アリス・イン・ワンダーランド

アリス・イン・ワンダーランド

今日の一本目は期待の新作、

「アリス・イン・ワンダーランド」です。

評価:(55/100点) – つまらなくはないが、、、中途半端。


【あらすじ】

19歳になったアリスは、ある日大勢の前でヘイミッシュにプロポーズをされる。しかし困惑した彼女は見かけた白ウサギを追いかけて逃げ出し、ウサギの穴に落ちてしまう。目が覚めるとそこは子供の頃から夢に出てきたワンダーランドだった、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> アリスがパーティーに出席する。
 ※第1ターニングポイント -> アリスがアンダーランドに迷い込む。
第2幕 -> アリスとハッターとの再会。アリスと赤の女王の城。
 ※第2ターニングポイント -> アリスがヴォーパルの剣を持って城の女王に合流する。
第3幕 -> アリスとジャバウォックの決闘。


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【感想】

さて、本日はディズニー期待の大作実写映画・アリス・イン・ワンダーランドです。宣伝は去年の11月頃から散々見せられてきましたから、話の内容はあらかた想像がついていました(笑)。監督はティム・バートン。おなじみジョニー・デップとヘレナ・ボナム・カーターがメイン級ででており、鉄板のバートン組って感じでしょうか?

話のディティールについて

本作の話自体は、よくある類の異世界に迷い込んで独裁者を倒すファンタジー・アドベンチャーです。最近ですと、ナルニア国物語第一章/第二章あたりが全く同じ話ですし、古くは「ネバーエンディングストーリー」や「オズの魔法使い」など山程ある話です。
そんな中で本作がアリスとしてギリギリ成立出来ているのは、一重にキャラクター造形の巧さです。特に見た目に関しては本当にジョン・テニエルが描いたオリジナル挿絵にそっくりです。ジャバウォックなんてそのまんまで3Dで動きますから、感激とまでいかないまでも感心はしました。
しかし、キャラクターの性格については正直に言ってほとんど原作と関係ありません。っていうかハッターが真面目かつヒロイックすぎますし、原作での最重要キャラ・白ウサギもキャラが薄すぎます。
結局ですね、本作はルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」と「鏡の国のアリス」にある単語やエピソードやキャラクター造形を使って、ティム・バートンが(ディズニーの制約の中で)好き放題やっているという印象がします。この「ディズニーの制約」というのが結構微妙だったりします。

ティム・バートンという監督の資質

いまや日本でも一般認知度の高い人気監督になりましたティム・バートンですが、当ブログで彼の作品を扱うのは初めてです。ということで、そもそもこの監督の資質というものについて考えてみたいと思います。
ティム・バートンの代表作といえば、バットマンシリーズやシザーハンズ、マーズ・アタックあたりが有名でしょうか? 彼の作品に共通するキーワードは「弱者に対する優しさ」と「カルトな描写」です。例えば「シザーハンズ」では生まれつき人とふれあうことが出来ない孤独なエドワードの悲哀を描いていますし、「バットマン・リターンズ」では親に捨てられた孤独なペンギンの悲哀が前面にでてきます。「チャーリーとチョコレート工場」では貧乏な少年が正直さと真面目さで評価されるようになりますし、「スウィーニー・トッド」では悪徳判事にハメられた一小市民の反撃を描きます。
そしてこれらの「弱者に対する優しい視点」がカルトな雰囲気を混ぜて倒錯した描かれ方をします。
では今回の「アリス・イン・ワンダーランド」はどうでしょうか?
「アリス・イン・ワンダーランド」はまさに赤の女王の圧政で虐げられた人々の復讐劇です。その意味ではこれ以上ないほど「弱者の味方」そのままです。ところが、、、本作を見ていてイマイチ物足りないのはここに「カルトな描写」が入ってこないことです。具体的にはマッド・ハッターがまったくマッド(=気狂い)じゃないんです。せっかくジョニー・デップなのに、全然変人ではありません。マッドなのは服のセンスぐらいです(苦笑)。
本作で私が一番ワクワクしたシーンはずばり言って、赤の女王城のお堀に浮いた顔(生首)を飛び石にしてアリスが渡るシーンです。あとはアン・ハサウェイ演じる「白の女王」のエドワード・シザーハンズを連想させる変な動きぐらいでしょうか?
逆に言うとですね、、、そこ以外はきわめて普通で、「毒気」を抜かれたティム・バートンの抜け殻のように見えてしまいます。とてもディズニーっぽいと言った方が良いかもしれません。ディズニーなので赤の女王を処刑するわけにはいかないですし、人間の形をしたクリーチャーは殺せないんです。
でもそれってティム・バートンの魅力の大部分を削いでしまっているわけです。じゃあカルト表現を削いだ分だけファミリー向けになっているかというと、そうでもありません。生首が出てきたりしちゃうわけで、100%ファミリー向けにはなっていません。とっても中途半端です。

話のプロット上で気になる点

物語で気になる点は結構あります。まず一番は、そもそもアリスが救世主であることの根拠の薄さです。「預言に書いてあるから」ってだけだとちょっと、、、。おそらく実際には「アンダーランド(ワンダーランド)はアリスの夢なのだから自分が最重要人物になるのは当然」って辺りの事情だと思いますが、ちょっと微妙です。しかも終盤では、いくら「ヴォーパルの剣が戦ってくれるから握ってるだけで良い」とはいえ、ちょっと驚くほどのアクションを見せてくれます。せめて白の女王に合流した後で剣術の練習ぐらいはして欲しかったです。
第二に、この物語の着地の仕方です。本作は最終的には「ダウナー系の不思議ちゃん」だったアリスが「物事をハッキリ自己主張する大人の女性」に成長する物語になります。でですね、、、この自己主張の仕方に問題があると思うんです。特に姉とおばちゃんに対しての態度は自己主張っていうよりは冷や水をぶっかけてるようにしか見えません。もしかしたらアメリカ人の感覚では問題無いのかも知れませんが、ちょっとどうなんでしょうね?

【まとめ】

ここまで書いていない重要な事があります。
原作の「不思議の国のアリス」「鏡の国のアリス」が何故ここまで名作として普及しているかという理由は、もちろん1951年のディズニーアニメの影響もありますが、その原作の持つ暗喩性によるところが大きいと思います。早い話がアリス・キングスレーが少女から女性に成長する過程をワンダーランドのメタファーに置き換えて語っているわけです。
ですから、私個人としては「千と千尋の神隠し」で宮崎駿がやったような「倒錯した自分流の不思議の国のアリス」をティム・バートンがやってくれることを期待していました。その意味ではちょっとがっかりです。
しかし、決してつまらない話ではありません。手放しでは喜べないものの、最近のファンタジーアドヴェンチャーとしては手堅い出来です。小さいお子さんを連れて行くのは考えものですが、友人や恋人と気軽に見るには最適ではないでしょうか? ディズニーのエンタメ・ファンタジーとしては十分に及第点だと思います。

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プリンセスと魔法のキス

プリンセスと魔法のキス

二本目は今日見た作品です。

「プリンセスと魔法のキス」

評価:(85/100点) – ディズニー・アニメ完全復活!!!


【あらすじ】

ニューオリンズで母親と住むティアナは、亡き父との夢であるレストランを持つために二つの仕事を掛け持ちしてお金を貯めていた。ある時ニューオリンズにマルドニアのナヴィーン王子がやってくるニュースが飛び交う。プリンセスになることを夢見るティアナの友人にして金持ちのシャーロットは、父に頼んで王子とのパーティーを計画する。そしてパーティーの夜、ティアナはシャーロットの部屋で一匹のカエルと出会う。カエルは自身をナヴィーン王子だと言い張り、魔法を解くためのキスの見返りに開業資金の提供を申し出る、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> ティアナの半生と夢。
 ※第1ターニングポイント -> ティアナがカエルになる。
第2幕 -> 人間に戻る方法探し。
 ※第2ターニングポイント -> ティアナ一行がニューオリンズに戻る。
第3幕 -> 解決編。


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【感想】

本日公開と同時に見て参りましたのは「プリンセスと魔法のキス」です。昨年「カールじいさんの空飛ぶ家」の時にも書きましたが、本作はジョン・ラセター体制になったディズニーの非3DCGの長編アニメーション第一作目です。「ボルト」でまだまだ実力があることを証明したディズニー・アニメーション部門が満を持して送る待望の「トラディッショナル・アニメ(=デジタル手塗り/非3DCG)」です。
監督はジョン・マスカーとロン・クレメンツで、80年代後半から90年代初頭のディズニー黄金期の終盤を担ったゴールデンコンビです。2004年に両名ともディズニーを辞めていましたが、ジョン・ラセターの依頼により復活しました。この配置を見ても、ラセターの「ディズニー黄金期復興計画」への想いが伺えます。
公開初日ですが私の見た箱では3割ぐらいの入りでした。子供連れも数組で、どちらかというと男・女問わず一人で見に来ている人が多かったように思います。

物語について

話のベースは劇中でも登場するグリム童話「かえるの王子様」です。ディズニーがかつて得意としていた「有名な童話をディズニー調に書き換えて家族向けのハートウォーム・テーマに噛み砕く」という手法を踏襲していまして、まさしくディズニー・クラシックスにふさわしい内容です。
物語の部分は文句のつけようがありません。ある種の”道徳的問題”を背負ったティアナとナヴィーンが一連のドタバタを通じて「本当の愛」に気がつき成長する普遍的ストーリーです。道徳的問題と書きましたが、ティアナは「働き過ぎ」、ナヴィーンは「女ったらし」というだけで、別にそんなに大問題ではありません。しかしそこはディズニー、「本当の愛」のためならそんな小さな人間的ほころびすら許しません(笑。とはいえこんな優等生的で正論すぎるテーマでも、押しつけがましくすることなく綺麗にストーリーの盛り上がりと併せて発信出来ています。その違和感の無さ(少なさ)がディズニーの特徴であり、そしてこの作品の脚本の巧さでもあります。
物語で言いますと、終盤にある悲劇的事件が起きます。これは過去のディズニー・アニメには無かった(※あったかも)シーンですが、これをエピローグで綺麗に回収して見せます。もしかしたら彼の夢も叶ったのかな、、、とか勝手な事を思えるシーンでして、私は完全に号泣モードでした。
一点気になることがあるとしたら、最後の最後の場面です。王子に起こったある事件は説明があって納得出来るのですが、でもその論法だとティアナに起こった事についてはまったく説明できないんです。なんか勢いで持って行かれますが、ちょっと引っかかりました。

「アナスタシア」について

実は本作を見ている最中に、ものすごい既視感を覚えていました。最後のエンドロールで気付いたんですが、原因は「アナスタシア」だったんです。
皆さん1997年公開の「アナスタシア」という劇場アニメをご存じでしょうか?アナスタシアは20世紀フォックスの作った長編アニメ第一号でして、80年代のディズニーアニメを支えたドン・ブルースとゲイリー・ゴールドマンがディズニーを辞めた後で制作しました。「アナスタシア」の名前は出しませんでしたが、「カールじいさんの空飛ぶ家」の時にちょろっと書いた作品です。
(※ カールじいさんの空飛ぶ家はこちら https://qbei-cinefun.com/up/)

この「アナスタシア」はメグ・ライアンが主役の声を当ててましたが、吹き替え版では本作と同じくミュージカル女優の鈴木ほのかさんが演じています。さらには敵役が優男の魔術師でして手下の影を使って主役を追い詰めます。この辺のディティールがそっくりなんです。これはパクリという意味ではなくて今回の作品がそれだけ「80年代ディズニー・クラシックス」のテイストを出せているということです。「アナスタシア」は完全にディズニーアニメのルックスでありながら(作ってるのがディズニーの人なので当然ですが)、ディズニーの枷をはずれたことで少し「怖い事」「酷い事」を描けていたのが画期的でした。本作はその「酷い事」の部分も上手に取り込んでいます。なので、必ずしも子供向けというわけでは無く、大人でも十分に楽しめる内容になっています。

数少ないノイズの部分

と、ここまで絶賛モードなんですが、どうかと思う部分が一点だけあります。それが「劇中内の日本語訳」です。私の気付いたところだと、「お父さんがイラストの上に書く”ティアナのレストラン”」「新聞の見出し”王子が来るよ”」「ティアナの店の看板」が、それぞれ日本語表記になったり英語表記になったりします。特に「ティアナのレストラン」は結構酷くて、同じシーンでもティアナが手に持ってる時は日本語で、額に入れた瞬間に英語になったりします。おそらくディズニーなりの「ローカライズ」なんだと思いますが、はっきり言ってズサンです。やるなら全部のシーンできっちり日本語表記にするべきだし、やらないなら他のアメリカ映画と同様に縦の字幕を出せば良いだけです。中途ハンパ過ぎてものすっごい気になりました。
見出しだけ日本語で本文が英語のニューオリンズ新聞ってどうなんでしょう?(苦笑

【まとめ】

最後にちょっとノイズ部分を書きましたが、作品全体ではとても素晴らしい出来です。なにせミュージカル・パートが楽しいですし、特にワニのルイスは最高です。ルイスのぬいぐるみがあれば欲しいですもの。そのためだけにディズニー・ストアに行くぐらいのテンションです(笑。
率直に言いまして、本作をもってディズニーアニメが完全復活をしたと思って間違いないと思います。
作品単体として見ても、そして歴史を目撃するという意味でも、間違いなくオススメの作品です!!!
ラセターはまだ53歳なので、あと20年はディズニーの第三黄金期が続くのでしょうか。いまからどんな傑作を量産してくれるのか楽しみで仕方がありません。

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コララインとボタンの魔女

コララインとボタンの魔女

「コララインとボタンの魔女」を観てみました。

評価:(95/100点) – ヘンリー・セリックの狂気の職人芸


【あらすじ】

コララインは両親と共にピンク・パレス・アパートに引っ越してきた。両親に構ってもらえないコララインは、居間に壁紙で隠された小さなドアを発見する。その夜、小さなトビネズミを追ってそのドアをくぐると、そこには現実とうり二つの世界が広がっていた。しかもそちらの世界の両親はとても優しくコララインをもてなしてくれる。もう一つの世界はまさしく夢のようだった。ただ一つ、彼らの目がボタンであることを除けば、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> コララインが引っ越してくる。アンバーとの出会い。
 ※第1ターニングポイント -> コララインがもう一つの世界に行く
第2幕 -> もう一つの世界での楽しみ。
 ※第2ターニングポイント ->コララインがボタンの魔女と賭けをする。
第3幕 -> 解決編。


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【感想】

遅ればせながら、本日はコララインとボタンの魔女を見てきました。監督はご存じ「ナイトメア・ビフォア・クリスマス」で有名なヘンリー・セリックです。ストップモーション・アニメ(=コマ撮りアニメ)の巨匠にして、ディズニーのファンタジアやバンビで有名なジュール・エンゲルの弟子筋に当たる御大です。
本作では「ナイトメア~」からさらに進化/深化した、狂気としか言いようのない程の精巧で緻密な人形コマ撮りを披露してくれます。そもそも、ストップモーション・アニメは一日気合いを入れてガッツリ撮影してようやく数秒の画が撮れるような世界です。
それをこの情報密度で100分間も突っ走るわけですから、もうただただ脱帽です。

物語の推進力

本作はそのストップモーションアニメの凄まじさもさることながら、それ以上に物語の語り口がとても良くできています。本作の様に登場人物が限られた作品の場合、もっとも難しいのは観客の興味を引っ張りながら物語の推進力を得ることです。そこで本作の場合には徹底してコララインを追い詰めていくことで実に上手く物語を進めていきます。
例えば序盤、コララインは両親から冷たく扱われることへの現実逃避としてもう一つの世界へ行きます。次はもう一つの世界で起こるある恐怖から逃げるために奔走します。あまり書くとネタバレになってしまいますが、さらに追加で2つの事件がコララインを襲います。要は映画100分間の内ほとんどで彼女は何かから逃げたり何かをやらざるを得ない状況に追い込まれています。それによって、観客も高いテンションを常に維持しながら画面に引き込まれ続けます。まったく気が休まるときがないですし、画面の情報量も物語の盛り上がりに比例してドンドン上がっていきます。

テーマ

さらに本作が圧倒的なのは、ホラー風味でかつ驚異的なルックスでありながらもテーマがとてもオーソドックスな教訓話だということです。「うまい話には罠がある」「家族は大切に」「変わり者のご近所さんでも実は良い人かも」。こんなに道徳的な話をこんなに怖く描ける人もそうそういないと思います。

【まとめ】

物語、画面構成、演出、全てが超一流レベルでまとまったとんでもない傑作です。アメリカで大ヒットした話は聞いていましたが、正直なところここまでは期待していませんでした。今年はのっけから高レベルな作品が目白押しでうれしい限りです。もし、子供向けアニメーションだと思って敬遠している方は、騙されたと思って是非見に行ってください。圧倒的な映像体験を確約します。
またストップモーションアニメと3D上映の親和性の高さも良く表れていました。ボタンの魔女が迫ってくる場面は本気で怖かったですし、なんか夢に出てきそうです。
もしかしたら早くも今年一番の作品かもと思いつつ、絶対にオススメな作品です!!!
一応最後に触れなければいけない点がありまして、それはGAGAで良くある吹き替え問題です。なにせオリジナルは天才・ダコタ・ファニングですよ。戸田恵子さんはまったく問題無いですが、やはり榮倉奈々と劇団ひとりをメイン級で使うのはどうかと思います。芸能人枠なら脇役でやってくださいよ、本当。でもそのノイズを差し引いても素晴らしい大傑作なのは間違いありません。

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パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々

パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々

今日はレイトショーで「パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々」を観てみました。

評価:(60/100点) – ハリー・ポッターの後継狙いとしてはそこそこ。


【あらすじ】

神の世界である日ゼウスの稲妻が盗まれてしまう。ゼウスは初め兄のポセイドンを疑うが、彼が潔白を証言するやいなやポセイドンの息子に疑いを向ける。一方その頃、高校生のパーシー・ジャクソンは授業で訪れた博物館で魔物に襲われてしまう。ケイロン先生の力で魔物を何とか追い払うが、危機を感じたパーシーは親友のグローバーと母親と共にキャンプ・ハーフブラッドを目指して逃走する。しかし目前で母親をミノタウロスに攫われてしまう。パーシーはキャンプ・ハーフブラッドで自身の血筋を聞かされ、仲間と共に母親を救出する旅に出かける、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> ゼウスとポセイドン。またはパーシーが襲われ逃げる。
 ※第1ターニングポイント -> パーシーとグローバーとアナベスが旅に出る。
第2幕 -> ハデスを目指す旅。そしてハデスとの邂逅。
 ※第2ターニングポイント ->冥界から脱出する。
第3幕 -> 最後の対決とオリンポス訪問。


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【感想】

さて、本日は「パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々」です。監督は少年向け冒険ファンタジーの脚本を多数手がけるクリス・コロンバスです。どちらかというとホーム・アローンやハリー・ポッター初期2作の監督といった方が通りがよいかも知れません。
会社こそ違いますが、ワーナーのハリー・ポッター・シリーズが残すところ1冊分(=前後編で映画二本)で終了することを見越して、後継のシリーズを狙ってきたという趣旨がヒシヒシと伝わってくる作品です。原作の児童書はハリー・ポッターに負けず劣らずアメリカで大人気ですし、素材としてはこれ以上ないほど適しています。

物語の大筋とキャラクター

物語部分は非常にシンプルでありがちなストーリーです。主人公が実はものすごい力を隠し持っていて、それを突如開花させ大活躍する話です。まるでRPGゲームのようなベタさです。主人公はキャラが薄くて「正義感がある真面目な子」という以外の背景はまったく描かれませんし、仲間のアナベスとグローバーに至ってはただの賑やかしです。
しかし、展開のつけ方やちょっとした神話の引用など子供心をくすぐるポイントはきっちり押さえています。中二病を上手くくすぐる絶妙な湯加減で、見終わってからギリシャ神話を読み直したくなってしまいました。

展開の無茶さ

とはいえ、展開はかなり強引かつ行き当たりばったりです。一番気になるのは本作のタイトルにもなっている稲妻泥棒の件です。気付いたら勝手に解決しているというか、答えが勝手にこっちに向かってきてくれて、ご都合主義なんて言葉では言い表せないほどです。そもそも主人公が気付かないのが変ですし、犯人の計画も無理がありすぎます。主人公が無事にハデスの元に着く確率は相当低いはずなのに、それを見越して計画を建てていないと本作は成立しません。
また、犯人の人間描写もイマイチ稀薄です。「例のアレな感じの人」みたいな「雰囲気のみで構成されたキャラクター」になってしまっています。記号的といいますか、「みんなこんな感じのキャラ見たことあるでしょ?それ。そのイメージで。」という適当な描写が目立ちます。
とはいえ、児童書が原作で小中学生をターゲットにしている割には整理はされていますし、そこそこの佳作だと思います。

【まとめ】

本作は決して高いレベルのハリウッドエンタメではないですが、ハリー・ポッターの後継としては十分通用するレベルだと思います。何より徹底したキャラの記号化によって抽象度が上がっていますから、観客各自が好きなように移入することが出来ます。裏を返せばそこまでキャラに惹かれるものが無いとも言えますが、まぁまぁありかなと思います。
子供向けのエンターテインメント映画としてなら十分に及第点のオススメ作品です。。

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Fate / stay night UNLIMITED BLADE WORKS

Fate / stay night UNLIMITED BLADE WORKS

本日の2本目は

Fate / stay night UNLIMITED BLADE WORKS」です。

評価:(2/100点) – これはどうしたものか、、、。


【あらすじ】

冬木市では数年に一度、7人の魔術師(マスター)が使い魔(サーヴァント)を召還して殺し合う聖杯戦争が行われていた。
衛宮士郎は放課後の学校でランサーとアーチャーが殺し合う場面を目撃してしまう。目撃者としてランサーに口封じされそうになった士郎は、自覚の無いままにサーヴァント・セイバーを召還、マスターとして第5次聖杯戦争に参加することとなる、、、。


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【感想】

はじめに

え~、、、まずは恒例の言い訳から(笑)。
一応ですね、、、予習として昔のPCゲームを引っ張り出してきてやり直しましたし、「Fate/Zero」という同人ラノベもアニメイトで買ってきて読みました(←これ値段高すぎ。でも面白かったです)。このシリーズに熱心なファンの方々がたくさんついてるのも理解しています。
今回は書く内容が長くなると思いますが、一応シリーズ初見ではなく、そして信者というほどのめり込んでもいない映画好きの戯言です。もし万が一「Fateシリーズ」が大好きでこの映画に100%満足できた方がいるとするならば、それは非常に貴重で大切なことです。私も仕事柄そういう方々には大変助けられていますので。是非その想いを大事にしていただいて私のような訳のわからん若造の戯れ言なんぞ気にせずに絶賛してDVDやBDの初回限定版を一人三個ずつ買っていただければと思います。そんなあなた方のおかげで日本のコンテンツ業界は回っています。
とまぁ言い訳を書いておいて、さらにお約束の注意をば書かせていただきます。
今回、冒頭の点数を見ていただくと分かるように酷評致します。そして以下ネタバレを大量に含みます。さすがに5年前のゲームにネタバレもないとは思いますが、もし本作を楽しみで楽しみでしょうが無い「Fate/stay night」未プレイの方がいましたら直ちにブラウザを閉じてください。
そんなこんなでセーフガードを大量に貼りつつ(苦笑)、本論へと行きます。

本作の立ち位置の確認

本作は2004年に成人向けサウンドノベルゲームとして発売された「Fate/stay night」内の「UNLIMITED BLADE WORKS(=遠坂凛ルート)」を映像化/映画化したものです。非常に忠実に映像化されています。ですので、ゲームの熱狂的なファンの方にとっては「あの名場面が映画館で見られる!」というような位置で語られるような作品です。ということは、いうなれば昨年の「ROOKIES -卒業-」と同種です。作り手側が特定の層のみをターゲットにして、その中でいかに観客一人あたりの収益率を上げるかに特化した作品ということです。なのでゲームの「Fate/stay night」が大好きな人が満足して何度も劇場に入ってグッズやDVDやBDを買ってくれるならば、商業的狙いは成功です。もしかすると、映画として評価すること自体が的外れなのかも知れません。もっというと「映画という収益システムを使っているだけで、これは映画ではない」と開き直られる恐れもあります。
これから書くことは「曲がれ!スプーン」にもあった「別のメディアの作品をそのまま映像化して映画とする問題」に帰着します。ゲームでは問題の無かったものでも、それをそのまま劇場に持ってくるとどうしようも無い駄作になるという構図そのものです。

ストーリー上の問題点

本作の一番の問題点は脚本です。脚本家さんがよくエンドロールで名前を隠さなかったと拍手を送りたい程です。「アマルフィ 女神の報酬」はみんな逃げたのに(苦笑)。とにかくストーリーの構成がメチャクチャでまったく映画の体をなしていません。
いわゆるアート系映画以外には、必ず主題が存在します。そしてその主題に向かって90分なり120分なりで主人公が突き進んでいきます。それが物語(ストーリー・テリング)です。さて、本作の主題は何でしょう?
すでに観た方ならばこれは自明です。すなわち「主人公・衛宮士郎が自分自身(の行く末であるアーチャー)と向かい合うことで葛藤し成長する話」。これです。
では本作の構成はどうなっているでしょう。
作品の前半部はほとんど主題と関係ありません。これは元々のゲームの性質上の問題です。元のゲームは選択肢でストーリーが分岐していくため、ストーリーの前半部分については後からどうとでもなるような内容しか語れません。これを映画にそのまま持ってくると前半で延々と蛇足のような当たり障りのない話を見せられることになります。この時点で白けます。
さらにまずいのは、テーマ上のクライマックスであるはずの「自分自身と向き合う葛藤・対アーチャー戦」が終わった後、まったく関係無いギルガメッシュ戦を見せられる点です。無関係とは言っても、一応、士郎が自分にアーチャーと同じ能力があると気づいて「UNLIMITED BLADE WORKS」を発動するシーンはあります。ただしこれは成長にはなっていません。あくまでも「自分がアーチャーになる可能性があると自覚した」という場面であり、「自分の考えの破滅性を受け入れた」という表現です。さらにはギルガメッシュがラスボスとして登場する必然性が無いのも問題です。
本来ならばアーチャー戦で文字通り自分自身に打ち勝ってテーマを消化しなければいけません。でも作品上のクライマックスは、演出の仕方でも分かるようにギルガメッシュ戦での「UNLIMITED BLADE WORKS」を発動する場面になってしまっています。つまりクライマックスがずれてしまっているんです。これは「ゼロの焦点」にもあった症状です。そのため最後のギルガメッシュ戦が完全に蛇足になってしまいました。
結局の所、本作のストーリー上の問題は「整理不足」という言葉に要約できます。きちんと「主人公・衛宮士郎が自分自身と向かい合うことで葛藤し成長する話」にするのであれば、前半でアーチャーとの共闘と確執を描き第1ターニングポイントで決裂、中盤でアーチャーと士郎の対立を通してお互いの主張を明文化した上で残るサーヴァント達を一掃、クライマックスで聖杯を巡ってアーチャーがラスボスとして士郎と決闘するべきです。
ゲームをそのまま映画にしてしまったために話がグチャグチャになってテーマがボケボケです。映画にするのであればきちんと映画の文法で書き直す必要がありました。この部分については映画の長さは関係ありません。この手の映画でありがちな「原作を100分にまとめるためにダイジェストみたいになって話が難しくなった。三部作でやればもっと楽しめたのに。」というフォローは残念ながら本作には適用できません。いくら枝葉を詳しくしても構造上の問題は変わらないからです。むしろ100分で語りきるためにテーマを絞るべきです。極端な話、イリヤや慎二や綺礼はテーマには関係無いので出番を全部カットしても良いくらいです。

演出面について

ストーリーの壊滅的な状況と違い、アニメーションはとても良くできていると思います。良い動きをしていますし画面構成も結構きちんとしています。ですので、動きをみるアニメ映画としてはそこそこ楽しめます。しかし演出は本当に酷く、全部台詞で説明してくれるのでラジオドラマで十分なのではないかと思う程です。これは原作者の特徴でもあるのですが登場人物がみんな文語調で会話をします。そんなウザい人間は現実には居ません。さらにはアジテーションまで文語調なので、うっとうしい「中2病」に見えます。「格好つけようとしたら物凄くダサくなった」という目も当てられないシーンの連続です。これは村上春樹の”直訳調文体”を映像化する際に陥っている問題と同種です。そのまま映画に持ってきては通用しません。その雰囲気をいかに映像に置き換えるかが演出家の腕の見せ所です。
驚くことに、後半でついに画面に文字を置いてサウンドノベルそのままの演出がなされます。これにはあまりにも投げやりすぎて呆れかえってしまいました。それならば、画面にゲームのスクリーンキャプチャをそのまま100分流してた方が良かったのではないでしょうか?

【まとめ】

残念ですが、映画としてはあまりにも酷すぎます。ストーリーも演出も、ちょっと他作品とは比べようもないレベルです。
しかし冒頭にも書いたように、本作を映画として評価することに意味は無いかも知れません。ただ、それならそれでOVAでやって欲しかったです。終わった後の満員の劇場では少なくともあまりハッピーな雰囲気ではありませんでした。20世紀少年最終章の時と同じような「観なかったことにしよう」という感じで、ただただどんよりとしていました。
「ファンだからこそこの出来は許せない」となるのか「原作に忠実にやってくれてありがとう」となるかは、観た方の判断次第です。でも、ファンであれば観に行くに越したことはありません。原作ファン限定でオススメします。

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Dr.パルナサスの鏡

Dr.パルナサスの鏡

本日は二本見てきました。一本目は

Dr.パルナサスの鏡」です。

評価:(80/100点) – これぞカルト映画の神髄。安心のテリー・ギリアム印。


【あらすじ】

パルナサスは数世紀前に悪魔・Mr.ニックと賭けをして永遠の命を手に入れた。しかし永遠の命は彼に生きることのつらさを思い知らせることとなる。そんな中、パルナサスは街で見かけた女性に恋をする。しかし彼は1000歳を越える年寄りで寄る辺もない。そこでMr.ニックはパルナサスに若さと彼女の愛を与えることにする。その代償は生まれてくる2人の子供が16歳になった時、ニックに引き渡すことであった、、、。


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【感想】

カルト映画好きならばニヤニヤが止まらない、傑作と呼ぶにふさわしい内容の作品でした。
話の内容は至ってシンプルで、「パルナサス老人が悪魔と勝負をして娘を助ける話」です。「96時間」などと同じプロットです。ただしそこはテリー・ギリアム。老いてなお手練れというか、この人は本当に変な映画を撮らせると天下一品です(笑)。
特に今回の「鏡の中には入場者の理想・妄想の世界が広がっている」「入場者は最後に2択を迫られ、正解を選べば現実に戻れるが不正解だと悪魔の手に落ちる」というこれ以上ないほどシンプルで意地悪な気色悪いゲームの設定は素晴らしいです。シンプルなストーリーも、このギリアム特有の「歪んだ世界」とヒース・レジャーの「胡散臭さ」が見事にトッピングされ、これ以上ないほど魅力的で気持ち悪い(←褒め言葉)ストーリーへと変身します。ごちゃごっちゃいうのも野暮なほど魅力あふれる役者達。そして微妙に薄暗くフィルムグレインのたっぷり乗った画面構成。少ない登場人物で物語の推進力を高める展開の旨さ。何処にも文句の付け所がありません。
強いて言うべきことがあるとするならば、ショウゲートの予告編は嘘ばっかってことです(笑)(Youtube)。
そりゃこんなカルトな映画に若い女性を一杯入れようと思ったらイケメン俳優で釣るしかないんですが、にしても酷い。少なくともヒース・レジャーはメインじゃないし、娘を救い出すために鏡に入るわけではありません。すごい意図的なミスリードです。どちらかというと、TOHOシネマズで流れるジョニーデップとおばちゃんが変なタンゴに乗せて踊る映像が一番内容に即してます(笑)。
是非劇場で見て欲しい作品ではあるんですが決して万人にはお勧めしません(笑)。特にジョニー・デップ狙いの女性には「そんなんじゃないよ!」と警告しつつ、しかし確実に、何があろうと、鉄板でオススメです!!!

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記事の評価
ティンカー・ベルと月の石

ティンカー・ベルと月の石

うってかわって2作目は「ティンカー・ベルと月の石」です。

評価:(80/100点) – 子供向けと侮る無かれ。堂々たる傑作!

【三幕構成】

第1幕 -> ティンカー・ベルが“聖なる杖”を制作する大役を任される。
 ※第1ターニングポイント -> ティンカー・ベルが月の石を割ってしまう。
第2幕 -> インカンタの魔法の鏡を探す冒険
 ※第2ターニングポイント -> 魔法の鏡を手に入れる
第3幕 -> テレンスとの仲直りと秋の祭典


【あらすじ】

「物作りの妖精」ティンカー・ベルはフェアリー・メアリーの推薦で、秋の祭典用の聖なる杖を制作する大役を任される。秋の祭典は、8年に1度昇る「青い月」の光を杖の先の「月の石」に当てることで青い妖精の粉を生みひいては妖精達を生む大事な儀式である。ところがひょんなことからテレンスと大喧嘩したティンカー・ベルは、癇癪を爆発させた際の事故で月の石を割ってしまう。月の石は大変貴重な石で、簡単には手に入らない。そこで彼女は、願いの叶う伝説の「インカンタの魔法の鏡」を使って月の石を直す事を決意する。こうして魔法の鏡を求めるティンカー・ベルの冒険が始まった、、、。


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【感想】

素晴らしい。素晴らしいの一言に尽きます。わずか90分で道徳的でシンプルなテーマを完璧に語りきっています。是非とも文部科学省推薦で小学校低学年の道徳の授業に見せるべきです。お子さんをお持ちの親御さんは是非子連れで見に行ってください。正直に言って期待を大幅に上回る出来です。ディズニーはジョン・ラセターによって本格的に復活したのかも知れません。
あまりの出来の良さにちょっと興奮気味です。
話の構成は至ってシンプルです。「友達と喧嘩した女の子が一人で困難に立ち向かうが失敗し、友達の大切さを知って仲直りをする。二人で協力した結果、困難を乗り越え大成功を収める」。
超が付くほどベタで道徳的な話です。でも説教臭さが全然ないのです。アクションあり笑いあり冒険あり。そして根幹には道徳的なストーリー。「子供向けアニメとはかくあるべし」という鉄則を完璧に超ハイレベルで実践しています。大変よくできた子供向けファミリーエンタメ映画ですので、見終わった後に考えさせられるとか余韻に浸るとかいったことはありません。評価80点としてのはあくまでも映画として見たときにまだ上があるというだけの意味ですので、子供向けファミリー映画として見れば文句なしに100点満点です。脚本も一切無駄がありませんし、人物配置も完璧です。ただただ脱帽します。ディズニー・アニメもやれば出来るじゃない!というかジョン・ラセター凄すぎ。貫禄の安定感です。

【まとめ】

本作を「どうせ子供向けのアニメでしょ」と思って侮ってはいけません。ここまで基本を完璧にこなしている劇映画はそうそうありません。お子さん連れに限らず、カップルでも友達同士でもお一人でも、是非見に行ってください。間違いなく2009年のトップ10に入れるレベルの傑作です。超おすすめです!

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記事の評価
レイトン教授と永遠の歌姫

レイトン教授と永遠の歌姫

久々の映画は「レイトン教授と永遠の歌姫」です。

評価:(20/100点) – 子供騙しなのに劇場に子供がいないっていう、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> レイトン教授とルーク少年の日常、またはジェニスから手紙が届く。
 ※第1ターニングポイント -> クラウン・ペトーネ劇場でゲームが始まる
第2幕 -> 永遠の命を巡るゲーム大会
 ※第2ターニングポイント -> レイトン教授が別行動を取る
第3幕 -> デスコールとの対決とアンブロシア王国の復活


【あらすじ】

ある日大学教授のレイトンはかつての教え子にしてオペラ歌手のジェニスから一通の手紙を受け取る。その手紙は一年前に死んだ友人のミリーナが子供の姿でよみがえったという相談であった。レイトンと助手のルーク少年はジェニスに会うためにクラウン・ペトーネ劇場のオペラへと出かけていった。しかしオペラ終了後、劇場では「勝者は永遠の命を手に入れ、敗者は命を奪われる」というゼロサムゲームが始まってしまった、、、。


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【感想】

はじめに

まず言い訳からはじめさせてくださいw
というのも正直な話、別にこの映画見る気が無かったんです。たまたまアバターまで時間が空いちゃいまして、せっかくだからとスケジュール見てたらたまたま都合の良い時間だったと、、、それだけのことです。このシリーズのゲームはやったことがありませんし、事前知識は劇場のパンフレットが全てです。ファンの方には大変申し訳ありませんが、あくまでも門外漢がパッと見たらイマイチだったと、、、その程度に捉えてください。

大枠について

冒頭でいきなり手厳しいことを書きますが、要はよくある子供騙しの冬休み映画です。なのに大きなお友達しかいないていう、、、マーケティング的には大丈夫なんでしょうか?
「英国紳士」が口癖で謎解きが大好き、シルクハットにスーツで助手を連れていてちょいニヒルというキャラターは、そのまんまシャーロック・ホームズで良いと思います。子供の助手を連れているという意味では、それこそ大正・昭和初期の少年探偵団とか明智小五郎シリーズに通じる子供向け探偵物のお約束です。そしておとぎ話に出てくる「不老不死の薬をもった伝説の国」を巡るアドベンチャーと”どうかと思うほど適当な”ナゾナゾの数々。ライバルとして出てくるデスコールの仮面舞踏会的な格好(=セーラームーンのタキシード仮面に通じるセンス)。レイトンの助手一号のレミ女史が格闘が出来るという、コナンの毛利蘭以来のお約束。かように画面内の全ての要素がどこかで見たことがあるお約束で占められています。別にパクリとかパロディとか言うつもりはありませんで、要は大人が企画会議を繰り返して出てくる「子供が喜ぶ要素の集合知」ということです。そういった意味ではよくぞここまで突っ込んだという「強引なコラージュ感」が結構面白かったりします。
ただですね、、、劇場に子供がいないんですよ。日曜の昼間でしかも冬休みなんて一番子供連れが入りそうじゃないですか?どっか連れてくのも面倒になったお父さんが近場の映画館で子供と見るにはなかなかの作品だと思います。もしかして皆さん「カールじいさん~」や「ウルトラ~」に行っちゃってるんでしょうか?
実際にこの手の映画を見る場合は子供が劇場内に居るのってかなり重要なんです。子供が驚いたり喜んだりするのを見てこちらも納得したり、そういうポイントが分かるのって子供向け映画を劇場で見る醍醐味だったりします。でも居ない、、、本当に大きなお友達ばっかりなんです。ばっかりっていっても150人のキャパで観客10人ぐらいでしたので、もうみんな見ちゃったのかも知れません。そんな中ですと、ただただショボくて飽きてきてしまってポップコーンを食べる手が倍速になってしまいますw
たぶんアイデアは悪く無いと思います。少なくともゼロサムゲームをきっちり描いてくれれば、それこそ「KR-13」的なソリッド・シチュエーション・スリラーとしてカルトな人気が出たかも知れません。でも、やっぱり子供向けなので、人は死にませんし、別にどうと言うことはありません。特に、チェルミー警部がサメだらけの海の中を泳いで逃げるシーンのコミカルさを考えると、たぶんこの世界では車にひかれても「ペチャンコになってヘナヘナヘナ」みたいな描写で終わったり、大爆発に巻き込まれても「頭がアフロになって顔がすすける」程度のレベルで済んでしまうと思います。それが冒頭で分かってしまうので、後半に小型ヘリでレイトンが巨大ロボットに立ち向かうシーンも別にハラハラドキドキ出来ません。「どうせ墜落したって死なないでしょ」って思ってしまうんです。その辺の「世間スレした感性(笑)」を持っている人はたぶんこの映画には向いていません。あくまでも子供が見たときに「格好良い~」「イェ~イ!!!」みたいなテンションになるように画面・物語が設計されていますから。

「子供向け」と「子供騙し」

非常にデリケートな話題なのですが、「子供向け」と「子供騙し」には明らかに乖離があります。「子供向け」というのはあくまでも子供の感性や子供の知識力の中でエンターテインメイントを成立させているものへの呼称で、「子供騙し」は明らかに子供を侮って手を抜いている場合の呼称です。そういった意味で本作は残念ですが子供騙しになってしまっています。
子供が好きな要素を詰め込むのは良いのですが、それが非常に恣意的なせいでちょっと舐められてる感じがしてしまいます。作り手側が子供の目線まで降りておらず、すっごい上の方の大人目線で「こんなもんでしょ」って放り出されているような感覚です。その一番の理由は序盤の謎解きゲームに対する不誠実さです。
序盤の謎解きゲームは観客も一緒に頭を使って考えられないと意味が無いのですが、観客への情報提供が不十分なために成立していません。本来ならこちら(子供の観客)が考えてギリギリ分からないナゾナゾを解いてこそ「レイトン教授は分かるんだスゴ~い!」となるわけです。ところがナゾナゾを解くための材料が提示されないために、画面内で後出しじゃんけんをしているようにしか見えずに他人事になってしまいます。これだとレイトンの凄さが伝わりませんので、必然的にルークへの感情移入も出来ません。
物語の根幹は非常にハードコアなサイコ・スリラーなのに、あまりにも子供騙し要素を詰め込みすぎて、ただショボくなってしまっています。大変もったいないです。

【まとめ】

ただただ惜しいです。下手なファンタジー要素や子供狙いを詰め込まずに、「マッドサイエンティストvs大学教授のアドベンチャー」にテーマを絞ればとっても面白かったはずです。だって話のプロット自体は「インディ・ジョーンズの新作ですw」って言われても何の違和感もないほど良いんです。しかもどうせ子供が見に来てないんですから(←失礼)これは本当にもったいない話です。是非、デスコール関連をばっさりカットして実写リメイクして欲しいですね。船の中だけで完結すれば良いんですよ。
一週間の船旅でゼロサムゲームをやって勝者には永遠の命を授ける。最初は派閥に分かれる参加者だったが、裏切り者が仲間を罠にはめたことで疑心暗鬼になっていく。極限状態の中でついには殺人事件が起きてしまう。レイトン教授と助手のルークは一癖も二癖もある参加者たちから犯人を捜すことは出来るのか?そもそも不老不死の秘薬は存在するのか?そして主催者の意図は?なぜ死んだはずのミリーナがよみがえったのか?、、、、レイトン教授は生き残ることが出来るのか?
これで良いと思うんですけど、、、。
実写化のあかつきには、是非、井口昇監督でお願いします!!!そしたら間違いなく初日に見に行きますよ。シアターNかシネパトスの単館上映でしょうけどw

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