ジョーカー

ジョーカー

今日はもちろん話題沸騰中のこちら、

「ジョーカー(JOKER)」です。

評価:(95/100点) – ジョーカーの悪辣なジョークに君は何を思うか?


【あらすじ】

アーサー・フレックは道化師である。スタンダップ・コメディアンを目指し、今日もピエロとして営業に明け暮れている。アーサーは少し精神を病んではいるが、老いた母の介護をしながら自身もカウンセリングを受け、ゴッサムの片隅でそれなりに頑張って生きていた。

ある日、アーサーは商店での道化営業中に通りすがりのヤンキーたちに絡まれてしまう。トラブルに遭ったアーサーを心配した同僚のランドルは拳銃をアーサーに渡す。それが大トラブルの元だとも知らずに、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> アーサーの日常と道化業
 ※第1ターニングポイント -> 地下鉄での事件
第2幕 -> アーサーの苦悩
 ※第2ターニングポイント -> 母殺し
第3幕 -> ジョーカー爆誕!


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【感想】

皆さんおはこんばんにちは。きゅうべいです。ブログを書き始める前は億劫なのに、一回書き始めると急に書きたいことが山程浮かんでくることってあるんですよね(笑)。前回の「HELLO WORLD」のおかげで何となく文章欲が高まってまいりました。ということで今日は超話題作の「ジョーカー」です。

このブログを読んでいただいている方にはとっくにバレてると思うんですが、実は私、マーベルよりDCというかバットマンのが好きなんですよね。アメコミももっぱらバットマンシリーズを読んでいます。子供の頃にティム・バートン版のバットマンを映画館で見たのが私の原体験になっていまして、これも仕方ないかなと思っております。三つ子の魂百までってやつです(笑)。

さて、このジョーカー。世間的にはもちろんベネチア映画祭の最優秀賞・金獅子賞を獲ったというのが大きいのは言うまでもありません。その御蔭からなのか、体感では「バットマンvsスーパーマン」の5~6倍ぐらいは観客が入っていました。というか日比谷のTOHOは完全フルハウスでした。一昔前では考えられません。アメコミの中でも知名度バツグンのバットマンだというのみならず、ベネチア金獅子賞も一役買ってるのでしょう。客層もいわゆる「アメコミファン」というよりは、心なしかお上品な方が多かったような気もしています(笑)。

相変わらず三幕構成でネタバレはしておりますが、ここから先はさらにネタバレのオンパレードになります。また作品の都合上、おそらく正解は無いといいましょうか、どうしても「オレ解釈」的な話に終始することになってしまいます。私の文作風として断定口調で進めていきますので、不快に思われる読者の方がおられるかもしれません。何卒ご容赦ください。

話の概要

頭からいきましょう。

本作はバットマンの永遠のライバル「ジョーカー」の誕生を巡るストーリーです。正確には「ジョーカーの誕生を巡るストーリー」ということになっています(笑)。舞台はおなじみのゴッサム・シティ。本作でもクリストファー・ノーラン版に準拠するような形でリアル志向の街並みとなっています。たぶんニューヨークですかね。ニューヨークといえばで有名な一直線の高架地下鉄(NY市営地下鉄)が出てきます。劇中にでてくる象徴的なながーい階段はシェークスピア・アベニューのやつです。

そんな「汚い大都市」ゴッサム・シティで、主人公アーサーは懸命に生きています。自分も精神を病んでいるのに、さらに介護が必要な母親との2人暮らし。生活は厳しく、日雇いのような形でピエロ派遣会社に勤めています。鬱屈とした生きづらさを漠然と感じながらも、それでも生きるのに一生懸命なアーサー。そんなアーサーの周りで、理不尽な事件が吹き荒れます。突然の解雇。補助金打ち切りによる精神カウンセリングの廃止。薬もロクに買えず、世間との溝はますます深まるばかり。唯一の心の拠り所であったスタンダップ・コメディアンへの道も、しかし共感性の欠如からか中々笑いのツボが皆と合わない。そんなこんなで怒涛の”追い込み”がアーサーを襲い、彼の精神的な限界を超えます。ついにブチ切れたアーサーはジョーカーとして生まれ変わります。もはや他人は関係無い。笑いなんて所詮は主観的なのだ。完全に開き直ったジョーカーは、自身に政治的な意図が一切ないにも関わらず、貧困層が富裕層に対する不満をぶち撒けるその象徴に祭り上げられます。デモ隊のど真ん中で、ジョーカーは脳内音楽でダンスを始めるのです、、、。

、、、というストーリーをジョーカーは監獄の精神病棟でカウンセラーに語ります(笑)。「このジョークわかるかなぁ???わかんねぇだろうなぁ~」。そんなわけでサクッとカウンセラーをぶっ殺したジョーカーは、今日も今日とて脱獄を企てるのです。

これはジョーカーの仕掛けた壮大なメタギャグだ!

本作を見ていると、強烈な違和感というか「変な感じ」をすごく感じます。いわゆる編集ミスのような不自然な点が多いんです。まるでサブリミナル効果のように「変な感じ」が積み上げられ続け、そして最後の最後にジョーカーの顔のドアップからのズームアウトによって「実はこの映画本編こそがジョーカーが仕掛けた壮大な問いかけなのだ」というのがわかるという仕組みになっています。

さて、大前提です。
DCコミックスの世界において、バットマンやジョーカーは言うなれば「普通の人間」です。超大金持ちだったりはしますが、しかしスーパーマンのように空が飛べるわけでもなければワンダーウーマンのように神様の子供みたいなこともありません。努力やコスプレで格好よくなっているだけで、中身は普通の人間です。ではジョーカーはなぜライバル足り得るのでしょうか?

ジョーカーをジョーカーたらしめているのは、彼の「悪魔性」です。いま一番手に入れやすいコミックですと「NEW52!バットマン:喪われた絆」あたりですかね。ジョーカーはバットマンに対して「おまえの考えている常識は本当に常識なのか?」「おまえの正義は本当に正しいのか?」というのを絶えず問いかけてきます。その精神攻撃はとどまるところを知りません。彼はその攻撃によってバットマンの「偽善と欺瞞」を白日に晒し、そしてそれによって「バットマンだってオレと変わらないじゃねぇか」というのを証明しようとします。そう、善と悪でベクトルが違うだけでジョーカーもバットマンもどちらも狂人なんです。

そんなジョーカーは本作でついに攻撃を映画の観客に向けてきます。そう、今回の精神攻撃の対象はスクリーンの前に座っている我々です(笑)。今回バットマンは出てきませんからね(苦笑)。

今回のジョーカーの攻撃はこうです。この映画の本編を見て「これは社会風刺の映画だ!」とか「これは社会に阻害された貧困層が自我を開放して自ら行動を起こすまでの物語だ!」とか「これは21世紀のタクシードライバー、トラヴィスの再来だ!ベトナム戦争反対!トランプ辞めろ!」とかそういうことを思った人は、ジョーカーの攻撃にまんまと嵌った方たちです。なぜならば、こういうことを言ってる人たちは、つまり「劇中の最後にジョーカーの意思を無視して勝手に祭り上げるピエロ覆面の暴徒たち」と同じことをしているからです。

映画の最後を思い出してください。逮捕されたアーサー=ジョーカーは、暴徒たちによってパトカーから奪還されます。ぐったりしたジョーカーは両手を広げて足を閉じ、まるでキリスト像のような十字型の体制で人々の上を担がれていきます。そして車のボンネットに横たえられ(=磔になり)、皆の祈り・期待によって復活します。復活したジョーカーは「政治的な意図は一切無い」という言葉とは裏腹に、反体制の象徴として祭り上げられます。


つまり、この映画を見て上記のような「社会風刺が~」と言うのは、まさに「ジョーカー(※キャラと本作のタイトルのダブルミーニング)」を祭り上げる行為であり、はっきりと本人の口から「政治的な意図は無い」と言われているにも関わらず勝手に自分の意見を正当化するためだけに「ジョーカー」を利用する偽善者どもなわけです(笑)。

念の為ですが私が言ってるんじゃないですよ。劇中のジョーカーが言ってるんです。

つまり、ジョーカー(=というかこの映画を作ったトッド・フィリップス監督)にとっては、「社会風刺として素晴らしい」とかいって世界三大映画祭のベネチア金獅子賞をもらった事自体が壮大な「欺瞞・偽善を白日のものに晒してやった」成果なわけです(笑)。ベネチアさん、釣られましたな(笑)。

そんなわけあるか!と思う人は、以下のインタビューを御覧ください。

続編はホアキンが作るべきと言ったら真剣に考える――『ジョーカー』トッド・フィリップス監督インタビュー
https://jp.ign.com/joker/38759/interview/

政治的な映画だと見る人がいるかもしれないが、それは自分が意図したところではない。人道主義者的な映画だと見る人もいるだろう。それは自分が意図したところだが、メッセージが何かはすべて観客の方に委ねている。

劇中でジョーカーがお披露目となる象徴的なテレビシーンで司会者マレーに言い放つ「自分に政治的な意図はない」というセリフを、監督も自覚的に繰り返しています。確実にわざとですね(笑)。トッドもワルよのぉ。

この映画はアーサーが外部からの怒濤の抑圧から解放されて、そして周りから求められるところで終わるという大変パーソナルな内容です。だから不謹慎ではありますが、間違いなく人道的です。一人の男の救済の話ですからね。

もちろんこのジョークが成立した一番の成功要因がホアキン・フェニックスの演技力であることは疑いようがありません。ジョーカーが生理的に魅力的であればあるほど、偽善者どもは彼をダーク・キリストとして祭り上げるのですから。

【まとめ】

というわけで、本作は大変悪趣味かつ壮大なメタジョーク作品なのです。そして現在リアルタイムでこのジョークは完成度を上げていっております。なにせ世間がこの映画を政治的に祭り上げれば祭り上げるほど、よりジョーカーの悪辣なジョークが鋭さを増す構造になっていますからね。こうなったら是非アカデミー賞まで行ってほしいですね。壇上のスピーチで「おまえら馬鹿ばっかか!」とやれば伝説になれるでしょう。出禁になっちゃうかもしれませんが(笑)。

ですからこの映画は是非劇場で御覧ください。これはリアルタイムで評論が飛び交う今でないと最大限に楽しむことはできません。映画を見てそして是非周りのいろんな人の意見を読んで・聞いてみてください。自分の中の偽善者が出て来たのか来なかったのか?評論を書いているあの人は理性的なのか欺瞞的なのか?この映画はそんなイヤ~なところが炙り出される、まさにジョーカーのサイコトラップなのです。

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記事の評価
ジャスティス・リーグ

ジャスティス・リーグ

さて、久しぶりの映画感想の更新です。今日見てきたのはこちら

「ジャスティス・リーグ」です。

評価:(35/100点) – どうしてこうなった、、、


【あらすじ】

前作「バットマンvsスーパーマン」からしばらくのち、世界は謎のエイリアンに襲撃されていた。謎のエイリアン「ステッペン・ウルフ」の目的は地球にある3つのマザー・ボックスを1つに融合し地獄の世界をよみがえらせること。世界の危機を察したブルースは、超人類達のスカウトを開始する。

【三幕構成】

第1幕 -> バットマンのスカウト活動
 ※第1ターニングポイント -> ステッペン・ウルフ降臨
第2幕 -> ステッペン・ウルフのマザー・ボックス集め
 ※第2ターニングポイント -> スーパーマンを蘇らせる
第3幕 -> 対決!ジャスティス・リーグvsステッペン・ウルフ


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【感想】

皆さんおはこんばんにちは。久しく映画の記事を書いていなかったのですが、当ブログの復活は元はと言えば「バットマンvsスーパーマン」を擁護するためでした。そう、ならばこそ、この映画は外せないでしょう。ということで「ジャスティス・リーグ」の登場です。

本作は「マン・オブ・ザ・スティール」「バットマンvsスーパーマン ジャスティスの誕生」「スーサイド・スクワッド」「ワンダーウーマン」に次ぐDCフィルムズユニバースの5作目です。監督はおなじみザック・スナイダーで脚本も引き続きクリス・テリオが書いていたものの、最終的には両者とも降板して仕上げをなんと「アベンジャーズ」のジョス・ウェドンがやっています。相変わらずワーナー映画はプロダクションがグダグダです(笑)。

そんなこんなで相変わらず迷走を続けるDC映画陣営で、では本作はどうなったかといいますと、、、、これですね、まさに「どうしてこうなった」状態です。絵面は間違いなく格好いいのに、話が酷すぎます。このブログを読んでいただいている方にはなんとなく伝わってるんじゃないかと思っているんですが、「バットマンvsスーパーマン ジャスティスの誕生」と「スーサイド・スクワッド」は映画としては決して褒められる出来ではないものの、見るものを熱くさせるというか、こうエモーションを直接的に刺激してくるような魅力があったんですね。だからこそ文句もグチグチいいたくなるし、擁護もしたくもなるわけです。ところがですね、正直申し上げて、本作にはそういう魅力はまったくありません。早い話がただつまんない。今日は私のグチを全開でお届けします。

話の概要

本作は「バットマンvsスーパーマン」の直接的な続編です。スーパーマン亡き世界で、バットマンは今日も今日とてゴッサムの治安を守っています。そんななか、ゴッサムに前作の夢に出てきたパラデーモンが出現するようになります。いよいよ悪魔が地球に迫っていることを実感したバットマンは、目星をつけていた超人達をまとめようとスカウトに乗り出します。一方、ワンダーウーマンの故郷・アマゾンでは、代々守られてきたマザーボックスに異変が起きます。そしてマザーボックスは悪魔ステッペン・ウルフを召喚してしまいます。召喚されたステッペン・ウルフは、地球上に散らばる3つのマザーボックスを集めて地獄を蘇らせようとします。

そう本作はファンタジーよりな世界観で描かれるヒーローvs悪魔のバトルものです。強大な悪魔を倒すため、アマゾネス、アトランティス、人類、クリプトン人の各種族が力を合わせて闘います。これだけ聴くと超楽しそうです(笑)。ところが、、、

本作のマズい所:いま何を何故やってるかがわからない

本作が一番マズいのは、「話の目的」がわからないため、画面の登場人物が「いま」「何を」「なぜ」やっているかがまったくわからない所です。つまりガールズトークっぽい(笑)。これはかなり重傷です。

例えば序盤から出てくるロシアの田舎の家族がいます。なんか原発っぽい煙突がある村に親子で住んでいて、村がパラデーモンに占領されちゃったようです。映画全編を通じてちょいちょいこの家族の描写が挟まるのですが、この家族が本筋に絡むのはラスト15分前くらいです(笑)。しかも実際絡んでみると、それまでの描写がまったく意味がないのがわかります。はっきりいって作品上はただのノイズです。

その他にも、序盤に描かれるバットマンのスカウト活動があくまでも「迫りくる危機に予め対処しようとする」という体裁なので、まったく切羽詰まっていません。そうすると、なんでいまスカウトをやってるのか、そして画面上でなぜその描写が行われているのか、見てて戸惑うんですね。

スカウトが終わった後にしても、唐突に「スーパーマンって復活させられるんじゃね?」みたいな話が始まり、そして唐突に最優先事項として行われ、さらには「復活したスーパーマンは以前とは違うかも」みたいな謎の横滑り展開が始まります。そしてその結果、映画のストーリー上もっとも大切な最後のマザーボックスを置き引きされます(笑)。あのねぇ、、、映画の最重要アイテムをラスボスに置き引きでパクられるってさ、、、バカじゃないの?大げさに書いているように思われるかも知れませんが映画を見た方なら誰しもが納得いただけると思います。最後のマザーボックスは完全に置き引きです。そして最重要アイテムを置き引きされてまで始まった「スーパーマンがおかしい」みたいな展開も、特に収束しないまま適当に終わります(笑)。

これらの事は単に「一本の映画に要素を詰め込みすぎ」というだけではなくて、そもそものストーリーラインをちゃんと書けてないということなんですね。一本のストーリーラインを書いた後にエピソードを肉付けしていったならばこうはなりません。すっっっっごい行き当たりばったりです。これですね、おそらく元々前後編の2部作でやるはずだったのを1本にまとめたことと、監督・脚本が相次いで降板したことが無関係では無いと思います。少なくとも一人の「責任者」がちゃんと目を通したらこうはなりません。

万事が万事適当なので見てて本当に混乱しますし、今何を目的に何をしてるのかがよくわからなくなってきます。そんなわけで結果的には大した盛り上がりもせず、本当は結構強いはずのラスボス・ステッペン・ウルフがただの雑魚にしかみえなくなり、しかもフラッシュもアクアマンも「スーパーマンが居ればいらないんじゃね?」というアレな着地になってしまうんです。そう、せっかくのスーパーヒーロー集合映画なのに、ぜーんぜん役にもキャラも立たないんですね。本当どうしてこうなったんでしょう

【まとめ】

というわけで、DCFUの前2作と比べて明らかにテンションが低いのがお分かりいただけるかと思います(笑)。テンション、、、、、、上がらないっすよね。凄い期待してたんですけれども、なんだかな~~~となってしまいました。気を取り直しますと、DCFUの次回作は脚本・主演ベン・アフレックの「ザ・バットマン」になるはずです。これはさすがに面白いでしょう。天才ベン・アフレックがまさか得意の俺様映画で外すとも思えません。ということで「ジャスティス・リーグ」は見なかったことにしまして、ザ・バットマンに期待しましょう!!!

ちなみに「ザ・バットマン」は元々ベン・アフレックが監督・脚本だったのに、監督は猿の惑星リメイク版のマット・リーヴスに交代になり、脚本もベン・アフレック版からだいぶ改変されたと言われております。なんでワーナーはこんな話ばっかなんでしょう、、、、。

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記事の評価
ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー リミックス

ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー リミックス

土曜は2本見てきました。1本目はマーベル最新作

「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー リミックス」です。

評価:(82/100点) – ヤンキー=マイ・メン+マザコン


【あらすじ】

ガーディアンズの面々はソブリン人の依頼でアニュラクス・バッテリーの防衛を任される。軽々仕事をこなして、報酬として囚われの身のネピュラを確保したガーディアンズだったが、なんとロケットが肝心のバッテリーを盗んでいた!「防衛を引き受けた貴重品を自分で盗むバカがどこにいるか!」大激怒するソブリン人達から命からがら逃げるガーディアンズを救ったのは、謎のカプセル型宇宙船でサーフィンを決め込むナイスダンディだった。いかしたオジさんは、ピーターにこう声を掛ける。「探したぞ、我が息子よ」。こうしてガーディアンズは二手に別れる。ロケット、グルート、捕虜ネピュラの三人は壊れた宇宙船ミラノを修理するためとどまり、ピーター、ガモーラ、ドラックスの三人は、ピーターの父の故郷と言われる惑星エゴへ向かう、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> バッテリー防衛とソブリン人の追撃
※第1ターニングポイント -> ガーディアンズがベアハートに不時着する
第2幕 -> ふた手に別れた行動
※第2ターニングポイント -> ピーターが真実を知る
第3幕 -> 惑星エゴ決戦


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【感想】

さて、土曜はマーベル・シネマティック・ユニバースの15作目、「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー リミックス」を見てきました。前作「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー(2014)」は「ダメ人間たちがダメなまんまで宇宙を救うスペース・オペラ」として超大傑作すぎる内容で親指が上がりっぱなしでしたが、本作ではダメ人間から「ダチ公マイ・メン!」な感じのマイルドヤンキー志向にシフトしまして、よりエモい方向に方針転換しています。ちょうど最近「ワイルド・スピード ICE BREAK (Fast & Furious 8)」を見たばっかりなので、完全にテーマが被ってました^^;

本作では実の「家族」と、マフィア/ヤンキー的な意味での「ファミリー」の間で多くのエモい事件が発生します。

アベンジャーズ・シリーズのラスボス・”青ゴリラ”サノスの娘であるガモーラとネビュラ姉妹の確執。実験動物として家族を持たない(=持てない)ロケットと、相方でありながら前作で犠牲となり転生した赤ん坊のグルート。妻と娘を殺されて孤独なドラックス。栄光のラヴェジャーズから追放されワルとして生きるヨンドゥと、彼に誘拐され育てられたピーター。こういった孤独を感じるハグレもの達が、「ガーディアンズ」というチームによって仮想家族となり、お互い絆を深めていきます。

そう、これ、スペースペラを使っているだけで、やってることはドヤンキー人情ものなんですね。全世界規模でマイルドヤンキー化が進んでいるという、、、良いのか悪いのか^^;

ただ、「ワイルド・スピード ICE BREAK」が「ヘッドの隠し子を救うためにファミリーが頑張る」という非道徳/ヤンキー色が強すぎる(笑)内容であるのに対し、こちらはよりマイルドで道徳的な方向に着地しております。そういった意味では、こちらの方がより万人受けします。

相変わらずジェームズ・ガン監督が上手いのは、こういったエモエモ全開の話の合間に事あるごとオヤジギャグをぶち込んでバランスをとってくる所です。最後の最後、カーテンコールの超エモい花火&ラストカットの涙まで、なるべく観客が泣き出さないようにひたすらハズしてきます。そして、観客の「泣きたいのに泣けないよ~~~」を完全に殺しに来るラストで、ものっすごいアザとい演出を使い、ものっすごいピンポイントに泣かせにきます。ダメ人間が名誉回復する話なんだから、そりゃウルっときても仕方ないですわ。仕方ないけど、あまりのアザとさに個人的にはちょっと引きました(笑)。正直な話、泣ける映画度は前作より格段に上がっていますが、映画としてのクオリティというか対象レベルはちょっと下がってると思います。

この後の展開として、マーベル・シネマティック・ユニバースとしては「スパイダーマン・ホームカミング(2017夏)」「ソー:ラグナロク(※バトルロイヤルとかいうクソ邦題はボイコットします。)」「ブラック・パンサー(2018春)」と続いて「アヴェンジャーズ:インフィニティ・ウォー(2018GW)」に行きます。ガーディアンズが前作「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー(2014)」でノバ帝国に預けたオーブをサノスが奪いに来るのは確実なので、「アヴェンジャーズ:インフィニティ・ウォー」でガーディアンズが乱入してくるのはほぼ間違いありません。

本作の舞台が2014年。「ドクター・ストレンジ」の冒頭が「キャプテン・アメリカ:シビル・ウォー」と同時期(※事故に遭う車の中でローディのカルテが映る)で2016年。アヴェンジャーズ:インフィニティ・ウォーの舞台が2018年になると考えると、「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー リミックス」からは4年後になります。グルートはどこまで成長しているのか?ガーディアンズのチーム力は上がっているのか?スタローン率いるラヴェジャーズの参戦は? キャラが飽和状態で散らかり始めたMCUですが、まだまだ大団円まで突っ走りそうです。

ただ、結局これって原作アメコミと同じく「一見さんお断り」状態になりつつあるんですね。DCコミックでは全部リセットして「New52!シリーズ」と銘打って最初からやり直しましたが、MCUもどこかで一区切り付けないといけないかもしれません。

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ドクター・ストレンジ

ドクター・ストレンジ

週末はマーベル最新作

「ドクター・ストレンジ」を見ました。

評価:(70/100点) – ん!?雑か!?


【あらすじ】

ドクター・ストレンジは天才的な神経外科医である。その類まれな手腕でもって多くの命を救ってきたものの、いかんせん性格に難があり超自己中だ。彼はある夜に脇見運転で崖から転落し、両手の神経を激しく損傷してしまう。医者として致命的な怪我をおった彼は自暴自棄になっていく。そんな時、ストレンジは奇跡的に下半身不随から復活したという患者の話を聞く。藁にもすがる思いでその男・パングボーンに会った彼は、「カーマ・タージへ行け」という言葉を頼りにネパール・カトマンズへ向かう、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> ストレンジの日常と事故
※第1ターニングポイント -> ストレンジがカーマ・タージへ着く
第2幕 -> ストレンジの修行とカエシリウスの反乱
※第2ターニングポイント -> エンシェント・ワンの死
第3幕 -> 香港サンクタム攻防戦


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【感想】

さてさて、土曜はマーベル・シネマティック・ユニバースの最新作「ドクター・ストレンジ」を見てきました。昨年のシビル・ウォーは結構な客入りだったのですが、本作はそんなでも無く、やっぱちょっとキャラの知名度が低いのかな~と思ったりしました^^;

主演はおなじみベネディクト・カンバーバッチ。「スター・トレック イントゥ・ダークネス(2013)」では歴代屈指のヴィラン・カーンを演じていましたが、比較的真面目な映画に出ているイメージが強く(笑)、正直ドクター・ストレンジはどうなんだろうとちょっと不安でした。ところがですね、蓋を開けてみたら超似合ってる。というか、序盤は普通にいつものカンバーバッチなんですが、魔法を身に着けてヒゲを揃えてからはもうイラストのドクター・ストレンジにしか見えません。蝶野正洋かカンバーバッチかってくらいバッチリです。本当にマーベルは俳優を連れてくるのが上手いです。

そして今回の監督・脚本はこれまたファミリー映画と正反対のスコット・デリクソンを連れてきました。リメイク版「地球が静止する日 (2008)」、「ヘルレイザー ゲート・オブ・インフェルノ(2000)」「デビルズ・ノット(2013)」「NY心霊捜査官 (2014)」などなど、決してできが良いとはいえないアホ映画ばっかり撮っている監督です^^;ホラー・サスペンス演出の人なんですが、なにせ元ネタ丸わかりのオマージュばっかり詰め込んでくる人で、「楽しそうだけど頭悪っ(笑)」っていう監督なんですね。「あぁゾディアックね」「いまさらブレアウィッチ・ネタか」とか(笑)。

本作でもガッツリとオマージュネタをぶっこんできています。ベースは脚本をDCEUのデヴィッド・ゴイヤーがやった「ダークシティ(1998)」です。本作一番のビジュアル面では、当然「インセプション(2010)」と一連のマトリックスシリーズ、特に「マトリックス レボリューションズ(2003)」です。ビジュアルでマルチバース(多元宇宙)を飛んで行くところとか、ミラー・ディメンジョンで建物や街を歪めるところとかはモロです。あとは、回転廊下で「2001年宇宙の旅(1968)」も入ってますね。階段に落ちてからマントで戻ってくるのとかは「バック・トゥ・ザ・フューチャー2(1989)」ですし。こういった感じで、とにかく監督が好きなものを根こそぎぶっこんできて、あとは勢いでカバーしています。

そう。本作は近年のマーベル・シネマティック・ユニバースでは珍しいなってくらい話のプロットが雑です(笑)。

ドクター・ストレンジが魔法を使えるようになる修行過程がよくわかりませんし、カーマ・タージに魔法使いが多すぎて全然秘密結社になってないうえに、他の魔法使い達がその後全然戦力として出てきません。そもそもカーマ・タージでストレンジが相応の期間修行してるはずなのに、その間はカエシリウスがなんにもしないで潜伏しててくれるんですよね。カエシリウスからしたら待ってる理由はないですからさっさと攻めてこないといけないんですが、ストレンジの修行中は律儀に大人しくしてて、修行が一段落したらいきなりロンドンとニューヨークに立て続けに攻めてくるという^^; ストレンジが途中で離脱して手術を受けるシーンでも、カエシリウスはニューヨーク・サンクタムを潰さずに待ってますしね。結構空気が読める良い人なんです(笑)。

そういった意味だと、本作ラスボスのドルマムゥもかなり素直で良い人です。ストレンジの嫌がらせを受ける損な役回りで、そのわりにあんまり悪いこともしてないっていう可哀想なキャラです。

そんなわけで、本作はもう話の筋とかどうでも良くて、とにかくカンバーバッチ演じるドクター・ストレンジが「嫌味で高飛車だけど格好いい!」というだけを見る完全に割り切ったキャラものになっています。個人的にはMCUの中では「マイティ・ソー(2011)」以上「アントマン(2015)」以下ぐらいの出来かな~と思います。低いんだか高いんだか良く分かりません(笑)。

決してつまらないわけではないんですが、かといって面白いわけでもなく、やっぱりMCUお得意のキャラ紹介シリーズにしかなってないかなと思います。今後、「マイティ・ソー3(マイティ・ソー:ラグナロク)」と「アベンジャーズ インフィニティ・ウォー」に登場しますので、その顔見せですね。本作のエンドロール中にはまさにこの「ソー:ラグナロク」のイントロが流れます。

ですから、一応チェックはしておいたほうがいいんですが、まぁあんまりハードルを上げずにポップコーンとビール片手にふらっと見に行くぐらいの姿勢で丁度いいかと思います。

余談ですが、カーマタージの本拠地が原作のチベットからカトマンズに変更になってるあたりに、諸々の政治的な配慮を感じます(笑)。マーケットとして無視できないですからね^^;

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記事の評価
ミュータント・ニンジャ・タートルズ:影<シャドウズ>

ミュータント・ニンジャ・タートルズ:影<シャドウズ>

今日は新作の

「ミュータント・ニンジャ・タートルズ:影<シャドウズ>」です。

評価:(30/100点) – バカさ炸裂お祭り映画


【あらすじ】

前作「ミュータント・タートルズ (2014)」で逮捕されたシュレッダーの移送が予定される中、シュレッダー配下のフット軍団達は移送中の救出作戦を準備していた。計画を知ったタートルズとエイプリルは、阻止するためにゴミ収集車を改造した「タルタルーガ号」を現場に急行させる!

【三幕構成】

第1幕 -> バクスター博士とフット軍団のシュレッダー救出作戦
 ※第1ターニングポイント -> シュレッダーがクランゲ皇帝と出逢う
第2幕 -> フット軍団のアイテム集め
 ※第2ターニングポイント -> 3つのアイテムが揃う
第3幕 -> クランゲ皇帝vsタートルズ


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【感想】

今日はTMNTのリブート版第2作、「ミュータント・ニンジャ・タートルズ:影<シャドウズ>」を見てきました。こちらもゴーストバスターズに引き続きバリバリ80’sコンテンツでして、私が小学生の時にテレビ東京でアニメをやっていました。同級生の間で「サ・ワ・キ・ちゃ~ん!」というクランゲのモノマネがかなり流行っており(笑)、しょっちゅう言ってたのを覚えています(笑)。90年代に映画が3本作られており、その後2014年にリブートされました。本作はそのリブートされた「ミュータント・タートルズ」の続編にあたります。
そういった経緯からなのか、今日も客席は埋まってはいましたがほぼ30代~40代ぐらいの男性or夫婦ばかりでした。客席に凄い同年代感を感じてしまいました(笑)。

今回はネタバレを極力さけますので、安心して以下お読みください。映画の内容と同じく、今日は雑な文章です(笑)。

良い所:謎のマイケル・ベイ・オマージュ

本作は、前作「ミュータント・タートルズ」と同じくマイケル・ベイがプロデューサーをしています。しかし、監督はジョナサン・リーベスマンからデイヴ・グリーンに変わっています。これ面白いんですが、何故か前作も今作も、「マイケル・ベイが監督した」かと見間違うほど、カメラワークがとても「マイケル・ベイっぽい」です(笑)。
マイケル・ベイの一番の特徴は、「単純な動きをする被写体の周りをカメラがグワングワンと動きまくる」点にあります。要は「勢いはすごいあるけど、実際に何が起きてるかはわかりづらい」んです。ストーリーテリング上はあまりよろしくない演出・カメラワークなのですが、勢いだけは凄まじいので「なんかよくわからないけどテンションがあがる」という効果があります(笑)。
本作でもこの「マイケル・ベイ演出」がほぼすべてのアクションシーンに見られます。下水管の中でもグワングワン。カーチェイスでもグワングワン。飛行機空中アクションでもグワングワン。川に流されてもグワングワン。ドン引きするぐらいカメラがグワングワンに動きまくり、もはや細かい動きがまったく把握できません。っていうか酔います(笑)。あまりにドラッギーなので、だんだん変なツボに入ってすごい楽しくなってくるんですね(笑)。これが本作の一番よいところです。監督が違うのになぜかマイケル・ベイ色が濃い。プロデューサー様への接待なのか、プロデューサー様が口を出し過ぎなのかは定かではありませんが(笑)、ビッグバジェット・バカ映画の勢いを存分に発揮しています。

さらに、本作には往年の人気キャラが多数登場しています。ロックステディとビーバップの脳筋コンビ、仮面のヒーロー ケイシー・ジョーンズ、そしてクランゲ皇帝。ここに前作から引き続きシュレッダーとエイプリルが登場するわけで、否が応でも期待は高まり、ハードルもグイっと上がります。

悪い所:話がガタガタ

では悪い方に行きましょう。本作には、大きく2つの欠点があります。これが結構致命的なレベルでして、せっかく映像であがったテンションをガッツリ削ってくれます。

1つ目の欠点はストーリーラインに対するタートルズの関わり方です。私が上の方に書いた「三幕構成」の所をちょっと見ていただくと、「タートルズ」の文字が出てくるのが三幕目だけなのに気づかれるかと思います。そう、本作はタートルズが話しの本筋に全然絡んできません(笑)。本作のメインストーリーは「クランゲがかつて地球に落とした3つのアイテムが揃うと、”どこでもドア”的なものを作ることができる。シュレッダーがそれを出現させて、クランゲ宇宙艦/テクノドロームを地球に堕ろし、世界征服をしようと企む」というものなんですね。当然タートルズは正義のヒーローとしてこれを阻止しないといけないわけですが、なんと、この「3つのアイテムがそろうと~」というのをタートルズが知るのが、すでに2個集められてしまった”ミッドターニングポイント”なんです。つまり映画の前半半分の話はタートルズがあんま関係ない(笑)。しかも3つ目もサクっと取られちゃって、あっさり最終決戦に突入します。これによって、そもそもの本筋がすごい軽~く見えちゃいます。

2つ目の欠点は、タートルズ側のストーリー、すなわち「もし人間になれるなら、亀を辞めて人間になりたいか?」というアイデンティティの問題です。このテーマ設定自体はとてもいいんですが、肝心の解決にドラマがなんにも無いんです。ちょっと前まで「人間になりたい!」って言ってたのに、理由も何もなしに急に「俺たちは亀だ!」とか言い出しちゃうんで、そもそもいつアイデンティティを持ち直したんだかよくわかりません。これに限らず、「俺たちはもうチームじゃねぇよ」とかSMAP級の解散宣言をした5分後くらいに「俺たちタートルズ!兄弟!カワバンガ!」みたいな円陣を組んでたりもして、結局おまえら何なんだ感がハンパじゃないです。これは邪推なんですが、もしかすると編集をミスって大事な所をカットしちゃったんじゃないかと思います(笑)。DVDが出るときにディレクターズカットかなんかでちゃんと補完されてるような気がしてなりません。あまりにも唐突に主張が変わるので、大混乱でした。

この他にも、シュレッダーがなんぼなんでも扱い酷くないかとか、せっかくの青い薬を粗末にするなとか、ブラジルからどうやっていつの間に帰ってきたんだとか、細かいツッコミどころは結構あります。でもそういうのがスルーできるぐらい、大筋がちょっと酷いです。

【まとめ】

良くも悪くもマイケル・ベイっぽいバカさが炸裂したお祭り映画でした。シン・ゴジラの庵野総監督も樋口監督を差し置いて目立ちまくっていましたが、なんか世界的な流行なんでしょうか(笑)? ノイズが多すぎて引っかかるところが多いのが玉に傷ですが、勢いだけはある映画です。「テレビでやるから流し見しようかな~」ぐらいの姿勢が一番正しい気がします(笑)。積極的なおすすめはしませんが、フラッと入るにはそこまで悪くない作品だと思います。フォローになってるでしょうか(苦笑)。

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X-MEN: アポカリプス

X-MEN: アポカリプス

さてさて夏休み映画2本目は

「X-MEN: アポカリプス」です。

評価:(60/100点) – 「古代の神が蘇ったど~!!!」「で、強いの?」「シラネ(´・ω・`)」


【あらすじ】

紀元前3600年、世界最古のミュータント:エン・サバー・ヌールは神としてエジプト世界を支配しながらも家来の叛逆によりピラミッドの地下深くへと封じ込められてしまう。そして時が経ち、1980年代の冷戦まっただ中、ヌールはカルト信者によって地中から復活を遂げる。彼は自分の世を取り戻すため、全人類・文明を破壊しようとする。

【三幕構成】

第1幕 -> エジプトでのモイラの調査
 ※第1ターニングポイント -> エン・サバー・ヌールの復活
第2幕 -> フォー・ホースメン結成とチャールズの誘拐
 ※第2ターニングポイント -> ヌールがチャールズを使って人類へ宣戦布告する。
第3幕 -> 新生X-MEN vs エン・サバー・ヌール


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【感想】

さてさて、「ペット」に続きまして夏休み映画の2本目は「X-MEN: アポカリプス」です。監督はシリーズでお馴染みブライアン・シンガー。一応リブート版X-MEN3部作の完結編と位置付けられています。とはいえ、スピンアウトの「X-MEN: ウルヴァリン」は3作目が制作中ですし、デッドプールも続編決定ですので、まだまだこれで打ち止めとはならなそうです。なんだかんだで一連の「20世紀FOX版X-MEN」のメインシリーズとしては6作目ですから、もう流石にファンしかいないかな、、、という劇場でした。19時から始まるレイトショー前の回だったのですが、意外と小学生ぐらいの子供連れが2組居て、それはとても嬉しいことです。ただね、、、最初の映画版X-MENってもう16年も前なんだな~と思うと感慨深いものがあります(笑)。

はじめに

もうすっかりお馴染みとなりましたが、一応念のため、ここでシリーズの概要をさらっとおさらいしておきましょう。X-MENは第2次世界大戦~現代あたりを舞台の中心とした超能力新人類「ミュータント」達と普通の人間との交流/対立を描いたシリーズです。

1作目の「X-MEN(2000年)」では「ミュータント登録法案」を巡って、ミュータントの権利拡大を狙う過激派集団「ブラザーフッド」の総帥マグニートと、そのテロを阻止しようとする穏健派の「恵まれし子らの学園」=「X-MEN」の創設者プロフェッサーXとの対決を描きます。

2作目の「X-MEN2(2003年)」では、宿敵ウィリアム・ストライカーが登場します。人間側のミュータント排斥主義者のウィリアムは、対ミュータント軍を率いて「恵まれし子らの学園」を襲撃します。そこに「ブラザーフッド」も雪崩れ込み、三つ巴の戦いが繰り広げられます。

3部作完結編となった「X-MEN: ファイナル ディシジョン(2006年)」では、ミュータントを人間に戻す治療薬「キュア」が開発され、ミュータントの存在意義を問う最終戦争が勃発します。ストーリーとしてはグダグダで、今回のアポカリプスでブライアン・シンガー自らの自虐ネタまで飛び出しました(笑)。一応この作品の監督はブレット・ラトナーで、シンガーはノータッチということになってます。降板前にプロットは書いたようなのですが、まぁ失敗作なんでノータッチにしときましょう(笑)。

なんだかんだあって仕切りなおしと思われたのが4作目「X-MEN:ファースト・ジェネレーション(2011年)」です。これは当ブログでも大絶賛しました。前作までから舞台は遡って1960年代、冷戦まっただ中を舞台に、ミュータント過激派のショウと穏健派のチャールズの激突、そして初代X-MENチームの誕生が描かれます。監督はこれまた非シンガーのマシュー・ヴォーン。キック・アスさながらの小気味の良いアクションと史実を舞台としたリアリティ・フィクションは、アメコミ映画の金字塔です。そして革新的な5作目「X-MEN: フューチャー&パスト(2014年)」へと続きます。

5作目にあたる「X-MEN: フューチャー&パスト」は、このX-MENシリーズで考えうる限り最高のアクロバット着地を見せました。舞台は再び旧3部作の延長線上、対ミュータントの最終ロボット軍・センチネルがミュータントを根絶やしにするまさにその時、世界の終わりを予感させるハチャメチャな状況の中で、プロフェッサーXはシャドウキャットの能力を使ってウルヴァリンを過去の世界へとタイムスリップさせます。タイムスリップした先は「X-MEN:ファースト・ジェネレーション」直後の1973年ワシントン。ウルヴァリンはそもそもセンチネルが開発される切っ掛けとなったミスティークによるトラスク博士の暗殺事件を阻止し、歴史改変を図ります。そう、誰もが「X-MEN:ファースト・ジェネレーション」は最近流行りの「シリーズが行き詰ったからリブートで全部最初っからやり直し」かと思っていたのに、実はこれはちゃんと続き物だったわけです。本作によって、旧3部作の世界はすべて「黒歴史」として歴史改変の波に埋葬・供養され(笑)、ストーリーとしてもきちんと説得力がある形で正式に「新たな未来としてのやり直し」となったわけです。「スター・トレック(2009年)」しかり、「アメージング・スパイダーマン(2012年)」しかり、「マン・オブ・スティール(2013年)」しかり、私たちはここ10年ぐらいの間、「続編作れないんで最初っからやるわ!」という投げっぱなしなリブート作品を数多く見てきました。「何回ベンおじさんが死ねばいいんだ!」というネタも飛び出すくらい乱発され、でもそれに疑問を抱かないまでに当たり前になっていました。しかし、このX-MENはきちんと作品内でリブートの意味を描いたわけです。これはまさにアメコミ映画革命であり、そしてワーナー版ジャスティス・リーグで来るであろう「フラッシュポイント」の予感にちょっとイヤな気分になる(笑)すばらしい出来事でした。

そして、5作目「X-MEN: フューチャー&パスト」によって正式に改変された世界は、本作「X-MEN: アポカリプス」へと繋がります。人気キャラ・ストームの誕生、別会社の「アベンジャーズ」で不遇だったクイック・シルバーの大活躍、コミックではほぼ主人公のサイクロップスの登場、3作目で使っていたプロフェッサーXの「魂移し替え能力」の獲得、そしてなによりそんなプロフェッサーXのハゲの秘密が本作で明らかになります!

心踊るワクワクの絵面が満載だ!

まずは本作の美点を上げていきましょう。この作品は、とにかく絵面が格好いいです!宙に浮かんで石つぶての大激流を操るマグニート!大爆発からみんなを救うために、ちょっとお茶目ないたずらをしながらも高速で救助活動をするクイック・シルバー!テロリストとして追われる身ながらもミュータントの英雄として遂にチャールズの元へ帰ってくるミスティーク!とにかく超格好いい!もうね、涙なしでは語れないほど、大人気キャラ達が躍動しています。3作目に引き続き相変わらず不遇なエンジェルさんのネタキャラっぷりに失笑しつつ(笑)、とても心踊るシーンがテンコ盛りです!もうね。これがハリウッドエンタメ映画の醍醐味なんじゃないですかね。とにかく大画面で見てガッツポーズするには最適な映画です。

なんですがね、、、この作品は映画としてはかなり無茶苦茶で、話も敵キャラも、本当に適当な小道具なんですね、、、。まさにこれぞブライアン・シンガー。やっぱりブライアン・シンガー。「シーンを先に考えて、話はあとから適当でいいんじゃね」という彼の姿勢が露骨にでています(笑)。

話が雑すぎるんじゃね?

まずですね、本作一番の問題は、ストーリーの雑さ。これに尽きます。本作のプレタイトル・シークエンスは、超でっかいピラミッドで世界最古のミュータント:エン・サバー・ヌール様が若い子に乗り移る変な儀式をやっているところから始まります。この掴みは完璧です。「魂が乗り移って肉体を替えていくってヤバくね?」「無敵じゃね?」というワクワクがマックスになり、どうやってX-MENはこんなバケモノを倒せばいいんじゃ~~って思うじゃないですか。そしたらね、そもそもストーリーがそこを中心に動いてくれないんですね(笑)。マグニートのポーランドでの潜伏生活とか、サイクロップスとジーンの青春交流とか、ストライカーの襲撃とか、急にキャラ物のショートストーリーが始まっちゃうんです。一応ヌール様とまったく無関係ではないんですが、なんかこう筋が通ってないというか、あっちゃこっちゃに話が飛ぶのでオムニバスものを見てるような気分になるんです。そんでもって、やっと敵がガッツリ本気を出すのがまさかの第3幕のみというね、、、。詰め込みすぎというのともちょっと違くて、これはもう「構成力」としか言いようがありません。ストーリー・テリング能力の問題。危ないこと言いますが、やっぱブライアン・シンガーってゲイじゃないですか。構成がちょっとガールズ・トークっぽいんですね。話してる先から話題が次々に移っていって、結局なんの話をしてたのかよくわからないという(笑)。それは半分冗談ですが、なんかこう要領を得ない話が続きます。

そもそもヌール様が弱すぎね?

そんでもってヌール様の圧倒的な存在感で興味をかろうじて繋ぎ止めているとですね、実は弱いんですわ、この神様(笑)。っていうか、ラスボスのくせにまさかの補助魔法要員なんです。要はドラクエの僧侶。このヌール様の能力ってのが、「砂を操る」「時空を歪ませてワープする」「他のミュータントの能力を増大させる」「魂を他の肉体に移すことができる」っていう能力なんですね。砂を使う以外は完全に間接技です。でもって、直接攻撃要員・パシリとしてエンジェル/ストーム/サイロック/マグニートを勧誘して「フォーホースメンじゃ!」って粋がるわけですが、なんとですね、いわゆる「マインドコントロール」の能力を持ってないんですねこの御方(笑)。完全に少数部活の勧誘(笑)。単に意気投合して仲間になってくれてるだけなので、わりと命令を聴いてくれないし、すぐに裏切りおります(笑)。これはずっこけました。よくエジプトを支配できてたなと。まぁできてないから反乱されて生き埋めになったんですけど。まさかまさかで最終決戦は殴りあいなんですよ。拳と拳で。超能力大戦だって言ってるのに。ちょいドン引きです。一応最後はサイキック合体攻撃なんですが、なんかもうちょいなんか無いのかな~というモヤモヤが残ります。

【まとめ】

そんなこんなで本作は3作目「X-MEN: ファイナル ディシジョン」に勝るとも劣らないグダグダな作品になってしまいました。劇中で「スターウォーズEP6:ジェダイの復讐」を利用して「やっぱ映画シリーズの3作目はダメだよな!」みたいな自虐ネタまでやってるくせに、肝心の本作がもろに「新3部作の3作目」としてダメパターンにハマっているという、、、お茶目さん♡

と文句を言ってきましたが、しかし絵面は本当に格好いいです。マジで名シーン(※ただし止め絵として)の連続。ヌール様vsプロフェッサーの精神世界での戦いなんて最高に楽しいです。ですので、シリーズファンは絶対に見に行ったほうが良いです。完全にキャラ物ファンムービーなので、いままでシリーズを一切見たことがない人が急に見るにはちょっとつらい気もします。でも、大作感の雰囲気だけでもそこそこ楽しめるかもと思いますので、是非劇場で御覧ください。私はもう一回、アルコール込みで見ようと思います(笑)。細かいことを気にしないコンディションに自分からなって、お迎えにいく感じで(笑)。なんだかんだこのシリーズは大好きです。

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シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ

シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ

今日はついに公開された

「シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ」を見てきました。

評価:(97/100点) – 傑作ヒーロー・アクション・サスペンス!


【あらすじ】

スーパーヒーロー機関「S.H.I.E.L.D.」が崩壊し、アベンジャーズたちは草の根でヒーロー活動を続けていた。しかし活動中に民間犠牲者が出続ける事態に、ついに各国から抑止力の必要性が提示されるようになる。提案された「ソコヴィア協定」と名付けられた国際協定は、事実上アベンジャーズを国連軍に組み込むものであった。メンバー間でも賛否が分かれる中、協定を強行する国連とトニー・スターク。しかし調印のまさにその日、ウィーンの国連会議場がテロにより爆破されてしまう、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> ラムロウ鎮圧とソコヴィア協定
※第1ターニングポイント -> 国連会議場が爆破される
第2幕 -> キャプテン・アメリカの事件捜査
※第2ターニングポイント -> シベリアのハイドラ基地へ着く
第3幕 -> トニー・スタークの合流と事件の真相


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【感想】

ということで、今日は待望の「シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ」です。なんか宣伝だと「アベンジャーズ3」じゃないかというくらいキャプテン・アメリカのことがスルーされてますが(笑)、れっきとした「キャプテン・アメリカ3」です。とはいえ本作の主題はキャプテン・アメリカの行動理念の源と、そしてアベンジャーズの一時的な分裂です。今後のアベンジャーズシリーズに影響を与えるのは間違いありません。もうシリーズ13作目なので大丈夫だと思いますが、いきなり本作を見てもなんのこっちゃかと思いますのでご注意ください。また、以降はガンガンネタバレを含みます。未見の方はご注意ください。先に感想だけ書いちゃいますと、本作は凄く良くできたサスペンスの上にヒーロー要素を振りかけた傑作です。ぜひぜひGWは劇場へダッシュです!

二つのテーマ

本作には二つのテーマがあります。

一つは活動中に民間人を巻き込んでしまうヒーローの苦悩であり、これはまんま「バットマンvsスーパーマン」にもあったテーマです。「悪との戦いなんだから巻き込まれる人がいたとしても確実に被害は少なく済んでいるはず」というヒーローの心理の一方で、被害者側からすれば個人はあくまでも個人でしかないわけでやりきれないという、いつものですね。これが発展して今回はアイアンマン=トニー・スタークとキャプテン・アメリカ=スティーブ・ロジャースのイデオロギー闘争となります。

もう一つはテロ事件を巡るサスペンスです。国連会議場が爆破され、現場では爆弾を積んだバンに乗ったウィンター・ソルジャー=バッキー・バーンズが目撃されます。果たして犯人はバッキーなのか?それとも誰かの陰謀か?この事件をめぐり、バッキー逮捕に乗り出すトニーと、バッキーの無実を信じて匿いながらも独自調査をするスティーブの衝突が描かれます。

前者のテーマはもちろんスーパーヒーローもの特有の倫理観を取り上げたものですが、後者のサスペンス要素は独立した映画としても十分に通用する素晴らしいものです。前作の「キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー」も陰謀サスペンスでしたが、本作はさらにクライムサスペンスとして十分な完成度を持っています。やっぱりルッソ兄弟は凄いです。本当にマーベルは良い監督を見つけてくるのが上手です。

テーマ1:ヒーロー問題について

まずは一つ目のテーマであるヒーローの倫理観問題についてです。これは過去作のキャラクター性・ストーリーを踏まえた素晴らしいものになっています。

スティーブは、一作目「キャプテン・アメリカ/ザ・ファースト・アベンジャー」において、ヒョロヒョロなモヤシ男ながら、国/みんなの役に立ちたい一心で米軍志願兵となります。そして超人化計画を経てキャプテン・アメリカになっての初陣は、ヒドラ軍に捕らえられたバッキーを助けるために、上官の反対を押し切って勝手に単独で敵地潜入を行うというものです。両方とも「誰かに命じられたから」ではなくて、自らの意思で進んで行ったわけです。だからこそ、バッキーから「キャプテン・アメリカの部下はごめんだけど、モヤシのスティーブのためなら一緒に戦う」と言われるわけです。
二作目の「ウィンター・ソルジャー」ではスティーブは自分の信念に従って政府を敵に回して戦います。そして遂にS.H.I.E.L.D.内に潜伏したネオヒドラの存在を突き止め、ヒドラの殲滅に動くわけです。
基本的にスティーブ・ロジャースは己の正義感と信念に従って行動する人間であり、その意味では紛れもなくアベンジャーズの精神的支柱であり、まさしくキャプテンなんです。本作での劇中でも、民間人に犠牲が出たというニュースをみて落ち込むスカーレット・ウィッチ=ワンダ・マキシモフに「犠牲者を気にしすぎて止まってはいけない。」と諭します。確かにラムロウに生物兵器が渡って大量殺人が起きるよりは遥かに被害が少なかったのは間違いないですから。

では一方のトニー・スタークはと言うと、彼は非常に自己中心的で我が道を行く人間です。もっとも、自己中心的と言っても誤解されやすいだけの照れ屋さんで、根はただの技術オタクなんですけどもね(笑)。彼は「アイアンマン」「アイアンマン2」「アイアンマン3」「アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン」と、毎度毎度アイアンマン・スーツを敵に取られたり技術を悪用されたりしてピンチに陥ります。頑張り屋さんなんですが、結構裏目にでるんですね(笑)。彼は徹頭徹尾自分の意思でやりたい放題やってきたんですが、それの積み重ねにより遂に本作では自分のうかつさに懲りているんです。だから冒頭、「アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン」のソコヴィア最終決戦で犠牲になったという学生の親から糾弾を受け、ショックを受けてしまうんです。すくなくともウルトロン計画についてはほとんどトニーの責任ですから。明確に「おまえが将来のある若者を殺したんだ」と言われてしまって、しかもインテルに就職が決まってる技術屋だったと知って、完全に自分に重ねちゃったわけです。

これがスティーブとトニーのイデオロギー闘争に発展します。スティーブはいままでも己の意思/正義に従ってきましたし、それを変えるつもりはまったくありません。むしろ「己の正義」以外の第3者の政治にアベンジャーズの力を利用されることを懸念します。この辺は第1作「ザ・ファースト・アベンジャー」においてハイドラ(=ナチス)の全体主義と真っ向勝負をしたからこその教訓なわけです。トニーはその真逆で、失敗続きの自分のことがもう信用出来なくなっています。そして誰かに管理されたいと望むわけです。そうすれば責任も分散されますしね。これは言ってみれば自営業者とサラリーマンの違いみたいなもんです(笑)。

このイデオロギー闘争は、当然決着するわけがありません。これは普遍的なテーマであり、現実世界だってどちらかに統一されるなんてありえないですから。
このスタンスの違いにより、本作でアベンジャーズが2つに分裂してしまいます。

テーマ2:ウィーン国連会議場テロ事件のサスペンス要素

そしてこのヒーロー問題を振り掛けるベースとなるのが、第一ターニングポイントでおきる国連会議場のテロ事件です。現場で取られた写真にはウィンター・ソルジャー=バッキー・バーンズがバッチリ写っており普通に考えれば犯人なのは間違いありません。しかし、スティーブは己の信念にしたがってバッキーの無実を信じ、解明に乗り出します。
本作でもっとも大事な事件は、第一幕に来るスティーブの永遠の恋人・ペギーの死です。スティーブはもともと第2次世界大戦の時の人であり、北極で氷漬けになって70年の時を超えました。スティーブを「キャプテン・アメリカ」ではなく「モヤシのスティーブ」として知っているのは、おばぁちゃんになったペギーと、スティーブと同じく冷凍睡眠されて若い状態でいるバッキーだけです。スティーブにとって「モヤシのスティーブ」こそが自分の原点であり真の姿なわけで、それを知っているこの2人はとても特別な存在です。本作の冒頭でペギーが亡くなったことにより、バッキーは名実ともに「唯一無二の親友」となったわけです。それは「キャプテン・アメリカ」として親交のあるトニーやブラック・ウィドウ=ナターシャ・ロマノフよりも遥かに大切です。だからこそ、彼はリスクをとってでも、バッキーを信じることを選ぶんです。

一方、本作において、トニー・スタークのコンプレックスも描かれます。トニーは技術者としても人間としても偉大な父親に猛烈なコンプレックスを抱いており、同時にまともに会話をすることなく父を亡くしてしまったことに深い後悔を持っています。そして、若かりし父と交流のあったスティーブに対して嫉妬に近い感情を持っています。スティーブのトレードマークである「ヴィブラニウムの丸盾」はまさしく父・ハワード・スタークの創造物であり、それはつまり自分には残されなかった父の形見なんです。そして父と同じようにスティーブと親交をもち、父と同じようにスティーブの真面目さを信頼してもいます。だからこそ、再三再四、トニーはスティーブに協力を依頼します。

このサスペンスパートについては要素を抽出すると、とてもわかり易くなります。
「テロ事件が起きて、警察官である主人公の親友が犯人と疑われる。主人公は警察仲間の必死の説得を無視し、親友を匿って真犯人の独自捜査を開始する。一方、警察仲間は彼なりに独自捜査をすすめ、そして遂に真犯人が別にいることを突き止める。しかし、真犯人の目的は、この3名をある場所へおびき出し、破滅させるためだった、、、」。これですね、いわゆる悪魔型サスペンスのオーソドックスなスタイルなんです。倫理観の暴露を目的とした犯人が、複数の罠を仕掛けてキーマンを集め、最終的に破滅を呼びこむというやつです。
監督のルッソ兄弟もインタビューで元ネタを言っちゃってますが、これモロにデヴィッド・フィンチャー監督の「セブン(1995)」なんです。

本作は、物凄く高いレベルで「キャラものエンターテイメント」と「犯罪サスペンス」を融合させています。これはとてつもない構成力です。ルッソ兄弟は凄すぎます。

もちろんヒーローアクションとしてもバッチり面白いよ!

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そんななか、本作ではヒーローアクションもきっちり見せてくれます。まずは冒頭のラゴスでの対ラムロウ戦。チームアクションとしてきっちり連携を取りながら、スティーブ、ワンダ、ナターシャ、ファルコン=サム・ウィルソンが大活躍します。全員に見せ場が用意されており、特にファルコンの子機=レッドウィングの存在とスカーレット・ウィッチの念力が描かれます。このパートは本当に最高です!個人的にはナターシャのルチャ・リブレっぽい戦い方が大好きで、そこだけで100点満点つけたいくらいです(笑)。
さらには目玉の一つとなっている中盤の空港での6vs6のチームバトルですね。どう考えてもヴィジョンとスカーレット・ウィッチが強すぎるのでどうするのかと思いきや、ここでも見事にみんなに見せ場を用意してくれました。特にですね、ここはアントマンとスパイダーマンが大活躍するのが堪りません。途中ウルトラマンのパロディを入れたり、スパイダーマンをちゃんと軽口を飛ばしながら若者っぽい無鉄砲さで暴れさせたり、笑いを随所にいれながらの素晴らしい配分です。予告でも話題になったウォーマシンの例のシーンはどう考えてもおかしいんですが(笑)、勢いで全然気になりません、どんまいどんまい。ファルコンに直撃してたら消し飛んでたようにしか見えず、明確な殺意が見えるんですがドンマイドンマイ(笑)。

あとですね、途中のカースタントでのブラックパンサー=ティ・チャラはめちゃくちゃかっこいいです。今回のブラックパンサーの戦い方って、爪や蹴りを多用しながら回転しつづけるというカポエイラ系の動きなんですね。これ本当にいい動きをしてます。本作のキーマンの割にはいまいちティ・チャラがお話し上の存在感がないんですが、単独作品がいまからとても楽しみです。

基本的にキャプテン・アメリカって身体能力が超強いだけですし、アイアンマンだって中年のおっさんが手からビームが出る鎧を着てるだけですから、この二人の戦いって地味になりがちです(笑)。でも脇をこれだけ多種多様なメンバーが囲んでくれて、さらにはストーリー上も強烈に盛り上がる場面でタイマン(正確には最初2vs1ですが^^;)が始まるわけで、これは盛り上がらないわけがありません。

正直、このクオリティでバットマンvsスーパーマンを見たかったな~とちょっと遠い目になります、、、、。

【まとめ】

本作はですね、サスペンスとして一級品、ヒーロー・アクションとしても一級品、熱血ものとしても一級品、そしてシャロン・カーターもスカーレット・ウィッチもブラック・ウィドウもみ~んなエロ格好いい。つまり文句がありません!
そりゃね、ラスボスがたかが個人のくせに有能すぎるし行き当たりばったりだろとか、なんでシベリアの基地にビデオが残ってると確信してるんだとか、そもそも最重要テロ犯の精神鑑定医が小細工なしに入れ替わりってセキュリティがザルすぎるだろとか、突っ込みどころは結構あります。でもですね、いいところがありすぎてあんまりノイズになりません。このままのクオリティで、ルッソ兄弟にはぜひ「アベンジャーズ:インフィニティー・ウォー」に突っ込んでいただきたいものです!
ということで、GWはぜひこの一本!超おすすめです!

※もしアベンジャーズシリーズをひとつも見たことがないという方がいたら、最低でも「アイアンマン1」「キャプテン・アメリカ1~2」「アベンジャーズ1~2」は見てからのほうが良いです。最低限この5本で、トニーとスティーブのイデオロギー闘争の背景がわかります。

【おまけ】

最後の「スタークが知らなかった過去」の件でスティーブやナターシャはなんで知ってたんだという話ですが、これ「キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー」の中盤、スティーブとナターシャがハイドラの秘密基地を発見してドクターゾラ(のAI)を起動するシークエンスで、ドクターゾラが喋ってます。いかにS.H.I.E.L.D内にハイドラが入りこんだのかっていう説明を喜々として語る自慢話のパートです。当時はシレっと流されてましたが、こんなところも伏線だったんですね。

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バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生

バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生

では四年ぶりの更新はこちら

「バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生」です。

評価:(60/100点)
ベン・アフレックは頑張った!あとムチムチ!!!


【あらすじ】

地上に、神が降りた。前作「マン・オブ・スティール」にて圧倒的な存在感をもって地上に降臨したスーパーマンは、異星人・ゾッド将軍の地球侵略を見事に阻止した。しかしその一方で、多くの一般市民を戦いに巻き込み、犠牲者を出すに至った。
得体の知れないスーパーマンは、熱狂的信者を生み出す一方で、同じくらい多くの恐怖と反発を招いた。そして遂に、抑止力の必要性が訴えられるようになる。
その時、あの男が遂に動き出した、、、

【三幕構成】

第1幕 -> バットマンの暴走
 ※第1ターニングポイント -> クリプトナイトの塊がメトロポリスに来る
第2幕 -> バットマンによるクリプトナイト奪取作戦と打倒スーパーマン
 ※第2ターニングポイント -> バットマンが改心する。
第3幕 -> マーサ救出作戦とドゥームズデイとの死闘


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【感想】

ということで、改めましてこんばんは。きゅうべいです。ブログ復活第1弾は「バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生」です。アメリカにおける「ジャンプとマガジン」的な立ち位置のマーベルとDCコミックスにおいて、全てを超越して知名度を誇るのは「スーパーマン」「バットマン」「スパイダーマン」です。日本でいう仮面ライダーとかドラゴンボールみたいな感覚ですね。話しは知らなくても、キャラクターを知らないってことはまずありません。ところがどっこい、マーベルはアイアンマンを筆頭に良作を連発し、「軽いノリで家族や恋人と楽しめるヒーロー映画」を確立してしまいました。しかも大正義スパイダーマン抜きで^^;「ダークナイト」だって面白いですが、やっぱ暗いじゃないですか。これはDCコミックスにとってはかなりまずい状況です。そんなこんなで、マーベルに対抗するために、DCもDC版アベンジャーズであるところのジャスティス・リーグを本格的に始めるわけです。余談ですが、この「DC版アベンジャーズ」という表現が、もうすでにDCコミックスにとっては屈辱なわけです(笑)。
そんな状況の中で、「マン・オブ・スティール」はかなりアレな出来になってしまったわけで(笑)、本作はまさにDCにとっての「負けられない戦いがそこにある」って環境です。プレッシャー5割り増し。7回8点差からの大逆転が求められる大事な場面。だれしも「ザックで大丈夫か?」「ノーランのが良くね?」「っていうかベン・アフレックじゃね?」と怪しい空気が流れる中、ザック・スナイダーの続投です。

さて、このお決まりのセリフを書くのも4年ぶりです。以降、本作を全力で擁護するために完全にネタバレを含みます。未見の方は、ぜひ映画館で見ていただいて、そのあとでお読みください。
また、本作は「マン・オブ・スティール」の完全な続編です。「マン・オブ・スティール」を見ていないとそもそもの話についていけませんので、映画館に行く前にまずは前作をチェックしてください。

話の概要

本作は「マン・オブ・スティール」の「一方その頃劇場」から始まります。「マン・オブ・スティール」にてゾッド将軍とスーパーマンがまさに死闘を繰り広げるそのウラで、メトロポリスにあるバットマン=ブルース・ウェインの会社ビルが倒壊し、従業員に多数の死者が出ます。ここからブルースは私怨の入り混じった「こじらせ正義感」でもってスーパーマンを敵視していくようになるわけです。
そして、その私怨を利用する悪魔レックス・ルーサーによって、ついにはバットマンとスーパーマンは戦わざるをえない状況に突入してしまいます、、、、。そう、「ダークナイト3部作(2005~2012)」の流れを否が応でも意識してしまう本作において、倫理を問う「悪魔」の役はレックス・ルーサーが背負います。レックス・ルーサーを演じるジェシー・アイゼンバーグは、今作でも早口・頭の回転激速・ちょいとイカれたサイコパスという得意芸を披露してくれます。「まんまソーシャル・ネットワークのザッカーバーグやんけ!」という話なんですが、もうなんかアイゼンバーグが出てきただけでキャラがわかるというすごい変な立ち位置になってしまいました(笑)。ある意味では藤原竜也の最終進化系かもしれません(笑)。

また、このあたりは「アベンジャーズ(1作目)」でも苦労していた部分なのですが、ヒーロー同士が戦うというのは、作劇的には非常に難しいのです。プロレスが好きな方には「チャンピオンvsチャンピオン」というとすぐにピンと来ていただけるかと思いますw

ちょいと話しが脱線しますが、「チャンピオンvsチャンピオン」というのはプロレスに古くからある様式美の一つでして、数々のアレげな遺恨を残してきた曰くつきの試合展開のことです(苦笑)。アメリカのプロレス界には昔(※といっても厳密には名前だけはいまも残ってます)NWAという業界団体がありまして、ここが多くの加盟団体を盛り上げるために「統一王者」を核とした「中央ドサ回り体制」というのを組んでいた時代がありました。要は各団体ごとに各々存在しているチャンピオンのさらに上に「NWA世界チャンピオン」という「チャンピオン・オブ・チャンピオンズ」を作って、これが全米を巡業していくんですね。そうすると、一年に一回、「世界チャンピオンがオラが街にやってくる」というイベントが有るわけです。こうしてマンネリ化しがちな団体のストーリーに刺激を加えるんです。そこで生まれるのが「チャンピオンvsチャンピオン」という型です。「世界チャンピオンは負けてはいけない」「その地方のチャンピオンもボロ負けして”格”を落としてはいけない」という制約のもと、試合を組み立てないといけないのです。そうすると、これはもうパターンが決まってきます。

1) 世界チャンピオンの反則負け
2) 接戦での両者リングアウト
3) いい試合を展開するが邪魔者が乱入して無効試合になる。チャンピオン同士が共闘して邪魔者を排除し、最後は二人でガッツポーズ&固い握手
4) 大接戦を演じるが、地元のヒーローが最後にあと一歩およばずに世界チャンピオンに負ける

世界チャンピオンが悪役(ヒール)の場合、1)のパターンが一番楽で疲れません。実際に歴代のNWA王者はヒールで1)を行うことが圧倒的に多かったです(笑)。2)はお客さんが不完全燃焼になってしまうため、ここぞの場面では使えません。3連戦等のときに、初戦で使うのが上等手段です。3)は一番みんながハッピーになるパターンです。これはどちらのチャンピオンも価値を損なうことなく善玉(ベビーフェイス)でいられるとても良い選択肢です。4)はこれもWin-Winなのですが、超疲れるという弱点があります(笑)。世界チャンピオンはほぼ毎日試合をしないといけないので、こういう30分を超えるハイスパートゲームは1年に1回くらいしかできません。これはビッグマッチ用です。

さて、では今回の「チャンピオンvsチャンピオン」、つまりバットマンvsスーパーマンはというと、、、こりゃもう見なくてもなんとなくわかると思います(笑)。その予想があっているかどうか、ぜひ劇場でお確かめください。

ちなみに、本作の元ネタのひとつである「ダークナイト・リターンズ(日本では「バットマン:ダークナイト」名義で小プロから刊行http://books.shopro.co.jp/?contents=9784796870610)」では、とある事情で両者リングアウト状態になっています(笑)。

怒涛の擁護を展開するぜ!

さて、それではいよいよ本日の本題に入ります。ここからが私のアクロバット擁護と詐欺的弁舌の腕の見せ所(笑)。では行ってみましょう!

■ 争点1:「そもそもスーパーマンが暗くね?」問題

まず見た方が一番怒っている部分についてやっつけましょう。「そもそもスーパーマンが暗くね?」っていう問題です。これはですね、、、その通りです(笑)。返す言葉もございません。マーベルの一連のアメコミ映画と比べて、本作は明らかにギャグ要素が少ないです。っていうかほとんどないです。ギャグとして成立しているのは、アクアマンの登場シーンと、バットマンがスーパーマンと戦ってる最中に「ちょ、まって、、、たんま!たんま!」ってやるシーンぐらいです。あとは全体的に超シリアスです。

これは一般論としてなのですが、マーベル系は「ノリの軽いスーパーヒーローがギャグを飛ばしながら敵をやっつける」というパターンが多く、一方のDCコミックス系は「ヒーローが頭脳的な敵の手のひらの上で踊らされて苦戦するが、正義の心でなんとか勝利する」というパターンが多いです。キャラの特性上、これ結構仕方ないんですよね。特に今回の「バットマンvsスーパーマン」はどうしたって序盤は「イデオロギー闘争」にならざるを得ないわけで、これは暗くなるしかないんです。余談ですが「イデオロギー闘争」ってのもプロレスオタクが大好きなキーワードです。脱線すると超長くなるので、それはまた別の機会に(笑)。

今回の「バットマンvsスーパーマン」で一番重要なのは、これを「リアル路線」でやるのか「コミカル路線」でやるのかという点です。そしてワーナー/DCコミックス連合は一貫して「リアル路線」を通してきました。この方向性において、本作の「暗さ」はとても重要な意味をもちます。

本作を成立させるためには、観客をバットマン側に感情移入させないといけません。プロレスにおいての「オラが街のヒーロー」はバットマンであり、スーパーマンは「よそからやってきた宇宙チャンピオン」なのです。「DC宇宙ヘビーウェイト・チャンピオン」がスーパーマンで、「DCゴッサムテリトリー・チャンピオン」がバットマンです。この構造において、スーパーマンは「敵かな~?味方かな~?」という立ち位置をキープする必要があります。真正面から戦えば、生身の人間であるブルースが目から怪光線を出す宇宙人のカル・エルに勝てるわけがないですから。

そのため、本作のスーパーマンは「得体の知れない宇宙人」である必要があります。これこそ、まさに「神のいかづち」というスーパーマンのキャラクター性なわけです。クラーク・ケントがとってもナイスガイなのは世界中の皆が知っているんですが、一方で「でもこいつちょっと、、、」と思わせるために、本作では「後光を背負って空からゆっくり降りてくるスーパーマン」という描写が多用されます。まるで天使か神が降臨したかのように、後光で表情がよく見えないスーパーマンは不気味さを漂わせています。スーパーマンの暗さは、この得体の知れなさを演出するために非常に重要です。

■ 争点2:「バットマンが敵を殺してね?」問題

一方のバットマンですが、こちらは「神」であるスーパーマンとは対照的に、泥臭いまでの人間性を見せてくれます。本作のバットマンは、少なくとも後半のとある転機を迎えるまでは、はっきりと「狂って」います。正義を遂行するためには悪人に焼きごてを押し付けて「拷問」することも厭いません。そして、映画を見た多くの方がツッコミをいれているように、序盤のバットマンは明らかに敵を殺しています。夢の中だろうが現実だろうが、バットマンは銃を撃ち、敵の車を爆破し、ぶっ殺しまくります。これはみんなが想像する「バットマン像」とは違います。

本作のストーリーの核となるのは、「オラが街のヒーロー」であるバットマンの復活劇です

映画の冒頭、ブルースの両親が殺されるおなじみの展開のあと、両親の葬式→地下(井戸?)に落ちる→コウモリと出会うというおなじみの展開があり、そしてタイトルが出ます。映画のラストでは、ブルースが世界中に散らばるヒーローを集めて「ジャスティス・リーグ」を作る決意をする所で終わります。この単純な構成において、映画の最初と最後を担うバットマンは間違いなく本作の主人公です。

映画の1幕~2幕までのブルースは明らかに狂っており、それは
「20年近く戦ってきたのに悪は一向に減らない」
「本当に自分のやりかたは正しかったのか?」
「ポッと出のスーパーマンは犠牲を多く出しているのにヒーロー扱いされている。自分も犠牲を厭わずに強行手段に出るべきでは?」

という自己葛藤の末の「正義感の極端な飛躍」によるものです。ここに及んで、バットマンは「敵を殺さずに逮捕する」というポリシーを捨て、「できるだけ逮捕するが必要ならぶっ殺す」というポリシーに切り替えるわけです。
物語の序盤で、この転向のことをアルフレッドがはっきりとセリフで嘆きます。

“That’s how it starts. The fever, the rage, the feeling of powerlessness that turns good men… cruel. ”

直訳:それ(=スーパーマンの登場)がきっかけです。熱狂、怒り、無力感、それが良い奴(=ヒーロー=バットマン)を残酷な男に変えました。

スーパーマンの登場によってタガが外れたバットマンは、しかし最終盤において、そのスーパーマン自身が「赤い血を流す存在(=全知全能の神ではない)」であり、「母親を心配する一人の良き男(=しかもお母さんの名前がたまたま自分と同じ)」であるという事実を知り、我に帰ります。そしてみんなのバットマンが帰ってきます!本作におけるバットマン最大の見せ場――マーサ救出戦において、バットマンはワイヤーガンで敵を吊るしあげ、殴って気絶させ、そして犠牲者を出すことなく(※ひそかに2人ぐらい手榴弾の自爆で死んでるっぽいですがw)事態を制圧します。そして助けたマーサにギャグを飛ばします。これこそ本作における最大のカタルシスであり、「バットマンお帰り!」という拍手大喝采のシーンなわけです。

そこから先は、ついにジャスティス・リーグとしての初戦、「ヒーロー軍団vsスーパーモンスター」に突入します。これははっきりいって蛇足みたいなものです。ストーリーの本筋はもう終わっていますから、あとは心いくまで「怪獣大戦争」を愉しめばOKです。

■ 争点3:「クリプトナイトを強奪するのにバッツが発信機つけた上でモービルで追っかけるのは変じゃね?」問題

あの場面、バットマンは「いま強奪できるならしちゃいたいけど、万が一ミスったときように発信機をつけとこう」っていうことなんですね。なので、「発信機をつけたのに追っかけるのはおかしい」ではなくて「追っかけるのにわざわざ発信機を付けるなんて、バッツはなんて用意周到なんだ!」と褒めるべきです(断言)。そうなんです。よくやったんです。さすがブルース、百戦錬磨・20年の経験が活かされたナイスチョイスです。そのあとガンぶっ放して発信機が壊れそうになってるのはギャグパートです(笑)。

■ 争点4:「バットマンとスーパーマンの戦いの端初がただのバカじゃね?」問題

返す言葉もございません(笑)。というか、バットマンがスーパーマンの話を聞いてくれなかったのが原因ではじまった「売り言葉に買い言葉」的な喧嘩である事実は否めません。でもさ、仕方ないじゃん。あの場面じゃ「殺る気マンマン」なわけで、まさか「かぁちゃん助けるの手伝って」なんて言ってくるとは思わないべさ。それにさ、スーパーマンは目から怪光線だせるわけで、一瞬でも躊躇ったら即死だからさ。そりゃ先手必勝でいくべさ。仕方ないべさ。そうさ、仕方ないだ(自己暗示)。

■ 争点5:「そもそもマーサを助けるのってスーパーマン単独で楽勝じゃね?」問題

返す言葉もございませんパート2(笑)。スーパーマンが助けを求めるぐらいだから、対スーパーマン専用の罠とか仕込んであるのかなと思ったら、まさかの何もなし(笑)。映画の冒頭でロイスを助けた時と同じやり方でスーパーマン単独で助けることができたのは間違いありません(笑)。でもさ、スーパーマンはウブな坊やだからさ、まさかレックス・ルーサーが100%ハッタリだけであんな大胆な人質の取り方をしてるとは思わないじゃないですか。ということで、あれは間抜けというよりも「さすがレックス!ハッタリだけでスーパーマンを萎えさせるなんて!」とヤツを褒めるべきでしょう。さすがレックス!そこにシビれる!あこがれるゥ!。なんか擁護がキツくなってきた(笑)。

■ 争点6:「スーパーマンが死ぬって酷くね?」問題

最後の最後にスーパーマンが殉職することについて、「これからジャスティス・リーグをやるのにいきなりメインを殺すなよ!」というツッコミが多数見受けられました。でもですね、シリーズを続けるからこそ、これは必要なんです。

これは私が勝手に呼ぶところの「勇者のジレンマ」ってやつです。

皆さん、ドラゴンクエストっていうRPGゲームをご存知でしょうか?エニックスの人気テレビゲームで、だいたいのシリーズ作品は「ど田舎の少年が勇者に成長して、魔王を倒しに行って、世界を救う」という王道ファンタジー・ストーリーです。それでもってですね、この王道ストーリーにおいて勇者にはあるジレンマが発生します。それは「魔王を倒した勇者は、魔王よりも強いうえにもはやライバルがおらず、やろうと思えば世界征服が可能である」ということなんです(笑)。ドラゴンクエストでは、このジレンマを解消するために、勇者が行方不明になったり、勇者が田舎にもどって百姓になったりします。たまに王様になるパターンもありますが、その場合は「いつまでも幸せに暮らしましたとさ」みたいなヌルい注釈がつきます(笑)。

この「勇者のジレンマ」はかなり切実な問題です。現実世界でも「革命家が独裁者になる」というパターンは世界史で繰り返されてきました。勇者は本気をだせば世界征服ができてしまうわけで、それはつまり「世界の脅威を倒したものは、すなわちそれ自身が新たな世界の脅威である」ということなんですね。

本作「バットマン vs スーパーマン」において、ドゥームズデイを倒したスーパーマンは完全に「世界の脅威」なんです。スーパーマンがいると、彼が強すぎるがゆえにこの先ストーリーが転がせなくなってしまいます。つまり、セガール映画におけるスティーブン・セガールのように(笑)、スーパーマンがいると「いつスーパーマンが本気をだすか」という点以外にストーリーが成立しないんですね。ですので、シリーズを続ける以上はスーパーマンには一旦お休みしてもらう必要があるんです。これにたいしてスーパーマンのファンの方が怒る必要はまったくありません。むしろスーパーマンを最大限に評価しているからこそ「一旦お休み」という選択肢を取らざるを得ないわけですから、最高のリスペクトを受けている証拠です。

■ 争点7:「でもさ、クリプトナイトの槍を貫通させる必要なくね?」問題

返す言葉もございませんパート3(苦笑)。本作では、「自分の胸に突き刺さったドゥームズデイの右腕」をわざわざ引き寄せて(自分に深く突き刺して)まで、スーパーマンはドゥームズデイにクリプトナイトの槍を深く突き刺し、貫通させます。でも、クリプトナイトってその形状に破壊力があるんじゃなくて触れたり近くにいるクリプトンを弱体化させるわけで、っていうことは貫通させずに体内に残しておいたほうが破壊力高いんですよね(笑)。たぶんスーパーマンも久々の熱血展開でテンション上がっちゃって判断をミスったんでしょう。スーパーマンの人間らしさが垣間見えるすばらしいエピソードです(半分泣き目)。

【まとめ】

勢いで書いていたらすでに6,000字を超えてしまったのでまとめに入ります(笑)

本作はスーパーヒーロー軍団「ジャスティス・リーグ」の序章であると同時に、実質的に「新生ベン・アフレックのバットマン」1作目です。ですので、本作は「ジャスティス・リーグ誕生の契機がきちんと描かれているかどうか」と「ベン・アフレックのバットマンは魅力的かどうか」が重要です。その点はどうでしょうか? 本作は随所でボロクソに叩かれてますが(笑)、でも少なくとも「ベン・アフレックのバットマン」と「ワンダーウーマンの太もものムチムチっぷり」についての悪口は見たことがありません!っていうか最高です!太もも最高!!!

ということで、ベン・アフレックが最高で、太ももがむっちむちで、なんの文句がありましょうか??? いや、あるはずがない(反語)。

暗い? 話が長い? バットマンとスーパーマンが戦ってない? ロイスが間抜けすぎる? そんなことはええんや!!!
太ももじゃ太もも!!!!

おすすめで~~~す。(適当)

※ちなみに、大マジな話、そろそろジョゼフ・ゴードン=レヴィットのナイトウィングがみたいので、是非ベンアフ版バットマン単独作品は「Court of Owls」原作でお願いしたいです。

※ザック・スナイダーという監督は、「300」もそうですし「ウォッチ・メン」もそうですし、もちろん「エンジェル・ウォーズ」もそうですが、あんまりお話に興味がないんですよね(笑)。”グラフィックノベルの映像化”の極北が「シン・シティ(2005)」シリーズなわけで、きっと大真面目に巨大バジェットを使ってそれをやりたかったのかなぁと。「いかに漫画を格好良く実写化するか」というオタクマインドで突き進む人なので、そういう意味ではヘンリー・カヴィルもベン・アフレックも十二分に格好いいし、いいじゃんとゆる~く思います(笑)。

【おまけ】

※さんざっぱら言われてますが、本作の元ネタは、7割が「ダークナイト・リターンズ」、2割が「キングダム・カム」、残りが「フラッシュ・ポイント(ヴィレッジブックス刊)」他って感じです。とりあえず、アメコミを掘ってみたい方は小学館集英社プロダクションの「ダークナイト」(←ダークナイト・リターンズと続編のダークナイト・ストライクス・アゲインの合本豪華版)を読んでおくと良いと思います。気に入ったら「バットマン:ゼロイヤー(The New52!)」に行くと、なんとなくイントロから読めます。リブートしたバットマン漫画は、まだ本編6巻+外伝3巻しかないので手を出しやすいです。

以下はアフィリエイト/ステマ等は一切ございませんので安心してご覧ください(笑)。

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