モアナと伝説の海

モアナと伝説の海

週末はディズニーアニメ最新作

「モアナと伝説の海」を見てきました。

評価:(75/100点) – ザ・ロックの魅力で持たせる120分


【あらすじ】

かつて女神テフティは世界を作った。その強大な力を手に入れようとする邪悪な者達はテフティの心を狙い闘争を続けていた。そしてある時、マウイがテフティの心を盗む事に成功する。しかしマウイは悪魔テ・カァの襲撃にあいテフティの心と大切な武器・釣り針を海に落としてしまう。マウイは泥棒の罪で無人島に幽閉される。

それから1,000年、サモアの島々は闇に吸収されようとしていた。世界を救うために選ばれたムトゥヌイのモアナは海よりテフティの心を授かる。マウイを探し一緒にテフティに心を返すため、モアナは村の掟を破ってサンゴの海を渡る。

【三幕構成】

第1幕 -> ムトゥヌイに不吉な事が起きる
 ※第1ターニングポイント -> お婆ちゃんの死
第2幕 -> マウイ捜索とテフティへの旅
 ※第2ターニングポイント -> テ・カァに返り討ちにあう
第3幕 -> リベンジ・マッチ


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【感想】

さて、週末は1本、ディズニー映画最新作「モアナと伝説の海」を見てきました。監督はご存知ロン・クレメンツとジョン・マスカーのコンビで、「プリンセスと魔法のキス」以来7年ぶりの新作です。私は有楽町の日劇で見てきました。シアター1の大箱で、観客が6割ぐらいでしょうか。ちょっとさびしい感じでした。

本作のストーリー自体は指輪物語と同じです。世界を変えてしまうような強大な力をもったアイテムを返す・破棄するために、田舎出身の主人公は仲間とともに旅をします。途中なんやかんや妨害を受けながら最終的には目的を達成して、だけどもスーパーパワーを得るわけでもなくまたもとの田舎の生活に戻ります。

そう、この映画はただしく「行って帰ってくる話」であり、そこになんの文句もございません。

この映画は、最近のディズニーでは珍しく明確に子供向けにターゲットを絞っています。モアナは最初から選ばれた「ザ・ワン」として登場し、身体能力も超抜群、特殊能力を使わない生身の体で並み居る悪魔や怪物と戦っていきます。このモアナは完全に子供の考える「スーパーヒロイン」です。ピクサーの「メリダとおそろしの森(2012)」みたいに男勝りの女主人公はいましたが、ここまで明確に「女性であることを捨てずに身体能力抜群なアクションスター」というのを打ち出したのは初めてじゃないでしょうか?

そうすると、やっぱりちょいと年のいった身としては、相方のマウイの方に魅力を感じちゃうわけです。

このマウイがですね、声優をやっているザ・ロックに120%寄りかかったキャラなんですね(笑)。俺様キャラでありながら根は優しく力持ちでニヒルに笑うナイスガイ。挙句の果てには「みんなのヒーロー(=ピープルズ・チャンピオン)になりたいんだ」とかいいながらピープルズ・アイブロー(=ザ・ロックの決め顔で、片眉だけ思いっきり上げるドヤ顔)をする始末。狙いすぎだろっていうくらいザ・ロックそのものです。WWEアティテュードど真ん中世代としては、もうこのキャラだけで2万点だしていいかなと思います。

そんなバディ2人がすったもんだしながら珍道中を繰り広げるわけで、これがつまらないはずがありません。

本作は子供向けに全振りしてますので、細かいところのアラ・ウソはかなり多いです。食料問題とか、モアナが絶対ヤケドしないとか。でもそういうのも全部流して勢いでカバー出来ているのが本作のいいところです。やっぱオトギ話的な冒険譚って理屈じゃなくてノリと勢いですから(笑)。CGで作っているのにミュ―ジカルパートの入り方が往年のディズニークラシックそのものですし、音作りもモロにアラン・メンケンオマージュです。そういったところも勢いに一役買っています。

【まとめ】

取り留めもなくなってしまいましたが、本作はとってもよく出来たファミリームービーです。「大人も楽しめる」みたいな変な色気をださずに、全力で子供向けに作っています。残念ながら賞レースでは「ズートピア」に持って行かれましたが、子供向けとして見れば「アナと雪の女王」には周回抜かしで勝ってるくらいのレベルです。

大人が見ると言う意味で惜しむらくは、字幕上映が少なくザ・ロックが声優をやってるバージョンが見づらいことです。プロレスファンなら絶対字幕で見たほうが良いです。ネーション・オブ・ドミネーションの頃のちょっと太った初期ザ・ロックが見られます(笑)。

とまぁそんなこんなで、見て損はない作品です。なんせ私、吹き替え版を見た後にあまりのロック・リスペクトに感激して字幕版にハジゴしましたから(笑)。

春休みに鉄板でおすすめできる作品です。

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記事の評価
BFG:ビッグ・フレンドリー・ジャイアント

BFG:ビッグ・フレンドリー・ジャイアント

今日はスピルバーグの最新作

「BFG:ビッグ・フレンドリー・ジャイアント」を見てきました。

評価:(75/100点) – 安定の児童向けファンタジー


【あらすじ】

ソフィーは孤児院暮らしの女の子。不眠症で、監視の目を盗んでは夜な夜な本を読みふけっていた。ある晩の深夜3時過ぎに、ソフィーは窓の外に異様な気配を感じる。窓に近づいてはいけない。カーテンの向こうへ行ってはいけない。ルールを知りながらも興味を抑えきれないソフィーはついに窓の外を覗いてしまう。そこには、暗闇の向こうからのびる巨大な手があった、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> 真夜中の出会いと誘拐
※第1ターニングポイント -> ソフィーが食べられそうになる
第2幕 -> 夢工房とBFG
※第2ターニングポイント -> 夢工房が襲われる
第3幕 -> 女王陛下とBFG


【感想】

本日は、この三連休一番の話題作、スピルバーグ最新作のBFGへ行ってきました。有楽町の日劇で見たのですが、客入りは寂しく、ほとんど私より上のおじさんと夫婦連ればかり、肝心の子供連れが全くいませんでした。スピルバーグのジュブナイルって言えば、私が子供の時は一番の大作扱いだったんですが、、、なんかちょっと時代を感じます。

これから、極力ネタバレしないように本作のいいところを書いていきたいと思います。本作は完全に児童向けですので、もし幼稚園〜小学校低学年くらいのお子さんがいる方は、ぜひ見に行ってください。100%完璧に道徳的な内容で、かつ子供には心躍るスペクタクルが満載なので、絶対人格形成の役に立ちます。もっとも、かく言う私もグーニーズとETとバック・トゥ・ザ・フューチャーとインディジョーンズで育ってひねくれましたので、あんま説得力はありません(笑)
大人の方には「おじいちゃん萌え」という新境地が待ってます(笑)

概要:父としてのET、祖父としてのBFG

本作は、「チャーリーとチョコレート工場(2005)」や「ファンタスティックMr.FOX(2011)」と同じくロアルド・ダールが原作となっています。その名に恥じぬように、本作にはいわゆる”エグい”描写は一切ありません。

主人公のソフィーは両親を亡くして、孤児院で暮らしています。仲が良いのは猫だけ。友達もいないし、先生は厳しい。そんな時、窓の外に巨人を見てしまい、誘拐されてしまいます。はじめは恐ろしかったものの、徐々に巨人に敵意がないことに気付き、ソフィーは彼の仕事を見せてもらうことになります。するとそこには、まさに子どもたちの夢が詰まった光景が広がっていました。

そう、今回のBFGは一切ソフィーに説教だったり宿題をだしたりしません。完全に甘やかしてくれて、しかも夢のような仕事をしている老人。素敵な洋服をくれる人。これ完全に田舎のおじいちゃんです(笑)。BFGは、他の若い巨人たちにいじめられている気の小さい老人で、ソフィーにとっては気の良いおじいちゃんなわけです。ソフィーはおじいちゃんのためにいじめっ子たちをなんとかしようと立ち上がります。この辺りの孤独な老人と孤独な子供の交流って言うと大傑作「グラン・トリノ(2008)」があります。ただ、本作はあくまでも子供がターゲットですので、グラン・トリノとは逆で子供が老人を助ける方向性です。

その方法というのも、きちんとBFGの「特技」と「人当たりの良さ」を最大限活用します。この辺りは本当に良く出来ています。いじめっ子に対して、殴り返すのではなく、きちんと先生に言いつけて、その上で自分の特技を使って自分なりに乗り越える。
とても教育的で道徳的な話です。

子供だましなのか、子供向けなのか

こういった児童向け映画だと、よく「大人も楽しめる子供向け作品」みたいなフレーズを聞くことがあります。では、本作はどうかというと、、、私はこれはいわゆる「子供向け映画」であり、「大人も楽しめる子供向け作品」だと思います。

実際に、本作にはいわゆる「ツッコミどころ」みたいなものが結構あります。ネタバレにならない程度にいいますと、例えば「なぜ”偉い人”が簡単に納得してくれるのか」とか、「なぜ”あんな隠れ方”で見つからないのか」とか、「なぜBFGは他の巨人とは違うのか」とか、「それができるなら最初からやっとけよ!」とかですね。映画を見ていただいたあとだと、何のことを言っているかわかると思います^^;

本作における上記のような「ツッコミどころ」は、ほとんどは「ご都合主義」的な部分なんですね。ツッコミどころって「矛盾している」「意味がわからない/通じない」「都合が良すぎる」みたいなパターンがあるんですが、この「ご都合主義」の部分については、作品のトーンでいくらでも基準を変えられます。

本作の場合、この「ご都合主義」の基準が作品冒頭からあんまりブレないんです。すなわち、いじわる巨人以外は基本的にみんな善人でみんな真剣に話を信じてくれる世界であり、そして、巨人達はステルス能力が高くて、喋ったり音を立てたりしてもあんまり人間に気付かれません。これは作品中で一貫しています。なので、「この作品はこういうもんなんでしょ」で納得できるんですね。大人だと「いやいやいや。こんな良い人ばっかじゃないでしょ」とどうしても世間ズレするんですが(笑)、でも子供向けなら「みんな基本は良い人なんだよ」でOkなんです。教育上も、道徳的にもですね。

この「納得できる基準」のリアリティラインへ大人も降りていけば、本作はまったく問題なく見られます。私は、これこそが「大人も楽しめる子供向け作品」だと思います。

いわゆる「子供だまし作品」ってこの基準がブレブレだったり、上記で言う「意味が通じない」とか「矛盾してる」箇所がやたら多いんですね。

やっぱり演出が滅茶苦茶上手い!

スピルバーグ監督作ということで、本作はやっぱりちょっと画面の作り方が古いです。古いんですが、ものすごい高度なことをサラっとやってます。

例えば映画冒頭のシーン。夜のウェストミンスター橋を赤い2階建てバスが画面の奥に向かって走って行き、カメラが左によるとビッグベンが見えます。このシーンはわずか20秒ぐらいなんですが、たったこれだけのシーンで、「舞台は真夜中のロンドン」だと一発で分かります。「橋をロンドンバスが通る」→「これはロンドンだな」。「ビッグベンが映る」→「あ、真夜中だ」。これをナレーションや字幕など一切使わずに、たった20秒程度の画で見せるわけです。ちなみに最近の映画では「ロンドンの空撮シーンに字幕で”London,UK -2016″」みたいにするのが流行りです(笑)

映画はみんな暗い中で集中してみていますから、本当は極力説明ゼリフや字幕は出さないほうがいいんですね。特に冒頭は観客の頭を使わせて、スクリーンに集中できるように持っていくべきです。この冒頭20秒たらずのシーンで、スピルバーグ監督は私たちに脳トレをさせています。ロンドンバスが出てきた、時計が写った。この2つの連想ゲームのおかげで、観客はその後のシーンでも細かいアイテムを気をつけて見るようになります。そうすると、後のシーンででてくる「夢がビンの中にはいっている」シーンでも、「あ、ワルツを踊ってるな」「あっちはドラゴンと戦ってるな」とか細かいところまで見えるんですね。この”観客をスクリーンに引き込む”テクニックはとんでもないです。

他には長回しもあります。近年のスピルバーグのアイコンといえば、リドリー・スコットがライバル心をむき出しにした「プライベート・ライアン(1998)の冒頭長回しカット」です。あれも作品冒頭の情報密度をマックスまで上げる事で観客を引き込む手法でした。今回はそのプライベート・ライアンよろしく、カメラがグワングワンに飛び交う長回しシーンが何回も登場します。全てソフィーが逃げまわるシーンであり、これがアトラクション感があってムチャクチャ楽しいです。このあたりは子供向け作品としては凄いポイント高いと思います。

【まとめ】

細かい所を書き始めるとキリがないのでまとめに入ります。本作は、子供向け作品として間違いなく普遍的な完成度をもっています。10年後でも、20年後でも、小さなお子さんに見せれば絶対教育上プラスになりますし、なにより面白いです。そういう意味では、リアルタイムで見る必要があるのかと言われるとちょっと怪しいんですが、、、でも映画界への投資だと思って是非見に行ってもらいたいです。

私なんかが書くのはおこがましいのですが、スピルバーグはこの20年ぐらいずっと「歴史的な映画監督になるにあたってユダヤ人が撮るべき作品」という義務感を背負って作品を作ってきました。そのまんまナチスとユダヤ人を描く「シンドラーのリスト(1993)」、奴隷問題を描く「アミスタッド(1997)」、再びWW2の「プライベート・ライアン(1998)」、ユダヤ人が殺されたミュンヘンオリンピック事件を描いた「ミュンヘン(2005)」、20世紀初頭のヨーロッパ史を馬の一生を通して描く「戦火の馬(2011)」、そしてアメリカの礎リンカーンの伝記「リンカーン(2012)」。これらはエンターテイメントというよりは文芸的な意味での”お堅い仕事”であり、歴史に名を残すために必要な”必修科目”なんです。彼の次回作は再び”お堅い仕事”で、19世紀にイタリアで起きたユダヤ人少年の誘拐事件を描いた「The Kidnapping of Edgardo Mortara」の予定です。スピルバーグも今年で70歳ですから、全力で頑張っても、撮れて残り十数本です。そして、スピルバーグ本人がやりたいのは「陰謀サスペンス」と「ジュブナイル」です。彼の生涯の悲願であった「タンタンの冒険」を映画化し終わった今、残りの作品で是非、超楽しいジュブナイルと、猛烈にハードなSF陰謀サスペンスを見たいんです。そのために、スピルバーグが死ぬまで彼が好きな映画を撮りまくれるように、一映画ファンとしてささやかながらお金を落としたいですし、みんなにも見てもらいたいです。

やっぱり、私の世代には、この人は特別です。

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記事の評価
ファインディング・ドリー

ファインディング・ドリー

昨日は夏休み映画の4本目

「ファインディング・ドリー」を見てきました。

評価:(51/100点) – 書きづらいけど微妙


【あらすじ】

前作「ファインディング・ニモ」からしばらく立ったある日、ドリーは突然両親のことを思い出した。断片的に思い出した両親のことが気になって仕方がないドリーは、ニモとマーリンと共に「カリフォルニアの宝石」というキーワードを唯一の手がかりに、西海岸へと向かう、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> ドリーの決意と西海岸への旅
 ※第1ターニングポイント -> 海洋生物研究所へ到着
第2幕 -> ドリーの両親の捜索
 ※第2ターニングポイント -> ドリーが両親を見つける
第3幕 -> ニモとマーリン救出作戦


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【感想】

さてさて、ディズニー映画が続きます。昨日はピクサー最新作「ファイティング・ドリー」を見てきました。東京ディズニーシーの”タートル・トーク”でもおなじみの「ファイティング・ニモ(2003)」の続編です。監督は引き続きアンドリュー・スタントン。なんで今続編なのかはあんまりよくわかりませんが(笑)、あいも変わらず鉄壁の布陣です。私は有楽町のTOHO日劇で字幕版を見ました。公開からしばらく経っているからか、お子さんは外国人の家族連れ1組のみで、後はほぼ社会人カップルでした。
コレ以降、本作に関してネタバレが多数登場します。というか上記の三幕構成でおもいっきりネタバレしており申しわけございません。未見の方はご注意ください。
また、以降、私はドリーのことを「短期記憶障害」と表現しますが、実際はただの「記憶障害」かもしれませんし認知症かもしれません。

ざっくり概要と続編としての真面目さ

まずですね、簡単に「ファインディング・ニモ」についておさらいしておきましょう。前作の「ファインディング・ニモ」は「親の子離れ」がテーマでした。ひょんなことから人間にさらわれてしまった子クマノミのニモを取り戻すために、父親のマーリンがクセのある仲間と交流しながらすったもんだします。片親でありかつニモが障害児(※片ヒレが極端に小さく不自由)であるが故に過保護気味なマーリンを尻目に、ニモはさらわれた先で仲間たちを作り自力で脱出します。そしてマーリンは、我が子が十分に一人でもやっていけることを理解し、寂しいながらも少しだけ子離れを決意します。前作は、まさに親の視点から見た「子供の成長と”親離れ”」の話であり、それを送り出さなければいけない寂しさと嬉しさを同居させた素晴らしい作品でした。

そして今回のファインディング・ドリーです。前作が「親が子供を探す話」だったのに対して、今度は「子供が親を探す話」になります。立場をひっくり返して同じ話を繰り返すというのは、とても正しい続編の作り方です。これだけでも企画の真面目さがヒシヒシと伝わってきて好感が持てます。持てるんですが、じゃあなんで私がこの点数を付けるのかというと、本作の語り口にあんまり乗っかれないからなんですね、、、。それを以降とくとくとグチりたいと思います(笑)。

いいところ:前作と同じく成長と親離れを描けている

まず先に褒めておきましょう。ドリーのご両親って「一年前に子供が突然行方不明になっちゃった」状況なわけで、これってモロに拉致被害者と同じなんですね。本来は子離れしろってのが無理なんです。ご両親はいつかドリーが帰ってくると信じて、ドリーへ手がかりというか信号を送り続けます。来る日も来る日も。そしてドリーは本当にひょっこり帰ってくるわけです。普通に考えたら「もうずっと一緒だよ!」みたいになっても不思議じゃありません。でも「一人で生きていけるかな」と超心配だった子供には友達がいて、しかもその友達を救うために一肌脱ぐって言ってるわけです。要はちゃーんと生き抜いて大人になってたわけですね。これですごい安心して、子離れするんです。これ、フォーマットは完全に前作「ファインディング・ニモ」と同じです。大変よく出来ています。

乗れないところ:「ドリー」というキャラの肯定の仕方が無理やりすぎる

あんまり大きな声で書きづらいんですが、私がこの「ファインディング・ドリー」を見ている最中に一番感じたのは「すごい24時間テレビっぽい」っていう所なんです。ドリーはですね、子供の成長課題としての「障害」がニモより重いんです。ニモは片足がちょっと不自由というレベルなので、まっすぐ泳ぐ練習さえできればそこまで厳しいハンデはありません。だから、「親が超過保護になるための設定上の味付け」で済んでました。ところが、ドリーの場合は短期記憶障害です。直前に言われたことを忘れちゃう病気。これは結構重い話です。もともと前作では、マーリンが「超慎重派」である描写と対比させるために、ドリーが登場しました。ドリーはすぐに物事を忘れてしまうので、結果的にその場の直感と勢いで物事を判断します。これが超慎重派のマーリンとの対比となり、デコボコ・コンビの珍道中としてうまく機能していました。

では、本作ではどうでしょう。本作でドリーがコンビを組むのは、ステルス機能があって手足を自在に操れるタコのハンク、声がよく通り離れても意思疎通ができるサメのデスティニー、そして遠くからナビゲーションができるイルカのベイリー。どれも最強クラスの超能力をもっており、100%万全のサポート体制です。この世界最強クラスのサポーター達が、ドリーを全力で盛り立てます。そして「ドリーがその場の直感と勢いで判断する」ことを全力で肯定してくれます。これね、、、どうなんでしょう。甘やかしてるだけっちゃあ甘やかしてるだけなんですが、そもそも「短期記憶障害をもってても立派にやっていけるから大丈夫だよ!」って話なのにここまでガッチリサポートしちゃうと、「それむしろやっていけてないんじゃないか」という気がしてきます。もちろんドリーの友達を作る能力=人間力(?)の賜物ですから別に良いんですが、あまりに過剰すぎてちょっと褒め殺しではないのかとすら思えてきて全然乗れません。この感じがすごい24時間テレビっぽくて嫌です。「ほら、こ~んな重い障害を持った子が芸能人のサポートと応援で立派に成し遂げたよ!エライでしょ!泣いて!」みたいな同調圧力を感じてすごい嫌。あまつさえ、映画の最後の方は、開き直って完全超能力ヒーローモノになるわけで、なんかちょっと雑だなという印象があります。

また、これは考え過ぎなのかもしれませんが、途中ギャグキャラとしてアシカ達が出てきます。このアシカ達は、2匹の兄貴分と1匹のガチャ目のとっぽい子=ちょっと障害者っぽい子で構成されるんですが、どうみても2匹がガチャ目の子をいじめてるんですよね。なんていうか「このテーマの作品でそれをギャグでいれるか!?」っていうのがアメリカンジョーク過ぎてよくわかりません。

【まとめ】

たぶんこの映画に乗れないのは私の心が濁っているからだと思います(笑)。ですので、心が清らかで、ピュアで、人間的によく出来た方達にはたぶん大好評ロングランなんじゃないでしょうか?単純に「さかなたち可愛いじゃん」っていうのは全面的に同意するんですが、ちょっとこういうテーマでこういうストーリーにされると素直に乗りたくないです。
真面目な話、ファインディング・ドリーを見るくらいなら、その入場料分をちゃんとした団体に寄付すりゃいいんじゃないでしょうか? 24時間テレビだと汐留と乃木坂のお城に吸われて最終的には某さんのハワイ旅行とかになっちゃいますんで(笑)。
個人的にはこの作品はレンタル100円でいいんじゃないかと思います。

ちなみに、リアル社会の飲み会で「ファインディング・ドリーどうだった?」と聞かれたら、とりあえず私は褒めときます(笑)。これが同調圧力と世渡りってやつです(笑)。

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記事の評価
ジャングル・ブック

ジャングル・ブック

夏休み映画3本目はレイトショーでディズニーの実写映画、

「ジャングル・ブック」を見てきました。

評価:(82/100点) – 最高のアイドル映画


【あらすじ】

人間の子・モーグリはジャングルで育てられた。黒豹のバギーラを師に、狼のラクシャを母親代わりに、狼の群れの中でモーグリは”ジャングルの子”として成長していく。
乾季のある日、ジャングルに平和の岩とオアシスが出現した。ジャングルの掟に従って肉食・草食問わずに仲良く水を飲む平和の泉に、ベンガルドラのシア・カーンも現れる。彼は人間のニオイを察知すると、狼の群れに警告を発する。「人間は必ず殺す。人間を匿うなら狼は多大な犠牲を払うことになるぞ」。狼の群れでの会議の末、モーグリは群れを離れ人間の村へと向かうこととなる、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> 平和の泉とシア・カーンの脅し
 ※第1ターニングポイント -> モーグリが人間の村へと向かう
第2幕 -> 人間の村への旅と熊のバルーとの出会い
 ※第2ターニングポイント -> モーグリが狼の群れの現状を知る
第3幕 -> シア・カーンとの対決


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【感想】

さてさて、夏休み映画シリーズの3本目はディズニーの実写、「ジャングル・ブック」です。丸の内ピカデリーのレイト・ショーで見てきました。500キャパぐらいの大箱ですが観客はせいぜい数十人規模で、しかもほとんどが女性の”お一人様”でした。そりゃ男の子はみんなX-MENかな、、、と思いつつ、やっぱり「癒やし」「ほんわか」みたいな雰囲気が出てるからでしょうか(笑)?そして実際見てみるとですね、その雰囲気は当たってます。大正解。本物かと勘違いするほど可愛い動物達が、所狭しと大活躍してとにかく終始ニヤニヤしっぱなしです。めちゃくちゃ楽しい2時間でした。

ディズニーがついに本気だした!

あんまりハッキリ言うのもなんですが(笑)、ディズニーの一連の「クラシックアニメのリメイク/スピンアウト路線」は作品的にはあまり成功しているとは言えません。「アリス・イン・ワンダーランド(2010)」「オズ(2013)」「ウォルト・ディズニーの約束(2013)」「マレフィセント(2014)」「シンデレラ(2015)」「アリス・イン・ワンダーランド/時間の旅(2016)」。素晴らしかったのは「メリー・ポピンズ(1964)」制作の裏側を劇化した「ウォルト・ディズニーの約束」ぐらいで、かろうじてまともなのは「シンデレラ」。後は本当に何考えてるんだっていうレベルの出来でした。

近年の長編アニメが名作揃いなのに対して、ディズニーの実写セクションはほぼアベンジャーズ・シリーズに全面依存しているのが現状で、それ以外のファミリー路線はちょっと残念なことになっていました。そんな状況の中、「アイアンマン」シリーズで全幅の信頼を得たジョン・ファブローが満を持してファミリー路線へ投入されたわけで、これは期待しないわけにはいきません。

ジョン・ファブローは”置きにきた”

そんなプレッシャーがかかる場面ですから、ファブローはこれをどう料理するのかと思いきや、、、完全に安全策にでました(笑)。昔のアニメ映画「ジャングル・ブック(1967)」から人種/性差別的に難癖を付けられていた部分を全て修正し、ポリティカル・コレクトネス的にも文句をつけようがない形にまとめて、エンタメ要素を全面に出しています。具体的には、母親代わりのメス狼・ラクシャの登場であったり、モーグリを群れから追い出す描写の緩和、最終的にはジャングルの子として受け入れる描写。私が鈍感すぎるのかもしれませんが、「そこまでやるの!?」ていうくらい猛烈に気を使っています。そうやって話の筋を「人間社会への復帰」から「ジャングルの子として生きる」方向へと変えた結果、そこに残ったのはピュアな意味での”ジャングルの魅力”であり、「動物ちゃんたち最高~~~~!!!」というモフモフ・キュンキュン・キャワワワ要素です(笑)。これはですね、ド鉄板です。動物の可愛さに国境はないですし、もっというとそこに文句のつけようがないですから。相当卑怯なやり方です(笑)。ずるいぞ、ジョン!

ワンちゃんクマちゃんがこの世で一番可愛い説

とにかくですね、何が可愛いって狼とクマちゃんのワンちゃんぽさですよ。肉食動物としてのエグさは一切見せず、この2種は完全に”ファンタジーなアイドル”として画面に登場します。クマのバルーがはちみつを食べる描写はあるのに、いわゆる”肉”は一切食べません。狼たちも狩りをする描写はなく、終始追いかけっこをしています。まるで「わたしアイドルだからウ○コしませ~ん♡」みたいなノリで、動物たちの可愛さだけが抽出され、描かれます。もうね、そんなの二時間も見せられたら無理(笑)。30過ぎたオッサンが映画館でずーっとニヤニヤしながら見ている絵面はさぞハタからみたら危なかったでしょう(笑)。マジでレイト・ショーでよかった、、、。

ストーリーはひたすら無難

細かいストーリーはですね、正直どうでもいいです(笑)。前述のようにポリティカル・コレクトネスを重視した結果、ストーリー自体はわりとありきたりで普通な感じに仕上がってます。平均偏差値50そのもの。褒めるほど上手くもなく、けなすほどアラもなく、動物たちの可愛さを邪魔しない程度の(笑)添え物です。でも、良いんじゃないでしょうか? だって可愛いは正義ですから。

【まとめ】

動物が好きなひとは絶対見たほうがいいです。特に犬が好きな人。これは義務です。ぜひ映画館で可愛さに悶ましょう(笑)。ただし一点だけ注意があります。大人が一人で見に行くなら、絶対レイト・ショーです。断言しますが、ツボにハマって終始ニヤニヤしている大人は完全に不審者です(笑)。昼の回は避け、是非、空いてそうな夜の劇場でニヤつきましょう。超オススメです!

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記事の評価
ズートピア

ズートピア

本日はレイトショーでディズニーアニメ最新作の

「ズートピア」を見ました。

評価:(79/100点) – 「普通に面白い」という贅沢さと物足りなさ


【あらすじ】

動物たちが理性をもって生活する世界。うさぎのジュディは「うさぎ界初の警察官」の夢を叶え、大都市「ズートピア」へとやってきた。ズートピアでは最近失踪事件が多発しており警察署内は大騒ぎになっていたが、しかしジュディが配置されたのは駐禁係。なかなか警察らしい仕事をさせてもらえない不満から、ジュディはついうっかり失踪者の一人=カワウソのオッタートンの捜索を勝手に買って出てしまう。タイムリミットは48時間。それをすぎると、ジュディは事実上解雇されてしまう。はたしてジュディは無事事件を解決することができるのか、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> ジュディの上京とニックとの出会い
 ※第1ターニングポイント -> オッタートンの捜索を買って出る
第2幕 -> オッタートンの足取り調査と発見
 ※第2ターニングポイント -> ジュディが田舎へ帰る
第3幕 -> 事件の解決と真相。


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【感想】

さてさて、今週2本めの新作映画は、ディズニー最新作「ズートピア」です。ディズニーアニメのお家芸といえば白雪姫/眠れる森の美女から脈々とつながる「かわいらしくデフォルメされた動物」です。本作・ズートピアは人間の登場人物が一人もおらず、この「かわいらしくデフォルメされた動物」が所狭しと登場します。
見る前から本作が某Rotten Tomatoで98% Freshを記録したというニュースは見ていましたから、さてこれはどれだけ傑作なのかと結構ハードルが上がっていました。
そして実際に見てみて、、、というところですが、これはRottenの仕組み上仕方ないといいますか、、、「大傑作!」というよりは「これは皆がそれなりに満足して帰る内容だな」という感想です。100点満点中の100点というよりは、「良いか悪いかで二択にしたとき”良い”が限りなく100%になる」という類の作品です。

本作は王道どまんなかのバディ・ムービー/ファミリー映画です。ですから極力ネタバレはしないようにいたしますが、少々感づいてしまう恐れもあるため、映画未見の方はできるだけご注意ください。

果たして優等生は魅力的なのか?

まずざっくりと語るならば、本作は大変良く出来たバディ・ムービーです。女性(メス)でか弱く体格的にも小さいが頭脳と工夫で乗り越えるウサギのジュディと、ひねくれ者だけど優しくて頭がキレるキツネのニックのデコボコ・コンビが手がかりを追って事件を解決していく、、、という教科書にでてくるような非常に理想的・類型的なフォーマットです。

そうなんです。先に書いちゃいますと、私の不満点はまさにここ。この一点だけです。「教科書にでてくるような非常に類型的な」よくできた映画。なんというか、毒にも薬にもならない「普通の良い映画」なんです。これは物凄い贅沢な話でして、「飽食の時代ここに極まれり」ってことなんですが(笑)、なんかこう「これっ」っていうチャームポイントがあんまないんですよね。「どうしてもズートピアがまた見たい!」ってなるような魅力的なポイントが、ですね。

全体を通じて凄く良く出来ていて、文句の付け所はほとんどないです。お話的には伏線はちゃんと回収されますし、きちんと「他者を属性で判断するな!」「善人は必ず報われる」という道徳的なテーマになっています。キツネのニックは全然言うほどひねくれても無ければ悪人でもないですし、悪役だってひねくれるだけのきちんとした事情があります。そして、ジュディの性別や体格が原因で捜査が行き詰まるようなこともないです。凄く優しい世界の中で物事が進んでいきます。テーマ自体は人種差別というか「マイノリティvsマジョリティ」という重い民族問題を扱っているわけですが、しかしテイストはどこまでも軽く、そしてとても誠実です。そういった意味で、本作は間違いなく良質なファミリームービーです。

なので、本作を減点式にした場合、まず間違いなくそんな貶す人はいないと思います。大幅にマイナスなポイントって本当にないですから。
一方でこれを逆側から、つまり「良かった所集めの加点式」にするとですね、、、これどうなんでしょうか? 少なくとも私個人的には「70~80点ぐらいかな」というぐらいの温度感なんです。それでも十分に高いですよ。

変な言い方ですが、例えば「ナルニア国物語 第1章(2005)」と「ハリー・ポッターと賢者の石(2001)」のどっちが好き?って聞かれたとしましょう。個人的には、「ナルニア~」のほうが間違いなく映画として出来がいいと思いますが、もう一回みるなら「ハリー・ポッター~」なんですね。それはやっぱりあの3人の仲間うちのワイワイをもっと見たいからです。本作は「ナルニア~」と同じで、なんというか優等生すぎて癖がなさすぎるというか、それこそ何年経っても印象に残るようなシーンがあんまり無くてですね、、、「出来はいいけど、そんないうほど好きでもない」ってところです^^;あくまでも贅沢な無いものねだりです。

とはいえよく出来てるよ!

いきなり「そんな好きじゃない」とか書いといてなんですが(笑)、本作は凄いよく出来てます。これだけは再三再四書いても書きたりません。よく出来てます。劇中のズートピアには、エリアが何個もあって、エリアごとに「ジャングルっぽい」とか「南極っぽい」とか特徴があります。これって要はほとんどディズニーランドなんですね。ディズニーランドにおける「クリッターカントリー」「ファンタジーランド」「トゥモローランド」みたいなテーマエリアがあって。もっというと、ジオラマ的な「遊園地」です。ですから、この世界観の時点で、これはもう箱庭ファンタジーなんだというのをハッキリ表明しているわけです。

そしてこの「遊園地」を舞台に、かわいい動物たちが暴れまわり、しかもいろいろなパロディやギャグをかましてきます。実写だったら間違いなく腹が立つレベルの寒いギャグも、かわいいネズミキャラがやれば途端にキュートになります。そういった意味では、「動物が楽しく住んでいる楽園」っていう設定だけでもう勝ったも同然な作品です(笑)。

事件の解決はサラっとスマートに

本作は「ゾディアック(2007)」のような大真面目なサスペンスではなく、あくまでもコミカルアニメですから、事件はあっさりと解決します。とくに悩むこともなく、ジュデイとニックはほぼ最短距離で事件解決に向かっていくんです。
この作品の一番うまいところはまさにこの「コミカルアニメだからそこはそんな本気でやることないでしょ?」という言い訳を使ってくる部分です。そもそも動物がしゃべって二足歩行する世界なので、細かい部分は別に雑でもいいんです。
これのおかげで話の粗が目立たないというのは間違いないです。ニンジン型レコーダーの耐久性はどうなってんだとか、トイレの下水管が太すぎるだろとか、誰がこんな凄いズートピアを作ったんだとか、そういう所ですね。動物がしゃべって二足方向する世界なんだから、レコーダーの電池とか下水管の太さとかどうでもいいわけです(笑)。とても上手いです。

【まとめ】

表現が難しいんですが、「アニメの持ってる嘘やアラを隠してくれる懐の深さ」を最大限活用した良作だなと思いました。本作を実写でやったらかなりのトンデモ映画になるはずです。逆に言えば、アニメだからこそ出来ることをちゃんとやっているわけで、そりゃあ支持率が高いのは当たり前のことです。テーマが重くて子供向けじゃないんじゃないかという話もありますが、私はこれは大人も楽しめるバリバリの子供向けだと思います。
GW中の時間潰しやデートなら、ちょうどいい湯加減ではないでしょうか。

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塔の上のラプンツェル

塔の上のラプンツェル

日曜は気分転換で

「塔の上のラプンツェル」を見て来ました。

評価:(90/100点) – 鉄板のお家芸


【あらすじ】

とある王国で王女が生まれた。しかし王女は生まれながらにして余命幾ばくも無い。王は怪我や老いを治すという言い伝えがある魔法の花を探し出し娘に与える。ラプンツェルと名付けられた娘は一命を取り留めた。
一方それまで魔法の花を使って永遠の若さを得ていた老女・ゴーテルは、自信の若さを保つために花の能力の宿ったラプンツェルを誘拐してしまう。ゴーテルは森の中の塔にラプンツェルを閉じ込め、自分の娘として育てていく、、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> ラプンツェルの日常と盗賊・フリンライダーとの出会い
 ※第1ターニングポイント -> ラプンツェルが塔の外に出る。
第2幕 -> 「灯り」を見るための冒険。
 ※第2ターニングポイント -> 「灯り」の夜、ラプンツェルが連れ戻される。
第3幕 -> 救出。


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【感想】

映画の話しの前に、被災者の方々に謹んでお見舞い申し上げます。映画を見ていて少し後ろめたいような気分になっているのが正直なところですが、日常へのリハビリも兼ねていつも通りに書いていきたいと思います。
さて、先週の日曜日は「塔の上のラプンツェル」を見て来ました。横浜のブルク13で見ましたが、結構なお客さんが入っていました。地震直後ということもありあんまり映画を見ている気分ではありませんでしたが、人混みでいつも通りの繁華街というのも気分が紛れて結果としては良かったと思います。
あんまり論を重ねるほど頭の整理が出来ていないので、少し簡単に書かせていただきます。
本作は、ディズニーアニメの前作「プリンセスと魔法のキス」の長編セルアニメ復活からうって変わっての3Dアニメーションです。そして前作が「ディズニーの王道たるプリンセス・ストーリーの現代的再解釈」であったのに対し、本作はバリバリの「王道のプリンセス・ストーリー」です。主人公は魔女に攫われた王女様で森の中に囚われており、そこにワイルドでイケメンな盗賊が迷い込んだ所から物語が始まります。テーマは「魔女からの解放と幸せな結婚」。これ以上ないほど「白雪姫」であり、「眠れる森の美女」であり、ど真ん中のプリンセス・ストーリーです。ということで、これはもう十二分に安心して楽しむことが出来ます。いろいろ考えすぎている頭には丁度良い湯加減です。
本作では3D的な表現はあくまでも自然に見えるように使われる程度です。ですので、そこまで3D環境にこだわる必要も無いと思います。ここ数年はディズニーアニメもジョン・ラセターがプロデューサーになっていてピクサーとの差別化が難しくなっていますが、この作品は「ディズニーはやっぱりプリンセス・ストーリーだ!」という宣言のようにも見えました。「キャラクター化された白馬・マキシマス」というのがその象徴です。ピクサー映画に出てくるキャラクター化された動物は、動物的な仕草をコミカライズしてきます。あくまでも実在の動物に寄せる感じです。それに対し、本作のマキシマスは男気溢れ、まるで「みどりのマキバオー」のベアナックルのような愛すべきアホキャラです。
極めつけは90年代前半からのディズニーの象徴・アラン・メンケンによる音楽です。一聴しただけで「あ、これはディズニー映画の音楽だ」と分かるほどの”癖”が、「ディズニー復活」に花を添えます。ディズニーの第2黄金期の最後の一花を「リトル・マーメード」「美女と野獣」で咲かせたアラン・メンケンが、ヘラクレス以来13年ぶりにディズニーアニメに帰ってきたわけで、これはいよいよディズニーの第3黄金期が到来しそうな勢いです。
余談ですが、アラン・メンケンが参加した前作「魔法にかけられて」はディズニー自身による「プリンセス・ストーリーの脱構築(=自己パロディ化と破壊)」だったわけで、そこを通ってついにメンケンが王道的なストーリーに起用されたというのは大きな意味があります。
コメディ要素を入れつつも王道的なプリンセス・ストーリーをきっちりと上質なミュージカルを交えて描いてみせる。これを鉄壁と言わずしてどうしましょう。20年たっても30年たっても十分に鑑賞にたえるような普遍的なエンターテイメント、これがいわゆる「インスタント・クラシック(※)」ってやつです。とりあえず3連休は本作を押さえておきましょう。大プッシュです。
映画館はレイトがやっていなかったりそもそも閉館していたりしますので、くれぐれも無理をしないようにして是非ご鑑賞を。

※1 インスタント・クラシック(Instant Classic)
英語のスラングで、発表された瞬間に歴史年表に載ってしまうような大傑作の事。映画や音楽などの作品以外にも、語り継がれるべき超凄いスポーツ事件なんかでも使います。
例)近鉄・北川の「代打逆転サヨナラ満塁優勝決定ホームラン お釣りなし」はまさにインスタント・クラシックだね!
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トロン:レガシー

トロン:レガシー

金曜のレイトショーは川崎109のIMAXで

「トロン:レガシー」を見て来ました。

評価:(50/100点) – 嫌いじゃないけどかなり単調。


【あらすじ】

デリンジャーからスペースパラノイドの権利を奪還し出世街道にのったケヴィン・フリンはエンコム社のCEOとなった。しかしその数年後、ケヴィンは息子のサムに「明日ゲームセンターへ行こう。」と約束して仕事へ向かったのを最後に消息を絶ってしまう。
それから20年後、エンコム社の大株主でありながら自堕落に過ごすサムの元に父の盟友アランが顔をだす。アランはケヴィンから預かったポケベルに着信があったことを告げ、サムにケヴィンがかつて経営していたゲームセンターに行くよう説得する。サムがゲームセンターへ行くと、そこには隠し通路があった、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> エンコム社への侵入
 ※第1ターニングポイント -> サムがグリッドへ行く。
第2幕 -> サム達の旅。
 ※第2ターニングポイント -> サムがケヴィンのディスクを奪い返す。
第3幕 -> 結末


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【感想】

今秋の金曜新作レイトショーは往年の珍作SF映画「トロン」の続編、「トロン:レガシー」です。ロビン・フッドと並ぶお正月大作映画ということもあって、レイトにも関わらず川崎IMAXはチケット完売でした。久々に完全に埋まった劇場です。

前作「トロン」とその影響

本当にいまさらなんですが、一応のおさらいということでさらっと書いてしまいます。1982年に公開された「トロン」は興行的にはコケました。偶然コンピュータの中に入ってしまったフリンが、その世界の独裁者を倒し”ある証拠”を探すために、盟友トロンと共に戦います。かなり一本調子な話なので面白いかと言われると微妙ですが、特筆すべきはそのアイデアです。それは「コンピュータの中に入る」という部分と「コンピュータ内のデジタル世界を擬人化する」という部分です。透過光エフェクトのような蛍光灯のような独特なレトロSFテイストのアニメで合成された服は、まさに「センス・オブ・ワンダー」という名前がぴったりなワクワクを誘います。今見ると非常にショボいCG風景も、コンピューター内部の表現としては大変刺激的です。そしてなによりテンションが上がるのがライトサイクル戦です。コンピューターゲームをそのまま映像化したシーンは、まさにCG映画かくあるべしという素晴らしい物でした。
そしてこの2つのアイデアはその後「ニューロマンサー(1984)」、「攻殻機動隊(原作1991年)」と受け継がれ、さらにその影響下で「マトリックス(1999年)」が誕生し、それがさらに影響して今年の「インセプション」まで繋がります。「何かに入ってしまう」という類の作品は「ネバーエンディング・ストーリー(原作1979年)」や「ナルニア国物語(原作1950年)」のようなファンタジー色の強いものが多かったのですが、「トロン」のガジェット的な格好良さと相まって、一気にSFのトレンドの一つとなりました。もちろんアシモフの「ミクロの決死圏(1966)」のようなSFもあるにはありましたが、SFでありながらもファンタジーよりの描画になっています。コテコテのSFとして「トロン」は間違いなくエポックメイキングな作品でした。面白さは別にしてですけれど(苦笑)。ちなみに私は作品としてはともかくガジェットや世界観だけはかなり好きです。始めて見てから20年近く経っていますが、今でもちょくちょく見直しています。

本作のお祭り感とがっかりポイント

ここからが本題です。「トロン」という作品はCG表現のエポックメイキングとして確固たるブランド力を持っています。その続編を今作ると聞いた時点で、やはりSFファンとしては「3D表現のエポックメイキング」を期待するわけです。予告で見せる電脳世界や光るディスクはそれだけで十分にワクワクさせるものでした。
しかし、、、結果としてはまったくエポックメイキングが出来ていません。それどころか、3Dの意味すらほとんどないような演出が散見します。
本作で最も3Dを演出として利用しているのは、サムがグリッドに入る話の展開点です。そこまでの現実世界は2Dで描かれているのに対して、グリッドに入ると急に世界が3Dで広がります。これは「オズの魔法使い(1939)」でオズの国に行くとそれまで白黒だった画面がカラフルになるのと同じです。古典的な演出ではありますが、3D映画としては至極まっとうな使い方だと思います。事実、開始から1時間ぐらいは大いに楽しめます。ディスク戦、ライトサイクル戦、そして父との再会。旧作のファンならば燃えないわけがありません。
ところが、ここから先、驚くほど単調な世界と単調なストーリーになります。ただひたすら黒に蛍光白・蛍光赤が入るだけの世界。そして出口を目指すという一本調子なストーリー。ケヴィンはただの「オビワンっぽい賢者(=メンター)」として万能感を見せつけ、敵のボス・クルーはボスとは思えぬ軽さで最前線に飛び出し続けます。途中これでもかと言うほど他作品のパロディを入れ続け、あげくラストでは「そんな力があるなら最初から使えよ!!」というチート行為でもって難局を打破します。そして極めつけは前作の準主役・トロンの扱いの軽さです。本当に誰得としか言えないほどひどい扱いです。

【まとめ】

全体的には、前半の最高に楽しい60分を後半の酷いとしかいいようが無い60分で帳消しにしてしまった感じです。つまりフラットな50点というよりは、前半100点と後半0点で相殺の50点ですw そう考えると東京国際映画祭で本作の前半30分だけを先行上映したのは大正解です。
ちなみに、IMAXには本作は大変よく合っています。重低音で本当に椅子が揺れますから、グリッドに入った直後に陸橋みたいな輸送機が降りてくるシーンは迫力満点です。
また、ダフト・パンクのBGMもかなり良く出来ています。本人達もちゃっかりカメオ出演していますので、そういった見せ場も楽しみに劇場に足を運ぶのは手だと思います。ヒロインもオリエンタル感があって本当可愛いですし。
諸々の条件が揃っていただけに「惜しい」という言葉がどうしても頭から離れません。

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魔法使いの弟子

魔法使いの弟子

遅くなりましたが、先週末は一本、

「魔法使いの弟子」をみました。

評価:(20/100点) – ファンタジアの何所をみるとこうなるのか。


【あらすじ】

デイヴは小学生の時、迷い込んだ怪しげな骨董屋でドラゴンの指輪をもらう。それから10年後、彼の前にかつて骨董屋で出会った魔法使いのホルヴァートが現れる。ホルヴァートは昔デイヴが路地に捨てたマトリョーシカを探していた。そのマトリョーシカの中には魔法使い達が封印されているという、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> デイヴとバルサザール
 ※第1ターニングポイント -> バルサザールが復活する。
第2幕 -> グリムホールドを巡る争い。
 ※第2ターニングポイント -> ホルヴァートがグリムホールドを手に入れる。
第3幕 -> モルガナの復活


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【感想】

遅くなりましてすみません。先週末は1本、魔法使いの弟子を見ました。夏休みって食べられるの?
本作はニコラス・ケイジがプロデューサーで、彼の主演作・ナショナルトレジャーのスタッフを集めて制作されました。それだけで強烈な「俺様映画」なわけですが、なんでこれがディズニーなのか良く分からないほどとてつもなく低いレベルの子供向け映画になっています。
一番初めにツッコまなければいけないのは、キャラクターの命名に見られる強力な中2病センスです。いわずもがなのアーサー王伝説に出てくるマーリンとモルガン、そしてアーサー王の象徴であるドラゴンをあしらった指輪。マーリンの弟子が、バルタザール(東方の三賢者)、マクシモス(証聖者)、ヴェロニカ(ゴルゴタの丘でイエスにタオルを貸した人)。さらに主役がデヴィット(ダビデ/旧約聖書の古代イスラエルの王様)、ヒロインがレベッカ(リベカ/ヤコブの母/全イスラエル人の母)。
全部アメリカなら小学校高学年~中学校ぐらいで習う格好いいキリスト教的有名人です。このすさまじく臆面の無いネーミングセンス、、、凄すぎるw
でまぁ話自体はなんてことはなく、いつも通り少年に「君は伝説の勇者だ!」ってな具合に白羽の矢があたり、別段苦労するでもなく覚醒して「俺ってサイキョー!イェーイ!!!」とはしゃぐだけの下らない話です。今回は一応気休め程度ですが師匠と弟子の特訓シーンが入ります。その意味ではハリー・なんちゃらよりはマシではあるのですが、しかし結局それ自体があんまり役に立たないというか、なぜか突然覚醒してメチャクチャ強くなってしまうため特訓の意味がありません。甘やかし過ぎ。
しかも今回の主人公は完全なナードなためあまり華がありません。このあたりはカツラでフサフサになったプロデューサー様が一番格好良く写るための絶妙なキャストです。しかもプロデューサー様の恋人役が絶世の美女/イタリアの宝石・モニカ・ベルッチで、ヒロインはほぼ無名のテレサ・パルマー。職権乱用しすぎw
とはいえ、元々本作の趣旨はファンタジアの中でミッキー激萌え展開を呼ぶ「魔法使いの弟子」パートを実写にするというものです。なので極端な話この「魔法使いの弟子」パートさえ上手く実写に出来ていればなんの問題もありません、、、、が、、、、出来てな~~~~いw
ファンタジアの「魔法使いの弟子」が素晴らしいのは、ミッキーが手抜きをしようとして魔法で掃除してたら眠っちゃって洪水になっちゃってさぁ大変という「ドジっ子萌え」にあります。そして気付いたミッキーが取り繕うために魔法でモップ達を止めようとした結果、まるで満天の星空のように泡が舞って幻想的な風景が展開されるわけです。
「魔法使いの弟子」パートの肝は、ミッキーの可愛らしい失敗と、それを収めようとした結果に起こる奇跡的に美しい光景にあるんです。
ところが本作ではそこが全く出来ていません。そもそもからして本作で起きる失敗はデイヴの力量不足によるもので、しかも手抜きではなく彼女が来てしまうから早く片付けないといけないという必要に迫られたものです。さらに、デイヴはうっかり寝てしまうのではなく、シャワーに入ってやる気満々で目を離しただけです。全然ドジじゃありません。ただの馬鹿です。しかも止めようとして魔法を追加するのではなく、単にあたふたしてるだけです。こんなので音楽だけ「魔法使いの弟子」を流されても全然乗れません。

【まとめ】

子供向けのファンタジーというにはあまりにもレベルが低く、ファンタジアのファンが期待していくにはあまりにもファンタジアへのリスペクトが足りません。残念ですが、本作を見に行くのであれば、ファンタジアを借りてきて見た方が100倍面白いです。それにしてもファンタジアの中で唯一ディズニーキャラクターが出ている「魔法使いの弟子」を使ってこれかと思うと悲しくなってきます。いっそのこと「はげ山の一夜」を使って実写のゾンビ映画にしたほうが面白かったかも知れません。

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