RED/レッド

RED/レッド

土曜の二本目は

RED/レッド」です。

評価:(65/100点) – 元気な叔父様達の貫禄コメディ。


【あらすじ】

フランク・モーゼズは退役したCIAのエージェントである。手持ちぶさたな彼は年金係のサラとの電話を唯一の楽しみにしていた。
ある日いつものようにサラと電話をした晩、フランクは何者かに襲われ自宅を蜂の巣にされてしまう。なんとか難を逃れたフランクはサラの元へと向かい、危機一髪彼女を助けだす。敵をCIAだと判断したフランクは、引退したかつての仲間達の元を訪ね逆襲を計画する、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> フランク邸が襲われる。
 ※第1ターニングポイント -> サラの救出
第2幕 -> サラとの逃走と仲間集め
 ※第2ターニングポイント -> サラが攫われる
第3幕 -> サラの奪還作戦


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【感想】

土曜の2本目は「RED/レッド」です。かなりお客さんが入っていまして、小さめな劇場ながらほぼ満席でした。前評判では「年寄り達のエクスペンダブルズ」なんて言われていましたが、どちらかというと「オールスター感」よりは「年寄りの冷や水感」といいますか、コメディ的な要素が先に立っています。
というのも、エクスペンダブルズのような「劇中でもバリバリの一線で活躍する傭兵」としてのヒーロー達ではなく「劇中ではすでに引退しているかつての凄腕」という体裁だからです。とはいえ、もちろんブルース・ウィリスやヘレン・ミレンはほとんど無敵の活躍を見せてくれます。それだけで爽快感は満点なのでもう十分なのですが、一方で生身のアクションの凄さはありません。せっかくのブルースとカール・アーバンの格闘戦もカメラがグラグラでまったくアクション的な見栄えはしません。
そうするとどうしても「型」を楽しむような見方になってしまいますので、これはもうファンムービーになってしまいます。
とはいえとても幸せな映画なのは間違いありません。ここまで活き活きとコメディを楽しむマルコビッチは久しぶりな気がしますし、ここまで嬉々としたヘレン・ミレンも久しぶりな気がします。何より話の内容が全然無い感じが、いかにもバカ・アクション・コメディという風格すら出ていますw スーパー爺さん達が危なげなく若造どもを手玉にとってくれますので、安心して110分間ポップコーンを頬張れます。
決して高尚な映画ではありませんし、よくできた映画でもありません。しかし爽快感とほほえましさではずば抜けたものがあります。デートの邪魔にもならないくらいのバッチリな温度ですので、是非是非オススメです!

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記事の評価
GANTZ

GANTZ

土曜日は二本見て来ました。1本目は、

「GANTZ」です。

評価:(9 /100点) – 適当でショボい「予告編」。


【あらすじ】

就職活動中の玄野は地下鉄の駅で小学校の同級生・加藤を見かける。加藤は線路に落ちた酔っ払いを救うため、自らも線路に降りてしまう。なんとか酔っ払いを助けた加藤だったが電車はすぐそこまで来ている。ためらいながらも加藤に手を貸した玄野だったが、加藤に引き込まれ線路に転落、2人共電車に轢かれてしまう、、、、。
しかし気がつくと、玄野と加藤はマンションの一室に居た。まわりには数名の男子。目の前には謎の黒い玉。はたして二人は死んだのか、、、そして黒い玉は何なのか、、、。


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【感想】

土曜の1本目は「GANTZ」です。おなじみヤングジャンプ連載のコミックの映画化で、日テレ、東宝、ジェイ・ストーム、ホリプロが制作委員会に名を連ねます。二宮君と松ケン狙いなのか若い女性が多く、漫画ファンの層とはちょっとずれているように感じました。かなりお客さんは入っていまして、一度アニメ化もされている人気シリーズです。

ソープオペラと映画について

当ブログを読んで戴いている方には「そもそも」という単語が出ると危ないというのはご想像できると思いますが(苦笑)、いきなり「そもそも論」から行きたいと思いますw
そもそもですね、原作コミックスはいわゆる「ソープオペラ」の形式をとっています。当ブログでも何度か出てきていますが、一応念のため。「ソープオペラ」はアメリカの連続ドラマの形式の一種で、キャラクターだけを配置して延々と下世話に話を転がしていくものです。ストーリー自体にゴールは無く、またあったとしても限りなく薄いゴールが設定されます。基本的にはシチュエーションとキャラクターの魅力しかありませんので、いくらでも続けることができますし、いつでも止めることができますw 実はそういう風に考えると、連載漫画とソープオペラがとても相性が良いというのがお分かり頂けると思います。つまり編集部やファンの要請が続く限りいくらでも話を転がせますし、また打ち切りが決まればすぐにでも完結させることが出来るからです。
しかしその一方で、ソープオペラは映画にはまったく向いていません。というのも映画には元々「フィルムリール」と言う形で物理的な尺の制限があるからです。もちろん複数リールをつなげるようになってからも、単純にリールが増えるとそれだけダビングに時間も費用もかかりますのである程度の制限は残ります。長さに制限があるということは、つまり作品に明確なゴールを設定した上で、時間に合わせて的確にストーリーを語る必要があるということです。二時間半ならそれに見合った話の内容があり、きっちり二時間半でゴールまで行かないといけません。
さて、原作の「GANTZ」はラストミッションまではこの「ソープオペラ」形式で「星人狩り」のゲームが繰り返されます。この繰り返しの一回一回には特に意味は無く、ゲームや星人のシチュエーションとそこに放り込まれるキャラクターを楽しむものです。正しいソープオペラであり、よく考えられた連載向けの物語構成です。
しかし前述のような映画とソープオペラの相性の悪さがありますから、この原作を映画化するのであれば当然そのままではどうにもならないわけです。(逆に言えば、例えば毎週放送するアニメやドラマであればそのままでもある程度格好は付きます。)
この「原作のストーリーをテーマを絞ってまとめる」事が映画化する際の一番の肝であり、もっとも監督や脚本家の手腕が問われる箇所です。

本作におけるストーリーについて

では今回の映画化はどういった形でテーマをまとめているでしょうか? これは明確で、「玄野の自分探しと成長」です。物語の冒頭では、玄野は面接のマニュアル本を暗記するだけで何の熱意や希望もなく安穏と生活していました。それがGANTZのゲームに参加することで段々と調子に乗り始めます。自分が「いじめっ子をやっつけるのが得意」だと認識した上で、星人狩りを天職だと思うようになり独善的に暴走していきます。しかし対おこりんぼう星人戦で仲間を失ったことで戦いの惨さを再認識し、皆で力を合わせて生き残る事を決意します。これが本作のストーリーの全てです。
問題は、本作のストーリーがどう考えても130分という尺に対して薄すぎることと、そしてストーリーに対して起こっているGANTZを巡る事態が風呂敷を広げすぎな事です。物語の最後で玄野が決意することは、物語の冒頭ではすでに自明であり加藤が連呼していたことです。ですから130分も使った上で成長するゴールとしては低すぎます。
また、映画の尺が伸びすぎている大きな要因がこれでもかというほどクドい「ウェット」で「だるい」演出です。この映画版ではXガンが強力な銃として登場します。実際に劇中で戦う敵は全てこのXガンで撃たれることで倒されます。引き金を引いたら戦闘が終了するような武器を持っているにも関わらず、玄野はなかなか銃を撃ちません。挙げ句の果てには敵の目前で愁嘆場を演じたりする始末です。
特に酷いのがラストの千手観音戦です。ここでは「岸本と加藤」「玄野と加藤」の二回、まったく同じシチュエーションで敵の目前で「感動的なお涙頂戴話」を始めます。それを待ってあげている千手観音もお茶目ですし、「そんなことしている間にXガンで撃てよ」という文句が何度も頭をちらつきます。実際問題、本作の戦闘シーンはほとんどが「そんなことしている間にXガンで撃てよ」で片付いてしまいます。アクションもへったくれもありません。CGがショボイとかカット割りすぎとか以前に、アクションシーンとしておかしな事になっています。しかも玄野と加藤と岸本以外が完全に何の役にもたっていません。ソープオペラというのは各キャラクターを群像劇のように立たせるものですが、本作ではこの3人以外は誰が誰やらさっぱり分からないため、そもそもソープオペラとしても失敗しています。

【まとめ】

だらだらとグチを書いてきましたが、要は本作は後編「GANTZ PERFECT ANSWER」の予告編以上のものではありません。130分も使っておきながら、「みんなで力を合わせよう」などどいうヌルイ着地をしつつ、結局「GANTZ」関連のストーリーには進展がないままです。まるで打ち切り漫画のようなラストショットと、そしてエンドロールの後に流れる心底がっかりする後編の予告によって、本作がただの「前振り」でありただの「お試し版」であることがハッキリします。
本作は見る必要が1ミリたりともありません。どうせ後編をやる直前に日テレで放送するでしょうし、別に後編からいきなり見ても十分に話が通じる程度のボリュームです。まったくオススメしませんが、二宮君と松山ケンイチのファンであれば見に行っても良いかと思います。完全なるドラマ演出によって顔のどアップばかりですので、ファンであれば顔だけは楽しめると思いますw

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グリーン・ホーネット

グリーン・ホーネット

2本目のアクション映画は

「グリーン・ホーネット」です。

評価:(30/100点) – 一瞬だけ楽しい気もするけど支離滅裂で意味不明。


【あらすじ】

ブリット・リードはボンボンの遊び人である。ロサンゼルスで新聞社を経営する父・ジェームズに構ってもらえなかったことからグレてしまい、豊富な私財を悪用してやりたい放題遊びほうけている。
ある日、ブリットが遊びから帰ると、父が庭で蜂に刺されて死んでいた。図らずも2代目社長となったブリットは、父のお抱えドライバー・カトーと一緒に父の銅像の首を切るイタズラをする。それがテレビ報道されるやいなや、彼は自らを覆面の悪党グリーン・ホーネットとして新聞で大々的に取り上げ、マッチポンプ的に有名人になっていく。「悪人に見せかけた正義のヒーロー」を目指すブリットとカトーは、やがてロスの犯罪王・チュドノフスキーに目を付けられてしまう、、、。


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【感想】

本日の二本目は「グリーン・ホーネット」です。今週公開の作品の中では間違いなく一番規模の大きい3D娯楽大作ですので、結構なお客さんが入っていました。
私が大好物なアメコミ・ヒーロー・アクションなのですが、本作は全然テンションが上がりませんでした。なのでさらっと流したいと思いますw
見ていて一番困惑したのは、そもそもブリットとカトーが「悪人(ヴィラン)のふりをする」という部分の描写と説得力の薄さです。ブリットとカトーは、「正義のヒーローは悪人に一般人を人質に取られたら手も足も出ない。でも悪人なら敵も人質なんて考えない。超クールなアイデアだ!」みたいなことを言うのですが、そもそも本作内でやった悪い事は銅像の首を切っただけです。それ以外はマフィアの麻薬工場をつぶしたぐらいで全然描写がありません。あとはちょっと警官とカーチェイスしたぐらいでしょうか。せっかくブリットがマッチポンプで「グリーン・ホーネットは街の脅威だ」みたいな記事を出させているにも関わらず、全然驚異に見えません。ですから、その後の行動がまったく意味が分からないですし、キャラクター達の「行動理念/行動基準」がグラグラです。
そうすると全体が行き当たりばったりのようにしか見えないため、せっかくのアクションもどうでもよく見えてしまいます。そのアクションもスローモーションを多用した非常にミュージックビデオっぽい作りでして、3Dとの相性は最悪です。実は上映途中で3Dメガネを外してみたのですが、まったく問題無く普通に見えていてちょっとビックリしましたw なんか全体的に志しが低いというか、いまいち「作り手が本気で笑わせよう/楽しませよう」としているように見えないんです。一応グリーンホーネットとカトーのコンビは「ボケとツッコミ」「バカと天才」のデコボコ・コンビになってはいるんですが、その二人のキャッキャとした感じ以外は見終わった後なんの印象も残っていません。キャメロン・ディアスもクリストフ・ヴァルツも完全に無駄使いです。
直前に見た「イップ・マン」が面白すぎたというせいがあるとは思いますが、最後まで冷めた見方をして入り込めませんでした。3Dもまったく意味がありませんので、どうしても見る場合には2D字幕で十分だとおもいます。

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記事の評価
イップ・マン 葉問

イップ・マン 葉問

本日はアクション映画2本です。いぇ~~~い!!!
1本目は

イップ・マン2(葉問2/宗師傳奇)」です!

評価:(95/100点) -「ロッキー4/炎の友情」を再び!!!


【あらすじ】

日本兵から逃げ延びた葉問は、広東省から香港へと移り住んできた。独立系新聞の編集長である梁根を頼り場所を借りた葉問は、建物の屋上を利用して詠春拳の武館を開く。しかし弟子はまったく集まらない。
ある日、血気盛んに葉問に挑み掛かってきた黄梁を倒すと、彼は弟子入りを志願してくる。一番弟子となった黄梁は友人達を次々と紹介し、やがて葉問の武館はそれなりの規模になっていく。ところが香港の武館には組合があり、洪家拳武館の洪震南が全ての武館から上納金を集めて統治イギリス軍との仲介をおこなっていた、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> 葉問が詠春拳武館を開く。
 ※第1ターニングポイント -> 黄梁の救出
第2幕 -> 葉問と洪震南とイギリス軍
 ※第2ターニングポイント -> 洪震南がツイスターと対決する。
第3幕 -> 葉問vsツイスター


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【感想】

本日の1本目は昨年大ヒットした香港映画「イップ・マン2」です。何故か日本では宣伝のリベロが「2」であることを微妙に隠していますが、歴とした「イップ・マン」の続編です。主演はご存じ香港アクション界2大スターの片割れドニー・イェンです。同級生のジェット・リーに比べて日本では不遇な扱いを受けていますが、間違いなく当代きってのスーパースターです。カンフー映画はあまりお客さんが入らない印象があるのですが今日は客席が7割方埋まっていました。とても素晴らしいことです。

私たちの目頭を熱くさせる漢同士の熱き友情

恥ずかしながら映画の後半は涙が止まらずに上手く見えていなかったのですが(苦笑)、本作は香港版「ロッキー4/炎の友情」といってもいいぐらい素晴らしい友情物語です。それはもちろんドニー・イェンとサモ・ハン・キンポーなわけです。方やジェントルマンとして知られ温和で頭も切れる詠春拳のイップ・マン。方や豪傑であり一見すると武館を仕切るヤクザのように見えながらも、実は誰よりも中国武術を愛するが故にイギリス軍の暴虐に耐え続ける洪家拳のハン・チュンナン。この二人が対立しながらも、そして決して表立って和解はしないながらも、お互いを認め合い静かに友情と信頼を深めていきます。その描写たるや本当にロッキーとアポロを彷彿とさせ、それだけで目頭が熱くなっていきますw
私達映画オタクの感覚からすれば(苦笑)、兄貴肌で傍若無人として知られるサモ・ハン・キンポーと、超ナルシストであるが故にジェントルマンなドニー・イェンという組み合わせが、そのまんまハン・チュンナンとイップ・マンに重なるわけです。それはつまり、香港アクション界の曲者スーパースター2人がきっと撮影中に幸せな時間を過ごしたのだろうという予感とともに、やっぱり目頭が熱くなりますw
そう。本作は完全に漢と書いて「おとこ」と読む漢人たちの繰り広げる、友情と誇りの物語です。本作に女・子供はイップとハンの家族以外はほとんど出てきません。その家族達も決戦の場には同席しません。漢達が自身と国家と民族の誇りを掛けて戦う場に、家族は不要です。あくまでも家族は「帰るべき場所」であり、誇りと尊厳は命をかけて守るべきものです。そのイップとハンの決意との対比として描かれるタイラー・ツイスターのなんとまぁ軽いことよ(苦笑)。
彼は絵に描いたような「調子コいてる嫌味な外人」像を存分に発揮し、同情の余地が無い完全なる悪として映画に華を添えます。前作で空手家・三浦将軍を演じた池内博之よりも明らかにマッチョなツイスターは、それだけで一目で分かるほど「細身vsマッチョ」「香港vsイギリス」「カンフーvsボクシング」「平和主義者vs荒くれ者」という対立構造を強調してきます。それがより一層、細身でちっちゃいドニー・イェンの凄みを引き出していきます。
本作において、ドニー・イェンは都合8回の対決で武術を披露します。最初の二回は素人相手のいわばデモンストレーション的な手合わせ。次の一度は本作内で唯一武器を使用する魚市場での2対多数の大乱闘。そして達人との三回の戦いと、ハンとの一騎打ち。最後に対ツイスター戦。最初から最後まで無敵の強さを見せながらも、ドニーの人間的な魅力と華麗さによって、ワクワクというよりは惚れ惚れとするアクションを披露してくれます。実は個人的な2010年ベスト10の隠れ4位がカンフー映画をパロディ的に脱構築した「ギャランツ~シニアドラゴン龍虎激闘」だったのですが、本作のようなド直球でハイレベルなカンフー映画を見せられると改めてその魅力というか凄みに恐れ入る気分です。やれアクション映画はもうタイの時代だなんだと言っていますが、私達にはまだドニー兄貴がいるんです!!!

【まとめ】

間違いなく香港アクション映画の歴史に残る名作です。五年後、十年後になっても間違いなくアクション映画の定番として長く見られることになるでしょう。こんな素晴らしい作品を映画館でやっているわけですから、これはもう行かないわけにはいきません。絶っっ対に損はしません。行っとくべきです。というか必須です。自信を持ってオススメできます。
カンフー最高!!!!!!!

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記事の評価
アンストッパブル

アンストッパブル

土曜の2本目は

アンストッパブル」です。

評価:(70/100点) – 再現映像風味ながらテンションが超高い!


【あらすじ】

ペンシルベニアの操車場で、鉄道会社AWVRの貨物列車777号がブレーキの操作ミスにより無人で暴走を始めてしまった。ペンシルベニアからオハイオへと向かう時速100K越えで向かう777号は化学燃料を山程積んでおり、まさに暴走する弾薬庫であった、、、。


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【感想】

土曜の二本目は「アンストッパブル」です。そこそこお客さんは入っていましたがスプライスほどではありませんでした。なんとなく予告でもある程度見せてしまってますので、そこまで引きが無かったのかも知れません。

実際の事件「CSX8888号暴走事故」と本作

本作は2001年にオハイオで発生したCSX8888号暴走事故を元にしています。実際の事故は機関士がブレーキを掛け間違った状態で列車を降りてしまったことにより暴走したもので、オハイオ州トレドから南部ケントンまでの106kmを走りました。途中脱線器の設置や燃料放出バルブの射撃等の手を尽くしましたが止めるまでにはいたらず、最終的には別の貨物車が後ろに取り付いて逆方向へのアクセルを掛けることで減速し、機関士が先頭車両まで渡っていって止めました。この事件が起きたオハイオ州の路線は基本的には一直線で、またCSX8888号自体も時速80km程度だったためこのような対応が可能でした。
さて、これをアレンジした本作では、この事件の全てがスケールアップしています。暴走する貨物車777号は時速100マイル(=時速160Km!!!)を越え、さらにロケーションも直線ではなくクライマックス用に大曲のスタントンカーブが用意されています。そして極めつけはデンゼル・ワシントン扮するベテラン機関士フランクの動機です。実際の事故では会社側からの命令で機関士が行動しましたが、本作では自ら進んで英雄的行動をとります。
本作の基本フォーマット自体は「CSX8888号暴走事故」をほぼ踏襲しています。しかし本作は、徹底的に類型的なキャラクター達を王道に沿って丁寧に配置することで、これ以上ない盛り上がりを生み出しています。人命軽視で会社の利益しか考えないガルビン運行部長、人命重視の作戦を訴えながらも上司に逆らえないドーソン、早期退職でリストラ寸前のベテラン機関士・フランク、浮気を疑ったことから妻子と離れて暮らさざるを得なくなった新米車掌のウィル。この4人を中心に、コテコテながらも超熱血なヒーローものが展開されます。所々で挟まれるテレビニュースの画面でちょいちょいテンションが落ちるのですが、しかしハイビートのBGMと暴走列車のエンジン音で化学調味料のように無理矢理テンションを上げてきますw
本作はこの演出力が全てです。内容は大したことありませんし、ある意味結末はみんな知ってるわけですから驚くような何かもありません。しかし、よくあるキャラクター達を適切に配置するとこんなに面白いんだという驚きはあります。
お正月からあまり大作・話題作がありませんが、本作は十分にお勧め出来ます。ポップコーンをボリボリ食べながら拳を握りしめて見ればテンションは最高潮です。きっと劇場の帰りには無駄に大股で歩いていることでしょうw
オススメです!!!

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記事の評価
キック・アス

キック・アス

本日は満を持して

キック・アス」を見ました。

評価:(100/100点) – 男は思い立ち、調子に乗り、挫折し、決意を胸に真の英雄になる!!!


【あらすじ】

コミックオタクで冴えないデイヴ・リズースキーは思い立ち、ebayで買ったコスチュームと靴を身につけヒーロー・キックアスになった。彼はパトロール中に偶然遭遇した車上荒らし達を止めようとするが、返り討ちに会ったあげく、朦朧としたところを車に撥ねられて全身を骨折してしまう。しかしそんなことで彼のヒーロー熱は冷めなかった。神経麻痺により痛みを感じなくなった彼は、生まれ変わったヒーロー・キックアスver2としてギャング達に襲われた男を助け、一躍スターになる。
そんな彼はある日意中の彼女・ケイティからヤク中の男に付きまとわれていると相談を受ける。キックアスの衣装に身を包み、意気揚々と男のアジトへと向かうデイヴだったが、、、、。。

【三幕構成】

第1幕 -> キック・アスの誕生と挫折。
 ※第1ターニングポイント -> キック・アスが人気者になる。
第2幕 -> ビッグダディとヒットガール。
 ※第2ターニングポイント -> ビッグダディが殺される。
第3幕 -> 復讐。


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【感想】

本日のレイトショーは満を持して「キック・アス」です。マーヴェルのアイコン・レーベルから発売されたコミックスが原作ですが、連載当初から映画化を前提に作られていたため、どちらが原作というよりは同時制作のような形になっています。アメリカでの評判や9月の「第3回したまちコメディ映画祭in台東」での先行上映の大評判ぶりからか、連日TOHOシネマズ川崎ではソールドアウト状態でまったくチケットがとれなくなっています。今日もレイトショーだというのに一列目以外は完全に満席でした。

話の概略

本作は一応カテゴリとして「コメディ」となっていますが、笑える要素が多いというだけで内容自体はいたってシリアスかつ王道なヒーローものに仕上がっています。作中では何度もバットマンやスパイダーマンを意識した台詞が登場します。つまり、この作品内では現実の私たちと同じように「ヒーローもの」の映画やコミックがあって、そういった内容を前提とした上で「ヘタレなオタクが真のヒーローになるまで」を重たいテンションと残酷な描写と、そして時折混じる笑いによって手際よく描いて見せます。
本作の主人公・デイヴはごく平凡で冴えない学生です。彼は毎日オタク友達と漫画カフェに入り浸り、女友達もいなく、バカ話をして過ごしています。そんな彼がガッツだけでスーパーヒーローになっていくわけです。そこには当然血も流れますし、苦悩も経験します。悪者達を華麗で無邪気に殺すヒットガールを目の前にして、彼は恐怖し一度はヒーローになることを捨てようとします。しかし暴力の連鎖は止まらず、マフィアとビッグダディ達との抗争に嫌でも巻き込まれてしまい、ついには逃げられない状態にまで追い込まれます。当初気軽にヒーローを目指していた彼は、スパイダーマン・ピーター・パーカーの台詞である「力には責任が伴う」と言う言葉を引用し、「力が無くても責任はあるんだ」と考えるに至ります。そして平凡な彼は、精一杯の正義感と勇気でもって、ついには真の意味でスーパーヒロイン・ヒットガールの相棒になります。
この物語は、私たちと同じ平凡な人間が「ヒーローになりたい」という無邪気な夢から調子に乗ってしまったことで本物の復讐劇に巻き込まれ、やがては挫折や痛みを知って真のヒーローに生まれ変わるまでを軽やかで残虐で誠実に描きます。本作は英雄譚であり、そこにはマッチョもスーパーマンも超人も居ない、平凡な人間達のあがきと苦悩とそして最後に訪れる真のヒーローへのカタルシスが詰まった大傑作です。

原作グラフィックノベルについて

原作グラフィックノベルは小学館集英社プロダクションから邦訳版が出ています。2008年2月から2010年2月まで全8冊の小冊子で刊行されたコミックスをまとめたものです。実際にグラフィックノベルと映画を比較すると、プロットはほぼ一緒でもまったく内容・印象が異なる作りになっています。
グラフィックノベル版と映画版の決定的な違いは、デイヴの性格設定とビッグダディ達の動機付けの部分です。
グラフィックノベル版ではデイヴはギーク特有の嫌味で根暗な部分が前面に出てきます。グラフィックノベルにおけるデイヴは、正義のために立ち上がるというよりはむしろ名声や優越感のためにヒーローになりたがります。彼が明確に「正義」を意識して行動を起こす場面は、火事に遭遇する第5話の1カ所のみです。このため、全体を通して自虐的で選民的な、感じの悪いオタク少年の自己憐憫が中心になります。
そしてビッグダディの部分です。こちらは映画版とはまったく異なります。ビッグダディはただのコミックオタクであり、自身がヒーローになるために勝手にストーリーを妄想してギャングに突っかかっていきます。そしてその自分の夢に娘を巻き込みます。こちらの設定は本当に救いやカタルシスがありません。ビッグダディはダメ人間のままで死にますし、デイヴも流されるだけ流されて手ひどい目に遭います。ただ、唯一ヒットガールにとっては、「親の敵討ち」という父の妄想が現実になるわけで、そこでまさに漫画的なヒロインに”一瞬だけ”なります。しかしヒットガールは何を得るでもなく鬱屈した日常へと戻っていきます。
グラフィックノベル版におけるテーマを考えるとすれば、それは「ヒーローなんて居るはずがない」という現実と絶望であり、しかしその一方で時折奇跡的に「ヒーローになってしまう瞬間がある」という幻です。
一方、映画版においては作りがぐっとシンプルかつエンターテイメント寄りになっています。ビッグダディ達とフランク・ダミコ・ファミリーの抗争や因縁は本物ですし、その中でキックアスが右往左往して巻き込まれながらも真のヒーローへと成長するのも本当です。そしてヒーローもののお約束であるヒロインとのラブロマンスもあります。これは「整理した」というよりは「エンターテイメントとして再構成した」と言った方が近いかも知れません。原作ファンには「原作の鬱屈した感じが無い」と言われてしまうかも知れませんが、私は映画版のストーリーの方が好きです。

【まとめ】

全男子必見のヒーロー・ムービーです。冒頭のモノローグで「一度は考えたろう?スーパーヒーローになりたいって。」というデイヴのセリフがあります。そう、私たちは子供の頃には誰もがウルトラマンになりたかったし仮面ライダーになりたかったはずです。でも当然現実にはなれるわけもないですし、実際に悪党(※例えばヤクザ)を敵に回したらとんでもないことになるんです。本作の主人公は、ヒーローになるためにひたすら根性で歯を食いしばります。ヒーローが実在した場合に起こりうる「悪党を惨殺する」という恐怖に駆られ、そしてその責任の重さを実感し、しかし彼はそれでも正義を信じて立ち上がります。これは「もし現実にヒーローが存在したら」という私たちが一度は夢見たことのあるファンタジーに現実を突きつけた上で、それでももしかしたら居るかも知れないという希望を残す堂々たる「英雄誕生譚」です。
是非劇場の大きなスクリーンでご鑑賞下さい。タイツを着たヒーローが苦手な人でも絶対に見て損はありません。近年稀に見る少年の成長物語の大傑作です。オススメです!

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記事の評価
トロン:レガシー

トロン:レガシー

金曜のレイトショーは川崎109のIMAXで

「トロン:レガシー」を見て来ました。

評価:(50/100点) – 嫌いじゃないけどかなり単調。


【あらすじ】

デリンジャーからスペースパラノイドの権利を奪還し出世街道にのったケヴィン・フリンはエンコム社のCEOとなった。しかしその数年後、ケヴィンは息子のサムに「明日ゲームセンターへ行こう。」と約束して仕事へ向かったのを最後に消息を絶ってしまう。
それから20年後、エンコム社の大株主でありながら自堕落に過ごすサムの元に父の盟友アランが顔をだす。アランはケヴィンから預かったポケベルに着信があったことを告げ、サムにケヴィンがかつて経営していたゲームセンターに行くよう説得する。サムがゲームセンターへ行くと、そこには隠し通路があった、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> エンコム社への侵入
 ※第1ターニングポイント -> サムがグリッドへ行く。
第2幕 -> サム達の旅。
 ※第2ターニングポイント -> サムがケヴィンのディスクを奪い返す。
第3幕 -> 結末


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【感想】

今秋の金曜新作レイトショーは往年の珍作SF映画「トロン」の続編、「トロン:レガシー」です。ロビン・フッドと並ぶお正月大作映画ということもあって、レイトにも関わらず川崎IMAXはチケット完売でした。久々に完全に埋まった劇場です。

前作「トロン」とその影響

本当にいまさらなんですが、一応のおさらいということでさらっと書いてしまいます。1982年に公開された「トロン」は興行的にはコケました。偶然コンピュータの中に入ってしまったフリンが、その世界の独裁者を倒し”ある証拠”を探すために、盟友トロンと共に戦います。かなり一本調子な話なので面白いかと言われると微妙ですが、特筆すべきはそのアイデアです。それは「コンピュータの中に入る」という部分と「コンピュータ内のデジタル世界を擬人化する」という部分です。透過光エフェクトのような蛍光灯のような独特なレトロSFテイストのアニメで合成された服は、まさに「センス・オブ・ワンダー」という名前がぴったりなワクワクを誘います。今見ると非常にショボいCG風景も、コンピューター内部の表現としては大変刺激的です。そしてなによりテンションが上がるのがライトサイクル戦です。コンピューターゲームをそのまま映像化したシーンは、まさにCG映画かくあるべしという素晴らしい物でした。
そしてこの2つのアイデアはその後「ニューロマンサー(1984)」、「攻殻機動隊(原作1991年)」と受け継がれ、さらにその影響下で「マトリックス(1999年)」が誕生し、それがさらに影響して今年の「インセプション」まで繋がります。「何かに入ってしまう」という類の作品は「ネバーエンディング・ストーリー(原作1979年)」や「ナルニア国物語(原作1950年)」のようなファンタジー色の強いものが多かったのですが、「トロン」のガジェット的な格好良さと相まって、一気にSFのトレンドの一つとなりました。もちろんアシモフの「ミクロの決死圏(1966)」のようなSFもあるにはありましたが、SFでありながらもファンタジーよりの描画になっています。コテコテのSFとして「トロン」は間違いなくエポックメイキングな作品でした。面白さは別にしてですけれど(苦笑)。ちなみに私は作品としてはともかくガジェットや世界観だけはかなり好きです。始めて見てから20年近く経っていますが、今でもちょくちょく見直しています。

本作のお祭り感とがっかりポイント

ここからが本題です。「トロン」という作品はCG表現のエポックメイキングとして確固たるブランド力を持っています。その続編を今作ると聞いた時点で、やはりSFファンとしては「3D表現のエポックメイキング」を期待するわけです。予告で見せる電脳世界や光るディスクはそれだけで十分にワクワクさせるものでした。
しかし、、、結果としてはまったくエポックメイキングが出来ていません。それどころか、3Dの意味すらほとんどないような演出が散見します。
本作で最も3Dを演出として利用しているのは、サムがグリッドに入る話の展開点です。そこまでの現実世界は2Dで描かれているのに対して、グリッドに入ると急に世界が3Dで広がります。これは「オズの魔法使い(1939)」でオズの国に行くとそれまで白黒だった画面がカラフルになるのと同じです。古典的な演出ではありますが、3D映画としては至極まっとうな使い方だと思います。事実、開始から1時間ぐらいは大いに楽しめます。ディスク戦、ライトサイクル戦、そして父との再会。旧作のファンならば燃えないわけがありません。
ところが、ここから先、驚くほど単調な世界と単調なストーリーになります。ただひたすら黒に蛍光白・蛍光赤が入るだけの世界。そして出口を目指すという一本調子なストーリー。ケヴィンはただの「オビワンっぽい賢者(=メンター)」として万能感を見せつけ、敵のボス・クルーはボスとは思えぬ軽さで最前線に飛び出し続けます。途中これでもかと言うほど他作品のパロディを入れ続け、あげくラストでは「そんな力があるなら最初から使えよ!!」というチート行為でもって難局を打破します。そして極めつけは前作の準主役・トロンの扱いの軽さです。本当に誰得としか言えないほどひどい扱いです。

【まとめ】

全体的には、前半の最高に楽しい60分を後半の酷いとしかいいようが無い60分で帳消しにしてしまった感じです。つまりフラットな50点というよりは、前半100点と後半0点で相殺の50点ですw そう考えると東京国際映画祭で本作の前半30分だけを先行上映したのは大正解です。
ちなみに、IMAXには本作は大変よく合っています。重低音で本当に椅子が揺れますから、グリッドに入った直後に陸橋みたいな輸送機が降りてくるシーンは迫力満点です。
また、ダフト・パンクのBGMもかなり良く出来ています。本人達もちゃっかりカメオ出演していますので、そういった見せ場も楽しみに劇場に足を運ぶのは手だと思います。ヒロインもオリエンタル感があって本当可愛いですし。
諸々の条件が揃っていただけに「惜しい」という言葉がどうしても頭から離れません。

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記事の評価
ロビン・フッド

ロビン・フッド

久々の金曜レイトショーは

ロビン・フッド」です。

評価:(65/100点) – 鉄板のハリウッド・エンタテインメント


【あらすじ】

獅子心王・リチャード1世の時代。リチャード王に率いられたイングランド軍フランス遠征部隊に射手として参加していたロビン・ロングストライドは、王の死を知るや仲間を連れていち早く逃げ出した。イングランドへ渡る船へと向かう途中、ロビンは王冠を持ったロバート・ロクスリーが襲われた現場に出くわしてしまう。ロバートより王冠とロクスリー家の剣を託されたロビンは、騎士の服装を纏ってイングランドへ帰国する。そこには、リチャードの弟・ジョンとその腹心・ゴッドフリーが待っていた、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> シャールース攻城戦とリチャード王の死。
 ※第1ターニングポイント -> ロビンがノッティンガムに住む。
第2幕 -> ジョン王の圧政。
 ※第2ターニングポイント -> 北の諸侯とともにゴッドフリー軍を撃退する。
第3幕 -> フランス軍との戦い。


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【感想】

今日は久々のレイトショーでリドリー・スコットの新作「ロビン・フッド」を見て来ました。金曜レイトにしてはそれほどお客さんは入っていませんでした。とはいえ、本作と来週の「トロン レガシー」がお正月大作映画の本命なのは間違いありません。(個人的には「キック・アス」と「モンガに散る」もですけどw)
最近BBCでもテレビドラマで「ロビン・フッド」をやっていましたのでその流れでコメディ寄りかもと若干心配したんですが、良くも悪くもいつものリドリー・スコット映画でしたw 「いつものリドリー・スコット映画」というと非常に乱暴ですが、つまりは政治的なメッセージを入れつつのスペクタクル映像満載でちょっと血が出る冒険活劇です。リドリー監督の前作「ワールド・オブ・ライズ(ボディ・オブ・ライズ)」で太りすぎてビックリされたラッセル・クロウも、きっちり割れた腹筋を披露してくれますw

ロビン・フッド物語へのリドリー的アプローチ

ロビン・フッドと言われて私が真っ先に思い出すのは、1973年のデイズニーアニメ版「ロビンフッド(※ロビンがキツネの作品)」と1976年のオードリー・ヘップバーンとショーン・コネリーの「ロビンとマリアン」です。この二つは共にロビン・フッドを題材にしていながら、まったく別のタッチの作品として歴史に名前が残っています。デイズニー版はひたすらコミカルで、プリンス・ジョンとロビン・フッドはさながら「トムとジェリー」や「ルーニー・トゥーンのロードランナーとワイリーコヨーテのコンビ」のような夫婦漫才を繰り広げます。一方の「ロビンとマリアン」は、年老いたロビンとマリアンがかつての代官との戦いを再びと老体にむち打ちます。こちらは哀愁に満ちた「枯れたラブロマンス」です。

ロビン・フッドというキャラクターは、判官贔屓から来る魅力とその圧倒的な人気によって、架空でありながらも多くの「お約束事」をもっています。マリアンとのラブロマンスしかり。”優しい力持ち”リトル・ジョンとのでこぼこコンビ。お茶目でずる賢いタック神父との交流。そしてジョン王を小馬鹿にしつつ金品を奪う義賊要素。ライオンハート・キング・リチャードの元で十字軍に参加し、その弟ジョン王の圧政に先王の代わりに鉄槌を下す正義の化身。多くの要素が相まって、アーサー王と並ぶイングランドのフィクション・ヒーローとして成立しています。

今回、リドリー・スコット監督はここ最近の監督作と同様のアプローチをしています。すなわち、「プライベート・ライアン以降のリアリズム表現」です。1998年のスピルバーグ監督作「プライベート・ライアン」は冒頭約30分におよぶ壮絶なノルマンディー上陸作戦の描写が大いに話題になりました。そしてそれまでの大作戦争映画ではなかなか無かった(もちろんサム・ペキンパーの不朽の名作「戦争のはらわた」とかはありましたけど。)、四肢や肉塊が飛び散る描写を行いました。手持ちカメラをグラグラ揺らすリアリズム表現もこの頃からです。

リドリー・スコットはこのプライベート・ライアンを相当苦々しく思っているのか(笑)、その後ことある事にプライベート・ライアンに対抗する演出を行っています。プライベート・ライアンの公開後すぐに制作を始めた「ブラックホーク・ダウン」では、彼は露骨にプライベート・ライアンを意識してほとんどパクリと言われかねないほどに似通った演出を行いました。

リドリーは初期の3作「エイリアン」「ブレードランナー」「レジェンド」で圧倒的なまでの世界観構築力を見せつけました。それ故にいまだにこの3作には熱狂的なファンがついています。彼がこの3作で行ったのは、予算の限りを尽くして特殊メイクや舞台セットを作り込むという「スペクタクル」の創造です。さすがにこの3作でやりすぎてしまったのと「レジェンド」が商業的に大コケしたことで、彼の「スペクタクル要素」は引きのショットを多用した「大自然風景スペクタクル」に移行していきます。本作でも特にラスト30分は空撮が目立ちます。大人数のエキストラ達が戦う合戦シーンも、彼なりの「スペクタクル要素」です。
本作ではその「スペクタクル要素」と「リアリズム表現」を徹頭徹尾ぶち込むことで、ロビン・フッドをより実在感のある存在として描こうとしてきます。ロビン・フッドの前日譚というある程度自由が効く設定を使うことで、リドリーは彼なりの「ヒーロー像」をいつも通りの演出で見せていきます。

そしてそのロビンの実在感の一端を担うのはもはや常連と化したラッセル・クロウです。ロビン・フッド=射手が持つ優男で小柄なイメージをぶちこわすマッチョで男臭いラッセル版ロビンは、しかし「十字軍に参加」「イングランドの英雄」というヒーロー像を分かりやすく体現しています。これも一つの実在感の表現です。非常に細かいところですが、本作のラッセル・クロウは常に両頬にでかいニキビをつけています。これも12世紀で風呂もロクに無い時代の実在感です。
本作におけるロビン・ロングストライドは血統書付きのナチュラル・ボーン・ヒーローです。「また生まれつき天才か」とかちょっと思ってしまうんですが(苦笑)、それはきっと私の心が汚れているせいです。ですが確かにこの12世紀という舞台では、一介の弓兵がヒーローとして諸侯と並ぶためにはそれなりの階級や根拠が無いと無理です。ですからこれも監督なりにリアリティを追求した結果のご都合主義だと取れないこともありません。
話の内容自体は非常にシンプルですし、ご都合主義や突っ込み所の嵐です。とくに後半にゴッドフリーが裏切り者だとジョン王が知る辺りからは、もはやストーリーもへったくれもないくらいの混乱が始まりますw ついワンシーン前までロバート・ロクスリーとして振る舞っていたのに次のシーンではいきなりロビンと呼ばれていたり、かと思いきや直後にはまたロクスリー家として周囲から認識されていたり、結構無茶苦茶なことになっています。とはいえ、きっちりケイト・ブランシェットの甲冑姿のサービスがあったり(もちろんクイーン・エリザベス仕様です)、義賊シーンがあったり、お約束事も入れてきます。タック神父が蜂を飼っているというのも、前述のディズニー版「ロビン・フッド」でタック神父がアナグマになっていることへのオマージュです。
そしてそういったリアリティ表現やお約束を入れた「エンタテインメント大作」の総仕上げとして、リドリー・スコットは遂にクライマックスで「プライベート・ライアン」のノルマンディー上陸作戦の完全コピーに挑みますw 12年の歳月を経て、リドリー・スコットの「スピルバーグに追いつけ追い越せ」精神の集大成を見ることが出来ます。

【まとめ】

雑な話をスペクタクル映像で乗り切るという非常に”ハリウッドっぽい”大作です。その出来はまさに鉄板。つまらないこともなく、かといって面白すぎることも無く、きっちりとハリウッド式エンタテインメント映画を見せてくれます。リドリー・スコットがスピルバーグに追いつけたのかどうかは、是非皆さんが劇場で確認してください。個人的にはまだちょっと追いつけてないかなという印象です。
お正月にご家族やカップルで見に行くには、可もなく不可もなく、予備知識も特に必要ない鉄板の作品です。とりあえず冬休みに何を見るか迷っている方には無難な一本です。オススメです。

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