどうかと言いますと、これがびっくりすることにノーアイデア戦法ですw 恐ろしい事に本作では王様ゲーム以上の事は起きません。そして王様ゲームも本当に普通の王様ゲームです。脱落したら死ぬとか、「誰々を殺せ」みたいな無茶振りをされることもありません。100%純粋な王様ゲームです。それも最後までw あの~~~~何がしたかったの?
一応最後に「幻覚の虎に襲われる」というしょうもない展開があるにはあるんですが、しかし幻覚なんで何ともしようがありません。っていうか作品自体何ともしようがありません。
残念ですが江川監督は王様ゲームの背景とかそのあたりでぶっ飛んだ設定を考えることに注力してしまったようで、肝心の王様ゲーム自体にアイデアを追加出来なかったようです。でもそこがないとストーリー自体が進んで行かないんです。結果として、その場限りの適当な王様ゲームを見せられることになります。人間関係を入り組ませようとかそういった努力も見られないため、まったくなんの面白みもない作品になってしまいました。根本的な構成ミスだと思います。
昨日の東京島もそうなんですが、こういった適当に上っ面だけ真似た作品が出てきて、その結果観客がジャンル自体に興味を失ってしまうのが一番怖いです。今度また「インシテミル」が日テレ資本で映画化されますが、このレベルにだけは収まって欲しくないと思いつつ、あまりオススメの出来ない作品でした。
芦名星と窪塚俊介が頑張っているだけに、ちょっと可哀想というか、無駄使い感が凄まじかったです。

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東京島

東京島

本日は新作1本、

「東京島」です。

評価:(3/100点) – サバイバルしないサバイバル映画。それすなわちピクニック。


【あらすじ】

清子は結婚10周年の記念旅行中に船が遭難し無人島に漂着する。すぐにフリーター男の一群と中国人密航団も不時着する。すぐに清子の夫・隆はガケから転落死し、新たにフリーターの中からカスカベを夫にするも彼も転落死。そんな中で、清子は無人島で唯一の女性として優雅な生活を満喫していく。


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【感想】

今日見たのは新作映画の「東京島」です。宣伝もバリバリやっていますし、結構人が入っていました。個人的にはサバイバルものだと言う点と、敬愛する大友良英さんが音楽をやられていると言うことで楽しみだったんですが、、、、これは無い。あまりにもすごい内容に呆れるよりはちょっと楽しくさえなってしまいました。
ちょっとここでお断りですが、私は原作本を読んでいません。なので、ストーリー部分については100%映画のせいではなく原作がそもそもおかしいということもあるかも知れません。申し訳ございませんが、比較はしていないため原作ファンの方はご勘弁ください。

無人島ということ。サバイバルということ。

無人島ものと聞きますと、最近では「LOST」を思い浮かべる人が多いかも知れません。私もテレビを全然見ないくせに「LOST」はDVDで全部見てるんですが、あれはどんどんソープオペラになっていきはするものの、サバイバルものとして最低限のお約束は守っていました。
さて、無人島サバイバルでの最低限のお約束とは何でしょう?
・ 外部との交信が困難であること。ただし不可能ではない。(←このわずかな交信で最後脱出するため)
・ 食料は工夫次第で採れるが、決して潤沢でないこと。
・ 武器は限られていること。
・ 全員が脱出することが困難であること。
・ 政治力と武力・知力を駆使して派閥が出来ること。
こんな所でしょうか。大切なのは、無人島で助けが来ないかも知れないという「極限状態」に直面して、登場人物達が追い込まれて「人間の本性」が浮き彫りになってしまうことです。だから私たち(と断言しますがw)はサバイバルものが大好きなんです。

本作の最低な所。

本作で最低なのは、このサバイバルという緊張感や危機感がまったくすっぽり抜けていることです。つまり、こいつら楽しそうなんです。あのね、、、楽しかったら脱出しなくていいじゃんw 暮らせよ、そこで。
まぁ本当に住んじゃって困るんですがw
本作では食料がわりと潤沢に採れているんです。一応セリフでは「豚肉なんて滅多に食べられないのよ。」とか言うんですが、そのわりにスクリーン上では年中食べてます。だから食料の取り合いがありません。つまり「食料の枯渇」=「生命の危機」が存在しないんです。だから崖から落として殺した後放置したりするんです。本当のサバイバル環境では、人間という高カロリー高タンパクの肉を捨てることはしません。大岡昇平の「野火」とか武田泰淳の「ひかりごけ」をちゃんと読んでください。
この食料問題からはじまり、本作では一切人間の狂気が描かれません。描かれるのは超良い人ぞろいの漂流者達と、その中であくまでも自己中心的で独善的に振る舞い続ける勘違い女のやりたい放題さです。
清子を除いて良い人たちすぎるんですよ、皆さん。だから秩序の保たれた生活を営めちゃってるんです。すなわちサバイバルではないんです。生き残るための努力が描かれないんです。この時点で、これはもうピクニックでしかないんです。
それは恐ろしい事に劇中に登場する「日本人vs中国人」にも現れます。そもそも対決してないですし。まったくいがみ合うことがないんです。なぜなら、日本人側は魚と果実を採って元気いっぱいですし、中国人側は豚を養殖して不自由なく生活しているからです。
このように根本的なこと(=生命の危機)ができていないから、イベントがスムーズに起きないんです。その結果、全てのイベントは清子の身勝手さから発生するという目も当てられない展開を生みます。そしてそれをやっちゃうと、どんどん清子は嫌な奴に見えてくるわけです。

本作の最低な所2 窪塚という狂気を生かせていない。

本作でほとんど唯一の曲者として存在するワタナベ(窪塚)は、しかしその狂気を一切生かすことなく脱出してしまいます。
本作の構造をおさらいしましょう。東京島には3派閥が存在します。日本人、中国人、そしてワタナベです。ワタナベは一人我が道を行く人間で、途中で中国人に荷担したりもします。彼は東京島の秩序におさまらない人間であり、唯一の”異物”なんです。だから構造上は彼が脱出の鍵を持っているはずなんです。そして実際に彼は鍵を持っていていち早く脱出します。ところが、彼の脱出がその後、残された人間に何の役にもたたないんです。本来であれば清子は彼の脱出方法を解き明かして、その方法で最後脱出しないといけないんです。ところが、彼女が脱出できるのは完全な運です。その時点でもう話を積み重ねる気が無いんです。
残念ですがこのストーリーはサバイバルとしても映画作品としても最低限の起伏が書けていません。

【まとめ】

サバイバル・スリラーかと思って見に行ったらババァが調子こく話だったという、、、もうね。やはり現代の邦画界でまともなスリラーは作れないんでしょうか? もしまともなスリラーを期待していくならば絶対に止めた方が良いです。というか何かを期待していくならば絶対に止めた方が良いですw ということで無かったことにしましょう。
※ 余談ですが大友さんは相変わらず良い音楽を作っています。ちょっといつもより手抜きっぽいですが、まぁこの映画じゃ仕方無いかなぁと。完全に無駄使いです。

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記事の評価
ハナミズキ

ハナミズキ

本日の2本目は

「ハナミズキ」です。

評価:(1/100点) – テレビでやれ。


【あらすじ】

釧路に近い北海道の港町。水産高校に通う木内康平は、免許筆記試験の日、自動車教習所に向かう途中の電車が止まってしまう。そこで同じく早稲田大学の推薦試験のために急いでいた平沢紗枝を連れだって、親戚の自動車を盗んで高校に向かうが、スピード違反したあげくにハンドル操作を誤って事故を起こしてしまう。
停学を食らった康平だったが、なぜか紗枝からは感謝され急接近。紗枝は康平からの励ましで早稲田の文学部を受験する事を決める。やがてつきあい始める2人だったが、紗枝が早稲田に受かって上京することで遠距離恋愛になってしまう。紗枝は大学の写真部の北見先輩と仲良くなり、やがて康平とは疎遠になってしまう。康平は地元で漁師をするが、借金苦から父が船を手放すことになり、さらに最後の漁で父が心臓発作で死んでしまう。母と妹と借金を背負った康平は、紗枝と別れ漁師として一生暮らす事を決意する。一方の紗枝は夢を見すぎるあまりなかなか就職が決まらず、結局北見先輩の紹介でニューヨークの写真会社に潜り込むことになる。
やがて康平は幼なじみのリツ子と結婚し、紗枝も北見からプロポーズを受ける。しかし康平は借金苦から自己破産しリツ子から三行半を突きつけられ、マグロ漁船に長期勤務することにする。紗枝も北見との結婚を決意した矢先に北見が写真撮影中に死亡し、結局傷心のまま生まれた地・カナダのルーネンバーグを訪ねる。そこでたまたま康平のマグロ漁船とニアミスした紗枝は、康平にメッセージを残し北海道へと戻る。そしてメッセージを受け取った康平も北海道へと戻る。
ついに再会した2人はやがて結婚し、娘を持つ。

【五幕構成】

第1幕 -> 康平と紗枝の出会いと交通事故。
 ※第1ターニングポイント -> 康平と紗枝がつきあい始める
第2幕 -> 紗枝の受験。
 ※第2ターニングポイント -> 紗枝が上京する。
第3幕 -> 遠距離恋愛と破局。
 ※第3ターニングポイント -> 紗枝がニューヨークに行く。
第4幕 -> 康平の結婚と紗枝のニューヨーク生活。
 ※第4ターニングポイント -> 北見が死ぬ。
第5幕 -> カナダへの旅と結末。


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【感想】

さて本日2本目は「ハナミズキ」です。お客さんは若いカップルを中心に大変入っていまして、日本の未来が心配になってきますw
ここを読んでる時点で遅いかも知れませんが、今回はネタバレ100%でお送りします。っていうか上のあらすじで全部書いちゃってるんですけど、それはそれ。お察しください。

本作の概要と基本プロット

本作は一青窈の歌「ハナミズキ」をモチーフに制作され、TBSと東宝が中心に、新垣結衣の所属事務所「レプロエンタテインメント」と生田斗真のジャニーズ事務所の別働隊「ジェイ・ストーム」が出資しています。肝心の一青窈の所属事務所「大家」やフォーライフミュージックが出資していないというところがポイントですw 一青窈はあくまでダシであって、話自体には彼女は一切関係ありませんし、彼女へのリスペクトも感じられません。
基本的なプロットは単純明快です。高校時代にナンパで知りあった高卒ヤンキーと良いとこのお嬢さんが、10年間いろいろあった末、結局結婚するという話です。いや~いいですね、バカっぽくてw
このプロットとキャッチコピーの「君と好きな人が、百年続きますように」を見るとまるで純愛ラブストーリーと勘違いしてしまうかも知れませんが、本作はサイコ・スリラーです。 康平の父は最後の漁で偶然にも心臓発作で他界し、紗枝の恋人も「帰ってきたら結婚しよう」というまるでどこぞのコピペのような安い展開で死にます。でも、そんな不幸を物ともせず、2人はお互いの尻を追いかけます。
奥さんが居ようが、恋人が居ようが、そんなことは関係ありません。ただひたすらお互いを安全牌として確保しつつ、結局全てに挫折して傷の舐め合いのように最後にはくっつくんです。
そう、これ純愛じゃないですし、ハッピーエンドでもないんですよ。要は、バラ色の未来を夢見た男と女が夢のためにお互いを捨てて邁進するけれど、結局挫折してお互いに傷を舐め合う話なんです。実際に結構至る所で泣いている女性が居たんですが、よくこんなんで泣けると感心します。

映画作品としての圧倒的な不細工さ

とまぁ話としては相当いかがなものかと思うのですが、本作は映画作品としての体裁すら成していません。顔のアップが多すぎるとか、台詞で説明しすぎとか、そういう基本的な駄目さもあるんですが、それ以上に構成が酷いです。
本作は珍しく5幕構成を採用しています。あんまり聞いたことがないかと思うのですが、5幕構成はギリシャ演劇の古典スタイルの一種です。「導入」→「葛藤」→「進展」→「危機」→「解決」からなりまして、通常は「葛藤」「進展」「危機」がセットで二幕目になります。ですので、別にこれはこれで良いんです。
ところが、本作の五幕というのは明確に主役2人の関係性に寄っていまして、「出会い」→「付き合い始める」→「遠距離恋愛と破局」→「新恋人との別れ」→「寄りを戻す」となっています。このそれぞれのセクションについて、さらに起承転結が存在しているんです。だから話としては物凄い不細工です。なにせ開始1時間頃に紗枝の上京に合わせて一青窈の歌が流れ始めるんです。これでエンドロールに行くかと思ったらまだ1時間半近くあるのでゲンナリしましたw
はっきり言いましょう。これは5幕構成ではなく、全5話のドラマです。つまり、映画としてまとめることなしにテレビの企画をそのまま5話分垂れ流しているだけなんです。これは恐ろしい事です。いつかやる奴が出てくるとは思っていたんですが、こんなえげつないやり方で制作されるとは思いませんでした。それが証拠に、いちいち各セクションに起承転結があってその度にえげつないイベントがあるので、見ていて物凄い疲れるんです。しかもセクションをまたぐ前に「次週も見てね」と言わんばかりの”フック”が入るんです。これはもう、、、有料放送のテレビでやれよ。
TBSやフジテレビは昔から映画を「有料放送の一括上映システム」としか見ていない節があるんですが、ここまで開き直った作りは珍しいです。もはや映画の形すらしてないんですから。
さて、そもそも純愛じゃないという件はまだ良いでしょう。新垣結衣が偏差値57.5程度で早稲田の推薦取る気満々でしかも受験して普通に受かるとか、日本で仕事を探せないメンヘラがニューヨークで成功するとか、北海道の田舎で個人経営の子供向け英語塾が大繁盛するとか、そういう細かいディティールも1万歩譲りましょう。そもそもマグロ漁船はカナダに寄らないとか、マグロ漁であんなヒョロイ奴は役に立たないとかそういうのも1億歩譲ります。(詳しくはこちらを参照 http://www.maguro-jp.com/fishing/tuna-boat/)
一番問題で一番腹が立つのは、結局こいつら(メイン2人および脚本家)は北見先輩やリツ子さんをどう思ってるんだってことなんです。要は2人以外の全てがただの撮影セットでしかないんです。 紗枝と別れた翌日に康平がリツ子を襲うのは「愛」じゃないでしょ? 死んだ恋人の追悼をした直後に紗枝が康平の尻をワクワクして追いかけるのは変でしょ? おまえら何考えてるわけ? これでは2人がただのイカレた馬鹿にしか見えないんです。描写としておかしいんです。
だから、彼らがエンディング後に正常な生活を営めるとは思えません。紗枝は就活で1社も引っ掛からなかったわけで、康平は釧路で漁師をしていけなくなってマグロ漁船に乗ったわけでしょう? しかも康平は浮気性の甲斐性無しで親戚にあずけた扶養家族が居ます。この2人が釧路の片田舎で幸せに生計を立てられる可能性は限りなくゼロです。

【まとめ】

なんといいますか、、、胸くそ悪いメンヘラ向けテレビドラマを1,800円払って大画面で見るという素敵体験ができました。まともな神経の方には絶対にオススメしませんが、もしあなたが「恋空」とかで泣いちゃうような思考回路の持ち主ならもしかしたら刺さるかも知れません。繰り返しますが、決してまともな方は行かない方が賢明です。
ちなみにテレビ宣伝に出ずっぱりでまるで主役扱いの向井理は、扱いも出番も少ないためファンの方は要注意です。もう向井理ばっかで生田斗真が宣伝にあんまり出ない時点で、宣伝的にもお察しくださいな状態ではないでしょうか。

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