今日は一本、
「乱暴と待機」を見て来ました。
評価:
– 音楽と役者は良かった。主題歌だけはiPodでヘビーローテーション。【あらすじ】
番上貴男とあずさの夫婦は妊娠をきっかけに府中の片田舎へ引っ越してきた。同じ長屋に挨拶回りをしていた貴男は異常なほど挙動不審な奈々瀬という女性に出会う。兄と二人で暮らしているという彼女は、偶然にもあずさの高校の同級生だった。いかにも訳ありで突っかかるあずさは、奈々瀬の兄を見て驚愕する。「あいつら、兄妹なんかじゃないよ」、、、。
【感想】
本日は一本、「乱暴と待機」です。予告で若干エロ要素をアピールしているせいか、一瞬「ヌードの夜」かと思うほど客席はおじさんばかりでした。原作は「劇団、本谷有希子」の舞台です。
概要
本作は登場人物がわずか4人のこじんまりとした話です。舞台ならではのミニマムさで、これまた舞台特有の入り組んだ人間模様を展開してきます。原作者の本谷有希子さんというと私はどうしても「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」を思い出してしまいます。「腑抜けども~」ではおとなしいけど策略家の清深を中心に、勘違い馬鹿女の姉とその姉を異常なほど溺愛する兄を配して、頭のイかれた男女の妄想・策謀入り乱れる様子をブラックコメディとして描ききりました。「パーマネント野ばら」の時にも書きましたが、この本谷有希子の人物配置と吉田大八監督の資質が完全にマッチして恐ろしいほどの化学反応を見せたヘンテコで魅力的な映画になりました。
さて、では本作はどうかと言いますと、「腑抜けども~」における清深の位置には今回は奈々瀬が着きます。表面上はおどおどしていても裏では超腹黒で自分だけが楽しめる事を探しているという屈折したパーソナリティです。そしてそこにいかにも駄目人間を絵に描いたようなニートの”番上君(貴男)”とこれまたオタクを絵に描いたような”山根さん”が絡んできます。
本作では本谷有希子のブラックジョーク・センスが演出によって直接的に表面に出てきます。ですので、悪く言えばコントのように見えてしまう場面も多々有り、映画としてはいささかどうかと思うほど安っぽく見えてしまいます。ただその一方で、やはりイかれたキャラクターを作り出すことにかけては天才なのは間違いありませんので、100分間なんか引っ掛かりながらも雰囲気で持って行かれてしまうのは事実です。
とはいえ、結局本作でもやっていること自体は「腑抜けども~」の焼き直しレベルでして、「表面を取り繕った腹黒女が内面を暴露した瞬間に本当の愛が生まれてしまう」というクライマックスはまったく同じです。「腑抜けども~」では姉妹愛だったのが、本作では男女愛になっただけです。
そして、本作が「腑抜けども~」と決定的に違うのはこれはもう監督の真面目さというか”まともさ”としか言いようがありません。良くも悪くも吉田大八監督はマッドな世界を自身で批評しながら世界観に入って撮れるのに対して、今作の冨永昌敬監督は真面目に客観視して構築しようとしてきます。その冨永監督の生真面目さが、本作を妙に普通な感じの映画のルックにしてしまっています。だから結果としてマッドな登場人物達を突き放し過ぎていて、何考えているか分からない本当に頭のおかしな人たちに見えてしまうんです。番上君と奈々瀬がいままさに事に及ぼうとするときにカメラがパンしてあずさが映るシーンは本作でも屈指の爆笑ポイントですが、一方で画面内では妙に登場人物達が冷静過ぎるんです。「真剣に酷い目にあっているほど端から見て面白い」というのはコメディの基本ですが、本作の場合はあまりにも演出が冷静すぎて逆に戸惑ってしまいます。
【まとめ】
どうしても同じ作家で同じプロットの原作ということで比較してしまうのですが、個人的にはちょっとハードルを上げ過ぎてしまったかなと思う次第です。ですが、役者は四人とも本当に面白い演技を見せてくれますし、本作も決してつまらないということはありません。公開館が非常に少ないですが、お近くで上映している方は行って損はないと思います。
冨永監督については、本作で劇伴を担当している大谷能生さんのイベントで対談した様子が「大谷能生のフランス革命」に収録されています。僕自身、菊池成孔・大谷能生コンビの一連の共同仕事(東大講義→TOKYO FM水曜Wanted!→東京大学のアルバートアイラー→M/D マイルス・デューイ・デイヴィスIII世研究→アフロ・ディズニー)に大分影響されていますので、興味のあるかたは是非本屋さんで探してみてください。本当は本よりもトークの方が圧倒的に面白い方達ですので、ネット上を探してラジオ音源があればそちらもオススメです。