ライアーゲーム ザ・ファイナルステージ

ライアーゲーム ザ・ファイナルステージ

アカデミーについて書きたいのは山々なのですが、まずは今日のレイトショーで観た

「ライアーゲーム ザ・ファイナルステージ」です。

評価:(45/100点) – 映画としては糞そのもの。しかしアイデアは素晴らしい。


【あらすじ】

バカ正直のナオは、ライアーゲームという大金を掛けたゲームの決勝戦に招待される。人気のない孤島で、ナオはそのほか10人の人間と共に莫大な金を掛けたゲームを始める。


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【感想】

さて、アカデミーについても色々書きたいことはあるんですが、今日は「ライアーゲーム ザ・ファイナルステージ」についてです。つい先ほど見終わったばかりです。
人の入りはレイトショーにしては多く、10~20人ぐらいでした。私は例によってドラマ版を全く見ていない上に漫画も読んでいない状態です。ハッキリ言ってボーイズ・オン・ザ・ランの時に書いたように松田翔太を見に行ったようなものです。後はモロにSAWのトリック・ドールをパクってるピエロ人形が気になったという所でしょうか。
見終わっての感想ですが、なんと言いますか、、、非常に評価に困る作品でした。
といいますのも、映画としては文句なく糞なんです。詳しくは後述しますが相当酷いです。ところが本作は(SAWのパチモンとはいえ)日本でソリッド・シチュエーション・スリラーが作れる可能性を見せてくれました。その点は十分に評価に値すると思います。

映画としての難点

冒頭の文を見ていただいて分かるように私は本作には好意的です。なので悪口を先に片付けてしまいましょう(笑)。
本作の映画としての一番の難点は、映画の文法を全く使っていないことです(苦笑)。いきなり話が終わってしまいますが、明確に本作は映画として構成されていません。100%TVドラマの文法で作られています。具体的に言いますと「間の徹底的な排除」「小刻みなカットバック・早回しの多用」「泣き喚き等オーバーリアクションの多用」そして「過剰なインパクト音としてのSE」です。要は、本作はずっ~と何かしらの映像効果や効果音といったエフェクトを掛け続けているんです。まるで作り手に脅迫観念でもあるかのように、映像に常に手を加えて「間」をつぶしています。これはTVチャンネルをたまたま合わせた人を逃がさないための演出です。その過剰さが恐ろしく安っぽく、観客のリテラシーをバカにしているように見えます。これはあくまでもTVドラマ特有の文法で、映画館の大画面で集中力が上がっている時に見せられるとものすごい白けます。
第二の難点は致命的なまでの演出のダサさです。本作を見ていて一番イライラするのはこの部分です。本作に登場する「エデンの園ゲーム」は全部で13回の「投票」が行われるのですが、その全てについて「何かイベントが起こる」→「結果発表」→「裏切り者が勝手に自白」→「罵しり合い」→「次の投票へ」というワンパターンが延々繰り返されます。この中でも特に裏切り者が勝手に自白するパートや、聞かれても居ないのに秋山が手の内をバラすパートは本当に最低な出来です。聞いてもいない悪事や工夫をベラベラ勝手に喋りだすものですから、どっちらけも良いところです。
第三の難点は、すべてを台詞で説明するところです。これは後述する事にも関わってくるのですが、本作はまるで舞台演劇のように台詞だけで物語が進行していきます。映画としてはとても不自然なところが多々あります。なにせ映像の力に全く頼っていないというか、映像自体を利用できていません。なので映画的な興奮や感動は一切ありません。

本作の最も優れた点。「エデンの園ゲーム」のアイデア。

書いていたら割と手厳しくなってしまいましたので、今度は褒めるパートに行きましょう。以上に書いてきたように本作は映画としては全くもって酷い出来です。ところが本作には唯一にして最大の美点である「エデンの園ゲーム」があるんです。エデンの園ゲームのルールを説明するのは面倒なので公式ホームページを見てください。実際にこのゲームにもツッコミ所は結構あります。しかし私が大事だと思うのはこういったソリッド・シチュエーションのアイデアを考えようという脚本家・プロデューサがでてきたということです。
本作の序盤では、同一のルールを使っているにも関わらず、少し状況をいじくるだけで「囚人のジレンマ」を複数パターン作って見せます。そして中盤、ここまで一切使われなかった”新ルール”でさらに別の展開を作って見せます。そして最終盤、きちんとゲームの盛り上がりと話の盛り上がりを一致させてきます。
ソリッド・シチュエーションはキャラクターを論理的・環境的に追い詰めていくための構造です。本作では穴だらけながらもきちんと数学的に追い詰められているように見えますし、言葉で延々と観客を”説得”してきます。
たしかにこのシチュエーションの作り方自体の詰めはボロボロで、実はいくらでも抜け道があったりします。もっというと、おそらく本作は最後のオチから逆算して、脚本の後ろからルールと経過を書いています。そのため、通常の状況ではまったく必要の無い不自然なルールがあります。でもこういうチャレンジをしてきたことに意味があると思います。その志を買いたいです。
木のプレートがあるのに赤リンゴを燃やしちゃったり、焼きごてを使った直後にポケットに入れたり、あまつさえリンゴを隠したり(どこにそんな場所があるんじゃ!)、暖炉の火程度で純金や純銀が燃えたり、脱落した連中がいきなり最後にしれっと復活したり、ディティールは最低ですがあまりにも早い話のテンポと中田ヤスタカの中毒的なワンループ構造音楽の「勢い」で結構誤魔化されます(苦笑)。

【まとめ】

本作は映画としてはかなり酷い出来です。どのぐらい酷いかというと「交渉人 THE MOVIE」とどっこいどっこいなレベルです。しかし、私はソリッド・シチュエーションのアイデアを買いたいと思います。稚拙ながらもこのジャンルに挑戦する作品が出てきたことは大変好ましいことです。もっとディティールを真面目に作った上でゴア描写を追加できれば、本作は十分に面白くなる余地があります。
ということで、本企画の未来に向かってオススメです!!!
余談ですが、本作でも「猿ロック」にみられたような「疑うことを知らない無垢」=「良い事」という気色悪い構図があります。戸田恵梨香がただの頭足りない子にしか見えないのが実は最大の難点でしょうか? 可愛いのに、、、。
またドラマのDVDをとりあえず1シーズン分借りてみました。その程度には期待の持てる作品です。

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パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々

パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々

今日はレイトショーで「パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々」を観てみました。

評価:(60/100点) – ハリー・ポッターの後継狙いとしてはそこそこ。


【あらすじ】

神の世界である日ゼウスの稲妻が盗まれてしまう。ゼウスは初め兄のポセイドンを疑うが、彼が潔白を証言するやいなやポセイドンの息子に疑いを向ける。一方その頃、高校生のパーシー・ジャクソンは授業で訪れた博物館で魔物に襲われてしまう。ケイロン先生の力で魔物を何とか追い払うが、危機を感じたパーシーは親友のグローバーと母親と共にキャンプ・ハーフブラッドを目指して逃走する。しかし目前で母親をミノタウロスに攫われてしまう。パーシーはキャンプ・ハーフブラッドで自身の血筋を聞かされ、仲間と共に母親を救出する旅に出かける、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> ゼウスとポセイドン。またはパーシーが襲われ逃げる。
 ※第1ターニングポイント -> パーシーとグローバーとアナベスが旅に出る。
第2幕 -> ハデスを目指す旅。そしてハデスとの邂逅。
 ※第2ターニングポイント ->冥界から脱出する。
第3幕 -> 最後の対決とオリンポス訪問。


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【感想】

さて、本日は「パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々」です。監督は少年向け冒険ファンタジーの脚本を多数手がけるクリス・コロンバスです。どちらかというとホーム・アローンやハリー・ポッター初期2作の監督といった方が通りがよいかも知れません。
会社こそ違いますが、ワーナーのハリー・ポッター・シリーズが残すところ1冊分(=前後編で映画二本)で終了することを見越して、後継のシリーズを狙ってきたという趣旨がヒシヒシと伝わってくる作品です。原作の児童書はハリー・ポッターに負けず劣らずアメリカで大人気ですし、素材としてはこれ以上ないほど適しています。

物語の大筋とキャラクター

物語部分は非常にシンプルでありがちなストーリーです。主人公が実はものすごい力を隠し持っていて、それを突如開花させ大活躍する話です。まるでRPGゲームのようなベタさです。主人公はキャラが薄くて「正義感がある真面目な子」という以外の背景はまったく描かれませんし、仲間のアナベスとグローバーに至ってはただの賑やかしです。
しかし、展開のつけ方やちょっとした神話の引用など子供心をくすぐるポイントはきっちり押さえています。中二病を上手くくすぐる絶妙な湯加減で、見終わってからギリシャ神話を読み直したくなってしまいました。

展開の無茶さ

とはいえ、展開はかなり強引かつ行き当たりばったりです。一番気になるのは本作のタイトルにもなっている稲妻泥棒の件です。気付いたら勝手に解決しているというか、答えが勝手にこっちに向かってきてくれて、ご都合主義なんて言葉では言い表せないほどです。そもそも主人公が気付かないのが変ですし、犯人の計画も無理がありすぎます。主人公が無事にハデスの元に着く確率は相当低いはずなのに、それを見越して計画を建てていないと本作は成立しません。
また、犯人の人間描写もイマイチ稀薄です。「例のアレな感じの人」みたいな「雰囲気のみで構成されたキャラクター」になってしまっています。記号的といいますか、「みんなこんな感じのキャラ見たことあるでしょ?それ。そのイメージで。」という適当な描写が目立ちます。
とはいえ、児童書が原作で小中学生をターゲットにしている割には整理はされていますし、そこそこの佳作だと思います。

【まとめ】

本作は決して高いレベルのハリウッドエンタメではないですが、ハリー・ポッターの後継としては十分通用するレベルだと思います。何より徹底したキャラの記号化によって抽象度が上がっていますから、観客各自が好きなように移入することが出来ます。裏を返せばそこまでキャラに惹かれるものが無いとも言えますが、まぁまぁありかなと思います。
子供向けのエンターテインメント映画としてなら十分に及第点のオススメ作品です。。

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涼宮ハルヒの消失

涼宮ハルヒの消失

ようやく原作で消失まで読み終わりました。ということで、満を持して

「涼宮ハルヒの消失」です。

評価:(85/100点) – 萌えアニメの皮を被った上質なヒューマノイドSF。


【あらすじ】

12月18日、もうすぐ終業式が来るクリスマスの準備も慌ただしい師走のただ中、キョンが目覚めると世界が変わっていた。
居ないはずのクラスメイトが居て、居るはずのクラスメイトが居ない世界。キョンは自分以外の全てが自然に生活する奇妙な世界に迷い込んだ。混乱の中で訪ねた文芸部室で彼は見知った長門有希を見つけるが性格は似てもにつかない。翌日、手詰まりながらも再び訪れた文芸部室で書棚の本を手に取ると、そこには元の世界の長門が残した手書きメッセージ付のしおりが挟まっていた。「プログラム起動条件・鍵をそろえよ。最終期限・二日後」。プログラムとは何か?そして鍵とは何か?
そしてキョンは元の世界に帰れるのだろうか?


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【感想】

満を持して「涼宮ハルヒの消失」です。原作未読の状態で二度見に行ったのですが、それは別に一度目で分からなかったからではありません。とにかく面白かったからです。
映画文法としてはイマイチなところもあるのですが、そんなアラは全て吹き飛ばすほどの圧倒的な展開と圧倒的なテンションで画面が迫ってきます。三時間近い上映時間ですが、まったくダレることなく二度ともあっという間でした。
サスペンス調なのでネタバレを控えようとも思ったのですが、どうせ見たい人は全員見てるだろうということでオチを含めて全開で書かせていただきたく思います。
この作品にはそれをするだけの価値があると思いますし、それは非常に偏愛を生みやすい作品だと言うことです。
なお、現在私は原作を六巻(涼宮ハルヒの動揺)まで読んだ状態でこの文章を書いています。

原作・涼宮ハルヒシリーズを読んで。

涼宮ハルヒ・シリーズは、傍若無人でツンデレで世界を再構築する能力を持った涼宮ハルヒ、どじっこ萌えキャラで未来から来た朝比奈みくる、無口で無表情なヒューマノイドの長門有希、優等生で少しイヤミな超能力者の古泉一樹、そして主人公のキョンを構成員とするサークル・SOS団を中心にしたドタバタコメディです。早い話が、非常にオタク的な要素を詰め込んだ典型的なキャラもの作品です。原作の熱狂的なファンには怒られるかも知れませんが、はっきり言ってオリジナルな要素はありません。涼宮ハルヒの機嫌が悪くなると世界が変質し涼宮ハルヒが願うとそれが実体化してしまうという、これ以上無いほど「セカイ系」のど真ん中です。
正直な話、原作を読んでいて特に「涼宮ハルヒの退屈」まではハッキリと微妙な感じでした。私自身が元々アニメオタクなので苦ではないんですが、一昔前のギャルゲーのテキストを読んでいる感じといいますか、ただただ類型的で没個性なキャラがワイワイやってるだけのどこにでもあるオタク向け文章という印象しかありませんでした。
ところが「涼宮ハルヒの消失」が面白いんです。今現在六巻までしか読んでいませんが、ここまでで唯一「萌えキャラ設定に頼らない正当な人間ドラマ」を描いています。実際、ここまで娯楽的なカタルシスを詰め込みつつもヒューマノイドの悲哀を描けている作品はなかなかありません。涼宮ハルヒというシリーズを無視してでも、作品単体で十分に評価されうる作品です。

物語の根幹・迷い込んだ異人の話

本作はキョンの独白から始まり、全編を通じて合間合間でキョンの独り言がナレーションで挟まり、ラストもキョンの独白で終わります。元々、涼宮ハルヒシリーズ自体の構造として「SOS団で唯一普通の人間」であるキョンは読み手の感情移入先として用意された器のような存在です。そして映画でも視聴者は完全にキョンの視点のみから世界を見せられます。これが非常に効果的に働いています。本作においてキョンは終盤まで「巻き込まれた善意の第三者」という立場を崩しません。唯一終盤の長門有希の台詞を除き、キョンが作中で得た情報は例外なく視聴者にも提示されます。これにより視聴者はキョンを利用して不思議な世界と時空修正中のタイムパラドックスのハラハラドキドキに完全に同調することが出来ます。非常に丁寧な作りで、上手く感情移入させています。
実はこのナレーションの時制がおかしいという問題はあるのですが、それも作品の勢いに圧されてそこまで気になりません。
不思議な世界に迷い込んだキョンの行動も非常に理にかなっています。目立ったご都合主義的強引さも無く、非常にスムーズにタイムリミットが迫り、そして嵐のように傍若無人なハルヒによってあっという間に問題が”勝手に”解決します。それもそのはずで、キョンは本当に普通の無力な人間なんです。なので問題を解決するような超人的活躍は一切しません。彼は終始オドオドしているだけで実質的にはたいしたことは何にもやっていません。でも、だからこそ視聴者は感情移入できるわけです。あくまでもこれは一般人が巻き込まれて体験してしまった不思議な世界を描いた作品です。

長門有希とタイムパラドックス

そして本作を私が気に入った一番の理由は、この長門有希の存在です。彼女を通してヒューマノイドの悲哀がシンプルに描かれます。
本作では、非常に独特な人生観・世界観がまかり通っています。それは未来至上主義と言っても良いほど、「予定調和」を大事にする世界です。本作には朝比奈さんが居てタイムトラベルが可能です。そこで未来で何かが起こっていると言う事それ自体が、「必須イベント・ノルマ」として過去に求められます。例えば、本作では最初からハッピーエンドに終わることは分かっているわけです。なぜなら、未来から朝比奈さんが来ているからです。これがすなわち「未来が存在する」ことの証明になり、「世界が終わらないこと」の証明になっています。長門も三年後に自身が暴走する未来を知っておきながら、そのイベントを起こすために振る舞います。すでに未来というのが決定していて、それに向かって行動をしていくだけという何とも地獄のような世界観です。しかしそんな世界観の中で、長門は「感情らしきバグ」を発現させます。これも予定調和の一つではあるんですが、それを十分に理解した上で「予定調和」として受け入れる長門の姿に「ヒューマノイドは心を持ちうるのか」というありがちな問題提起がすんなりと回答されます。
心を持つかも知れないが、その心ですら一種の計算結果であり予定調和であるという発想。この世界には人間に自由意志がほとんどありません。終盤にキョンが変革後の世界と変革前の世界のどちらを選択するかで葛藤するシーンがありますが、それですらこの世界観の中では予定調和なのです。「全てが起こるべくして起きている。」という冷たい舞台の中で、それでも自由意志のような物を見せるキョンの姿が、そのまま「心を持ってバグってしまった長門有希」の姿と重なります。
2人とも定められた枠組みの中で必死にもがいているわけです。でもその”もがき”ですらこの世界では「予定されたイベント」になってしまいます。
タイムパラドックスの論法をそのまま世界観にまでシフトさせてしまった作者の発想にはただただ脱帽します。
巨大な運命に対して無力と分かっていながらもがいて自己証明をしようとする人間達が図らずも描かれているわけです。
これが本作をただの「キャラもの作品」ではない一級品のSFにしています。

【まとめ】

最後になりましたが、本作では大きく二カ所が原作から変更されています。一カ所は、変革後の世界でハルヒ・古泉・キョンが東中に入り込むシーン。もう一カ所はラストのキョンと長門の会話シーンです。前者はキョンが教室と外を往復する場面をカットして話のテンポをスムーズにしています。後者はおそらく雪が降るシークエンスをやりたいためだけに屋上に舞台を移しています。両場面とも変更した効果は十分に出ていると思いますし、監督および脚本家の方が十分に原作を租借している様が全編から伝わってきます。
実は私は原作の「涼宮ハルヒの消失」以外はそこまで好きではありません。というのもあまり読み返す気が起きないほど内容が薄く、萌えキャラものに偏重しているからです。しかし、少なくとも「涼宮ハルヒの消失」は傑作ですし、映画も大変面白くできています。なにせシリーズ未読の私がリピートするほどでした。是非シリーズ未読の方も劇場に足を運んでみてください。
「アイ、ロボット」を見るぐらいなら、本作を見る方が何倍もヒューマノイドに心揺らされることでしょう。
日本のアニメ映画に抵抗が少ない方であれば、全力でオススメいたします。

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ボーイズ・オン・ザ・ラン

ボーイズ・オン・ザ・ラン

ボーイズ・オン・ザ・ラン」を観てみました。

評価:(80/100点) – 不覚にも泣きました。


【あらすじ】

田西敏行は冴えない営業マンである。そんな彼も、会社の飲み会で植村ちはると意気投合したことから急接近、お互い好き合うも中々発展せずにいた。ある日ちはるが熱で倒れる。看病に向かった田西だが、そこでちはるの隣人にして姉御肌のしほに誘惑されてしまう。断るもののちはるに誤解され険悪になってしまう。その後、ちはるはライバル会社の営業マンとつきあい始めるが、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> ちはるとの出会い。
 ※第1ターニングポイント -> ちはると険悪になる。
第2幕 -> 田西とちはると青山。
 ※第2ターニングポイント ->ちはるの中絶手術に長谷川茜が来る。
第3幕 -> 青山との決闘。


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【感想】

素晴らしい作品でした。原作漫画は未読でしてあんまり映画も注目してませんでした。ところが、たまたま時間の都合で入ってみたところどうしてこれが拾い物でした。とにかくアホでバカでどうしようも無い男がそれでも不器用に生きていく様子が下品な下ネタとストレートなストーリーで語られます。

これ、ある意味では「(500)日のサマー」と似た構成でもあります。簡単に言ってしまえば、ウブで不器用な男が恋愛巧者の女に捕まって振り回される話です。しかし決定的に違うのは「(500)日のサマー」には救いがある(付き合って一時とはいえ幸せになる。そして恋に踏み出せるようになる。)のに対して、本作は救いがほとんどなく”苦さ”だけで出来ています。

田西はせっかく仲良くなれるはずだったちはるに誤解され完全に嫌われてしまいますが、不器用なので上手くリカバリーが出来ません。けれども必死に彼女のために一途に尽くそうとします。その一途さの向こうで、ちはるはことごとく自分勝手な女になっていきます。なんでもかんでも田西のせいにして、田西に頼りながらも他の男の事ばかり考えています。本当に腹が立つぐらい嫌な女です。それでも田西にとっては惚れた女であり彼の全てです。「僕が一生懸命になれるのは君のことだけだ」という田西の言葉の通りに、彼は彼女を最優先にして支えていきます。この健気さとラストに来る恋の盲目から醒める瞬間、それこそが本作を一級の「青春映画」へと押し上げています。

「(500)日のサマー」のトムよりもこちらに感情移入してしまうところが私のダメさ加減を如実に表していますが(笑)、絶対にオススメ出来る作品です! ごちゃごちゃ言うのも野暮なのでとりあえず見に行ってください。こんなにダメで、こんなに悲惨で、だけどこんなに清々しくなれる青春映画はなかなかありません。まさにボーイズ・オン・ザ・ラン。とりあえず溢れるリビドーのままに突っ走れってことですよ。オススメです!!!

余談ですが、松田龍平のアクションシーンが父親そっくりでびっくりしました。蘇える金狼のころの優作が好きなひとにもオススメです。もしかして翔太も、、、と思って「LIAR GAME The final Stage」とかいう100%核地雷を大股で踏みにいきそうになります(笑)。

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Fate / stay night UNLIMITED BLADE WORKS

Fate / stay night UNLIMITED BLADE WORKS

本日の2本目は

Fate / stay night UNLIMITED BLADE WORKS」です。

評価:(2/100点) – これはどうしたものか、、、。


【あらすじ】

冬木市では数年に一度、7人の魔術師(マスター)が使い魔(サーヴァント)を召還して殺し合う聖杯戦争が行われていた。
衛宮士郎は放課後の学校でランサーとアーチャーが殺し合う場面を目撃してしまう。目撃者としてランサーに口封じされそうになった士郎は、自覚の無いままにサーヴァント・セイバーを召還、マスターとして第5次聖杯戦争に参加することとなる、、、。


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【感想】

はじめに

え~、、、まずは恒例の言い訳から(笑)。
一応ですね、、、予習として昔のPCゲームを引っ張り出してきてやり直しましたし、「Fate/Zero」という同人ラノベもアニメイトで買ってきて読みました(←これ値段高すぎ。でも面白かったです)。このシリーズに熱心なファンの方々がたくさんついてるのも理解しています。
今回は書く内容が長くなると思いますが、一応シリーズ初見ではなく、そして信者というほどのめり込んでもいない映画好きの戯言です。もし万が一「Fateシリーズ」が大好きでこの映画に100%満足できた方がいるとするならば、それは非常に貴重で大切なことです。私も仕事柄そういう方々には大変助けられていますので。是非その想いを大事にしていただいて私のような訳のわからん若造の戯れ言なんぞ気にせずに絶賛してDVDやBDの初回限定版を一人三個ずつ買っていただければと思います。そんなあなた方のおかげで日本のコンテンツ業界は回っています。
とまぁ言い訳を書いておいて、さらにお約束の注意をば書かせていただきます。
今回、冒頭の点数を見ていただくと分かるように酷評致します。そして以下ネタバレを大量に含みます。さすがに5年前のゲームにネタバレもないとは思いますが、もし本作を楽しみで楽しみでしょうが無い「Fate/stay night」未プレイの方がいましたら直ちにブラウザを閉じてください。
そんなこんなでセーフガードを大量に貼りつつ(苦笑)、本論へと行きます。

本作の立ち位置の確認

本作は2004年に成人向けサウンドノベルゲームとして発売された「Fate/stay night」内の「UNLIMITED BLADE WORKS(=遠坂凛ルート)」を映像化/映画化したものです。非常に忠実に映像化されています。ですので、ゲームの熱狂的なファンの方にとっては「あの名場面が映画館で見られる!」というような位置で語られるような作品です。ということは、いうなれば昨年の「ROOKIES -卒業-」と同種です。作り手側が特定の層のみをターゲットにして、その中でいかに観客一人あたりの収益率を上げるかに特化した作品ということです。なのでゲームの「Fate/stay night」が大好きな人が満足して何度も劇場に入ってグッズやDVDやBDを買ってくれるならば、商業的狙いは成功です。もしかすると、映画として評価すること自体が的外れなのかも知れません。もっというと「映画という収益システムを使っているだけで、これは映画ではない」と開き直られる恐れもあります。
これから書くことは「曲がれ!スプーン」にもあった「別のメディアの作品をそのまま映像化して映画とする問題」に帰着します。ゲームでは問題の無かったものでも、それをそのまま劇場に持ってくるとどうしようも無い駄作になるという構図そのものです。

ストーリー上の問題点

本作の一番の問題点は脚本です。脚本家さんがよくエンドロールで名前を隠さなかったと拍手を送りたい程です。「アマルフィ 女神の報酬」はみんな逃げたのに(苦笑)。とにかくストーリーの構成がメチャクチャでまったく映画の体をなしていません。
いわゆるアート系映画以外には、必ず主題が存在します。そしてその主題に向かって90分なり120分なりで主人公が突き進んでいきます。それが物語(ストーリー・テリング)です。さて、本作の主題は何でしょう?
すでに観た方ならばこれは自明です。すなわち「主人公・衛宮士郎が自分自身(の行く末であるアーチャー)と向かい合うことで葛藤し成長する話」。これです。
では本作の構成はどうなっているでしょう。
作品の前半部はほとんど主題と関係ありません。これは元々のゲームの性質上の問題です。元のゲームは選択肢でストーリーが分岐していくため、ストーリーの前半部分については後からどうとでもなるような内容しか語れません。これを映画にそのまま持ってくると前半で延々と蛇足のような当たり障りのない話を見せられることになります。この時点で白けます。
さらにまずいのは、テーマ上のクライマックスであるはずの「自分自身と向き合う葛藤・対アーチャー戦」が終わった後、まったく関係無いギルガメッシュ戦を見せられる点です。無関係とは言っても、一応、士郎が自分にアーチャーと同じ能力があると気づいて「UNLIMITED BLADE WORKS」を発動するシーンはあります。ただしこれは成長にはなっていません。あくまでも「自分がアーチャーになる可能性があると自覚した」という場面であり、「自分の考えの破滅性を受け入れた」という表現です。さらにはギルガメッシュがラスボスとして登場する必然性が無いのも問題です。
本来ならばアーチャー戦で文字通り自分自身に打ち勝ってテーマを消化しなければいけません。でも作品上のクライマックスは、演出の仕方でも分かるようにギルガメッシュ戦での「UNLIMITED BLADE WORKS」を発動する場面になってしまっています。つまりクライマックスがずれてしまっているんです。これは「ゼロの焦点」にもあった症状です。そのため最後のギルガメッシュ戦が完全に蛇足になってしまいました。
結局の所、本作のストーリー上の問題は「整理不足」という言葉に要約できます。きちんと「主人公・衛宮士郎が自分自身と向かい合うことで葛藤し成長する話」にするのであれば、前半でアーチャーとの共闘と確執を描き第1ターニングポイントで決裂、中盤でアーチャーと士郎の対立を通してお互いの主張を明文化した上で残るサーヴァント達を一掃、クライマックスで聖杯を巡ってアーチャーがラスボスとして士郎と決闘するべきです。
ゲームをそのまま映画にしてしまったために話がグチャグチャになってテーマがボケボケです。映画にするのであればきちんと映画の文法で書き直す必要がありました。この部分については映画の長さは関係ありません。この手の映画でありがちな「原作を100分にまとめるためにダイジェストみたいになって話が難しくなった。三部作でやればもっと楽しめたのに。」というフォローは残念ながら本作には適用できません。いくら枝葉を詳しくしても構造上の問題は変わらないからです。むしろ100分で語りきるためにテーマを絞るべきです。極端な話、イリヤや慎二や綺礼はテーマには関係無いので出番を全部カットしても良いくらいです。

演出面について

ストーリーの壊滅的な状況と違い、アニメーションはとても良くできていると思います。良い動きをしていますし画面構成も結構きちんとしています。ですので、動きをみるアニメ映画としてはそこそこ楽しめます。しかし演出は本当に酷く、全部台詞で説明してくれるのでラジオドラマで十分なのではないかと思う程です。これは原作者の特徴でもあるのですが登場人物がみんな文語調で会話をします。そんなウザい人間は現実には居ません。さらにはアジテーションまで文語調なので、うっとうしい「中2病」に見えます。「格好つけようとしたら物凄くダサくなった」という目も当てられないシーンの連続です。これは村上春樹の”直訳調文体”を映像化する際に陥っている問題と同種です。そのまま映画に持ってきては通用しません。その雰囲気をいかに映像に置き換えるかが演出家の腕の見せ所です。
驚くことに、後半でついに画面に文字を置いてサウンドノベルそのままの演出がなされます。これにはあまりにも投げやりすぎて呆れかえってしまいました。それならば、画面にゲームのスクリーンキャプチャをそのまま100分流してた方が良かったのではないでしょうか?

【まとめ】

残念ですが、映画としてはあまりにも酷すぎます。ストーリーも演出も、ちょっと他作品とは比べようもないレベルです。
しかし冒頭にも書いたように、本作を映画として評価することに意味は無いかも知れません。ただ、それならそれでOVAでやって欲しかったです。終わった後の満員の劇場では少なくともあまりハッピーな雰囲気ではありませんでした。20世紀少年最終章の時と同じような「観なかったことにしよう」という感じで、ただただどんよりとしていました。
「ファンだからこそこの出来は許せない」となるのか「原作に忠実にやってくれてありがとう」となるかは、観た方の判断次第です。でも、ファンであれば観に行くに越したことはありません。原作ファン限定でオススメします。

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記事の評価
彼岸島

彼岸島

二本目の映画は「彼岸島」です。

評価:(5/100点) – 血糊の無駄使い。

【三幕構成】

第1幕 -> 明と冷の出会い。吸血鬼とのファーストコンタクト
 ※第1ターニングポイント -> 明達が彼岸島に着く。
第2幕 -> 彼岸島でのサバイバル
 ※第2ターニングポイント -> 明が師匠に弟子入りを志願する。
第3幕 -> 明と師匠一行が雅のアジトに殴り込みを掛ける


【あらすじ】

高校生の宮本明はある日チンピラに絡まれているところを不思議な女性に助けられる。彼女は行方不明になっている明の兄・宮本篤の免許証を明に渡し、彼女と共に篤を助けにある島に来て欲しいと告げる。友人5人を加えた明一行は、冷と名乗る女性と共に彼岸島へと向かう。そこは吸血鬼達の跋扈する修羅場であった、、、。


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【感想】

残念!!!
本作について実は結構期待していました。というのも、予告で見る限り近年の日本俳優映画(実際には8割方韓国映画ですが)にしては珍しく血糊を結構使っていたからです。モンスターサバイバルもので敵を切っても血の一滴もでないんじゃ拍子抜けです。TAJOMARUなんて、血しぶき一つ出て無いのに何故か刀を拭うそぶりをしたりして失笑ものでした(笑)。それを考えると少なくとも志はあると思えたんです、、、予告をみた限りは、、、予告だけは、、、。

本作の格好悪さ

本作はとても格好悪いです(笑)。身も蓋もない表現ですが、全編通じて主人公側がまともな思考回路を持ち合わせていません。唯一まともなのが兄の篤で、後の連中は本当に馬鹿ばっか(笑)。そのくせ泣き喚きだけは多いので、ものっすごいイライラします。特に中盤、仲間の一人が吸血鬼になってしまう場面は本当に酷いです。主人公の明が延々と理屈の通らないことを大声で喚きながら駄々をこねるために、心の底から早く死ねばと思ってしまいました。なにせ主人公達は全く役に立ちません。というか主人公以外は最後まで何の役にも立ちません。その主人公も、いきなりレジスタンスでもトップクラスな強さを発揮してしまい、全く成長が描かれません。
せっかく冒頭の弓道部ですごい能力を発揮しているユキもただ捕まってるだけですし、せっかく冒頭で爆薬を使っている西山もただオロオロしているだけです。加藤はただのデブですし、ポンは気持ち悪いだけで何の役にも立ちません。ケンは格好つけてるだけで、ヤンキー流のバット術は発揮されません。「漫画では活躍してるんだろうな」という片鱗を感じることは出来るんですが、しかし何の慰めにもならないほどにみんな足手まといです。
ただただテンション高く喚いて血糊を一杯使ってるだけで、やってることは非常にショボくてくだらない事です。しかも宮本兄弟は無敵じゃないかと思えるほどに頑丈で、何回致命的な傷を負わされてもケロッとしてますし、顔の切り傷も場面転換すると綺麗に無くなっていて傷跡すら残りません。
せっかく血糊でリアリティレベルをあげているのに、なんでこんな半端なことをするんでしょう?格好悪いです。

スターウォーズ病について

本作では上記の格好悪さに加えて、スターウォーズ病を発症してしまっています。ジェダイのように目隠ししてトレーニングしたり(SW EP4 新たなる希望)、コロッセオのようなところでモンスターと戦ったり(SW EP2 クローンの攻撃)、最後はラスボスと1対2のチャンバラです。(SW EP1 ファントム・メナス)
ただしCGやアクションが中途半端なため、完全にデッドコピーになってしまっています。やるならちゃんとやって欲しいのですが、、、残念です。

【まとめ】

とてつもない事になっている映画です。整合性は全くありませんしストーリー構成もグダグダです。登場人物の大半は物語に不要ですし、なにより活躍しない有象無象の味方が多すぎます。公式webサイトに「上陸者殺到中。いまだ生還者0」というキャッチコピーが出てますが、そりゃこの出来じゃ生還できません(笑)。皆さん映画館で撃沈されていることでしょう(笑)。
昨年のカムイ外伝と戦えるレベルの超絶クソ映画でした。そういえばCGレベルも似たり寄ったりです(笑)。
まったくオススメ出来る要素が無いのですが、原作ファンがネタとして見るならかろうじて100円ぐらいの価値はあるでしょうか?お金を払ってみるのは全くオススメ出来ません(笑)。
瀧本美織が可愛かったのがせめてもの救いです。でも水川あさみがエラ張り過ぎなのでプラマイゼロ(笑)。
出演者の方々にはお悔やみを申し上げます。

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レイトン教授と永遠の歌姫

レイトン教授と永遠の歌姫

久々の映画は「レイトン教授と永遠の歌姫」です。

評価:(20/100点) – 子供騙しなのに劇場に子供がいないっていう、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> レイトン教授とルーク少年の日常、またはジェニスから手紙が届く。
 ※第1ターニングポイント -> クラウン・ペトーネ劇場でゲームが始まる
第2幕 -> 永遠の命を巡るゲーム大会
 ※第2ターニングポイント -> レイトン教授が別行動を取る
第3幕 -> デスコールとの対決とアンブロシア王国の復活


【あらすじ】

ある日大学教授のレイトンはかつての教え子にしてオペラ歌手のジェニスから一通の手紙を受け取る。その手紙は一年前に死んだ友人のミリーナが子供の姿でよみがえったという相談であった。レイトンと助手のルーク少年はジェニスに会うためにクラウン・ペトーネ劇場のオペラへと出かけていった。しかしオペラ終了後、劇場では「勝者は永遠の命を手に入れ、敗者は命を奪われる」というゼロサムゲームが始まってしまった、、、。


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【感想】

はじめに

まず言い訳からはじめさせてくださいw
というのも正直な話、別にこの映画見る気が無かったんです。たまたまアバターまで時間が空いちゃいまして、せっかくだからとスケジュール見てたらたまたま都合の良い時間だったと、、、それだけのことです。このシリーズのゲームはやったことがありませんし、事前知識は劇場のパンフレットが全てです。ファンの方には大変申し訳ありませんが、あくまでも門外漢がパッと見たらイマイチだったと、、、その程度に捉えてください。

大枠について

冒頭でいきなり手厳しいことを書きますが、要はよくある子供騙しの冬休み映画です。なのに大きなお友達しかいないていう、、、マーケティング的には大丈夫なんでしょうか?
「英国紳士」が口癖で謎解きが大好き、シルクハットにスーツで助手を連れていてちょいニヒルというキャラターは、そのまんまシャーロック・ホームズで良いと思います。子供の助手を連れているという意味では、それこそ大正・昭和初期の少年探偵団とか明智小五郎シリーズに通じる子供向け探偵物のお約束です。そしておとぎ話に出てくる「不老不死の薬をもった伝説の国」を巡るアドベンチャーと”どうかと思うほど適当な”ナゾナゾの数々。ライバルとして出てくるデスコールの仮面舞踏会的な格好(=セーラームーンのタキシード仮面に通じるセンス)。レイトンの助手一号のレミ女史が格闘が出来るという、コナンの毛利蘭以来のお約束。かように画面内の全ての要素がどこかで見たことがあるお約束で占められています。別にパクリとかパロディとか言うつもりはありませんで、要は大人が企画会議を繰り返して出てくる「子供が喜ぶ要素の集合知」ということです。そういった意味ではよくぞここまで突っ込んだという「強引なコラージュ感」が結構面白かったりします。
ただですね、、、劇場に子供がいないんですよ。日曜の昼間でしかも冬休みなんて一番子供連れが入りそうじゃないですか?どっか連れてくのも面倒になったお父さんが近場の映画館で子供と見るにはなかなかの作品だと思います。もしかして皆さん「カールじいさん~」や「ウルトラ~」に行っちゃってるんでしょうか?
実際にこの手の映画を見る場合は子供が劇場内に居るのってかなり重要なんです。子供が驚いたり喜んだりするのを見てこちらも納得したり、そういうポイントが分かるのって子供向け映画を劇場で見る醍醐味だったりします。でも居ない、、、本当に大きなお友達ばっかりなんです。ばっかりっていっても150人のキャパで観客10人ぐらいでしたので、もうみんな見ちゃったのかも知れません。そんな中ですと、ただただショボくて飽きてきてしまってポップコーンを食べる手が倍速になってしまいますw
たぶんアイデアは悪く無いと思います。少なくともゼロサムゲームをきっちり描いてくれれば、それこそ「KR-13」的なソリッド・シチュエーション・スリラーとしてカルトな人気が出たかも知れません。でも、やっぱり子供向けなので、人は死にませんし、別にどうと言うことはありません。特に、チェルミー警部がサメだらけの海の中を泳いで逃げるシーンのコミカルさを考えると、たぶんこの世界では車にひかれても「ペチャンコになってヘナヘナヘナ」みたいな描写で終わったり、大爆発に巻き込まれても「頭がアフロになって顔がすすける」程度のレベルで済んでしまうと思います。それが冒頭で分かってしまうので、後半に小型ヘリでレイトンが巨大ロボットに立ち向かうシーンも別にハラハラドキドキ出来ません。「どうせ墜落したって死なないでしょ」って思ってしまうんです。その辺の「世間スレした感性(笑)」を持っている人はたぶんこの映画には向いていません。あくまでも子供が見たときに「格好良い~」「イェ~イ!!!」みたいなテンションになるように画面・物語が設計されていますから。

「子供向け」と「子供騙し」

非常にデリケートな話題なのですが、「子供向け」と「子供騙し」には明らかに乖離があります。「子供向け」というのはあくまでも子供の感性や子供の知識力の中でエンターテインメイントを成立させているものへの呼称で、「子供騙し」は明らかに子供を侮って手を抜いている場合の呼称です。そういった意味で本作は残念ですが子供騙しになってしまっています。
子供が好きな要素を詰め込むのは良いのですが、それが非常に恣意的なせいでちょっと舐められてる感じがしてしまいます。作り手側が子供の目線まで降りておらず、すっごい上の方の大人目線で「こんなもんでしょ」って放り出されているような感覚です。その一番の理由は序盤の謎解きゲームに対する不誠実さです。
序盤の謎解きゲームは観客も一緒に頭を使って考えられないと意味が無いのですが、観客への情報提供が不十分なために成立していません。本来ならこちら(子供の観客)が考えてギリギリ分からないナゾナゾを解いてこそ「レイトン教授は分かるんだスゴ~い!」となるわけです。ところがナゾナゾを解くための材料が提示されないために、画面内で後出しじゃんけんをしているようにしか見えずに他人事になってしまいます。これだとレイトンの凄さが伝わりませんので、必然的にルークへの感情移入も出来ません。
物語の根幹は非常にハードコアなサイコ・スリラーなのに、あまりにも子供騙し要素を詰め込みすぎて、ただショボくなってしまっています。大変もったいないです。

【まとめ】

ただただ惜しいです。下手なファンタジー要素や子供狙いを詰め込まずに、「マッドサイエンティストvs大学教授のアドベンチャー」にテーマを絞ればとっても面白かったはずです。だって話のプロット自体は「インディ・ジョーンズの新作ですw」って言われても何の違和感もないほど良いんです。しかもどうせ子供が見に来てないんですから(←失礼)これは本当にもったいない話です。是非、デスコール関連をばっさりカットして実写リメイクして欲しいですね。船の中だけで完結すれば良いんですよ。
一週間の船旅でゼロサムゲームをやって勝者には永遠の命を授ける。最初は派閥に分かれる参加者だったが、裏切り者が仲間を罠にはめたことで疑心暗鬼になっていく。極限状態の中でついには殺人事件が起きてしまう。レイトン教授と助手のルークは一癖も二癖もある参加者たちから犯人を捜すことは出来るのか?そもそも不老不死の秘薬は存在するのか?そして主催者の意図は?なぜ死んだはずのミリーナがよみがえったのか?、、、、レイトン教授は生き残ることが出来るのか?
これで良いと思うんですけど、、、。
実写化のあかつきには、是非、井口昇監督でお願いします!!!そしたら間違いなく初日に見に行きますよ。シアターNかシネパトスの単館上映でしょうけどw

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宇宙戦艦ヤマト 復活篇

宇宙戦艦ヤマト 復活篇

昨日のはしご2作目は「宇宙戦艦ヤマト 復活篇」です。

評価:(10/100点) – 西崎さんよ、、、言ってることとやってることが違いすぎるぜ。

【三幕構成】

第1幕 -> アマールへの第一次・および第二次移民船団の壊滅と古代の現状。
 ※第1ターニングポイント -> 古代進がニュー・ヤマトの船長として第三次移民船団の護衛に発つ
第2幕 -> ヤマトとエトス星艦隊の戦闘。第三次移民船団がアマールに到着。
 ※第2ターニングポイント -> 古代進がSUSに宣戦布告する。
第3幕 -> 地球・アマール連合軍vsSUS、そしてブラックホールが地球を襲来


【あらすじ】

西暦2220年、古代進が深宇宙貨物船「ゆき」の船長として地球を離れて三年が経過していた。その頃地球は巨大ブラックホールの衝突の危機にさらされており、アマール星への緊急避難を決行していたが、第一次および第二次移民船団は正体不明の艦隊の攻撃で壊滅してしまう。第一次移民船団「ブルーノア」の生き残りである上条を救出した古代は、地球への帰還を決意する。地球連邦科学局長官として移民計画の責任者となった真田より、古代は新生ヤマトの艦長と第三次移民船団の指揮を任される。こうして古代進は再びヤマトに乗り込み、人類の危機を救う旅へと出かけることとなった、、、。


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【感想】

ついに来てしまいました。いままでで一番本音を書きづらい問題作品でございます。なにせ相手は鉄砲持ったヤク中です(笑)。
角川春樹以上の強敵ですが、やってみましょう!!!
まずはヤマトの超書きづらい&説明しづらい「経緯」をざっとおさらいしつつ本作について書いていきたいと思います。覚悟はよろしいでしょうか?(笑)
おそらく超絶長くなると思いますのでご容赦を。

「宇宙戦艦ヤマト」という作品のこれまでの経緯

宇宙戦艦ヤマトは言わずとしれた松本零士の代表作ですが、厳密にはテレビシリーズがオリジナルで、マンガは先行マルチ展開という扱いです。ということで原点は1974年のテレビシリーズ第一作となります。舞台は2199年、ガミラス帝國の侵攻を受けた地球は放射能汚染によって人が住めなくなってしまいます。そんな中で、イスカンダルからメッセージ入りカプセルが届きます。人類は中に入っていた波動エンジンの設計図をもとに戦艦大和を宇宙船としてリニューアルし、イスカンダルへ空気清浄機(=コスモクリーナー)をもらいに行きます。これがテレビ版一作目で、1977年に劇場版として再編集されます。
続いてが1978年の劇場アニメ「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」です。舞台は2201年、謎の救難信号を受け取った人類は、発信源の捜索にヤマトを向かわせます。そしてテレザード星のテレサから白色彗星帝国が地球を侵略しようとしていると告げられます。地球を救うべく奮戦するヤマトですが、乗組員の大半が戦死、艦長となった古代進は数少ない生き残りを救難艇に乗せ、自らは恋人・森雪の遺体を抱いてヤマトで特攻を仕掛けます。
この結末を松本零士が気に食わず、TVシリーズ「宇宙戦艦ヤマト2」が同年に作られます。ここで「さらば~」から結末が変更され、乗組員の戦死と古代の特攻が無くなって白色彗星帝国を普通に倒してハッピーエンドになります。そしてこのテレビシリーズの続編として特番「宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち」が放送されます。新たな敵は暗黒星団帝國で、ガミラス残党軍とヤマトが共闘するファンサービス的な作品です。
翌年の1980年、新作劇場アニメとして「ヤマトよ永遠に」が公開されます。この作品では「新たなる~」で交戦状態になった暗黒星団帝國が本格的に侵攻してきます。小惑星イカルスにて真田によるパワーアップ改造を受けた宇宙戦艦ヤマトは、ついに暗黒星団帝國の本拠地に殴り込みをかけます。
この続編がテレビシリーズ3作目「宇宙戦艦ヤマトIII」です。ボラー連邦とガルマン・ガミラス帝国との戦争によってダメージを受けた太陽が暴走、太陽の核融合がものすごい加速をはじめ地球が超温暖化の危機に直面します。そこで地球防衛軍司令長官の藤堂の命令を受け、万が一地球が住めなくなったときのためにヤマトは第二の地球探しに出かけます。
最後に1983年公開の劇場版「宇宙戦艦ヤマト 完結編」です。神出鬼没の水惑星「アクエリアス」を鍵として、母星を追われ行き所を無くしたディンギル星人たちが、地球人類を全滅させたあとで地球に移住しようと計画することから人類対ディンギル星人の戦いが始まります。なぞのご都合主義で復活した初代艦長・沖田十三の元で、再びヤマトとオリジナルメンバーの最後の戦いが繰り広げられます。完結編の名にふさわしいフルキャストのお祭り映画で、話はあんまり重要ではありません(笑)。
そしてこの後、「宇宙戦艦ヤマト」の企画立案に参加した西崎義展と松本零士の泥沼の著作権争いが起きます。これがものっすごいゴタゴタでしてこのシリーズのムック本や雑誌の特集が作りづらい環境が長らく続きました。っていうか今でも続いています。
さらに裁判後も西崎が東北新社に一部権利を”勝手に”譲渡したり、覚醒剤で逮捕されたり、さらにその保釈中にグレネードランチャーをフィリピンから持ち込んで再逮捕されたり、面白い話題が目白押しで誰も語りたがりません(笑)。
ハッキリしてるのは、「宇宙戦艦ヤマト」というシリーズが、劇場版2作目の「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」で一度完全終了した.にも関わらず、商業的な理由なのか何なのか、死んだキャラ達がパラレルワールド扱いで次々に生き返って何事もなく続編が作られ続けたと言うことです。そして原案立案者の西崎と松本の権利争いで、その続編すら作られなくなったと、まぁそういう流れです。
ちなみに死んだ人たちが生き返ったのは、私的には「金儲けのため」だと思いますが、公式には「特攻を美化するエンディングが嫌だったから作り直した」となっています。ここを良く覚えておいてください。「特攻を美化するのは嫌」です。ノートにメモって赤線引いてください。「特攻を美化→禁止」です。

本作「宇宙戦艦ヤマト 復活篇」について

さて、ようやく話の本題です。いや、前項が長くなったのはきちんとした理由がありまして、それは先ほど赤線を引いた点を良くご理解いただくためだったんです。
じゃないと私の怒りが伝わらないので。
ふざけんな西崎さんよ!!!
おまえ特攻美化しまくりじゃねぇか!!!

ゴルイ艦長は武士道精神に則って特攻。
パスカル将軍はヤマトを守るために自ら盾となって名誉の戦死。
大村副艦長はSUS超巨大要塞のバリアを破るために特務艇シナノで特攻。
死ななかったものの古代艦長率いるヤマトは「生き残るべきはヤマトではない。地球である!」の演説の後、死を覚悟して巨大ブラックホールに特攻。
特攻。特攻。特攻。特攻だらけですよ。しかも全部が信念をもった熱い男の生き様を貫いた格好良い「特攻」です。
ねぇ西崎さん、あなた特攻が嫌だったんでしょ?
だから「さらば宇宙戦艦ヤマト」という超傑作を無かったことにしたんでしょ?
なんで今更「復活篇」とか言って特攻を美化する作品を作ったの?
それだけは一番やっちゃ駄目でしょ?
それやったら、「さらば~」以降の作品は全て「金儲けのためでした」って言ってるようなものですよ?
最低です。マジで最低です。
来年に沢尻エリカと木村拓哉で第一作の実写版をやるとか言ってますが、そんなもんの前にすでに破綻してますよ、このヤマト再始動ビジネス。
ちなみに、本作の脚本は単体で見ても穴だらけです。全人類がアマールへ移住するっていってるのに、アマールの女王は迷惑がってて許可取ってないみたいです。さらにSUSが支配する星間国家連合だっていってるのに、アマールとエトス以外の国家が出てきません。連合ってショボ過ぎじゃね?しかもSUSをつぶしたら大ウルップ星間国家連合の議決も無かったことになるっておかしくないですか?他の国は抵抗しないの?ぜ~んぜん意味が分かりません。
しかもラスボスは自ら正体や弱点をベラベラ教えてくれる超良い人(苦笑)。
「全世界が注目」を表現するのが、サバンナで空を見るライオンやキリンと、チベット仏教徒が空を拝むところと、北欧風の老夫婦が羊の横で空を見上げるところ(苦笑)。
古すぎる!
表現が「オヤジくさいダサさ」なんですよ。いま劇場版の1作目や2作目みても、ここまで古くさい感じはしません。あきらかに西崎さんの演出力が落ちてるんです。



いや、あんま言うと怖いんですよ。なにせグレネードランチャー持ってるヤク中なんで(笑)。

【まとめ】

ヤマトのファンなら何も言わなくてもとりあえず行くでしょう。それはたぶん正解です。でも、「ヤマトって有名じゃん。空いてるし観てみよっかな」とか思ってフラっと入るのはオススメ出来ません。まず意味が分からないですし、面白くもないです。それならまだ「劇場版マクロスF」に行くか、レンタルで「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」を観てください。
あと続編の具体的な予定もないのに「第一部完」とか最後に出すのはやめてください。商売根性みえすぎで萎えます。さらにエンディングテロップで言えば、一番大きなフォントで「西崎義展」って何度も出過ぎ(苦笑)。ホント、ナルシストというか老害って怖いですね。

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