ジョーカー

ジョーカー

今日はもちろん話題沸騰中のこちら、

「ジョーカー(JOKER)」です。

評価:(95/100点) – ジョーカーの悪辣なジョークに君は何を思うか?


【あらすじ】

アーサー・フレックは道化師である。スタンダップ・コメディアンを目指し、今日もピエロとして営業に明け暮れている。アーサーは少し精神を病んではいるが、老いた母の介護をしながら自身もカウンセリングを受け、ゴッサムの片隅でそれなりに頑張って生きていた。

ある日、アーサーは商店での道化営業中に通りすがりのヤンキーたちに絡まれてしまう。トラブルに遭ったアーサーを心配した同僚のランドルは拳銃をアーサーに渡す。それが大トラブルの元だとも知らずに、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> アーサーの日常と道化業
 ※第1ターニングポイント -> 地下鉄での事件
第2幕 -> アーサーの苦悩
 ※第2ターニングポイント -> 母殺し
第3幕 -> ジョーカー爆誕!


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【感想】

皆さんおはこんばんにちは。きゅうべいです。ブログを書き始める前は億劫なのに、一回書き始めると急に書きたいことが山程浮かんでくることってあるんですよね(笑)。前回の「HELLO WORLD」のおかげで何となく文章欲が高まってまいりました。ということで今日は超話題作の「ジョーカー」です。

このブログを読んでいただいている方にはとっくにバレてると思うんですが、実は私、マーベルよりDCというかバットマンのが好きなんですよね。アメコミももっぱらバットマンシリーズを読んでいます。子供の頃にティム・バートン版のバットマンを映画館で見たのが私の原体験になっていまして、これも仕方ないかなと思っております。三つ子の魂百までってやつです(笑)。

さて、このジョーカー。世間的にはもちろんベネチア映画祭の最優秀賞・金獅子賞を獲ったというのが大きいのは言うまでもありません。その御蔭からなのか、体感では「バットマンvsスーパーマン」の5~6倍ぐらいは観客が入っていました。というか日比谷のTOHOは完全フルハウスでした。一昔前では考えられません。アメコミの中でも知名度バツグンのバットマンだというのみならず、ベネチア金獅子賞も一役買ってるのでしょう。客層もいわゆる「アメコミファン」というよりは、心なしかお上品な方が多かったような気もしています(笑)。

相変わらず三幕構成でネタバレはしておりますが、ここから先はさらにネタバレのオンパレードになります。また作品の都合上、おそらく正解は無いといいましょうか、どうしても「オレ解釈」的な話に終始することになってしまいます。私の文作風として断定口調で進めていきますので、不快に思われる読者の方がおられるかもしれません。何卒ご容赦ください。

話の概要

頭からいきましょう。

本作はバットマンの永遠のライバル「ジョーカー」の誕生を巡るストーリーです。正確には「ジョーカーの誕生を巡るストーリー」ということになっています(笑)。舞台はおなじみのゴッサム・シティ。本作でもクリストファー・ノーラン版に準拠するような形でリアル志向の街並みとなっています。たぶんニューヨークですかね。ニューヨークといえばで有名な一直線の高架地下鉄(NY市営地下鉄)が出てきます。劇中にでてくる象徴的なながーい階段はシェークスピア・アベニューのやつです。

そんな「汚い大都市」ゴッサム・シティで、主人公アーサーは懸命に生きています。自分も精神を病んでいるのに、さらに介護が必要な母親との2人暮らし。生活は厳しく、日雇いのような形でピエロ派遣会社に勤めています。鬱屈とした生きづらさを漠然と感じながらも、それでも生きるのに一生懸命なアーサー。そんなアーサーの周りで、理不尽な事件が吹き荒れます。突然の解雇。補助金打ち切りによる精神カウンセリングの廃止。薬もロクに買えず、世間との溝はますます深まるばかり。唯一の心の拠り所であったスタンダップ・コメディアンへの道も、しかし共感性の欠如からか中々笑いのツボが皆と合わない。そんなこんなで怒涛の”追い込み”がアーサーを襲い、彼の精神的な限界を超えます。ついにブチ切れたアーサーはジョーカーとして生まれ変わります。もはや他人は関係無い。笑いなんて所詮は主観的なのだ。完全に開き直ったジョーカーは、自身に政治的な意図が一切ないにも関わらず、貧困層が富裕層に対する不満をぶち撒けるその象徴に祭り上げられます。デモ隊のど真ん中で、ジョーカーは脳内音楽でダンスを始めるのです、、、。

、、、というストーリーをジョーカーは監獄の精神病棟でカウンセラーに語ります(笑)。「このジョークわかるかなぁ???わかんねぇだろうなぁ~」。そんなわけでサクッとカウンセラーをぶっ殺したジョーカーは、今日も今日とて脱獄を企てるのです。

これはジョーカーの仕掛けた壮大なメタギャグだ!

本作を見ていると、強烈な違和感というか「変な感じ」をすごく感じます。いわゆる編集ミスのような不自然な点が多いんです。まるでサブリミナル効果のように「変な感じ」が積み上げられ続け、そして最後の最後にジョーカーの顔のドアップからのズームアウトによって「実はこの映画本編こそがジョーカーが仕掛けた壮大な問いかけなのだ」というのがわかるという仕組みになっています。

さて、大前提です。
DCコミックスの世界において、バットマンやジョーカーは言うなれば「普通の人間」です。超大金持ちだったりはしますが、しかしスーパーマンのように空が飛べるわけでもなければワンダーウーマンのように神様の子供みたいなこともありません。努力やコスプレで格好よくなっているだけで、中身は普通の人間です。ではジョーカーはなぜライバル足り得るのでしょうか?

ジョーカーをジョーカーたらしめているのは、彼の「悪魔性」です。いま一番手に入れやすいコミックですと「NEW52!バットマン:喪われた絆」あたりですかね。ジョーカーはバットマンに対して「おまえの考えている常識は本当に常識なのか?」「おまえの正義は本当に正しいのか?」というのを絶えず問いかけてきます。その精神攻撃はとどまるところを知りません。彼はその攻撃によってバットマンの「偽善と欺瞞」を白日に晒し、そしてそれによって「バットマンだってオレと変わらないじゃねぇか」というのを証明しようとします。そう、善と悪でベクトルが違うだけでジョーカーもバットマンもどちらも狂人なんです。

そんなジョーカーは本作でついに攻撃を映画の観客に向けてきます。そう、今回の精神攻撃の対象はスクリーンの前に座っている我々です(笑)。今回バットマンは出てきませんからね(苦笑)。

今回のジョーカーの攻撃はこうです。この映画の本編を見て「これは社会風刺の映画だ!」とか「これは社会に阻害された貧困層が自我を開放して自ら行動を起こすまでの物語だ!」とか「これは21世紀のタクシードライバー、トラヴィスの再来だ!ベトナム戦争反対!トランプ辞めろ!」とかそういうことを思った人は、ジョーカーの攻撃にまんまと嵌った方たちです。なぜならば、こういうことを言ってる人たちは、つまり「劇中の最後にジョーカーの意思を無視して勝手に祭り上げるピエロ覆面の暴徒たち」と同じことをしているからです。

映画の最後を思い出してください。逮捕されたアーサー=ジョーカーは、暴徒たちによってパトカーから奪還されます。ぐったりしたジョーカーは両手を広げて足を閉じ、まるでキリスト像のような十字型の体制で人々の上を担がれていきます。そして車のボンネットに横たえられ(=磔になり)、皆の祈り・期待によって復活します。復活したジョーカーは「政治的な意図は一切無い」という言葉とは裏腹に、反体制の象徴として祭り上げられます。


つまり、この映画を見て上記のような「社会風刺が~」と言うのは、まさに「ジョーカー(※キャラと本作のタイトルのダブルミーニング)」を祭り上げる行為であり、はっきりと本人の口から「政治的な意図は無い」と言われているにも関わらず勝手に自分の意見を正当化するためだけに「ジョーカー」を利用する偽善者どもなわけです(笑)。

念の為ですが私が言ってるんじゃないですよ。劇中のジョーカーが言ってるんです。

つまり、ジョーカー(=というかこの映画を作ったトッド・フィリップス監督)にとっては、「社会風刺として素晴らしい」とかいって世界三大映画祭のベネチア金獅子賞をもらった事自体が壮大な「欺瞞・偽善を白日のものに晒してやった」成果なわけです(笑)。ベネチアさん、釣られましたな(笑)。

そんなわけあるか!と思う人は、以下のインタビューを御覧ください。

続編はホアキンが作るべきと言ったら真剣に考える――『ジョーカー』トッド・フィリップス監督インタビュー
https://jp.ign.com/joker/38759/interview/

政治的な映画だと見る人がいるかもしれないが、それは自分が意図したところではない。人道主義者的な映画だと見る人もいるだろう。それは自分が意図したところだが、メッセージが何かはすべて観客の方に委ねている。

劇中でジョーカーがお披露目となる象徴的なテレビシーンで司会者マレーに言い放つ「自分に政治的な意図はない」というセリフを、監督も自覚的に繰り返しています。確実にわざとですね(笑)。トッドもワルよのぉ。

この映画はアーサーが外部からの怒濤の抑圧から解放されて、そして周りから求められるところで終わるという大変パーソナルな内容です。だから不謹慎ではありますが、間違いなく人道的です。一人の男の救済の話ですからね。

もちろんこのジョークが成立した一番の成功要因がホアキン・フェニックスの演技力であることは疑いようがありません。ジョーカーが生理的に魅力的であればあるほど、偽善者どもは彼をダーク・キリストとして祭り上げるのですから。

【まとめ】

というわけで、本作は大変悪趣味かつ壮大なメタジョーク作品なのです。そして現在リアルタイムでこのジョークは完成度を上げていっております。なにせ世間がこの映画を政治的に祭り上げれば祭り上げるほど、よりジョーカーの悪辣なジョークが鋭さを増す構造になっていますからね。こうなったら是非アカデミー賞まで行ってほしいですね。壇上のスピーチで「おまえら馬鹿ばっかか!」とやれば伝説になれるでしょう。出禁になっちゃうかもしれませんが(笑)。

ですからこの映画は是非劇場で御覧ください。これはリアルタイムで評論が飛び交う今でないと最大限に楽しむことはできません。映画を見てそして是非周りのいろんな人の意見を読んで・聞いてみてください。自分の中の偽善者が出て来たのか来なかったのか?評論を書いているあの人は理性的なのか欺瞞的なのか?この映画はそんなイヤ~なところが炙り出される、まさにジョーカーのサイコトラップなのです。

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記事の評価
スター・ウォーズ/最後のジェダイ

スター・ウォーズ/最後のジェダイ

もうね、これは書かざるをえないでしょう

「スター・ウォーズ/最後のジェダイ」です。

評価:(15/100点) – これはスターウォーズの文化大革命だ!!!


【あらすじ】

前作「スターウォーズ/フォースの覚醒」によりついに居場所の割れたルークの元に、レイが降り立つ。反乱軍の希望としてルークを連れ戻しに来たレイだったが、ルークの意思は固い。レイに同行したチューイとの再会にも心が動かないルーク。しかしR2D2との再会により遂にルークは自分が「オビ=ワン」になることを決意する。フォースに目覚め困惑するレイにルークは指導っぽいことをしていく。

一方その頃、反乱軍はファーストオーダーの大追撃を受けていた。逃げ切れないと悟ったフィンは、女性整備士のローズとともに敵戦艦に乗り込み追跡装置の電源を落とす作戦に出発する、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> ドレッドノートとの戦闘/レイとルーク
※第1ターニングポイント -> ルークがR2D2と再会する/潜入作戦開始
第2幕 -> レイの修行とフィンのカジノ惑星潜入
※第2ターニングポイント -> スノークとの闘いと敵戦艦への潜入
第3幕 -> 決戦!クレイトの闘い


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【感想】

さて、本日は話題沸騰の「スターウォーズ/最後のジェダイ」です。言わずと知れたスター・ウォーズの正伝最新作であり、エピソード8です。昨日から公開ですが、すでに大手WEB媒体の現代ビジネスだの産経ニュースだのでは大絶賛状態です。だが、ちょっとまって欲しい。ちょいっっと待って欲しい。本当でしょうか?あなたの心の中のフォースはなんて言ってますか?本当に褒めてますか?そう、私はこの映画に怒り心頭です。はっきり言います。

ふざけんなよライアン・ジョンソン!!!!!!!!

なんじゃこのクソ映画はボケ!!!!!!!!!

てめぇは偉大なるシリーズへのリスペクトが足らんのじゃカスが!!!!!

失礼いたしました。つい正気を失っちゃいまして(笑)。握りしめたビール瓶は汗で滑って落ちたので勘弁してください。

ということで、今回もご多分にもれずネタバレを多く含みます。もしまだ本作を見ていない方、本作を見て大満足した方は以下お気をつけください。

はじめに

結論から言ってしまえば、本作はシリーズを終わらせるための、、、そして今後無限に続けるための作品です。そういった意味ではディズニー資本となってより安売り/商品化されるための必要悪と言えます。

この映画の問題点は山ほどあります。というか問題しかありません。ストーリーは駄目だし、キャラも駄目だし、設定はクソ。こういった山ほどある問題は大きく3つに分けることが出来ます。1つ目はストーリーテリングがグダグダすぎる問題。2つ目は「リアリティ・ライン」「SFレベル」が旧作から大幅に乖離している問題。もう1つは世代交代における旧作全否定/キャラへのリスペクトが無い問題です。具体的な細部に入る前にまずは作品を俯瞰的に見ていきましょう。そう、キーワードは「文化大革命」です。

これは「神話」を「物語」に堕とすための作品だ!

スター・ウォーズシリーズはストーリー・ドラマの手法を取っているクロニクル形式の映画です。つまりスター・ウォーズ世界の年表を基に、「今回の映画はここからここ」みたいな歴史の一部分を切り取って映像化するスタイルです。そのため全てのシリーズでオープニングテロップにより「これまでのあらすじ」が語られ、そして映画本編のアバンタイトルが始まるわけです。今回のEP8はEP7の直後から始まっていますが、旧作は作品を跨ぐとけっこう時系列が飛んでいました。

ストーリー・ドラマである以上はキャラクターの新陳代謝は必要不可欠です。前作では旧作キャラであるハン・ソロが大活躍し、かつ敵も新しくダークサイドに堕ちたスカイウォーカーであったわけで、必ずしも世代交代できたとは言えませんでした。今回のテーマはこの「世代交代」であり私に言わせればこれは「文化大革命」です。

以前のローグ・ワンでも触れましたが、スター・ウォーズシリーズは「スカイウォーカー家」を中心とした善=ジェダイと悪=シスの闘いの話です。よくスター・ウォーズは「スター・ウォーズ神話(サーガ)」と表現されますが、まさしく「善と悪との闘いで超能力一家が大活躍する」というギリシャ神話/エジプト神話/北欧神話的なストーリーなわけです。この辺は「キング・オブ・エジプト」を見た人ならよくわかると思います(笑)。このサーガにおいてスカイウォーカー家は神様であり大貴族様です。だからこそ昨年の「ローグ・ワン」がスター・ウォーズ史上初めて「普通の人間にフォーカスした」作品として大変面白かったわけです。

ところが、、、ディズニー的なポリティカル・コレクトネス=過剰な平等主義=共産主義が、この神話世界を完膚なきまでに俗世化し破壊いたしました。そう、平等主義の名のもとに保守的な神話/宗教を破壊する本作はまさしく「文化大革命」です

本作ではこの「文化大革命」について2度もジェダイとダークサイドの両方から語られます。

1度目はルークと霊体ヨーダのシーンです。ヨーダが出てきたテンションで誤魔化されがちですが(笑)、彼の言ってることは「保守的なジェダイの教えは役に立たない」ということなんですね。つまり保守主義を全否定する進歩主義です(笑)。
2度目の言及はカイロ=レンがスノークを殺した後にレイを勧誘する際のセリフです。「ジェダイ、シス、ファーストオーダー、反乱軍、そんなもんはどうでもいいんじゃ!俺等で新しい秩序をつくるぞ!一緒にやろう!」的なアレです。

そしてこの文化大革命にはプロダクション上で大きな狙いがあります。旧シリーズの「スカイウォーカー家の神話」を断ち切るため。そしてそれによって「今後の作品を作る上でのあらゆる制限を取り払うため」です。これまでだとどうしてもカイロ=レン的な旧作ゆかりのキャラクターやほぼスカイウォーカー家の人物の周辺で話を転がすしかありませんでした。しかし今回の文化大革命により、広く一般人に門戸が開放されたわけです。

この文化大革命の意図は本作の随所に見られます。「レイの両親が何者でもない=庶民である」というのもそうですし、血筋だけ見れば最強のはずのカイロ=レン(ベン=ソロ・スカイウォーカー)がヘタレであるのもそうですし、そして最後のシーンで名もなき奴隷っぽい少年がフォースを使ってホウキを引き寄せて掃除するシーンもそうです。ジェダイ=フォース使いが特権階級・既得権益ではなく市民に開放されたわけです(笑)。

これによってスター・ウォーズシリーズは今後無限に作ることが可能になりました。スター・ウォーズ神話(サーガ)がスター・ウォーズ物語(ストーリーズ)に俗世化したのです。

全世界のスター・ウォーズオタクが涙を流した大傑作ドキュメンタリー「ザ・ピープルVSジョージ・ルーカス(2010)」を見ればわかるように、このSWサーガの創造主ジョージ・ルーカス自身も大変商売っ気のある人です。彼の同門であり大親友のスピルバーグがよくグチっているように、ルーカスは偉い立場になったり映画人としての責任で真面目映画を撮るみたいなことを全然しません(笑)。当のスピルバーグは一生懸命「ユダヤ人としての使命」とか「映画人としての責務」とかいって政治映画や歴史物をいっぱい撮ってるんですけどね。ルーカスはぜーんぜんそういうのに興味ありません。そんなルーカスですが、どんなに叩かれまくったプリクエル(※SWエピソード1~エピソード3の総称)でも、キャラクターの価値だけは頑なに守ろうとしてきました。商売道具ですからね。結果的にヨーダだけに全ての物語のしわ寄せがいって無能になってしまっていますが、続けてトリロジー(※SWエピソード4~エピソード6の総称)を見るとよりEP6最後の感動が増すようにちゃんと設計出来ています。

しかし今回の文化大革命によって旧作の全てのストーリーは破壊されました。結局旧来のジェダイ・オーダーはフォースのバランスを保つことが出来ず、新世代(レイとカイロ=レン)の独自判断に委ねられることになります。これが「創造のための破壊」だったのか、それともただの自爆だったのかは、次回作エピソード9の公開まで判断を待ちましょう。

さてここまでが本作の位置づけです。ここからは細かい問題点の話に行きます。長くてすみません。

問題1:話がクソすぎる

本作を単体で見たときの問題は話のグダグダっぷりです。これに尽きます。この映画では大きく3つのグループが並行で行動します。

第1グループはレイとルーク、R2D2、チューイです。こちらは「ルークが引きこもっている島へ行って連れ帰ってくる」というミッションを与えられたレイ一行の物語です。なんやかんやでルークにフォースを教えてもらうレイですが、しかし特に師弟関係になるでもなく仲違いしてすぐにレイが飛び出してしまいます。このシークエンスにおいて、レイはロクに修行をしておらず、いわゆる自主練だけでメキメキ強くなっていきます。ルーク師匠出番なし(笑)。結果的にレイが天才だったって話にしかなっていません。「子は親が居なくても強くなる」ってやつですね。

第2グループはフィンとローズのコンビです。2人は反乱軍を追撃してくるファーストオーダー艦隊を撒くため、潜入して追撃装置の電源を切ろうと企てます。追撃装置を切るためには直接敵艦に潜入するしかなく、そのためには世界最高の鍵破りが必要ということでマズ・カナタの紹介を受けスカウトに出かけます。こちらに関しては作戦工程もグダグダなら結果もグダグダで、エピソード自体が丸々どうでもいいという大惨劇になっています。おまけにポリティカル・コレクトネスの弊害でマッチョ黒人と不細工アジア人のラブロマンスという別に映画でまで見たくない絵面になっており、もう本当にどうしていいか分かりません。そういうのはブリジット・ジョーンズの日記とかのスイーツ映画だけにしてくれませんかね。人種差別だとかそういう変なこと抜きで、不細工が正統派ヒロインみたいな仕草をしているのを映画でみたくないっす。これも俗世化の反動ですね。神々しいまでに美人のアミダラと較べて、今作のローズは人間味に溢れています。しかし冒頭に出てくるローズの姉がめっちゃ美人なため、もう制作側の悪意しか感じません。このエピソードに関わった俳優は全員ババ引いてます。

第3グループはレイア将軍率いる反乱軍本隊です。こちらはひょんなことからホルド中将がレイアに代わって指揮を執ることになるんですが、この超絶秘密主義のババァ(※リンチ映画でお馴染みの怪優ローラ・ダーンですw)に掻き回されて無駄な小競り合いに発展します。もうね、、、全てがアホ過ぎます。ホルドが5分説明すれば済むだけのことで映画を30分以上使いますからね。反乱軍の連中は全員ナポレオン・ヒルでも読めよってレベルです(笑)。コミュニケーションって大事ですね、、、。

ということで、話に関しては褒めるところは一ミリもございません。全てがクソすぎます。監督兼脚本でこれは酷い。

問題2:SFレベルの旧作からの大幅な乖離

たぶん私も含めた旧作ファンで本作にブチ切れている人はここに引っかかっているんだと思います。本作は旧シリーズに対してリアリティ・ラインがズレ過ぎています。

ちょいと補足をしましょう。SFは「サイエンス・フィクション」=「科学的なハッタリ」という文字通りにウソをついてなんぼのジャンルです。スーパーマンが空を飛んだりバットマンが戦闘服を着ただけで大暴れできるのもこの「ウソ」の賜物です。そして各作品には「ウソの付き方」の度合いというのがあります。この「どの程度まで本当でどの程度ウソ=魔法的な要素を入れるか」を「SFレベル」とか「リアリティ・ライン」と言います。よく言われますが、スター・ウォーズでは「真空の宇宙空間なのにレーザーガンの音が聞こえる」というのがウソです。大前提としてもちろんフォースもウソです(笑)。

このSFレベルというのは「その作品がどの程度SFでどの程度ファンタジーか」を図る重要な尺度でありここがブレてはいけません。例えば、漫画のドラゴンボールでは、キャラクターが死んでもすぐに生き返ります。だからキャラが一回死んだくらいで長々とセンチメンタルなことをされたらシラケてしまいます。ところが同じSFジャンルの映画スタートレックでは、一度死んだキャラは生き返りません。ですから、老スポックの死が観客みんなの心をうつんです。これが作品ごとのSFレベルの違いです。同じ「キャラが死んだ」という状況なのに、SFレベルが違う作品では受け止め方が全然違うわけです。そんな重要なSFレベルにおいて、本作は旧作から大きく逸脱しています。

具体的に言いましょう。

まず映画の冒頭で皆さん引っかかると思うのが、「宇宙空間において爆撃機が爆弾を投下する」シーンです。旧作でもこのシーン以外でも、巨大戦艦の近くで重力が発生するという描写はただの一度も記憶にありません。宇宙空間で爆撃機の艦底を開けると爆弾が落ちていく意味がわかりません。浮くんじゃないの? 実際に撃破された戦艦の破片は浮いてますしね。なんで爆弾だけが戦艦に落ちていくのか意味がわからなすぎてポカーンとなります。

他にもレイアの宇宙遊泳なんかもそうです。宇宙空間に放り出されて意識を失っているのになぜかフォースを使って生き残るという、、、フォースって無意識でこんな便利に使えましたっけ? 霊体ヨーダが雷を起こすところも同じようにSFラインを崩しています。霊体になったジェダイが現実世界に物理干渉しちゃ駄目でしょう、、、。それがありならヨーダ・クワイ・オビワン・アナキンで全部の戦争を瞬間的に終わらせられそうです。さらにはルークの幻影術ですね。こんなんできるんかい!っていう。全然役にはたっていませんでしたが(笑)。さらに忘れちゃいけないのがライトセーバーの遠隔操作ですね。あ、それやっちゃうんだ、、、という呆れと驚きがありました。それがありならガンダムのファンネルみたいに自分の周りにライトセーバーを飛ばしときゃ無敵ですよね(笑)。このように本作におけるジェダイ/フォースの扱いは無茶苦茶です。

さらに驚くのが最後の最後、ハイパードライブ(ワープ)を使った特攻攻撃です。え!?それできるの!?という。全部それだけでいいじゃんって話です。ハイパードライブを積んだ無人機を魚雷みたいにすれば全部倒せるわけですよ。スター・デストロイヤーだって瞬殺です。この世界の戦争のあり方の根底が覆ります(笑)。

SFレベルというのはその作品の説得力を生み出す根幹の部分です。それがここまでブレていると、もはや真面目に見ているのが馬鹿らしくなるレベルです。

問題3:世代交代のやり方が上手くない

3つめの問題点はキャラクターの世代交代のやり方です。これは懐古主義者のグチといわれても仕方ない部分なので最後に持ってきました(笑)

前述のとおり、本作の文化大革命において世代交代は大きなテーマです。旧作キャラ達から新3部作キャラへのバトンタッチです。ところが、本作では新キャラを魅力的に描くというプロセスが欠けており、ただ単に旧作キャラを貶して退場させているだけです。これではいくら旧作キャラを退場させても新キャラに人気は移りません。

だって、レイもポーもフィンもローズも、なにも大勢(たいせい)に影響を与えてないじゃないですか。小さな活躍をスポットでしているだけで、まったく魅力が伝わりません。その代わりといってはなんですが、宇宙遊泳をするレイアや、幻影術で翻弄するルークなど、旧作キャラの強烈な能力だけが描かれています。

とはいえルークに関しては本作では貶されまくりです。特にカイロ=レンに裏切られるエピソードからの引きこもりの流れが酷すぎます。この監督はルークに怨みでもあるんですかね?本作のルークは結局ダークサイドを恐れているだけであり、ジェダイとして完成されているとは到底思えません。旧作ファンの戯言としては「こんなのルークじゃない!」と強く思います。演じるマーク・ハミル自身も思ってるみたいですが(笑)。クワイ・ガン・ジンや若き日のオビ=ワンの方が遥かにしっかりしていますからね。前作の「フォースの覚醒」が思いっきり旧作パロディに徹していたのと真逆のアプローチで、旧作ファンとしては怒りボルテージがどんどん上がっていきます。

そのくせ、本作でグッとくるシーンってことごとく旧作ファンむけの目配せなんですね。ルークとR2D2が再会したときのレイア映像とか、C3POへのウィンクとか、最後のルーク仁王立ちとか、太陽が2つ見える(=ルークとアナキンの故郷であり旧作の原点タトゥイーンを彷彿とさせる)シーンとか、ぜーんぶ旧作の思い出に頼りきってます。散々頼りきっといてそれかよっていう監督の不誠実さが本当に腹が立ちます。

【まとめ】

なんか書いていたらどんどんグチになってきたのでこの辺で切り上げます(笑)。この映画、マジで誰が得してるんでしょうか。私は前作のエピソード7は「EP4の焼き直しじゃねぇか!」と思いながらもまぁまぁ許せる範囲でした。ある意味でJJエイブラムスお得意の「同人映画」ですからね。ところが、本作は旧作へのリスペクトが無く、破壊して今後の商売につなげるためだけの作品です。冒頭に書いたように、ディズニーがスター・ウォーズを未来永劫続けるために必要な行為なのは間違いありません。ただ、これはやっぱり旧作ファンにはキツイものがあります。

ちょいと余談です、私、実はこの映画を見ていて一番感じたのは「これはスター・ウォーズにおける∀ガンダムだ」ってことなんです。ロボットアニメ史上に燦然と輝くガンダムシリーズは、創造主の富野由悠季自身による「∀ガンダム(1999)」によって完全に破壊され眠りにつきました。当時「ガンダム」というブランドが巨大になりすぎて、富野監督本人のコントロールできる規模ではなくなってしまっていたんですね。彼自身そのギャップでちょっと精神的にマイッてしまった時期もあるぐらいです、しかし一方のバンダイとしてはガンダムはドル箱であって、無限に作り続けたいというニーズがありました。そこで頭の切れる富野監督は、バンダイを騙し討ちする形でガンダムシリーズの完結編を勝手に作っちゃったんですね(笑)。「いままでのシリーズから何万年も後の遠い未来」という設定で、完全にピースフルで、どんな無茶苦茶な物語でもすべてを包み込んでしまう「優しい最終回」を書いてゲリラ的に放送しちゃうんです。富野監督本人は「ターンエーの癒やし」という単語でこの作品を表現していました。要は今後どんなにガンダムシリーズが粗製乱造されたとしても、物語上はすべて「∀ガンダム」に繋がるようになっていて、そしてそこで大団円のハッピーエンドになるわけです(笑)。このおかげで、どんなに「ガンダム」という名のもとで駄作が量産され続けたとしても、「どうせ最後はターンエーガンダムにたどり着いて、あの湖畔に行くんでしょ」と監督やファンは枕を高くして眠れるようになりました。

そうなんです。本作は、スター・ウォーズが好きな全世界のファンに別れを告げる作品なんです。「もうお前らの好きなスター・ウォーズは終わったから」というディズニーの決別宣言です。ファンとしては、もし本作をジョージ・ルーカスが撮ってくれていたら文句言いながらも泣いてお別れができたと思うんですね。ですけども、実際のルーカスはとうの昔にスター・ウォーズからイグジットしてしまっており、シリーズはもはや彼の興味から離れているわけです。私達はルーカスの幻影を追いかけていただけなんです。そして、本作では最大限の侮辱をもってその幻影を新オーナーであるディズニー自らが振り払ったんです。だからもう私達も後ろを振り返るのは止めましょう。2017年12月15日はスター・ウォーズの命日です。R.I.P。

私も、次作以降は心を無にして見ることができそうです。
日本全国のスター・ウォーズファンにこの言葉をお送りします。

「諸君らの愛してくれたルーク・スカイウォーカーは死んだ!何故だ!」
「ディズニーだからさ」

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記事の評価
ジャスティス・リーグ

ジャスティス・リーグ

さて、久しぶりの映画感想の更新です。今日見てきたのはこちら

「ジャスティス・リーグ」です。

評価:(35/100点) – どうしてこうなった、、、


【あらすじ】

前作「バットマンvsスーパーマン」からしばらくのち、世界は謎のエイリアンに襲撃されていた。謎のエイリアン「ステッペン・ウルフ」の目的は地球にある3つのマザー・ボックスを1つに融合し地獄の世界をよみがえらせること。世界の危機を察したブルースは、超人類達のスカウトを開始する。

【三幕構成】

第1幕 -> バットマンのスカウト活動
 ※第1ターニングポイント -> ステッペン・ウルフ降臨
第2幕 -> ステッペン・ウルフのマザー・ボックス集め
 ※第2ターニングポイント -> スーパーマンを蘇らせる
第3幕 -> 対決!ジャスティス・リーグvsステッペン・ウルフ


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【感想】

皆さんおはこんばんにちは。久しく映画の記事を書いていなかったのですが、当ブログの復活は元はと言えば「バットマンvsスーパーマン」を擁護するためでした。そう、ならばこそ、この映画は外せないでしょう。ということで「ジャスティス・リーグ」の登場です。

本作は「マン・オブ・ザ・スティール」「バットマンvsスーパーマン ジャスティスの誕生」「スーサイド・スクワッド」「ワンダーウーマン」に次ぐDCフィルムズユニバースの5作目です。監督はおなじみザック・スナイダーで脚本も引き続きクリス・テリオが書いていたものの、最終的には両者とも降板して仕上げをなんと「アベンジャーズ」のジョス・ウェドンがやっています。相変わらずワーナー映画はプロダクションがグダグダです(笑)。

そんなこんなで相変わらず迷走を続けるDC映画陣営で、では本作はどうなったかといいますと、、、、これですね、まさに「どうしてこうなった」状態です。絵面は間違いなく格好いいのに、話が酷すぎます。このブログを読んでいただいている方にはなんとなく伝わってるんじゃないかと思っているんですが、「バットマンvsスーパーマン ジャスティスの誕生」と「スーサイド・スクワッド」は映画としては決して褒められる出来ではないものの、見るものを熱くさせるというか、こうエモーションを直接的に刺激してくるような魅力があったんですね。だからこそ文句もグチグチいいたくなるし、擁護もしたくもなるわけです。ところがですね、正直申し上げて、本作にはそういう魅力はまったくありません。早い話がただつまんない。今日は私のグチを全開でお届けします。

話の概要

本作は「バットマンvsスーパーマン」の直接的な続編です。スーパーマン亡き世界で、バットマンは今日も今日とてゴッサムの治安を守っています。そんななか、ゴッサムに前作の夢に出てきたパラデーモンが出現するようになります。いよいよ悪魔が地球に迫っていることを実感したバットマンは、目星をつけていた超人達をまとめようとスカウトに乗り出します。一方、ワンダーウーマンの故郷・アマゾンでは、代々守られてきたマザーボックスに異変が起きます。そしてマザーボックスは悪魔ステッペン・ウルフを召喚してしまいます。召喚されたステッペン・ウルフは、地球上に散らばる3つのマザーボックスを集めて地獄を蘇らせようとします。

そう本作はファンタジーよりな世界観で描かれるヒーローvs悪魔のバトルものです。強大な悪魔を倒すため、アマゾネス、アトランティス、人類、クリプトン人の各種族が力を合わせて闘います。これだけ聴くと超楽しそうです(笑)。ところが、、、

本作のマズい所:いま何を何故やってるかがわからない

本作が一番マズいのは、「話の目的」がわからないため、画面の登場人物が「いま」「何を」「なぜ」やっているかがまったくわからない所です。つまりガールズトークっぽい(笑)。これはかなり重傷です。

例えば序盤から出てくるロシアの田舎の家族がいます。なんか原発っぽい煙突がある村に親子で住んでいて、村がパラデーモンに占領されちゃったようです。映画全編を通じてちょいちょいこの家族の描写が挟まるのですが、この家族が本筋に絡むのはラスト15分前くらいです(笑)。しかも実際絡んでみると、それまでの描写がまったく意味がないのがわかります。はっきりいって作品上はただのノイズです。

その他にも、序盤に描かれるバットマンのスカウト活動があくまでも「迫りくる危機に予め対処しようとする」という体裁なので、まったく切羽詰まっていません。そうすると、なんでいまスカウトをやってるのか、そして画面上でなぜその描写が行われているのか、見てて戸惑うんですね。

スカウトが終わった後にしても、唐突に「スーパーマンって復活させられるんじゃね?」みたいな話が始まり、そして唐突に最優先事項として行われ、さらには「復活したスーパーマンは以前とは違うかも」みたいな謎の横滑り展開が始まります。そしてその結果、映画のストーリー上もっとも大切な最後のマザーボックスを置き引きされます(笑)。あのねぇ、、、映画の最重要アイテムをラスボスに置き引きでパクられるってさ、、、バカじゃないの?大げさに書いているように思われるかも知れませんが映画を見た方なら誰しもが納得いただけると思います。最後のマザーボックスは完全に置き引きです。そして最重要アイテムを置き引きされてまで始まった「スーパーマンがおかしい」みたいな展開も、特に収束しないまま適当に終わります(笑)。

これらの事は単に「一本の映画に要素を詰め込みすぎ」というだけではなくて、そもそものストーリーラインをちゃんと書けてないということなんですね。一本のストーリーラインを書いた後にエピソードを肉付けしていったならばこうはなりません。すっっっっごい行き当たりばったりです。これですね、おそらく元々前後編の2部作でやるはずだったのを1本にまとめたことと、監督・脚本が相次いで降板したことが無関係では無いと思います。少なくとも一人の「責任者」がちゃんと目を通したらこうはなりません。

万事が万事適当なので見てて本当に混乱しますし、今何を目的に何をしてるのかがよくわからなくなってきます。そんなわけで結果的には大した盛り上がりもせず、本当は結構強いはずのラスボス・ステッペン・ウルフがただの雑魚にしかみえなくなり、しかもフラッシュもアクアマンも「スーパーマンが居ればいらないんじゃね?」というアレな着地になってしまうんです。そう、せっかくのスーパーヒーロー集合映画なのに、ぜーんぜん役にもキャラも立たないんですね。本当どうしてこうなったんでしょう

【まとめ】

というわけで、DCFUの前2作と比べて明らかにテンションが低いのがお分かりいただけるかと思います(笑)。テンション、、、、、、上がらないっすよね。凄い期待してたんですけれども、なんだかな~~~となってしまいました。気を取り直しますと、DCFUの次回作は脚本・主演ベン・アフレックの「ザ・バットマン」になるはずです。これはさすがに面白いでしょう。天才ベン・アフレックがまさか得意の俺様映画で外すとも思えません。ということで「ジャスティス・リーグ」は見なかったことにしまして、ザ・バットマンに期待しましょう!!!

ちなみに「ザ・バットマン」は元々ベン・アフレックが監督・脚本だったのに、監督は猿の惑星リメイク版のマット・リーヴスに交代になり、脚本もベン・アフレック版からだいぶ改変されたと言われております。なんでワーナーはこんな話ばっかなんでしょう、、、、。

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ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー リミックス

ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー リミックス

土曜は2本見てきました。1本目はマーベル最新作

「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー リミックス」です。

評価:(82/100点) – ヤンキー=マイ・メン+マザコン


【あらすじ】

ガーディアンズの面々はソブリン人の依頼でアニュラクス・バッテリーの防衛を任される。軽々仕事をこなして、報酬として囚われの身のネピュラを確保したガーディアンズだったが、なんとロケットが肝心のバッテリーを盗んでいた!「防衛を引き受けた貴重品を自分で盗むバカがどこにいるか!」大激怒するソブリン人達から命からがら逃げるガーディアンズを救ったのは、謎のカプセル型宇宙船でサーフィンを決め込むナイスダンディだった。いかしたオジさんは、ピーターにこう声を掛ける。「探したぞ、我が息子よ」。こうしてガーディアンズは二手に別れる。ロケット、グルート、捕虜ネピュラの三人は壊れた宇宙船ミラノを修理するためとどまり、ピーター、ガモーラ、ドラックスの三人は、ピーターの父の故郷と言われる惑星エゴへ向かう、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> バッテリー防衛とソブリン人の追撃
※第1ターニングポイント -> ガーディアンズがベアハートに不時着する
第2幕 -> ふた手に別れた行動
※第2ターニングポイント -> ピーターが真実を知る
第3幕 -> 惑星エゴ決戦


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【感想】

さて、土曜はマーベル・シネマティック・ユニバースの15作目、「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー リミックス」を見てきました。前作「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー(2014)」は「ダメ人間たちがダメなまんまで宇宙を救うスペース・オペラ」として超大傑作すぎる内容で親指が上がりっぱなしでしたが、本作ではダメ人間から「ダチ公マイ・メン!」な感じのマイルドヤンキー志向にシフトしまして、よりエモい方向に方針転換しています。ちょうど最近「ワイルド・スピード ICE BREAK (Fast & Furious 8)」を見たばっかりなので、完全にテーマが被ってました^^;

本作では実の「家族」と、マフィア/ヤンキー的な意味での「ファミリー」の間で多くのエモい事件が発生します。

アベンジャーズ・シリーズのラスボス・”青ゴリラ”サノスの娘であるガモーラとネビュラ姉妹の確執。実験動物として家族を持たない(=持てない)ロケットと、相方でありながら前作で犠牲となり転生した赤ん坊のグルート。妻と娘を殺されて孤独なドラックス。栄光のラヴェジャーズから追放されワルとして生きるヨンドゥと、彼に誘拐され育てられたピーター。こういった孤独を感じるハグレもの達が、「ガーディアンズ」というチームによって仮想家族となり、お互い絆を深めていきます。

そう、これ、スペースペラを使っているだけで、やってることはドヤンキー人情ものなんですね。全世界規模でマイルドヤンキー化が進んでいるという、、、良いのか悪いのか^^;

ただ、「ワイルド・スピード ICE BREAK」が「ヘッドの隠し子を救うためにファミリーが頑張る」という非道徳/ヤンキー色が強すぎる(笑)内容であるのに対し、こちらはよりマイルドで道徳的な方向に着地しております。そういった意味では、こちらの方がより万人受けします。

相変わらずジェームズ・ガン監督が上手いのは、こういったエモエモ全開の話の合間に事あるごとオヤジギャグをぶち込んでバランスをとってくる所です。最後の最後、カーテンコールの超エモい花火&ラストカットの涙まで、なるべく観客が泣き出さないようにひたすらハズしてきます。そして、観客の「泣きたいのに泣けないよ~~~」を完全に殺しに来るラストで、ものっすごいアザとい演出を使い、ものっすごいピンポイントに泣かせにきます。ダメ人間が名誉回復する話なんだから、そりゃウルっときても仕方ないですわ。仕方ないけど、あまりのアザとさに個人的にはちょっと引きました(笑)。正直な話、泣ける映画度は前作より格段に上がっていますが、映画としてのクオリティというか対象レベルはちょっと下がってると思います。

この後の展開として、マーベル・シネマティック・ユニバースとしては「スパイダーマン・ホームカミング(2017夏)」「ソー:ラグナロク(※バトルロイヤルとかいうクソ邦題はボイコットします。)」「ブラック・パンサー(2018春)」と続いて「アヴェンジャーズ:インフィニティ・ウォー(2018GW)」に行きます。ガーディアンズが前作「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー(2014)」でノバ帝国に預けたオーブをサノスが奪いに来るのは確実なので、「アヴェンジャーズ:インフィニティ・ウォー」でガーディアンズが乱入してくるのはほぼ間違いありません。

本作の舞台が2014年。「ドクター・ストレンジ」の冒頭が「キャプテン・アメリカ:シビル・ウォー」と同時期(※事故に遭う車の中でローディのカルテが映る)で2016年。アヴェンジャーズ:インフィニティ・ウォーの舞台が2018年になると考えると、「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー リミックス」からは4年後になります。グルートはどこまで成長しているのか?ガーディアンズのチーム力は上がっているのか?スタローン率いるラヴェジャーズの参戦は? キャラが飽和状態で散らかり始めたMCUですが、まだまだ大団円まで突っ走りそうです。

ただ、結局これって原作アメコミと同じく「一見さんお断り」状態になりつつあるんですね。DCコミックでは全部リセットして「New52!シリーズ」と銘打って最初からやり直しましたが、MCUもどこかで一区切り付けないといけないかもしれません。

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無限の住人

無限の住人

昨日はキムタク主演で「コケた」「コケた」と言われまくっている

「無限の住人」を見てきました。

評価:(80/100点) – コスプレ・チャンバラ劇の快作


【あらすじ】

時は江戸。逸刀流を名乗る超党派集団によって街の剣術道場が次々と破られていた。ある夜、いつものように稽古を終え晩御飯を食べていた無天一流統主・浅野道場の一人娘リンの元にも、逸刀流の道場荒らしが押しかける。目の前で父を殺され母を連れ去られたリンは、両親の復讐を誓う。
それからしばらくして、父の墓の前で稽古をしていたリンの元に、不思議なオババが現れる。「やおびくに」を名乗るオババは、リンに「絶対に死なない用心棒」を雇うよう勧める。その男は、人里離れた山小屋に住んでいるという、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> 逸刀流の道場荒らしとリンの決意
※第1ターニングポイント -> リンが万次と出会う
第2幕 -> 逸刀流剣士達との戦い
※第2ターニングポイント -> 天津影久が伊羽研水の元を訪ねる
第3幕 -> 公儀軍vs天津vs万次


【感想】

ご無沙汰しております。きゅうべいです。最近例によってあんまりブログを書いていなかったのですが、今日はこの「無限の住人」について書きたいと思います。去年の「バットマンvsスーパーマン」もそうなんですが、やっぱりこうブログを書くモチベーションが一番上がるのって「こんないい映画がコケるのか!?俺が擁護したる!!!」っていう謎の親心なんですね(笑)。そう、本作はキムタク主演で「コケたコケた」「キムタク終了」「SMAPを裏切った報いじゃ!ざまぁみろ!」みたいなトーンで語られることが非常に多いように見受けられます。でもね、君ら本当に映画みたのかと。少なくとも「娯楽アクション映画」というくくりの中では、本作はすごくオーソドックスで基本に忠実に作られた「出来の良い映画」です。そんな所も含めまして、以下全力擁護で書かせていただきます。

それではいつもの注意書きを。以下、多大なるネタバレが含まれます。どんでん返しとかを期待するようなミステリー作品ではないですが、未見の方、これから見ようと思っている方はご注意ください。いやね、本心から映画館で見たほうがいいですよ。2時間半近くある長い映画ですがあっという間に終わります。マジでオススメできる作品ですので、是非是非、未見の方は打ち切り前に劇場に滑り込んで下さい。

まずは前提とお詫びから

もしかしたらキムタクファンの方が間違って当ブログに迷い込んでしまうかも知れないので(笑)、一応私の立ち位置をハッキリさせておきます。

「無限の住人」という作品については、漫画とアニメは完全に未見で前情報も劇場予告のみです。つまりほぼまっさら。「なんかキムタクがチャンバラして三池崇史が監督なんでしょ?」ぐらいの情報量です。そして、三池崇史監督にはだいぶ好意的な立ち位置であり、「愛と誠(2012)」でさえ「三池監督の悪ふざけならこんなもんじゃね?」ぐらいのバイアスをもってます(笑)。

一方のキャストに踏み込みますと、キムタクは例のSMAP公開処刑でハッキリ嫌いになりましたし、役者としての評価は織田裕二と同じ「大根・俺様・スターアイドル」の引き出しに入ってます。福士蒼汰にも杉咲花にも、まったく思い入れがありません。というか、敵役が福士蒼汰なのに全然気付かず(笑)、なんかこの人ガリガリ・ホネホネでキモいな、、、伊勢谷のそっくりさんの韓国人俳優かな、、、と中盤まで本気で思っていました。そのぐらいの大変雑な感じです。

そんなわけでありますから、もし「キムタク格好よかった~!」「福士キュン最高!!!!」みたいなテンションの方はそっとブラウザを閉じてあげて下さい。以下「キムタクをうまく使えてたよ!」という話はしますが「演技が上手かった」的な話はありません。申し訳ございませんがご容赦下さい。

コスプレ時代劇としての説得力の出し方

さて、ここからが本題です。この作品は厳密には時代劇というよりチャンバラ劇です。ハナから「斬られても斬られても死なない男の話」っていう時点でホラー・ファンタジー要素全開ですし、開始早々の金子賢軍団vsキムタクや、道場破り=逸刀流揃い踏みの絵面が安全にコスプレ劇です。さらに話し言葉も軽い現代調ですし、武器にいたってはヘンテコな形状のものばかりです。ですから、これは相当頑張らないと説得力=リアリティが出せません。ただのデキの悪いコントになってしまいます。たぶん未見で本作を叩いていた方たちは、そういう「コスプレ時代劇」を想像していたんだと思いますし、実際に私も見る前は「どうせコスプレものでしょ」と思ってました。

ところがどっこい、、、、本作はそういったセリフや見た目といったキャラの軽さ=薄っぺらさに説得力を出させるために、とてつもなく気を使っています。わかりやすい所でいうと、いわゆる人体損壊の「グロ描写」です。「三池崇史=悪趣味節」として語られることも多いですが、コスプレ時代劇できっちり血や千切れた手足を見せるのは、それだけで十分にリアリティに貢献します。ちなみに、よく見てると同じ手首を切られるシチュエーションでも血が出る場面と出ない場面を使い分けていたりして、極力グロくならないように気を使っているのがわかります。「見た目はチャラいけど、中身は真面目なんだよ」ってことですね。さらにさらに、アクション動作一つとってもよく出来ています。本作の万次は、いくつかの武器を持ち替えながら大集団を叩きのめしていきます。その際、従来の殺陣のように「叩き切る」のではなくて「撲殺」していくんですね。日本刀は2~3人切っただけでも刃先がナマって切れなくなりますから、この「撲殺」描写はとてもリアリティがあります。殺陣の様式美ではなくて、アクションチャンバラとしての説得力に振り切ってます。実際には今からキムタクに殺陣を一から教え込むのは無理だからってのもあるんでしょうが、この選択はとても良いです。加えて、チャンバラの終盤になって疲れてくると、武器を肩に担ぐ時に「よっこらせ」って感じで背筋と振り子の反動を使ってゆっくり担ぐんですね。こういった細かい仕草・演出によって、絶妙なバランスのリアリティラインが保たれています。実際にはチャンバラの途中で急に袖から大きな武器を出したりしていて「四次元ポケットかよ!」みたいなツッコミは有るんですが、勢いがあるためそこまで気になりません。
この辺のバランス感覚は、久々に本気の三池崇史を見た気がしました。

いかに不死のヒーローを「無敵」と見えなくするか

ストーリー面で言いますと、この作品の万次は「死なないヒーロー」であり、それってつまり「セガール映画」的に大暴れできるってことなんですね。無敵のヒーローにピンチもヘッタクレもないですから、本来であればキムタクが格好良く暴れまわるだけの完全アイドル映画になっても不思議ではありません。ところが、この作品では「死なないヒーロー」=「命のやり取りの緊張感がない」=「剣の腕が鈍っている」という論理展開でもって、万次が弱いんです。これってプロレス的には非常に需要な要素です。ヒーローサイドの秘密兵器である「肉を切らせて骨を断つ」「ピンチからの大逆転」を毎試合出来ることになります(笑)。これは発明だと思います。実際、本作のチャンバラは毎回「必死剣・鳥刺し」を出しているようなもんです。反則じゃねぇか(笑)。

さらに序盤で同じ不死能力をもった海老蔵を殺すことで、「弱いだけじゃなくて万次が死ぬ可能性もちょっとはあるぞ」という実例を示し、かつ理由はよく分かりませんが「戦いを重ねることで回復に時間がかかるようになる」という演出も入ります。これによって、中盤以降にリンが万次を気遣い始める描写がすんなりと入ってくるようになります。

ご都合主義の積み重ねと言ってしまえばそれまでですが、アクションの勢いと相まってものすごくテンションを上げてくれます。

終盤のぐちゃぐちゃっぷりだけが惜しい

とまぁ以上のように、本作はとても良くできています。ただ、それが終盤の市原隼人が出てきた辺りから収拾がつかなくなっていきます(笑)。具体的には「リン・万次の復讐劇」と「幕府による逸刀流壊滅作戦」が同時並行で進みはじめ、さらに共通の敵として共闘すること無くリン・万次組と幕府軍まで対立し始めちゃうんですね。そしてこの混乱が戸田恵梨香扮するマキエの登場でピークを迎えます。そう、この映画の悪いところを一身に背負わされたのは、実はキムタクではなく戸田恵梨香です。可哀想に、、、、。

マキエは、仇役である天津影久の人間性を補足する役として登場します。でもね、(漫画はわかりませんが)この映画において天津影久にそんな補強はいらないんですよ。天津影久は爺さんの逆恨みを晴らすために復讐鬼となった狂気の剣士であり、「復讐ばっかり考えてるとロクな大人にならないよ」というリンへの反面教師なんですね。だから、こいつはとことん利己的で、他人になんて全然興味も感慨も無くて、ひたすら野心と復讐心だけで突き進む「冷たい人」が似合ってます。その点で、福士蒼汰のちょっと浮世離れした無表情な感じがとても良くマッチしてましたし、闘争心をむき出しにして戦う粗野な万次と上手く対比できてるんです。余談ですが、その意味でキムタクにとっても万次役は最高でした。万次は基本的にはただ唸って剣を振り回しているバーサーカー的な役柄でOKですからね。

この天津にマキエというサポーターが現れ、さらに罠にはめられることで中途ハンパに人間味がでてしまい、悪役っぷりがヌルくなっちゃったのは否めません。どっちらけになる万次vsマキエ戦での自分語りと相まって、戸田恵梨香は完全にババを引きました(笑)。三節棍みたいな武器は良かったんですけどね。そこにきて最終バトルで急に天津と万次が共同で公儀軍を倒すみたいな謎バトルが勃発しちゃうもんですから、「結局、天津とはなんだったのか」みたいなよくわからない事態になってしまい、エピローグの一騎撃ちを盛り下げる要因になってしまいました。シラの乱入も明らかに蛇足ですしね。エンドロールに「脚本分析」でクレジットされてる方がいたのでスクリプトドクターを入れてるっぽいんですが、「リンの復讐劇」っていう一本筋だけは死守したほうが良かったように思います。

ちなみにこの終盤の大乱闘を見ていて一番頭に浮かんだのは園子温監督の「地獄でなぜ悪い(2013)」でした。「こまけぇことはいいんだよ!祭りじゃ!!!」みたいな勢いだけで乗り切ろうとするのがそっくりです(笑)

【まとめ】

久々にブログを書いたら纏まりきらなくなってきました(笑)。もしまだ「無限の住人」を未見で、しかもその理由が「キムタクがウザいから」という人は、是非レンタルが始まったあたりで騙されたと思って見てみてください。この映画、キムタクという”アク”を完璧にコントロールしています。ツイッターにも書きましたが、こういう中身がちゃんとしている映画がワイドショー的な要素で消えていくのはなんとも寂しいものが有ります。直近で言えば「暗黒女子(2017)」なんかもそうです。不倫して新興宗教に出家しちゃった人が出ていることと、映画の出来とは関係ないですからね。

ということで、本作、大プッシュで映画ファンにおすすめしたいと思います。

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ドクター・ストレンジ

ドクター・ストレンジ

週末はマーベル最新作

「ドクター・ストレンジ」を見ました。

評価:(70/100点) – ん!?雑か!?


【あらすじ】

ドクター・ストレンジは天才的な神経外科医である。その類まれな手腕でもって多くの命を救ってきたものの、いかんせん性格に難があり超自己中だ。彼はある夜に脇見運転で崖から転落し、両手の神経を激しく損傷してしまう。医者として致命的な怪我をおった彼は自暴自棄になっていく。そんな時、ストレンジは奇跡的に下半身不随から復活したという患者の話を聞く。藁にもすがる思いでその男・パングボーンに会った彼は、「カーマ・タージへ行け」という言葉を頼りにネパール・カトマンズへ向かう、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> ストレンジの日常と事故
※第1ターニングポイント -> ストレンジがカーマ・タージへ着く
第2幕 -> ストレンジの修行とカエシリウスの反乱
※第2ターニングポイント -> エンシェント・ワンの死
第3幕 -> 香港サンクタム攻防戦


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【感想】

さてさて、土曜はマーベル・シネマティック・ユニバースの最新作「ドクター・ストレンジ」を見てきました。昨年のシビル・ウォーは結構な客入りだったのですが、本作はそんなでも無く、やっぱちょっとキャラの知名度が低いのかな~と思ったりしました^^;

主演はおなじみベネディクト・カンバーバッチ。「スター・トレック イントゥ・ダークネス(2013)」では歴代屈指のヴィラン・カーンを演じていましたが、比較的真面目な映画に出ているイメージが強く(笑)、正直ドクター・ストレンジはどうなんだろうとちょっと不安でした。ところがですね、蓋を開けてみたら超似合ってる。というか、序盤は普通にいつものカンバーバッチなんですが、魔法を身に着けてヒゲを揃えてからはもうイラストのドクター・ストレンジにしか見えません。蝶野正洋かカンバーバッチかってくらいバッチリです。本当にマーベルは俳優を連れてくるのが上手いです。

そして今回の監督・脚本はこれまたファミリー映画と正反対のスコット・デリクソンを連れてきました。リメイク版「地球が静止する日 (2008)」、「ヘルレイザー ゲート・オブ・インフェルノ(2000)」「デビルズ・ノット(2013)」「NY心霊捜査官 (2014)」などなど、決してできが良いとはいえないアホ映画ばっかり撮っている監督です^^;ホラー・サスペンス演出の人なんですが、なにせ元ネタ丸わかりのオマージュばっかり詰め込んでくる人で、「楽しそうだけど頭悪っ(笑)」っていう監督なんですね。「あぁゾディアックね」「いまさらブレアウィッチ・ネタか」とか(笑)。

本作でもガッツリとオマージュネタをぶっこんできています。ベースは脚本をDCEUのデヴィッド・ゴイヤーがやった「ダークシティ(1998)」です。本作一番のビジュアル面では、当然「インセプション(2010)」と一連のマトリックスシリーズ、特に「マトリックス レボリューションズ(2003)」です。ビジュアルでマルチバース(多元宇宙)を飛んで行くところとか、ミラー・ディメンジョンで建物や街を歪めるところとかはモロです。あとは、回転廊下で「2001年宇宙の旅(1968)」も入ってますね。階段に落ちてからマントで戻ってくるのとかは「バック・トゥ・ザ・フューチャー2(1989)」ですし。こういった感じで、とにかく監督が好きなものを根こそぎぶっこんできて、あとは勢いでカバーしています。

そう。本作は近年のマーベル・シネマティック・ユニバースでは珍しいなってくらい話のプロットが雑です(笑)。

ドクター・ストレンジが魔法を使えるようになる修行過程がよくわかりませんし、カーマ・タージに魔法使いが多すぎて全然秘密結社になってないうえに、他の魔法使い達がその後全然戦力として出てきません。そもそもカーマ・タージでストレンジが相応の期間修行してるはずなのに、その間はカエシリウスがなんにもしないで潜伏しててくれるんですよね。カエシリウスからしたら待ってる理由はないですからさっさと攻めてこないといけないんですが、ストレンジの修行中は律儀に大人しくしてて、修行が一段落したらいきなりロンドンとニューヨークに立て続けに攻めてくるという^^; ストレンジが途中で離脱して手術を受けるシーンでも、カエシリウスはニューヨーク・サンクタムを潰さずに待ってますしね。結構空気が読める良い人なんです(笑)。

そういった意味だと、本作ラスボスのドルマムゥもかなり素直で良い人です。ストレンジの嫌がらせを受ける損な役回りで、そのわりにあんまり悪いこともしてないっていう可哀想なキャラです。

そんなわけで、本作はもう話の筋とかどうでも良くて、とにかくカンバーバッチ演じるドクター・ストレンジが「嫌味で高飛車だけど格好いい!」というだけを見る完全に割り切ったキャラものになっています。個人的にはMCUの中では「マイティ・ソー(2011)」以上「アントマン(2015)」以下ぐらいの出来かな~と思います。低いんだか高いんだか良く分かりません(笑)。

決してつまらないわけではないんですが、かといって面白いわけでもなく、やっぱりMCUお得意のキャラ紹介シリーズにしかなってないかなと思います。今後、「マイティ・ソー3(マイティ・ソー:ラグナロク)」と「アベンジャーズ インフィニティ・ウォー」に登場しますので、その顔見せですね。本作のエンドロール中にはまさにこの「ソー:ラグナロク」のイントロが流れます。

ですから、一応チェックはしておいたほうがいいんですが、まぁあんまりハードルを上げずにポップコーンとビール片手にふらっと見に行くぐらいの姿勢で丁度いいかと思います。

余談ですが、カーマタージの本拠地が原作のチベットからカトマンズに変更になってるあたりに、諸々の政治的な配慮を感じます(笑)。マーケットとして無視できないですからね^^;

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ザ・コンサルタント

ザ・コンサルタント

土曜日は

「ザ・コンサルタント」を見ました。

評価:(35/100点) – あんま爽快感が無い、、、


【あらすじ】

クリスチャン・ウルフは高機能自閉症の会計士である。中華料理屋と洗濯屋の並びの長屋に居を構えた小さな個人会計事務所で、今日も地元のお年寄りの税理業務を手伝っている。

ある日、クリスはリビング・ロボティクス社の横領疑惑の会計監査を頼まれる。得意の驚異的数学力で過去15年分の書類を一晩で洗った結果、クリスは横領と支払い還流に気付く。しかし、それが表沙汰になる直前になって横領犯と目されるCFOのエドが自殺をしてしまう。社長のラマー・ブラックバーンから一方的に事件の幕引きを言い渡されたクリスは、自分の気質と相まって猛烈なフラストレーションを溜めていく。そんなおり、突如クリスは命を狙われる、、、。


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【感想】

さて、土曜日はベン・アフレック主演の最新作「ザ・コンサルタント」を見てきました。今年はこの「ザ・コンサルタント」と「夜に生きる(5月公開)」が立て続けに公開され、さらにはバットマン単独映画も撮影しつつジャスティス・リーグの脚本にも手を入れていると、大車輪のベン・アフレックです。今作はついないだ公開された「ジェーン」の監督・ギャビン・オコナーと組んでおり、俳優のみでの参戦です。

実は私、体調不良の中で無理やり見ていたものですから、あんまりこの映画にテンションが高くありません^^; ちょいと辛口になるのをご容赦下さい。

どうしてこうなった、、、

本作は物凄い変な映画です。

予告を見たときにはてっきり「ユーロコープ映画」のノリだと思ったんですね。舐めてたヤツが実はスーパー殺し屋だった!大変だ!!悪役全員ぶっ倒せ!的な。確かに大筋はそうなんですが、この映画は大きく3つの話が並行で動いており、そのどれもがかなり雑に回収されていきます。

1つはFinCEN(※Financial Crimes Enforcement Network:アメリカ財務省のマネーロンダリング専門対策チーム)が行うマフィアのマネロンを請け負っていると思われる会計士の捜査です。こちらは長官のレイ・キングと脛に傷持つ新人のメリーベス・メディナが主役です。メリーベスはマフィア皆殺し事件の現場テープと偽名の数々を手がかりとして、捜査を行っていきます。

もう1つは会計士クリスの過去トラウマ話です。高機能自閉症と診断されたクリスは、一人でも生き残る術を学ぶため、実の弟ブラクストンと共に元大佐のゴリゴリ体育会系親父からインドネシアの格闘技・シラットを叩き込まれます。そしていじめられっ子たちを物ともしない立派なオトナへ成長していきます。

最後に、本作の中心となるリビング・ロボティクス社の不正会計事件の監査と、そこで出会う経理職員のデイナとの交流、さらに巻き込まれる陰謀の話です。

この3つがロクに整理もされない状態で、すっちゃかめっちゃかグッチャグッチャに混ざって展開されます。もうね、、、せめて整理してくれないかなっていうくらいテンポもヘッタクレも無い叩き込み方をしてくるので、なんかどんどん興味がなくなってくるんですよね。

結論を行ってしまえば、3つめのリビング・ロボティクス社の話以外は全部カットでいいです。蛇足も蛇足。要らない。直接本題と関係ないですから^^;

本作には最後に2つほど”あるオチ”が待っておりまして、そのための布石が1つ目と2つ目のストーリーなんですね。ですが、このオチ自体が「続編に色気だしてるのかな?」っていうくらいふつーーーの内容なため、バレバレな上にもったいぶり方も回収の仕方も本当に酷い(笑)。ということで、結構面白いメインストーリーを全て台無しにしてくれます。

こういうのって見せ方の問題だと思うんですね。話のボリュームと映画の上映時間ってある程度比例していてしかるべきです。当たり前ですけど、アクション映画には長めな2時間10分も引っ張るなら当然2時間10分相当のオチを持ってきてもらわないと困るんです。それが、フタを開けたら連続30分ドラマの第1話みたいなのが待ってるわけです。

これだと全然納得出来ないです。

爽快感もないし、無駄に長いし、そのうえ話は雑だし、ほんとにどうしてこうなったんでしょう。さすがにこの規模の作品じゃベン・アフレックが直接台本を直したりはしないですよね^^;

良い所:ベン・アフそのもの。悪い所:そこに頼りすぎ。

今回の白眉といいましょうか一番良かった所は、やっぱりベン・アフそのもののアイドル要素になります。ムキムキの筋肉ダルマなのに怯えた子犬みたいな高機能自閉症の天才を演じていて、しかもそれがスイッチが入ると手がつけられない殺人マシーンで、それも何故か東洋の神秘・シラットの達人という、この盛り込み方(笑)。詰め込みすぎだろってくらい詰め込みまくったこのクリスというキャラと、ちょっと間の抜けた愛されキャラのベン・アフ本人のシンクロ性が、本作の唯一の拠り所です。というかですね、この映画を作った人たちはベン・アフレックに頼りすぎ。さすがのベン・アフも130分をアイドル要素だけでもたせたるのは荷が重いです。ちょっとこれは可哀想。

「ベン・アフレックが天才会計士だなんてステキ!」とかいってみても、そもそも外見のムキムキっぷりが既に普通の計算オタクじゃないですから(笑)、「ギャップ萌え」ってよりは総ツッコミ待ち状態なんです。「なんだこの会計士!ただものじゃないぞ!」って、そりゃおまえ、見りゃ分かるだろと。身長191センチ体重100kgで体脂肪率1ケタの会計士が”ただもの”なわけがない(笑)。完全に余談ですが、毎年1月4日に秋葉原のヨドバシカメラ周辺にいくと、東京ドーム大会が終わった直後の新日本プロレスのレスラーの打ち上げによく遭遇します。見た瞬間に体格にビビりますよ^^; 同じ人間と思えないくらいデカイですから。

ですからですね、このベン・アフが普通に「内向的なオタク」みたいな扱いを受けている世界観自体がちょっとコントっぽいというか、もうそれだけであんま真面目に見るのもな~~~っていう感じなんです。「ゴーン・ガール(2014)」なんかでは分かりやすく「キレたら怖そう」っていう部分をちゃんと出してたじゃないですか。それが本作ではまったく無いんですね。あくまでも「普段おとなしいのに実はヤバイ人だったのだ!!!」っていうベースラインでくるため「イヤイヤそれは無いんじゃね。」っと軽く白けてしまいます。

【まとめ】

本作については、たぶん頑張って褒めるにしても「ベンアフ格好いい!」みたいな部分しか無理なんじゃないかと思います。じゃあアイドル映画として良い出来なのかと言われると、それはそれで見せ場が少なすぎるなというのがあり、結局とても中途ハンパです。どうせやるならジェイソン・ステイサムの映画みたいに開き直って完全アイドル映画にしちゃえばイイのにと思わずにはいられません。

話の設定や大筋は面白くなりそうな要素がテンコ盛りなだけに、ちょっと勿体無いなという作品でした。

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NERVE/ナーヴ 世界で一番危険なゲーム

NERVE/ナーヴ 世界で一番危険なゲーム

今日は

「NERVE(ナーヴ)」を見てきました。

評価:(60/100点) – 山田悠介meetsハリウッド


【あらすじ】

大学進学を控えた女子高生のヴィーは、ステイトン島で鬱屈した生活を送っていた。母子家庭で働き詰めの母を想い、なかなか思い通りにいかない生活。せっかく受かったカリフォルニア美術大学も「実家から通える」距離では無いため母に進学希望を言い出せない。

そんな中、ハイスクール・クイーンでチアリーダーのシドニーとひょんなことから揉めてしまう。彼女はシドニーへの当てつけで最近流行っているというオンラインゲーム「ナーヴ」に登録する。それは、視聴者たちの無茶振りミッションをクリアしていくと報酬がもらえるという、群衆視聴型ゲームだった、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> シドニーの挑発
※第1ターニングポイント -> ヴィーがナーヴを始める
第2幕 -> ヴィーのミッション・チャレンジ
※第2ターニングポイント -> ヴィーが警察にコンタクトする
第3幕 -> ナーヴの決勝戦


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【感想】

さて、今日はおしゃれな日比谷シャンテにたまに紛れこむドB級映画を見てきました(笑)。公開直後なんですが全然お客さんが入っておらず、ちょっと心配です。

主演はエマ・ロバーツ。すごいどっかで見たことあるなーと思ってたら、スクリーム4のジルでした!あんなチンチクリンだったのに、ずいぶんスレンダーになっちゃって、、、と思い、凄い自分の年齢を感じます(笑)。ジュリア・ロバーツの姪というか「エクスペンダブルズ」で敵役だったエリック・ロバーツの娘です。

そして相方はジェームズ・フランコの実弟のデイヴ・フランコです。笑った時のちょっと顎を引いて眉毛を「の」の字にする仕草がまんま兄貴で、そっくりさんかと思って見てました(笑)。

さらにさらに、監督はヘンリー・ジューストとアリエル・シュルマンのコンビで、これそのまんま「パラノーマル・アクティビティ3」「パラノーマル・アクティビティ4」の布陣です。つまり、POV/カメラ視点をやる気満々(笑)。映画の随所にカメラ越しやモニタ越しの視点がこれでもかと出てきます。

そう、本作ですね、見ている間中ずっーーっとなんか「ひっかかり」というかパチモノ臭さを感じるんですね(笑)。その1番の要因が雑なプロットとこの「そっくりさんっぽい」雰囲気だと思います。

山田悠介っぽさが全開

この映画は2012年発売の同名のティーン小説を原作としています。ですから山田悠介とはなんの関係もありません。なんですが、「冴えない女の子が携帯ゲームでクイーンになっていき、イケイケになって調子こきまくりの末、マジでやばい状況になって危ない目にあう」というプロットをどこかで見たことがありませんか?

そうです!かの有名な超大作ホラーSF「アバター(2011)」です!橋本愛が主演のスーパーメガヒット作で、日本中で(※主に渋谷界隈ですが)大アバター旋風を巻き起こしました!!!



なんか2つの映画が混ざってる気がしますが、私も歳なので気にしないでください^^;

そう、これですね、どう見ても山田リスペクトなんですよ。アバターでは橋本愛がどんどん厚化粧になっていってイケイケを表現していましたが、本作ではエマ・ロバーツがセクシーなドレスを着てイケイケになっていきます(笑)。B級映画好きの考えることって世界中どこでもだいたい一緒ですよね(笑)。ちゃんと己を取り戻すとダサいパーカーに戻ったりして、とても好感が持てます。ほんと良い意味で頭が悪い(笑)。

アバターの当時は「携帯電話(いわゆるガラケー)こそが日本の若者が内向きになった諸悪の根源だ!」みたいなノリで「携帯彼氏」とか「アバター」とかのテクノスリラー(※テクノロジーに乗っけた犯罪スリラー)が量産されてたんですが、その波がやっとハリウッドに到達しました。「ホステル」シリーズとか、「ロシアンルーレット(2010)」とか、あとは広い意味で「キャビン(2012)」とか、群衆視聴型スリラーって結構定番ネタです。でもそこに携帯ゲームを入れてきたところに「山田悠介魂」を感じました。

余談ですが、劇中のナーヴのコラージュ映像に「キャビン」と「ハンガーゲーム」の映像が入ってました。そういや「ハンガーゲーム」も視聴型ですね^^。良いリスペクトっぷりです。

本作に1番近い最近の外国映画というと、イライジャ・ウッドが主演をしていた「ブラック・ハッカー(2014)」ですね。インターネットによってプライバシーもクソも無い状態になり、そこに群衆心理が乗っかってとんでもないところまでエスカレートしちゃうという話です。

実際、メインの登場人物は片手に収まるほどで、特に特定の悪役は出てきません。あくまでも群集心理をスリラーにした話です。だからそもそもからしてウソ臭かったり、あんまりルールというか基準がよくわからなかったり、そもそもトップで視聴者8,000人って少なくないかとか、秘密ゲームのくせに決勝戦はかなり目立ってるなとか、そういう雑なところ全部ひっくるめて微笑ましく見られます(笑)。

【まとめ】

フル・プライスを払って見るのはちょっとアレですが、レイトショーや「TOHOシネマの日」を使って安く見られるなら一見の価値があります!個人的には挿入歌が最高のラインナップなのでサントラ買います(笑)。ということで、オススメでーす!!!ついでに是非「アバター」もね(笑)

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記事の評価