ペット

ペット

夏休み映画1発目はこちら

「ペット」です。

評価:(40/100点) – トイ・ストーリーのフォロワーとしてはあんまり…


【あらすじ】

マックスは、かつて捨て犬だった所をケイティに拾われ、今は幸せな生活を送っていた。ある日、ケイティは保健所から新しい犬―デュークを引き取ってきた。しかしこのデュークは乱暴者。自分の居場所が無くなることを恐れたマックスは、デュークと一触即発の関係になってしまう。そんなおり、いつものようにペットシッターにドッグランで放されている隙に、デュークはマックスを遠くの路地裏へほっぽり出そうとする。それが大冒険の始まりだった、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> デュークの登場とマックスとの冷戦
 ※第1ターニングポイント -> デュークが路地裏でマックスを捨てようとする
第2幕 -> スノーボール一派との行動と脱出
 ※第2ターニングポイント -> デュークが保健所に連れ去られる
第3幕 -> デューク救出作戦


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【感想】

皆さん夏休みはいかがお過ごしでしょうか?今年の夏休みは珍しく大本命ファミリー映画が無く、「ファインディング・ドリー(ピクサー)」「ペット(ユニバーサル)」「ジャングル・ブック(ディズニー)」あたりの三つ巴となっているかと思います。個人的には「X-MEN アポカリプス」のほうが気になっており、こちらは近々で見に行ってきます、、、仕事帰りにでも、、、夏休みって本当にあるんでしょうか?(錯乱)
そんなこんなで昨日は「ペット」を見てきました。怪盗グルーシリーズで一躍3Dアニメの新興勢力に踊り出たイルミネーションの最新作です。お子さん連れを中心に結構お客さんが入ってまして、ファミリー映画としては大成功な雰囲気が出ていました。
この後、元も子も無いことを書きますが(笑)、安心して見られる作品なのは間違いありませんので涼みがてらお子さんと見るには丁度いい湯加減の映画だと思います。

ディズニーとドリームワークスとイルミネーション

90年代後半より、3Dアニメといえば王者ピクサー・ディズニー連合がど真ん中。それに対抗できるのはドリームワークスぐらいでした。ドリームワークスはアンチ・ディズニーというのを全面に出してきてまして、とにかく「ちょっと大人向けのほろ苦い&皮肉の効いた3Dアニメ」を作り続けてきました。初期ではディズニーのお伽話を盛大にパロったシュレック・シリーズですとか、マダガスカル/カンフー・パンダとかですね。そしてドリームワークス最高傑作はもちろん「ヒックとドラゴン」。極めてディズニー的な成長物語りでありながら、ディズニーが意図的に避けてきたちょっとエグいシーンや民族対立までちゃんと見せる。3Dアニメ映画市場はディズニー/ドリームワークスの2強体制といっても過言ではありません。

そんな中で、出てきた新興勢力がイルミネーション・エンターテイメントです。イルミネーションはクリストファー・メレダンドリが20世紀フォックスからスピンアウトして作った会社なのですが、このメレダンドリさん、もともとディズニー・ピクチャーズ出身の方なんですね。でまぁデビュー作の「怪盗グルーの月泥棒」とかその次の「イースターラビットのキャンディ工場」を見ていただくとわかるように、もろに「ザ・ディズニー」なメソッドそのまんまの作品が好きな人なんです。しかも80年台のディズニー第2黄金期世代のフォロワーです。おそらく当時若手としてディズニー・ピクチャーズに居たからだと思うんですが、それこそ「イースター~」は「ロジャー・ラビット」と「メリー・ポピンズ」のハイブリッド映画です。ドリームワークスがアンチ・ディズニーで差別化を図っているのに対して、イルミネーションはそのまんまディズニーの後追いをしています。
ただ、やはり毒のないキャラクター:ミニオンは安心して見れますし人気が出るわけで、ここ最近はむしろイルミネーションの方がドリームワークスよりも勢いがあるんじゃないかという所まで来ています。

本題の元も子もない話

あんまり長く書いても仕方がないのでいきなり書いてしまいますが、本作「ペット」は「トイ・ストーリー1~3」「わんわん物語」のハイブリッド映画です。このディズニーを代表するような超有名作品4本を、ぜーんぶゴッタ煮にして、それを40倍ぐらい薄めたのが本作です。なので、正直本作を見るならこの4本をレンタルで借りてきたほうが遥かに楽しめます。軸は、ウッディとバズが扮する犬2匹の対立と友情の物語。ストーリーの大枠は、家から遠くはなれたところで迷子になった二匹の犬が一生懸命ご主人の元に帰る話。途中、下水道で暮らす野良猫/兎達との対立を挟みながら、最終的にはペット達は幸せな我が家へと帰って行き、ロッツォ・ハグベア扮する敵の親玉スノーボールも新しいご主人の元でペットの幸せを再確認する旅に出ます。

これですね、もしかするとディズニー映画公開の隙間をついていれば良かったのかもしれません。でもいま、まさに”本物”の「ファイティング・ドリー」が同じシネコンで上映されているわけで、これで対抗しようっていうのはちょっと、、、どうなんでしょう(苦笑)。

映画単体としてもちょっと行き当たりばったり感が強く、あんまり上手くまとまっているとは言えません。
動物のデフォルメもどちらかというとペンギンズに近いもので、動物の可愛さを強調する方向よりは擬人化を優先しており、結構顔がノッペリとしています。

【まとめ】

あっさり書いてしまいましたが、結論としては、「わざわざ映画館で見るほどでもないけどまぁ安心して見れるかな」というぐらいの微妙な温度感です。
やっぱりイルミネーションはミニオンみたいなオリジナル・キャラを作ってドタバタコメディをやっていたほうが良いと思います。実際、本編上映前の「ミニオンズ:アルバイト大作戦」の方が遥かに面白かったですしね。私はちょい夏バテ気味、映画も製作者側の熱気が低い、ということで、今日はこんな適当さ加減でご勘弁(笑)。

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記事の評価
シン・ゴジラ

シン・ゴジラ

久々の更新はこちら

「シン・ゴジラ」です。

評価:(100/100点) – 熱血”躁”ムービーの傑作!


【あらすじ】

東京湾羽田沖で謎の水蒸気爆発が起きた。政府は緊急で会議を招集するが、海底火山か、はたまた謎の原子力潜水艦潜の事故か、まったくわからない。そんなおり、ネット上の動画サイトに現場の映像があがる。そこには巨大生物と思われる尻尾のようなものが映っていた。水生生物が陸上にあがったら自重で崩壊する。そんな希望的観測を尻目に、生物は多摩川を昇り大田区に上陸する。それは、ウツボのようにのたうち回りながら這いずる、恐ろしい怪物だった、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> 水蒸気爆発と、謎の怪獣の上陸
 ※第1ターニングポイント -> 怪獣が東京湾に帰っていく
第2幕 -> 政府対応と怪獣の再上陸、矢口プランの進行
 ※第2ターニングポイント -> 矢口プラン改めヤシオリ作戦の準備完了
第3幕 -> 最終決戦「ヤシオリ作戦」


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【感想】

昨日はレイト・ショーでシン・ゴジラを見てきました。最近あんまり長文を書きたくなるテンションの映画がなかったのですが、このシン・ゴジラはですね、久しぶりに書かざるを得ないというか、なんかこうスクリーンの熱血がそのままこっちに乗り移るような、とてもエモーショナルな映画でした。まるで劇中でゴジラが自身の熱核エンジンの放熱のために口から火炎を出すように、私も叩きつけられた「熱血」を吐き出さないとどうにも収まりがつきません(笑)
ということで、いつものお約束です。
これ以降の文章は、ほぼ最後の部分までのネタバレを多大に含みます。未見の方はご注意ください。とはいえ、本作の根幹はとてもシンプルなストーリーです。そして、一回の鑑賞で全部を拾うのは無理なほど、細かいディテール=オタクマインドでゴテゴテに装飾されています。ネタバレが作品の価値を削ぐたぐいの物ではないという言い訳をしつつ、書いていきます。悪いことは言いませんので、絶対劇場で見た方がいいです。大画面で、大音響で、このフィルムの熱量に当てられてこその作品です。

ハリウッドへの対抗=作品のピュア化という疑い(笑)

皆さん、昨年の映画を思い浮かべて下さい。「ハリウッド作品以外で世界的に大成功した作品」というと何を思い浮かべるでしょう?私がこのシン・ゴジラを見て真っ先に思い浮かべたのは、「マッドマックス 怒りのデス・ロード」でした。作品の根幹にドンと大テーマを据えて、そのまわりを限りなくピュアな要素で埋め尽くす。万人への受けを狙うのではなく、監督自身が好きなもの、好きなディテールを素直に全力で押し出し、観客はその熱量を正面から”叩きつけられて”興奮する。こういうある種のアトラクション・ムービーです。

本作のテーマは「熱血からくる人間の団結力」です。ポスターに「現実vs虚構」というキャッチコピーがありますが、正直あまり敵側(ゴジラ側)は関係がありません。人間側が団結して力を発揮した時、もう勝負はつきます。
本作は、いろいろな立場の人間達がいろいろな行動原理(※もちろん保身であったり建前であったり)で動きながらも、結局は己の意思で団結し、自分にできるベストを尽くして勝利を得るという、これ以上ないほどのカタルシスにつつまれた作品です。最終盤にそれまで頼りなかった総理代理がフランス大使に頭を下げて最敬礼するシーンが映りますが、これほどまでに格好いい土下座(※土下座ではないですが、精神的には土下座ですw)はあったでしょうか? これぞ漢の信念の土下座外交です。
この「己の信念にしたがって全力で行動する」ことこそ「熱血」の根幹であり、そして各人の「己の信念」がヤシオリ作戦へと収束していくところが「シン・ゴジラ」の最大の美点です。本作に対して、人間ドラマが足りないとか、庶民の愛憎(家族愛とか)が無いとか、そういう批判が出ることが正直よくわかりません。これほど人間ドラマに溢れ、これほど人間賛歌に徹底している娯楽作品が他にあるでしょうか?

ハリウッド・メソッドに忠実な構成

本作の素晴らしさに、映画構成の完璧さがあります。本作は一見するとずーっとセリフ劇が続くように見えますが、構造が非常にシンプルでしっかりしているため、まったく飽きることがありません。

一幕目では謎の怪獣が東京湾に出現し、大田区→品川区と街を壊していきます。この時、政府の対応はというと、異例の事態で法律がないとか、どの省庁の管轄になるかとか、学者を呼んで意見を訊くとか、本当にどうでもいいプロセスに終止します(笑)。このパートは「お役所ギャグパート」としても成立していまして、まさにハリウッド・メソッドで言うところの、「笑いは一幕目に固めるべし」というセオリーそのままの構成です。

これが二幕目に入りますと、主役である矢口蘭堂が正式にゴジラ対策プロジェクトの担当に任命されて、変人たちを集めた越境特別チームを動かし始めます。このパートでは徹底して「政府本丸」と「特別チーム」の対比が描かれます。政府側が法整備を進め組織としての体裁を保ったままで「正式な対応」を進めるのに対して、特別チームは「人事査定には関係ないから忌憚なく意見して好き放題動いてくれ」と現場の個の力を頼りに研究を進めます。そして、問題の石原さとみ扮する「カヨコ」が登場します。彼女はアメリカ大統領の特使というバリバリの権威側として登場しながらも、「タメ口でいいわよ」という一言で特別チーム側の価値観であることを表明します。
ここではギャグは段々と鳴りを潜め、シリアスな展開が続きます。きちんとミッド・タ―ニングポイントで「ゴジラの再襲撃→多摩川防衛のタバ作戦」という盛り上がりもあり、そして本作一番の盛り上がりどころ、ゴジラの放射熱線が入ります。この放射熱線にしても、プロレスで言う所の「ハルク・アップ」というか、ピンチからの一発大逆転というある種のカタルシスがあります。そしてその後の闇夜に浮かぶ神々しいまでの立ち姿は、まさに「ラスボス登場」を思わせる絶望の象徴であり、これこそ「団結しないと勝てない」ことをまざまざと見せつけてくるわけです。

そして二幕目の終盤、「私は好きにした。君たちも好きにしろ。」という牧悟郎博士の遺言をキーワードに、政府側も含めた全ての人物が「自分達の意思で」団結し、そして官民一体かつ統一目的意識で組織化された「ヤシオリ作戦」が開始するわけです。

ついにやってくる怒涛の三幕目、新幹線の突撃や「無人在来線爆弾」など、”これぞセンス・オブ・ワンダー”というオタクマインドにあふれた攻撃で、スクリーンは埋め尽くされます。ここまで来ると、もはや完全に祭りです(笑)。まさにピュアな意味での「熱血」。とにかく「やっちまえ!」というテンションだけの至福の30分です。
そこまでの展開との壮絶なギャップにニヤニヤしつつ、溜めに溜めたストレスを全力で放出する最高の時間です。はっきり言って三幕目は急に頭が悪くなり、スクリーン全体が幼児退行します(笑)。このピュアさがまたぐっと来るんですね。だって「無人/在来線/爆弾」という単語の繋がりを、どの大人が会議室で思いつきますか? 好きじゃなければ出てこない単語です。いままでのシリーズで散々踏み潰されてきた在来線が、ついに復讐するこのカタルシス!そして絵面の格好良さ!

庵野監督はいわゆる熱心な「信者ファン」が多いことでも有名ですが、やっぱりこういう自分の趣味全開の熱量を臆面もなく出してくるクリーエーターは、それだけで十分に価値があると思います。だってそれこそが「作家性」っていうことですから。

【まとめ】

私はあまり熱心な特撮/ミリタリーファンではないのですが、このテンションは最高に楽しめました。もちろんゴジラフリークの方からすると「こんなのゴジラじゃない!」みたいないつものパターンになるのかもしれませんが、ある意味「作家性」が「ゴジラ」を塗りつぶしたという事ですからまったく問題無いと思います。一応形式的に指摘しておけば、本作のゴジラが何故東京を目指したのか、そして最後に何故皇居へ向かったのかは特に説明はありません。そして本作が福島第一原発事故を意識しているのも疑いようがありません。このゴジラの「目的のわからなさ」こそが恐怖であり、そして最後に「一時停止させただけで根本的な脅威は残っている」という状況に繋がります。どうしようもないものや得体のしれないものに対峙して、人間が団結する。これこそ人間賛歌どまん中ではないでしょうか?

取り留めもなくなってしまいましたが、本作は最高の大娯楽作品です。日本映画だって全力で娯楽作品つくれるんじゃん!という希望に満ちた素晴らしい作品でした。「熱血」ってある意味「過剰さ」が肝だとおもうんですね。本作の「熱血」を堪能するなら、大画面大音響が絶対必要だと思います。是非劇場で御覧ください!

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記事の評価
テラフォーマーズ

テラフォーマーズ

それでは二本目はこちら

「テラフォーマーズ」です。

評価:(40/100点) – B級アクションホラー映画へのチャレンジ精神は良い!


【あらすじ】

西暦2599年。本多博士の計画のもと、小町小吉を含む15人の一団は火星のテラフォーミングプロジェクトの最後のミッションへ向かう。ミッションは火星を地球化するために送り込まれたゴキブリを退治すること。しかもミッションに参加した者には多額の給料と恩赦が与えられるという。楽勝案件と思われたプロジェクトには、しかし大きなウラがあった、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> 火星への到着とテラフォーマーとの遭遇
 ※第1ターニングポイント -> テラフォーマーとの初戦闘
第2幕 -> 宇宙船バグス1への道のり
 ※第2ターニングポイント -> バグス2が墜落する
第3幕 -> 決戦と火星からの脱出


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【感想】

それでは「ちはやふる」の余韻も冷めやらぬ中(笑)、本日の2本目はテラフォーマーズです。某ネット映画評論家の人がボロカス叩いたそうで、ほんまかいなとイソイソと出かけてきました。結論なんですが、先ほどの「ちはや~」の文章で煽ってすみませんでした。これ、ジャンル映画としてはそんなに悪く無いです。普通にマシなほう。そして、少なくとも私の見る限り、邦画の平均でいうとわりと制作側の志も高い方です。ということで、今回は擁護モードで書いていきたいと思います。ボロカスな文章を期待していただいた皆様、すみません。

私、この作品についてはやはり漫画を読んでいませんしアニメも見てません。なので、原作ファンの方の怒りのツボみたいなのはわかりません。結構巻数が出てる作品みたいなので、きっとストーリーは全然違うんだろうなと思いつつ、あくまでも本映画だけに言及することをご容赦ください。

演出は超ダサい(笑)。っていうか舞台演劇。

まずダメなところから書いていきましょう。っていっても実際はそんなにないです。そもそもの内容がそんなにないですからね(笑)。

まず一番ダメなのは、ストーリーの進行がすべて棒読みの「セリフ劇」である点です。ここに関しては一切の擁護の余地はありません。本多博士のいかにも「マッド・サイエンティストで~す」というような大根丸出しな振る舞いや、各キャラの超棒読みかついちいち見栄を切ってくるセリフ回しは本気でゲンナリします。
なんでこんなことになっているかというと、完全に舞台演劇のメソッドで脚本が書かれてるからです。ちょいと気になって公式ページを見てみたら、脚本の中島かずきさんは50代半ばのベテランの方で、劇団☆新感線の本を書く人なんですね。それで腑に落ちました。「曲がれ!スプーン」とかもそうですが、劇団の人ってどうしても、大きな声で滑舌よく、人物同士のセリフが極力かぶらないように交互に叫ぶように演技するセリフ回しが染み付いちゃってるんですね。本作も基本的にクロストーク的な場面が一切ありませんし、毎回毎回キメ顔で「ポーズ」を取ります。なんでわざわざ海外ロケやってCGバリバリでスケール感を出したいはずの映画に劇団の人を使うのかよくわかりませんが(笑)、なんか中島さんご本人にとっても不運だったというか、完全に資質の問題ですね。これはさすがに依頼する方が悪いと思います。すくなくともスケール感が必要なSF映画にはまったく合っていません。

もう一つ悪いところを上げるならば、回想シーンや味方同士で励まし合ったりする「馴れ合いパート」の間の悪さです。せっかくいい感じのアクションでテンションが上がっている所で、本当にどうでもいい人情話が差し込まれるもんですから、そのたびにテンションがリセットされちゃうんですね。これもね、、、正直なんでこんなブサイクな構成にしてしまったのかよくわかりません。山田孝之演じる蛭間一郎の事情なんて、本作のストーリーに毛ほども関係ないんですよ。だって「みんなにそれぞれ事情がある」って冒頭で言ってるわけで、蛭間がなんぼ濡れ衣食らったからってだからどうしたっていうね。「嵌めた相手が本多博士の仲間だった」とか、「実は蛭間がバグズオペレーション技術の発明者で密かに自分に特殊能力を付加していた」とかならまったく問題ないんですが、まじで何の意味があるのかさっぱりわかりません。そしてこれまた邦画特有の敵を前にしたグダグダ馴れ合いですね。よそでやれっていう、いつものアレです。この辺はなんか三池崇史監督の悪意がチラチラ見えてきてちょっと嫌な感じです(笑)。真面目にやればできるんだからやりゃいいのにね。「大作邦画ってこんなかんじでしょ!」みたいな投げやりな感じが透けて見えるのがね^^;

それではそろそろ擁護をば

ではここから良かった集めをしたいと思います(笑)。

まず一番はですね、話の骨格・プロットがきちんとしている点です。こういう「変な場所に急に連れてこられた一団がサバイバルする」というジャンルものにおいて、「A地点でスタート→B地点に行ってなんか拾ったり発見する/知識を得る→A地点に引き返して脱出」というのはお約束のフォーマットです。最近だと「リディック: ギャラクシー・バトル」とか、当ブログだと「ブレデターズ」とかですね。変な惑星に放り出されて、原住民的なエイリアンに襲われて、なんだかんだで脱出するというジャンルムービーです。原作がどうなっているかはわかりませんが、世界観を上手にジャンル映画フォーマットに落とし込めてると思います。これは素晴らしい。なかなかこういうお約束って怖くてできないんですよ。だから、このストーリープロットだけは十分に満点です。
強いて言えば、最初は脱出ポッドが何らかの事情で使えないっていう描写は欲しいですね。一応「定員2人=どのみち全員は乗れない」というのがエクスキューズにはなっていますけれども。

そしてアクション・バトル関連のところです。これはそのまんま「戦闘少女 血の鉄仮面伝説」の丸パクリなんですが(笑)、ある意味「世界に持っていく日本特撮映画=ちょいグロ描写ありのチーム変身ものだ」「しかもスタイルの良い女の子が体の線をモロに出してやるんだ!」という制作側の認識は当たっているわけで(笑)、よくぞこんな企画に大金ぶち込んだと素直に褒めたいと思います。これ、もうちょいちゃんと作ればカルト映画になり得た可能性があったと思います。
それだけに、演技周りの不満が残念でなりません。

【まとめ】

本当のところはわかりませんが、「世界に持っていく日本映画」として作ったのであれば、方向性は間違いなく当たっていると思いますし、これが出てきたというのは大変うれしいことだと思います。あんまり貶す気にならないくらい好感を持ちました。ただ、やっぱり題材がゴキブリってのは、、、、正直なはなし、大画面でみたいかっていうとね(笑)。これなら別にエイリアンでいいじゃんっていう気がビンビンしています。ただのエイリアンじゃそもそも「テラフォーマーズ」にならないって話はありますけどね^^;。

なんというか「全然ダメ!話にならない!糞映画!」っていうテンションではなくて、「惜しい!次頑張って!」って応援したくなるような、そんな映画でした。ただ2回目は遠慮しときます。ゴキブリ苦手なんで^^;

映画をあんまり見ない人がたまたまコレを見たらボロカス叩きたくなる気は凄いよく分かります。でも死屍累々の糞映画を見まくっていて、それでも映画が好きな人ならば、かなり好意的に見られると思います。見どころが一個もないどうでもいいクソ映画じゃなくて、ちゃんと志があって長所のあるクソ映画ですから。「結局クソ映画なんじゃん!」ってオチがついたところで、本作はこの辺で(笑)。

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記事の評価
ちはやふる -下の句-

ちはやふる -下の句-

今日は邦画2本です。まず一本目は

「ちはやふる -下の句-」です。

評価:(100/100点) – これがアイドル青春スポ根映画のど真ん中じゃ!


【あらすじ】

都大会制覇の報告に新(あらた)を尋ねた千早と太一は、そこでかるたへの情熱を失った新と出会う。自身の大会出場中に亡くなってしまった祖父に自責の念を持ち、新はかるたができなくなってしまったのだ。新にもう一度かるたへの情熱を取り戻させるため、千早は全国大会個人戦での活躍を土産にしようと決意する。
そのためには、高校生にしてクイーン位に君臨する若宮詩暢(わかみや しのぶ)を倒さなければならない。左利きで変速のクイックを使う詩暢を意識するあまり、千早は徐々に自分のスタイルを見失ってしまう、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> 福井への訪問
 ※第1ターニングポイント -> 原田先生にクイーン・詩暢の話を聞く
第2幕 -> 打倒クイーン!千早の焦り。
 ※第2ターニングポイント -> 全国大会で千早が倒れ、団体戦が終わる。
第3幕 -> 全国大会個人戦。


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【感想】

さてさて、本日の一本目は「ちはやふる -下の句-」です。先月末に公開された「ちはやふる -上の句-」の直接的な後編です。都大会を制した瑞沢高校かるた部の全国大会への特訓・いざ決戦というストーリーに並行して、「上の句」でポンコツになってしまった新の復活の話が描かれます。これはですね、結構歴史に残る青春スポ根映画の金字塔だと思います。ここから先は、この作品がいかに凄まじく計算されているか、そして俳優(というかアイドル)達の魅力がいかに存分に発揮されているかをがっつり褒めちぎります。

わたくしは原作・アニメとも未見のため、原作との比較はまったくできません。もしかしたら、いつもな感じで原作ファンの方から見ると「ちはやふるの魅力はそこじゃないだろ!」という不満があるのかも知れません。そういった原作ファンの方たちには申し訳ございません。ただですね、漫画原作でここまでしっかりきっちりとした映画になってるわけですから、これかなり幸せだと思います。いまこの文章はちょうど見終わって直後に映画館のすぐ横のスタバで書いてるんですが、この後2時間後ぐらいには私「テラフォーマーズ」っていう漫画原作の映画を見るんですよ(苦笑)。そんなこんなで、もろもろお察しください。

以下、いつものようにネタバレも含みます。未見の方はご注意ください。絶対映画館に行ったほうがいいですよ!

まずは「上の句」のおさらい

まずは上の句のおさらいです。ちょうど私ブログをお休みしてましたので^^;

「ちはやふる 上の句」はスポ根映画のフォーマットを完璧に踏襲した素晴らしい作品でした。場所は府中(?)あたりのちょい田舎。瑞沢高校の新入生の千早は、一年生ながら「競技かるた部」の結成に動きます。自身の幼馴染でBランクの太一を相棒に、これまた顔なじみに「肉まんくん」=Aランク西田優征を巻き込み、さらには和服の不思議ちゃん奏(かなで)と、頭脳系おたくの「机くん」駒野勉を加えます。物語は新設マイナー部活のメンバー集めというド直球でベタベタな展開にのせて、この「机くん」のアイデンティティクライシスまで描ききります。「自分は所詮は頭数あわせで期待なんてされてない」「人さえ集まればだれでも良かったんだ」。画面を見ている観客の私達も思ったこのド直球な問いかけに対して、映画はこれまたド直球の熱血スポ根でそれを返してきます。「最初は頭数あわせだった」「でも一緒に頑張った修行を通じて、弱かろうがなんだろうがもはや5人はチームなんだ」。この恥ずかしいまでのド直球が、これまた恥ずかしくて当然な青春と組み合わさって、「上の句」はそれこそぐうの音も出ないほど魅力的な青春映画となりました。「上の句」で一番すばらしかったのは、この「ド直球さ」です。邦画にしてはめずらしく、何のひねりもなく、何の小細工もなく、素直な青春スポ根を億面もなく、見せてくるんです。これね、こういう作品にはこちらもド直球で向き合わなければいけないわけで、その志だけでもう100点満点でいいんです。こういうと失礼ですが、「上の句」はまったくROBOT制作らしからぬ素晴らしい作品です。一切CGに頼ること無く、ちゃんと道具としてVFXを使いこなせています。ROBOTの他の連中(っていうか主に山崎某)に小泉監督の爪の垢を煎じて飲ませてやりたいぐらいです(笑)。

そして下の句へ、、、

そして本作「下の句」です。正直な所、「スポ根映画」としての「ちはやふる」は上の句でほとんど100%描き切っています。そうなると、後は細かいかるたの技術論とか荒唐無稽な新必殺技しかスポ根要素は残されていないわけで、これ結構不安でした。どうやって「下の句」を構成してくるんだろうと。安直にやるなら「上の句」のリメイクみたいな感じで同じ話を繰り返せばいいんですが、それではつまりません。公開間隔も短いですしね(笑)。

そんなこんなで実際に「下の句」を見てみますと、、、これはもう凄いとしか言いようがないです。「上の句」が「青春スポ根映画」の「スポ根」要素を重視したとするならば、「下の句」は「青春」要素を重視した構成になっています。つまり、これは正しく「上の句」「下の句」なんですね。単独でもきちんと成立しているけれども、繋がるとまた違った意味が出て完成度が高くなる。これこそまさに百人一首なわけで、「競技かるた」題材の映画として完璧な構成です。おみそれしました。

本作の主題:挫折した天才へ再生を促す熱血物語

前作・本作を通じ、「メガネ君」新はミステリアスな天才として存在しています。「上の句」では本気を出せば日本一だけど、おじいちゃんの介護のために福井に隠居した達人。そして「下の句」では「おじいちゃんの死に目に立ち会えなかった」ことを後悔するあまり自分に「かるたをやる資格がない」と引きこもってしまった世捨て人。このメガネ君にかるたの情熱をとりもどさせるため、つまりはこの競技かるたの面白さを見せつけるため、本作の千早や太一は奔走します。こういう「挫折した天才もの」って私は大好きです。古くは「ドカベン」の山田太郎(※彼は当初野球を捨てて柔道をやっていました)から脈々と続く王道的スポ根ストーリーですね。しかしこの「情熱」を見せつけようと躍起になるあまり、千早も太一も周りが見えなくなってどんどん深みにハマってしまうわけです。そこから彼女たちを救い出すのは、友人であり、ライバルです。憎まれ口を叩きながらも叱咤激励をし、サポートしてくれる彼らのおかげで、千早たちはまた一歩成長し、そしてその熱血のバトンを新へとつなごうとするわけです。

もうね、おじさんは号泣しちゃうわけですよ(笑)。千早があるライバルから「全国大会攻略法」を託されて目が覚めた次の瞬間、彼女はゆっくりと走りだし、そして全力疾走し、雨の中で泣き出すという超ウエットで超ベタベタで、そして超ムカつく演出が入るわけです。「なんじゃこの監督!甘ったるくて腹立つわ~(怒)」と思いながら、後ろに座って持ち込んだポテトチップを食べてる女子高生コンビなんて気にもせずに、号泣しちゃうんですよ(笑)。こういうね、小細工なしで真っ向勝負してくる監督って本当に貴重です。だって、これにはハリウッド超大作みたいに何十億ものお金はいらないですから。聞いてるかいテラフォーマーズのプロデューサー連中よ!あと1時間でそっちいくから待ってろよ(笑)!

本作の主題その2:スポ根としての打倒クイーン

そして本作ではついに、大ボスであるクイーン詩暢が登場するわけです。この詩暢ですね、原作ファンにはあれなのかもしれませんが、存在感が完璧です。「京都弁をしゃべる意地悪なツンデレ」という超類型的なキャラクターでありながら、松岡茉優のちょっとツリ目でネコっぽい感じの雰囲気が完璧にマッチしてます。千早の広瀬すずも、ガサツでアホっぽくて、でも目をカッぴらいた時が最高に美人で怖いという完璧な立ち振舞でした。総じてキャストたちは最高だと思います。
この詩暢がですね、画面から漏れ出る威圧感が半端無いんですね。これぞクイーンっていう。いつぶぶ漬けだされるかとビクビクしながらも、目を離せなくなると。でまぁこの詩暢は、左利きでかつ「音の出ないかるた」という必殺技を使って淡々と相手をぶちのめしていくわけです。個人的には私もぜひ淡々とぶちのめしてほしいんですが(笑)、これね、スポ根としての要素が完璧なんですね。ストーリー上は千早も「スーパー聴覚」という必殺技を身に着けているわけで、これこそ純粋に「早さと速さ」の戦いじゃないですか。聴いた瞬間の判断が早い千早と、聴いた後のかるたへ向かう動きが速い詩暢。完璧に手がマッチしたライバルに、当然ロクに対策をしていない千早は現時点で勝てるわけがないわけで、でも性質上はいつか千早が必殺技を磨けば必ず勝てるはずの手合わせであるというこの構成。お見事です。

本作の主題その3:かるた競技のキモ=心を落ち着かせること=友情であるという解釈

さらに素晴らしいのは、本作が競技かるたのポイントを「平静を保つことだ」としたうえで、「それは友情/自分が一番楽しかった思い出によってもたらされる」というこの恥ずかしいまでに愚直な発想です。これはですね猛烈に説得力があります。変に声をかけたからとか、変に新を見つけたからとかじゃないんですね。答えは己の中にあって、そしてそれとまっすぐに向き合うことで強くなれるんだというこの「静かな熱血根性論」こそ、まさに本作が成功した最大の要因であり、そして「ちはやふる 上の句/下の句」が傑作邦画として輝きを放つであろう最大の要因です。小手先の技術ではなくて、己の志が大事なんだと。聴いてるかいテラフォーマーズ!!あと20分でそっちいくから待ってろよ(笑)!

【まとめ】

ということで、本作は最高によくできた「青春熱血スポ根映画」です。なんの文句もございません。私はBD買います(笑)。なんなら上の句下の句セットの豪華ボックスをだしてくれるならそっちを買います(笑)。これね、広瀬すずも照明さんとかに文句言ってないでこれで女優として一皮むけてほしいですね。小手先じゃなくて、答えは己の中にあるんだよと。筆で書いて便所に貼っときましょう。

ということで、おすすめです!

あたしゃちょっくら火星に行ってきます(笑)。

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記事の評価
シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ

シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ

今日はついに公開された

「シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ」を見てきました。

評価:(97/100点) – 傑作ヒーロー・アクション・サスペンス!


【あらすじ】

スーパーヒーロー機関「S.H.I.E.L.D.」が崩壊し、アベンジャーズたちは草の根でヒーロー活動を続けていた。しかし活動中に民間犠牲者が出続ける事態に、ついに各国から抑止力の必要性が提示されるようになる。提案された「ソコヴィア協定」と名付けられた国際協定は、事実上アベンジャーズを国連軍に組み込むものであった。メンバー間でも賛否が分かれる中、協定を強行する国連とトニー・スターク。しかし調印のまさにその日、ウィーンの国連会議場がテロにより爆破されてしまう、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> ラムロウ鎮圧とソコヴィア協定
※第1ターニングポイント -> 国連会議場が爆破される
第2幕 -> キャプテン・アメリカの事件捜査
※第2ターニングポイント -> シベリアのハイドラ基地へ着く
第3幕 -> トニー・スタークの合流と事件の真相


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【感想】

ということで、今日は待望の「シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ」です。なんか宣伝だと「アベンジャーズ3」じゃないかというくらいキャプテン・アメリカのことがスルーされてますが(笑)、れっきとした「キャプテン・アメリカ3」です。とはいえ本作の主題はキャプテン・アメリカの行動理念の源と、そしてアベンジャーズの一時的な分裂です。今後のアベンジャーズシリーズに影響を与えるのは間違いありません。もうシリーズ13作目なので大丈夫だと思いますが、いきなり本作を見てもなんのこっちゃかと思いますのでご注意ください。また、以降はガンガンネタバレを含みます。未見の方はご注意ください。先に感想だけ書いちゃいますと、本作は凄く良くできたサスペンスの上にヒーロー要素を振りかけた傑作です。ぜひぜひGWは劇場へダッシュです!

二つのテーマ

本作には二つのテーマがあります。

一つは活動中に民間人を巻き込んでしまうヒーローの苦悩であり、これはまんま「バットマンvsスーパーマン」にもあったテーマです。「悪との戦いなんだから巻き込まれる人がいたとしても確実に被害は少なく済んでいるはず」というヒーローの心理の一方で、被害者側からすれば個人はあくまでも個人でしかないわけでやりきれないという、いつものですね。これが発展して今回はアイアンマン=トニー・スタークとキャプテン・アメリカ=スティーブ・ロジャースのイデオロギー闘争となります。

もう一つはテロ事件を巡るサスペンスです。国連会議場が爆破され、現場では爆弾を積んだバンに乗ったウィンター・ソルジャー=バッキー・バーンズが目撃されます。果たして犯人はバッキーなのか?それとも誰かの陰謀か?この事件をめぐり、バッキー逮捕に乗り出すトニーと、バッキーの無実を信じて匿いながらも独自調査をするスティーブの衝突が描かれます。

前者のテーマはもちろんスーパーヒーローもの特有の倫理観を取り上げたものですが、後者のサスペンス要素は独立した映画としても十分に通用する素晴らしいものです。前作の「キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー」も陰謀サスペンスでしたが、本作はさらにクライムサスペンスとして十分な完成度を持っています。やっぱりルッソ兄弟は凄いです。本当にマーベルは良い監督を見つけてくるのが上手です。

テーマ1:ヒーロー問題について

まずは一つ目のテーマであるヒーローの倫理観問題についてです。これは過去作のキャラクター性・ストーリーを踏まえた素晴らしいものになっています。

スティーブは、一作目「キャプテン・アメリカ/ザ・ファースト・アベンジャー」において、ヒョロヒョロなモヤシ男ながら、国/みんなの役に立ちたい一心で米軍志願兵となります。そして超人化計画を経てキャプテン・アメリカになっての初陣は、ヒドラ軍に捕らえられたバッキーを助けるために、上官の反対を押し切って勝手に単独で敵地潜入を行うというものです。両方とも「誰かに命じられたから」ではなくて、自らの意思で進んで行ったわけです。だからこそ、バッキーから「キャプテン・アメリカの部下はごめんだけど、モヤシのスティーブのためなら一緒に戦う」と言われるわけです。
二作目の「ウィンター・ソルジャー」ではスティーブは自分の信念に従って政府を敵に回して戦います。そして遂にS.H.I.E.L.D.内に潜伏したネオヒドラの存在を突き止め、ヒドラの殲滅に動くわけです。
基本的にスティーブ・ロジャースは己の正義感と信念に従って行動する人間であり、その意味では紛れもなくアベンジャーズの精神的支柱であり、まさしくキャプテンなんです。本作での劇中でも、民間人に犠牲が出たというニュースをみて落ち込むスカーレット・ウィッチ=ワンダ・マキシモフに「犠牲者を気にしすぎて止まってはいけない。」と諭します。確かにラムロウに生物兵器が渡って大量殺人が起きるよりは遥かに被害が少なかったのは間違いないですから。

では一方のトニー・スタークはと言うと、彼は非常に自己中心的で我が道を行く人間です。もっとも、自己中心的と言っても誤解されやすいだけの照れ屋さんで、根はただの技術オタクなんですけどもね(笑)。彼は「アイアンマン」「アイアンマン2」「アイアンマン3」「アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン」と、毎度毎度アイアンマン・スーツを敵に取られたり技術を悪用されたりしてピンチに陥ります。頑張り屋さんなんですが、結構裏目にでるんですね(笑)。彼は徹頭徹尾自分の意思でやりたい放題やってきたんですが、それの積み重ねにより遂に本作では自分のうかつさに懲りているんです。だから冒頭、「アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン」のソコヴィア最終決戦で犠牲になったという学生の親から糾弾を受け、ショックを受けてしまうんです。すくなくともウルトロン計画についてはほとんどトニーの責任ですから。明確に「おまえが将来のある若者を殺したんだ」と言われてしまって、しかもインテルに就職が決まってる技術屋だったと知って、完全に自分に重ねちゃったわけです。

これがスティーブとトニーのイデオロギー闘争に発展します。スティーブはいままでも己の意思/正義に従ってきましたし、それを変えるつもりはまったくありません。むしろ「己の正義」以外の第3者の政治にアベンジャーズの力を利用されることを懸念します。この辺は第1作「ザ・ファースト・アベンジャー」においてハイドラ(=ナチス)の全体主義と真っ向勝負をしたからこその教訓なわけです。トニーはその真逆で、失敗続きの自分のことがもう信用出来なくなっています。そして誰かに管理されたいと望むわけです。そうすれば責任も分散されますしね。これは言ってみれば自営業者とサラリーマンの違いみたいなもんです(笑)。

このイデオロギー闘争は、当然決着するわけがありません。これは普遍的なテーマであり、現実世界だってどちらかに統一されるなんてありえないですから。
このスタンスの違いにより、本作でアベンジャーズが2つに分裂してしまいます。

テーマ2:ウィーン国連会議場テロ事件のサスペンス要素

そしてこのヒーロー問題を振り掛けるベースとなるのが、第一ターニングポイントでおきる国連会議場のテロ事件です。現場で取られた写真にはウィンター・ソルジャー=バッキー・バーンズがバッチリ写っており普通に考えれば犯人なのは間違いありません。しかし、スティーブは己の信念にしたがってバッキーの無実を信じ、解明に乗り出します。
本作でもっとも大事な事件は、第一幕に来るスティーブの永遠の恋人・ペギーの死です。スティーブはもともと第2次世界大戦の時の人であり、北極で氷漬けになって70年の時を超えました。スティーブを「キャプテン・アメリカ」ではなく「モヤシのスティーブ」として知っているのは、おばぁちゃんになったペギーと、スティーブと同じく冷凍睡眠されて若い状態でいるバッキーだけです。スティーブにとって「モヤシのスティーブ」こそが自分の原点であり真の姿なわけで、それを知っているこの2人はとても特別な存在です。本作の冒頭でペギーが亡くなったことにより、バッキーは名実ともに「唯一無二の親友」となったわけです。それは「キャプテン・アメリカ」として親交のあるトニーやブラック・ウィドウ=ナターシャ・ロマノフよりも遥かに大切です。だからこそ、彼はリスクをとってでも、バッキーを信じることを選ぶんです。

一方、本作において、トニー・スタークのコンプレックスも描かれます。トニーは技術者としても人間としても偉大な父親に猛烈なコンプレックスを抱いており、同時にまともに会話をすることなく父を亡くしてしまったことに深い後悔を持っています。そして、若かりし父と交流のあったスティーブに対して嫉妬に近い感情を持っています。スティーブのトレードマークである「ヴィブラニウムの丸盾」はまさしく父・ハワード・スタークの創造物であり、それはつまり自分には残されなかった父の形見なんです。そして父と同じようにスティーブと親交をもち、父と同じようにスティーブの真面目さを信頼してもいます。だからこそ、再三再四、トニーはスティーブに協力を依頼します。

このサスペンスパートについては要素を抽出すると、とてもわかり易くなります。
「テロ事件が起きて、警察官である主人公の親友が犯人と疑われる。主人公は警察仲間の必死の説得を無視し、親友を匿って真犯人の独自捜査を開始する。一方、警察仲間は彼なりに独自捜査をすすめ、そして遂に真犯人が別にいることを突き止める。しかし、真犯人の目的は、この3名をある場所へおびき出し、破滅させるためだった、、、」。これですね、いわゆる悪魔型サスペンスのオーソドックスなスタイルなんです。倫理観の暴露を目的とした犯人が、複数の罠を仕掛けてキーマンを集め、最終的に破滅を呼びこむというやつです。
監督のルッソ兄弟もインタビューで元ネタを言っちゃってますが、これモロにデヴィッド・フィンチャー監督の「セブン(1995)」なんです。

本作は、物凄く高いレベルで「キャラものエンターテイメント」と「犯罪サスペンス」を融合させています。これはとてつもない構成力です。ルッソ兄弟は凄すぎます。

もちろんヒーローアクションとしてもバッチり面白いよ!

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そんななか、本作ではヒーローアクションもきっちり見せてくれます。まずは冒頭のラゴスでの対ラムロウ戦。チームアクションとしてきっちり連携を取りながら、スティーブ、ワンダ、ナターシャ、ファルコン=サム・ウィルソンが大活躍します。全員に見せ場が用意されており、特にファルコンの子機=レッドウィングの存在とスカーレット・ウィッチの念力が描かれます。このパートは本当に最高です!個人的にはナターシャのルチャ・リブレっぽい戦い方が大好きで、そこだけで100点満点つけたいくらいです(笑)。
さらには目玉の一つとなっている中盤の空港での6vs6のチームバトルですね。どう考えてもヴィジョンとスカーレット・ウィッチが強すぎるのでどうするのかと思いきや、ここでも見事にみんなに見せ場を用意してくれました。特にですね、ここはアントマンとスパイダーマンが大活躍するのが堪りません。途中ウルトラマンのパロディを入れたり、スパイダーマンをちゃんと軽口を飛ばしながら若者っぽい無鉄砲さで暴れさせたり、笑いを随所にいれながらの素晴らしい配分です。予告でも話題になったウォーマシンの例のシーンはどう考えてもおかしいんですが(笑)、勢いで全然気になりません、どんまいどんまい。ファルコンに直撃してたら消し飛んでたようにしか見えず、明確な殺意が見えるんですがドンマイドンマイ(笑)。

あとですね、途中のカースタントでのブラックパンサー=ティ・チャラはめちゃくちゃかっこいいです。今回のブラックパンサーの戦い方って、爪や蹴りを多用しながら回転しつづけるというカポエイラ系の動きなんですね。これ本当にいい動きをしてます。本作のキーマンの割にはいまいちティ・チャラがお話し上の存在感がないんですが、単独作品がいまからとても楽しみです。

基本的にキャプテン・アメリカって身体能力が超強いだけですし、アイアンマンだって中年のおっさんが手からビームが出る鎧を着てるだけですから、この二人の戦いって地味になりがちです(笑)。でも脇をこれだけ多種多様なメンバーが囲んでくれて、さらにはストーリー上も強烈に盛り上がる場面でタイマン(正確には最初2vs1ですが^^;)が始まるわけで、これは盛り上がらないわけがありません。

正直、このクオリティでバットマンvsスーパーマンを見たかったな~とちょっと遠い目になります、、、、。

【まとめ】

本作はですね、サスペンスとして一級品、ヒーロー・アクションとしても一級品、熱血ものとしても一級品、そしてシャロン・カーターもスカーレット・ウィッチもブラック・ウィドウもみ~んなエロ格好いい。つまり文句がありません!
そりゃね、ラスボスがたかが個人のくせに有能すぎるし行き当たりばったりだろとか、なんでシベリアの基地にビデオが残ってると確信してるんだとか、そもそも最重要テロ犯の精神鑑定医が小細工なしに入れ替わりってセキュリティがザルすぎるだろとか、突っ込みどころは結構あります。でもですね、いいところがありすぎてあんまりノイズになりません。このままのクオリティで、ルッソ兄弟にはぜひ「アベンジャーズ:インフィニティー・ウォー」に突っ込んでいただきたいものです!
ということで、GWはぜひこの一本!超おすすめです!

※もしアベンジャーズシリーズをひとつも見たことがないという方がいたら、最低でも「アイアンマン1」「キャプテン・アメリカ1~2」「アベンジャーズ1~2」は見てからのほうが良いです。最低限この5本で、トニーとスティーブのイデオロギー闘争の背景がわかります。

【おまけ】

最後の「スタークが知らなかった過去」の件でスティーブやナターシャはなんで知ってたんだという話ですが、これ「キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー」の中盤、スティーブとナターシャがハイドラの秘密基地を発見してドクターゾラ(のAI)を起動するシークエンスで、ドクターゾラが喋ってます。いかにS.H.I.E.L.D内にハイドラが入りこんだのかっていう説明を喜々として語る自慢話のパートです。当時はシレっと流されてましたが、こんなところも伏線だったんですね。

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記事の評価
アイアムアヒーロー

アイアムアヒーロー

本日は

「アイアムアヒーロー」をレイトで見ました。

評価:(86/100点) – 亡きシアターNへ捧ぐ


【あらすじ】

ヒデオは漫画アシスタントである。15年前に新人賞をとって華々しく業界入りしたものの、いまやそれも過去の栄光。ヒモ同然の生活を送っている。
ある日、同棲中の彼女と喧嘩したヒデオが仲直りをしようと家へ戻ると、そこには変わり果てた彼女の姿があった、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> ヒデオの鬱屈とした日常
 ※第1ターニングポイント -> パンデミックが起きる
第2幕 -> 富士山への旅とアウトレットモール
 ※第2ターニングポイント -> ヒデオがロッカーから飛び出す
第3幕 -> ゾンビvsヒデオ


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【感想】

公開からちょっと経ってしまいましたが、本日はアイアムアヒーローを見てきました。私は漫画を完全に未見でして、前知識も「ゾンビ映画である」ことしか知りませんでした。ただ結構評判がいいというのは聞いてましたので、結構ハードルは上がっていました。そんな中で実際見てみまして、、、これね、凄い良いです。めちゃくちゃ良く出来てます。「100%完璧!手放しで大絶賛!」とまではいかないんですが、でも見終わっての率直な気持ちは、日本だって「ゾンビランド」に近いレベルの作品が作れるんじゃん!という素直な喜びです。
今日はですね、もうさんざん言われてるのかもしれませんが、このアイアムアヒーローをガッツリ褒めます。いや本当に良かった!

ここで一応のお約束です。本作はアクション・スプラッター・ホラー映画です。決してお上品な作品ではないですし、予告を見ればある程度の話はわかってしまいます。今回も褒めるにあたり物語の最後の方まで書きますので、未見の方はご注意ください。

これは素晴らしき「終末負け犬映画」である!

本作は、「第9地区」や「ワールズ・エンド 酔っぱらいが世界を救う!」、それこそ直接的には「ショーン・オブ・ザ・デッド」「ゾンビランド」と同じ、「終末負け犬映画」です。
「終末負け犬映画」とは、冴えなかったりなにか致命的な欠点(※アル中とか)のあるダメ人間の主人公が、終末を迎えて完全実力主義のサバイバル世界になることで、その才能を活かしてダメ人間からスーパーヒーローに成り上がるというフォーマットです。つまり、これこそ世間に対して若干負い目のある我々(と断言しますがw)非リア充の妄想であり、「未知との遭遇」のように「いつか宇宙人がこないかな~」とか思ってることそのままの具現化なわけです。
さて、本作の主人公「ヒデオ」は完全無欠の負け犬キャラです。漫画家アシスタントで事実上のヒモ状態。過去の栄光にすがりお先真っ暗な上に彼女ともルーズな関係。趣味はクレー射撃。人はいいがしょっちゅう現実逃避をしている。こんな状況の中で、ある日急にゾンビ病のパンデミックが起こるわけです。こうなればヒデオの「クレー射撃」の趣味は最強の武器になります。ところが人がいいヒデオは悪人はおろかゾンビでさえも撃てない(笑)。うじうじうじうじ悩み続けるヒデオが遂に勇気を振り絞るきっかけとなるのは、自分の危機ではなく自分を救ってくれた女子高生・ヒロミのピンチなわけです。やっぱね、漢なら妄想の中で一度や二度は可愛い女の子を助けたことがあるわけですよ(笑)。それを恥ずかしげもなくきっちりと、最高に熱血な展開でスクリーンで見せてくれるわけです。これはもう大喝采を送るしかないです。

しかもですね、最後のシーンで長澤まさみ扮するヤブとヒデオがゾンビの返り血を顔に浴びまくっているのをゆっくり見せる描写まで入れてきます。これはつまり二人がゾンビに感染してしまう可能性を示唆しているわけで、決してハッピーエンドではないんですね。ゾンビはまだまだいっぱいいて、安全という富士山頂も本当に安全かなんてわからない。しかも自分たちはゾンビに罹った可能性すらある。それでもヒーローなんだから女子供は守るんだっていう完全なるルサンチマンでありマッチョイズムであり、でもそれって絶対に漢ならだれでも持ってるヒーロー幻想です。単純に「覚醒したから無敵」という甘えたところに落とすわけではなく、あくまでも負け犬のルサンチマンに帰ってくるこのラストこそ、本作を良作にしている決定打です。
田嶋陽子あたりに見せたら口から泡吹いて卒倒しそうですが(笑)。

ちゃんとゴア描写にも意味がある

本作がさらに素晴らしいのは、きちんと物語のテンションに合わせてゴア描写がエスカレートしていくところです。最初はまったく大したことが無いですし危ない所ではカメラが外れるのですが、だんだんと直接的にゾンビを殺すところが映るようになっていき、最終的にはクライマックスでヒデオのゾンビ大虐殺をきっちり見せます。こういう映画のゴア描写って結構サービスショットな側面が強く、ただグロいだけで緩急がついてないことが良くあります。典型的なのは「SAW3」とかですね。グロいけどそのグロさにあんまり意味が無いという。本作では、ちゃんと意味があります。ボスとして出てくる高飛び学生のゾンビなんかが典型で、高飛びをするから頭が凹みまくっており、そして頭が凹みまくってるから急所が隠れてなかなか頭の完全破壊ができないという、ちゃんとロジックが通ってます。こういうのってきちんと脚本を練らないといけないので面倒くさいんですよね。でも本作ではきちんとやっていて、とても好感がもてます。

惜しかった所:女性陣の非有効活用

今回、唯一おしいと思ったのが有村架純扮するヒロミの使い方です。ヒロミはいうなれば人間とゾンビのハイブリッドであり共生体なわけですね。それだったら当然、ワンダーウーマンよろしく覚醒して戦闘したり、またはヒロミの血からゾンビの特効薬ができたりとかいろいろ活用できるはずです。でも本作のヒロミは完全にマスコットなんですね。有村架純のちょっと丸っこい整った顔立ちって、すごいお人形さんっぽいんです。菜々緒のバービーっぽい感じじゃなくて、どっちかというと雛人形的な和風な感じ。これがヒロミの独特のマスコット感ととてもマッチしていて凄い魅力的です。「この子のためならヘタレが勇気を振り絞って立ち上がっても不思議じゃないな」という存在感・説得力があります。この立ち振舞は完璧なので、もっと活用して欲しかったです。

一方の長澤まさみはですね、こっちは看護師なので当然有村架純をつかってゾンビ病の究明をするのかな、、、、と思っているとまさかの肉弾アクション担当w 意外性はあっていいんですが、だったらせめてもうちょいサービスしてくれないかな、、、とちょっと拍子抜けな面がありました(笑)

総じてこのメイン級女優の使い方はちょっともったいないです。

【まとめ】

本作は、本当によく出来たジャンルムービーです。嬉しいのは、こういう作品がTOHOシネマやイオンシネマなんかの大手シネコンで掛かっているっていうこの状況なんですね。昔だったらこの手の映画は銀座シネパトスかシアターNでレイトショー限定が当たり前でした。それがほぼ全国どこでも見られるというのはとても素晴らしいことです。これはもう駆けつけるしかありません。CGバリバリとはいえグロいっちゃあグロいですから、そこだけは注意してください。あと、デートやファミリーは辞めたほうがいいです(笑)。私はGW終わりぐらいにもう一回見に行こうとおもいます。今度はポップコーンと生ビールを抱えて(笑)。とてもいいお祭り映画でした。

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記事の評価
ズートピア

ズートピア

本日はレイトショーでディズニーアニメ最新作の

「ズートピア」を見ました。

評価:(79/100点) – 「普通に面白い」という贅沢さと物足りなさ


【あらすじ】

動物たちが理性をもって生活する世界。うさぎのジュディは「うさぎ界初の警察官」の夢を叶え、大都市「ズートピア」へとやってきた。ズートピアでは最近失踪事件が多発しており警察署内は大騒ぎになっていたが、しかしジュディが配置されたのは駐禁係。なかなか警察らしい仕事をさせてもらえない不満から、ジュディはついうっかり失踪者の一人=カワウソのオッタートンの捜索を勝手に買って出てしまう。タイムリミットは48時間。それをすぎると、ジュディは事実上解雇されてしまう。はたしてジュディは無事事件を解決することができるのか、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> ジュディの上京とニックとの出会い
 ※第1ターニングポイント -> オッタートンの捜索を買って出る
第2幕 -> オッタートンの足取り調査と発見
 ※第2ターニングポイント -> ジュディが田舎へ帰る
第3幕 -> 事件の解決と真相。


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【感想】

さてさて、今週2本めの新作映画は、ディズニー最新作「ズートピア」です。ディズニーアニメのお家芸といえば白雪姫/眠れる森の美女から脈々とつながる「かわいらしくデフォルメされた動物」です。本作・ズートピアは人間の登場人物が一人もおらず、この「かわいらしくデフォルメされた動物」が所狭しと登場します。
見る前から本作が某Rotten Tomatoで98% Freshを記録したというニュースは見ていましたから、さてこれはどれだけ傑作なのかと結構ハードルが上がっていました。
そして実際に見てみて、、、というところですが、これはRottenの仕組み上仕方ないといいますか、、、「大傑作!」というよりは「これは皆がそれなりに満足して帰る内容だな」という感想です。100点満点中の100点というよりは、「良いか悪いかで二択にしたとき”良い”が限りなく100%になる」という類の作品です。

本作は王道どまんなかのバディ・ムービー/ファミリー映画です。ですから極力ネタバレはしないようにいたしますが、少々感づいてしまう恐れもあるため、映画未見の方はできるだけご注意ください。

果たして優等生は魅力的なのか?

まずざっくりと語るならば、本作は大変良く出来たバディ・ムービーです。女性(メス)でか弱く体格的にも小さいが頭脳と工夫で乗り越えるウサギのジュディと、ひねくれ者だけど優しくて頭がキレるキツネのニックのデコボコ・コンビが手がかりを追って事件を解決していく、、、という教科書にでてくるような非常に理想的・類型的なフォーマットです。

そうなんです。先に書いちゃいますと、私の不満点はまさにここ。この一点だけです。「教科書にでてくるような非常に類型的な」よくできた映画。なんというか、毒にも薬にもならない「普通の良い映画」なんです。これは物凄い贅沢な話でして、「飽食の時代ここに極まれり」ってことなんですが(笑)、なんかこう「これっ」っていうチャームポイントがあんまないんですよね。「どうしてもズートピアがまた見たい!」ってなるような魅力的なポイントが、ですね。

全体を通じて凄く良く出来ていて、文句の付け所はほとんどないです。お話的には伏線はちゃんと回収されますし、きちんと「他者を属性で判断するな!」「善人は必ず報われる」という道徳的なテーマになっています。キツネのニックは全然言うほどひねくれても無ければ悪人でもないですし、悪役だってひねくれるだけのきちんとした事情があります。そして、ジュディの性別や体格が原因で捜査が行き詰まるようなこともないです。凄く優しい世界の中で物事が進んでいきます。テーマ自体は人種差別というか「マイノリティvsマジョリティ」という重い民族問題を扱っているわけですが、しかしテイストはどこまでも軽く、そしてとても誠実です。そういった意味で、本作は間違いなく良質なファミリームービーです。

なので、本作を減点式にした場合、まず間違いなくそんな貶す人はいないと思います。大幅にマイナスなポイントって本当にないですから。
一方でこれを逆側から、つまり「良かった所集めの加点式」にするとですね、、、これどうなんでしょうか? 少なくとも私個人的には「70~80点ぐらいかな」というぐらいの温度感なんです。それでも十分に高いですよ。

変な言い方ですが、例えば「ナルニア国物語 第1章(2005)」と「ハリー・ポッターと賢者の石(2001)」のどっちが好き?って聞かれたとしましょう。個人的には、「ナルニア~」のほうが間違いなく映画として出来がいいと思いますが、もう一回みるなら「ハリー・ポッター~」なんですね。それはやっぱりあの3人の仲間うちのワイワイをもっと見たいからです。本作は「ナルニア~」と同じで、なんというか優等生すぎて癖がなさすぎるというか、それこそ何年経っても印象に残るようなシーンがあんまり無くてですね、、、「出来はいいけど、そんないうほど好きでもない」ってところです^^;あくまでも贅沢な無いものねだりです。

とはいえよく出来てるよ!

いきなり「そんな好きじゃない」とか書いといてなんですが(笑)、本作は凄いよく出来てます。これだけは再三再四書いても書きたりません。よく出来てます。劇中のズートピアには、エリアが何個もあって、エリアごとに「ジャングルっぽい」とか「南極っぽい」とか特徴があります。これって要はほとんどディズニーランドなんですね。ディズニーランドにおける「クリッターカントリー」「ファンタジーランド」「トゥモローランド」みたいなテーマエリアがあって。もっというと、ジオラマ的な「遊園地」です。ですから、この世界観の時点で、これはもう箱庭ファンタジーなんだというのをハッキリ表明しているわけです。

そしてこの「遊園地」を舞台に、かわいい動物たちが暴れまわり、しかもいろいろなパロディやギャグをかましてきます。実写だったら間違いなく腹が立つレベルの寒いギャグも、かわいいネズミキャラがやれば途端にキュートになります。そういった意味では、「動物が楽しく住んでいる楽園」っていう設定だけでもう勝ったも同然な作品です(笑)。

事件の解決はサラっとスマートに

本作は「ゾディアック(2007)」のような大真面目なサスペンスではなく、あくまでもコミカルアニメですから、事件はあっさりと解決します。とくに悩むこともなく、ジュデイとニックはほぼ最短距離で事件解決に向かっていくんです。
この作品の一番うまいところはまさにこの「コミカルアニメだからそこはそんな本気でやることないでしょ?」という言い訳を使ってくる部分です。そもそも動物がしゃべって二足歩行する世界なので、細かい部分は別に雑でもいいんです。
これのおかげで話の粗が目立たないというのは間違いないです。ニンジン型レコーダーの耐久性はどうなってんだとか、トイレの下水管が太すぎるだろとか、誰がこんな凄いズートピアを作ったんだとか、そういう所ですね。動物がしゃべって二足方向する世界なんだから、レコーダーの電池とか下水管の太さとかどうでもいいわけです(笑)。とても上手いです。

【まとめ】

表現が難しいんですが、「アニメの持ってる嘘やアラを隠してくれる懐の深さ」を最大限活用した良作だなと思いました。本作を実写でやったらかなりのトンデモ映画になるはずです。逆に言えば、アニメだからこそ出来ることをちゃんとやっているわけで、そりゃあ支持率が高いのは当たり前のことです。テーマが重くて子供向けじゃないんじゃないかという話もありますが、私はこれは大人も楽しめるバリバリの子供向けだと思います。
GW中の時間潰しやデートなら、ちょうどいい湯加減ではないでしょうか。

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レヴェナント:蘇えりし者

レヴェナント:蘇えりし者

本日はアカデミー賞3部門制覇の

「レヴェナント:蘇えりし者」を見てきました。

評価:(78/100点) – 世界一暗いアイドルムービー


【あらすじ】

西部開拓時代、ミズーリ川の上流で毛皮狩りをしていた一行は、インディアン・アリカラ族に襲撃され、命からがらベースキャンプへと撤退するはめになってしまう。しかしその撤退の途中、一行の道案内をしていたグラスが熊に襲われてしまう。なんとか熊を殺したものの、彼は瀕死の重傷を追ってしまう。グラスが足手まといと判断した隊長のヘンリーは、グラスの息子のホーク、一行で最年少のブリッジャー、そして罠師のフィッツジェラルドの三人を見届人としてグラスの最期を看取るよう託し、一行を引き連れて先にベースキャンプへ向かってしまう。一行に早く追いつきたいフィッツジェラルドは、グラスに止めをさそうとする、、、

【三幕構成】

第1幕 -> アリカラ族の襲撃とベースキャンプへの敗走
 ※第1ターニングポイント -> グラスが熊に襲われる
第2幕 -> グラスが必死にベースキャンプへと戻る
 ※第2ターニングポイント -> グラスがベースキャンプへと帰還する
第3幕 -> グラスの復讐


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【感想】

それでは久々の完全新作映画、本日は公開ホヤホヤの「レヴェナント:蘇りし者」です。
レオナルド・ディカプリオのアカデミー賞主演男優賞初受賞がなにかと話題になりがちですが、撮影賞と監督賞もきっちりとっています。年明け早々ぐらいから劇場予告が流れていましたから、それだけは何十回と見ていました。なんとなく、「息子を殺されたディカプリオがトム・ハーディの一味をぶっ殺していくセガール的な復讐アクション劇なのかな?」と思っていたら、開けてびっくり完全な「大自然サバイバルもの」でした(笑。

ここでいつものお約束です。次パートからはガッツリとネタバレを含みます。本作は予告で流れていることが、ほぼ全てです。映画予告では禁じ手である「2幕目以降を見せる」というのも平気でやっており、あまつさえ密かにしれっと3幕目のシーンまで予告に入ってます(笑)。なのでネタバレもあってないようなものなのですが、念のためご注意下さい。

本作のとてもよいところ

本作には「もうこれだけで十分お腹いっぱい」という良い所が3つほどあります。

まずは、序盤というか映画の冒頭です。まるで一人称視点(POV)のようにグネングネン動くカメラの長回しワンショットで、アリカラ族の襲撃が描かれます。ここはもう臨場感満点で本当に怖いです。本気でよこから矢が飛んでこないかな~とかなりドキドキします。ここは100点満点。

そしてその次が今作最大の目玉であるクマちゃん襲撃シーンです。このクマがですね、本当に可愛くて、かつ本当に怖い(笑)。臭いを嗅ぐ仕草とか、ちょっとディカプリオをいじって転がす仕草とか、めちゃくちゃ本物っぽい(っていうかネコっぽい)リアルさがあります。これも満点。

最後にこれは全編を通してですが、やはりこの「スペクタクル感」ですね。これは「スペクタクル映画」の代名詞であるリドリー・スコットとはまた別の意味で、ものすごい威圧感のある「大自然」をきっちりと撮れています。見渡すかぎりの雪山と終わりの見えないミズーリ川。そしていつどこから襲われるかもよくわからないような木々。このスケールは本当にすばらしいです。おそらくこの映画を見て、これがアカデミー賞撮影賞を取ったことに疑問を持つ人は一人もいないのではないでしょうか?この画作りだけで、この映画のスペクタクル感は満点です。もうね、この景色を見るだけにでも映画館の大画面を使う価値があります。小学校の卒業旅行で釧路湿原を見たときの神々しさを、何故か突然思い出しました(笑)。

それで肝心のストーリーなんですがね、、、、

画作りが完璧となれば、当然次はストーリーテリングに行くわけです。でですね、これがですね、なんというかですね、、、、、、、、ひどい(笑)。

本作のテーマ「信仰心の回復」について。

プロット自体は大変シンプルで、瀕死のグラスことディカプリオが呻きながらひたすらベースキャンプを目指すという話が2時間ぐらい続くわけです。はっきりとはわかりませんが、劇中時間で1ヶ月弱ってところでしょうか? グラスは驚異的な回復力を発揮しながら、ひたすらベースキャンプを目指します。いろいろご都合主義的な展開が重なりまして、ついにベースキャンプの捜索隊が彼を見つけて2幕目が終わるわけです。

いまシレっとご都合主義と書きましたが、もちろんイニャリトゥ監督のことですから単純なご都合主義なんて、いけしゃあしゃあとはできません。劇中でこのご都合主義がなぜなのか、きちんと説明してくれます。それでもって肝心の理由ってのがですね、、、「神の祝福を受けていたから」。



そこかっていう、、、、ね(笑)。

本作では、史実というか伝説に基づいたグラスの奇跡の帰還にプラスして、明確に「信仰心」という根拠が示されます。グラスは瀕死の中で幾度と無く、亡き妻の幻と邂逅します。そして彼女の幻は、息子の復讐を求めず、ただグラスが生きる残ることのみに集中させようとちょっとしたサバイバル・トリビアを披露してくれます(笑)。しかしグラスは息子の敵討ちを生きがいとして、信仰心を抑えてあくまでも「人間の力」でサバイブしていくわけです。この悲しいスレ違いがず~っと続きます。しかし、ガーディアン・エンジェルとなった妻のおかげで、グラスは神様から祝福を受け続けます。そして最後の最後で、彼は復讐よりも信仰を選びます。それによって「超ご都合主義」ともとれる奇跡的な巡り合わせを引き寄せ、彼はアリカラ族の敵ではなくなります。そして、ラストシーンで彼は祝福を受け、幻の妻の姿を見るわけです。

このグラスの対比というほどではないのですが、劇中ではあと2名、「信仰」によって運命が変わる者がいます。一人はブリッジャー。ブリッジャーは逮捕される直前に神に許しの祈りを捧げ、そしてその祈りがとどきます。結果としてグラスの証言により無罪(減刑かも?)となります。

もう一人はフィッツジェラルドです。彼は自分勝手な糞野郎ですが、一方で彼の行動は非常に現実的かつ合理的です。信仰が非合理・非利益重視な行動であるとするなら、彼はまさにその対局の現実主義者かつ合理主義者なんです。彼は最終盤、グラスに対して復讐の無意味さを説きます。「復讐したからって息子は生き返らない。」「なんの意味があるのか? 」「命のリスクを犯すだけ無駄である」と。これは明らかに人情ではなく合理主義からくるセリフです。そしてこれによって、図らずもグラスは復讐の無意味さに気づいて信仰を取り戻すわけです。そして信仰を持たないフィッツジェラルドは、アリカラ族と偶然居合わせるという「天罰」に遭遇するわけです。彼は物語の中盤でリスの寓話をもちだして信仰の無意味さと馬鹿らしさを語りますが、結果として「信仰不足」によって地獄に落ちるのです(笑)。

大自然、神への信仰、とくれば「おまえテレンス・マリックか!?」とツッコミが入るわけで(笑)、これは例のごとく宗教の勧誘ではないかという、、、、ね。

ちなみにですが、本作の中でグラスは、ネイティブ・アメリカンと結婚した欧米人という扱いのため、一口に「宗教」といっても自然信仰とキリスト教が混ざってしまいます。この作品では、「欧米人にやられたバッファローの頭蓋骨の山」「荒廃した基督教会」が何度も登場しますので、おそらく土着の自然信仰の話かと思います。自然信仰ならば、当然雪山とか川にいる妖精さん(=この場合スピリッツでしょうか。タバコの銘柄じゃないですよ^^;)への信仰ですから、極寒サバイバルにはご利益がありそうです。

純粋なサバイバルものとしては結構頑張ってるよ!

とまぁここまで全体的なことを書いてきたわけですが、さて細部に目を向けてみると、、、これ結構よく出来ています。たとえば喉の傷を焼いて塞ぐのに火薬を喉にちょっとつけて自爆したり、たとえば背中が壊死して膿んできたのを枯れ草をつかって乾かしたり、ほかにも人工サウナで一気に全身消毒したりとかですね、「サバイバルあるある」としてのネタはふんだんに取り入れられています。極めつけは、馬の例のアレですね。マーユ(馬の油)って火傷や切り傷なんかの皮膚外傷にめちゃめちゃ効果的な「天然の軟膏」なんですね。しかも一番よく取れるのは馬の腹部です(笑)。ですから、「一晩中馬のぬくもりを全身に感じると一気に回復する」っていうあのシーンはよく出来てます(笑)。
細かいディティールは本当に凄いんです。ここまでイヤ~なリアリティを描いたサバイバルものってあんまり記憶にありません。個人的には、見ている間中「THE GREY 凍える太陽(2012)」を思い出してました。

ただですね、やっぱ長いんですわ、この映画(笑)。なんせ3時間近くあるわけで、しかもそのうち2時間くらいがディカプリオが逃げてるか呻いてるんです。たしかに「観客に、グラスのいつ終わるともしれないサバイバルの苦痛と閉塞感を擬似体験させるため」という理由はあるんですが、やっぱ圧倒的な大自然映像を2時間以上見せ続けられるってのはきついです。絵的には代わり映えしないですからね。そうすると、体感時間はどんどん伸びてっちゃうわけです。

難しいところなんですが、この映画ってたぶん「エンタメ映画」を目指してないと思うんですよね。映画って企画時点で結構明確に「賞レース用」「お金儲け用」って分けるんですが、これは明らかに前者のアート寄りな映画です。なので「ちょっと退屈」ぐらいの温度感を意図的に狙ってるような気がします(笑)。

【まとめ】

いいシーンもいっぱいあったんですが、でもやっぱり「長くて代わり映えしないな~」というのが強く出てしまいました。2回目を見たいかって言われるとあんま、、、。正直なところ、これが「監督賞」を取ったというのはあんまりしっくりきません。あえていうなら「よくディカプリオをここまで追い込んだ。ナイス演出!」ってところぐらいなので、実質的に監督賞のトロフィーもディカプリオにあげていい気がします(笑)。

これですね、大変下世話にいってしまえば「ディカプリオがこんなに頑張ってる!」というアイドル映画ど真ん中の「アイドル応援ムービー」なんですよね(笑)。でもアイドル映画としてはちょっと記憶にないくらい「暗い」し「傷だらけ」です(笑)。そういう意味では、大金をかけて強烈にスペクタクル度をあげた「私の優しくない先輩」だと思って見に行っていただけるといいと思います。
”イケメンアイドル・レオ様”からの脱却をテーマにして頑張ってきたディカプリオが、初めてアカデミー主演男優賞を獲ったのがアイドル映画だった」っていうのはなんかトンチが効いてていいですね(笑)。要チェック作品なのは間違いありません。ぜひぜひ劇場で御覧ください。

【おまけ】小ネタについて

■ ネタ1:砦のバーでの隊長とフィッツジェラルドの会話

物語の終盤で、ヘンリー隊長がフィッツジェラルドに「300ドルは必要経費(=おまえが余分な物資を買ったこと)になってる」と告げるシーンが有ります。直後フィッツジェラルドが外に出て立ち小便をしようとするもヨレヨレフラフラで、、、というシーン。ここがわかりづらいようなので私なりの解釈を。
そもそもこのご一行はクマとか鹿なんかの毛皮を半年~一年とかのスパンで採るための狩り集団です。会計上、300ドル(=当時としては田舎に農場が買えるくらい大金)を無理やり捻出しようとすると、「消耗品をいっぱい買った/使った」とするしかないわけです。隊長は上記のセリフでこの消耗品ってのを「フィッツジェラルドが罠の材料をいっぱい買った」としました。公式記録上は、ですね。
そうするとですね、実はこれは「フィッツジェラルドの罠師としてのキャリアがほぼ終了した」っていう死刑宣告なんですね。だってそんな大金を無駄な罠に使いまくるってことは、罠師としては無能極まりないですから。そんな人はだれも雇いません。しかも隊長はあくまでも隊長ですから、オーナー(=スポンサー/隊長の雇い主)が別にいるわけで、そちらから無駄に使った分の損害賠償/補填を求められる可能性もあるわけです。
これを受けてフィッツジェラルドは、完全に自分がこの一行にもういられないことを悟って、しこたまお酒を飲んで泥酔するわけです。立ちションもできないくらい。これが直接的に逃亡に繋がるんですね。つまり、フィッツジェラルドは完全に追い込まれており、逃亡は成り行き上仕方ないんです。

■ ネタ2:フィッツジェラルドのヘンリー隊長頭皮剥について

上記の会話にプラスしてグラスが生き残っていたことがわかった時点(水筒を見た時点)で、フィッツジェラルドは逃亡します。逃亡中にフィッツジェラルドがヘンリー隊長の死体の頭皮をハンニバル・レクター並に剥いでる点について「フィッツジェラルドが野蛮である」という指摘がありましたので補足をします。
このシチュエーション時には、フィッツジェラルドは追っ手が何人いるか分かっていません。当然自分の痕跡は消したいです。銃声までしちゃってるので、別の追手がいたら駆けつけるのは間違いないですから。なので、彼はアリカラ族の仕業に見せるために頭皮を剥ぐわけです。幸い、アリカラ族はフランス人から鉄砲を買ってますから、頭さえ剥いじゃえばそんなに不審な点もありません。

これが本映画のラストシーンにつながります。

■ ネタ3:フィッツジェラルドの死が切腹である点

これは大変細かいネタなのですが、フィッツジェラルドの死は「切腹」を連想させるようになってます。本作の映画音楽では、担当する坂本龍一のオリジナル・スコア以外に、同じく坂本自身が担当した「一命(※三池崇史&海老蔵のやつです)」のメインテーマがそのまま流用されています。他の映画からテーマソングをまるまる持ってくるっていうのは、つまりオマージュだったりテーマを借りてきているわけです。タランティーノと一緒(笑)。
本作でどこが一命=Hara-Kiri: Death of a Samurai かというと、これはフィッツジェラルドです。彼は自分で握ったナイフをグラスに掴まれて、腹を刺され、そこから横一文字に切られます。まんま切腹です。そしてその後、アリカラ族に頭皮を剥がれ(=頭をとられ)絶命・介錯されます。
映画上はこれはグラスによる死刑ではなくて、神の手に委ねた結果だと描かれています。絵的にはちょっと無理がありますが(笑)。
それでですね、じゃあ切腹とはなんぞやという話なんですが、外国人からみた場合これは「自分の行為の責任を潔く取ること」なんですね。つまり、フィッツジェラルドを切腹させたということは、「これは他者から悪として成敗されたのではなくて、自ら招いた責任を取らされたんだよ」という表現なわけです。ここでも繰り返し「フィッツジェラルドは悪ではなく、ただの合理主義者である」ということが強調される良いシーンとなっています。分かりにくいですが(笑)。

もっと言ってしまえば、「息子の敵討ちに行く」っていう時点で、まぁ「一命」ですよね(笑)

途中のデルス・ウザーラのパロディとかを見るにつけ、本作は結構な割合で日本映画/サムライムービーを意識してくれています。

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