レヴェナント:蘇えりし者

レヴェナント:蘇えりし者

本日はアカデミー賞3部門制覇の

「レヴェナント:蘇えりし者」を見てきました。

評価:(78/100点) – 世界一暗いアイドルムービー


【あらすじ】

西部開拓時代、ミズーリ川の上流で毛皮狩りをしていた一行は、インディアン・アリカラ族に襲撃され、命からがらベースキャンプへと撤退するはめになってしまう。しかしその撤退の途中、一行の道案内をしていたグラスが熊に襲われてしまう。なんとか熊を殺したものの、彼は瀕死の重傷を追ってしまう。グラスが足手まといと判断した隊長のヘンリーは、グラスの息子のホーク、一行で最年少のブリッジャー、そして罠師のフィッツジェラルドの三人を見届人としてグラスの最期を看取るよう託し、一行を引き連れて先にベースキャンプへ向かってしまう。一行に早く追いつきたいフィッツジェラルドは、グラスに止めをさそうとする、、、

【三幕構成】

第1幕 -> アリカラ族の襲撃とベースキャンプへの敗走
 ※第1ターニングポイント -> グラスが熊に襲われる
第2幕 -> グラスが必死にベースキャンプへと戻る
 ※第2ターニングポイント -> グラスがベースキャンプへと帰還する
第3幕 -> グラスの復讐


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【感想】

それでは久々の完全新作映画、本日は公開ホヤホヤの「レヴェナント:蘇りし者」です。
レオナルド・ディカプリオのアカデミー賞主演男優賞初受賞がなにかと話題になりがちですが、撮影賞と監督賞もきっちりとっています。年明け早々ぐらいから劇場予告が流れていましたから、それだけは何十回と見ていました。なんとなく、「息子を殺されたディカプリオがトム・ハーディの一味をぶっ殺していくセガール的な復讐アクション劇なのかな?」と思っていたら、開けてびっくり完全な「大自然サバイバルもの」でした(笑。

ここでいつものお約束です。次パートからはガッツリとネタバレを含みます。本作は予告で流れていることが、ほぼ全てです。映画予告では禁じ手である「2幕目以降を見せる」というのも平気でやっており、あまつさえ密かにしれっと3幕目のシーンまで予告に入ってます(笑)。なのでネタバレもあってないようなものなのですが、念のためご注意下さい。

本作のとてもよいところ

本作には「もうこれだけで十分お腹いっぱい」という良い所が3つほどあります。

まずは、序盤というか映画の冒頭です。まるで一人称視点(POV)のようにグネングネン動くカメラの長回しワンショットで、アリカラ族の襲撃が描かれます。ここはもう臨場感満点で本当に怖いです。本気でよこから矢が飛んでこないかな~とかなりドキドキします。ここは100点満点。

そしてその次が今作最大の目玉であるクマちゃん襲撃シーンです。このクマがですね、本当に可愛くて、かつ本当に怖い(笑)。臭いを嗅ぐ仕草とか、ちょっとディカプリオをいじって転がす仕草とか、めちゃくちゃ本物っぽい(っていうかネコっぽい)リアルさがあります。これも満点。

最後にこれは全編を通してですが、やはりこの「スペクタクル感」ですね。これは「スペクタクル映画」の代名詞であるリドリー・スコットとはまた別の意味で、ものすごい威圧感のある「大自然」をきっちりと撮れています。見渡すかぎりの雪山と終わりの見えないミズーリ川。そしていつどこから襲われるかもよくわからないような木々。このスケールは本当にすばらしいです。おそらくこの映画を見て、これがアカデミー賞撮影賞を取ったことに疑問を持つ人は一人もいないのではないでしょうか?この画作りだけで、この映画のスペクタクル感は満点です。もうね、この景色を見るだけにでも映画館の大画面を使う価値があります。小学校の卒業旅行で釧路湿原を見たときの神々しさを、何故か突然思い出しました(笑)。

それで肝心のストーリーなんですがね、、、、

画作りが完璧となれば、当然次はストーリーテリングに行くわけです。でですね、これがですね、なんというかですね、、、、、、、、ひどい(笑)。

本作のテーマ「信仰心の回復」について。

プロット自体は大変シンプルで、瀕死のグラスことディカプリオが呻きながらひたすらベースキャンプを目指すという話が2時間ぐらい続くわけです。はっきりとはわかりませんが、劇中時間で1ヶ月弱ってところでしょうか? グラスは驚異的な回復力を発揮しながら、ひたすらベースキャンプを目指します。いろいろご都合主義的な展開が重なりまして、ついにベースキャンプの捜索隊が彼を見つけて2幕目が終わるわけです。

いまシレっとご都合主義と書きましたが、もちろんイニャリトゥ監督のことですから単純なご都合主義なんて、いけしゃあしゃあとはできません。劇中でこのご都合主義がなぜなのか、きちんと説明してくれます。それでもって肝心の理由ってのがですね、、、「神の祝福を受けていたから」。



そこかっていう、、、、ね(笑)。

本作では、史実というか伝説に基づいたグラスの奇跡の帰還にプラスして、明確に「信仰心」という根拠が示されます。グラスは瀕死の中で幾度と無く、亡き妻の幻と邂逅します。そして彼女の幻は、息子の復讐を求めず、ただグラスが生きる残ることのみに集中させようとちょっとしたサバイバル・トリビアを披露してくれます(笑)。しかしグラスは息子の敵討ちを生きがいとして、信仰心を抑えてあくまでも「人間の力」でサバイブしていくわけです。この悲しいスレ違いがず~っと続きます。しかし、ガーディアン・エンジェルとなった妻のおかげで、グラスは神様から祝福を受け続けます。そして最後の最後で、彼は復讐よりも信仰を選びます。それによって「超ご都合主義」ともとれる奇跡的な巡り合わせを引き寄せ、彼はアリカラ族の敵ではなくなります。そして、ラストシーンで彼は祝福を受け、幻の妻の姿を見るわけです。

このグラスの対比というほどではないのですが、劇中ではあと2名、「信仰」によって運命が変わる者がいます。一人はブリッジャー。ブリッジャーは逮捕される直前に神に許しの祈りを捧げ、そしてその祈りがとどきます。結果としてグラスの証言により無罪(減刑かも?)となります。

もう一人はフィッツジェラルドです。彼は自分勝手な糞野郎ですが、一方で彼の行動は非常に現実的かつ合理的です。信仰が非合理・非利益重視な行動であるとするなら、彼はまさにその対局の現実主義者かつ合理主義者なんです。彼は最終盤、グラスに対して復讐の無意味さを説きます。「復讐したからって息子は生き返らない。」「なんの意味があるのか? 」「命のリスクを犯すだけ無駄である」と。これは明らかに人情ではなく合理主義からくるセリフです。そしてこれによって、図らずもグラスは復讐の無意味さに気づいて信仰を取り戻すわけです。そして信仰を持たないフィッツジェラルドは、アリカラ族と偶然居合わせるという「天罰」に遭遇するわけです。彼は物語の中盤でリスの寓話をもちだして信仰の無意味さと馬鹿らしさを語りますが、結果として「信仰不足」によって地獄に落ちるのです(笑)。

大自然、神への信仰、とくれば「おまえテレンス・マリックか!?」とツッコミが入るわけで(笑)、これは例のごとく宗教の勧誘ではないかという、、、、ね。

ちなみにですが、本作の中でグラスは、ネイティブ・アメリカンと結婚した欧米人という扱いのため、一口に「宗教」といっても自然信仰とキリスト教が混ざってしまいます。この作品では、「欧米人にやられたバッファローの頭蓋骨の山」「荒廃した基督教会」が何度も登場しますので、おそらく土着の自然信仰の話かと思います。自然信仰ならば、当然雪山とか川にいる妖精さん(=この場合スピリッツでしょうか。タバコの銘柄じゃないですよ^^;)への信仰ですから、極寒サバイバルにはご利益がありそうです。

純粋なサバイバルものとしては結構頑張ってるよ!

とまぁここまで全体的なことを書いてきたわけですが、さて細部に目を向けてみると、、、これ結構よく出来ています。たとえば喉の傷を焼いて塞ぐのに火薬を喉にちょっとつけて自爆したり、たとえば背中が壊死して膿んできたのを枯れ草をつかって乾かしたり、ほかにも人工サウナで一気に全身消毒したりとかですね、「サバイバルあるある」としてのネタはふんだんに取り入れられています。極めつけは、馬の例のアレですね。マーユ(馬の油)って火傷や切り傷なんかの皮膚外傷にめちゃめちゃ効果的な「天然の軟膏」なんですね。しかも一番よく取れるのは馬の腹部です(笑)。ですから、「一晩中馬のぬくもりを全身に感じると一気に回復する」っていうあのシーンはよく出来てます(笑)。
細かいディティールは本当に凄いんです。ここまでイヤ~なリアリティを描いたサバイバルものってあんまり記憶にありません。個人的には、見ている間中「THE GREY 凍える太陽(2012)」を思い出してました。

ただですね、やっぱ長いんですわ、この映画(笑)。なんせ3時間近くあるわけで、しかもそのうち2時間くらいがディカプリオが逃げてるか呻いてるんです。たしかに「観客に、グラスのいつ終わるともしれないサバイバルの苦痛と閉塞感を擬似体験させるため」という理由はあるんですが、やっぱ圧倒的な大自然映像を2時間以上見せ続けられるってのはきついです。絵的には代わり映えしないですからね。そうすると、体感時間はどんどん伸びてっちゃうわけです。

難しいところなんですが、この映画ってたぶん「エンタメ映画」を目指してないと思うんですよね。映画って企画時点で結構明確に「賞レース用」「お金儲け用」って分けるんですが、これは明らかに前者のアート寄りな映画です。なので「ちょっと退屈」ぐらいの温度感を意図的に狙ってるような気がします(笑)。

【まとめ】

いいシーンもいっぱいあったんですが、でもやっぱり「長くて代わり映えしないな~」というのが強く出てしまいました。2回目を見たいかって言われるとあんま、、、。正直なところ、これが「監督賞」を取ったというのはあんまりしっくりきません。あえていうなら「よくディカプリオをここまで追い込んだ。ナイス演出!」ってところぐらいなので、実質的に監督賞のトロフィーもディカプリオにあげていい気がします(笑)。

これですね、大変下世話にいってしまえば「ディカプリオがこんなに頑張ってる!」というアイドル映画ど真ん中の「アイドル応援ムービー」なんですよね(笑)。でもアイドル映画としてはちょっと記憶にないくらい「暗い」し「傷だらけ」です(笑)。そういう意味では、大金をかけて強烈にスペクタクル度をあげた「私の優しくない先輩」だと思って見に行っていただけるといいと思います。
”イケメンアイドル・レオ様”からの脱却をテーマにして頑張ってきたディカプリオが、初めてアカデミー主演男優賞を獲ったのがアイドル映画だった」っていうのはなんかトンチが効いてていいですね(笑)。要チェック作品なのは間違いありません。ぜひぜひ劇場で御覧ください。

【おまけ】小ネタについて

■ ネタ1:砦のバーでの隊長とフィッツジェラルドの会話

物語の終盤で、ヘンリー隊長がフィッツジェラルドに「300ドルは必要経費(=おまえが余分な物資を買ったこと)になってる」と告げるシーンが有ります。直後フィッツジェラルドが外に出て立ち小便をしようとするもヨレヨレフラフラで、、、というシーン。ここがわかりづらいようなので私なりの解釈を。
そもそもこのご一行はクマとか鹿なんかの毛皮を半年~一年とかのスパンで採るための狩り集団です。会計上、300ドル(=当時としては田舎に農場が買えるくらい大金)を無理やり捻出しようとすると、「消耗品をいっぱい買った/使った」とするしかないわけです。隊長は上記のセリフでこの消耗品ってのを「フィッツジェラルドが罠の材料をいっぱい買った」としました。公式記録上は、ですね。
そうするとですね、実はこれは「フィッツジェラルドの罠師としてのキャリアがほぼ終了した」っていう死刑宣告なんですね。だってそんな大金を無駄な罠に使いまくるってことは、罠師としては無能極まりないですから。そんな人はだれも雇いません。しかも隊長はあくまでも隊長ですから、オーナー(=スポンサー/隊長の雇い主)が別にいるわけで、そちらから無駄に使った分の損害賠償/補填を求められる可能性もあるわけです。
これを受けてフィッツジェラルドは、完全に自分がこの一行にもういられないことを悟って、しこたまお酒を飲んで泥酔するわけです。立ちションもできないくらい。これが直接的に逃亡に繋がるんですね。つまり、フィッツジェラルドは完全に追い込まれており、逃亡は成り行き上仕方ないんです。

■ ネタ2:フィッツジェラルドのヘンリー隊長頭皮剥について

上記の会話にプラスしてグラスが生き残っていたことがわかった時点(水筒を見た時点)で、フィッツジェラルドは逃亡します。逃亡中にフィッツジェラルドがヘンリー隊長の死体の頭皮をハンニバル・レクター並に剥いでる点について「フィッツジェラルドが野蛮である」という指摘がありましたので補足をします。
このシチュエーション時には、フィッツジェラルドは追っ手が何人いるか分かっていません。当然自分の痕跡は消したいです。銃声までしちゃってるので、別の追手がいたら駆けつけるのは間違いないですから。なので、彼はアリカラ族の仕業に見せるために頭皮を剥ぐわけです。幸い、アリカラ族はフランス人から鉄砲を買ってますから、頭さえ剥いじゃえばそんなに不審な点もありません。

これが本映画のラストシーンにつながります。

■ ネタ3:フィッツジェラルドの死が切腹である点

これは大変細かいネタなのですが、フィッツジェラルドの死は「切腹」を連想させるようになってます。本作の映画音楽では、担当する坂本龍一のオリジナル・スコア以外に、同じく坂本自身が担当した「一命(※三池崇史&海老蔵のやつです)」のメインテーマがそのまま流用されています。他の映画からテーマソングをまるまる持ってくるっていうのは、つまりオマージュだったりテーマを借りてきているわけです。タランティーノと一緒(笑)。
本作でどこが一命=Hara-Kiri: Death of a Samurai かというと、これはフィッツジェラルドです。彼は自分で握ったナイフをグラスに掴まれて、腹を刺され、そこから横一文字に切られます。まんま切腹です。そしてその後、アリカラ族に頭皮を剥がれ(=頭をとられ)絶命・介錯されます。
映画上はこれはグラスによる死刑ではなくて、神の手に委ねた結果だと描かれています。絵的にはちょっと無理がありますが(笑)。
それでですね、じゃあ切腹とはなんぞやという話なんですが、外国人からみた場合これは「自分の行為の責任を潔く取ること」なんですね。つまり、フィッツジェラルドを切腹させたということは、「これは他者から悪として成敗されたのではなくて、自ら招いた責任を取らされたんだよ」という表現なわけです。ここでも繰り返し「フィッツジェラルドは悪ではなく、ただの合理主義者である」ということが強調される良いシーンとなっています。分かりにくいですが(笑)。

もっと言ってしまえば、「息子の敵討ちに行く」っていう時点で、まぁ「一命」ですよね(笑)

途中のデルス・ウザーラのパロディとかを見るにつけ、本作は結構な割合で日本映画/サムライムービーを意識してくれています。

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記事の評価
ヘイトフル・エイト

ヘイトフル・エイト

復活2回めはこちら

ヘイトフル・エイト」です。

評価:(82/100点) – 超強化型ショ○ンKの感動作


【あらすじ】

舞台は冬のワイオミング、賞金稼ぎのウォーレンは吹雪に追われるなか、馬が倒れて立ち往生してしまう。そんな時、1台の馬車が通りかかる。乗っていたのは同じ賞金稼ぎの「首吊り人」ジョン・ルース。彼は1万ドルの賞金首である女殺人鬼・デイジーを連行中であった。道中、新任保安官として街に向かうクリスも同行し、4人と御者の珍道中が始まる。
しかし、猛吹雪に追いつかれてしまった一行は、道中の”道の駅”ミニーの店で足止めを余儀なくされる。あいにくミニーは留守中であったが、そこには4人の先客がいた、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> ウォーレンとクリスが馬車に乗り込む
 ※第1ターニングポイント -> ミニーの家に到着する
第2幕 -> ミニーの家での一夜と事件発生
 ※第2ターニングポイント -> ウォーレンが撃たれる
第3幕 -> 解決編


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【感想】

こんにちは。きゅうべいです。もうすでに2番館上映になってしまっていますがご容赦ください。本日はタランティーノ・最新作にしてアメカジファン垂涎のヘイトフル・エイトです。なんでアメカジファン垂涎かと申しますと、実はこの映画、ほぼ全編の衣装があの「RRL(ダブルアールエル)」なんですね。ご存知「ラルフローレン」のカントリー・トラディショナル・ラインでして、元も子もない言い方をすれば、西部劇のコスプレ服みたいなのを高く売ってるブランドです(笑)。その「コスプレ服」が本当の西部劇に使われて、しかもそれがボロ布のようにバンバン血糊やら酒やらで汚れていくという、、、とっても贅沢なひとときを楽しめますw

いきなり「楽しめます」と書いちゃいましたが、本作は無類に面白い「雪山サスペンス」です。正確にはサスペンスってほど謎のある事件ではないんですが、いうなれば超よく出来た最上級の「古畑任三郎」って感じです(笑)。タランティーノ作品を見たことがある方はピンと来てもらえると思います。タランティーノ監督を紹介する際には、よく「過去の名作」や「B級キワモノ映画」のマッシュアップ部分が取り挙げられますが、それ以上に彼の特徴というのは「ダラダラと続く登場人物のひとりがたり & 無駄話」にあります。武勇伝であったり、脅しであったり、はたまたガールズトークであったり、いろいろパターンはあるんですが、劇中でかならず「ダラダラとした無駄話」がはいります。これって、すごく雪山サスペンスと相性がいいと思いませんか? だって、雪山サスペンスってことは基本的には舞台や登場人物が狭いわけで、必然的にみんなでしゃべりまくるしか無いわけです。
ということで、本作は「タランティーノ meets ソリッドシチュエーション」ってだけでもう勝利が約束されたようなものなんです(笑)。

ということで、お約束です。
本作は、第2ターニングポイントをきっかけに、ストーリーがガラッと代わります。ネタバレは極力しないように書きますが、しかしこの「展開」については少々書きたいと思います。もし未見の方は是非劇場にいっていただいてご覧になってからにしてください。最近は劇場公開が終わってからDVDになるまでも3ヶ月ぐらいと早いですから、もしお近くに公開館がない場合でも、是非「これはは見るべし」リストに加えていただいて、是非ご鑑賞ください。いやね、マジで面白いですよ。

話の概要

本作のタイトル「ヘイトフル・エイト」はもちろん「ちょ~イヤ~な8人」を指しています。そしてタイトルどおり、本作に登場する人物は、御者の「O.B.(オービー)」を除いて、ものすごいクセモノがそろっています。南軍・北軍の対立あり、超差別主義者のオラオラ系あり、そして明らかに口だけがうまい曲者有り。役者の豪華さもさることながら、「こんだけ揃ってて殴り合いにならないほうがおかしいわ」というレベルで強烈なメンバーがそろっています。そしてお得意の「無駄話」の数々。映画自体は約3時間と強烈に長いのですが、その長さが「早く外に出たいな~」というまさに登場人物たちが吹雪の小屋で思っていることそのまんまの共感につながり、そして三幕目の血みどろのカタルシスに繋がるわけです。

事件という事件は「コーヒーポットに毒が入れられた件」という一点のみなのですが、これを巡った心理戦の数々に、かなりぐっと引き込まれます。

この映画では、本当に「語り」だけしか出てきません。なので、登場人物みんなが喋っていることに裏付けがまったく無いんですね。もしかしたら全部本当かもしれないし、全部ホラかもしれない。ただ挑発するだけの作り話かもしれないし、照れてて真実を喋っていないだけなのかもしれない。そんな疑心暗鬼が最高潮に達するのが、まさにラストなわけで、これはもうハッタリなのかマジなのか誰にもわかりません。

でも、そんな中で、ラストシーンに出てくるある「ウソ」が、それでも人を感動させ、奮い立たせてくれるわけです。ウソを利用してのし上がってきた彼は、しかしその「のし上がった過程」は真実なわけで、、、とか書くと某ショー○K氏になってしまいますが(笑)、図らずもこの映画はそれを拠り所にした意地を見せてくれます。この映画風にいうならば、例えばショ○ンKが日本代表としてTPP議論に乗り込んでいってアメリカとか東南アジアを丸め込んできてしまったら、やっぱり英雄になれるわけですよ。たとえその基盤がウソまみれの無茶苦茶だったとしてもです。まぁシ○ーンKにはさすがに荷が重いですけどね(笑)。

それでもって、これって、よく考えるとタランティーノそのものなんですね。タランティーノって「自らが好きな過去の作品」を切り貼りして作品を作るわけで、それって作家/クリエーターとしていうなれば「ウソの作品」なわけですよ。超高次元でサノってるというかね(笑)。それでも彼の作品は観客の心を打ちます。実際にキル・ビルやイングロリアス・バスターズはもう完全にオリジナルの感動もまるごと再現してしまったわけです。そう考えると、ラストシーンのとある手紙のシーンというのは、これまさにタランティーノの独白といっていもいいかと思います。そしてタランティーノの映画で感動するのとまったく同じ構図で、やはりその手紙にも感動してしまいます。
これだけでも十分に凄いのですが、タランティーノの真骨頂はここからさらに「でもそれ偽物じゃん」という自己ツッコミまでして、まったく嫌味なく自虐ネタにしてみせる点にあります。自分の立ち位置を完璧に把握して、その上でハイクオリティな作品を量産してみせる。これをやられては他は太刀打ちできません。しかもアイデアというか元ネタは映画史そのものであってほぼ無限ですから(笑。

【まとめ】

おそらく話の筋だけであれば90分ぐらいに収まってしまいます。それはそれで面白そうではありますが、しかしこの170分という長~い時間を通じると、意外とクリスやウォーレンが愛おしく思えてくるのです。衣装やギターなどの小物までひっくるめて徹底される「古き良き西部劇サスペンスのレプリカ」は、必見の出来です。猛プッシュいたします。

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トゥルー・グリット

トゥルー・グリット

月曜の春分の日は1本、

トゥルー・グリット」を見ました。

評価:(90/100点) – 小規模ながら屈指の出来。


【あらすじ】

マティ・ロスはまだ14歳の少女である。彼女の父・フランクは酒場の喧嘩に巻き込まれ殺されてしまった。マティはアーカンソーのフォートスミスに父の遺体を引き取りに訪れる。しかし彼女にはもう一つの目的があった。悲嘆にくれる母や兄弟を見た彼女は、父の仇討ちを出来るのは自分だけだと決心していたのだ。彼女はフォートスミスで屈指の暴力保安官”ルースター”・コグバーンを50ドルで雇い、父の仇トム・チェイニーが逃げ込んだインディアン・チョクトー族居留地へと向かう、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> マティとコグバーン、ラボーフとの出会い。
 ※第1ターニングポイント -> マティが川を渡る。
第2幕 -> チョクトー族居留地での旅。
 ※第2ターニングポイント -> ラボーフが追跡を諦める。
第3幕 -> トム・チェイニーとの遭遇と仇討ち。


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【感想】

月曜日は話題の西部劇トゥルー・グリットを見て来ました。監督はお馴染みのコーエン兄弟。日本では先月に前作「シリアス・マン」が公開されたばかりで立て続けの新作となります。今年のアカデミー賞では「英国王のスピーチ」に次ぐ10部門でのノミネートでしたが、結局一つもタイトルを取れませんでした。しかしアメリカでの評判は素晴らしく、私が見た回も7~8割は埋まっていました。月曜は繁華街の人通りが少なかったので、これは結構な入りだと思います。
本作は同名の映画「トゥルー・グリット(1969: 邦題「勇気ある追跡」)」のリメイクです。基本プロットは同じですが、本作ではよりマティをメインにしてキャラクターが立つようになっており、またラストも単純なハッピーエンドでは無く情緒を前面にだすようにアレンジされています。
さて、本作の何が凄いかというと、これはもう主演のジェフ・ブリッジスの溢れんばかりの人間力と、ほぼ無名ながらジェフを食ってすらいるヘイリー・スタインフェルドです。もともとの「勇気ある追跡」自体も言ってみればジョン・ウェインのアイドル映画だったわけですし、だいたい50年代・60年代の西部劇は大きくはアクション映画の一ジャンルでありアクション・スターを見るためのアイドル映画だったわけです。このあたりの事情はまったく日本の時代劇と同じで、例えば市川雷蔵だったり勝新太郎だったりのように数ヶ月に一度は主演映画が公開されるようなスターがおり、そのための薄味で定型的なストーリーが量産されていきます。「勇気ある追跡」もそういった作品の中の一つですが、他の有象無象との違いは役者達の掛け合いの凄さでした。トム・チェイニー役に名脇役ジェフ・コーリー、トムのボス・ラッキー=ネッドにはロバート・デュバル、さらには重要な情報を漏らす下っ端ムーン役でデニス・ホッパー。錚々たる悪党を向こうに回して豪傑を絵に描いたようなジョン・ウェインが突撃します。これに加えて「古き良きウェスタン」という言葉がぴったり来るような分かりやすい話と分かりやすい構図、そしてエンターテイメントとしての恋愛未満の恋の予感も入れてきます。まさにオリジナル版は「これぞ入門」と太鼓判を押せるほどオーソドックスな西部劇です。
そしてそんな古典をリメイク(正確には同一原作の再映画化)するわけですから、ここには当然「西部劇復興」「エンターテイメントの王道としての古き良きアメリカ映画」というものが入ってくるしかありません。それを象徴するのが、劇中でオーケストレーションされて何度も流れる1887年の賛美歌「Leaning on the everlasting arms(=永遠の/神の腕に抱かれて)」です。この歌の歌詞は以下のようなものです。

なんという一体感 なんという神が与え給うた喜び
永遠の腕に抱かれて
なんという祝福 なんという平穏
永遠の腕に抱かれて
全ての危機から安全で安心な
永遠の腕に抱かれて
なにを心配することがあろうか なにを恐れることがあろうか
永遠の腕に抱かれているのに
我が主のすぐ側で 平和に恵まれているのに
永遠の腕に抱かれて

拙訳ですみません。まさに本作のマティにぴったりな賛美歌の古典です。
本作のストーリーは非常にシンプルな復讐劇です。父の仇を追いかけて、曲者の凄腕保安官とちょっと間抜けなテキサスレンジャーとしっかりものの少女が珍道中を繰り広げます。そんなシンプルな話しだからこそ、こういった音楽であったり、道中の会話であったり、そういう細部が非常に重要になってきます。
このストーリーの大きなテーマは「復讐」と「正義」です。酔っ払って人を殺したトム・チェイニーは当然悪ですし、仇討ちをするマティに理があるのは明らかです。しかしその仇討ちのためにマティがやることは、例えば死体を引き渡して取引したり、直接悪ではない下っ端を死に追い詰めることです。そして全てのエンディングで彼女に残される物はなんでしょう?そういったものを全て踏まえた上での前述の「Leaning on the everlasting arms」なんです。彼女はラスト直前で誰かに抱きかかえられていませんでしたか?そしてそれは彼女にとってどういう意味があったのでしょう?
そう考えると、エンドロールでこのテーマが流れた時、これはやっぱりちょっぴり泣いちゃうわけです。
ラボーフの笑いあり、コグバーンの熱血単騎突撃あり、そしてマティの執念あり。これで文句を言ったらバチがあたるぐらい盛りだくさんのエンターテイメントです。そこにきちんと古典西部劇の情緒まで入れてくるわけですから、これを褒めずして何を褒めるかってぐらいの出来です。
とりあえず絶対見た方が良いですし、見なければ後悔すること請け合いです。大大プッシュでおすすめします!
※それとサントラも買った方が良いです。これ本当にいいですよ。

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