何者

何者

今日は一本

「何者」を見てきました。

評価:(80/100点) – ペルソナ論を青春映画へアレンジ


【あらすじ】

大学生の二宮拓人は、友人で同居人の光太郎のバンド引退ライブで片思いの相手・瑞月と出逢う。お互い就活生の身でリクルートスーツに身を包みながら、ライブハウスで友人のサークル引退を見届けた2人。バンドを引退した光太郎は髪を黒く染め短髪にし、心機一転就活を開始する。偶然拓人のマンションの真上に住んでいた小早川理香が瑞月の友人だったことから、この4人の愛憎渦巻く就活が始まった、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> 光太郎のバンド引退
※第1ターニングポイント -> 就活対策本部設置
第2幕 -> それぞれの就活
※第2ターニングポイント -> 瑞月が内定をもらう
第3幕 -> 蜜月の終わりと決意


[スポンサーリンク]

【感想】

今日は「桐島、部活やめるってよ」でお馴染みの朝井リョウ原作「何者」を見てきました。平日夜だからか、メインターゲットと思しき学生はあまりおらず、サラリーマンが目立ちました。それでもパラパラといった客入りで、公開初週にしてはちょっと寂しい感じです。

監督は三浦大輔。まったくノーマークで見に行ったのですが、見終わった後に「ボーイズ・オン・ザ・ラン(2010)」の監督と知って妙に合点がいきました。「ボーイズ・オン・ザ・ラン」もオタク自己憐憫全開の映画でしたが、本作も負けず劣らず自己憐憫全開の話であり、バッチリ監督の資質に合っていると思います。

さて、本作はあくまでも文芸系の作品なのであんまりネタバレがあってもどうこうなる類ではないのですが、一応どんでん返しっぽい雰囲気になっていますので、未見の方は以降お気をつけください。とはいえ、全然どんでん返しじゃないんですけどね^^;。

概要:「青春が終わる、人生が始まる」のまんま

本作は就職活動を舞台にして、5人+旧友1人のそれぞれを通じて「大人になるとはなんぞや」というのを描いていきます。そういった意味で、予告のキャッチコピーであった「青春が終わる、人生が始まる」というまさにそのまんまの内容です。というかこれが全て(笑)。青春が終わって人生が始まるのがクライマックスで、「いよいよ人生が始まるぞ」と扉を開けたところでエンドロールに入ります(笑)。シャンテ系じゃないんだから全部ネタバレかYO!!というツッコミは脇に置いときまして、肝心なのはあくまでもその過程、「大人になるとはなんぞや」の部分です。

本作では、冒頭からずっと「あなたを1分でアピ―ルしてください。方法は問いません。」という就活の面接でありがちな問いかけによって、これが語られていきます。明らかに嘘くさいテンプレ回答を繰り返す就活生たちのモンタージュ。それに対して、その就活を風刺する旧友・銀次の劇団員たちの心からの叫び。そして、一連のドラマを通じて、内定がまったくもらえず泥沼にハマる主人公・拓人がどう意識を変えていくのかが本作の肝です。

ペルソナ論で青春の終わりを描く

本作は「ペルソナ論」という心理学者・ユングさんの有名な話を青春劇へと落とし込んでいます。ちょいとペルソナ論の話をしますので「知ってるわい!」という方はすっ飛ばしちゃってください。

このペルソナ論というのは超簡単に言いますと「人格とは色々空気を読んだ結果だ」みたいな話です。

例えば、ここにある男・太郎さんがいるとします。この太郎さんは会社にいったら新人サラリーマンで、出身大学のサークルに顔を出したら伝説のOBで、家に帰ったら男3人兄弟の次男だとしましょう。太郎なのに次男なのは気にしないでください(笑)。そうするとこの太郎さんは、その各々の場面でキャラを無意識に使い分けないといけません。会社の飲み会では末席に座って上司や先輩に気を使いながら次に何を飲むかを聞いてまわらないといけませんが、サークルの飲み会ではウザい先輩としてデーンと構えて偉そうにしてればいいわけです(笑)。でも家に帰ったら次男で、お兄ちゃんと喧嘩しつつ、弟のテスト勉強を見てやったりする出来た息子になります。ところがそんな生活にストレス全開で、自分の部屋では夜な夜なツイッターの裏アカウントで毒づきまくってたりします(笑)。

では「本当の太郎さん」はどれでしょうか?

ペルソナ論というのはまさにこの「本当の私はなんだ!?」という自分探しへの一つの解答です。上記の太郎さんのケースだと、もしかしたら読者の皆さんは「自分の部屋で一人で毒づいてるときが本当の太郎さんだ」と思われるかもしれません。しかし、ペルソナ論では、「本当の自分」などという絶対的な正解は存在しません。「私」というのは何者でもなく、周囲の環境に合わせて「ペルソナ=演劇用の仮面=役割」を身につけることでその役割に合わせた振る舞いをするようになり、そのいろんな役割の集合体こそが「私」であるという考えです。つまり「私」というのは全て他者や環境に影響されて外部から作られた概念なんだっていうことですね。会社の飲み会でペコペコしてるのも、大学でウザい先輩やってるのも、兄弟とどつきあったり勉強教えたりしてるのも、ぜ~んぶひっくるめて「本当の太郎さん」なんです。部屋に籠もってtwitterで愚痴りまくってたって、結局はtwitterを他者から見られているのには変わりないですから。完全な「個/孤」とか言い出すと、座禅の世界が始まります^^;

逆に言うと、自分の脳内で「本当の私はXXXXなんだ!」とか思ってても意味ないってことです。それを表に出して、他者からその役割を与えられて、初めてそういう人間になれるんです。

本作「何者」では、このペルソナ論を受け入れることが「大人になること」として描かれます。つまり、「私は本当は演劇マンなんだ!サラリーマンなんかじゃない!」という青春特有の夢というか可能性に対して、それを追い続けるにしても諦めてサラリーマンになるにしても「”他者との折り合い”を上手くつけて責任感を持つのが大人なんだ」っていうことですね。決して「夢なんか追ってないで現実を見ろ」っていう内容では無くて、あくまでも「他者との折り合いをつける=他者からきちんと求められる/承認される=社会的な責任を受け入れる」っていうのが大人の条件だと本作では言ってます。

そして、就活の舞台はこの「サラリーマンとしてのペルソナを与えられる」承認プロセスの一つとして描かれます。あくまでも正解ではなくてプロセスの一つです。だから、演劇の道を突き進んで必死に居場所を作ろうとしている銀次の名前が、「拓人がもし演劇を選んでいたら」というifの存在として事あるごとに先輩の口からでます。銀次は就活はしてないですが、毎月公演をしたりSNSで発信するというプロセスで役者のペルソナを獲得しようとしています。

拓人は他者に心を開かず、常に一歩引いて冷静さを装うことでこの「周囲から求められる役割」を拒否しています。そして、自分が思うがままに振る舞う「自分が考える”本当の自分”」というのをTwitterの裏アカウントに叩きつけるわけです。でも、そのアカウントに鍵を付けることもなく、承認欲求だけが行き場を失っています。本作では最終盤で、拓人が瑞月に承認される(=「君の演劇が好きだったよ」という”許し”)ことでまさにこの「社会的な責任」を受け入れて、他者に心を開く方向へ意識が変化します。そして見事にハッピーエンドになるわけです。ちなみに同じく「青春の終わり」を描いた映画は、当ブログでは「マイレージ、マイライフ(2009)」と「SOMEWHERE(2011)」を猛プッシュしております。本作が気に入った方は是非こちらも御覧ください。

有村架純という優しいかぁちゃん

この映画では有村架純演じる瑞月がミューズとしてドラマのど真ん中にデンと座っています。この瑞月がすばらしい役どころでして完璧に場を支配してくれます。彼女は両親の離婚(別居?)という外的要因によって、否が応でも「母親を支える一人娘」というペルソナを押し付けられます。そしてその責任を真っ当するために仲間内でイの一番に大人へと成長します。だから彼女が最初に内定が決まりますし就活仲間たちを大人として客観視できるようになります。その上で瑞月は仲間たちへちょっと厳しい効果的なアドバイスまでしてくれます。まさにミュ―ズ。まさに女神。そして母親。もうね、彼女完璧です。有村架純さんって見た目がちょっとふっくらしてて包容力があるように見えるので、こういう母親役にバッチリあってます。

一方の光太郎はコミュ力満点でやっぱり内定を取るんですが、彼は模範的就活生というペルソナを駆使して内定を取ったことに逡巡を抱えます。こんなの本当の自分じゃない。たまたま自分は就活生を演じるのが上手かっただけだって。でも彼はしっかりしてますから社会人になったらきちんと大人になるでしょう。大多数の社会人はこういう経験があると思います。ちなみに、これをこじらせると3年ぐらいで会社を辞めて自分探しの旅にでたり大学に入り直したりしてアダルトチルドレンへの道を爆進することになります(笑)。

残念トリオは拓人と理香とタカヨシです。拓人は前述のとおりスノビズムに陥っており他者との間に壁を作っています。理香は周りの目だけを気にして演技・装飾が過剰になっちゃったタイプです。こういう子はOLよりも芸能人のが合ってます。個人的にはあんまり関わりたくないっす(笑)。

タカヨシは典型的な「意識高い系」の人で中身スッカラカンです。彼は表現だけはするんですが、承認されるプロセス、つまり他者と折り合いをつけるプロセスが欠落しています。さらにこのタカヨシには対比として銀次が登場します。銀次が学校を辞めて自ら退路をたって責任を持って夢に邁進しているのに対して、タカヨシは休学をして適当に本を読んだり講演会にいったりして虚無な人脈ごっこをしているだけです。ばっちり肝っ玉母さんに看破されて心を入れ替えるので根は素直ないい子。中二病をこじらせただけだと思います(笑)。

こういった面白キャラクター達を通じて「大人になるとはなんぞや」というこそばゆい青春劇を見せてくれるわけで、これがつまらないはずがありません。

【まとめ】

たしかに、「拓人の心の闇が~」みたいな部分や、終盤に出てくる超恥ずかしい演劇メタファー(※これは「他者から見られることで初めて自分になるのだ」というペルソナ論をそのまんま舞台役者と観客の関係に例えています。)に引っ張られるとダサく/つまらなく見えるかも知れません。しかし、本作は「青春の終わり」を描く群像劇として大変良くできています。結局理香だけが大人になれないんですが、それでもみんな青臭くもがいて大人になろうとします。もう大人になっちゃった方はもちろんのこと、これから大人にならないといけない学生のみんなにも十分楽しめる内容だと思います。学生のみんなも「大人って嫌なもんだぞ」みたいな脅しはないので安心して見に行ってください(笑)。ということでおすすめします!

[スポンサーリンク]

記事の評価

トラックバック用URL:

http://qbei-cinefun.com/nanimono/trackback/

何者」への1件のフィードバック

  1. ピンバック: 笑う社会人の生活

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です