スペル

スペル

仕事帰り東京国際映画祭に行ってきました。
サム・ライミの最新作「スペル」です。

評価:(100/100点) – ホラーとギャグは紙一重という真理


【あらすじ】

銀行の融資係をするクリスティンは、ある日、小汚いババァのローン延長要請を断る。するとその夜ババァが駐車場で襲ってきた! ババァはクリスティンのボタンをむしり取ると呪いの言葉をかけて去っていく。その日から、クリスティンの周りに不可解な事が起こり始めた。

【三幕構成】

第1幕 -> クリスティンの日常。
 ※第1ターニングポイント -> ババァが呪いをかける。
第2幕 -> 呪いをかけられてから、四苦八苦して解決策を探すまで。
 ※第2ターニングポイント -> 降霊会の終わり。
第3幕 -> 解決編

[スポンサーリンク]

【感想】

はじめに

とにかく面白いです。ホラーが苦手な方には朗報ですが、この映画にいわゆる「グロい演出」はありません。すべてのショック・シーンやホラー演出は、ホラー文法に則った緻密な怖さをきちんと体現しています。しかし、たとえば血が出ると言ってもせいぜい鼻血ぐらいです。肉体破損描写もありません。ですからホラーが苦手な方も安心して(笑)見に行ってください。もちろん怖いというかビクッとする「音で脅かす演出」はあります。東京国際映画祭の先行上映でしたが、ホラー好事家が集まってるのかと思えばそうでもありませんでした。会社帰りの人といかにもな人が7:3ぐらいで、みんな終わった後はゲラゲラ笑いながら「ヤバイ」「キテる」を連呼されてました。まだ劇場公開されていない作品なので、いつもガンガンやってるネタバレは控えめにします。ですが、せっかくなので「ホラーとギャグは紙一重だ」という話、そしてホラー文法の基本について考えてみたいと思います。

ホラーとギャグは紙一重

さて今日の題目にもしましたが、ホラーとギャグは紙一重です。この感覚はホラーをあまり見ない人には分かりづらいかもしれません。そこで一般論に行く前にまずは本作「スペル」についていくつか脇道にそれてみます。

「スペル」って、、、(失笑)

まず「スペル」を見た方はこの映画がホラーだと思うでしょうか? おそらく皆さんがホラーだと言います。それはひとえにお化けが出てくるからです。では「この映画はギャグとして面白かったですか?」と聞くとどうでしょう。やはり皆さんがギャグとして良かったと言うと思います。これが何故かと言うことを考えていくわけですが、まずは原題を見てみてください。この「スペル」の原題は「Drag me to hell」です。直訳すると「私を地獄へ引っぱって」となります。これ要は「Take me out to the BALLGAME(私を野球に連れてって)」と同じ感覚なんです。つまり「地獄」が楽しい所で、「私」は行きたがってるんですね。これを見てアメリカ人は「あ、これギャグだ」と分かるわけです。
今月号の映画秘宝で町山さんがサム・ライミに「Don’t drag me~」にしなかった点を聞いていましたが、まさに普通行きたくない地獄に「Drag me~」と言ってる時点で作品全体のトーンが分かるんです。タイトル一つで作品の趣旨を全部表しているわけですから、すばらしいセンスだと思います。なので、配給元のギャガで「スペル(呪文)」などという恥ずかしいタイトルをつけた担当者は本気で反省してください。センスなさ過ぎ。サム・ライミへの冒涜です。

本題

ここからが本題です。ホラーとギャグは紙一重。これを説明するのにもっとも分かり易いのは「お化け屋敷」の構造です。皆さん、学生時代の文化祭で喫茶店とかやりましたか?たぶん文化祭のポピュラーかつ安易な出し物の一つに「お化け屋敷」があると思います。黒いカーテンで教室を暗くして机やロッカーで迷路を作った上で入ってきたカップルや客を、特にカップルを私怨を混ぜて脅かすわけです(笑)。さてこのお化け屋敷の構造は、真面目に考えるとずいぶんとマヌケじゃないですか?だって普段知ってる奴が、いつ来るかもしれないお客さんを待ってひたすらロッカーの中に入ってたりするんですよ?トイレとか必死に我慢して(笑)。つまりこれがホラーとギャグは紙一重という構造です。お化けは人間を脅かすためにひたすら待ってるんです。その待ってる方にフォーカスすると完全にギャグになるわけです。ドリフターズの定番ネタで消化器を使う幽霊コントがありますが、要はそれです。
「スペル」の中でもクリスティンをババァやお化けが脅かす演出がなされますが、特にババァについてはすべての登場シーンについて「ひたすら待ってる」んです。舞台の袖で(笑)。しかもサム・ライミは明らかにこの構造を熟知していて、いわゆる画面の端に「見切れる」演出を毎度やってきます。つまり、ロッカーの中で客が通りかかるのを待ってる友達が、ロッカーの窓からちょっと見えちゃってるんですね。ドリフの「志村!後ろ!後ろ!」を徹底的にやってるんです。是非これから見る方は、その「見切れ演出」に注目してください。ウォーリーを探せみたいなものです(笑)。
そういえば「ハリー・ポッターと秘密の部屋」で便所に住んでる女の子の幽霊がいましたが、彼女は全然怖く無いじゃないですか。それはどう見ても人間にしか見えないという要因もありますが、それにプラスして無害だからという事があります。彼女は危害を加えませんから。そうすると、幽霊の能力である「ものを透けて通れる」事だったり「飛べる」ことだったりが残って味のあるキャラになるわけです。物を投げても素通りしたり、そもそも物がつかめなかったり、そういう特徴はとてもギャグに生かしやすいものです。
「スペル」の大きな特徴は、クリスティンがお化けを怖がる描写がある一方で、彼女がとてもタフであることが挙げられます。彼女は劇中でそれこそ何度もお化けを腕力で撃退します。ここで「腕力で撃退」=「ツッコミを入れる」という構造が成立し、お化けがお化けらしく前述した特徴をいかした「ギャグ的な存在」として成立できています。ですので見ている間中、それこそ全体の六~七割程度はギャグシーンといっても差し支えありません。実際にスクリーン内で起こっていることはとても笑える状況では無いのですが、それでも笑いが絶えないのは、ホラーとギャグは紙一重という真理を上手く表現しているからです。お化けとクリスティンの夫婦漫才が行われているんです。クリスティンは命がけですけどね。

ホラー文法の基本

ホラー文法の基本はそれこそ無数にありますが、ちょっと長くなりすぎているので一個だけ紹介します。それは「いかに脅かすか」と言うことです。
みなさん、稲川淳二さんをご存じでしょうか?夏になるとテレビ番組に引っ張りだこで、怪談話のカリスマ的存在です。実は彼の話し方は「いかに脅かすか」というホラー文法に非常に忠実です。それは「集中と衝撃」というロジックです。
人間の感覚には閾値があります。閾値とは「これ以上になると~する」という境界線の事です。ホラーでは閾値を超えるとビクっとする訳です。例えば寝るときに部屋の電気を消すとします。最初は暗くて何にも見えないですね。でもしばらく経つと段々と見えるようになってきます。これは目の光に対する閾値が下がっている訳です。閾値が下がるとより少ない光を知覚できるようになりますから暗い中でも見えるわけです。ここで、いきなり電気を付けるとどうなるでしょう。すごく眩しくて目を細めますよね。これが衝撃です。あまりに閾値が低くなってしまったので、普段ならどうって事無い光でもとてつもない衝撃を受けるわけです。これをホラーに応用したのが「集中と衝撃」です。
ホラーでは「暗いシーン」や「静かなシーン」を続けることで、観客の閾値を下げていきます。暗いシーンであれば集中してよく見ないといけません。静かなシーンであれば耳をすまして集中しないと台詞や音が良く聞き取れません。そうすると当然観客は聴覚や視覚の閾値を生理的に下げるわけです。これは観客が意識してやるようなことではありません。人間である以上、勝手にそうなってしまうんです。そこで、いきなり画面いっぱいに怖い顔をだしたり大きな音を鳴らしたりすると「ビクッとする」わけです。これがホラーにおけるショック演出の基本です。「スペル」ではこの基本が随所に使われています。是非集中して見てみてください。

【まとめ】

ここまで色々と書いてきましたが、この映画は間違いなく今年の映画でトップクラスに面白い作品です。それどころか、ある種のマスターピースになる可能性をもった作品です。是非、映画館で歴史を目撃しましょう。ホラーが嫌いな方でも大丈夫です。なにせギャグ映画ですから。文句なくオススメです。

[スポンサーリンク]
記事の評価
バタフライエフェクト3/最後の選択

バタフライエフェクト3/最後の選択

バタフライエフェクト3/最後の選択
評価:(85/100点) – 第一作を踏襲したタイムスリップ・サスペンスの傑作。続編制作のお手本。


■ あらすじ

タイムスリップ能力を持つサム・リードは過去に行って事件現場を目撃することで、警察の捜査に協力していた。ある日彼の元にかつて殺された恋人の妹が訪ねてくる。彼女は犯人として死刑が迫ったロニーが無実であると確信し、真犯人の捜査を依頼してくる。彼は恋人の殺害現場へのタイムスリップを承諾するが、つい過去に介入してしまう。そこから全てが狂い始めた、、、。

■ 三幕構成

第1幕 ->サムの能力・人柄紹介
 ※第1ターニングポイント -> サムがレベッカの殺害現場へタイムスリップする
第2幕 -> 連続殺人事件の捜査
 ※第2ターニングポイント -> ビッキーが殺されサムが逮捕される
第3幕 ->解決編

■ 感想

傑作!!

この作品はバタフライエフェクト・シリーズの三作目ですが、前二作との直接のつながりはありません。実はこのシリーズは、第一作目がSF史に残る大傑作だった反面、二作目がとんでもない駄作でした。何故かというと、第一作目を傑作たらしめた重要な要素が二作目でごっそり削げ落ちてしまったからです。すなわち、「過去を変えたところで状況が改善される訳ではない(むしろ悲惨になる)」「タイムスリップは体への負担が高く寿命が縮まる」という事です。そしてもっとも重要なのは「状況を大きく変えたいのであれば、その状況の根本を変えるしかない」という事です。第一作目では物語設定の根本に立ち返ることで、それまでのストーリーを全てひっくり返し、結果ラブストーリーとして非常に上質な情緒を表現しました。このどんでん返しであり「厳しい現実的な完全解」こそが、バタフライ・エフェクトを名作にのし上げた大きな要因です。
さて、シリーズ三作目の本作はまさにこの第一作目の要素をリファインした作品です。とてつもなく控えめに張り巡らされた伏線とも気づかないほどの伏線は、まさにクライマックスの瞬間に全てが一点に集約されます。その見事さといったら、そんじょそこらのサスペンスには太刀打ちできないほどのレベルです。さらにその集約した一点というのが、前述の第一作目の要素を忠実に再現しているわけです。これは本当に凄いことです。ここからは「物語原型」という概念に焦点を絞って、人気作・傑作の続編について考えてみましょう

物語原型について

物語原型の話をする前に、まずはログラインについておさらいしましょう。「知ってるわ、ボケ~。」というかたは、次のタームまで読み飛ばしてください。
よく小学校の国語のテストで「物語のあらすじを書きなさい」という問題が出ると思います。僕も散々やりました。例として、みんなが知ってる「桃太郎」について考えてみましょう。地域ごとのバリエーションとかは特に気にせずにお願いします。
桃太郎のあらすじを乱暴に書いてみますと、、

ある日、川で洗濯していたおばあさんが川を流れてきた桃を見つけました。それを割ったら男の子がでてきます。男の子は正義感が強く、みんなを苦しめる鬼退治に出かけます。桃太郎と名付けられた男の子は、道中おばあさんにもらった吉備団子で犬・猿・キジを味方に付けて、見事に鬼を退治しました。めでたし、めでたし

こんな感じです。すごい乱暴すぎてバツつけられそうですが(笑)。
これはあくまでも「あらすじ」です。ではこれをログラインに直して見ましょう。ログラインとは「あらすじ」から具体性を徹底して削った「話の根幹」です。

ある所に突如やってきた「よそ者」が、困っている人を助けるために色々な仲間を集めて、ついには悪い奴を退治する話。

はい、こうです。これなら100点(笑)。
ここで、桃太郎のことは一旦忘れて上記のログラインだけを考えてください。さて問題です。上記のログラインを読んであなたが思い出す作品はなんですか?
ロード・オブ・ザ・リング?七人の侍?それともゲームのドラゴンクエスト?
全部正解です。もっと言うと西部劇の八割はこんな感じです(笑)。
すなわち、ある作品や映画を読んだり見たりしてログラインに起こすことで、物語の一番基本的な流れが分かるわけです。そして全然印象の違ういろんな作品が、実は同じログラインを共有していることに気付くはずです。こういったログラインの事を物語原型と言います。

バタフライエフェクトの物語原型

さて本題です。本作のストーリーをログラインとして端的に表すと、「ある特殊能力をもった人間が、嫌な過去を変えるために色々試みるが、挫折し、遂には根本的に世界を変える話」です。

つまり、第一作目と全く同じ物語原型を持っています。決定的に違うのは、第一作目はあくまでもラブストーリーであり、本作はサスペンスであるという点です。すなわち「バタフライ・エフェクト1」と「バタフライ・エフェクト3」は、全く同じ物語原型を共有しながら表面に出てくる肉付けが違う作品ということです

素晴らしい。まさに続編制作の鏡です。単体で見ても楽しめて旧作のファンも喜ぶ、まさに最高の手法です。セス・グロスマン監督Good Job!

■ まとめ

ここまで書いたように、本作は傑作である第一作目の安易な「焼き直し」に留まらない、しかし確実に忠実な作品です。
一作目を見た人も、はじめてシリーズを見る人も間違いなく楽しめる超良作です。惜しむらくは公開館が少ないことですが、是非、見てください。遠出してでも見る価値があります。オススメです!

[スポンサーリンク]
記事の評価