本日は二本観てきました。一本目は
「NINE」です。
評価:♥。セレブだらけのカラオケ大会、ポロリもあるよ(※ただし後ろ姿)
– ドキッ【あらすじ】
かつて傑作をいくつも生み出した映画監督のグイドは、近作でスランプに陥っていた。彼は地元のイタリアで再起をかけた映画「イタリア」の撮影を決める。しかしアイデアが浮かんでこず、チネチッタの撮影セットや衣装だけが決まっていく。耐えかねた彼は愛人を呼んで現実逃避をするが、愛人の旦那に見つかり、妻にも愛想を尽かれて逃げられてしまう。さらには脚本が無いことを理由に主演女優にも逃げられ、彼はやむなく「イタリア」の制作を断念する。それから二年後、再会した衣装デザイナーにハッパをかけられ、彼は惨めな自身をモデルにして「愛の復活」を描く「NINE」を撮り始める。
【感想】
さて巨大バジェットで有名女優をかき集めたある意味大作映画の「NINE」です。ご存じ1950年代を代表する巨匠・フェデリコ=フェリーニのキャリア転換点になった「8 1/2」を原作としたブロードウェイミュージカルをさらに再映画化したという屈折した背景の作品です。監督は傑作・シカゴで一躍映画界に躍り出たロブ・マーシャル。「シカゴ(2002)」と同じく定番ミュージカルの映画化で夢よもう一度といったところでしょうか?
ストーリーについて
このストーリーという部分が相当酷いです。なにせ上記のあらすじが完璧に全てです。「8 1/2」を元ネタにしておいてどうしてここまで駄作が作れるのかちょっと信じられません。実は今確認のためDVDで「シカゴ(2002)」を見ながら書いているのですが、やはり本作であきらかにロブ・マーシャルが失敗している事があります。それはミュージカル・パートの使い方です。
昔のミュージカル映画が好きな方には常識だと思いますが、ミュージカルにおける歌というのは台詞と同じです。例えば会話のシーンであれば二人の掛け合いの歌が流れ、法廷のシーンであれば弁護士がメインで歌って判事や傍聴席が合いの手を入れます。あくまでも台詞の代わりとしての歌なので、間奏で通常の会話が挟まったりします。これがミュージカル映画です。
ところが、、、本作ではミュージカル・パートが単なる歌の機能しか持っておらず、話に何にも寄与していません。歌が始まるとストーリーが止まってしまうんです。そのため、極端な話をすれば、ミュージカル・パートを全てカットしても物語に何の影響もありません。これは大問題です。要はミュージカル映画の体をなしていないんです。とはいえ舞台が専門のロブ・マーシャルがこんな基本を分からないはずが無いと思いシカゴを見直しているんですが、やはりシカゴではきちんとその点は出来ていました。むしろ歌で物語が綺麗にサクサクと進んで行く、ミュージカル映画の理想型でした。ということは、、、ロブ・マーシャルが劣化した!?、、、、というのは冗談として、やはりカラオケ大会的な部分を重視したということなんだと思います。また、ミュージカルパートで物語が進まないせいで、歌がただのキャラクター・ソングになっているように見えます。有名女優が出てきてキャラソンを歌うだけの映画。しかも結構みんな歌が下手。悪夢のようです(苦笑)。
そして今更なんですが、「8 1/2」が何故傑作たり得ていたのかという大きな要因に、「8 1/2」がメタ構造を取っていたという点があります。要は劇中で苦悩するグイドがそのまんまフェリーニの苦悩になっていて、一種の精神治療というか、独白になっていたわけです。しかし本作にその構造はありません。まぁ当たり前ちゃあ当たり前です。だってフェリーニの独白をリメイクしてるのに、ロブ・マーシャルの独白に変えられるわけがないですから。なので、そもそもリメイク企画自体がたぶん失敗なんだと思います。
【まとめ】
残念ですが、「有名人を大勢使えば良い映画になるとは限らない」という見本になってしまっています。見ると分かりますがソフィア・ローレンもケイト・ハドソンもファーギーもニコール・キッドマンも大して物語に絡んできません(苦笑)。せっかく題材がすばらしいのに、ただのカラオケ大会になってしまっていました。
強いて良いところをあげればペネロペ・クルスとマリオン・コティヤール が格好良いってことでしょうか。さすがはゲイの監督だけあって、女性に下品さや色っぽさが無く、格好良さが前面に出てきます。
まぁ、、、映画館で見る価値はないですよ。気になった方はDVDを待つかサントラを買って下さい。私も映画としては最低レベルだと思いますが、たぶんサントラを買います。
劇中でグイドに「みんな脚本脚本って五月蠅い!!!脚本がそんなに大事か!!!」という台詞があるのですが、私は大事だと思います(笑)。ちゃんとしたメタ構造を撮れないのに、本作がつまらない件の言い訳だけ劇中でやられても、、、、(苦笑)。