ラ・ラ・ランド

ラ・ラ・ランド

今日はアカデミー賞ノミネートで大宣伝中の

「ラ・ラ・ランド」を見てきました。

評価:(45/100点) – 雰囲気パロディ


【あらすじ】

ミアは女優を夢見てハリウッドへやってきた。何百回とオーディションを受けながらも結果が出ず、ワーナー撮影所のコーヒーショップで働いている。
ある日、友達とハリウッドのプライベートパーティに参加したミアは、辟易しながら家路についていた。その途中、彼女はレストランから聞こえてきたピアノの旋律に耳を奪われる。それが、ピアニスト・セブとの運命の出会いだった、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> 冬。ミアの上京。
 ※第1ターニングポイント -> ミアとセブがレストランで出会う。
第2幕 -> 春、夏、秋。ミアとセブが恋に落ちる。バンドと一人芝居。
 ※第2ターニングポイント -> ミアが故郷へ帰る。
第3幕 -> ミアが戻ってきてオーディションに受かる。

エピローグ -> 5年後の冬。セブズでの邂逅。


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【感想】

さて、本日は「アカデミー賞大本命!」とギャガが大宣伝中の「ラ・ラ・ランド」を見てきました。

予告を見るとラブストーリーっぽいのでもっとデート客が多いのかと思ってたんですが、意外と老夫婦が多くちょっとびっくりしました。この辺が宣伝効果ですかね。大成功だと思います。

監督は「セッション」のデミアン・チャゼル。まだ31歳でこれだけ話題の作品が撮れるんですから、素直に凄いと思います。個人的に主演(※厳密には主役ではなく脇役ですが^^;)ライアン・ゴズリングが大好きなんで、宣伝と相まってめちゃくちゃハードルが上がってました。

本作はラブストーリー部分だけに焦点を絞れば別にそんなに作りが変な話でもないですし、いい塩梅だと思います。ただ、いま見終わって1時間くらい経って書いてるんですが、私は個人的に結構キてます(笑)。いっぱい感動した人がいるのはわかりますし、大絶賛する人には多分この映画のバイブスが合ったってことだと思うので、全然いいと思います。いまから例によってグチグチ書きますが、それによって作品の価値が毀損するようなチンケなクオリティではありません。是非、劇場でご覧ください。

この後でもしかしたら取っちゃうかもしれませんが(笑)、個人的にはこれにアカデミー賞作品賞・監督賞はないと思います。それは個人的にどうこうっていうよりも、やってることが最近アカデミー賞を取ったばっかりの「アーティスト」とドンカブりだからです。さすがに二匹目のドジョウにサクッと賞をあげるようなことは無いんじゃないかな、、、と予想しています。とか書いといてハズれそうですが^^;

2017年3月1日追記:
本作、見事にアカデミー賞監督賞を獲得しましたね!おめでとうございます!!!とともに、私の予想の外れっぷりに謹んでお詫び申し上げます。主演女優賞と音楽関連は他にないし獲るんだろうな~とは思ってましたが、監督賞はまったく予想外でした。
m(_ _)mゴメンチャイ

ここでお約束です。これだけ評判の映画にグチるわけですから、具体的な部分に話が及ばざるをえません。以下多数のネタバレを含みますので、未見の方はご注意ください。

良かったところ1:ラブストーリーとして鉄板の話

まずは良かったところから行きましょう。1つ目は、多分本作で感動した皆さんがまさに思っているであろう点です。

この映画は「ハリウッドの夢追い人」=「あたまラ・ラ・ランド♪」な人が織りなす青春劇です。ミアは叔母さんの影を追って女優を目指し、セブは「ジャズの復興」という壮大な夢を提げ、お互いハリウッドにやってきます。ミアの友人たちが(いわゆる枕営業的なノリで)人脈を作ってのし上がろうとする中、ミアはそんな売り込みに馴染めず真っ向からオーディションを受けまくり、そして落ちまくります。一方のセブも「ジャズはバップこそが本流である」という信念を捨てきれず、レストランのBGMを弾くバイトでついうっかり勝手な演奏をしてクビになってしまいます。

こういった「信念はあるけど世渡りが下手で社会的に馴染めない」コダワリ派の2人が出会い、お互い励ましあいながらも夢に邁進していくわけです。そして大人になり、ちょっと回り道をしながら、見事に夢を叶えます。

この基本ストーリーは間違いなくよくできてます。っていうか鉄板です。オリジナリティはあんまり無いですが、「王道的」という意味では間違いなくど真ん中の青春ストーリーです。日本映画だってこの手の物は山程も作られていますし、これがダメなわけがありません。「パラダイス・キス(2011)」なんかはモロにこれですよね。

このストーリーの根幹部分は(面白いかは置いといて)減点法で言えば100点満点です。別にツッコム気は一切起きません。

良かったところ2:名作ミュージカルのパロディ

良かったところの2つ目はミュージカル・パロディです。本作は冒頭からして4:3の画面が広がってシネマスコープになるという20世紀フォックスの往年のロゴから始まります。もうこの時点でわかり易いくらいのパロディです。「いまから古き良きミュージカル映画をやるよ!」って宣言しており、そしてその宣言に違わず、映画はいきなり「ウソみたいな青空のもと」「原色のドレスを着た」人たちが群舞するオープニングソングから始まります。この色がモロに「着色感」があるギトギトなもので、完全に昔の天然色映画をパロっているのは疑いようもありません。余談ですが、このオープニングの長回しはとっても良かったです。

さらにさらに、本作は「本能寺ホテル」も真っ青なくらい、映画の舞台背景に奥行きがありせん。外のシーンでも道の真ん中から歩道を平行に撮るようなカメラ・ショットばかりですし、パーティやレストランシーンの舞台も狭く、そして何より例のポスターのポーズを2人で決める山の上からのシーンではわざわざ下界がピンボケしています。加えてそのシーンでのタップダンスは、今時珍しくクレーン撮影をしています。これらは完全に意図しており、要は「スタジオセットで撮影している」ような雰囲気を出すためなんですね。スタジオには奥行きもクソも無いですから、スケールを出すためにクレーンを多用します。

これを象徴するのが、本作で何度も出てくる「部屋の壁の絵」や「スタジオ内で運送中の書き割り」です。画面を意図的に書き割りとして撮っているわけです。まっすぐの道路や波止場を真正面かつ上から撮るのとかはモロにクラシカルですよね。こういうパロディはとっても微笑ましく見られました。

ワシのグチを聞いてけれ

さて、ここまで絶賛モードなわけですが、なんでこれが45点かという部分を書いていきます。

一番大きいのは、セブが夢を全然叶えてないところです。セブは「バトルスタイルのフリージャズ」にこだわりがあったわけですよ。そしてそういう「古き良きバップ」が若者に人気が無いという危機意識から、「俺が復活させるんだ!」「そのためにJAZZの店をやるぞ!」と野心ギラギラなわけです。ところが、最終的にセブが開いた店は「オシャレな大人向けのJAZZバー」です。カクテルとか出してやがるんですよ?は???おまえバップ至上主義者じゃなかったっけ?ミアがジャズの印象を「エレベーター/天気予報で流れてる曲」みたいなノリで言った時にマジギレしたり、熱くフリースタイルの素晴らしさを語ってなかったっけ?せっかく友達から売れるバンドに入らないかって声かけられた時「セルアウトとかジャズじゃねぇわ」とか言って断りかけたりしなかったっけ?そのおまえが最後に開くのが「大人の夜のオシャレJAZZバー」ってどういうこと?テキーラだの麻薬だので若者がハイになってガンガン踊り狂ってるような「狂乱のバップ酒場」じゃねぇの?

しかもですね、最後に開く「セブズ」ってバーがよりにもよってリラクシン♩な感じの椅子まで用意した本格的オシャレバーなんですよ(笑)。それじゃ踊れねぇだろ!ヤジれねぇだろ!アホか!!!!おまえが好きな「古き良きバップ」はラリったミュージシャンがラリったまんまのグルーヴを延々とアドリブでつなぎ続ける最高にサイケな音楽だぞ!!!!

というこのエピローグをもって、本作の私の中の評価はガタ落ちしたわけです。

そこまでも「ふーんa-haをそう使いますか?」とか「踊りも演奏も下手じゃね?」とか、「プリウスもiPhoneもあるのに、CG撮影はなくて車にもカセットテープなの?」とかちょいちょい引っかかる部分はあったんですが、この終わりが決定打で完全崩壊。

結局それっぽいのを表面だけそれっぽくやりたいってだけの志の映画なのね、、、っていう。じゃあ別にいいっすわ、それで。

そしたら急に雑さが目立ってきちゃったんです。ガラガラの一人芝居で何の前振りもなく急にフックアップってそれでいいのかとか、セブのバンドも最初はフュージョンだったのに初ライブで急にニューエイジポップスになっててジャンル変わってるじゃねぇかとか。

そんなわけで、せっかく一番盛り上がるであろう最後の脳内妄想パートもすっごいシラけてみてました。

結局セブは夢を叶えたんじゃなくて、一番現実的であろうところに妥協したってことなんですね。「若者にバップを広めてジャズを再興する」んじゃなくて「単価の高い大人をターゲットにオシャレバーをする」っていう。じゃあ最初に働いてたレストランと変わらないじゃん。

2017年3月2日追記:
実は私おとといのレイトショーで2回目を見てきたんですが、上記のセブが夢を叶えられなかったの自体が監督の意図のような気もしてきました。下でコメントいただいた「悲しき男代表」さんもおっしゃってますが、セブは未練タラタラでミアに引きずられまくっており、一方のミアはどんどん男たちを乗り換えて踏み台にしてのし上がっていくという構図ははっきりしてます。そんでもってこれ完全に薬師丸ひろ子の「セーラー服と機関銃」ですよね。

夢のいた場所に 未練残しても 心寒いだけさ
<中略>
愛した男たちを 想い出に替えて
いつの日にか 僕のことを想い出すがいい
–「セーラー服と機関銃 作詞:来生えつこ より」

まぁでもこの解釈になっちゃうと、本当に「パラダイス・キス(2011)」とまったく同じになるので、やっぱ45点で上等だよな~とも思います^^;

まとめ

多分この映画に乗れないのは、私の心が濁ってるからです(笑)。気に入る人が一杯いても全然いいですし、感動も全然ありです。かくいう私も描写に腹が立ってるだけで、ストーリー自体には別に文句はありません。最後だってそもそも冒頭で今カレから”ビビっと来て”速攻セブに乗り換えた前歴がありますから、別にどうとも思いません。

実際、ちゃんとミュージカルパートでお話が進んだりっていう基本的な部分はちゃんとできてますから、私もあんまり細かいところを気にせずに見ればそれなりに楽しく観れたと思います。

いろいろ書いてきましたが、こういうのは個人個人の好みの部分ですから、まずは見てみないことには始まりません。是非是非、劇場でご覧ください!もしアカデミー賞を取るようなことがあれば劇場が混んじゃいますから、ゆっくり見るなら今のうちです(笑)。

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咲 -saki-

咲 -saki-

2本目はこちら、

「咲 -saki-」です。

評価:(75/100点) – 意味がわからんけどテンションが高い!


【あらすじ】

麻雀がスポーツとして成立している世界。宮永咲を擁する清澄高校は、インターハイの長野県大会決勝まで上り詰めた。対するは最恐の天江衣(あまえ・ころも)擁する龍門渕高校、昨年天江に負けた雪辱に燃える池田華菜(いけだ・かな)擁する風越高校、そして影が超薄いステルスモモこと東横桃子(とうよこ・ももこ)擁する鶴賀学園。いま、長野代表を掛けた麻雀団体戦が幕を開ける!

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【感想】

今日のもう1本は「咲 -saki-」です。アニメの存在はしっていたのですが未見な上に漫画も読んだことが無く、完全に前知識なしの初見でした。いきなりダイジェストが流れて県大会が始まったので「すごい割り切り方だな(笑)」と思って見てたんですが、これ、前日譚でドラマもやってたんですね^^; いきなり連ドラの最終回だけ見ちゃったみたいなもんだったみたいです(笑)

実際、前知識がまったくないので最初よくわからなかったんですが、最初の10分ぐらいでだーーっと舞台を説明してくれて、しかも決勝がはじまるとちゃんとキャラ紹介の回想が挟まるので、終わったときにはもう「池田最高ーーー!!!!」ってぐらいテンションが上がってました^^;

そう、この映画、いわゆる「ドラマ」に関してはスッカスカなんですね。だけれども、フィルム全体から監督の「情熱」というか「愛」がめちゃくちゃ伝わってくるんです。それもこれも、ちゃーんと限られた時間の中で特定のキャラだけがきっちり”立つ”ようになってるからなんですね。猛烈に甘ったるくてただただホモソーシャルなところでイチャイチャしているだけに見えて、そこにちゃんと説得力があって、キャラごとの行動原理がわかるようになってるんです。だから私のようにまったく元がわからなくても、いきなりこの映画だけでも話が通じるんです。

作品のフォーマット自体はいわゆる「超能力スポ根もの」です。私の世代ですと「キャプテン翼」ですし、ちょっと下の世代だと「テニスの王子様」とか「黒子のバスケ」みたいなやつですね。スポーツを題材にしてるんだけどやってることはファンタジックな「必殺技」の応酬で「超能力バトル」が展開されるジャンルです。一見するとバカバカしくも見えますし、実際一時期は「シュート!」とか「スラムダンク」みたいなリアル路線のスポ根のほうが流行ってました。

本作では主要キャラがあり得ないような超能力を駆使して麻雀で戦っていきます。主人公・咲はカンからのリンシャンカイホウで必ずツモってきて超連鎖を起こしますし、ラスボス・天江衣はリーチからのハイテイを確実に決めてきます。劇中でも「2人の魔物」と称されていますが、とんでもないイカサマ級の超能力です(笑)。

この2人と戦う池田・加治木の両名は全然必殺技をもっていないわけで、こんなのに勝てるわけがありません。だけど、ちゃーんとこの作品はそんな「一般人」の2人に熱い見せ場を用意してくれます。池田の起死回生の数え役満からの「そろそろまぜろよ」で、私、涙がとまりませんでした。加治木も実は虎視眈々とオーラスで國士舞双を狙っていたり、もうね、こういう脇の描き方に親指が上がりっぱなしです。

ということで、遅ればせながら漫画に手をだそうと思います(笑)。いやね、本当によかった。

これ、原作ファンの方にはいつもの漫画映像化な感じで不評なんでしょうか? 個人的にはめちゃめちゃ面白かったですし、実際に原作漫画に手を出しそうな男がここにいますので大成功だと思います(笑)。テラフォーマーズとか映画はそれなりに楽しくても別に原作読みたくはならないですからね^^;

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NERVE/ナーヴ 世界で一番危険なゲーム

NERVE/ナーヴ 世界で一番危険なゲーム

今日は

「NERVE(ナーヴ)」を見てきました。

評価:(60/100点) – 山田悠介meetsハリウッド


【あらすじ】

大学進学を控えた女子高生のヴィーは、ステイトン島で鬱屈した生活を送っていた。母子家庭で働き詰めの母を想い、なかなか思い通りにいかない生活。せっかく受かったカリフォルニア美術大学も「実家から通える」距離では無いため母に進学希望を言い出せない。

そんな中、ハイスクール・クイーンでチアリーダーのシドニーとひょんなことから揉めてしまう。彼女はシドニーへの当てつけで最近流行っているというオンラインゲーム「ナーヴ」に登録する。それは、視聴者たちの無茶振りミッションをクリアしていくと報酬がもらえるという、群衆視聴型ゲームだった、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> シドニーの挑発
※第1ターニングポイント -> ヴィーがナーヴを始める
第2幕 -> ヴィーのミッション・チャレンジ
※第2ターニングポイント -> ヴィーが警察にコンタクトする
第3幕 -> ナーヴの決勝戦


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【感想】

さて、今日はおしゃれな日比谷シャンテにたまに紛れこむドB級映画を見てきました(笑)。公開直後なんですが全然お客さんが入っておらず、ちょっと心配です。

主演はエマ・ロバーツ。すごいどっかで見たことあるなーと思ってたら、スクリーム4のジルでした!あんなチンチクリンだったのに、ずいぶんスレンダーになっちゃって、、、と思い、凄い自分の年齢を感じます(笑)。ジュリア・ロバーツの姪というか「エクスペンダブルズ」で敵役だったエリック・ロバーツの娘です。

そして相方はジェームズ・フランコの実弟のデイヴ・フランコです。笑った時のちょっと顎を引いて眉毛を「の」の字にする仕草がまんま兄貴で、そっくりさんかと思って見てました(笑)。

さらにさらに、監督はヘンリー・ジューストとアリエル・シュルマンのコンビで、これそのまんま「パラノーマル・アクティビティ3」「パラノーマル・アクティビティ4」の布陣です。つまり、POV/カメラ視点をやる気満々(笑)。映画の随所にカメラ越しやモニタ越しの視点がこれでもかと出てきます。

そう、本作ですね、見ている間中ずっーーっとなんか「ひっかかり」というかパチモノ臭さを感じるんですね(笑)。その1番の要因が雑なプロットとこの「そっくりさんっぽい」雰囲気だと思います。

山田悠介っぽさが全開

この映画は2012年発売の同名のティーン小説を原作としています。ですから山田悠介とはなんの関係もありません。なんですが、「冴えない女の子が携帯ゲームでクイーンになっていき、イケイケになって調子こきまくりの末、マジでやばい状況になって危ない目にあう」というプロットをどこかで見たことがありませんか?

そうです!かの有名な超大作ホラーSF「アバター(2011)」です!橋本愛が主演のスーパーメガヒット作で、日本中で(※主に渋谷界隈ですが)大アバター旋風を巻き起こしました!!!



なんか2つの映画が混ざってる気がしますが、私も歳なので気にしないでください^^;

そう、これですね、どう見ても山田リスペクトなんですよ。アバターでは橋本愛がどんどん厚化粧になっていってイケイケを表現していましたが、本作ではエマ・ロバーツがセクシーなドレスを着てイケイケになっていきます(笑)。B級映画好きの考えることって世界中どこでもだいたい一緒ですよね(笑)。ちゃんと己を取り戻すとダサいパーカーに戻ったりして、とても好感が持てます。ほんと良い意味で頭が悪い(笑)。

アバターの当時は「携帯電話(いわゆるガラケー)こそが日本の若者が内向きになった諸悪の根源だ!」みたいなノリで「携帯彼氏」とか「アバター」とかのテクノスリラー(※テクノロジーに乗っけた犯罪スリラー)が量産されてたんですが、その波がやっとハリウッドに到達しました。「ホステル」シリーズとか、「ロシアンルーレット(2010)」とか、あとは広い意味で「キャビン(2012)」とか、群衆視聴型スリラーって結構定番ネタです。でもそこに携帯ゲームを入れてきたところに「山田悠介魂」を感じました。

余談ですが、劇中のナーヴのコラージュ映像に「キャビン」と「ハンガーゲーム」の映像が入ってました。そういや「ハンガーゲーム」も視聴型ですね^^。良いリスペクトっぷりです。

本作に1番近い最近の外国映画というと、イライジャ・ウッドが主演をしていた「ブラック・ハッカー(2014)」ですね。インターネットによってプライバシーもクソも無い状態になり、そこに群衆心理が乗っかってとんでもないところまでエスカレートしちゃうという話です。

実際、メインの登場人物は片手に収まるほどで、特に特定の悪役は出てきません。あくまでも群集心理をスリラーにした話です。だからそもそもからしてウソ臭かったり、あんまりルールというか基準がよくわからなかったり、そもそもトップで視聴者8,000人って少なくないかとか、秘密ゲームのくせに決勝戦はかなり目立ってるなとか、そういう雑なところ全部ひっくるめて微笑ましく見られます(笑)。

【まとめ】

フル・プライスを払って見るのはちょっとアレですが、レイトショーや「TOHOシネマの日」を使って安く見られるなら一見の価値があります!個人的には挿入歌が最高のラインナップなのでサントラ買います(笑)。ということで、オススメでーす!!!ついでに是非「アバター」もね(笑)

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何者

何者

今日は一本

「何者」を見てきました。

評価:(80/100点) – ペルソナ論を青春映画へアレンジ


【あらすじ】

大学生の二宮拓人は、友人で同居人の光太郎のバンド引退ライブで片思いの相手・瑞月と出逢う。お互い就活生の身でリクルートスーツに身を包みながら、ライブハウスで友人のサークル引退を見届けた2人。バンドを引退した光太郎は髪を黒く染め短髪にし、心機一転就活を開始する。偶然拓人のマンションの真上に住んでいた小早川理香が瑞月の友人だったことから、この4人の愛憎渦巻く就活が始まった、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> 光太郎のバンド引退
※第1ターニングポイント -> 就活対策本部設置
第2幕 -> それぞれの就活
※第2ターニングポイント -> 瑞月が内定をもらう
第3幕 -> 蜜月の終わりと決意


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【感想】

今日は「桐島、部活やめるってよ」でお馴染みの朝井リョウ原作「何者」を見てきました。平日夜だからか、メインターゲットと思しき学生はあまりおらず、サラリーマンが目立ちました。それでもパラパラといった客入りで、公開初週にしてはちょっと寂しい感じです。

監督は三浦大輔。まったくノーマークで見に行ったのですが、見終わった後に「ボーイズ・オン・ザ・ラン(2010)」の監督と知って妙に合点がいきました。「ボーイズ・オン・ザ・ラン」もオタク自己憐憫全開の映画でしたが、本作も負けず劣らず自己憐憫全開の話であり、バッチリ監督の資質に合っていると思います。

さて、本作はあくまでも文芸系の作品なのであんまりネタバレがあってもどうこうなる類ではないのですが、一応どんでん返しっぽい雰囲気になっていますので、未見の方は以降お気をつけください。とはいえ、全然どんでん返しじゃないんですけどね^^;。

概要:「青春が終わる、人生が始まる」のまんま

本作は就職活動を舞台にして、5人+旧友1人のそれぞれを通じて「大人になるとはなんぞや」というのを描いていきます。そういった意味で、予告のキャッチコピーであった「青春が終わる、人生が始まる」というまさにそのまんまの内容です。というかこれが全て(笑)。青春が終わって人生が始まるのがクライマックスで、「いよいよ人生が始まるぞ」と扉を開けたところでエンドロールに入ります(笑)。シャンテ系じゃないんだから全部ネタバレかYO!!というツッコミは脇に置いときまして、肝心なのはあくまでもその過程、「大人になるとはなんぞや」の部分です。

本作では、冒頭からずっと「あなたを1分でアピ―ルしてください。方法は問いません。」という就活の面接でありがちな問いかけによって、これが語られていきます。明らかに嘘くさいテンプレ回答を繰り返す就活生たちのモンタージュ。それに対して、その就活を風刺する旧友・銀次の劇団員たちの心からの叫び。そして、一連のドラマを通じて、内定がまったくもらえず泥沼にハマる主人公・拓人がどう意識を変えていくのかが本作の肝です。

ペルソナ論で青春の終わりを描く

本作は「ペルソナ論」という心理学者・ユングさんの有名な話を青春劇へと落とし込んでいます。ちょいとペルソナ論の話をしますので「知ってるわい!」という方はすっ飛ばしちゃってください。

このペルソナ論というのは超簡単に言いますと「人格とは色々空気を読んだ結果だ」みたいな話です。

例えば、ここにある男・太郎さんがいるとします。この太郎さんは会社にいったら新人サラリーマンで、出身大学のサークルに顔を出したら伝説のOBで、家に帰ったら男3人兄弟の次男だとしましょう。太郎なのに次男なのは気にしないでください(笑)。そうするとこの太郎さんは、その各々の場面でキャラを無意識に使い分けないといけません。会社の飲み会では末席に座って上司や先輩に気を使いながら次に何を飲むかを聞いてまわらないといけませんが、サークルの飲み会ではウザい先輩としてデーンと構えて偉そうにしてればいいわけです(笑)。でも家に帰ったら次男で、お兄ちゃんと喧嘩しつつ、弟のテスト勉強を見てやったりする出来た息子になります。ところがそんな生活にストレス全開で、自分の部屋では夜な夜なツイッターの裏アカウントで毒づきまくってたりします(笑)。

では「本当の太郎さん」はどれでしょうか?

ペルソナ論というのはまさにこの「本当の私はなんだ!?」という自分探しへの一つの解答です。上記の太郎さんのケースだと、もしかしたら読者の皆さんは「自分の部屋で一人で毒づいてるときが本当の太郎さんだ」と思われるかもしれません。しかし、ペルソナ論では、「本当の自分」などという絶対的な正解は存在しません。「私」というのは何者でもなく、周囲の環境に合わせて「ペルソナ=演劇用の仮面=役割」を身につけることでその役割に合わせた振る舞いをするようになり、そのいろんな役割の集合体こそが「私」であるという考えです。つまり「私」というのは全て他者や環境に影響されて外部から作られた概念なんだっていうことですね。会社の飲み会でペコペコしてるのも、大学でウザい先輩やってるのも、兄弟とどつきあったり勉強教えたりしてるのも、ぜ~んぶひっくるめて「本当の太郎さん」なんです。部屋に籠もってtwitterで愚痴りまくってたって、結局はtwitterを他者から見られているのには変わりないですから。完全な「個/孤」とか言い出すと、座禅の世界が始まります^^;

逆に言うと、自分の脳内で「本当の私はXXXXなんだ!」とか思ってても意味ないってことです。それを表に出して、他者からその役割を与えられて、初めてそういう人間になれるんです。

本作「何者」では、このペルソナ論を受け入れることが「大人になること」として描かれます。つまり、「私は本当は演劇マンなんだ!サラリーマンなんかじゃない!」という青春特有の夢というか可能性に対して、それを追い続けるにしても諦めてサラリーマンになるにしても「”他者との折り合い”を上手くつけて責任感を持つのが大人なんだ」っていうことですね。決して「夢なんか追ってないで現実を見ろ」っていう内容では無くて、あくまでも「他者との折り合いをつける=他者からきちんと求められる/承認される=社会的な責任を受け入れる」っていうのが大人の条件だと本作では言ってます。

そして、就活の舞台はこの「サラリーマンとしてのペルソナを与えられる」承認プロセスの一つとして描かれます。あくまでも正解ではなくてプロセスの一つです。だから、演劇の道を突き進んで必死に居場所を作ろうとしている銀次の名前が、「拓人がもし演劇を選んでいたら」というifの存在として事あるごとに先輩の口からでます。銀次は就活はしてないですが、毎月公演をしたりSNSで発信するというプロセスで役者のペルソナを獲得しようとしています。

拓人は他者に心を開かず、常に一歩引いて冷静さを装うことでこの「周囲から求められる役割」を拒否しています。そして、自分が思うがままに振る舞う「自分が考える”本当の自分”」というのをTwitterの裏アカウントに叩きつけるわけです。でも、そのアカウントに鍵を付けることもなく、承認欲求だけが行き場を失っています。本作では最終盤で、拓人が瑞月に承認される(=「君の演劇が好きだったよ」という”許し”)ことでまさにこの「社会的な責任」を受け入れて、他者に心を開く方向へ意識が変化します。そして見事にハッピーエンドになるわけです。ちなみに同じく「青春の終わり」を描いた映画は、当ブログでは「マイレージ、マイライフ(2009)」と「SOMEWHERE(2011)」を猛プッシュしております。本作が気に入った方は是非こちらも御覧ください。

有村架純という優しいかぁちゃん

この映画では有村架純演じる瑞月がミューズとしてドラマのど真ん中にデンと座っています。この瑞月がすばらしい役どころでして完璧に場を支配してくれます。彼女は両親の離婚(別居?)という外的要因によって、否が応でも「母親を支える一人娘」というペルソナを押し付けられます。そしてその責任を真っ当するために仲間内でイの一番に大人へと成長します。だから彼女が最初に内定が決まりますし就活仲間たちを大人として客観視できるようになります。その上で瑞月は仲間たちへちょっと厳しい効果的なアドバイスまでしてくれます。まさにミュ―ズ。まさに女神。そして母親。もうね、彼女完璧です。有村架純さんって見た目がちょっとふっくらしてて包容力があるように見えるので、こういう母親役にバッチリあってます。

一方の光太郎はコミュ力満点でやっぱり内定を取るんですが、彼は模範的就活生というペルソナを駆使して内定を取ったことに逡巡を抱えます。こんなの本当の自分じゃない。たまたま自分は就活生を演じるのが上手かっただけだって。でも彼はしっかりしてますから社会人になったらきちんと大人になるでしょう。大多数の社会人はこういう経験があると思います。ちなみに、これをこじらせると3年ぐらいで会社を辞めて自分探しの旅にでたり大学に入り直したりしてアダルトチルドレンへの道を爆進することになります(笑)。

残念トリオは拓人と理香とタカヨシです。拓人は前述のとおりスノビズムに陥っており他者との間に壁を作っています。理香は周りの目だけを気にして演技・装飾が過剰になっちゃったタイプです。こういう子はOLよりも芸能人のが合ってます。個人的にはあんまり関わりたくないっす(笑)。

タカヨシは典型的な「意識高い系」の人で中身スッカラカンです。彼は表現だけはするんですが、承認されるプロセス、つまり他者と折り合いをつけるプロセスが欠落しています。さらにこのタカヨシには対比として銀次が登場します。銀次が学校を辞めて自ら退路をたって責任を持って夢に邁進しているのに対して、タカヨシは休学をして適当に本を読んだり講演会にいったりして虚無な人脈ごっこをしているだけです。ばっちり肝っ玉母さんに看破されて心を入れ替えるので根は素直ないい子。中二病をこじらせただけだと思います(笑)。

こういった面白キャラクター達を通じて「大人になるとはなんぞや」というこそばゆい青春劇を見せてくれるわけで、これがつまらないはずがありません。

【まとめ】

たしかに、「拓人の心の闇が~」みたいな部分や、終盤に出てくる超恥ずかしい演劇メタファー(※これは「他者から見られることで初めて自分になるのだ」というペルソナ論をそのまんま舞台役者と観客の関係に例えています。)に引っ張られるとダサく/つまらなく見えるかも知れません。しかし、本作は「青春の終わり」を描く群像劇として大変良くできています。結局理香だけが大人になれないんですが、それでもみんな青臭くもがいて大人になろうとします。もう大人になっちゃった方はもちろんのこと、これから大人にならないといけない学生のみんなにも十分楽しめる内容だと思います。学生のみんなも「大人って嫌なもんだぞ」みたいな脅しはないので安心して見に行ってください(笑)。ということでおすすめします!

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記事の評価
少女

少女

今日は

「少女」を見てきました。

評価:(45/100点) – 雰囲気アイドル映画


【あらすじ】

高校生のユキは、親友のアツコをモデルにして小説「ヨルの綱渡り」を書き上げる。しかし小説家崩れの国語教師・小倉によって原稿を盗まれうえに雑誌へ投稿、小倉は新人賞まで獲得してしまう。怒り狂ったユキは小倉へ復讐しようとする。それが、すべての悲劇の始まりだった、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> ユキの執筆とアツコ
※第1ターニングポイント -> シオリが転校してくる
第2幕 -> アツコの罪と夏休み
※第2ターニングポイント -> ユキが「ヨルの綱渡り」を読む
第3幕 -> アツコとユキの仲直り


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【感想】

さて、今日は湊かなえ原作の最新作「少女」を見てきました。観客はほとんどおらず、私以外はみんな学生さんでした。「白ゆき姫殺人事件(2014)」は中年夫婦がいっぱいだったのでちょっとびっくりしました。まぁでも湊かなえさんの映像化したものって題材が高校生が多い印象があるので、ターゲットとしてはちょうどいいのかも知れません。
監督は三島有紀子さん。すごいテレビっぽい(というか堤幸彦っぽい)演出が多いのでテレビ系の人かなとは思いましたがまさかのNHK出身でした。不勉強ながらこの監督の作品を見るのは初めてです。

ここでいつものお約束です。本作は多少サスペンスっぽい要素がありますのでネタバレは驚きを減じてしまう恐れがあります。未見の方はご注意ください。

サスペンスじゃないよ!青春ユリユリ映画だよ!

本作は予告でがっつりサスペンスっぽい雰囲気ーーというかモロに「告白」を意識した雰囲気を出していたので、てっきり本田翼がサイコパスっぽい感じで山本美月を殺しちゃったりするのかなと思いきや、まさかの完全青春友情モノでした。

一応映画的な意味でのメインテーマは「因果応報」の話です。自尊心肥大気味な落伍者・小倉がユキの原稿を盗んだことを発端に、ユキの復讐→オグラ/セイラが自殺→セイラの親友シオリが転校→シオリがユキとアツコを焚き付ける→・・・といった形で次々にイベントが連鎖していきます。そして印象的なセリフとしてユキのおばあちゃんの「因果応報、地獄に落ちろ!」があります。その言葉通り、本作には連鎖するイベントによって「報い」が次々と描かれていきます。一部「それを因果応報って言って良いのか!?」っていう倫理的に引っかかる部分はあるんですが、大枠はこんな感じです。物凄い少ない登場人物達がウソでしょってくらい強烈に絡み合いまくっており、ご都合主義というよりはすごく”戯曲的/寓話的な”抽象性を伴っています。そんなところも含めて、たぶん監督がわざとやってるんですが、全体的に物凄い嘘くさい演出になっています。

そういった”文学的な”要素を背景にして、本作は本田翼と山本美月のダブルヒロインのユリユリした熱い友情が展開されます。ちょっと女子高生役には年齢が厳しいですが、見た目はまったく問題なくちょいとマセた高校生を演じられています。そんな”少女”が青春特有の中2病的な悩みを爆発させて悶々としているわけで、これはもう100%純アイドル映画です。ですので、この2人さえ可愛ければあとは大丈夫です!なんの問題もございません!

しかしだね、、、

しかしですね、、、、本作はあまりにも演出面が古臭いというか、ダサいというか、、、”雰囲気作り”によりすぎています。映画の冒頭と終盤を心象風景みたいな劇場のモノローグ(=寓話性の演出)にしたり、文化祭(体育祭?)の踊りを「運命の糸が絡まり始める」みたいな表現として使ったり、しかもその踊りが完全に観客不在で超無機質だったり、作品自体が中2病的な雰囲気演出のオンパレードです。これですね、最初のイントロだけなら100歩譲ってまぁまぁまぁまぁ、、、、って感じだったんですが、現実の教室シーンまでが同じ方針だったので本気でゲンナリしました。だって、学校だっていってるのに他にクラスがあるのかすらわからなくて猛烈に抽象化されてるんです。

本作はかなり文芸作品を意識しており、あんまり情報量自体は多くありません。だからこそ画作りの合う合わないが結構大事なんです。前述の通り、アイドル2人が可愛くて、全力で走ってて、思いっきり笑顔で泣き笑いしてればそれだけで十分っていう志の映画なんですが、ちょっとあまりにもあんまりかなと思います。ユキの「人が死ぬとこを見てみたい」発言とか、それで実際に難病専門の子供病院に行っちゃうところとか、そういう中2病的な痛々しさをがっつり見せながら、最終的にはそういうのを全部ほっぽり出して「だって青春だし」で片を付けてしまうあたりがとってもアレです。一応最後にこの2人の青春は「了」しないというカットで因果応報を暗喩するわけですが、それも「深くていい話だね」っていう記号としてしか役立っておらず、実際にはホラー映画で最後にオマケが付くのと一緒です(笑)。「高慢と偏見とゾンビ」のラストカットと一緒。本作のは監督の自意識が目立ちまくっており、まだ「高慢と偏見とゾンビ」の方がサービス精神でやってるだけいいかな、とも思ったりします。

ちなみに、本作はいわゆる「いろんな伏線が最後に絡まる!」みたいなものではまったくありません。細かいイベントは連鎖しているもののキャラの関係性には必然がひとつもないので、それこそ「寓話的に少人数を無理やり配置している」という類のものです。

また、ストーリーで言うとどうしてもアツコの「ストーリー上の欲求」が弱いのが気になります。彼女は流されまくっているだけで全然主体性がないんですね。だから彼女のシーンは純粋に「山本美月鑑賞タイム」以外の何物でもありません。アツコには「剣道入学なのに剣道ができない」っていう負い目と、「それによりイジメられたとしても適当に謝ってりゃいいだけだから楽は楽」という葛藤があります。葛藤はありますが、そこから欲求が生まれません。じゃあどうしたいの?っていう部分が無いんです。たまたま流れで痴漢詐欺に加担して、たまたま学校の体育の補習で老人ホームへ行って、たまたま流れでバァちゃん助けて、、、みたいに全部たまたま。唯一アツコが自分から動くのが「ヨルの綱渡りを読みたい!」とタカオに頼むシーンなのですが、ここではじめて「アツコはユキと仲直りしたかった(※というかアツコが勝手に誤解してただけ)」という意思が見てとれます。ところがこれもう2幕目の終わりなんですね。今かよ、、、ていう(笑)。これならアツコの主観シーンを丸々全部カットしちゃって、ユキをメインにして構成したほうがよかったんじゃないかなと思います。ユキには「オグラが自殺したことで人の死を目の前で見たくなる」という欲求があり、ストーリーがちゃんと転がってますから。「人の死」どころか目の前で人が刺されただけでビビって逃げ出しちゃうレベルの「中2病的格好つけ」ですけど(笑)。

でも、やっぱ可愛ければいいじゃん!!

とまぁストーリーや演出部分には不満タラタラなわけですが、一方で俳優さん達をみるとこれ本当にいい感じです。ダブルヒロインのモデルコンビは本当に現実感がないくらい見た目が整っていまして、しかも両名とも物凄い棒読み演技。こういうと悪口みたいですが、この映画の浮世離れした寓話的雰囲気にとてもマッチしています。ストーリーのわざとらしさと演技のわざとらしさが奇跡的にいい感じに合っているので、とっても魅力的です。この時点でアイドルPV映画としては十分じゃないでしょうか?真剣佑や稲垣吾郎もいつもの棒演技ですが、まったく違和感がありません。俳優陣的にラッキーなのか怪しいですが(笑)、テイストの統一はきちんと出来てます。

【まとめ】

たぶん本作に何を期待するかでバッくり評価が別れると思います。もし学園サスペンスや重々しい文芸作品を期待するなら、本作はペラッペラでとてもじゃないですが厳しいです。ただ、もし話に一切期待しないで山本美月や本田翼のファンとして見に行くなら、これはもう絶対見に行ったほうがいいです。むちゃくちゃ魅力的に撮れています。本田翼がちょくちょく菊地凛子に見えますが、それもたぶん棒読み・オカッパ・ちょい吊り目だからでしょう。なんか近作の「SCOOP!」といいこのパターンが多いですが(笑)、「なかなか俳優の魅力を引き出しつつ話も面白い!」っていうのは難しいなというのが率直な感想です。ということで、両ヒロインのファンの方は必見ですよ!両ヒロインに興味が無い映画ファンの方は、そっと記憶から消しときましょう(笑)。

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記事の評価
聲の形

聲の形

昨日は今更ですが

「聲の形」を見ました。

評価:(40/100点) – アニメ版・中学生日記


【あらすじ】

石田将也(いしだ しょうや)は高校生である。小学生の時に聴覚障害のクラスメイト・西宮硝子(にしみや しょうこ)をいじめた罪を一心に背負い、自閉気味になりながらも親が肩代わりしてくれた賠償金を返済するためだけに生きてきた。ある日、バイト代で総額170万円を作り終えると、将也はそのお金を母に遺して自殺するために川へ向かう。途中、彼は最期の謝罪をするために硝子のもとを訪ねる、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> 小学校時代の回想
※第1ターニングポイント -> 回想終了/硝子に会いに行く
第2幕 -> 西宮姉妹や永束との交流
※第2ターニングポイント -> 橋上で将也が当たり散らす
第3幕 -> 仲直り


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【感想】

さて、昨日は京アニの最新作「聲の形」を見てきました。最新作と言ってももう公開からだいぶ経ってますので、お客さんも学生カップルと一人サラリーマン数名といった所で、かなり空いていました。監督は「けいおん」の、、、というか京アニ社員の山田尚子。キャラデザも同じく西屋太志で、ルックスはまんまいつもの京アニ作品です。自慢じゃないですが、私、本作のウエノとけいおんの澪を並べられたら見分ける自信がありません(笑)。

一応最近はアニメ映画を取り上げる時はなるべく大真面目にちゃんと書くようにしてるんですが、(←実写でもいつもやれよというツッコミはご勘弁^^;)本作は面倒くさい要素がありすぎるのでさら~っと流させていただきたいと思います。

テーマと概要

この映画のテーマはとても明確です。「人と人との距離のとり方とコミュニケーションについて」。登場人物たちは、各々の思惑をもとに他者との関係を築き上げていきます。サバサバしていて仕切り屋のウエノ。根っからの「姫気質」で全てが自分のためにあると思っている川井。カツアゲから助けてもらったことで将也に全幅の信頼と友情を寄せる永束。そんな中で、物語の中心となる将也は、観客視点の受け皿として、まわりに流されていきます。

将也視点では彼はただ調子に乗ってからかってたのがエスカレートしただけなのに、結果としてイジメの極悪戦犯扱いされて自閉症寸前まで追い込まれます。一方、イジメの共犯者達は全てを将也に押し付けて逃げ出します。この作品は、将也の罪悪感と贖罪を中心として「人間同士のコミュニケーションと距離感の難しさ」を描きます。

差別的な意図は一切ございません

イジメだの障害者だの自殺だの核地雷級のポリティカル・コレクトネス案件なので、これをまとめるのは一苦労です。しかしそこはさすがに天下の京アニブランド。本作ではこの難問をガッチガッチのプロテクトで回避してみせます。

硝子が難聴である理由は劇中では特にありません。硝子が難聴なのは、ひとえに彼女を「他人との距離感がわからず、奥手であり、コミュニケーションに難がある、にも関わらず非が無い」というアクロバット設定にするためのオプションです。つまりなるべく観客に嫌悪感をいだかせないようにしつつ限りなく”無垢”であることの表現としての障害なんですね。また面倒なものを突っ込んでくるなぁと、、、、。だからこれに「障害者ポルノじゃねぇか!」「なんでもかんでも障害者=天使じゃねぇ」と怒る人がいるのは当然です。この設定の硝子はまさしくコミュニケーションのブラックホールです。他人同士の距離感を破壊し、しかし障害者であるが故に倫理的に守られていて責められることもなく、そして本人にもまったく悪意がない。彼女は彼女で「私はいつも周りに迷惑を掛けている」と罪悪感を背負っていて、結局行くところまで行くため、落とし前さえ付けている。ものすごく倫理的にプロテクトされた教育的・道徳的キャラクターです。

こんな最強守備力キャラに絡んでいく将也やウエノはまさに「スーサイド・スクワッド」でジョーカーに絡まれて「ハーレイあげよっか?」とか言われちゃったアンちゃんと一緒です。これは絡んだ時点で負け。どんな選択をしたって逃げ場はありません。

ただ、この作品の良い所は、ちゃんと観覧車の中でウエノがまさにそこにキレる視点を入れることです。「おまえ障害者だからって甘えてんじゃねぇぞ」って。これ、この作品をアメリカで公開したら変な団体から猛バッシング喰らうこと請け合いです。それをちゃんと聴覚障害者の団体の協力を取り付けたお墨付き作品で出来るっていうのが、日本もまだまだいけるなと感心しました。

だからですね、この作品は100%倫理的に正しい「ユニバーサルデザインな映画」です。耳が聴こえないからってコミュニケーションをサボる理由にはならない。健常者だからって、耳が聴こえないやつをめんどくさがってハブる理由にはならない。聴こえようが聴こえまいがそんなの関係ない。どうせ一人一人は別パーソナリティなんだから、各々に合ったコミュニケーションをちゃんとやれ。グゥの音も出ないほどの正論です。強いて言えば「面倒な案件には深く関わらない」という大人な世渡りオプションが提示されてませんが(笑)、そこは青年向けアニメだからね^^;

ただですね、、、、これ映画としての出来は正直あんまり良くないと思います。メッセージは超道徳的で超正しいですが、それを映画文法に起こすことをしていません。アニメ絵に演技をさせるってものすごい労力なので、つい表情や情景で描写するのをやめてモノローグ全開になってしまいがちです。とはいえ、本作はさすがにちょっと、、、、。たしかに、動き自体は良いんですよ。手書き風(なのか本当に手書きなのか)で入りと抜きがしっかり入った線を見事に動かしてます。この技術レベルは本当に凄いです。でもさすがに本作はほとんどがモノローグで、胸の内をボソボソ言ってるだけですからね、、、。ラジオドラマかっていうレベルでぜ~んぶセリフ化してくるので、そもそも映画じゃなくていいじゃんという感想しかありません。

【まとめ】

さら~っと書きますとか言いながらすでに2,000字超えたのでまとめに入ります(笑)。
こういう倫理的にガチガチに守られた映画って、すごい文句いいづらいです。某・村○蓮舫の二重国籍問題と一緒で、論点に関係なく「それは差別だ!」って言ったもん勝ちですから。だから私はハッキリとそこを分けます。メッセージは道徳的で正しいです。ただ作品としてはまったく乗れません。面白くないです。ずーーーっと2時間説教されてるだけですから。だから、私はオススメしません。オススメしませんが、全国の学校教師には是非、中学校の授業でヘビーローテーションして欲しいですね。そんでもって2,000字ぐらいの感想文を提出させると。これが道徳教育ってやつですよ(笑)。

まぁ、私は「時計仕掛けのオレンジ(1973)」のアレックスよろしく、そんなルドヴィコ療法からはランナウェイします^^;。

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記事の評価
ちはやふる -下の句-

ちはやふる -下の句-

今日は邦画2本です。まず一本目は

「ちはやふる -下の句-」です。

評価:(100/100点) – これがアイドル青春スポ根映画のど真ん中じゃ!


【あらすじ】

都大会制覇の報告に新(あらた)を尋ねた千早と太一は、そこでかるたへの情熱を失った新と出会う。自身の大会出場中に亡くなってしまった祖父に自責の念を持ち、新はかるたができなくなってしまったのだ。新にもう一度かるたへの情熱を取り戻させるため、千早は全国大会個人戦での活躍を土産にしようと決意する。
そのためには、高校生にしてクイーン位に君臨する若宮詩暢(わかみや しのぶ)を倒さなければならない。左利きで変速のクイックを使う詩暢を意識するあまり、千早は徐々に自分のスタイルを見失ってしまう、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> 福井への訪問
 ※第1ターニングポイント -> 原田先生にクイーン・詩暢の話を聞く
第2幕 -> 打倒クイーン!千早の焦り。
 ※第2ターニングポイント -> 全国大会で千早が倒れ、団体戦が終わる。
第3幕 -> 全国大会個人戦。


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【感想】

さてさて、本日の一本目は「ちはやふる -下の句-」です。先月末に公開された「ちはやふる -上の句-」の直接的な後編です。都大会を制した瑞沢高校かるた部の全国大会への特訓・いざ決戦というストーリーに並行して、「上の句」でポンコツになってしまった新の復活の話が描かれます。これはですね、結構歴史に残る青春スポ根映画の金字塔だと思います。ここから先は、この作品がいかに凄まじく計算されているか、そして俳優(というかアイドル)達の魅力がいかに存分に発揮されているかをがっつり褒めちぎります。

わたくしは原作・アニメとも未見のため、原作との比較はまったくできません。もしかしたら、いつもな感じで原作ファンの方から見ると「ちはやふるの魅力はそこじゃないだろ!」という不満があるのかも知れません。そういった原作ファンの方たちには申し訳ございません。ただですね、漫画原作でここまでしっかりきっちりとした映画になってるわけですから、これかなり幸せだと思います。いまこの文章はちょうど見終わって直後に映画館のすぐ横のスタバで書いてるんですが、この後2時間後ぐらいには私「テラフォーマーズ」っていう漫画原作の映画を見るんですよ(苦笑)。そんなこんなで、もろもろお察しください。

以下、いつものようにネタバレも含みます。未見の方はご注意ください。絶対映画館に行ったほうがいいですよ!

まずは「上の句」のおさらい

まずは上の句のおさらいです。ちょうど私ブログをお休みしてましたので^^;

「ちはやふる 上の句」はスポ根映画のフォーマットを完璧に踏襲した素晴らしい作品でした。場所は府中(?)あたりのちょい田舎。瑞沢高校の新入生の千早は、一年生ながら「競技かるた部」の結成に動きます。自身の幼馴染でBランクの太一を相棒に、これまた顔なじみに「肉まんくん」=Aランク西田優征を巻き込み、さらには和服の不思議ちゃん奏(かなで)と、頭脳系おたくの「机くん」駒野勉を加えます。物語は新設マイナー部活のメンバー集めというド直球でベタベタな展開にのせて、この「机くん」のアイデンティティクライシスまで描ききります。「自分は所詮は頭数あわせで期待なんてされてない」「人さえ集まればだれでも良かったんだ」。画面を見ている観客の私達も思ったこのド直球な問いかけに対して、映画はこれまたド直球の熱血スポ根でそれを返してきます。「最初は頭数あわせだった」「でも一緒に頑張った修行を通じて、弱かろうがなんだろうがもはや5人はチームなんだ」。この恥ずかしいまでのド直球が、これまた恥ずかしくて当然な青春と組み合わさって、「上の句」はそれこそぐうの音も出ないほど魅力的な青春映画となりました。「上の句」で一番すばらしかったのは、この「ド直球さ」です。邦画にしてはめずらしく、何のひねりもなく、何の小細工もなく、素直な青春スポ根を億面もなく、見せてくるんです。これね、こういう作品にはこちらもド直球で向き合わなければいけないわけで、その志だけでもう100点満点でいいんです。こういうと失礼ですが、「上の句」はまったくROBOT制作らしからぬ素晴らしい作品です。一切CGに頼ること無く、ちゃんと道具としてVFXを使いこなせています。ROBOTの他の連中(っていうか主に山崎某)に小泉監督の爪の垢を煎じて飲ませてやりたいぐらいです(笑)。

そして下の句へ、、、

そして本作「下の句」です。正直な所、「スポ根映画」としての「ちはやふる」は上の句でほとんど100%描き切っています。そうなると、後は細かいかるたの技術論とか荒唐無稽な新必殺技しかスポ根要素は残されていないわけで、これ結構不安でした。どうやって「下の句」を構成してくるんだろうと。安直にやるなら「上の句」のリメイクみたいな感じで同じ話を繰り返せばいいんですが、それではつまりません。公開間隔も短いですしね(笑)。

そんなこんなで実際に「下の句」を見てみますと、、、これはもう凄いとしか言いようがないです。「上の句」が「青春スポ根映画」の「スポ根」要素を重視したとするならば、「下の句」は「青春」要素を重視した構成になっています。つまり、これは正しく「上の句」「下の句」なんですね。単独でもきちんと成立しているけれども、繋がるとまた違った意味が出て完成度が高くなる。これこそまさに百人一首なわけで、「競技かるた」題材の映画として完璧な構成です。おみそれしました。

本作の主題:挫折した天才へ再生を促す熱血物語

前作・本作を通じ、「メガネ君」新はミステリアスな天才として存在しています。「上の句」では本気を出せば日本一だけど、おじいちゃんの介護のために福井に隠居した達人。そして「下の句」では「おじいちゃんの死に目に立ち会えなかった」ことを後悔するあまり自分に「かるたをやる資格がない」と引きこもってしまった世捨て人。このメガネ君にかるたの情熱をとりもどさせるため、つまりはこの競技かるたの面白さを見せつけるため、本作の千早や太一は奔走します。こういう「挫折した天才もの」って私は大好きです。古くは「ドカベン」の山田太郎(※彼は当初野球を捨てて柔道をやっていました)から脈々と続く王道的スポ根ストーリーですね。しかしこの「情熱」を見せつけようと躍起になるあまり、千早も太一も周りが見えなくなってどんどん深みにハマってしまうわけです。そこから彼女たちを救い出すのは、友人であり、ライバルです。憎まれ口を叩きながらも叱咤激励をし、サポートしてくれる彼らのおかげで、千早たちはまた一歩成長し、そしてその熱血のバトンを新へとつなごうとするわけです。

もうね、おじさんは号泣しちゃうわけですよ(笑)。千早があるライバルから「全国大会攻略法」を託されて目が覚めた次の瞬間、彼女はゆっくりと走りだし、そして全力疾走し、雨の中で泣き出すという超ウエットで超ベタベタで、そして超ムカつく演出が入るわけです。「なんじゃこの監督!甘ったるくて腹立つわ~(怒)」と思いながら、後ろに座って持ち込んだポテトチップを食べてる女子高生コンビなんて気にもせずに、号泣しちゃうんですよ(笑)。こういうね、小細工なしで真っ向勝負してくる監督って本当に貴重です。だって、これにはハリウッド超大作みたいに何十億ものお金はいらないですから。聞いてるかいテラフォーマーズのプロデューサー連中よ!あと1時間でそっちいくから待ってろよ(笑)!

本作の主題その2:スポ根としての打倒クイーン

そして本作ではついに、大ボスであるクイーン詩暢が登場するわけです。この詩暢ですね、原作ファンにはあれなのかもしれませんが、存在感が完璧です。「京都弁をしゃべる意地悪なツンデレ」という超類型的なキャラクターでありながら、松岡茉優のちょっとツリ目でネコっぽい感じの雰囲気が完璧にマッチしてます。千早の広瀬すずも、ガサツでアホっぽくて、でも目をカッぴらいた時が最高に美人で怖いという完璧な立ち振舞でした。総じてキャストたちは最高だと思います。
この詩暢がですね、画面から漏れ出る威圧感が半端無いんですね。これぞクイーンっていう。いつぶぶ漬けだされるかとビクビクしながらも、目を離せなくなると。でまぁこの詩暢は、左利きでかつ「音の出ないかるた」という必殺技を使って淡々と相手をぶちのめしていくわけです。個人的には私もぜひ淡々とぶちのめしてほしいんですが(笑)、これね、スポ根としての要素が完璧なんですね。ストーリー上は千早も「スーパー聴覚」という必殺技を身に着けているわけで、これこそ純粋に「早さと速さ」の戦いじゃないですか。聴いた瞬間の判断が早い千早と、聴いた後のかるたへ向かう動きが速い詩暢。完璧に手がマッチしたライバルに、当然ロクに対策をしていない千早は現時点で勝てるわけがないわけで、でも性質上はいつか千早が必殺技を磨けば必ず勝てるはずの手合わせであるというこの構成。お見事です。

本作の主題その3:かるた競技のキモ=心を落ち着かせること=友情であるという解釈

さらに素晴らしいのは、本作が競技かるたのポイントを「平静を保つことだ」としたうえで、「それは友情/自分が一番楽しかった思い出によってもたらされる」というこの恥ずかしいまでに愚直な発想です。これはですね猛烈に説得力があります。変に声をかけたからとか、変に新を見つけたからとかじゃないんですね。答えは己の中にあって、そしてそれとまっすぐに向き合うことで強くなれるんだというこの「静かな熱血根性論」こそ、まさに本作が成功した最大の要因であり、そして「ちはやふる 上の句/下の句」が傑作邦画として輝きを放つであろう最大の要因です。小手先の技術ではなくて、己の志が大事なんだと。聴いてるかいテラフォーマーズ!!あと20分でそっちいくから待ってろよ(笑)!

【まとめ】

ということで、本作は最高によくできた「青春熱血スポ根映画」です。なんの文句もございません。私はBD買います(笑)。なんなら上の句下の句セットの豪華ボックスをだしてくれるならそっちを買います(笑)。これね、広瀬すずも照明さんとかに文句言ってないでこれで女優として一皮むけてほしいですね。小手先じゃなくて、答えは己の中にあるんだよと。筆で書いて便所に貼っときましょう。

ということで、おすすめです!

あたしゃちょっくら火星に行ってきます(笑)。

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記事の評価
アイアムアヒーロー

アイアムアヒーロー

本日は

「アイアムアヒーロー」をレイトで見ました。

評価:(86/100点) – 亡きシアターNへ捧ぐ


【あらすじ】

ヒデオは漫画アシスタントである。15年前に新人賞をとって華々しく業界入りしたものの、いまやそれも過去の栄光。ヒモ同然の生活を送っている。
ある日、同棲中の彼女と喧嘩したヒデオが仲直りをしようと家へ戻ると、そこには変わり果てた彼女の姿があった、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> ヒデオの鬱屈とした日常
 ※第1ターニングポイント -> パンデミックが起きる
第2幕 -> 富士山への旅とアウトレットモール
 ※第2ターニングポイント -> ヒデオがロッカーから飛び出す
第3幕 -> ゾンビvsヒデオ


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【感想】

公開からちょっと経ってしまいましたが、本日はアイアムアヒーローを見てきました。私は漫画を完全に未見でして、前知識も「ゾンビ映画である」ことしか知りませんでした。ただ結構評判がいいというのは聞いてましたので、結構ハードルは上がっていました。そんな中で実際見てみまして、、、これね、凄い良いです。めちゃくちゃ良く出来てます。「100%完璧!手放しで大絶賛!」とまではいかないんですが、でも見終わっての率直な気持ちは、日本だって「ゾンビランド」に近いレベルの作品が作れるんじゃん!という素直な喜びです。
今日はですね、もうさんざん言われてるのかもしれませんが、このアイアムアヒーローをガッツリ褒めます。いや本当に良かった!

ここで一応のお約束です。本作はアクション・スプラッター・ホラー映画です。決してお上品な作品ではないですし、予告を見ればある程度の話はわかってしまいます。今回も褒めるにあたり物語の最後の方まで書きますので、未見の方はご注意ください。

これは素晴らしき「終末負け犬映画」である!

本作は、「第9地区」や「ワールズ・エンド 酔っぱらいが世界を救う!」、それこそ直接的には「ショーン・オブ・ザ・デッド」「ゾンビランド」と同じ、「終末負け犬映画」です。
「終末負け犬映画」とは、冴えなかったりなにか致命的な欠点(※アル中とか)のあるダメ人間の主人公が、終末を迎えて完全実力主義のサバイバル世界になることで、その才能を活かしてダメ人間からスーパーヒーローに成り上がるというフォーマットです。つまり、これこそ世間に対して若干負い目のある我々(と断言しますがw)非リア充の妄想であり、「未知との遭遇」のように「いつか宇宙人がこないかな~」とか思ってることそのままの具現化なわけです。
さて、本作の主人公「ヒデオ」は完全無欠の負け犬キャラです。漫画家アシスタントで事実上のヒモ状態。過去の栄光にすがりお先真っ暗な上に彼女ともルーズな関係。趣味はクレー射撃。人はいいがしょっちゅう現実逃避をしている。こんな状況の中で、ある日急にゾンビ病のパンデミックが起こるわけです。こうなればヒデオの「クレー射撃」の趣味は最強の武器になります。ところが人がいいヒデオは悪人はおろかゾンビでさえも撃てない(笑)。うじうじうじうじ悩み続けるヒデオが遂に勇気を振り絞るきっかけとなるのは、自分の危機ではなく自分を救ってくれた女子高生・ヒロミのピンチなわけです。やっぱね、漢なら妄想の中で一度や二度は可愛い女の子を助けたことがあるわけですよ(笑)。それを恥ずかしげもなくきっちりと、最高に熱血な展開でスクリーンで見せてくれるわけです。これはもう大喝采を送るしかないです。

しかもですね、最後のシーンで長澤まさみ扮するヤブとヒデオがゾンビの返り血を顔に浴びまくっているのをゆっくり見せる描写まで入れてきます。これはつまり二人がゾンビに感染してしまう可能性を示唆しているわけで、決してハッピーエンドではないんですね。ゾンビはまだまだいっぱいいて、安全という富士山頂も本当に安全かなんてわからない。しかも自分たちはゾンビに罹った可能性すらある。それでもヒーローなんだから女子供は守るんだっていう完全なるルサンチマンでありマッチョイズムであり、でもそれって絶対に漢ならだれでも持ってるヒーロー幻想です。単純に「覚醒したから無敵」という甘えたところに落とすわけではなく、あくまでも負け犬のルサンチマンに帰ってくるこのラストこそ、本作を良作にしている決定打です。
田嶋陽子あたりに見せたら口から泡吹いて卒倒しそうですが(笑)。

ちゃんとゴア描写にも意味がある

本作がさらに素晴らしいのは、きちんと物語のテンションに合わせてゴア描写がエスカレートしていくところです。最初はまったく大したことが無いですし危ない所ではカメラが外れるのですが、だんだんと直接的にゾンビを殺すところが映るようになっていき、最終的にはクライマックスでヒデオのゾンビ大虐殺をきっちり見せます。こういう映画のゴア描写って結構サービスショットな側面が強く、ただグロいだけで緩急がついてないことが良くあります。典型的なのは「SAW3」とかですね。グロいけどそのグロさにあんまり意味が無いという。本作では、ちゃんと意味があります。ボスとして出てくる高飛び学生のゾンビなんかが典型で、高飛びをするから頭が凹みまくっており、そして頭が凹みまくってるから急所が隠れてなかなか頭の完全破壊ができないという、ちゃんとロジックが通ってます。こういうのってきちんと脚本を練らないといけないので面倒くさいんですよね。でも本作ではきちんとやっていて、とても好感がもてます。

惜しかった所:女性陣の非有効活用

今回、唯一おしいと思ったのが有村架純扮するヒロミの使い方です。ヒロミはいうなれば人間とゾンビのハイブリッドであり共生体なわけですね。それだったら当然、ワンダーウーマンよろしく覚醒して戦闘したり、またはヒロミの血からゾンビの特効薬ができたりとかいろいろ活用できるはずです。でも本作のヒロミは完全にマスコットなんですね。有村架純のちょっと丸っこい整った顔立ちって、すごいお人形さんっぽいんです。菜々緒のバービーっぽい感じじゃなくて、どっちかというと雛人形的な和風な感じ。これがヒロミの独特のマスコット感ととてもマッチしていて凄い魅力的です。「この子のためならヘタレが勇気を振り絞って立ち上がっても不思議じゃないな」という存在感・説得力があります。この立ち振舞は完璧なので、もっと活用して欲しかったです。

一方の長澤まさみはですね、こっちは看護師なので当然有村架純をつかってゾンビ病の究明をするのかな、、、、と思っているとまさかの肉弾アクション担当w 意外性はあっていいんですが、だったらせめてもうちょいサービスしてくれないかな、、、とちょっと拍子抜けな面がありました(笑)

総じてこのメイン級女優の使い方はちょっともったいないです。

【まとめ】

本作は、本当によく出来たジャンルムービーです。嬉しいのは、こういう作品がTOHOシネマやイオンシネマなんかの大手シネコンで掛かっているっていうこの状況なんですね。昔だったらこの手の映画は銀座シネパトスかシアターNでレイトショー限定が当たり前でした。それがほぼ全国どこでも見られるというのはとても素晴らしいことです。これはもう駆けつけるしかありません。CGバリバリとはいえグロいっちゃあグロいですから、そこだけは注意してください。あと、デートやファミリーは辞めたほうがいいです(笑)。私はGW終わりぐらいにもう一回見に行こうとおもいます。今度はポップコーンと生ビールを抱えて(笑)。とてもいいお祭り映画でした。

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