本日はこっちが書きたい!
「BECK」です。
評価:
– 桐谷健太に40点。佐藤健と忽那汐里に20点。堤に-15点。【あらすじ】
田中幸雄は高校性にして人生に飽き始め、いじめに耐える無気力な生活を送っていた。ある日、下校途中にいじめられていた犬を助けたことから、犬の飼い主・南竜介と出会う。彼は犬を助けたお礼に幸雄にギターを教える。それから数ヶ月後、竜介は先輩にしてフリースタイルラッバーの千葉と、天才ベーシスト平と共にバンド・BECKを結成する。そこに幸雄と幸雄の友人・サクが合流し、新生BECKが誕生する。彼らはいつか大舞台に立つことを夢見てバンド活動に邁進していく、、、。
【四幕構成】
第1幕 -> 幸雄と竜介の出会い。
※第1ターニングポイント -> 幸雄がギターを竜介にもらう。
第2幕 -> 幸雄の練習。
※第2ターニングポイント -> 幸雄がBECKに入る。
第3幕 -> グレートフルサウンド・ロックフェスティバルへの道。
※第三ターニングポイント -> グレートフルサウンド出場が決まる。
第四幕 -> バンドの不和とグレートフルサウンド。
【感想】
さて、本日2本目は「BECK」です。ご存じ超人気コミックスの映画化で、学生さん中心に物凄いお客さんが入っていました。監督は「20世紀少年」で悪評をほしいままにした(笑)堤幸彦。キャストに人気イケメン俳優どころを揃えた青春バンドストーリーです。
いきなりですが、結論めいた事を先に書いてしまいます。本作の俳優さんは水嶋ヒロを除いてほぼ完璧です。そして音作りも悪くありません。ストーリーは原作をなぞっていてこちらもそこまで問題はありません。全ての問題は、演出です。演出によって、根幹がボロボロです。俳優のファンの方と原作のファンの方は文句なく見に行って損はありませんので、是非行ってください。
と書いた所で、いつものお約束です。以後一部ネタバレを含みますので、堤幸彦の大ファンで彼の演出が好きで好きでしょうが無いというマゾっ気のある方はご遠慮ください。
堤幸彦、20世紀少年より学ぶも詰めを誤る。
本作を見た観客が間違いなく引っ掛かるポイントは「BECKの音」についてだと思います。
本作において「BECK」はフォークロック系のコユキとラッパーの千葉のツインボーカル・ラップメタル・バンドとして描かれます。この辺りは初期のリンキン・パークに近いメンバー構成です。その時点でこれは「ロック」かどうかという一晩掛けても終わらない問題がありますが、とりあえず脇に置きましょうw
何度も流れるBECKのつかみ曲「エヴォリューション」はほぼそのまんまレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンの「Guerrilla Radio (1999)」です。フジ・ロックにも出てましたし、総合格闘技・PRIDEのTV放送でも使われていたので聞いたことがある人は多いと思います。オープニングがレッチリなのも詳しくない人の思いつくラップメタルの源流って感じでベタベタです。
とはいえ、この「エヴォリューション」に関しては個人的には嫌いではありません。あからさまに吹き替えで、あからさまに音圧で誤魔化している感はありますが、そこまで酷いクオリティだとは思いません。もっとも、本作での対立構図である「セルアウトvsクオリティ重視」「パブリシティ先行vs実力派」という流れの中では問題があります。というのも「エヴォリューション」が明らかにセルアウト系の音だからです。ハッキリ言うと「ラップメタル」というよりは「ヴィジュアル系歌謡曲」です。この曲に関しては、桐谷健太さんの仕草は完璧です。ほかのフリースタイルシーンは目を背けるほど恥ずかしいのですが、このエヴォリューションに関してはまったく問題ないどころか、すごく嵌っています。この曲は個人的にはプラスポイントです。
問題は当然コユキ側の演出です。
20世紀少年最終章でラストに唐沢寿明が歌う「Bob Lennon」が悶絶死する程はずかしい出来すぎて猛バッシングを食らったのは記憶に新しいところです。それが堤監督にはよほど堪えたのか、本作ではきっちりとその反省を活かして来ています。すなわち、「歌を観客の想像に委ねる」事です。この進歩は大変大きいです。堤監督、頭使えるんじゃない!!!
しかし、、、「歌を観客の想像に委ねる」ことに気付いたまでは良かったんですが、その演出が酷すぎて逆に安心してしまいますw いきなり全体がスローモーションになって、音もスローで観念的になり、そして謎のフラッシュバックでスピリチュアルな光景がコユキの顔や観客にサブリミナルで差しこまれるんです。あの~~~そういうことじゃないんだけどw 観客の想像に委ねるって言うのは、上手くシーンチェンジしたりして歌を巧妙に隠さないといけないんです。こんなあからさまに「コユキの声だけが聞こえない」という演出をされても失笑するしかありません。 そこは例えば観客の主観映像になるとか、いくらでもやり方はあるんです。なんでこんな不細工な演出にしてしまったのか理解に苦しみます。
この「コユキの歌が聞こえない」演出は劇中で何度も繰り返されます。「月を見ながら真帆と歌う」「ボーカルに立候補して竜介の家で歌う」「チッタでエディと共演で歌う」「ライブハウスで新曲披露」「ラストのフェスで歌う」。確かこの五回だったと思います。私はこれを見ている最中は「フック」だと思ってたんです。演出があまりに不細工だったため、これは引っ張るだけ引っ張ってラストのフェスでどかんと超絶クオリティのボーカル曲を(例え吹き替えでも)流すのだと思ったんです。
ところが結局最後までこの不細工な演出が続いて、OASISの「Don’t Look Back In Anger」に行ってしまうんです。
ちょっと話がずれますが、私、実は10年以上前から「Don’t Look Back In Anger」をカラオケの持ち歌にしてます。どういうことかというと、この曲はOASISが「音響ロック派」から「セルアウト派」に転向した直後の記念碑的な曲なんです。OASISがクオリティを捨ててヒットを狙うようになった際の代表曲です。だから超歌いやすい(苦笑)。加減が分からなかったのか、クオリティがガクッと下がって耳障りを良くしすぎたんですねw
ですから、これをBECKのエンディングに使うという決定をした人間は明らかに音楽が分かっていません。だって、本作のクライマックスは「クオリティの伴わない商業主義丸出しのベル・アームより、クオリティを追求したBECKが実力でファンを多く獲得する」というストーリーなんです。なのにそこで前述の「Don’t Look Back In Anger」を流してしまうと、これは話が逆転しちゃうわけです。OASISはクオリティの追求では世界一にはなれないと判断してポップスに転向したんです。でもBECKはそれを良しとせず、あくまでもクオリティの追求を目指すバンドのはずでしょう? そしてそこに奇跡が起きてクオリティと人気の両立が(一瞬とはいえ)達成されてしまうところが本作の肝なんです。それこそがBECKの歌う「世界が変わる音楽」なんです。だから「Don’t Look Back In Anger」では駄目なんです。
アイドル映画としてのBECK
上に書いた「コユキの歌を聞かせない」演出によって、はっきり言って「BECKを映画化する」意味は限りなくゼロになってしまっています。逆に言えば、BECKを映像化するのであれば、当然その音楽を説得力を持って聴かせる必要があったわけです。
ではそこが無くなった本作の存在意義とはなんでしょうか?
それは当然、旬のアイドル達を集めるというテレビ局的・広告代理店な目的です。
本作を見ると、間違いなく桐谷健太と中村蒼は評価が上がると思います。この2人は存在感と佇まいが完璧です。佐藤健も演技の幅が見えづらいですが純朴で内気なコユキの雰囲気が良く出せています。向井理はバンドで唯一の調停役としての振る舞いに十分に説得力があります。これもOKです。忽那汐里もキャラとしては弱いですが良い味だしています。当たり前ですが英語の発音は完璧。帰国子女としてのキャリアプロモーションとしても十分に機能しています。
問題は水嶋ヒロです。この人も帰国子女のはずなんですが英語の発音が訛っていてすごい聞き取りづらいです。そして演技が単調で竜介が直情型の馬鹿に見えてしまっています。おいしい役だけにもっと評価を上げないといけないんですが、ちょっと厳しい内容になりそうです。
【まとめ】
本作を「チームもの」としての側面でみると、桐谷健太と向井理を中心に良く纏まっていると思います。ですから俳優のファンの方は安心して見に行って下さい。ただし、バンド映画としては明らかに問題があります。20世紀少年とは違い原作自体が上手くまとまっていますから、普通に撮ればそれなりの出来になるのは保証されています。そのBECKをこの程度のレベルにしてしまったというのはやはりがっかりしてしまいます。とはいえ、悪いところも含めて語れる作品なのは間違いありません。迷っている方は間違いなく見に行った方が良いと断言します。原作のファンであれば演出が酷くてもギリギリなんとか許せるかも知れません。
迷わず行けよ 行けばわかるさ。オススメです!!!、、、、、、、、オススメか???
漫画も呼んで、アニメも見て、この映画も見ましたが、キャスティングもすばらしく、漫画の世界を良く出していたと思います。
漫画で読み手が想像力を求められるのは必然。
映画で見る人の想像力を求められるってどうゆう事?「これ映画でしょ?」
存在しないものを、見せたり聞かせたりするのが映画じゃないの?
僕の映画を観る前の期待と不安は
「BECKの音をどう見せてくれるのかという事でした。」
頑張って演じた人達をどうこう言うつもりはありません。
僕はいつからか映画を純粋に楽しむために、CMを含め前情報は一切、目、耳から入れず映画館に足を運びます。
そんな訳で原作者の意向など知るわけもないので、
映画の途中で[ダメだこりゃ…]と思いました。
作品は世に出た時点で作者だけのものではなくなっているものだと思います。
なぜ、コユキの歌を出さなかったのは理解が及ぶところではありませんが…。
プラスになっているようには思いませんでした。
演奏シーンはCG使ってでも本物らしく見せて欲しかった。
音楽は吹き替えでも構わないから本物の音楽にして欲しかった。
上っ面を似せるのはこの監督得意みたいだけど、
BECKはキャラクターでなく音楽重視で作って欲しかったなあ
原作知らない人の「この映画おもしろかったあ~」てのを目にする度に
「これを観てBECKを理解したと思わないで欲しい。」と思ってしまう。
BECKはもっとスリリングで、展開が読めなくて、小ネタの利いた面白い作品なはず。と思うのは僕だけ?
いきおいがあって面白かったよ。
言いたくても反論できない人間の悩むとこや、できる人間のイライラとかありつつ
自分の存在価値は、自分でみつけないといけないんだなと・ベースの音につられてか、響きました。
音の良し悪しは語れませんが、コユキの声が無声だったことで以前ある歌い手の声を聴いて感動した気持ちを思い出してました。
OASISを使うんなら、Don’t look back in angerじゃなくてRock’n roll starじゃないとダメ!
日々どうしようもないけど、今夜の俺はロックンロールスターだぜ!って、この映画のための曲じゃないですか!
原作を読んでいて観にいけるなんて、すごいです。
原作を読んだことある映画は基本的に観ません。
千葉役の桐谷と、斎藤さん役のカンニング竹山がハマり役だったのが救いかな。
確かに映画としての出来はひどいもんでした。
特に外国人の演技はお笑いレベル。
マット役はステージでぴょこぴょこ飛び跳ねてるだけ。
竜介の回想でレオン・サイクスの取り巻きが銃持って竜介とエディ捜すシーンでは、さすがにあの銃の持ち方はないだろうと突っ込みたくなった。
パンフレットを読むと、コユキの歌を出さなかったのは、
原作者の意向らしいです。
昨日見ました。同感です。
ブツ切りのストーリー、浅はかな企画演出、全てダメダメですね。。
自分の感想を書きました。
良かったら見てください。
なるほど・・・コユキの声の聞こえないボーカルに対する違和感はそういうことなんですね。
同感です なんて的確に言葉にしてくれてるんでしょう!BECKの演出 本当にひどい!