瞳の奥の秘密

瞳の奥の秘密

木曜は久々のレイトショーで

瞳の奥の秘密」を見てきました。

評価:(90/100点) – 傑作ロマン・サスペンス


【あらすじ】

検察官として活躍したベンハミン・エスポシトは定年を迎え、小説を書いて老後を過ごすことにした。彼が真っ先に書こうと思いついた題材は25年前に担当した婦女暴行殺人事件であった。彼はかつての上司にして才女イレーネ・メネンデス・ヘイスティングスを訪ね、書き連ねた文章を見せていく。それは愛と正義と政治の渦巻く悲しい物語だった、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> 婦女暴行殺人
 ※第1ターニングポイント -> エスポシトがリリアナ・コロトの写真アルバムを見る。
第2幕 -> イシドロ・ゴメスの捜索と結末
 ※第2ターニングポイント -> エシポストが事件を再捜査する。
第3幕 -> 解決編。


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【感想】

さて、8月はここまで全然映画が見られていないんですが、久々にレイトショーに行ってきました。タイトルはアルゼンチン映画「瞳の奥の秘密」。本年度のアカデミー賞外国語映画賞受賞作品です。完全な単館映画ということもあってか、かなりの観客が入っていました。

作品の概要

本作はミステリー仕立てのロマン映画です。定年を迎えたエスポシトが、自分の人生を振り返るようにかつて担当して完全解決に至らなかった殺人事件を回想していきます。そして事件は意外な方向に転がっていき、アルゼンチンの政治情勢とも絡んで大きな流れへと発展していきます。
一応本作を見る上で必要となるアルゼンチンの歴史をざっと復習しておきましょう。
本作の回想シーンの舞台となる1970年代後半のアルゼンチンは1976年のビデラ将軍の軍事クーデターに端を発する超極右的軍事政権のもとで極端な左翼狩りが行われていました。本作で登場するある男は、この左翼狩り要員として雇われることによって特赦を受けます。そしてこの時代のアルゼンチンは決定的に官の腐敗が進行しており、ほとんど何でもありの無法状態となっています。
本作の主人公であるエスポシトとイリーナは、そんな状況下でも職分を越えて正義を貫こうとします。彼らは無茶な捜査で犯罪まがいの事も行いますが、徹底的に善人として描かれます。そしてここに「身分違いの恋」による甘酸っぱい思い出がプラスされるわけです。エスポシトは正義感や道徳心が強く、特に女性に対してはかなりの奥手です。劇中でなんどもイリーナがサインを送りますが、このヘタレはまったく踏み込みません。その純情さが、やがて遺族の夫・モラレスの狂信的なまでの妻への愛に重なっていきます。そしてエスポシトとモラレスとの共感関係が、互いの人生を変えていきます。
本作はすべての要素が「愛憎」によって巻き起こります。さすが情熱のラテン系w 特にタイトルにもなっている瞳が本作では「外からでも心が見えてしまう場所」として大変重要な要素になっています。エスポシトは写真の中の視線でもって物証も無しに犯人のあたりを付けますし、イリーナはイシドロが取調中に自分の胸を凝視しているのを見て犯人だと確信します。そして判事は保身とプライドのために犯人と司法取引を行います。
その全てが、あるタイミングで一時停止し、そして人生の終わる直前に一斉に再始動します。全体的にはB級サスペンスな作りをしているんですが、その悲哀というかロマンスの部分が本作をとても素敵な作品に押し上げています。

【まとめ】

猟奇殺人が出ると点数が甘めになってしまうんですが(笑)、本作は大変よくできた”文芸作品”だと思います。話の内容がそこまであるわけではないですし、謎解きがどうこうという事でもありません。ただただエスポシトとイリーナにうっとりしながら、パブロで笑って、モラレスで涙する。そういう類の”良質な文芸作品”です。
で、なんでカッコつきで「文芸」というかと言いますと、正直面白い事は面白いんですが、すごくもったいない気もするんです。というのも、本作はやろうと思えばそれこそデヴィッド・フィンチャーの「ゾディアック(2007)」みたいな「傑作捜査チームもの」にも出来たはずなんです。でもそこはやはりラテン系なのか、どうしてもロマンスの方にどんどん寄っていってしまいます。だから、犯罪捜査物としてはあんまり出来が良くないんです。あくまでも文芸作品、もっといえば「毒にも薬にもならないけどなんとなくおしゃれな雰囲気にはなれる映画」としての良作です。
ですので、デートにはぴったりですし、夫婦で休日に見に行くにもぴったりです。
あくまでもアルゼンチンの政治闘争等を深く考えずに、さらっと良い雰囲気を楽しむのがオススメです。

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記事の評価
ぼくのエリ 200歳の少女

ぼくのエリ 200歳の少女

本日は一本です。

ぼくのエリ 200歳の少女」を見ました。

評価:(95/100点) – 珠玉の青春映画


【あらすじ】

いじめられっ子のオスカーはある日隣の部屋に引っ越してきた子と出会う。エリと名乗るミステリアスな少女に魅かれるオスカーは、やがて彼女の勧めに従いいじめに抵抗するようになる。一方その頃、町では奇妙な殺人事件が発生していた、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> エリとの出会い
 ※第1ターニングポイント -> エリがヨッケを襲う
第2幕 -> オスカーとエリ。
 ※第2ターニングポイント -> オスカーがエリが吸血鬼だと気付く。
第3幕 -> いじめの結末。


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【感想】

本日は「ぼくのエリ 200歳の少女」です。まだ全国で銀座テアトルシネマのみ公開ですので、完全に満席でした。完全に映画オタクで埋まっており、前評判の高さもあって凄いことになっています。スウェーデンでは2008年に公開された作品で、多くのファンタスティック映画祭で話題を攫っていました。2年掛かってようやく日本公開です。

はじめに

まず、私としては謝らなければいけません。今年の3月に「渇き」を見て「そんじょそこらのジャンルムービーでは太刀打ちできない」と書いてしまいましたが、「そんじょそこら」でないとんでも無い映画が来てしまいました。本作はラブストーリーでありながら怪奇映画でもあります。
ヴァンパイアのラブストーリーというと、どうしても「トワイライト・シリーズ」を思い浮かべてしまうかも知れません。たしかに「トワイライト」もヴァンパイアのラブストーリーでした。しかし、大変申し訳ないですが、本作とはかなりレベルに開きがあります。それは、ラブストーリーとしても、そしてヴァンパイアムービーとしてもです。本作ではヴァンパイアとしての負の部分をがっつりと描きます。決して恋愛の障壁としてのみ使っているわけではありません。そして生まれながらの魅力ある血とかいうご都合主義丸出しの設定もありません。本作の主人公・オスカーはなんの変哲もない少年です。いじめられっ子で、それに抵抗する勇気も無く、一人で夜な夜な憂さを晴らすようにエア抵抗をするような内気な少年です。その少年が、いつしかヴァンパイアの子と交流し、お互いにお互いが絶対必要な存在になっていくわけです。
本作の原題は「Lat den ratte komma in ( Let the Right One In / 正しき者を入れよ)」です。文字通り、オスカーは物理的にもそして心理的にも、エリを”正しき者”として受け入れていきます。この過程で、彼は彼女への共感と恋と拒絶を味わいます。それは決して一目惚れというレベルではなく、もはや分かち難いものとしての依存関係なわけです。

本作におけるヴァンパイア

本作において、エリは決して怪物としては描かれません。彼女は「血を吸い日光に弱い」という性質をもった一人の少女です。そしてホーカンという庇護者と共に生活しています。ホーカンはエリのために夜な夜な通り魔殺人を起こし、ポリタンクで血を収拾します。ある事件があってホーカンが居なくなってからも、彼女はむやみに人間を襲うことはしません。エリは無慈悲なモンスターではなく、あくまでも生きるために血を吸わなければならないという性質をもってしまっているだけです。それはまるで私たちが魚や肉でタンパク質を取らなければいけないように、彼女にとっては血を吸うことが必要なんです。
そして、彼女は人間以上の身体能力を持っていますが、決して万能なわけでもありません。特に「日光に当たると死んでしまう」という一種の虚弱体質でもあります。極端な話、彼女を殺そうと思えば昼間に部屋に忍び込んでカーテンを開けるだけで良いんです。そういった意味で、彼女は弱い存在でもあります。

オスカーとエリ

オスカーは徐々にエリを唯一の友人として、そして唯一の居場所として心の支えとしていきます。一方のエリも、彼女を怖がらずに話をしてくれる人間としてオスカーに魅かれていきます。本作で最もすばらしい所は、このエリとオスカーの交流が、文字通り性別を超えた心の繋がりになっていく点です。
そして、エリはいつまでも年を取らず、オスカーは年を取っていきます。これは穿ち過ぎかも知れませんが、彼らの行き着く先が、エリとホーカンに思えてなりません。ホーカンは冒頭ではエリの父親として登場します。しかし仕草や覚悟は親子と言うよりは恋人のそれです。明らかにホーカンはエリを愛しています。しかしその一方、エリはあまり愛情を表現しません。
彼女は数百年も12歳の姿で生き続けています。ですから、もしかしたらホーカンとも彼が子供時代に出会ったのかも知れませんし、オスカーも彼女にとっては数十人目の庇護者かも知れません。実際にはエリは生存本能としてホーカンの代わりにオスカーを必要としただけなのかも知れません。それでも、本作ではオスカーとエリの甘く重苦しい交流を情緒的に描ききります。まるでハッピーエンドのように描かれるラストの甘酸っぱいシーンにあってさえ、彼らには「血の調達」という困難がすぐに迫ってきます。オスカーはエリと一緒にいるためにこの先何十年も人を殺し続けなければいけません。でもそんな厳しい現実を見る直前の、まるで一瞬の休息のような彼らの希望溢れるラストシーンに、どうしても心揺さぶられざるをえません。

ショウゲートによる改変の問題

本作はオスカーとエリの依存関係の成立が肝になるわけですが、その際に重要な改変が配給会社により行われています。
劇中で何度も「私は女の子じゃないよ」というセリフが出てくるように、エリは男です。終盤エリの去勢根をオスカーが見てしまう場面もあります。これはオスカーとエリの愛情というのが完全に性別を超えた心理的関係であることを表しています。なんかヤオイ肯定派みたいな言い草ですがw
それを「ぼくのエリ 200歳の少女」とかいう変な邦題でエリが女性であるような先入観を与えたり、肝心の場面に修正を入れたりして普通の少年少女のラブストーリーのように誤解させようとしてる根性が気に入りません。エリが男で何が悪い。宣伝のために内容変えるとか最低の悪行です。

【まとめ】

すばらしい作品でした。ラブストーリーとしても、ヴァンパイアムービーとしても、何の文句もございません。ヴァンパイアムービーでここまで愛おしく実在感を持ったストーリーはなかなかありません。ホラームービーが苦手という方もご安心ください。ホラー要素はほとんどありません。それ以上に異種間恋愛としてとても良く出来ています。本当に惜しむらくはフィルム1本の4スクリーン順次興行という上映形態です。こんなに素晴らしく、こんなに話題の作品が小規模公開というのは映画文化にとって間違いなく損失です。
本作はハリウッドでのコピーリメイクが決まっており、10月に公開される予定です。もしかするとリメイク版がシネコン上映されかねない状況だったりするのが、非常に複雑な心境です。ですが、もし、もしお近くで上映がある方は是非とも足を運んでみてください。映画ファンであれば絶対に見ておくべき作品です。
文句なく、全力でオススメいたします!

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さんかく

さんかく

三本目は

さんかく」です。

評価:(95/100点) – ん~~~~ナイス。


【あらすじ】

釣具店で働くダメ人間の百瀬は、恋人の佳代と同棲している。ある日、佳代の妹が夏休みを利用して遊びに来ることになった。いつもは面倒そうに付き合っていた百瀬だったが、わがままで愛くるしい桃の姿に、やがて心を奪われていく、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> 桃がやってくる。
 ※第1ターニングポイント -> 桃が実家に帰る。
第2幕 -> 百瀬と佳代の破局
 ※第2ターニングポイント -> 佳代が実家に帰る。
第3幕 -> 百瀬の落とし前?


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【感想】

さて、先週末に見ましたのは、吉田恵輔監督の「さんかく」です。初日の舞台挨拶は混んでいたみたいですが、時間をはずしたのでそこまでの混雑ではありませんでした。とはいえ、6~7割ぐらいは入っていたでしょうか。上映館が少ないので、このぐらいの混雑は平均的だと思います。
吉田監督の大きな資質というのが、「中年のダメ男」が「無垢な(に見える)少女」に魅かれるという駄目なファンタジーを描く点にあります。それだけなら単なる平凡な監督なんですが、吉田監督の凄い点は、そのファンタジー自体に客観的なツッコミを入れられる点にあります。「そんな上手いこと行くわけないだろ!」という当たり前の視点が入ることで、そこに悲哀というか情緒というか、そういった微妙な「おとこ心」を重ねてくるわけです。
本作ではその視点はより一層強化されています。作品を重ねる毎にどんどんファム・ファタール (=妖婦/主人公を誘惑する女性) が低年齢化していっていますが、今回は遂に中学生(中の人は16歳)です。ご存じAKB48の小野さんなわけですが、日本人にありがちな「いい年なのに顔が子供っぽい」という童顔に加えて、ちょっと肉付きが良いところがファム・ファタールにばっちりです。仲里依紗的というか、「こいつ素は黒いんだろうな」と思える感じの雰囲気が大変素晴らしいです。その桃に勝手に振り回される百瀬役の高岡蒼甫さんも実在感ばっちりの「ウザイ不良あがり」感が大変すばらしいです。まぁ宮崎あおいがらみでドス黒い背景ばっかり浮かび上がる高岡さんですが、こういった小者の役には本当にばっちりです。
本作の大変良いところは、はっきりとバカな百瀬と中盤に変貌を遂げる佳代との「似たもの同士」な二人が、どうしようもなく阿呆な衝動でお互い猛烈な勢いですれ違いつつ、でも結局最後はお互いしかいないという閉じた世界のラブストーリーをブラックコメディタッチで描いてくる点です。他の人には相手にされない人間達が、失敗しまくりながらも結局すれ違ったりくっついたりする感じが大変愛くるしいです。
高岡さんも小野さんも決して演技が上手いわけではないんです。でも、なんか強烈な現実感を持っているんです。「こういうの居る居る」っていう感覚。それが急にエスカレートしていきつつ、、、というところが本作の肝であり最高の盛り上がりを見せていきます。
上映館は少ないですが、必見の作品だと思います。絶対に損はしません。
余談ですが、AKB48云々という部分は単なると宣伝材料であって、作品自体はアイドル映画でもなんでもありませんので、その辺に抵抗を感じる方もご安心下さい。
面白いラブコメ映画として最高クラスの出来だと思います。

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ラスト・ソング

ラスト・ソング

本日は二本です。
一本目は

マイリー・サイラスの「ラスト・ソング」を見てきました。

評価:(50/100点) – 良くも悪くも普通のアイドル映画


【あらすじ】

ロニーは弟と共に夏休みを利用して離婚した父に会いにやってきた。多感な反抗期を迎えるロニーはすぐに地元のヤンキー娘と親しくなり、ほとんど家には戻らない。やがてロニーは知り合ったウィルと恋仲になっていくが、彼は父の起こした教会火事に関与していた、、、。


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【感想】

本日の1本目は「ラスト・ソング」です。主演は「ハンナ・モンタナ」でお馴染みのマイリー・サイラス、、、なんですが、なんといいましょうか、、、、栄養満点というか、、、成長したというか、、、太ったふくよかになりました。
話としてはなんてことはありませんで、要は「一夏の思い出に、金持ちでナイーブだけど押しの強い理想のイケメンに言い寄られちゃってどうしよう」という身も蓋もない言い方をすればマイリーを可愛く撮るためだけの薄~~~いアイドル映画です(笑)。劇中のイベントというのも本当にくだらないどうでもいいことばかりなので、別に貶す気も起きません。水族館でデートとか、彼氏の親にちょっと変な子って思われたけど彼がフォローしてくれて超ハッピーとか、まるで「女子向けギャルゲー(?)」のように直接繋がらない単発イベントの連続なので、成長とかそういうストーリーも特にありません。
原作は未読なんですが、公式HPを見る限りだと原作も主演マイリーを想定して書いたライトノベルみたいです。ですから、はっきり言えばマイリー・サイラスさえ可愛く撮れていればそれで目的達成というか十分なんです。
ところがですね、、、、肝心のマイリーが、、、、いや、仕草は可愛いんだけど、、、太った栄養とりすぎというかむくんでるはち切れんばかりの若さというか、、、、まぁ微妙なんですわ、正直(苦笑)。
余談ですが、あまりにもゴシップネタが多すぎて、あんまりマイリーを清純派女優で売るのは無理なんじゃないかと思います。
やっぱり白人の子役って劣化が凄いなと改めて思いました。そういった意味でも、ダコタ・ファニングは半端じゃないです。

【まとめ】

劇場にもほとんど人が入っていませんでしたので改めて言わんでも大丈夫だと思いますが、本作はマイリー・サイラスを見るためだけの映画です。もちろん、イケメンの王子様を見に若い女性が、、、という「花より男子」的な見方も可能でしょうが、もしそれを期待して見に行くと、マイリーの自己主張が強すぎて相当反感を抱くと思います。
完全にマイリーのためだけのアイドル映画ですので、マイリーのファンに限って大プッシュいたします!!!
ちょっと7月11日から始まる「ハンナ・モンタナ シーズン4」が不安になってきました(笑)。

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パーマネント野ばら

パーマネント野ばら

昨日見ましたのは

「パーマネント野ばら」です

評価:(80/100点) – クライマックスが不満だが、上質な雰囲気映画。


【あらすじ】

なおこはバツ一子持ちで故郷の宿毛に戻ってきた。母の「パーマネント野ばら」を手伝いながら、恋人のカシマや親友のみっちゃん・ともちゃん達と日々を過ごしていく、、、。


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【感想】

さて、昨日見てきましたのは、「パーマネント野ばら」です。観客は6名、雨の日のレイトショーにしては入っている方だと思います。気になって数えたら、本作が今年100本目の映画でした。節目の100本目が面白い映画でちょっとホっとしています(笑)。
本作は、一言でいってしまえば「閉じた田舎の社会で悲惨ながらも逞しく生きる女性達」を描いた映画です。本作には数えるほどしか男性が映りません。それも各キャラの父親と旦那ばかりで、なおこの恋人・カシマ以外は揃いも揃ってダメ人間です(笑)。そういった意味では、昨年映画化されました「女の子ものがたり」とほとんど同じ内容です。しかし、吉田大八という「アクの強さ」によって、本作は特殊な多幸感に包まれています。

今作に出てくるメインの三人、菅野美穂・小池栄子・池脇千鶴は揃ってすばらしい演技を見せてくれます。そしてみっちゃん・ともちゃんの超悲惨な現実をポジティブに見せてくれます。本作はある意味では吉田大八の大きな特徴--キ○ガイを特別視せずに描くことで歪んでるのに幸せな世界を描くという資質に適しています。フィルム内の世界そのものが躁状態と言いましょうか、何があってもオールOKな感じがとてもドラッギーで私は大好きです(笑)。

冷静に考えると、話として変だったり適当だったりする箇所は多々あります。例えば、みっちゃん・ともちゃんは悲惨な人生を逞しく生きているにも関わらず、実は主役のなおこは言うほど悲惨ではありません。途中で別れた旦那が出てきますが、子供も懐いていますし、フィルム上は礼儀正しい男性に見えます。っていうかフィルムを見る限りだと離婚の原因がなおこにあるんじゃないかと思えてなりません。少なくとも、離婚のショックでおかしくなったようには見えません。そしてラストの描写でどうも彼女がイかれたのはかなり昔だということが分かります。

実は原作未読で映画を見たんですが、どうもこの辺りって原作から設定を変えているようなんですね。映画の描き方ですと、ストーリーがなおこの独りよがりに思えてきてしまいます。なので、思い切って、ラストの出オチはあえて見せなくても良かったのではと思います。あそこを具体的に描写してしまうと、単に過去を引きずっているように見えてしまうんです。話の趣旨としては「別に本人が幸せならなんだっていいんじゃないの?」っていう方向なのですから、やはりその点はあくまでも具体的なエピソードではなくボカして欲しかったです。

【まとめ】

クライマックスに不満が一杯なんですが全体としてはとても良く出来た面白い作品だと思います。悲惨なのにどこかホンワカするというか、とっても満腹感のある作品でした。何にせよ、もっとお客さんが入ってもいいと思える良作ですので、是非お近くに上映館がある方は劇場へ足をお運びください。
だいぶ飛び道具な作品ではありますが、こういうのはツボです。原作も読んでみようかと思います。
余談ですが、吉田大八で言えば、去年の「クヒオ大佐」は全然ダメでしたが、「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」は大好きでいまでもちょくちょく見返しています。もしよろしければ、レンタルDVDででもご覧になってみてください。変な作品ばっかり撮る監督です(笑)。

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ドン・ジョヴァンニ~天才劇作家とモーツァルトの出会い~

ドン・ジョヴァンニ~天才劇作家とモーツァルトの出会い~

昨日は

「ドン・ジョヴァンニ~天才劇作家とモーツァルトの出会い~」を見ました。

評価:(80/100点) – 雰囲気満点のイケメン・アイドル映画


【あらすじ】

ロレンツォはユダヤ教徒であったが、教会でダンテの「神曲」の挿絵にあるベアトリーチェに魅了されカトリックに改宗する。それから数年、成人して神父として働くロレンツォは、しかしその煽動的で前衛的な詩が異端審問会で問題視され、国外追放処分を受けてしまう。彼は師であるカサノヴァの紹介でウィーンのサリエリの元を頼る。その道中、彼は同じイタリア系のモーツァルトと出会う。やがてサリエリの紹介で神聖ローマ帝国皇帝の後ろ盾を受けたロレンツォは、「フィガロの結婚」を作詞、モーツァルトとのコンビで成功させる。そして満を持してロレンツォの悲願である「ドン・ジョバンニ」の制作をモーツァルトに持ちかける、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> ロレンツォのヴェネツィアでの生活
 ※第1ターニングポイント -> ロレンツォが国外追放される。
第2幕 -> ロレンツォとモーツァルト
 ※第2ターニングポイント -> ロレンツォがアンネッタと再会する
第3幕 -> 「ドン・ジョバンニ」の完成。


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【感想】

日曜日は「ドン・ジョヴァンニ~天才劇作家とモーツァルトの出会い~」を見てきました。銀座テアトルシネマで見ましたが、入りは3~4割強で、中年のおばさんとクラシック好きっぽい若い女性1人で見に来ている方が多かったように思えます。
それもそのはず。現在関東で上映しているのが「Bunkamuraル・シネマ」と「銀座テアトルシネマ」のみと完全に「オサレ映画」シフトです。男でいうならば「シアターN」単館とか「新宿シネマート」単館ってとこでしょうか?(苦笑)
本作は巨匠カルロス・サウラ監督の新作ですからそりゃ映画好きなら見ざるを得ないわけですが、、、にしても映画オタクっぽい観客は私以外皆無(笑)。
本気で化粧臭い劇場は久しぶりでちょっと気分が悪くなりました(笑)。「グッド・バッド・ウィアード」の韓流オバさん軍団以来かも、、、。

雰囲気作りの妙

さて、本作を語ろうと思うと真っ先に出さなければいけないのが、その雰囲気作りの巧さです。なにせロレンツォとモーツァルトが優男のイケメンっていうのもありますが、それ以上に背景の作り方が非常に独特です。というのも、いわゆる「書き割り」「緞帳」の要領で、平たい壁に絵を描いて背景にしてくるんです。一番目立つのは、ロレンツォが雪の中で放心状態で町中を歩くシーンと、カサノヴァの図書室です。全ての背景が平面的な壁に絵画として描かれており、それが写りの角度で微妙に立体的に錯視してくるんです。
さらに背景以外でも、静止した人々の中へロレンツォやアンネッタが入っていくと急に動き始めるシーンなぞは非常に幻想的な雰囲気を作っています。
要はこれらの演出をすることで、「絵画が動いている」ような感覚を表現しているんです。この表現は本当に見事で、きらびやかな衣装と相まって本作の雰囲気作りに多いに貢献しています。

ストーリーライン

そして、本作のストーリーもこれまた良く出来ています。
放蕩者のロレンツォは、アンネッタを食事に誘って口説くシーンで完全に最低な遊び人っぷりを観客に見せてきます。フェラレーゼという彼女が居るくせにアンネッタを情熱的に口説くのです。しかもそこをフェラレーゼに見られているわけですが、その言い訳がまた女々しいこと女々しいこと(笑)。本当最低。でもだからこそ、真剣に恋をしたアンネッタを思うあまり、どんどんジョバンニ(←ギャグじゃないよ。無いよ、、、たぶん。)に自己投影していくロレンツォがとても魅力的なダメ人間に見えるわけです。さらには、彼が遂に改心して遊び人から情熱の人に転身すると、その決意として遊び人たるドン・ジョバンニは地獄に堕ちざるを得なくなります。そこにさらに絡まってくる「もう一人のジョバンニ」としてのカサノヴァの存在。史実を活かしながらもかなり自由にアレンジして、物語にしていく所はきっちり創作する手腕はお見事の一言に尽きます。
ロレンツォにとって「過去の自分」であるドン・ジョバンニが地獄に堕ちて決別することで、彼は真の意味で改心し、愛の人に生まれ変わります。
一方、モーツァルトも「貧乏で変わりものだが良い人」というギミックを上手く活かした描かれ方をしていきます。記号のように逆立った白髪を振り乱す奇人のモーツァルトは、十分に魅力的な人間像です。仕事として作曲を続ける合間に金持ち令嬢のレッスンまでこなす妻思いのモーツァルトは、まさしく清貧の人であり、人徳の理想を体現するような好人物としてロレンツォと対比されます。

【まとめ】

決定的に価値観が違う者同士が少し疎ましく思いながらもやがて友情を結んでいく姿は、一種の青春映画やバディムービーのようですらあります。劇中劇としてのオペラ「ドン・ジョバンニ」がかなり長いのがズルい気もしますが、万人にオススメ出来る良い映画でした。
サリエリとモーツァルトの関係や「ドン・ジョバンニ」や「フィガロの結婚」の位置付けは語ってくれませんから、その辺りは事前に調べるなり見るなりしておいたほうが良いかもしれません。
基礎教養を要求してくるあたりもちょっとオシャレ映画っぽくて嫌な感じです(笑)。
順次拡大ロードショーですので、お近くで上映がある方は是非劇場で見てみて下さい。劇場の大音響で聴くドン・ジョバンニは最高です。オススメです。

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半分の月がのぼる空

半分の月がのぼる空

今日は

半分の月がのぼる空」です。

評価:(100/100点) - 単なるお涙頂戴では無い、難病ものの大傑作。


【あらすじ】

裕一は肝炎で入院している。ある日夜中に抜け出した罰として、看護婦の亜希子から一人の少女・里香の友達になるよう頼まれる。しぶしぶ了承した裕一だったが、次第に彼女に魅かれていく。彼女は心臓に穴が開く重病で病院を転々としており、生きる希望を失っていた。
一方、元心臓外科医の夏目はかつて妻を助けられなかったことに絶望し内科に転属していた。彼の元に院長から直接、心臓に穴の開いた少女の手術を行うよう依頼が来る。自身の体力を理由にこれを固辞する夏目だったが、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> 裕一と里香の出会い。
 ※第1ターニングポイント -> 砲台山での告白。
第2幕 -> 裕一と里香の恋愛。
 ※第2ターニングポイント -> 裕一の退院。
第3幕 -> 終幕。


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【感想】

本日の1本目は「半分の月がのぼる空」です。まったく前知識を入れずに見に行ったので、ラノベの原作やアニメの存在はまったく知りませんでした。見終わってwebを見た限りだと原作ファンにはあまり好評では無いようですが、私は大傑作だと思います。
このブログでは去年の10月終わりから5ヶ月で104本の映画について色々書いてきました。その中で満点を付けたのはたったの1本、サム・ライミ監督の「スペル」のみです。今、私は再び満点をつけるに値する作品を紹介できる喜びを噛みしめつつ、そしてどこまでネタバレしていいのか怯えつつ(笑)、この大傑作を紹介させていただきます。断言しますが、「難病もの」というジャンルの中で本作を越える作品はしばらく期待できないでしょう。
文句なしの大傑作です。

作品のストーリーとテーマについて

本作はボンクラな高校生の裕一と、難病と闘うツンデレ美少女・里香の出会いから始まります。余談ですが、この”ツンデレ”という要素が非常に類型的な描かれ方をしているため、最初は正直ちょっとオタク臭い作品に見えました(←ラノベなんで仕方ないんですけどね)。里香は冷たい態度で裕一をパシリとして使い倒します。ある日、友達からの「好きな女の頼みなら何でも聞いてやれ」というアドバイスを真に受け、裕一は夜の病院を抜け出して里香を砲台山に連れて行きます。そこでの里香の独白と裕一からの告白を機に、二人の中は急接近、見ているこっちがニヤニヤしっぱなしになるような甘酸っぱい青春恋愛模様が展開されます。そしてここから「ツンデレ少女」と「難病もの」というアクの強いストーリーが、完全に類型的な形で展開していきます。はっきり言ってベタベタすぎる展開でちょっと中だるみしますが、忽那汐里のアイドルパワーで物語を持たせます。そして、第二幕の終了と同時に物語はあり得ない方向に急展開し、観客の目の前に本作の真のストーリーが放り出されます。
このストーリーが見えた途端、本作の脚本構成のあまりの見事さが浮き彫りになります。
私はこの瞬間、夏目がアパートである行動をする瞬間から、約20分間泣きっぱなしでした(笑)。仕方ねぇ~じゃんかよ!!!(逆ギレ)。こんなもん見せられたら泣くわ、普通(怒)。
ネタバレぎりぎりですが、本作は「絶望に沈む男が、亡き妻との思い出を胸に秘めて復活を果たす」話です。
おじさんはもうすぐ30歳なのでこういうのに弱いんですよ、、、。

演出と脚本の妙

開始してすぐに、私は画面のあまりのフィルムグレインの多さにちょっとびっくりしました。特に屋上で裕一と里香が初めて会うシーンや夕方のシーンは空がちょっとモアレを起こすほどのフィルムグレインの量です。そして、忽那さんの顔の輪郭がぼやけるほどソフトフォーカスを掛けています。ところが、ある場面以降、このソフトフォーカスが取れてフィルムグレインも減り、かなりシャープな画作りに変わります。観た方には分かると思いますが、コレが本作の叙述トリックを演出面からサポートしています。
そしてなんと言っても脚本面では2つのエピソードです。
1つは当然、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」です。「銀河鉄道の夜」は最初は里香と里香の母との関係性を象徴する物でした。それが段々と里香と裕一をつなぐ絆の象徴になっていきます。そして終盤、ついに裕一と里香との絆そのものに変わるわけです。この展開は本当に素晴らしいです。これこそが正しい伏線の張り方です。
もう1つは、夏目と裕一の関係性です。裕一は、院長が「体力的にもう長時間の手術は出来ない」という理由で里香の手術を断ったことで、離ればなれになる危機を迎えます。一方の夏目は、「精神的に手術はもう出来ない」という理由で手術を固辞します。この二つの境遇がシンクロした瞬間、彼らの目の前に真実が浮かび上がってきます。要はこのエピソードに気付いた時、夏目が自身を見つめ直すきっかけになるわけです。この構成は絶妙です。

子供の頃に嫌だった大人に自分自身がなってしまった事に気付いた瞬間、夏目は絶望から立ち上がる決意をするわけです。そしてかつての自分が一番必要とした大人になるために、思い出の場所で亡き妻に謝罪をします。先に進まないと行けないから悲しむのはこれ限りにする、ゴメンと。忘れるわけじゃないけど、自分は必要とされているからやらなくちゃと。

号泣に決まってるでしょうが!!!(笑)
しかもですね、本作はお涙頂戴ばかりではなくきちんとギャグも挟んでくるんです。文化祭の演劇なんてシチュエーションコメディとして面白いですし、悪友と部屋に集まって彼女自慢したり馬鹿話したりするのも凄く懐かしくって微笑ましいです。学生で時間もてあましてる時ってあんな感じです。
あと、これは少し余談ですが、忽那さんの顔にきちんとニキビの化粧(?)をしていた(orニキビを化粧で隠さなかった)のは正解だと思います。10代の上にロクに風呂も入れない入院患者なんですから、顔は多少不潔なんですよ。この辺りをきちんと描いているのは素晴らしいと思います。

【まとめ】

本作はあまりに第二ターニングポイントでの叙述トリックが凄すぎて、そこだけで全部持って行かれてしまうような部分があります。しかし、第二幕までの難病もの青春恋愛映画という部分も本当に良く出来ています。なにせ「甘酸っぱさ」のツボがよくわかっていますし、病気を小道具ではなく場面転換のリミッターとして描いています。青春映画では絶対必要な若い男女が力の限り走り回る描写ももちろんあります。青春映画としても、恋愛映画としても、そして男の復活劇としても、文句の無い完璧な出来です。
自信をもってオススメします。
劇場に行ってきんさい!!!必見やろ!!!

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噂のモーガン夫妻

噂のモーガン夫妻

今日は会社帰りに

「噂のモーガン夫妻」をレイトで見てきました。。

評価:(45/100点) – 潔い割り切り。ラブコメして何が悪い!


【あらすじ】

メリー・モーガンとポール・モーガンは、ポールの浮気が原因で別居していた。ある日仲直りしたいポールはメリーをディナーに誘う。その帰り道で両名はたまたま殺人現場を目撃し、犯人に狙われてしまう。二人は証人保護プログラムを適用されワイオミングのド田舎町・レイで一週間を一緒に過ごすことになる、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> モーガン夫妻の別居状態
 ※第1ターニングポイント -> モーガン夫妻がワイオミングに着く
第2幕 -> ワイオミングでの日々
 ※第2ターニングポイント -> 夫婦の仲直り
第3幕 -> 殺人事件の結末


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【感想】

本日は「噂のモーガン夫妻」です。カップルが数組入っていたぐらいですので、標準的な入りではないでしょうか。
本作については正直あまり書くことがありません。というのも物語がスッカスカだからです。冒頭で起きる殺人事件も結局は「夫婦がいやいやでも一緒に居ないといけなくなる」という効果のみを狙ったものですし、それ以外は別になんにも起きません喧嘩していた筈の夫婦が、田舎の自然に触れて癒されていくうちに素直になって仲直りするっていうだけです。殺人事件だってツッコむ気もおきないくらい適当な設定で、ラブコメの小道具以上の事には使われていませんから。
ヒュー・グラントは相変わらずダメ人間が超似合いますし、サラ・ジェシカ・パーカーも年の割には青春まっただ中に見えます。でも本当にそれだけです。結局、2人の痴話げんかを延々と80分近く見るだけです。俳優力が素晴らしいので見ている間は全然問題無く見られるんですが、面白いってほど面白くもないし、けなすほどつまらないラブコメでもないので、まぁ時間つぶしにカップルで入るならいいのかなってぐらいの感覚です。
私の中では完全に「どうでもいい映画」枠でした。
予告はもっと面白そうだったんですけどね、、、。
ちなみに同じ「浮気と夫婦」を描くにしても「スイートリトルライズ」よりも数段上の綺麗な回収を見せてくれますので、何の問題もない標準的なラブコメなのでは無いでしょうか?
別に見なくて良かったかも、、、。

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