スター・ウォーズ/最後のジェダイ

スター・ウォーズ/最後のジェダイ

もうね、これは書かざるをえないでしょう

「スター・ウォーズ/最後のジェダイ」です。

評価:(15/100点) – これはスターウォーズの文化大革命だ!!!


【あらすじ】

前作「スターウォーズ/フォースの覚醒」によりついに居場所の割れたルークの元に、レイが降り立つ。反乱軍の希望としてルークを連れ戻しに来たレイだったが、ルークの意思は固い。レイに同行したチューイとの再会にも心が動かないルーク。しかしR2D2との再会により遂にルークは自分が「オビ=ワン」になることを決意する。フォースに目覚め困惑するレイにルークは指導っぽいことをしていく。

一方その頃、反乱軍はファーストオーダーの大追撃を受けていた。逃げ切れないと悟ったフィンは、女性整備士のローズとともに敵戦艦に乗り込み追跡装置の電源を落とす作戦に出発する、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> ドレッドノートとの戦闘/レイとルーク
※第1ターニングポイント -> ルークがR2D2と再会する/潜入作戦開始
第2幕 -> レイの修行とフィンのカジノ惑星潜入
※第2ターニングポイント -> スノークとの闘いと敵戦艦への潜入
第3幕 -> 決戦!クレイトの闘い


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【感想】

さて、本日は話題沸騰の「スターウォーズ/最後のジェダイ」です。言わずと知れたスター・ウォーズの正伝最新作であり、エピソード8です。昨日から公開ですが、すでに大手WEB媒体の現代ビジネスだの産経ニュースだのでは大絶賛状態です。だが、ちょっとまって欲しい。ちょいっっと待って欲しい。本当でしょうか?あなたの心の中のフォースはなんて言ってますか?本当に褒めてますか?そう、私はこの映画に怒り心頭です。はっきり言います。

ふざけんなよライアン・ジョンソン!!!!!!!!

なんじゃこのクソ映画はボケ!!!!!!!!!

てめぇは偉大なるシリーズへのリスペクトが足らんのじゃカスが!!!!!

失礼いたしました。つい正気を失っちゃいまして(笑)。握りしめたビール瓶は汗で滑って落ちたので勘弁してください。

ということで、今回もご多分にもれずネタバレを多く含みます。もしまだ本作を見ていない方、本作を見て大満足した方は以下お気をつけください。

はじめに

結論から言ってしまえば、本作はシリーズを終わらせるための、、、そして今後無限に続けるための作品です。そういった意味ではディズニー資本となってより安売り/商品化されるための必要悪と言えます。

この映画の問題点は山ほどあります。というか問題しかありません。ストーリーは駄目だし、キャラも駄目だし、設定はクソ。こういった山ほどある問題は大きく3つに分けることが出来ます。1つ目はストーリーテリングがグダグダすぎる問題。2つ目は「リアリティ・ライン」「SFレベル」が旧作から大幅に乖離している問題。もう1つは世代交代における旧作全否定/キャラへのリスペクトが無い問題です。具体的な細部に入る前にまずは作品を俯瞰的に見ていきましょう。そう、キーワードは「文化大革命」です。

これは「神話」を「物語」に堕とすための作品だ!

スター・ウォーズシリーズはストーリー・ドラマの手法を取っているクロニクル形式の映画です。つまりスター・ウォーズ世界の年表を基に、「今回の映画はここからここ」みたいな歴史の一部分を切り取って映像化するスタイルです。そのため全てのシリーズでオープニングテロップにより「これまでのあらすじ」が語られ、そして映画本編のアバンタイトルが始まるわけです。今回のEP8はEP7の直後から始まっていますが、旧作は作品を跨ぐとけっこう時系列が飛んでいました。

ストーリー・ドラマである以上はキャラクターの新陳代謝は必要不可欠です。前作では旧作キャラであるハン・ソロが大活躍し、かつ敵も新しくダークサイドに堕ちたスカイウォーカーであったわけで、必ずしも世代交代できたとは言えませんでした。今回のテーマはこの「世代交代」であり私に言わせればこれは「文化大革命」です。

以前のローグ・ワンでも触れましたが、スター・ウォーズシリーズは「スカイウォーカー家」を中心とした善=ジェダイと悪=シスの闘いの話です。よくスター・ウォーズは「スター・ウォーズ神話(サーガ)」と表現されますが、まさしく「善と悪との闘いで超能力一家が大活躍する」というギリシャ神話/エジプト神話/北欧神話的なストーリーなわけです。この辺は「キング・オブ・エジプト」を見た人ならよくわかると思います(笑)。このサーガにおいてスカイウォーカー家は神様であり大貴族様です。だからこそ昨年の「ローグ・ワン」がスター・ウォーズ史上初めて「普通の人間にフォーカスした」作品として大変面白かったわけです。

ところが、、、ディズニー的なポリティカル・コレクトネス=過剰な平等主義=共産主義が、この神話世界を完膚なきまでに俗世化し破壊いたしました。そう、平等主義の名のもとに保守的な神話/宗教を破壊する本作はまさしく「文化大革命」です

本作ではこの「文化大革命」について2度もジェダイとダークサイドの両方から語られます。

1度目はルークと霊体ヨーダのシーンです。ヨーダが出てきたテンションで誤魔化されがちですが(笑)、彼の言ってることは「保守的なジェダイの教えは役に立たない」ということなんですね。つまり保守主義を全否定する進歩主義です(笑)。
2度目の言及はカイロ=レンがスノークを殺した後にレイを勧誘する際のセリフです。「ジェダイ、シス、ファーストオーダー、反乱軍、そんなもんはどうでもいいんじゃ!俺等で新しい秩序をつくるぞ!一緒にやろう!」的なアレです。

そしてこの文化大革命にはプロダクション上で大きな狙いがあります。旧シリーズの「スカイウォーカー家の神話」を断ち切るため。そしてそれによって「今後の作品を作る上でのあらゆる制限を取り払うため」です。これまでだとどうしてもカイロ=レン的な旧作ゆかりのキャラクターやほぼスカイウォーカー家の人物の周辺で話を転がすしかありませんでした。しかし今回の文化大革命により、広く一般人に門戸が開放されたわけです。

この文化大革命の意図は本作の随所に見られます。「レイの両親が何者でもない=庶民である」というのもそうですし、血筋だけ見れば最強のはずのカイロ=レン(ベン=ソロ・スカイウォーカー)がヘタレであるのもそうですし、そして最後のシーンで名もなき奴隷っぽい少年がフォースを使ってホウキを引き寄せて掃除するシーンもそうです。ジェダイ=フォース使いが特権階級・既得権益ではなく市民に開放されたわけです(笑)。

これによってスター・ウォーズシリーズは今後無限に作ることが可能になりました。スター・ウォーズ神話(サーガ)がスター・ウォーズ物語(ストーリーズ)に俗世化したのです。

全世界のスター・ウォーズオタクが涙を流した大傑作ドキュメンタリー「ザ・ピープルVSジョージ・ルーカス(2010)」を見ればわかるように、このSWサーガの創造主ジョージ・ルーカス自身も大変商売っ気のある人です。彼の同門であり大親友のスピルバーグがよくグチっているように、ルーカスは偉い立場になったり映画人としての責任で真面目映画を撮るみたいなことを全然しません(笑)。当のスピルバーグは一生懸命「ユダヤ人としての使命」とか「映画人としての責務」とかいって政治映画や歴史物をいっぱい撮ってるんですけどね。ルーカスはぜーんぜんそういうのに興味ありません。そんなルーカスですが、どんなに叩かれまくったプリクエル(※SWエピソード1~エピソード3の総称)でも、キャラクターの価値だけは頑なに守ろうとしてきました。商売道具ですからね。結果的にヨーダだけに全ての物語のしわ寄せがいって無能になってしまっていますが、続けてトリロジー(※SWエピソード4~エピソード6の総称)を見るとよりEP6最後の感動が増すようにちゃんと設計出来ています。

しかし今回の文化大革命によって旧作の全てのストーリーは破壊されました。結局旧来のジェダイ・オーダーはフォースのバランスを保つことが出来ず、新世代(レイとカイロ=レン)の独自判断に委ねられることになります。これが「創造のための破壊」だったのか、それともただの自爆だったのかは、次回作エピソード9の公開まで判断を待ちましょう。

さてここまでが本作の位置づけです。ここからは細かい問題点の話に行きます。長くてすみません。

問題1:話がクソすぎる

本作を単体で見たときの問題は話のグダグダっぷりです。これに尽きます。この映画では大きく3つのグループが並行で行動します。

第1グループはレイとルーク、R2D2、チューイです。こちらは「ルークが引きこもっている島へ行って連れ帰ってくる」というミッションを与えられたレイ一行の物語です。なんやかんやでルークにフォースを教えてもらうレイですが、しかし特に師弟関係になるでもなく仲違いしてすぐにレイが飛び出してしまいます。このシークエンスにおいて、レイはロクに修行をしておらず、いわゆる自主練だけでメキメキ強くなっていきます。ルーク師匠出番なし(笑)。結果的にレイが天才だったって話にしかなっていません。「子は親が居なくても強くなる」ってやつですね。

第2グループはフィンとローズのコンビです。2人は反乱軍を追撃してくるファーストオーダー艦隊を撒くため、潜入して追撃装置の電源を切ろうと企てます。追撃装置を切るためには直接敵艦に潜入するしかなく、そのためには世界最高の鍵破りが必要ということでマズ・カナタの紹介を受けスカウトに出かけます。こちらに関しては作戦工程もグダグダなら結果もグダグダで、エピソード自体が丸々どうでもいいという大惨劇になっています。おまけにポリティカル・コレクトネスの弊害でマッチョ黒人と不細工アジア人のラブロマンスという別に映画でまで見たくない絵面になっており、もう本当にどうしていいか分かりません。そういうのはブリジット・ジョーンズの日記とかのスイーツ映画だけにしてくれませんかね。人種差別だとかそういう変なこと抜きで、不細工が正統派ヒロインみたいな仕草をしているのを映画でみたくないっす。これも俗世化の反動ですね。神々しいまでに美人のアミダラと較べて、今作のローズは人間味に溢れています。しかし冒頭に出てくるローズの姉がめっちゃ美人なため、もう制作側の悪意しか感じません。このエピソードに関わった俳優は全員ババ引いてます。

第3グループはレイア将軍率いる反乱軍本隊です。こちらはひょんなことからホルド中将がレイアに代わって指揮を執ることになるんですが、この超絶秘密主義のババァ(※リンチ映画でお馴染みの怪優ローラ・ダーンですw)に掻き回されて無駄な小競り合いに発展します。もうね、、、全てがアホ過ぎます。ホルドが5分説明すれば済むだけのことで映画を30分以上使いますからね。反乱軍の連中は全員ナポレオン・ヒルでも読めよってレベルです(笑)。コミュニケーションって大事ですね、、、。

ということで、話に関しては褒めるところは一ミリもございません。全てがクソすぎます。監督兼脚本でこれは酷い。

問題2:SFレベルの旧作からの大幅な乖離

たぶん私も含めた旧作ファンで本作にブチ切れている人はここに引っかかっているんだと思います。本作は旧シリーズに対してリアリティ・ラインがズレ過ぎています。

ちょいと補足をしましょう。SFは「サイエンス・フィクション」=「科学的なハッタリ」という文字通りにウソをついてなんぼのジャンルです。スーパーマンが空を飛んだりバットマンが戦闘服を着ただけで大暴れできるのもこの「ウソ」の賜物です。そして各作品には「ウソの付き方」の度合いというのがあります。この「どの程度まで本当でどの程度ウソ=魔法的な要素を入れるか」を「SFレベル」とか「リアリティ・ライン」と言います。よく言われますが、スター・ウォーズでは「真空の宇宙空間なのにレーザーガンの音が聞こえる」というのがウソです。大前提としてもちろんフォースもウソです(笑)。

このSFレベルというのは「その作品がどの程度SFでどの程度ファンタジーか」を図る重要な尺度でありここがブレてはいけません。例えば、漫画のドラゴンボールでは、キャラクターが死んでもすぐに生き返ります。だからキャラが一回死んだくらいで長々とセンチメンタルなことをされたらシラケてしまいます。ところが同じSFジャンルの映画スタートレックでは、一度死んだキャラは生き返りません。ですから、老スポックの死が観客みんなの心をうつんです。これが作品ごとのSFレベルの違いです。同じ「キャラが死んだ」という状況なのに、SFレベルが違う作品では受け止め方が全然違うわけです。そんな重要なSFレベルにおいて、本作は旧作から大きく逸脱しています。

具体的に言いましょう。

まず映画の冒頭で皆さん引っかかると思うのが、「宇宙空間において爆撃機が爆弾を投下する」シーンです。旧作でもこのシーン以外でも、巨大戦艦の近くで重力が発生するという描写はただの一度も記憶にありません。宇宙空間で爆撃機の艦底を開けると爆弾が落ちていく意味がわかりません。浮くんじゃないの? 実際に撃破された戦艦の破片は浮いてますしね。なんで爆弾だけが戦艦に落ちていくのか意味がわからなすぎてポカーンとなります。

他にもレイアの宇宙遊泳なんかもそうです。宇宙空間に放り出されて意識を失っているのになぜかフォースを使って生き残るという、、、フォースって無意識でこんな便利に使えましたっけ? 霊体ヨーダが雷を起こすところも同じようにSFラインを崩しています。霊体になったジェダイが現実世界に物理干渉しちゃ駄目でしょう、、、。それがありならヨーダ・クワイ・オビワン・アナキンで全部の戦争を瞬間的に終わらせられそうです。さらにはルークの幻影術ですね。こんなんできるんかい!っていう。全然役にはたっていませんでしたが(笑)。さらに忘れちゃいけないのがライトセーバーの遠隔操作ですね。あ、それやっちゃうんだ、、、という呆れと驚きがありました。それがありならガンダムのファンネルみたいに自分の周りにライトセーバーを飛ばしときゃ無敵ですよね(笑)。このように本作におけるジェダイ/フォースの扱いは無茶苦茶です。

さらに驚くのが最後の最後、ハイパードライブ(ワープ)を使った特攻攻撃です。え!?それできるの!?という。全部それだけでいいじゃんって話です。ハイパードライブを積んだ無人機を魚雷みたいにすれば全部倒せるわけですよ。スター・デストロイヤーだって瞬殺です。この世界の戦争のあり方の根底が覆ります(笑)。

SFレベルというのはその作品の説得力を生み出す根幹の部分です。それがここまでブレていると、もはや真面目に見ているのが馬鹿らしくなるレベルです。

問題3:世代交代のやり方が上手くない

3つめの問題点はキャラクターの世代交代のやり方です。これは懐古主義者のグチといわれても仕方ない部分なので最後に持ってきました(笑)

前述のとおり、本作の文化大革命において世代交代は大きなテーマです。旧作キャラ達から新3部作キャラへのバトンタッチです。ところが、本作では新キャラを魅力的に描くというプロセスが欠けており、ただ単に旧作キャラを貶して退場させているだけです。これではいくら旧作キャラを退場させても新キャラに人気は移りません。

だって、レイもポーもフィンもローズも、なにも大勢(たいせい)に影響を与えてないじゃないですか。小さな活躍をスポットでしているだけで、まったく魅力が伝わりません。その代わりといってはなんですが、宇宙遊泳をするレイアや、幻影術で翻弄するルークなど、旧作キャラの強烈な能力だけが描かれています。

とはいえルークに関しては本作では貶されまくりです。特にカイロ=レンに裏切られるエピソードからの引きこもりの流れが酷すぎます。この監督はルークに怨みでもあるんですかね?本作のルークは結局ダークサイドを恐れているだけであり、ジェダイとして完成されているとは到底思えません。旧作ファンの戯言としては「こんなのルークじゃない!」と強く思います。演じるマーク・ハミル自身も思ってるみたいですが(笑)。クワイ・ガン・ジンや若き日のオビ=ワンの方が遥かにしっかりしていますからね。前作の「フォースの覚醒」が思いっきり旧作パロディに徹していたのと真逆のアプローチで、旧作ファンとしては怒りボルテージがどんどん上がっていきます。

そのくせ、本作でグッとくるシーンってことごとく旧作ファンむけの目配せなんですね。ルークとR2D2が再会したときのレイア映像とか、C3POへのウィンクとか、最後のルーク仁王立ちとか、太陽が2つ見える(=ルークとアナキンの故郷であり旧作の原点タトゥイーンを彷彿とさせる)シーンとか、ぜーんぶ旧作の思い出に頼りきってます。散々頼りきっといてそれかよっていう監督の不誠実さが本当に腹が立ちます。

【まとめ】

なんか書いていたらどんどんグチになってきたのでこの辺で切り上げます(笑)。この映画、マジで誰が得してるんでしょうか。私は前作のエピソード7は「EP4の焼き直しじゃねぇか!」と思いながらもまぁまぁ許せる範囲でした。ある意味でJJエイブラムスお得意の「同人映画」ですからね。ところが、本作は旧作へのリスペクトが無く、破壊して今後の商売につなげるためだけの作品です。冒頭に書いたように、ディズニーがスター・ウォーズを未来永劫続けるために必要な行為なのは間違いありません。ただ、これはやっぱり旧作ファンにはキツイものがあります。

ちょいと余談です、私、実はこの映画を見ていて一番感じたのは「これはスター・ウォーズにおける∀ガンダムだ」ってことなんです。ロボットアニメ史上に燦然と輝くガンダムシリーズは、創造主の富野由悠季自身による「∀ガンダム(1999)」によって完全に破壊され眠りにつきました。当時「ガンダム」というブランドが巨大になりすぎて、富野監督本人のコントロールできる規模ではなくなってしまっていたんですね。彼自身そのギャップでちょっと精神的にマイッてしまった時期もあるぐらいです、しかし一方のバンダイとしてはガンダムはドル箱であって、無限に作り続けたいというニーズがありました。そこで頭の切れる富野監督は、バンダイを騙し討ちする形でガンダムシリーズの完結編を勝手に作っちゃったんですね(笑)。「いままでのシリーズから何万年も後の遠い未来」という設定で、完全にピースフルで、どんな無茶苦茶な物語でもすべてを包み込んでしまう「優しい最終回」を書いてゲリラ的に放送しちゃうんです。富野監督本人は「ターンエーの癒やし」という単語でこの作品を表現していました。要は今後どんなにガンダムシリーズが粗製乱造されたとしても、物語上はすべて「∀ガンダム」に繋がるようになっていて、そしてそこで大団円のハッピーエンドになるわけです(笑)。このおかげで、どんなに「ガンダム」という名のもとで駄作が量産され続けたとしても、「どうせ最後はターンエーガンダムにたどり着いて、あの湖畔に行くんでしょ」と監督やファンは枕を高くして眠れるようになりました。

そうなんです。本作は、スター・ウォーズが好きな全世界のファンに別れを告げる作品なんです。「もうお前らの好きなスター・ウォーズは終わったから」というディズニーの決別宣言です。ファンとしては、もし本作をジョージ・ルーカスが撮ってくれていたら文句言いながらも泣いてお別れができたと思うんですね。ですけども、実際のルーカスはとうの昔にスター・ウォーズからイグジットしてしまっており、シリーズはもはや彼の興味から離れているわけです。私達はルーカスの幻影を追いかけていただけなんです。そして、本作では最大限の侮辱をもってその幻影を新オーナーであるディズニー自らが振り払ったんです。だからもう私達も後ろを振り返るのは止めましょう。2017年12月15日はスター・ウォーズの命日です。R.I.P。

私も、次作以降は心を無にして見ることができそうです。
日本全国のスター・ウォーズファンにこの言葉をお送りします。

「諸君らの愛してくれたルーク・スカイウォーカーは死んだ!何故だ!」
「ディズニーだからさ」

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スター・ウォーズ/最後のジェダイ」への2件のフィードバック

  1. すごく納得です。

    “ライトセーバーの遠隔操作ですね。あ、それやっちゃうんだ、、、という呆れと驚きがありました。~略~ SFレベルというのはその作品の説得力を生み出す根幹の部分です。それがここまでブレていると、もはや真面目に見ているのが馬鹿らしくなるレベルです。”

  2. 宇宙船がワープ中に通常空間の相手と通信してるし。
    その電磁波、超高速移動体にどうやって届いてんの?
    トラッカーの追跡対象は主船の先頭部分のみって、ビーコンもないのに何を照準にして追尾してんの?
    つか、亜空間と通常空間で相互に通信可能な設定だったら、どこでも何でも追尾可能じゃね?
    んで、なんでカイロ・レンとレイだけが遠隔交信できるの?
    フォースの力のおかげというなら、他のジェダイやベイダーだってできるはずでしょ?
    あんなに苦しんだアナキンの孤独は何だったの?
    ルークとベイダー卿(アナキン)だって、もっと語り合えたよね。

    まあ、スターウォーズはSF映画の中でもファンタシー色が強くて、第一作以来、ハードSF的観点からの批判は切受け付けないスタンスでしたらから、この作品でも科学的に変なのはアリなんですよ。
    だたし、シリーズ全体を通して、科学と魔法の境目は統一して欲しい。
    それがコロコロ変わると、安心して作品世界に没入できません。

    話変わって、主人公レイを演じたデイジー・リドリーですが、前作では少女の面影が残るブサカワ系でしたが、今作ではすっかり大人の魅力を振りまく美女になっていました。「オリエント急行殺人事件」出演で何か掴んだのでしょうか。次回作でもまた驚くべき貌を見せてくれるのではないかと、ここだけは期待します。

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