今日は満を持して
「ハドソン川の奇跡」を見てきました。
評価:
– 最上級のクラシカル映画【あらすじ】
サリーはUSエアウェイズ1549便の機長である。バードストライクにより両翼エンジン停止という絶体絶命の状況から、ハドソン川への不時着によって奇跡的に乗客乗員155人全ての命を救った英雄だ。しかし、いまや家にも帰れず、ニューヨークのホテルで事故の悪夢に魘され続けていた。人々は彼を英雄と讃え、テレビの取材も殺到するが、どうにも自分の事とは思えない。そんな中、国家運輸安全委員会(NTSB)の事故調査が開始される。経験に基づいた判断の正しさを主張するサリーだったが、ACARS(※飛行機と管制塔のやり取りデータ)には左翼エンジンが微力ながらまだ生きていたというデータが残っていた、、、。
【三幕構成】
第1幕 -> サリーの悪夢と人々の賛辞
※第1ターニングポイント -> ホテルで左翼エンジンが生きていたと知らされる
第2幕 -> 事故の回想
※第2ターニングポイント -> タイミングが重要だったと気付く
第3幕 -> 事故シミュレーションと委員会
【感想】
今日は1本、クリント・イーストウッドの最新作「ハドソン川の奇跡」を見てきました。昨日に引き続き有楽町のピカデリーで見ましたが、500人箱でほぼフルハウスのすごい人気でした。トム・ハンクスが来日して神田の蕎麦屋に出没したりとなにかと話題でしたので、プロモーション大成功です。
今日はですね、この映画を褒めちぎりたいと思います。以下ネタバレを多々含みますので、未見の方はご注意ください。後ほど細かく書きますが、本作は、絶対前知識一切無しで一回見たほうがいいです。なにも情報が無い初見でこそ光り輝く演出があり、映画自体がほぼそこの一点突破型です。まずは劇場にダッシュです!
ストーリーの概略
本作は、2009年に起きたUSエアウェイズ1549便のハドソン川不時着事故を題材として、機長サリーの葛藤を描きます。トラウマにも近い後遺症にうなされるサリーは、「左翼エンジンが生きていたかもしれない」という新事実によって、自分の判断に自信を失っていきます。世間からの英雄という評価と、一方で自分の判断が間違っていたかもしれないという不安のギャップに、サリーはどんどん精神的に追い詰められていきます。本作はプロット上とても少ないシークエンスで語られます。しかしその少ないシークエンスを使って、イーストウッド監督はこれ以上無いほどのカタルシスと人間ドラマを描ききります。
そう、この映画は完全にサリー個人の感情面だけに焦点を絞った映画なんです。事故の原因がどうとか、事故のときの救助風景がどうとか、そういうのはサリーの周りの状況にすぎません。あくまでもサリーがそこで何を思い、何を行動し、そして事件後に彼の内面でどういうドラマが展開されるのか。それが全てです。
実際の事件や原作小説などを元にした「脚色」は、その元ネタのどの部分(ドラマ/葛藤)に焦点を絞って映画化するかがもっとも大切です。脚本家のトッド・コマー二キはこの事件から「キャプテン・サリーの意識の高さとプロの仕事ぶり」をピックアップしました。
そしてそれをまるでパズルのピースを嵌め込むように、最低限かつ無駄の無い演出で、クリント・イーストウッドは完璧に見せてくれます。上映時間96分の今時珍しいぐらい短いドラマが、あっという間に過ぎていきます。
「映画は映像で全てを語る」という基本に忠実
例えば、冒頭のシークエンスを見てみましょう。彼は飛行機事故の悪夢にうなされて飛び起きます。そして考え事をするためにジョギングに出ます。でも上の空で、車に轢かれそうになってしまいます。直後、彼がシャワーを浴び、風呂場で鏡を覗くシーンが入ります。
ここまで何も説明セリフはありませんが、彼が飛行機の機長であること、そして何か飛行機事故のトラウマに襲われていること、周りが見えないぐらい精神的に参っていること、そして何かを自問自答していることがわかります。このキャラクター設定をすべて映像/登場人物の行動だけで表現します。
例えば女性キャスターにインタビューを受けるシーンでは、彼はヒザをさすり、落ち着かない様子を見せます。まるでトラウマを押さえ込んでいるようにも見えます。そして取材が終わると外を見て、また事故の幻影を追ってしまいます。
このように、本作では、少ないシークエンスの全てに情報が高密度で叩き込まれています。そして、本作が「事故により精神的に追い詰められ自信を失ったサリーが、プロとしての自信を取り戻す話」であることがハッキリ提示されます。
モンタージュ理論の真骨頂
本作には、事故の回想が2回映し出されます。1回目は2幕目まるまる。ここでは、妻との電話中とバーでの飲酒中の前後半に分けて、事故の発生から完全に救助が終わるまでをフルで見せます。2回目は3幕目のクライマックス。事故調査委員会において、出席者全員でボイスレコーダーを聴くシーンで再び事故発生から着水までが映し出されます。これが本作で最大の映画的なトリックです。
1回目の回想では、観客に「もしかしたらサリーは判断をミスしていたかも知れない」という情報が直前に与えられています。そのため、一度は最寄りの空港へ向かうと管制塔に言ったのに急にハドソン側への不時着を主張するサリーが、とても自分勝手に見えます。そして、着水してからも飛行機の中を必死に捜索したり、救助後に「助かったのは何人だ!?」と繰り返し質問するサリーが、まるで自分のミスを取り返すために焦っているように見えるんです。
ところが2回目の回想はまったく違います。今度は観客には直前情報として「バードストライクから35秒間経つと、もう空港へ着陸するのは不可能である」という情報が提示されます。その上で回想シーンに入るわけです。当然私たちはバードストライクのシーンから頭の中でカウントします。「1、2、3、4、・・・・・35!」。そう、本当に決断まで35秒以上かかってるんですね。そうすると、さっきとまったく同じ回想シーンであるにも関わらず、今度はサリーや副操縦士のジェフがどんどん独断で対処していく姿が、一流のプロの仕事に見えるわけです。あくまでも回想シーン自体は一緒なんですよ。もちろんセリフも含めて。それが事前情報が変わることで180度違って見えるようになるんです。この2回目の回想シーンで「ハドソン側へ着水する」とサリーが管制塔に通達する場面が、本作のクライマックスです。そのカタルシスたるや凄まじいです。
そしてさらに追い打ちを掛けるように、「データよりもプロの勘の方が正しかった」というある事実が判明するわけで、これはもうガッツポーズなしには見られません。
この作品は、ほぼこのクライマックスのモンタージュ理論どんでん返しのアイデア一発を見せるためだけに撮っていると言っても過言ではありません。そこまで観客も含めてサリーに掛けられていたストレスが一気にカタルシスへ生まれ変わるわけで、これほど劇的でこれほど気持ちの良いクライマックスはありません。
【まとめ】
この映画は「いぶし銀」といっても良いイーストウッドのとてつもない演出力で、一発ネタをぶちこんできます。それこそ先日の「イレブン・ミニッツ」とやってることは一緒です。この「ワンアイデアを誠実に映画に組み立てる」というのはすごくクラシカルな映画の撮り方で、それこそアメリカン・ニューシネマより前の映画は大体こうでした。こういう、ちょっと古いけれども上質な映画が劇場で見られるというのは本当に幸せなことです。全世代に是非見ていただきたい作品でした。物凄く映画演出・構成の勉強になりますので、そちらに興味がある方はかじり付いて見てみてください(笑)。
遅ればせながら、この作品を昨日、観てきました。イーストウッド監督のいつもの渋い演出の影にモンタージュのスゴワザが隠れているのを発見して、今、「ハドソン川の奇跡 モンタージュ」でググッてここにたどり着きました。
この作品のモンタージュの凄さに気づいている人は少ないのではないかと思います。さらに、回想と想像のシーンをまったく同様につなげ(編集=これもモンタージュ)ておきながら、鑑賞者を置いてけぼりにしないのもすごいところです。理論というより、経験に支えられた実践者=プロの技というべきでしょう。評論家の方たちは解っていても、「メンドウなことを書いても読者の興味を惹かない」と考えて避けているのかもしれません。私もサリーと同様に自分の感想に自身が持てず、検索という行動に出たのですが、そこをキチンと解っている人が他にもいるということを発見して安心しています。
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