スペル( 2回目鑑賞 )

スペル( 2回目鑑賞 )

を持して「スペル」を見てきました。TIFFについで二回目です。公開したらネタバレありで書きたいこと全部書こうと思ってメモとってたのですが、パンフレットを買ったら高橋諭治さんがほとんど書いちゃってました。
なので、それ以外のことを書いてみようかと思います。ちょっと悔しい(笑)
あらすじとかその辺の基本的な事はコチラを見てください。


【感想補足】

■ 非常に「道徳的な話」
間違いなく主人公のクリスティンは超常識人です。すごい良い子。どんなにテンパってても(猫以外の)無実の他人は自分から巻き込みません。すばらしいです。ホラークイーンにあるまじき(笑)優等生です。

■ 直接的な表現を極力控えている
これはサム・ライミ自身も清水崇さんと中田秀夫さんからの影響と語っていますが、直接表現が殆どありません。例えば変な黄色いゼリーや泥を効果的に使って、グロいものを映すことを避けています。
既に見た方はお気づきかと思いますが、ラストのあるシーンでクリスティンが泥水の中に沈むシーンがあります。そこから出てくるときの演出も素晴らしいのですが、それ以上にすごいのは泥の質感です。サラッとしつつも顔に薄く土が張り付く感じは、完全に血の描写方法です。ここは本来であれば血の海に沈む描写のはずなんです。でも、それをやらずに泥水でやってるところが中途半端ながらJホラーイズムみたいなものを感じてすごく好感が持てました。

■ そもそもギャガの宣伝がおかしい。
言葉通りです。宣伝が明らかにおかしい。特に宣伝映像は方向性がおかしいです。この物語は単にババァに逆ギレされて不条理にも呪いをかけられたOLが右往左往する話ではありません。もっというと、「逆ギレされた」と解釈してしまっては話を根本から誤読してしまいます。
作品中で何度も出てくるとおり、クリスティンは「自らの意志」で「出世のために」ババァのローン延長要請を断ったんです。そしてそれがもっとも重要です。この物語の原型は「因果応報の話」です。すなわち、クリスティンが自らの出世のためにババァの生活を壊してしまったことの報いを受ける話なんです。ただし「クリスティンがやったこと」と「クリスティンがやられること」のギャップが凄まじすぎるが故にギャグっぽくもなるし道徳的にもなるということです。
皆さんは子供の頃に「指切りげんまん、嘘付いたら針千本飲~ます。指切った。」ってやりませんでした?あれと一緒です。この場合「嘘をつくこと」と「一万回げんこつで殴られる」&「針を千本飲む」というのがトレードオフになっています。普通それは釣り合いがとれないので「嘘をつくの辞めよう」となるわけです。これが道徳です。本作は「ちょっと悪い事をしただけでも、こんなに酷い目に会うんだからやっちゃ駄目だよ」というのを物凄いスケールでやってるという訳です。なんせ命がけ+地獄でずっと拷問ですから。しかもクリスティンは完全に反省してるんですよ。それでもやっちゃった以上は報いを受けるんです。
だから「逆ギレ」「不条理」という風に捉えるとこの道徳教育が成立しなくなってしまいます。クリスティンはあくまでも自分がやった事の責任を取ってるわけで、意味もなく巻き込まれたのではありません。ギャガの宣伝映像を企画した方はこの一番大事なテーマを見落としたみたいです。

とりあえず以上の三点ぐらいでしょうか。あとちょっと気になったのは、上映中にあんまり笑い声が無かったことです。TIFFの時はみんな爆笑してたんですけど、やはり「映画は静かに見る」というマナーが良く行き届いてるんでしょうか?「映画は静かに」っていうのは「知人と雑談するな」っていう意味であって、クスクスしたりはOKですよ。特にホラー映画は隣の人がビクつと飛び起きたり目を覆ったり、ちょっと笑ったりしてるのが雰囲気作りに役立ちますから。TIFFで笑いが起こってたのは、外人がいっぱいいてちょっとぐらい騒いでも良い雰囲気があったのが要因かも知れません。

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ファイナル・デッドサーキット3D

ファイナル・デッドサーキット3D

二本目は「ファイナル・デッドサーキット3D」です。
なんか今週はホラーばっかり見てる気がします。
評価:(40/100点) – 3Dの嫌な使い方と吹き替え問題


<あらすじ>
ニックは友人とカーレースを観戦していたが、突然事故の予知夢を見てその場を立ち去る。するとサーキットで予知夢通りの大事故が起き、多くの死者がでてしまう。しかし助かった人間達にも死の運命が襲いかかってきた。
<三幕構成>
第1幕 -> サーキット場の大惨事
 ※第1ターニングポイント -> カーター・ダニエルズが事故死する。
第2幕 -> 次々に人が死んでいく
 ※第2ターニングポイント -> ジャネットが助かる
第3幕 -> 映画館での大惨事と終幕


<感想>
本作は「ファイナル・デスティネーション」シリーズの四作目です。このシリーズは全体のプロットはまったく同じです。冒頭に大事故が起きて数人が助かりますが、彼らには「死ぬ運命」がついていて、結局何らかの事故で死んでしまいます。ドラマも大してありません。言うなれば、「いかに細かい出来事を連鎖させて(面白く)人を事故死させるか」という部分を徹底的に研究している非常にストイックなブラックコメディです。
さて、このブラックコメディは1996年にテクモから発売された「刻命館」というゲームのシリーズに影響を受けています。このゲームは「罠ゲー」と呼ばれる独自性の強いホラーゲームで、主人公の館に侵入してくる敵を罠に仕掛けて次々にハメ殺していくという凄い内容のものです。このゲームはホラーとコメディを非常に上手いさじ加減で融合させて大人気になりました。「床の油で滑ったら、柱に頭をぶつけて階段を転げ落ちたあげく、暖炉に突っ込んで服に火がついた直後に、天井からシャンデリアが落ちてきた。」というように「泣きっ面に蜂」を大げさに重ねることで他人の不幸を笑おうという趣旨の嫌~な感じで楽しむゲームです。
このファイナル・デスティネーションシリーズの趣旨も全く同じで、細かい偶然がどんどん連鎖していくことで、しまいには人間が死んでしまいます。そして連鎖から死に至るまでのクリエイティビティが余りに高いために、一種の芸術性すら帯びている変テコなシリーズです。超ブラック。そして超悪趣味。でもちょっと面白い。ホラーと呼んでいいのかすらよく分からない、「珍しい生活事故のアイデア集」です。
さて、本作「ファイナル・デッドサーキット 3D」ですが、シリーズ初の3Dということで、いかに3Dを利用してクリエイティビティを広げてくるかが一つの見所になっています。結論から言いますと、良かったり悪かったり、過去作と比べると結構微妙な内容です。ちょっと偶然と呼ぶには強引な演出が多く、不自然なシーンが結構あります。
ただし本作は3Dを上手く利用しています。作中でもいろいろな「とがったもの」がどんどん飛び出して来て、思わずのけぞってしまうほどです。釘やら木片やらが目の前に飛び出してくるのは、生理的に嫌ですし本当にビックリします。いままでの3D映画にはなかった実験的な使い方をしているとても意欲的な作品です。
■ 吹き替えの問題
これは是非配給会社の方も真剣に考えていただきたいのですが、吹き替えがあまりにも酷すぎます。最近では「くもりときどきミートボール」もそうでしたが、3D映画が吹き替えのみで公開されることが増えてきています。おそらく3D映画で字幕を出すと目が疲れやすいという配慮だと思いますが、一方で吹き替えが酷いときに回避策が無いという深刻な状況を生んでいます。特に本作は素人芸能人のオンパレードで、ことごとく大根役者がそろっています。もはや文化祭レベルの棒読みオンパレードで情緒もへったくれもありません。字幕という選択肢が無い以上、この吹き替えも込みで映画の評価とせざるを得ませんから、本作の評価は作品内容以上に低くなってしまいます。もしかするとDVDでは字幕が付くかもしれませんが、是非劇場でも字幕版を上映していただきたいです。消費者に選択肢すらないのは非常につらいです。
<まとめ>
はっきり言ってドラマは全然面白くないですから、本作の評価はその「珍しい死に方」がいかに面白かったかにかかっています。こればかりは個人個人の趣味ですので、是非見てみてください。ただし、本作は非常に作り物っぽい・安っぽい演出ですが、結構ゴア(残酷)な描写があります。ブラックコメディとはいえ、残虐描写が苦手な方は止めといた方が良いでしょう。嫌なのを我慢してまで見るほど面白くはありません。
また、もしこのシリーズを見たことが無い人は、是非一作目の「ファイナル・デスティネーション」と二作目の「デッドコースター」をDVDで見てみてください。僕たちの身の回りには危険がいっぱいです。

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携帯彼氏

携帯彼氏

ふと気の迷いから、「携帯彼氏」を見てきました。
評価:(35/100点) – D級ホラーだと思ったらB級アイドル映画だったの巻


<あらすじ>
女の子の間で話題沸騰の携帯彼氏(=ポストペット?)。ただの擬似恋愛ゲームだが、恋愛ゲージが0か100になると死ぬという噂が流れる。そんな中、実際に里美の周りでも不可解な死亡事故が次々と起こる。里見は真相を探るべく捜査を開始するが、、、。
<三幕構成>
第一幕 -> 里見の周りで携帯彼氏が原因と見られる死亡事故が連続で起こる。
第二幕 -> 里見がふとしたきっかけで高原直人の携帯彼氏を手に入れる。そして由香関連の色々。
第三幕 -> 解決編。
<感想>
もう何も言えません。いちいち真面目にツッコんだ方がよいのか、ただ呆れた方がよいのか、、、悩ましいです。そもそもこれはホラーではありません。それどころか怖いと思う(思わせようとする)描写が一つもありません。ひとえに「ホラーの文法」が全くできていないからですが、かといって劇映画として見るには物語が破綻しています。今回はどこが破綻したのかを考えながらグチりたいと思います。なので、携帯彼氏を夜も眠れないくらい楽しみにしている諸君はいますぐブラウザを閉じてください。マジ無理。
ストーリー(=劇中設定)について、根本的な破綻が二つあります。それは見た人なら一発でわかるように「携帯彼氏サービスの運用方式」と「携帯彼氏のメカニズム」です。
いきなりネタバレしますが、携帯彼氏サービスは「配信サーバで人物データを管理」し、ユーザは会員登録することでサーバから携帯彼氏プログラムをダウンロードします。つまり買切型ないし月額課金型のゲームで、基本はクライアントのローカルで動くプログラムです。さて劇中で流行っている携帯彼氏ですが、物語のラストで特に管理者がいない廃墟ビルのなかのサーバラックで運営されていることが明らかになります。運営会社が実在するかどうかまでは語られませんが、少なくとも設置ビルは完全に閉鎖されています。
「ハード保守は?」とか「DBのメンテは?」とか「回線や電気の維持費用は誰が出してるの?」とか色々ありますが、一番のツッコミは何で警察が運営会社を調べたときに分からなかったのかです。もはやグダグダ。だいいち、ゲームで人が死ぬみたいな美味しいゴシップネタがあれば、どこかのタブロイド系雑誌が速攻で運営会社を調べると思うんですが、、、。つまり根本的に「ミステリアス」にすらなってないんです。だって現場に行けば分かるんですもの。駄目だこりゃ。
さらに輪をかけて酷いのが、携帯彼氏のメカニズムです。携帯彼氏の「呪い」は、かつて雑居ビルでレイプサークルが被害者の女子もろとも焼死した際に上の階の携帯彼氏サーバに「死んだ人間の魂が入った」ために発生したと説明されます。つまり怨念です。劇中でもバッテリーの切れた携帯電話上で携帯彼氏が突然起動するなど、その「呪いパワー」は描かれます。さらには、携帯彼氏の入った携帯電話に他人が電話をかけると、携帯彼氏が妨害したりするんです。つまり非科学的存在で携帯電話を操れる訳です。呪いなんだから当たり前ですけどね。ところが映画のラスト、呪いを止めるために里見は「携帯彼氏サーバからデータの消去プログラム(=修正パッチ)を配信する」んですね。なんでその通信は邪魔しないんでしょうか?というかプログラムで消えたら非科学的存在じゃないわけで、、、。一応、「目には目を」「呪いには呪いを」ということでレイプ被害者・女子のデータを配信することで最後は呪われた携帯彼氏を消滅させて着地しますが、なんだかなぁ。しかも他のデータが消えてるのに高原直人だけが夜明けまで粘れたり、、、基準がよく分かりません。
結局、話の展開が全部行き当たりばったりで、その瞬間・そのシーンのことしか考えていないんです。だから通しで見ると無茶苦茶で収拾がつかなくなってるんです。また一つ携帯小説とやらのレベルのすさまじさが浮かび上がってしまいました。読んだこと無いのであくまで推察ですが、たぶん原作の携帯小説は、暇なときにちょっとづつ携帯電話で読むことを想定してるために通しでスクリプトのチェックをしてないんだと思います。
もう、携帯小説を映画化するの辞めませんか?




と、ここまでボロカス書いてみたんですが、その割に35/100点とはどういうことかというと、、、、




この映画はアイドル映画として見た瞬間に評価が急上昇します!まさに綾瀬はるか主演「僕の彼女はサイボーグ」状態!
とにかく川島海荷が超可愛い。話が酷かろうが、演出が酷かろうが、そんなことはどうでも良いくらい可愛い。
アイドル映画の水準としては「BALLAD 名もなき恋のうた」なんて遥かに超えています。
と言うことで、アイドル映画が好きな男の子と、ストーリーとか気にしない頭の軽い女の子にはオススメです!!!

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スペル

スペル

仕事帰り東京国際映画祭に行ってきました。
サム・ライミの最新作「スペル」です。

評価:(100/100点) – ホラーとギャグは紙一重という真理


【あらすじ】

銀行の融資係をするクリスティンは、ある日、小汚いババァのローン延長要請を断る。するとその夜ババァが駐車場で襲ってきた! ババァはクリスティンのボタンをむしり取ると呪いの言葉をかけて去っていく。その日から、クリスティンの周りに不可解な事が起こり始めた。

【三幕構成】

第1幕 -> クリスティンの日常。
 ※第1ターニングポイント -> ババァが呪いをかける。
第2幕 -> 呪いをかけられてから、四苦八苦して解決策を探すまで。
 ※第2ターニングポイント -> 降霊会の終わり。
第3幕 -> 解決編

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【感想】

はじめに

とにかく面白いです。ホラーが苦手な方には朗報ですが、この映画にいわゆる「グロい演出」はありません。すべてのショック・シーンやホラー演出は、ホラー文法に則った緻密な怖さをきちんと体現しています。しかし、たとえば血が出ると言ってもせいぜい鼻血ぐらいです。肉体破損描写もありません。ですからホラーが苦手な方も安心して(笑)見に行ってください。もちろん怖いというかビクッとする「音で脅かす演出」はあります。東京国際映画祭の先行上映でしたが、ホラー好事家が集まってるのかと思えばそうでもありませんでした。会社帰りの人といかにもな人が7:3ぐらいで、みんな終わった後はゲラゲラ笑いながら「ヤバイ」「キテる」を連呼されてました。まだ劇場公開されていない作品なので、いつもガンガンやってるネタバレは控えめにします。ですが、せっかくなので「ホラーとギャグは紙一重だ」という話、そしてホラー文法の基本について考えてみたいと思います。

ホラーとギャグは紙一重

さて今日の題目にもしましたが、ホラーとギャグは紙一重です。この感覚はホラーをあまり見ない人には分かりづらいかもしれません。そこで一般論に行く前にまずは本作「スペル」についていくつか脇道にそれてみます。

「スペル」って、、、(失笑)

まず「スペル」を見た方はこの映画がホラーだと思うでしょうか? おそらく皆さんがホラーだと言います。それはひとえにお化けが出てくるからです。では「この映画はギャグとして面白かったですか?」と聞くとどうでしょう。やはり皆さんがギャグとして良かったと言うと思います。これが何故かと言うことを考えていくわけですが、まずは原題を見てみてください。この「スペル」の原題は「Drag me to hell」です。直訳すると「私を地獄へ引っぱって」となります。これ要は「Take me out to the BALLGAME(私を野球に連れてって)」と同じ感覚なんです。つまり「地獄」が楽しい所で、「私」は行きたがってるんですね。これを見てアメリカ人は「あ、これギャグだ」と分かるわけです。
今月号の映画秘宝で町山さんがサム・ライミに「Don’t drag me~」にしなかった点を聞いていましたが、まさに普通行きたくない地獄に「Drag me~」と言ってる時点で作品全体のトーンが分かるんです。タイトル一つで作品の趣旨を全部表しているわけですから、すばらしいセンスだと思います。なので、配給元のギャガで「スペル(呪文)」などという恥ずかしいタイトルをつけた担当者は本気で反省してください。センスなさ過ぎ。サム・ライミへの冒涜です。

本題

ここからが本題です。ホラーとギャグは紙一重。これを説明するのにもっとも分かり易いのは「お化け屋敷」の構造です。皆さん、学生時代の文化祭で喫茶店とかやりましたか?たぶん文化祭のポピュラーかつ安易な出し物の一つに「お化け屋敷」があると思います。黒いカーテンで教室を暗くして机やロッカーで迷路を作った上で入ってきたカップルや客を、特にカップルを私怨を混ぜて脅かすわけです(笑)。さてこのお化け屋敷の構造は、真面目に考えるとずいぶんとマヌケじゃないですか?だって普段知ってる奴が、いつ来るかもしれないお客さんを待ってひたすらロッカーの中に入ってたりするんですよ?トイレとか必死に我慢して(笑)。つまりこれがホラーとギャグは紙一重という構造です。お化けは人間を脅かすためにひたすら待ってるんです。その待ってる方にフォーカスすると完全にギャグになるわけです。ドリフターズの定番ネタで消化器を使う幽霊コントがありますが、要はそれです。
「スペル」の中でもクリスティンをババァやお化けが脅かす演出がなされますが、特にババァについてはすべての登場シーンについて「ひたすら待ってる」んです。舞台の袖で(笑)。しかもサム・ライミは明らかにこの構造を熟知していて、いわゆる画面の端に「見切れる」演出を毎度やってきます。つまり、ロッカーの中で客が通りかかるのを待ってる友達が、ロッカーの窓からちょっと見えちゃってるんですね。ドリフの「志村!後ろ!後ろ!」を徹底的にやってるんです。是非これから見る方は、その「見切れ演出」に注目してください。ウォーリーを探せみたいなものです(笑)。
そういえば「ハリー・ポッターと秘密の部屋」で便所に住んでる女の子の幽霊がいましたが、彼女は全然怖く無いじゃないですか。それはどう見ても人間にしか見えないという要因もありますが、それにプラスして無害だからという事があります。彼女は危害を加えませんから。そうすると、幽霊の能力である「ものを透けて通れる」事だったり「飛べる」ことだったりが残って味のあるキャラになるわけです。物を投げても素通りしたり、そもそも物がつかめなかったり、そういう特徴はとてもギャグに生かしやすいものです。
「スペル」の大きな特徴は、クリスティンがお化けを怖がる描写がある一方で、彼女がとてもタフであることが挙げられます。彼女は劇中でそれこそ何度もお化けを腕力で撃退します。ここで「腕力で撃退」=「ツッコミを入れる」という構造が成立し、お化けがお化けらしく前述した特徴をいかした「ギャグ的な存在」として成立できています。ですので見ている間中、それこそ全体の六~七割程度はギャグシーンといっても差し支えありません。実際にスクリーン内で起こっていることはとても笑える状況では無いのですが、それでも笑いが絶えないのは、ホラーとギャグは紙一重という真理を上手く表現しているからです。お化けとクリスティンの夫婦漫才が行われているんです。クリスティンは命がけですけどね。

ホラー文法の基本

ホラー文法の基本はそれこそ無数にありますが、ちょっと長くなりすぎているので一個だけ紹介します。それは「いかに脅かすか」と言うことです。
みなさん、稲川淳二さんをご存じでしょうか?夏になるとテレビ番組に引っ張りだこで、怪談話のカリスマ的存在です。実は彼の話し方は「いかに脅かすか」というホラー文法に非常に忠実です。それは「集中と衝撃」というロジックです。
人間の感覚には閾値があります。閾値とは「これ以上になると~する」という境界線の事です。ホラーでは閾値を超えるとビクっとする訳です。例えば寝るときに部屋の電気を消すとします。最初は暗くて何にも見えないですね。でもしばらく経つと段々と見えるようになってきます。これは目の光に対する閾値が下がっている訳です。閾値が下がるとより少ない光を知覚できるようになりますから暗い中でも見えるわけです。ここで、いきなり電気を付けるとどうなるでしょう。すごく眩しくて目を細めますよね。これが衝撃です。あまりに閾値が低くなってしまったので、普段ならどうって事無い光でもとてつもない衝撃を受けるわけです。これをホラーに応用したのが「集中と衝撃」です。
ホラーでは「暗いシーン」や「静かなシーン」を続けることで、観客の閾値を下げていきます。暗いシーンであれば集中してよく見ないといけません。静かなシーンであれば耳をすまして集中しないと台詞や音が良く聞き取れません。そうすると当然観客は聴覚や視覚の閾値を生理的に下げるわけです。これは観客が意識してやるようなことではありません。人間である以上、勝手にそうなってしまうんです。そこで、いきなり画面いっぱいに怖い顔をだしたり大きな音を鳴らしたりすると「ビクッとする」わけです。これがホラーにおけるショック演出の基本です。「スペル」ではこの基本が随所に使われています。是非集中して見てみてください。

【まとめ】

ここまで色々と書いてきましたが、この映画は間違いなく今年の映画でトップクラスに面白い作品です。それどころか、ある種のマスターピースになる可能性をもった作品です。是非、映画館で歴史を目撃しましょう。ホラーが嫌いな方でも大丈夫です。なにせギャグ映画ですから。文句なくオススメです。

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