マチェーテ

マチェーテ

今日は久々のレイトショーで

マチェーテ」を見てきました。

評価:(65/100点) – 頭悪っw


【あらすじ】

メキシコの連邦捜査官・マチェーテは目の前で麻薬王トレホに家族を殺されてしまう。それから三年後、アメリカへと不法入国したマチェーテは、日雇い労働者のスラムでスーツ姿の男から過激右派の上院議員・マクラーレンの暗殺を依頼される。しかしそれはマクラーレンの補佐官の仕掛けた罠だった、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> マチェーテとトレホと貧民街。
 ※第1ターニングポイント -> 暗殺の失敗。
第2幕 -> マチェーテの逃走。
 ※第2ターニングポイント -> ルースが殺される。
第3幕 -> メキシカンの逆襲。


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【感想】

本日はグラインドハウスの嘘予告から飛び出したスピンオフ作品「マチェーテ」を見て来ました。かなりイかした予告編にも関わらず、お客さんはまったく入っていませんでした。まぁ、ロバート・ロドリゲス監督という時点で、日本アニメとアクション映画とスプラッタ・ホラーの見過ぎな頭悪い中2映画なのは確定なので仕方がありませんw
本作はまさにそのロバート・ロドリゲスの悪ノリが炸裂した内容になっています。支離滅裂としたキャラクター描写の中で、それでも一貫して血しぶきとコスプレ美女に拘る姿勢は大変信頼がおけますw 監督の従兄弟・ダニー・トレホも遺憾なくその悪顔を発揮していますし、何より無敵超人・スティーブン・セガールを遂に悪役として起用したということは悪ノリの最高峰です。なにせラスボスがセガールという時点で、人類に勝ち目があるようには思えませんw
全体を通して大変愉快なバカ映画なのですが、一方でどうしても「お祭り騒ぎ」だけで終わってしまっている感は否めません。というのも、「セガールがボスって面白くない?」「ロバート・デ・ニーロにアホなヘタレ役って無駄使いっぽくて良くない?」「ミシェル・ロドリゲスと言えば眼帯にタンクトップじゃん?」という小学生が授業中にノートの隅に書いた落書きレベルのアイデアを20億円ほど掛けて実現してみたという内容のみだからです。一応ヒスパニックの移民問題みたいなものも入ってはいますが、あくまでもお祭りを盛り上げる御輿程度の感覚です。いうなれば「先生!!真面目なクラブですから活動費を下さい!!!」といっておいて、部費でエロビデオとカンフー映画を買いあさって麻雀してるだけという感じですw
すなわち、これは昨年の「ドゥームズデイ」と同じ種類の作品です。好きな人は大爆笑できますが合わない人には全く意味がわからないと類のものです。もし、あなたが「ゾンビ」「マッチョ美女」「金髪ナース」「セガールの剣術」という単語にビビっと来るのであれば、間違いなく見た方が良いです。
ただし、決して何かのためになったり、何かを得るような作品ではありませんw DVDで友達と酒を飲みながら見るような、そんなタイプの頭の悪い映画です。でも私は大好きなので、結構オススメです!

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ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う

ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う

土曜の三本目は

「ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う」を見て来ました。

(35 /100点) – 石井隆的というよりは普通のエログロ単館映画。


【あらすじ】

あゆみ、桃、れんの親子は場末でバーを営みながら、保険金殺人を繰り返していた。ある日、いつものように死体を富士山麓に捨てた後、桃はロレックスが無いことに気付く。死体と共に見つかっては製造番号から足が付くと恐れ、桃はれんにロレックスを探してくるよう命令する。森の中から小さなロレックスを探すことなど不可能だと考えたれんは、なんでも代行屋・紅次郎に依頼をする、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> ロレックスと紅次郎。
 ※第1ターニングポイント -> れんが紅次郎に人捜しを依頼する。
第2幕 -> 次郎の人捜し。
 ※第2ターニングポイント -> れんが次郎の元へ行く。
第3幕 -> 石切場。


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【感想】

土曜の三本目は「ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う」を見てきました。意外にもお客さんの半分ぐらいは女性でした。
終盤の雨の中でれんが非常階段に座り込む場面や、次郎の部屋の中でネオンを光らせる場面など、石井隆的なモチーフは随所に散りばめられています。ただ、ここ15年ぐらいの間にこういった表現がもう既に陳腐化してしまっている感が否めません。というのも、それこそ銀座シネパトスのレイトショーにいけば、こういう類のエログロな準ピンク映画はもはや定番になってしまっているからです。
ただし、かならずしも石井隆監督がそういった有象無象に埋没したとは思いません。やはり石切場でのクライマックスのテンションはさすがですし、そこまでの話運びも平凡ながら丁寧に積み重ねていきます。ですが、特にれんのキャラクターがあまりにも浅かったり、紅次郎が本当にただの良い人になってしまっていたり、もったいない箇所が多々あります。石井組とも言うべき大竹しのぶ・井上晴美はいつも通りの棒読みですし、佐藤寛子も慣れないからかキャラクターの掘り下げ不足がかなり酷い事になっています。
話の部分はそこそこまとまってはいるだけに、こういった所でグダグダに見えてしまうのは非常にもったいないという印象でした。位置付けとしては石井隆監督が復活するためのステップという所でしょうか? 良くも悪くもこぢんまりとまとまった佳作だと思います。

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ぼくのエリ 200歳の少女

ぼくのエリ 200歳の少女

本日は一本です。

ぼくのエリ 200歳の少女」を見ました。

評価:(95/100点) – 珠玉の青春映画


【あらすじ】

いじめられっ子のオスカーはある日隣の部屋に引っ越してきた子と出会う。エリと名乗るミステリアスな少女に魅かれるオスカーは、やがて彼女の勧めに従いいじめに抵抗するようになる。一方その頃、町では奇妙な殺人事件が発生していた、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> エリとの出会い
 ※第1ターニングポイント -> エリがヨッケを襲う
第2幕 -> オスカーとエリ。
 ※第2ターニングポイント -> オスカーがエリが吸血鬼だと気付く。
第3幕 -> いじめの結末。


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【感想】

本日は「ぼくのエリ 200歳の少女」です。まだ全国で銀座テアトルシネマのみ公開ですので、完全に満席でした。完全に映画オタクで埋まっており、前評判の高さもあって凄いことになっています。スウェーデンでは2008年に公開された作品で、多くのファンタスティック映画祭で話題を攫っていました。2年掛かってようやく日本公開です。

はじめに

まず、私としては謝らなければいけません。今年の3月に「渇き」を見て「そんじょそこらのジャンルムービーでは太刀打ちできない」と書いてしまいましたが、「そんじょそこら」でないとんでも無い映画が来てしまいました。本作はラブストーリーでありながら怪奇映画でもあります。
ヴァンパイアのラブストーリーというと、どうしても「トワイライト・シリーズ」を思い浮かべてしまうかも知れません。たしかに「トワイライト」もヴァンパイアのラブストーリーでした。しかし、大変申し訳ないですが、本作とはかなりレベルに開きがあります。それは、ラブストーリーとしても、そしてヴァンパイアムービーとしてもです。本作ではヴァンパイアとしての負の部分をがっつりと描きます。決して恋愛の障壁としてのみ使っているわけではありません。そして生まれながらの魅力ある血とかいうご都合主義丸出しの設定もありません。本作の主人公・オスカーはなんの変哲もない少年です。いじめられっ子で、それに抵抗する勇気も無く、一人で夜な夜な憂さを晴らすようにエア抵抗をするような内気な少年です。その少年が、いつしかヴァンパイアの子と交流し、お互いにお互いが絶対必要な存在になっていくわけです。
本作の原題は「Lat den ratte komma in ( Let the Right One In / 正しき者を入れよ)」です。文字通り、オスカーは物理的にもそして心理的にも、エリを”正しき者”として受け入れていきます。この過程で、彼は彼女への共感と恋と拒絶を味わいます。それは決して一目惚れというレベルではなく、もはや分かち難いものとしての依存関係なわけです。

本作におけるヴァンパイア

本作において、エリは決して怪物としては描かれません。彼女は「血を吸い日光に弱い」という性質をもった一人の少女です。そしてホーカンという庇護者と共に生活しています。ホーカンはエリのために夜な夜な通り魔殺人を起こし、ポリタンクで血を収拾します。ある事件があってホーカンが居なくなってからも、彼女はむやみに人間を襲うことはしません。エリは無慈悲なモンスターではなく、あくまでも生きるために血を吸わなければならないという性質をもってしまっているだけです。それはまるで私たちが魚や肉でタンパク質を取らなければいけないように、彼女にとっては血を吸うことが必要なんです。
そして、彼女は人間以上の身体能力を持っていますが、決して万能なわけでもありません。特に「日光に当たると死んでしまう」という一種の虚弱体質でもあります。極端な話、彼女を殺そうと思えば昼間に部屋に忍び込んでカーテンを開けるだけで良いんです。そういった意味で、彼女は弱い存在でもあります。

オスカーとエリ

オスカーは徐々にエリを唯一の友人として、そして唯一の居場所として心の支えとしていきます。一方のエリも、彼女を怖がらずに話をしてくれる人間としてオスカーに魅かれていきます。本作で最もすばらしい所は、このエリとオスカーの交流が、文字通り性別を超えた心の繋がりになっていく点です。
そして、エリはいつまでも年を取らず、オスカーは年を取っていきます。これは穿ち過ぎかも知れませんが、彼らの行き着く先が、エリとホーカンに思えてなりません。ホーカンは冒頭ではエリの父親として登場します。しかし仕草や覚悟は親子と言うよりは恋人のそれです。明らかにホーカンはエリを愛しています。しかしその一方、エリはあまり愛情を表現しません。
彼女は数百年も12歳の姿で生き続けています。ですから、もしかしたらホーカンとも彼が子供時代に出会ったのかも知れませんし、オスカーも彼女にとっては数十人目の庇護者かも知れません。実際にはエリは生存本能としてホーカンの代わりにオスカーを必要としただけなのかも知れません。それでも、本作ではオスカーとエリの甘く重苦しい交流を情緒的に描ききります。まるでハッピーエンドのように描かれるラストの甘酸っぱいシーンにあってさえ、彼らには「血の調達」という困難がすぐに迫ってきます。オスカーはエリと一緒にいるためにこの先何十年も人を殺し続けなければいけません。でもそんな厳しい現実を見る直前の、まるで一瞬の休息のような彼らの希望溢れるラストシーンに、どうしても心揺さぶられざるをえません。

ショウゲートによる改変の問題

本作はオスカーとエリの依存関係の成立が肝になるわけですが、その際に重要な改変が配給会社により行われています。
劇中で何度も「私は女の子じゃないよ」というセリフが出てくるように、エリは男です。終盤エリの去勢根をオスカーが見てしまう場面もあります。これはオスカーとエリの愛情というのが完全に性別を超えた心理的関係であることを表しています。なんかヤオイ肯定派みたいな言い草ですがw
それを「ぼくのエリ 200歳の少女」とかいう変な邦題でエリが女性であるような先入観を与えたり、肝心の場面に修正を入れたりして普通の少年少女のラブストーリーのように誤解させようとしてる根性が気に入りません。エリが男で何が悪い。宣伝のために内容変えるとか最低の悪行です。

【まとめ】

すばらしい作品でした。ラブストーリーとしても、ヴァンパイアムービーとしても、何の文句もございません。ヴァンパイアムービーでここまで愛おしく実在感を持ったストーリーはなかなかありません。ホラームービーが苦手という方もご安心ください。ホラー要素はほとんどありません。それ以上に異種間恋愛としてとても良く出来ています。本当に惜しむらくはフィルム1本の4スクリーン順次興行という上映形態です。こんなに素晴らしく、こんなに話題の作品が小規模公開というのは映画文化にとって間違いなく損失です。
本作はハリウッドでのコピーリメイクが決まっており、10月に公開される予定です。もしかするとリメイク版がシネコン上映されかねない状況だったりするのが、非常に複雑な心境です。ですが、もし、もしお近くで上映がある方は是非とも足を運んでみてください。映画ファンであれば絶対に見ておくべき作品です。
文句なく、全力でオススメいたします!

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ユニバーサル・ソルジャー:リジェネレーション

ユニバーサル・ソルジャー:リジェネレーション

二本目は土曜に見ました、

ユニバーサル・ソルジャー:リジェネレーション」です。

評価:(45/100点) – ヴァンダムは頑張ってるけど、、、、誰得?


【あらすじ】

「ユニバーサルソルジャー/ザ・リターン」から11年後の世界、チェチェン独立過激派にロシア大統領の子供達が誘拐されてしまう。テロリストのリーダー・トポフは、72時間以内に自分たちの独立を認めない場合、チェルノブイリ原発跡を爆破すると予告してくる。誘拐の状況を検討したロシア政府は、誘拐者の中に強化兵士・ユニソルが紛れていることを確認し、アメリカに助けを求める。アメリカの元ユニソル研究者達は、残存する5人の内4人のユニソルをロシアへ派遣するが、敵の新型ユニソルにあっさりと蹴散らされてしまう。残るユニソルは、心理セラピーを受けて社会復帰を目指すリュックだけであった、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> 誘拐事件。
 ※第1ターニングポイント -> ユニソル4名を使った救出作戦が失敗する。
第2幕 -> リュックの復帰。
 ※第2ターニングポイント -> チェルノブイリにリュックが単身突撃する。
第3幕 -> チェルノブイリでの決戦。


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【感想】

さて、二本目は「ユニバーサル・ソルジャー:リジェネレーション」です。「ユニバーサル・ソルジャー」シリーズの5作目にあたる作品ですが、話は2作目の続きです。お馴染みジャン・クロード・ヴァンダムが主演で、敵役に前作で死んだドルフ・ラングレンがクローンで復活、さらに敵のラスボス・NGU(ニュー・ジェネレーション・ユニソル)にはUFCチャンプのアンドレイ・ザ・ピットブルと肉弾派が勢揃い、、、、、かと思いきや、、、、超残念なことになっています。
本作はある意味では2作目の焼き直しと言えなくもないです。テロリストを鎮圧するヴァンダムの活躍を楽しむわけですが、、、まず第一にヴァンダムがアクションするまでがすっごい長いんです。序盤に酒場でちょっと喧嘩した後は、延々と検査ベッドの上で横たわるヴァンダムが流れます。アクションスターなんだから、アクション見せろってw
さらに、終盤まで引っ張ってやっと登場するドルフ・ラングレンも前作ファン(←いるのかw?)にすれば噴飯ものです。なにせ弱いですし、ラスボスはピットブルであってラングレンは完全に前座なんです。それだったらピットブルvsヴァンダムを先に持ってきて、片が付いたと思った後に、ボーナスステージとしてラングレンが隠しボスで出て来ないと盛り上がりません。だって、ファンの大半はピットブルよりドルフ・ラングレンを見に行ってるんですから。お祭りがそんなあっさり片が付いてもらっちゃ困るんです。
さらにいうと、ヴァンダムが勝つ根拠がないのも気になります。二倍濃度で投薬しただけで強化できたっけ? っていうかドーピングで強くなっても応援できませんけど、、、。

【まとめ】

なんというか、、、シリーズ・ファンもイマイチ喜べず、かといってシリーズ初見だとリュックの覚醒に燃えないという、、、、どうしたらいいんでしょう(苦笑)?
あとこれはユニソル・シリーズの弱点でもあるんですが、銃で決着がつきすぎているため、いまいち肉体アクションで良いシーンがありませんでした。もうヴァンダムにバリバリ動けというのは厳しいかもしれませんが、もうちょっと何かあったとは思います。
決して面白い作品ではありませんが、「ユニバーサル・ソルジャー」シーリーズファンは必見です。スカっと爽快アクションというわけではありませんけれどw。

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ヒーローショー

ヒーローショー

本日も2本です。1本目は

ヒーローショー」です。

評価:(35/100点) – やりたいことは分かるけど、、、。


【あらすじ】

漫才芸人を志すユウキは、元相方の先輩・剛志からヒーローショーのバイトを紹介される。ある日、剛志の彼女と浮気したことから、ノボルと剛志はステージ上で殴り合いの喧嘩をしてしまう。剛志は旧知のチンピラ・鬼丸にノボルへの復讐を頼む。一方、鬼丸から恐喝を受けたノボルはギガブルー・勉の兄・拓也に泣きつき、自衛隊あがりの石川勇気を使って鬼丸への逆襲を計画する。そして遂に、両者の抗争は殺人事件へと発展する、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> 美由紀の浮気
 ※第1ターニングポイント -> ノボルと剛志が殴りあいをする。
第2幕 -> 剛志組とノボル組の抗争。
 ※第2ターニングポイント -> 剛志が殺される。
第3幕 -> ユウキの人質生活と石川勇気。


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【感想】

本日の1本目は局所的な話題作・ヒーローショーです。監督は適当かつ暴論解説でお馴染みの井筒和幸。名物監督の作品ということなのか、かなりお客さんが入っていました。「ガキ帝国」「岸和田少年愚連隊 BOYS BE AMBITIOUS」でのピークを境にみるみる作品の質が失墜している井筒監督ですが、久々の18番・青春バイオレンス映画ということでかなりの期待を持っていきました。ところが、、、、あれっ?っていう作りで、やはり近作の井筒作品と同じく、監督の言動に作品の質がついていっていないような印象を受けました。

バイオレンスの捉え方

一口に”バイオレンス(暴力)”といっても、映画におけるバイオレンスにはいろいろなレベルがあります。例えば、いわゆるアメコミヒーローものにおけるバイオレンスというのは、一種の記号化したアクションです。殴った時に鼻が折れるかどうかや血が出るかどうかというリアリティラインもありますし、どこまで殴れば人が死ぬのかという設定ラインもあります。例えば、昨日見ました「戦闘少女」では血しぶきが出まくりですが、一方で実は主演達の純白の戦闘服にはあまり返り血がついていません。これは血しぶきを一種のコント道具、もっというとギャグの特殊効果/漫画におけるトーン演出として使っているためです。だからあえて主演のアイドル達が血で汚れることはほとんどありません。
また、これは井筒監督が今月号の映画秘宝のインタビューで名指し批判していますが、お笑い芸人の品川祐が撮った「ドロップ」は金属バットでどれだけ殴ろうが人は死にませんし、顔が変形することもありません。
こういったバイオレンスの描き方というのは、そのまま監督の暴力観が表れる部分です。
これも井筒監督本人が語っていることですが、彼は暴力が嫌いだから、暴力を嫌なこととして見せるために本作のリンチシーンを長くしたそうです。この思想は、それこそスピルバーグや北野映画における人殺しのシーンに共通しています。この思想自体はとても映画的であり、そしてとても作家性の表れる部分です。
では本作では実際にどうかといいますと、、、これが驚くほど軽~い暴力の描き方をしています。あのですね、井筒監督、言ってることが出来てないんですけど(苦笑)。
本作で暴力が振るわれるシーンは4カ所あります。ステージ上での殴り合い、食堂での鬼丸のかち込み、山中でのノボル組のリンチ、そして最後のアパートでの襲撃です。この4カ所できっちり暴力が描かれるかというと、これがまた全然描かれません。ステージ上では単に唇が赤くなるだけですし、食堂ではちょっとスネを蹴る位です。一番激しいはずの山中も、鬼丸なんてゴルフクラブで胸を何度も叩かれたあげく助走付のフルスイングで金属バットを2度も頭にたたき込まれて、物凄い量の血反吐を吐いているのに、2日後には松葉杖のみで笑顔でお礼参りを敢行します。そしてラストに至っては結果のみの描写でまったく仮定が描かれません。全っっっ然嫌悪感の湧く暴力描写が出来てないんです。むしろ変な格好付けも相まって、暴力が割と楽しそうに見えます。
さらにもっともどうかと思うのは、この暴力に対しての報いがあまり描かれないという部分です。別に勧善懲悪である必要は全くないのですが、映画で暴力を描く以上は、なにかしらそれの結果も描かれていないと話として成立しません。本作では、暴力の報いを受けるのは勇気だけで、他の人間はやり得です。鬼丸兄弟にいたっては、とっても楽しそうです(苦笑)。でもですね、それじゃダメなんですよ。それこそ「息もできない」のように、復讐した者が新たな復讐の標的にされ、さらにその被害者も暴力を振るうようになって、、、、というスパイラルを描くでも良いですし、「復仇」のように敵も味方も全員死んで虚無だけが残るのでも良いです。でも、なにかしら暴力に対して落とし前だけは付けて下さいよ。それをよりにもよって暴力を振るった方の事情を見せて何か美談的な方向に落とそうとする根性が気に入りません。勇気は人を殺したわけで、それがのうのうとバツ一子持ちの女とくっつこうって発想がそもそも腐ってます。だいいち、途中で勇気は警察に自首するような言動をしておきながら、次のシーンでは死体を焼いて証拠隠滅するように動いてるじゃないですか。それもたかが共犯者が飲酒運転で事故死しただけの理由でですよ。だからコイツは倫理的にも物語的にも死んで当然です。そこに叙情を挟もうとして変な設定を詰め込んでも本質は変わりません。
もしも勇気サイドをきっちり描くのであれば、それはキチンと彼なりの落とし前を見せるしかないんです。でも結局彼はウジウジ40分も尺を使って女々しくしているだけです。まったくのれません。
片や鬼丸サイドですが、これもとても雑です。あんなドチンピラで人を恐喝するようなヤツが、相手の待ち伏せ確実な場所に丸腰でノコノコ行きますかね? 山中で一方的にリンチされますが、実質一人だけで相手の指定場所に突っ込むような素人じゃないでしょう? まぁあれだけ痛めつけられても2日で戻ってくる位ですから、不死身力でもあって丸腰上等なのかも知れません(笑)。こちらサイドは暴力に説得力も痛みもありません。
本作で私がもっとも腹が立ったのは、ラストのしょうもない締めかたです。
結局、夢をあきらめろってことですか?
夢をすてて現実を見ろってことですか?
それとも、親のスネを囓れってことですか?
「おまえに俺の何が分かるんだよ!山梨に一度来てみろよ!」からの帰郷なんですが、そもそも両親は屋台で鯛焼き屋をやってるわけであって、彼が手伝っても売る上げが上がるわけでは無いわけで、食い扶持が増える分生活は厳しくなるんですよ。もし両親を思って帰郷するなら、故郷で就職してくださいよ。それか東京で就職して仕送りしてください。
いかにもハートウォーミングな雰囲気で落としていますが、これこそ井筒監督が随所で批判している「幼稚園のお遊戯会」的な日本映画のよくあるまとめ方ですよ。

【まとめ】

監督のやりたいことは多くのインタビューを通して伝わってくるんですが、それが作品に全く反映されていません。非常に困った作品となっています。演者に関しては、所詮は吉本芸人のお遊戯会なんであんまり文句を言う気も起きないんですが、監督にはそうじゃないっていう気概だけはあるようで、少々困惑しています(苦笑)。
おそらく井筒監督が言ってることの半分でもできていれば、現状の邦画では半分より上に行けると思います。なんにせよ名物監督の突っ込みどころ満載・ニヤニヤ映画なのは間違いありませんので、井筒監督のキャラが好きなかたは是非とも足をお運び下さい。前半のリンチまではさすがと思わせる内容だっただけに、リンチ以降の投げやりな迷走が残念でなりません。

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鉄男 THE BULLET MAN

鉄男 THE BULLET MAN

昨日の二本目は

鉄男 THE BULLET MAN」です。

評価:(60/100点) – 鉄男が自分探しって、、、。


【あらすじ】

アンソニーは目の前で”ヤツ”に息子を轢き殺されてしまう。怒り狂うアンソニーはやがて体の異変に気付く。口からオイルのようなものが漏れ、歯茎が鉄に変わっていたのだ。謎の組織からの襲撃を受けたアンソニーは「地下を調べろ」というメッセージを受け取り、実家の地下室へと潜る。するとそこには自分の出生の秘密が隠されていた、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> 息子が殺される。
 ※第1ターニングポイント ->アンソニーが 謎の組織の襲撃を受ける。
第2幕 -> 両親の秘密
 ※第2ターニングポイント ->”ヤツ”が勝負を仕掛ける。
第3幕 -> ”ヤツ”との決闘。


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【感想】

昨日の二本目は先週末公開の大本命、鬼才・塚本晋也の17年ぶりの「鉄男」続編です。皆さんは当然ご存じと思いますが、塚本監督は鉄男でインディカルトムービーの一時代を築き上げた大巨匠で、世界三大映画祭の1つ・ヴェネツィア国際映画祭で審査委員まで務めております。北野武が「HANA-BI」で金獅子賞を獲ったときに猛プッシュした張本人でもあります。
その塚本監督が自身のデビュー作でもあり代名詞でもある「鉄男」の続編を作るんですから、駆けつけるしかないわけです。しか~~~し、観客が少ない!!!! 日曜の夕方なのに3人ってどういうことですか!? あんまり一般受けする監督ではないんですが、にしても少なすぎます。

鉄男が、、、、あの鉄男が、、、、。

結論から言いますと、かなり (´・ω・`)ショボーンな出来です。といのも、事もあろうに鉄男が自分探しを始めてしまうんです。「鉄男」シリーズは元々勢い重視なところがありまして、その暴力的に格好良いカット割りと、ナンセンスすぎるアヴァンギャルドな設定・ストーリーが肝なんです。悪夢的といいますか、筋道立てて説明しようとすると妄言にしかならないような訳の分からない連なりが面白いんです。でも今回の「鉄男3」はあまりにも理路整然としています。見終わった後に映画秘宝のインタビューを読んだら、どうもハリウッド狙いで直しの入ったプロットだったようです。本作では、「アンソニーが何故鉄男なのか?」「”ヤツ”は何故アンソニーを付け狙うのか」というのがハッキリ言葉で説明されてしまいます。ですので、ミステリアスで気色の悪い感覚はかなり減じています。
構成にしてもいわゆるハリウッドスタイルになっていまして、中盤で全部言葉で説明してしまう場面ではやはり驚きと失望を隠せませんでした。あの「鉄男」が、、、「カルトムービー」の代表格のような「鉄男」が、、、「普通のハリウッドっぽい特撮アクション映画」になってる(涙)。
がっくし、、、、。
とはいえ、やはり鉄男だけあって、音響の使い方は大変すばらしいです。「爆圧体験」というキャッチコピーの通り、ちょっと耳鳴りするほどの音量で金属のこすれる音を観客に嫌がらせのごとく叩き付けてきます。

【まとめ】

音については、家ではどうしても環境を揃えづらい物です。本作のように、音響が重要となってくる、、、というか音環境以外に魅力が乏しい作品は、劇場で見ざるを得ません。
皆さんも是非、劇場へ足を運んで塚本ワールドを少しのぞいてみて下さい。本作公開による何よりの収穫は、遂に「鉄男」と「鉄男II」がDVDで発売されたことでした。過度な期待は禁物です。

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スナイパー:

スナイパー:

本日は渋谷で二本+短編一本を見てきました。

一本目は「スナイパー:(神鎗手)」です。

評価:(85/100点) – 燃える漢の狙撃戦!


【あらすじ】

腕を見込まれて香港警察狙撃部隊に引き抜かれたOJはフォン隊長の下で一人前の狙撃手になるための訓練を受けていた。彼の部隊にはかつて狙撃大会で四連覇を達成し唯一500mのピンショットを可能にした天才リン・ジンが居たが、彼は過失致死で服役中であった。そんな天才リン・ジンは四年の刑期を満了した後、マフィアに手を貸して警察達を次々と射殺していく。果たして四年前に何があったのか?そしてリン・ジンの目的は?
四年前の真相が明らかになったとき、フォン隊長、リン・ジン、OJの三人の天才達が激突する。

【三幕構成】

第1幕 -> OJの特訓。
 ※第1ターニングポイント -> タオの脱走。
第2幕 -> リン・ジンとOJとフォン隊長
 ※第2ターニングポイント -> タオの銀行強盗開始。
第3幕 -> リン・ジンの復讐


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【感想】

本日の一本目は香港映画の「スナイパー:」です。アクション映画といいますか香港ノワールといいますか、男臭~い熱血映画です。関東ではシネマ・アンジェリカでしか上映していませんが、その割にはあまりお客さんが入っていませんでした。正直もったいないです。めちゃくちゃ面白いですよ。
また、例によって以下はネタバレを多く含みますので、未見の方はご注意下さい。

本作の構造

さて、本作には三人の魅力的な男が登場します。香港映画界の宝にして近年では「ダークナイト」にも出ていた、そしてハメ撮り流出で休んでいたエディソン・チャン。ちなみに本作はお休みする前の最後の作品です。それに台湾の90年代を代表するアイドル歌手リッチー・レン。最後に中国の近年最高のアイドル・ホアン=シャオミン。このイケイケな3人が、ある意味歪んだ三人の男達を熱演します。でまぁ演技もさることながら、この三人のキャラの立て方が抜群に上手いです。
フォン隊長は、リン・ジンに射撃の腕が叶わず、出世レースでもリン・ジンに先を越されさらには妻がうつ病で自殺未遂までしてしまい自分の能力・境遇に強烈なコンプレックスを持っています。そのため、リン・ジンをハメてまで掴んだ狙撃隊長の座を唯一「自分がトップを張れる場所」として自己実現の場にしており、自分の言うことをあまり聞かないOJに対して激烈な反応を示します。
OJは父親がケチな雀荘の店番(=小者)だということに猛烈な不満を持っています。そしてその父親への反抗心から強烈なエリート意識があり、自分の能力に絶対的な自身を持っています。時には過信や傲慢とも取れる態度で独断専行も辞しません。
リン・ジンは孤高の天才肌で、人付き合いがよくないものの、その絶対的な射撃能力でいち早く出世していきます。しかし新婚早々に起きた銀行強盗事件でフォンの偽証により懲役刑を食らい、さらには八つ当たりをしてしまった妻は謝罪する間もなく事故死してしまいます。それ故にフォン隊長に対して恨みを募らせており、マフィアに手を貸してフォン隊長をおびき出し復讐を行います。
この三人をパッと見れば分かるように、明らかに悪であるリン・ジンが一番まともです。ともすればヒーローに描かれても可笑しく無いキャラクターなんです。っていうかセガールがやっても可笑しく無い(笑)。しかし本作ではあくまでも狙撃隊の新人・OJをメインとし、先輩二人の確執からくる決闘を描いていきます。パッと見ると善悪の二項対立みたいに見えかねないんですが、構造的にはOJのメンター(=師匠)はフォンでもありリン・ジンでもあるわけです。OJは、フォンから射撃の基本と心得を習い、リン・ジンからは独特の呼吸法とロングショットのコツを習います。だからこそ、本作のラストショットの意味が出てくるんです。新人のOJは、フォンとリン・ジン、それぞれの教えを受けて成長するんです。この描き方が抜群です。まるで熱血スポ根映画のようです。

【まとめ】

本作はもの凄く面白いんですが、でも実はあんまり書くことがありません(笑)。というのも、上記の三人のキャラクターを立てた時点でもうこの作品は”勝ってる”んです。しかもそこを取り巻く描写もアクションもほとんど完璧です。決して上品な作品ではありませんが、しかし男の子が大好きな要素は全てきっちり詰まっています。自宅が渋谷まで電車で一時間ぐらいの距離でしたら、十分に行って元は取れます。超オススメです。
強いて言えばちょっと画質が良くなかったんですが(というかデジタルノイズが乗ってました)、もしかしてDVDかBDでの上映だったんでしょうか? 何にせよ、ミニシアターとはいえこういう面白い作品をきっちり上映してもらえるのはありがたいことです。渋谷はミニシアターがいっぱいあって、本当に面白い街です。行くのはいつも裏通りばっかですけど(笑)。

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息もできない

息もできない

日曜日に渋谷のシネマライズで「息もできない」をみました。

評価:(90/100点) – 見てるだけでも本当に”息もできない”です。


【あらすじ】

ヤクザの下請けをして過ごすチンピラのサンフンは、ある日道端で勝ち気な女子高生・ヨニと出会う。一歩も引かない彼女に好意を感じたサンフンは、次第に甥っ子の遊び相手として、そして自身の話相手として、ヨニに心を開いていく。共に複雑な家庭環境を持っていたサンフンとヨニだったが、やがてヨニの弟ヨンジェがサンフンの部下になったことで運命が捻れていく、、、。


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【感想】

本日は、日曜日に見てきました「息もできない」です。公開から日が経ったこともあり感想はあらかたweb上に出そろっていますから、要点のみを書きたいと思います。
この作品は、暴力でしか自己表現が出来ないサンフンが、もがいて、嫌気がさして、感情を爆発させて、だけど女性によって少しポジティブになれて、けれど結局報いを受けるという、重たい話です。
作品内に出てくる人物で一般的な意味で幸せそうな人間は一人もいません。家庭内暴力もあり、娘を殺す親もあり、友人は殺され、親族が人殺しもやります。だけれども、ヨニとサンフンが一緒に居るときだけお互い馬鹿みたいにくだらない会話が出来るんです。そこでは家庭の事情や仕事の内容なんて関係無く、一対一の不器用で下品な言葉が飛び交う、けれども真に安心できる会話があります。
その一方で、なんと世界の殺伐としたことでしょうか。サンフンという男は報いを受けて当然の酷いことをやってきています。だけれども、その彼が本当に魅力的に描かれています。
作品内では、全員が奇妙にすれ違っていきます。「パレード」の時の話でも書きましたが、人間が全てをさらけ出して会話をすることはまずありません。必ず他人には言わない、他人には見えない部分があります。本作でも、そのすれ違いという部分が肝になってきます。各人が誰に対してどこを隠してどこをさらけ出すのか? それがおぼろげに見えたとき、この映画がとてつもない事を描ききっていることに気付くはずです。
それは暴力の連鎖であり、個々人の幸せの定義の仕方であり、そして感情の折り合いのつけ方です。
こんなとんでもない作品を単館にとどめるのはもってのほかだと思いますが、幸いにして今週末から拡大ロードショーらしいですので是非是非映画館でご鑑賞下さい。


なんか土日は「第9地区」「月に囚われた男」「息もできない」と良品3作しか見なかったので、ちょっと奇妙な罪悪感を感じています(笑)。アリスの前に自制も兼ねてあえて「ダーリンは外国人」を踏みに行こうかと思案してます、、、たぶん明日か明後日にでも。
あんまり良い映画ばっかり見てこれが当たり前になると良くないですから(笑)。
「良い映画を見て感動するには倍の糞映画を見よ!」というのがモットーですんで(苦笑)。

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