では四年ぶりの更新はこちら
「バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生」です。
評価:(60/100点) –
ベン・アフレックは頑張った!あとムチムチ!!!
【あらすじ】
地上に、神が降りた。前作「マン・オブ・スティール」にて圧倒的な存在感をもって地上に降臨したスーパーマンは、異星人・ゾッド将軍の地球侵略を見事に阻止した。しかしその一方で、多くの一般市民を戦いに巻き込み、犠牲者を出すに至った。
得体の知れないスーパーマンは、熱狂的信者を生み出す一方で、同じくらい多くの恐怖と反発を招いた。そして遂に、抑止力の必要性が訴えられるようになる。
その時、あの男が遂に動き出した、、、
【三幕構成】
第1幕 -> バットマンの暴走
※第1ターニングポイント -> クリプトナイトの塊がメトロポリスに来る
第2幕 -> バットマンによるクリプトナイト奪取作戦と打倒スーパーマン
※第2ターニングポイント -> バットマンが改心する。
第3幕 -> マーサ救出作戦とドゥームズデイとの死闘
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【感想】
ということで、改めましてこんばんは。きゅうべいです。ブログ復活第1弾は「バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生」です。アメリカにおける「ジャンプとマガジン」的な立ち位置のマーベルとDCコミックスにおいて、全てを超越して知名度を誇るのは「スーパーマン」「バットマン」「スパイダーマン」です。日本でいう仮面ライダーとかドラゴンボールみたいな感覚ですね。話しは知らなくても、キャラクターを知らないってことはまずありません。ところがどっこい、マーベルはアイアンマンを筆頭に良作を連発し、「軽いノリで家族や恋人と楽しめるヒーロー映画」を確立してしまいました。しかも大正義スパイダーマン抜きで^^;「ダークナイト」だって面白いですが、やっぱ暗いじゃないですか。これはDCコミックスにとってはかなりまずい状況です。そんなこんなで、マーベルに対抗するために、DCもDC版アベンジャーズであるところのジャスティス・リーグを本格的に始めるわけです。余談ですが、この「DC版アベンジャーズ」という表現が、もうすでにDCコミックスにとっては屈辱なわけです(笑)。
そんな状況の中で、「マン・オブ・スティール」はかなりアレな出来になってしまったわけで(笑)、本作はまさにDCにとっての「負けられない戦いがそこにある」って環境です。プレッシャー5割り増し。7回8点差からの大逆転が求められる大事な場面。だれしも「ザックで大丈夫か?」「ノーランのが良くね?」「っていうかベン・アフレックじゃね?」と怪しい空気が流れる中、ザック・スナイダーの続投です。
さて、このお決まりのセリフを書くのも4年ぶりです。以降、本作を全力で擁護するために完全にネタバレを含みます。未見の方は、ぜひ映画館で見ていただいて、そのあとでお読みください。
また、本作は「マン・オブ・スティール」の完全な続編です。「マン・オブ・スティール」を見ていないとそもそもの話についていけませんので、映画館に行く前にまずは前作をチェックしてください。
話の概要
本作は「マン・オブ・スティール」の「一方その頃劇場」から始まります。「マン・オブ・スティール」にてゾッド将軍とスーパーマンがまさに死闘を繰り広げるそのウラで、メトロポリスにあるバットマン=ブルース・ウェインの会社ビルが倒壊し、従業員に多数の死者が出ます。ここからブルースは私怨の入り混じった「こじらせ正義感」でもってスーパーマンを敵視していくようになるわけです。
そして、その私怨を利用する悪魔レックス・ルーサーによって、ついにはバットマンとスーパーマンは戦わざるをえない状況に突入してしまいます、、、、。そう、「ダークナイト3部作(2005~2012)」の流れを否が応でも意識してしまう本作において、倫理を問う「悪魔」の役はレックス・ルーサーが背負います。レックス・ルーサーを演じるジェシー・アイゼンバーグは、今作でも早口・頭の回転激速・ちょいとイカれたサイコパスという得意芸を披露してくれます。「まんまソーシャル・ネットワークのザッカーバーグやんけ!」という話なんですが、もうなんかアイゼンバーグが出てきただけでキャラがわかるというすごい変な立ち位置になってしまいました(笑)。ある意味では藤原竜也の最終進化系かもしれません(笑)。
また、このあたりは「アベンジャーズ(1作目)」でも苦労していた部分なのですが、ヒーロー同士が戦うというのは、作劇的には非常に難しいのです。プロレスが好きな方には「チャンピオンvsチャンピオン」というとすぐにピンと来ていただけるかと思いますw
ちょいと話しが脱線しますが、「チャンピオンvsチャンピオン」というのはプロレスに古くからある様式美の一つでして、数々のアレげな遺恨を残してきた曰くつきの試合展開のことです(苦笑)。アメリカのプロレス界には昔(※といっても厳密には名前だけはいまも残ってます)NWAという業界団体がありまして、ここが多くの加盟団体を盛り上げるために「統一王者」を核とした「中央ドサ回り体制」というのを組んでいた時代がありました。要は各団体ごとに各々存在しているチャンピオンのさらに上に「NWA世界チャンピオン」という「チャンピオン・オブ・チャンピオンズ」を作って、これが全米を巡業していくんですね。そうすると、一年に一回、「世界チャンピオンがオラが街にやってくる」というイベントが有るわけです。こうしてマンネリ化しがちな団体のストーリーに刺激を加えるんです。そこで生まれるのが「チャンピオンvsチャンピオン」という型です。「世界チャンピオンは負けてはいけない」「その地方のチャンピオンもボロ負けして”格”を落としてはいけない」という制約のもと、試合を組み立てないといけないのです。そうすると、これはもうパターンが決まってきます。
1) 世界チャンピオンの反則負け
2) 接戦での両者リングアウト
3) いい試合を展開するが邪魔者が乱入して無効試合になる。チャンピオン同士が共闘して邪魔者を排除し、最後は二人でガッツポーズ&固い握手
4) 大接戦を演じるが、地元のヒーローが最後にあと一歩およばずに世界チャンピオンに負ける
世界チャンピオンが悪役(ヒール)の場合、1)のパターンが一番楽で疲れません。実際に歴代のNWA王者はヒールで1)を行うことが圧倒的に多かったです(笑)。2)はお客さんが不完全燃焼になってしまうため、ここぞの場面では使えません。3連戦等のときに、初戦で使うのが上等手段です。3)は一番みんながハッピーになるパターンです。これはどちらのチャンピオンも価値を損なうことなく善玉(ベビーフェイス)でいられるとても良い選択肢です。4)はこれもWin-Winなのですが、超疲れるという弱点があります(笑)。世界チャンピオンはほぼ毎日試合をしないといけないので、こういう30分を超えるハイスパートゲームは1年に1回くらいしかできません。これはビッグマッチ用です。
さて、では今回の「チャンピオンvsチャンピオン」、つまりバットマンvsスーパーマンはというと、、、こりゃもう見なくてもなんとなくわかると思います(笑)。その予想があっているかどうか、ぜひ劇場でお確かめください。
ちなみに、本作の元ネタのひとつである「ダークナイト・リターンズ(日本では「バットマン:ダークナイト」名義で小プロから刊行http://books.shopro.co.jp/?contents=9784796870610)」では、とある事情で両者リングアウト状態になっています(笑)。
怒涛の擁護を展開するぜ!
さて、それではいよいよ本日の本題に入ります。ここからが私のアクロバット擁護と詐欺的弁舌の腕の見せ所(笑)。では行ってみましょう!
■ 争点1:「そもそもスーパーマンが暗くね?」問題
まず見た方が一番怒っている部分についてやっつけましょう。「そもそもスーパーマンが暗くね?」っていう問題です。これはですね、、、その通りです(笑)。返す言葉もございません。マーベルの一連のアメコミ映画と比べて、本作は明らかにギャグ要素が少ないです。っていうかほとんどないです。ギャグとして成立しているのは、アクアマンの登場シーンと、バットマンがスーパーマンと戦ってる最中に「ちょ、まって、、、たんま!たんま!」ってやるシーンぐらいです。あとは全体的に超シリアスです。
これは一般論としてなのですが、マーベル系は「ノリの軽いスーパーヒーローがギャグを飛ばしながら敵をやっつける」というパターンが多く、一方のDCコミックス系は「ヒーローが頭脳的な敵の手のひらの上で踊らされて苦戦するが、正義の心でなんとか勝利する」というパターンが多いです。キャラの特性上、これ結構仕方ないんですよね。特に今回の「バットマンvsスーパーマン」はどうしたって序盤は「イデオロギー闘争」にならざるを得ないわけで、これは暗くなるしかないんです。余談ですが「イデオロギー闘争」ってのもプロレスオタクが大好きなキーワードです。脱線すると超長くなるので、それはまた別の機会に(笑)。
今回の「バットマンvsスーパーマン」で一番重要なのは、これを「リアル路線」でやるのか「コミカル路線」でやるのかという点です。そしてワーナー/DCコミックス連合は一貫して「リアル路線」を通してきました。この方向性において、本作の「暗さ」はとても重要な意味をもちます。
本作を成立させるためには、観客をバットマン側に感情移入させないといけません。プロレスにおいての「オラが街のヒーロー」はバットマンであり、スーパーマンは「よそからやってきた宇宙チャンピオン」なのです。「DC宇宙ヘビーウェイト・チャンピオン」がスーパーマンで、「DCゴッサムテリトリー・チャンピオン」がバットマンです。この構造において、スーパーマンは「敵かな~?味方かな~?」という立ち位置をキープする必要があります。真正面から戦えば、生身の人間であるブルースが目から怪光線を出す宇宙人のカル・エルに勝てるわけがないですから。
そのため、本作のスーパーマンは「得体の知れない宇宙人」である必要があります。これこそ、まさに「神のいかづち」というスーパーマンのキャラクター性なわけです。クラーク・ケントがとってもナイスガイなのは世界中の皆が知っているんですが、一方で「でもこいつちょっと、、、」と思わせるために、本作では「後光を背負って空からゆっくり降りてくるスーパーマン」という描写が多用されます。まるで天使か神が降臨したかのように、後光で表情がよく見えないスーパーマンは不気味さを漂わせています。スーパーマンの暗さは、この得体の知れなさを演出するために非常に重要です。
■ 争点2:「バットマンが敵を殺してね?」問題
一方のバットマンですが、こちらは「神」であるスーパーマンとは対照的に、泥臭いまでの人間性を見せてくれます。本作のバットマンは、少なくとも後半のとある転機を迎えるまでは、はっきりと「狂って」います。正義を遂行するためには悪人に焼きごてを押し付けて「拷問」することも厭いません。そして、映画を見た多くの方がツッコミをいれているように、序盤のバットマンは明らかに敵を殺しています。夢の中だろうが現実だろうが、バットマンは銃を撃ち、敵の車を爆破し、ぶっ殺しまくります。これはみんなが想像する「バットマン像」とは違います。
本作のストーリーの核となるのは、「オラが街のヒーロー」であるバットマンの復活劇です。
映画の冒頭、ブルースの両親が殺されるおなじみの展開のあと、両親の葬式→地下(井戸?)に落ちる→コウモリと出会うというおなじみの展開があり、そしてタイトルが出ます。映画のラストでは、ブルースが世界中に散らばるヒーローを集めて「ジャスティス・リーグ」を作る決意をする所で終わります。この単純な構成において、映画の最初と最後を担うバットマンは間違いなく本作の主人公です。
映画の1幕~2幕までのブルースは明らかに狂っており、それは
「20年近く戦ってきたのに悪は一向に減らない」
「本当に自分のやりかたは正しかったのか?」
「ポッと出のスーパーマンは犠牲を多く出しているのにヒーロー扱いされている。自分も犠牲を厭わずに強行手段に出るべきでは?」
という自己葛藤の末の「正義感の極端な飛躍」によるものです。ここに及んで、バットマンは「敵を殺さずに逮捕する」というポリシーを捨て、「できるだけ逮捕するが必要ならぶっ殺す」というポリシーに切り替えるわけです。
物語の序盤で、この転向のことをアルフレッドがはっきりとセリフで嘆きます。
“That’s how it starts. The fever, the rage, the feeling of powerlessness that turns good men… cruel. ”
直訳:それ(=スーパーマンの登場)がきっかけです。熱狂、怒り、無力感、それが良い奴(=ヒーロー=バットマン)を残酷な男に変えました。
スーパーマンの登場によってタガが外れたバットマンは、しかし最終盤において、そのスーパーマン自身が「赤い血を流す存在(=全知全能の神ではない)」であり、「母親を心配する一人の良き男(=しかもお母さんの名前がたまたま自分と同じ)」であるという事実を知り、我に帰ります。そしてみんなのバットマンが帰ってきます!本作におけるバットマン最大の見せ場――マーサ救出戦において、バットマンはワイヤーガンで敵を吊るしあげ、殴って気絶させ、そして犠牲者を出すことなく(※ひそかに2人ぐらい手榴弾の自爆で死んでるっぽいですがw)事態を制圧します。そして助けたマーサにギャグを飛ばします。これこそ本作における最大のカタルシスであり、「バットマンお帰り!」という拍手大喝采のシーンなわけです。
そこから先は、ついにジャスティス・リーグとしての初戦、「ヒーロー軍団vsスーパーモンスター」に突入します。これははっきりいって蛇足みたいなものです。ストーリーの本筋はもう終わっていますから、あとは心いくまで「怪獣大戦争」を愉しめばOKです。
■ 争点3:「クリプトナイトを強奪するのにバッツが発信機つけた上でモービルで追っかけるのは変じゃね?」問題
あの場面、バットマンは「いま強奪できるならしちゃいたいけど、万が一ミスったときように発信機をつけとこう」っていうことなんですね。なので、「発信機をつけたのに追っかけるのはおかしい」ではなくて「追っかけるのにわざわざ発信機を付けるなんて、バッツはなんて用意周到なんだ!」と褒めるべきです(断言)。そうなんです。よくやったんです。さすがブルース、百戦錬磨・20年の経験が活かされたナイスチョイスです。そのあとガンぶっ放して発信機が壊れそうになってるのはギャグパートです(笑)。
■ 争点4:「バットマンとスーパーマンの戦いの端初がただのバカじゃね?」問題
返す言葉もございません(笑)。というか、バットマンがスーパーマンの話を聞いてくれなかったのが原因ではじまった「売り言葉に買い言葉」的な喧嘩である事実は否めません。でもさ、仕方ないじゃん。あの場面じゃ「殺る気マンマン」なわけで、まさか「かぁちゃん助けるの手伝って」なんて言ってくるとは思わないべさ。それにさ、スーパーマンは目から怪光線だせるわけで、一瞬でも躊躇ったら即死だからさ。そりゃ先手必勝でいくべさ。仕方ないべさ。そうさ、仕方ないだ(自己暗示)。
■ 争点5:「そもそもマーサを助けるのってスーパーマン単独で楽勝じゃね?」問題
返す言葉もございませんパート2(笑)。スーパーマンが助けを求めるぐらいだから、対スーパーマン専用の罠とか仕込んであるのかなと思ったら、まさかの何もなし(笑)。映画の冒頭でロイスを助けた時と同じやり方でスーパーマン単独で助けることができたのは間違いありません(笑)。でもさ、スーパーマンはウブな坊やだからさ、まさかレックス・ルーサーが100%ハッタリだけであんな大胆な人質の取り方をしてるとは思わないじゃないですか。ということで、あれは間抜けというよりも「さすがレックス!ハッタリだけでスーパーマンを萎えさせるなんて!」とヤツを褒めるべきでしょう。さすがレックス!そこにシビれる!あこがれるゥ!。なんか擁護がキツくなってきた(笑)。
■ 争点6:「スーパーマンが死ぬって酷くね?」問題
最後の最後にスーパーマンが殉職することについて、「これからジャスティス・リーグをやるのにいきなりメインを殺すなよ!」というツッコミが多数見受けられました。でもですね、シリーズを続けるからこそ、これは必要なんです。
これは私が勝手に呼ぶところの「勇者のジレンマ」ってやつです。
皆さん、ドラゴンクエストっていうRPGゲームをご存知でしょうか?エニックスの人気テレビゲームで、だいたいのシリーズ作品は「ど田舎の少年が勇者に成長して、魔王を倒しに行って、世界を救う」という王道ファンタジー・ストーリーです。それでもってですね、この王道ストーリーにおいて勇者にはあるジレンマが発生します。それは「魔王を倒した勇者は、魔王よりも強いうえにもはやライバルがおらず、やろうと思えば世界征服が可能である」ということなんです(笑)。ドラゴンクエストでは、このジレンマを解消するために、勇者が行方不明になったり、勇者が田舎にもどって百姓になったりします。たまに王様になるパターンもありますが、その場合は「いつまでも幸せに暮らしましたとさ」みたいなヌルい注釈がつきます(笑)。
この「勇者のジレンマ」はかなり切実な問題です。現実世界でも「革命家が独裁者になる」というパターンは世界史で繰り返されてきました。勇者は本気をだせば世界征服ができてしまうわけで、それはつまり「世界の脅威を倒したものは、すなわちそれ自身が新たな世界の脅威である」ということなんですね。
本作「バットマン vs スーパーマン」において、ドゥームズデイを倒したスーパーマンは完全に「世界の脅威」なんです。スーパーマンがいると、彼が強すぎるがゆえにこの先ストーリーが転がせなくなってしまいます。つまり、セガール映画におけるスティーブン・セガールのように(笑)、スーパーマンがいると「いつスーパーマンが本気をだすか」という点以外にストーリーが成立しないんですね。ですので、シリーズを続ける以上はスーパーマンには一旦お休みしてもらう必要があるんです。これにたいしてスーパーマンのファンの方が怒る必要はまったくありません。むしろスーパーマンを最大限に評価しているからこそ「一旦お休み」という選択肢を取らざるを得ないわけですから、最高のリスペクトを受けている証拠です。
■ 争点7:「でもさ、クリプトナイトの槍を貫通させる必要なくね?」問題
返す言葉もございませんパート3(苦笑)。本作では、「自分の胸に突き刺さったドゥームズデイの右腕」をわざわざ引き寄せて(自分に深く突き刺して)まで、スーパーマンはドゥームズデイにクリプトナイトの槍を深く突き刺し、貫通させます。でも、クリプトナイトってその形状に破壊力があるんじゃなくて触れたり近くにいるクリプトンを弱体化させるわけで、っていうことは貫通させずに体内に残しておいたほうが破壊力高いんですよね(笑)。たぶんスーパーマンも久々の熱血展開でテンション上がっちゃって判断をミスったんでしょう。スーパーマンの人間らしさが垣間見えるすばらしいエピソードです(半分泣き目)。
【まとめ】
勢いで書いていたらすでに6,000字を超えてしまったのでまとめに入ります(笑)
本作はスーパーヒーロー軍団「ジャスティス・リーグ」の序章であると同時に、実質的に「新生ベン・アフレックのバットマン」1作目です。ですので、本作は「ジャスティス・リーグ誕生の契機がきちんと描かれているかどうか」と「ベン・アフレックのバットマンは魅力的かどうか」が重要です。その点はどうでしょうか? 本作は随所でボロクソに叩かれてますが(笑)、でも少なくとも「ベン・アフレックのバットマン」と「ワンダーウーマンの太もものムチムチっぷり」についての悪口は見たことがありません!っていうか最高です!太もも最高!!!
ということで、ベン・アフレックが最高で、太ももがむっちむちで、なんの文句がありましょうか??? いや、あるはずがない(反語)。
暗い? 話が長い? バットマンとスーパーマンが戦ってない? ロイスが間抜けすぎる? そんなことはええんや!!!
太ももじゃ太もも!!!!
おすすめで~~~す。(適当)
※ちなみに、大マジな話、そろそろジョゼフ・ゴードン=レヴィットのナイトウィングがみたいので、是非ベンアフ版バットマン単独作品は「Court of Owls」原作でお願いしたいです。
※ザック・スナイダーという監督は、「300」もそうですし「ウォッチ・メン」もそうですし、もちろん「エンジェル・ウォーズ」もそうですが、あんまりお話に興味がないんですよね(笑)。”グラフィックノベルの映像化”の極北が「シン・シティ(2005)」シリーズなわけで、きっと大真面目に巨大バジェットを使ってそれをやりたかったのかなぁと。「いかに漫画を格好良く実写化するか」というオタクマインドで突き進む人なので、そういう意味ではヘンリー・カヴィルもベン・アフレックも十二分に格好いいし、いいじゃんとゆる~く思います(笑)。
※さんざっぱら言われてますが、本作の元ネタは、7割が「ダークナイト・リターンズ」、2割が「キングダム・カム」、残りが「フラッシュ・ポイント(ヴィレッジブックス刊)」他って感じです。とりあえず、アメコミを掘ってみたい方は小学館集英社プロダクションの「ダークナイト」(←ダークナイト・リターンズと続編のダークナイト・ストライクス・アゲインの合本豪華版)を読んでおくと良いと思います。気に入ったら「バットマン:ゼロイヤー(The New52!)」に行くと、なんとなくイントロから読めます。リブートしたバットマン漫画は、まだ本編6巻+外伝3巻しかないので手を出しやすいです。
以下はアフィリエイト/ステマ等は一切ございませんので安心してご覧ください(笑)。
●7巻:バットマン: Endgame (THE NEW 52!)※日本未発売
●8巻:バットマン: Superheavy (THE NEW 52!)※日本未発売
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