HELLO WORLD

HELLO WORLD

久々の一本はこのアニメ映画

「HELLO WORLD」です。

評価:(85/100点) – これがセカイ系リバイバルへの最終回答だ!


【あらすじ】

本が大好きで内気な高校生・堅書直実は、ある日不思議なカラスと出会い、さらにそのカラスを追いかけた先で不思議な白服の男が突如空間から出てくるのを目撃する。男は未来の直実だと名乗り、この世界は作り物だと語る。そして不遇の事故により亡くなった恋人を、せめて作り物の世界でだけでも幸せにしたいとして直実に協力を強いる。かくして直実は、「同じ図書委員の一行瑠璃さんを口説きつつ来たるべき事故から命を救うという」という無茶なミッションを遂行することになった

【三幕構成】

第1幕 -> 直実とナオミの出会い
※第1ターニングポイント -> ナオミからミッションを言い渡される
第2幕 -> 直実の恋と夏祭り
※第2ターニングポイント -> 一行さんが連れ去られる
第3幕 -> 一行さん奪還大作戦


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【感想】

さてさて、大変ご無沙汰しております。きゅうべいです。たしかバットマンvsスーパーマンの時に「ブログを書くモチベーションは面白い映画が埋もれるのが嫌だから」的な話を書いたと思います。いま、まさにそんなテンションです。私がなんの変哲もない新海フォロワー風のセカイ系映画(失礼)をわざわざ書くのは、つまりそういうことなんですね。いま滅茶苦茶にテンションが上がってます。

なんでこんな面白い映画がコケるんだ!(※まだ公開3日目でコケたか知りませんが(笑))

この映画、はっきり言って宣伝というかルックがあまりにも微妙です。予告でもなんかマネキンみたいなキモいCGキャラがミニョミニョ動いてますし。でもですね、これマジで面白い。ほんと見た目で損してます。
この映画は一言で言うと「SFオタクがロマンスSFというジャンル映画を全力で作って、大量のエッセンスをぶち込みまくったお祭りのような映画」です。

この楽しさをぜひ見て体感してほしいですし、あわよくば、過去の名作ジャンル映画たちをガンガン見直してほしいです(笑)。

そんなわけで早速本題に行きます。

例によってここから先は多大なるネタバレと私の脳汁垂れまくりな妄想のオンパレードです。まだ見ていない方、正解を知っている関係者ならびに監督・脚本家の方はお気をつけください(笑)。

はじめに

いきなり確信から突きますが、本作はスパコンの中のバーチャル世界が舞台の映画です。そしてそれは一幕目ではっきりと明示されます。まぁそれが厳密には嘘だというのがこの映画の肝なんですが、そこを語るのは後にとっておきましょう。

本作はバーチャル世界の住人「堅書直実(かたがきなおみ)」を主人公にして、上位世界からやってきた未来の自分「カタガキナオミ」から与えられるミッションをこなすという構造になっています。

例えばマイケル・ベイの「アイランド(2005)」とか、ジョン・カーペンターの「ザ・ウォード 監禁病棟(2011)」とか、不朽の名作トロン(1982)とか、あとやっぱ最近だとドラマの「ウェスト・ワールド(2016)」なんかも浮かびますよね。作中でも最後の方でオマージュしていますが、「ミッション8ミニッツ(2011)」や「バニラ・スカイ(2001)」「オープン・ユア・アイズ(1997)」なんかも想起されます。

ただし、本作の主人公・堅書くんは上記名作たちで繰り返し語られてきた「バーチャル世界の住人としての葛藤」には全く陥りません。というか悩みすらしません(笑)。「おれプログラムなの?あ、そ。ほんで?」ってなもんです。その辺は尺の関係でしょう(笑)。そんな堅書くんが運命の相手・一行さんと恋に落ち、そして彼女のために上位概念たちを敵に回して戦うという大変セカイ系ど真ん中なストーリーが繰り広げられます。

セカイ系では世界を揺るがす大事件に際して「世界のすべてを敵に回しても君が好きだ!」と己の欲望に忠実に突っ走るのが王道です。

そう言った意味で本作は紛れもないセカイ系であり、「君の名は。(2016)」から始まった90年代セカイ系リバイバルのフォロワー作品の1つです。

とまぁこう書くと別に対して面白くなさそうなんですが(笑)、この作品の素晴らしいところはこのセカイ系の構造そのものを踏み台にしたところです。

バーチャルワールドで繰り広げられるセカイ系の果てに!

皆さん、「脱構築」って好きですよね(笑)?私はもう「脱構築」が好きすぎて「脱構築」って書かれた額を見ながら白飯3杯はイケます。

私、この映画がやりたかったことはまさにこの「セカイ系の脱構築」だと思うんですね。現在も公開中の「天気の子(2019)」がセカイ系そのものを再現したリバイバルであるならば、本作はそのセカイ系の向こう側、つまりポスト「セカイ系」的なところを狙った意欲作です。

本作のキーワードを無理やり1つに絞るならば、「リープ・オブ・フェイス」だと思います。これは理屈ではなく信念や信仰(※ときには愛)のために危険を顧みず飛び込むことを言います。多重バーチャル作品ではよくネタとして使われています。

例えばクリストファー・ノーランの「インセプション(2010)」ではマリオン・コティヤール扮する主人公の奥さんが「今いるのは夢の中だ。飛び降りれば目が覚めるはずだ」と言って飛び降り自殺を誘ってきますし、前述の「バニラ・スカイ」では主人公がこの世は夢だと確信して現実に戻るために高層ビルの屋上からダイブします。これはつまり、理性がどう判断したとしても信仰・信念のために飛び降りられるかってことなんですね。

本作では最後に主人公がバーチャル世界=夢から現実に戻るんですが、そのトリガーは「器(現実で起きたこと)と中身(バーチャルワールドで成長した精神)の同調」だと劇中で2度も説明されます。

そして作品を通して見ると、この直実のトリガーは「一行さんのために自分が犠牲になること」だとわかります。

物語の全容

本作のバーチャルワールドはザック・スナイダーの「サッカーパンチ/エンジェル ウォーズ(2011)」と同じアレンジをしています。すなわち「現実に起きたことが微妙に違う形で夢の中でも起こる」という法則ですね。

本作の舞台は遠い未来、おそらく2040年とかその辺りです。高校生の時に主人公・堅書直実は恋人の一行瑠璃を落雷から庇って(※そして恐らく背中に落雷を受けて)昏睡状態に陥ってしまいます。一行瑠璃は堅書を救うために昏睡で失われた精神をシミュレーションで再現して本物の肉体に「精神移植」することを思いつきます。そしてそのために、何十年もかけてバーチャルシミュレーションを作り、その中で堅書を育てようとします。彼女は「愛する恋人(=っていうか自分)のために命を投げ出す堅書君」を再現するために、バーチャルシミュレーション内でセカイ系のシナリオを展開し、そこにカラスの姿をしたガイドとして介入していきます。めでたく完全調教(苦笑)が完了して理想の堅書君が育て終わり、ついにラストで器と中身が同調してレプリカ堅書君が現世に受肉・復活します。めでたしめでたし。

一行さん怖いよ、、、(笑)。自分のために命を投げ出す恋人を作り上げるとか、この女、ヤベェやつやんけ、、、。
倫理的に言えばこれって「ペットが死んじゃったんでクローンペットを作ってまた一から飼いなおしました」みたいな話ですからね(笑)。宮崎駿が見たら「命への冒涜だ!」って言ってブチ切れしそうな案件です。SFではよくあるネタなんですけれども。

これが身も蓋もない本作の内容です(笑)。

セカイ系リバイバルへの回答

以上のことを踏まえると、この映画は「セカイ系」というジャンル自体を劇中劇として消化して、その上に伝統的な「ピグマリオンもの」を被せた意欲作だとわかります。

一応補足しときますと、ピグマリオンものってのはギリシャ神話の「ピグマリオン」を原型とした一連のジャンルでして、古くは紫式部の「源氏物語(1008)」、最近だとヴィリエ・ド・リラダン「未来のイヴ(1886)」とか、メアリー・シェリーの「フランケンシュタイン(1818)」とか、その辺のシリーズです。要は主人公が理想的な恋人や友達を育成したり創るために奮闘するっていう話です。「プリティ・ウーマン(1990)」とかね。

つまりこの映画はガラパゴス全力で日本国内で消化されてきたセカイ系というジャンルを、もう一段一般化して上に上げようとしてる実験作なわけです。

これはぜひ成功してほしいですね。個人的には完全にエヴァンゲリオン直撃世代としてセカイ系に思い入れがあるってのと同時に、その後の萌えアニメの氾濫とか一連のアイドル声優ブームとそのライブ商売の横行とか、いろいろ思うところがあります(笑)。

オタクっぽい事を言いますと、2000年代に萌えアニメ達が大増殖するなかでB級SFアニメで孤軍奮闘していたゴンゾの残党軍・グラフィニカがこれをやったってのが多いに意味があると思っています。

【まとめ】

取り留めもなくなってきたのでまとめます。

本作は「君の名は。」から始まったセカイ系リバイバルへの最終回答と言って良いかと思います。

「みんなセカイ系好きだよね?でもね、ちゃんとしたSFもいいもんだぞ!」ってな具合です。

たしかに本作はリピートしたくなる魅力に溢れています。私も多分あと2-3回は見ます。万人に受けるかって言われると自信がないですが、少なくとも「天気の子」を見た人にはこっちも見てほしいですね。ある意味「新旧そろい踏み」というか、昔ながらのセカイ系に対するポスト・セカイ系って感じのいい作品です。

劇場でかかっているうちに是非!

10月4日から今年の最注目作「ジョーカー」と「ジョン・ウィック チャプター3 パラベラム」が始まりますからね。大きなスクリーンで観れるのは今だけだと思います(笑)。

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記事の評価
モアナと伝説の海

モアナと伝説の海

週末はディズニーアニメ最新作

「モアナと伝説の海」を見てきました。

評価:(75/100点) – ザ・ロックの魅力で持たせる120分


【あらすじ】

かつて女神テフティは世界を作った。その強大な力を手に入れようとする邪悪な者達はテフティの心を狙い闘争を続けていた。そしてある時、マウイがテフティの心を盗む事に成功する。しかしマウイは悪魔テ・カァの襲撃にあいテフティの心と大切な武器・釣り針を海に落としてしまう。マウイは泥棒の罪で無人島に幽閉される。

それから1,000年、サモアの島々は闇に吸収されようとしていた。世界を救うために選ばれたムトゥヌイのモアナは海よりテフティの心を授かる。マウイを探し一緒にテフティに心を返すため、モアナは村の掟を破ってサンゴの海を渡る。

【三幕構成】

第1幕 -> ムトゥヌイに不吉な事が起きる
 ※第1ターニングポイント -> お婆ちゃんの死
第2幕 -> マウイ捜索とテフティへの旅
 ※第2ターニングポイント -> テ・カァに返り討ちにあう
第3幕 -> リベンジ・マッチ


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【感想】

さて、週末は1本、ディズニー映画最新作「モアナと伝説の海」を見てきました。監督はご存知ロン・クレメンツとジョン・マスカーのコンビで、「プリンセスと魔法のキス」以来7年ぶりの新作です。私は有楽町の日劇で見てきました。シアター1の大箱で、観客が6割ぐらいでしょうか。ちょっとさびしい感じでした。

本作のストーリー自体は指輪物語と同じです。世界を変えてしまうような強大な力をもったアイテムを返す・破棄するために、田舎出身の主人公は仲間とともに旅をします。途中なんやかんや妨害を受けながら最終的には目的を達成して、だけどもスーパーパワーを得るわけでもなくまたもとの田舎の生活に戻ります。

そう、この映画はただしく「行って帰ってくる話」であり、そこになんの文句もございません。

この映画は、最近のディズニーでは珍しく明確に子供向けにターゲットを絞っています。モアナは最初から選ばれた「ザ・ワン」として登場し、身体能力も超抜群、特殊能力を使わない生身の体で並み居る悪魔や怪物と戦っていきます。このモアナは完全に子供の考える「スーパーヒロイン」です。ピクサーの「メリダとおそろしの森(2012)」みたいに男勝りの女主人公はいましたが、ここまで明確に「女性であることを捨てずに身体能力抜群なアクションスター」というのを打ち出したのは初めてじゃないでしょうか?

そうすると、やっぱりちょいと年のいった身としては、相方のマウイの方に魅力を感じちゃうわけです。

このマウイがですね、声優をやっているザ・ロックに120%寄りかかったキャラなんですね(笑)。俺様キャラでありながら根は優しく力持ちでニヒルに笑うナイスガイ。挙句の果てには「みんなのヒーロー(=ピープルズ・チャンピオン)になりたいんだ」とかいいながらピープルズ・アイブロー(=ザ・ロックの決め顔で、片眉だけ思いっきり上げるドヤ顔)をする始末。狙いすぎだろっていうくらいザ・ロックそのものです。WWEアティテュードど真ん中世代としては、もうこのキャラだけで2万点だしていいかなと思います。

そんなバディ2人がすったもんだしながら珍道中を繰り広げるわけで、これがつまらないはずがありません。

本作は子供向けに全振りしてますので、細かいところのアラ・ウソはかなり多いです。食料問題とか、モアナが絶対ヤケドしないとか。でもそういうのも全部流して勢いでカバー出来ているのが本作のいいところです。やっぱオトギ話的な冒険譚って理屈じゃなくてノリと勢いですから(笑)。CGで作っているのにミュ―ジカルパートの入り方が往年のディズニークラシックそのものですし、音作りもモロにアラン・メンケンオマージュです。そういったところも勢いに一役買っています。

【まとめ】

取り留めもなくなってしまいましたが、本作はとってもよく出来たファミリームービーです。「大人も楽しめる」みたいな変な色気をださずに、全力で子供向けに作っています。残念ながら賞レースでは「ズートピア」に持って行かれましたが、子供向けとして見れば「アナと雪の女王」には周回抜かしで勝ってるくらいのレベルです。

大人が見ると言う意味で惜しむらくは、字幕上映が少なくザ・ロックが声優をやってるバージョンが見づらいことです。プロレスファンなら絶対字幕で見たほうが良いです。ネーション・オブ・ドミネーションの頃のちょっと太った初期ザ・ロックが見られます(笑)。

とまぁそんなこんなで、見て損はない作品です。なんせ私、吹き替え版を見た後にあまりのロック・リスペクトに感激して字幕版にハジゴしましたから(笑)。

春休みに鉄板でおすすめできる作品です。

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記事の評価
聲の形

聲の形

昨日は今更ですが

「聲の形」を見ました。

評価:(40/100点) – アニメ版・中学生日記


【あらすじ】

石田将也(いしだ しょうや)は高校生である。小学生の時に聴覚障害のクラスメイト・西宮硝子(にしみや しょうこ)をいじめた罪を一心に背負い、自閉気味になりながらも親が肩代わりしてくれた賠償金を返済するためだけに生きてきた。ある日、バイト代で総額170万円を作り終えると、将也はそのお金を母に遺して自殺するために川へ向かう。途中、彼は最期の謝罪をするために硝子のもとを訪ねる、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> 小学校時代の回想
※第1ターニングポイント -> 回想終了/硝子に会いに行く
第2幕 -> 西宮姉妹や永束との交流
※第2ターニングポイント -> 橋上で将也が当たり散らす
第3幕 -> 仲直り


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【感想】

さて、昨日は京アニの最新作「聲の形」を見てきました。最新作と言ってももう公開からだいぶ経ってますので、お客さんも学生カップルと一人サラリーマン数名といった所で、かなり空いていました。監督は「けいおん」の、、、というか京アニ社員の山田尚子。キャラデザも同じく西屋太志で、ルックスはまんまいつもの京アニ作品です。自慢じゃないですが、私、本作のウエノとけいおんの澪を並べられたら見分ける自信がありません(笑)。

一応最近はアニメ映画を取り上げる時はなるべく大真面目にちゃんと書くようにしてるんですが、(←実写でもいつもやれよというツッコミはご勘弁^^;)本作は面倒くさい要素がありすぎるのでさら~っと流させていただきたいと思います。

テーマと概要

この映画のテーマはとても明確です。「人と人との距離のとり方とコミュニケーションについて」。登場人物たちは、各々の思惑をもとに他者との関係を築き上げていきます。サバサバしていて仕切り屋のウエノ。根っからの「姫気質」で全てが自分のためにあると思っている川井。カツアゲから助けてもらったことで将也に全幅の信頼と友情を寄せる永束。そんな中で、物語の中心となる将也は、観客視点の受け皿として、まわりに流されていきます。

将也視点では彼はただ調子に乗ってからかってたのがエスカレートしただけなのに、結果としてイジメの極悪戦犯扱いされて自閉症寸前まで追い込まれます。一方、イジメの共犯者達は全てを将也に押し付けて逃げ出します。この作品は、将也の罪悪感と贖罪を中心として「人間同士のコミュニケーションと距離感の難しさ」を描きます。

差別的な意図は一切ございません

イジメだの障害者だの自殺だの核地雷級のポリティカル・コレクトネス案件なので、これをまとめるのは一苦労です。しかしそこはさすがに天下の京アニブランド。本作ではこの難問をガッチガッチのプロテクトで回避してみせます。

硝子が難聴である理由は劇中では特にありません。硝子が難聴なのは、ひとえに彼女を「他人との距離感がわからず、奥手であり、コミュニケーションに難がある、にも関わらず非が無い」というアクロバット設定にするためのオプションです。つまりなるべく観客に嫌悪感をいだかせないようにしつつ限りなく”無垢”であることの表現としての障害なんですね。また面倒なものを突っ込んでくるなぁと、、、、。だからこれに「障害者ポルノじゃねぇか!」「なんでもかんでも障害者=天使じゃねぇ」と怒る人がいるのは当然です。この設定の硝子はまさしくコミュニケーションのブラックホールです。他人同士の距離感を破壊し、しかし障害者であるが故に倫理的に守られていて責められることもなく、そして本人にもまったく悪意がない。彼女は彼女で「私はいつも周りに迷惑を掛けている」と罪悪感を背負っていて、結局行くところまで行くため、落とし前さえ付けている。ものすごく倫理的にプロテクトされた教育的・道徳的キャラクターです。

こんな最強守備力キャラに絡んでいく将也やウエノはまさに「スーサイド・スクワッド」でジョーカーに絡まれて「ハーレイあげよっか?」とか言われちゃったアンちゃんと一緒です。これは絡んだ時点で負け。どんな選択をしたって逃げ場はありません。

ただ、この作品の良い所は、ちゃんと観覧車の中でウエノがまさにそこにキレる視点を入れることです。「おまえ障害者だからって甘えてんじゃねぇぞ」って。これ、この作品をアメリカで公開したら変な団体から猛バッシング喰らうこと請け合いです。それをちゃんと聴覚障害者の団体の協力を取り付けたお墨付き作品で出来るっていうのが、日本もまだまだいけるなと感心しました。

だからですね、この作品は100%倫理的に正しい「ユニバーサルデザインな映画」です。耳が聴こえないからってコミュニケーションをサボる理由にはならない。健常者だからって、耳が聴こえないやつをめんどくさがってハブる理由にはならない。聴こえようが聴こえまいがそんなの関係ない。どうせ一人一人は別パーソナリティなんだから、各々に合ったコミュニケーションをちゃんとやれ。グゥの音も出ないほどの正論です。強いて言えば「面倒な案件には深く関わらない」という大人な世渡りオプションが提示されてませんが(笑)、そこは青年向けアニメだからね^^;

ただですね、、、、これ映画としての出来は正直あんまり良くないと思います。メッセージは超道徳的で超正しいですが、それを映画文法に起こすことをしていません。アニメ絵に演技をさせるってものすごい労力なので、つい表情や情景で描写するのをやめてモノローグ全開になってしまいがちです。とはいえ、本作はさすがにちょっと、、、、。たしかに、動き自体は良いんですよ。手書き風(なのか本当に手書きなのか)で入りと抜きがしっかり入った線を見事に動かしてます。この技術レベルは本当に凄いです。でもさすがに本作はほとんどがモノローグで、胸の内をボソボソ言ってるだけですからね、、、。ラジオドラマかっていうレベルでぜ~んぶセリフ化してくるので、そもそも映画じゃなくていいじゃんという感想しかありません。

【まとめ】

さら~っと書きますとか言いながらすでに2,000字超えたのでまとめに入ります(笑)。
こういう倫理的にガチガチに守られた映画って、すごい文句いいづらいです。某・村○蓮舫の二重国籍問題と一緒で、論点に関係なく「それは差別だ!」って言ったもん勝ちですから。だから私はハッキリとそこを分けます。メッセージは道徳的で正しいです。ただ作品としてはまったく乗れません。面白くないです。ずーーーっと2時間説教されてるだけですから。だから、私はオススメしません。オススメしませんが、全国の学校教師には是非、中学校の授業でヘビーローテーションして欲しいですね。そんでもって2,000字ぐらいの感想文を提出させると。これが道徳教育ってやつですよ(笑)。

まぁ、私は「時計仕掛けのオレンジ(1973)」のアレックスよろしく、そんなルドヴィコ療法からはランナウェイします^^;。

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記事の評価
君の名は。

君の名は。

大変長らくお待たせいたしました。
本日は新海誠の最新作

「君の名は。」です。

評価:(59/100点) – 新海誠のメジャー・パッケージ化大成功!


【あらすじ】

飛騨のど田舎・糸守町に住む宮水三葉(ミツハ)は、いつもどおり朝起きて学校へ向かった。しかしクラスの皆の様子がどうもオカシイ。みんな口々に「昨日の三葉は変だった」というのだ。疑問に思いながらも授業を受けていた三葉は、ノートに奇妙な落書きを見つける。「お前は誰だ?」。
その夜、彼女は不思議な夢を見る。それは憧れの大都会東京で、男子高校生・瀧(タキ)として生活する、リアリティ溢れるものだった、、、。

【作品構成】

オープニング -> 2021年東京

第一話 -> 三葉と瀧、それぞれの入れ替わり
中間CMタイム -> 瀧としての目覚め
※第一話終了 -> 入れ替わりのルール決め。

第二話 -> 入れ替わりの終わりと飛騨への旅
中間CMタイム -> 一回目のバッドエンド
※第二話終了 -> 瀧が口噛み酒を飲む

第三話 -> 瀧の彗星避難作戦
中間CMタイム -> カタワレドキの邂逅
※第三話終了 -> 隕石が落ちる

エピローグ -> 再び2021年


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【感想】

紳士淑女の皆様、大変長らくおまたせいたしました。本日は、すでに公開から3日も経ってしまいました新海誠の最新作「君の名は。」です。客席はほぼ中高生で埋まっており、明らかに見た目がアレな大人は、私も含めて10人もいませんでした。ものすごい混んでまして、夜の回かつ500キャパの大箱だというのに、最前列でも両脇に高校生っぽい観客がいました。左隣が女の子だったのですが、第3話のラストでガンガン泣き出しまして、何故かなんかちょっと申し訳なくなってしまいました。「悪い大人でゴメンよ、、、」って感じで(笑)。そうなんです。本作は大変悪い大人が作ったとってもあざとい”良い話”です。そんなところも含めまして、書きたいことがいっぱいあるので早速本題に行きましょう。

なお、以降、多大なるネタバレを含みます。未見の方はご注意ください。

まずは全体の概要から

まず、細かい話に入る前に、全体をざっくりと見ていきたいと思います。そもそもの「新海誠」という監督については「星を追う子ども(2011)」の時のブログ記事を見てください。

本作「君の名は。」は、新海誠の本来の作家性である「中二病的ロマンティックSFファンタジー」が最前面に出ています。相変わらず実写をトレースした高密度背景&CGモデルと、その上ののっぺりしたキャラ達。うざったいほどのモノローグと、かぶさるロキノン系音楽。これぞセカイ系という猛烈に閉じた関係性(今回は文字通り”己に入ってくる他者”との関係性)、そこに絡んでくる世界を揺るがす大規模な事件。すごい適当なシナリオと、めくるめく怒涛のエンディング。もうですね、「これが新海誠だ!」というエッセンスが振り掛かかりまくっており、誰がどう見ても紛れも無い新海誠印がここにあります。

私、前作の「言の葉の庭(2013)」を見ていないのでなんとも言えないのですが、なんかこう”やっちまった”感満載だった「星を追う子ども」から見事に持ち直してきたなというのが率直な感想です。

さらにですね、中身はもう完全に新海誠そのものであるにもかかわらず、外見のルックスはとっても「よく出来た普通のアニメ映画」なんですね。はっきりと、原画やキャラデザインがよく出来てます。さらにいままでのテーマであった「オタクの自己憐憫(ある意味自己完結した一方的な失恋)→大人への成長」から、本作では明確にハッピーエンドっぽい着地になっています。この辺は伊達に天下の東宝が絡んでないなと感心しました。ですから、本作は「新海誠作品の入門編」としては今のところベストです。新海誠という”超アクの強いオタク系監督”をいい感じに包んでメジャー・パッケージ化できてます。

いまから、私はちょいと文句を書きますが、そんなものはこの満員の劇場がすべて吹き飛ばす些細なことです。だって新海誠はメジャー監督への道を選んだんですから。売れた以上はこのアクの強い作家性が受け入れられたってことですから、これはもう大勝利です。

良かった所:中2病的ロマコメ要素がテンコ盛り

まずは良かった所を見ていきましょう。「君の名は。」で一番良かったのはやっぱりこの「中2病っぽさ」だと思うんですね。お互い一度も逢ってないのにお互いを好きだと思ってしまう部分とか、相手に逢うためだけに凄い遠くまで衝動的に行っちゃう感じとか、最後の猛烈に恥ずかしい告白とかですね(笑)。極め付きは三葉が髪を切って瀧と同じ髪型になるとこですね。失恋/好きな人と外見で同化するというペアルック願望。
こういう「オタクや女子学生が好きなツボ=そりゃ無いだろってくらいロマンティックな青春妄想」をことごとく抑えていて、「やっぱ新海誠は妄想力あるな~」と大感心して見ていました。はっきり言ってしまえば、本作は私自身も含めたオタクが好きなもの、そしてたぶん新海誠自身も好きな要素がゴテゴテに乗っかってるんです。そういった意味で、新海誠作品にとっては「キモい」はかなりの褒め言葉です(笑)。40歳すぎたオッサンが真顔で書いてる青春ポエムですからね^^;。

話のフォーマットはもろに「オーロラの彼方へ(2000)」ですし、二人の関係性は「ラーゼフォン(2002)」やその元ネタの短編「たんぽぽ娘(1961)」(※共に未来から恋人がやってきて片方を救う話)、彗星が降ってきて世界が滅ぶっていうのだと「トリフィド時代(1951)」とか「メランコリア(2012)」なんかもあります。入れ替わりとタイムスリップは言わずもがなの「転校生(1982)」と「時をかける少女(1983)」。思い出せないんですが、「祭りの日にデカイことが起きる」ってのもなんかよく見た覚えがあります。ラストシーンはみんな大好きな「バタフライ・エフェクト(2004)」ですよね。こういう好きだったものをコラージュして見せられると、その同世代感だけでもう細かいアラはいいかなってくらい優しい気持ちになれます(笑)。

もちろん、こういう青春妄想ストーリーって、まさに青春真っ只中の人にはビンビンに響くはずです。冷静に考えると結構無茶苦茶な話しなんですが、そんな事は気にならないくらい、後半は妄想要素の乱れ撃ちで無理矢理感動させにかかります。実際「泣いた!」「感動した!」っ子供達がいっぱいいるみたいなので、これは大成功だと思います。ツイッターに書きましたが、やってる事自体はパチンコ店やキャバクラが4つ打ち音楽で無理やり客のテンションを挙げるのと同じ原理で、「感動、カンドっ、感動、カンドっ(※”ドン・ちっ・ドン・ちっ”と同じリズムで)」ってやると何故か感動するという結構雑な手口です(笑)。予告にもあった「忘れたくない人!」「忘れちゃいけない人!」みたいなセリフの反復なんかはモロにこの典型です。
ただ、これなんか悪口みたいですが、全然悪い意味ではありません。万人受けを狙った結果だと思ったら個人的には全然許容範囲です。「あぁ、こういう事やるやる。」ってテンションです。

良くない所:作品構成について

私が見ていて一番驚いたのは、映画が始まってすぐにまんまTVアニメなオープニングが流れたところです。しかも本編のダイジェスト/見せ場の抽象イメージとしてのオープニングになっており、100%TVアニメでの作り方です。本作ですね、なんと作品構成が完全に30分アニメのフォーマットなんです。全体で110分くらいの作品なんですが、およそ1話20~30分で、エピローグだけ15分くらいの全3+1話で構成されています。なんか昔「ハナミズキ」でごちゃごちゃ書いた覚えがあるんですが、映画としてはあんまり好ましい構成ではないですね。とくに本作の場合は「テレビアニメ化」が徹底されていまして、わざわざ毎話15分目くらいに場面展開まであります。第1話だと、三葉側の視点が最初の15分で、瀧側の視点が残り15分です。ど真ん中でちゃんとシークエンスが変わります。さらにきっちり30分経つと急に入れ替わりルールの説明セリフがダーーーーーっと入りまして、エンディングのRADWIMPSが流れます。CMが入るんじゃないかと思ってハラハラしました(笑)。

CMってのは流石に冗談ですが、ではこの構成で何がまずいかというと、話が途切れちゃうところなんですね。本作での3話分は、わざわざ1話毎にストーリー/イベントが独立した仕様になってます。例えば、1話目は「二人の入れ替わりの面白さとルールを伝える回」、2話目は「急に入れ替わりが起きなくなって焦る回」。この両方共が独立しており、各話ごとにきちんと起承転結があります。これ、全体としてみると、結構無駄な描写が多いのに話が進まないのでイライラします。しかもそのしわ寄せが最後にきます。クライマックスの住民避難大作戦がすごい唐突に感じられるんです。作品の真ん中あたりから徐々にストーリーを展開させてけば良かったんですが、3話目の30分だけで作戦立案→準備→実施→結果とすべて完結させようとしているため明らかに時間が足りません。「テッシーやさやちんがよく協力してくれるな」とか、「いきなり爆破はおかしくないか」とか描写不足がそのままノイズになるんですね。これわざわざこんなTVアニメ形式の構成にしないで、普通に三幕構成に落とせば十分処理できる情報量だと思いますし、もっとスムーズに出来たと思います。正直な所なんでこんなにしたのか、あんまり意図がわかりません。1年後くらいに「3夜連続テレビ放送」とかする想定なんでしょうか?

※ 完全に余談ですが、変電所の爆破は、本作のベース元ネタ「オーロラの彼方へ」のオマージュです。

※ 2016年9月6日追記:監督インタビューを見ていたら、今回ターゲットを「学生向けにしてる」という話がありました。これ映画慣れしてない人が理解しやすいようにテレビアニメ3話連続形式にしたのかなと邪推しました。それならそれで子供舐め過ぎなので違うかもしれませんが、あくまで邪推で。

一応細かいツッコミをば

とまぁ構成にツッコミを入れたところで、次は細かいツッコミに入ります。

一番厳しいノイズは、話の根幹である「入れ替わる二人の時代が実は3年ずれてる」事にふたりとも全く気が付かないところです。二人ともiPhoneっぽい携帯電話を使っています。学校にも通ってます。そして少なくとも両方の家にはテレビがあります。バイトのシフトに入るのにカレンダーも見てます。この状況で、二人共が年号が違うって気付かない可能性がありますかね?ちょっと無理があります。教科書には必ず〇〇年度って入ってますし、そもそもなんかiPhoneの日記帳アプリみたいなのつけてますしね。ここはそもそもの話の核になる部分なので、それがガバガバなのは流石にちょっとどうかと思います。

付随するところで行くと、「三年前の日本全土で話題沸騰の天体ショー&大事故」をまったく知らない高校生ってどうなんでしょう。一回ミキ先輩とのデートで入った変な写真展でわざわざ特集コーナーまで見てるのに、まったく分からないんですね。これもちょっと無理があります。

最終盤で名前は忘れるくせに隕石が落ちることは忘れない三葉とか、アプリ上の日記は消えるのにマジックでかいた「ある言葉」は消えないとか(※たぶん消えるまでタイムラグがある設定)、初めて入れ替わった直後になんで学校へいったり電車に乗ったり日常基本行動ができるんだとか、わりとこの入れ替わり周りのところが雑な印象があります。

あとは肝心の巨大隕石ですよね。巨大隕石が落ちてきて数百人規模の被害者が出るってある意味爆弾みたいなものですから、自衛隊が迎撃しないのかな〜って言うのもちょっと思いました。分裂してから実際に落下衝突するまで結構時間ありますしね。しかも見た感じ1200年周期で落ちる恒例シリーズの第3弾っぽいので、少なくとも村長レベルで手に負える事態じゃないなと。
(※ちなみに第1弾は御神体のあるクレーター、第2弾はもとからある隕石湖。隕石同士が引かれ合うってのも一種の「結び」ですね。)
もともと真面目にSF考証をするつもりが無い作品なので別にいいんですが、お話本筋のノイズになるレベルではなんかちょっと引っかかります。

でもそんなのどうでもいいんだよ!って話。

ただ、この辺のアラは「細かいストーリーなんてどうでもいいんだよ!」で済んじゃう部分でもあります。本作ではキーワードとして「結び」というのが出てきます。劇中ではかなり便利に使っていて定義が怪しいんですが、「運命の糸」「超常的なパワーによって人やモノが結びつくこと」「時間そのもの」みたいな万能な意味で使われます。これは結構逃げワードとしての破壊力がありまして、なんでもかんでも「だって結びだし」「結びの神様が適当にやってくれたんでしょ」で終わらせる力技が可能です。運命には過程も理屈も無いですからね。作品内でこういうエクスキューズを用意しておくっていうのは本当は反則なんですが、本作に限って言えば、「“理屈”より”情(じょう)”を優先させる」という宣言にもなっているので効果的だと思います。そして、この「”理屈”より”情”を優先させる」事自体が、まさに「セカイ系」の王道ど真ん中なわけです。

基本的にいままでの新海作品も、クライマックスの「盛り上げ」をやりたいだけでそれ以外はただの前振り・舞台設定です。「秒速5センチメートル(2007)」が公開された時に、「イントロが50分ある山崎まさよしのPV」と言われましたが、相変わらずやってることは一緒です。ただ今回は「イントロが90分あるRADWIMPSのPV」にはなって無くて、ちゃんと「前振りを90分したうえでの感動の乱れ撃ち!」として抽象・一般化されています。より作家性がマイルドに表現されているわけです。実際、「秒速5センチメートル」は山崎まさよしにがっつり乗れないと厳しいですが、本作は別にRADWIMPSが好きじゃなくても大丈夫です。ただ、その分、強烈なロマンチシズムに乗る必要があります。

この映画は、2021年の東京で、三葉と瀧が喪失感を感じながら目覚めるところから始まります。本編はほぼ全てが(忘れてしまった)回想で、最終的には再び2021年に戻ってきます。ですから、この映画はあくまでもこの2人の喪失感が何かを明らかにし、そしてそれが埋まるまでの話なんですね。

結局、本作のロマンチシズムって「僕達が一目惚れをした時、または運命の人だと思った時、実は記憶を亡くしているだけで物凄い大宇宙的なバックボーンがあるかもしれない」ってとこなんです。

“運命の二人”というロマンチックなシチュエーションに乗れるかどうかだけ。そりゃバイブスに乗っかれた人は熱狂しますよね。「なんか良くわからんけど感動した!超傑作!」って。テーマ自体は普遍的といってもいいかも知れません。逆にこれに乗っかれなかった場合、どうしてもアラが気になっちゃって「なんじゃこれ?無茶苦茶じゃんか」となるわけです。

【まとめ】

本作は、本当に「新海誠作品の入門編」として最適な一本です。彼のフィルモグラフィの総決算でありながら、一方でちゃんと”大衆向け”にメジャー・パッケージ化されており、そりゃ大ヒットしてもまったく不思議ではありません。大人が真面目にみるにはちょっとアレですが、少なくともティーン・エイジャーには間違いなく記憶に残る作品になるんじゃないでしょうか?

こういう作家性の強い=アクの強い監督って、「いかにアクを損なわずに大衆化するか」っていうのが一番苦労する所です。「星を追う子ども」は大衆化を狙いすぎてただ気持ち悪くなっちゃったわけですが(笑)、本作はそのバランスが完璧だと思います。

そういった意味でも、今後の新海作品が非常に楽しみです。次作も引き続き「スレ違い続ける青春妄想ほろ苦SFラブファンタジー」をやるのか、それともまたジュブナイル的なものにリベンジするのか。監督としては次がキャリア勝負の分かれ目です。ティーン・エイジャーは是非是非、夏休みの間に御覧ください。猛プッシュオススメします。大人は夏休みが終わって落ち着いてからですかね(笑)。アルコール入ってるといい感じにアラをスルーできると思います。おすすめします。

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記事の評価
ファインディング・ドリー

ファインディング・ドリー

昨日は夏休み映画の4本目

「ファインディング・ドリー」を見てきました。

評価:(51/100点) – 書きづらいけど微妙


【あらすじ】

前作「ファインディング・ニモ」からしばらく立ったある日、ドリーは突然両親のことを思い出した。断片的に思い出した両親のことが気になって仕方がないドリーは、ニモとマーリンと共に「カリフォルニアの宝石」というキーワードを唯一の手がかりに、西海岸へと向かう、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> ドリーの決意と西海岸への旅
 ※第1ターニングポイント -> 海洋生物研究所へ到着
第2幕 -> ドリーの両親の捜索
 ※第2ターニングポイント -> ドリーが両親を見つける
第3幕 -> ニモとマーリン救出作戦


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【感想】

さてさて、ディズニー映画が続きます。昨日はピクサー最新作「ファイティング・ドリー」を見てきました。東京ディズニーシーの”タートル・トーク”でもおなじみの「ファイティング・ニモ(2003)」の続編です。監督は引き続きアンドリュー・スタントン。なんで今続編なのかはあんまりよくわかりませんが(笑)、あいも変わらず鉄壁の布陣です。私は有楽町のTOHO日劇で字幕版を見ました。公開からしばらく経っているからか、お子さんは外国人の家族連れ1組のみで、後はほぼ社会人カップルでした。
コレ以降、本作に関してネタバレが多数登場します。というか上記の三幕構成でおもいっきりネタバレしており申しわけございません。未見の方はご注意ください。
また、以降、私はドリーのことを「短期記憶障害」と表現しますが、実際はただの「記憶障害」かもしれませんし認知症かもしれません。

ざっくり概要と続編としての真面目さ

まずですね、簡単に「ファインディング・ニモ」についておさらいしておきましょう。前作の「ファインディング・ニモ」は「親の子離れ」がテーマでした。ひょんなことから人間にさらわれてしまった子クマノミのニモを取り戻すために、父親のマーリンがクセのある仲間と交流しながらすったもんだします。片親でありかつニモが障害児(※片ヒレが極端に小さく不自由)であるが故に過保護気味なマーリンを尻目に、ニモはさらわれた先で仲間たちを作り自力で脱出します。そしてマーリンは、我が子が十分に一人でもやっていけることを理解し、寂しいながらも少しだけ子離れを決意します。前作は、まさに親の視点から見た「子供の成長と”親離れ”」の話であり、それを送り出さなければいけない寂しさと嬉しさを同居させた素晴らしい作品でした。

そして今回のファインディング・ドリーです。前作が「親が子供を探す話」だったのに対して、今度は「子供が親を探す話」になります。立場をひっくり返して同じ話を繰り返すというのは、とても正しい続編の作り方です。これだけでも企画の真面目さがヒシヒシと伝わってきて好感が持てます。持てるんですが、じゃあなんで私がこの点数を付けるのかというと、本作の語り口にあんまり乗っかれないからなんですね、、、。それを以降とくとくとグチりたいと思います(笑)。

いいところ:前作と同じく成長と親離れを描けている

まず先に褒めておきましょう。ドリーのご両親って「一年前に子供が突然行方不明になっちゃった」状況なわけで、これってモロに拉致被害者と同じなんですね。本来は子離れしろってのが無理なんです。ご両親はいつかドリーが帰ってくると信じて、ドリーへ手がかりというか信号を送り続けます。来る日も来る日も。そしてドリーは本当にひょっこり帰ってくるわけです。普通に考えたら「もうずっと一緒だよ!」みたいになっても不思議じゃありません。でも「一人で生きていけるかな」と超心配だった子供には友達がいて、しかもその友達を救うために一肌脱ぐって言ってるわけです。要はちゃーんと生き抜いて大人になってたわけですね。これですごい安心して、子離れするんです。これ、フォーマットは完全に前作「ファインディング・ニモ」と同じです。大変よく出来ています。

乗れないところ:「ドリー」というキャラの肯定の仕方が無理やりすぎる

あんまり大きな声で書きづらいんですが、私がこの「ファインディング・ドリー」を見ている最中に一番感じたのは「すごい24時間テレビっぽい」っていう所なんです。ドリーはですね、子供の成長課題としての「障害」がニモより重いんです。ニモは片足がちょっと不自由というレベルなので、まっすぐ泳ぐ練習さえできればそこまで厳しいハンデはありません。だから、「親が超過保護になるための設定上の味付け」で済んでました。ところが、ドリーの場合は短期記憶障害です。直前に言われたことを忘れちゃう病気。これは結構重い話です。もともと前作では、マーリンが「超慎重派」である描写と対比させるために、ドリーが登場しました。ドリーはすぐに物事を忘れてしまうので、結果的にその場の直感と勢いで物事を判断します。これが超慎重派のマーリンとの対比となり、デコボコ・コンビの珍道中としてうまく機能していました。

では、本作ではどうでしょう。本作でドリーがコンビを組むのは、ステルス機能があって手足を自在に操れるタコのハンク、声がよく通り離れても意思疎通ができるサメのデスティニー、そして遠くからナビゲーションができるイルカのベイリー。どれも最強クラスの超能力をもっており、100%万全のサポート体制です。この世界最強クラスのサポーター達が、ドリーを全力で盛り立てます。そして「ドリーがその場の直感と勢いで判断する」ことを全力で肯定してくれます。これね、、、どうなんでしょう。甘やかしてるだけっちゃあ甘やかしてるだけなんですが、そもそも「短期記憶障害をもってても立派にやっていけるから大丈夫だよ!」って話なのにここまでガッチリサポートしちゃうと、「それむしろやっていけてないんじゃないか」という気がしてきます。もちろんドリーの友達を作る能力=人間力(?)の賜物ですから別に良いんですが、あまりに過剰すぎてちょっと褒め殺しではないのかとすら思えてきて全然乗れません。この感じがすごい24時間テレビっぽくて嫌です。「ほら、こ~んな重い障害を持った子が芸能人のサポートと応援で立派に成し遂げたよ!エライでしょ!泣いて!」みたいな同調圧力を感じてすごい嫌。あまつさえ、映画の最後の方は、開き直って完全超能力ヒーローモノになるわけで、なんかちょっと雑だなという印象があります。

また、これは考え過ぎなのかもしれませんが、途中ギャグキャラとしてアシカ達が出てきます。このアシカ達は、2匹の兄貴分と1匹のガチャ目のとっぽい子=ちょっと障害者っぽい子で構成されるんですが、どうみても2匹がガチャ目の子をいじめてるんですよね。なんていうか「このテーマの作品でそれをギャグでいれるか!?」っていうのがアメリカンジョーク過ぎてよくわかりません。

【まとめ】

たぶんこの映画に乗れないのは私の心が濁っているからだと思います(笑)。ですので、心が清らかで、ピュアで、人間的によく出来た方達にはたぶん大好評ロングランなんじゃないでしょうか?単純に「さかなたち可愛いじゃん」っていうのは全面的に同意するんですが、ちょっとこういうテーマでこういうストーリーにされると素直に乗りたくないです。
真面目な話、ファインディング・ドリーを見るくらいなら、その入場料分をちゃんとした団体に寄付すりゃいいんじゃないでしょうか? 24時間テレビだと汐留と乃木坂のお城に吸われて最終的には某さんのハワイ旅行とかになっちゃいますんで(笑)。
個人的にはこの作品はレンタル100円でいいんじゃないかと思います。

ちなみに、リアル社会の飲み会で「ファインディング・ドリーどうだった?」と聞かれたら、とりあえず私は褒めときます(笑)。これが同調圧力と世渡りってやつです(笑)。

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ペット

ペット

夏休み映画1発目はこちら

「ペット」です。

評価:(40/100点) – トイ・ストーリーのフォロワーとしてはあんまり…


【あらすじ】

マックスは、かつて捨て犬だった所をケイティに拾われ、今は幸せな生活を送っていた。ある日、ケイティは保健所から新しい犬―デュークを引き取ってきた。しかしこのデュークは乱暴者。自分の居場所が無くなることを恐れたマックスは、デュークと一触即発の関係になってしまう。そんなおり、いつものようにペットシッターにドッグランで放されている隙に、デュークはマックスを遠くの路地裏へほっぽり出そうとする。それが大冒険の始まりだった、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> デュークの登場とマックスとの冷戦
 ※第1ターニングポイント -> デュークが路地裏でマックスを捨てようとする
第2幕 -> スノーボール一派との行動と脱出
 ※第2ターニングポイント -> デュークが保健所に連れ去られる
第3幕 -> デューク救出作戦


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【感想】

皆さん夏休みはいかがお過ごしでしょうか?今年の夏休みは珍しく大本命ファミリー映画が無く、「ファインディング・ドリー(ピクサー)」「ペット(ユニバーサル)」「ジャングル・ブック(ディズニー)」あたりの三つ巴となっているかと思います。個人的には「X-MEN アポカリプス」のほうが気になっており、こちらは近々で見に行ってきます、、、仕事帰りにでも、、、夏休みって本当にあるんでしょうか?(錯乱)
そんなこんなで昨日は「ペット」を見てきました。怪盗グルーシリーズで一躍3Dアニメの新興勢力に踊り出たイルミネーションの最新作です。お子さん連れを中心に結構お客さんが入ってまして、ファミリー映画としては大成功な雰囲気が出ていました。
この後、元も子も無いことを書きますが(笑)、安心して見られる作品なのは間違いありませんので涼みがてらお子さんと見るには丁度いい湯加減の映画だと思います。

ディズニーとドリームワークスとイルミネーション

90年代後半より、3Dアニメといえば王者ピクサー・ディズニー連合がど真ん中。それに対抗できるのはドリームワークスぐらいでした。ドリームワークスはアンチ・ディズニーというのを全面に出してきてまして、とにかく「ちょっと大人向けのほろ苦い&皮肉の効いた3Dアニメ」を作り続けてきました。初期ではディズニーのお伽話を盛大にパロったシュレック・シリーズですとか、マダガスカル/カンフー・パンダとかですね。そしてドリームワークス最高傑作はもちろん「ヒックとドラゴン」。極めてディズニー的な成長物語りでありながら、ディズニーが意図的に避けてきたちょっとエグいシーンや民族対立までちゃんと見せる。3Dアニメ映画市場はディズニー/ドリームワークスの2強体制といっても過言ではありません。

そんな中で、出てきた新興勢力がイルミネーション・エンターテイメントです。イルミネーションはクリストファー・メレダンドリが20世紀フォックスからスピンアウトして作った会社なのですが、このメレダンドリさん、もともとディズニー・ピクチャーズ出身の方なんですね。でまぁデビュー作の「怪盗グルーの月泥棒」とかその次の「イースターラビットのキャンディ工場」を見ていただくとわかるように、もろに「ザ・ディズニー」なメソッドそのまんまの作品が好きな人なんです。しかも80年台のディズニー第2黄金期世代のフォロワーです。おそらく当時若手としてディズニー・ピクチャーズに居たからだと思うんですが、それこそ「イースター~」は「ロジャー・ラビット」と「メリー・ポピンズ」のハイブリッド映画です。ドリームワークスがアンチ・ディズニーで差別化を図っているのに対して、イルミネーションはそのまんまディズニーの後追いをしています。
ただ、やはり毒のないキャラクター:ミニオンは安心して見れますし人気が出るわけで、ここ最近はむしろイルミネーションの方がドリームワークスよりも勢いがあるんじゃないかという所まで来ています。

本題の元も子もない話

あんまり長く書いても仕方がないのでいきなり書いてしまいますが、本作「ペット」は「トイ・ストーリー1~3」「わんわん物語」のハイブリッド映画です。このディズニーを代表するような超有名作品4本を、ぜーんぶゴッタ煮にして、それを40倍ぐらい薄めたのが本作です。なので、正直本作を見るならこの4本をレンタルで借りてきたほうが遥かに楽しめます。軸は、ウッディとバズが扮する犬2匹の対立と友情の物語。ストーリーの大枠は、家から遠くはなれたところで迷子になった二匹の犬が一生懸命ご主人の元に帰る話。途中、下水道で暮らす野良猫/兎達との対立を挟みながら、最終的にはペット達は幸せな我が家へと帰って行き、ロッツォ・ハグベア扮する敵の親玉スノーボールも新しいご主人の元でペットの幸せを再確認する旅に出ます。

これですね、もしかするとディズニー映画公開の隙間をついていれば良かったのかもしれません。でもいま、まさに”本物”の「ファイティング・ドリー」が同じシネコンで上映されているわけで、これで対抗しようっていうのはちょっと、、、どうなんでしょう(苦笑)。

映画単体としてもちょっと行き当たりばったり感が強く、あんまり上手くまとまっているとは言えません。
動物のデフォルメもどちらかというとペンギンズに近いもので、動物の可愛さを強調する方向よりは擬人化を優先しており、結構顔がノッペリとしています。

【まとめ】

あっさり書いてしまいましたが、結論としては、「わざわざ映画館で見るほどでもないけどまぁ安心して見れるかな」というぐらいの微妙な温度感です。
やっぱりイルミネーションはミニオンみたいなオリジナル・キャラを作ってドタバタコメディをやっていたほうが良いと思います。実際、本編上映前の「ミニオンズ:アルバイト大作戦」の方が遥かに面白かったですしね。私はちょい夏バテ気味、映画も製作者側の熱気が低い、ということで、今日はこんな適当さ加減でご勘弁(笑)。

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ズートピア

ズートピア

本日はレイトショーでディズニーアニメ最新作の

「ズートピア」を見ました。

評価:(79/100点) – 「普通に面白い」という贅沢さと物足りなさ


【あらすじ】

動物たちが理性をもって生活する世界。うさぎのジュディは「うさぎ界初の警察官」の夢を叶え、大都市「ズートピア」へとやってきた。ズートピアでは最近失踪事件が多発しており警察署内は大騒ぎになっていたが、しかしジュディが配置されたのは駐禁係。なかなか警察らしい仕事をさせてもらえない不満から、ジュディはついうっかり失踪者の一人=カワウソのオッタートンの捜索を勝手に買って出てしまう。タイムリミットは48時間。それをすぎると、ジュディは事実上解雇されてしまう。はたしてジュディは無事事件を解決することができるのか、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> ジュディの上京とニックとの出会い
 ※第1ターニングポイント -> オッタートンの捜索を買って出る
第2幕 -> オッタートンの足取り調査と発見
 ※第2ターニングポイント -> ジュディが田舎へ帰る
第3幕 -> 事件の解決と真相。


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【感想】

さてさて、今週2本めの新作映画は、ディズニー最新作「ズートピア」です。ディズニーアニメのお家芸といえば白雪姫/眠れる森の美女から脈々とつながる「かわいらしくデフォルメされた動物」です。本作・ズートピアは人間の登場人物が一人もおらず、この「かわいらしくデフォルメされた動物」が所狭しと登場します。
見る前から本作が某Rotten Tomatoで98% Freshを記録したというニュースは見ていましたから、さてこれはどれだけ傑作なのかと結構ハードルが上がっていました。
そして実際に見てみて、、、というところですが、これはRottenの仕組み上仕方ないといいますか、、、「大傑作!」というよりは「これは皆がそれなりに満足して帰る内容だな」という感想です。100点満点中の100点というよりは、「良いか悪いかで二択にしたとき”良い”が限りなく100%になる」という類の作品です。

本作は王道どまんなかのバディ・ムービー/ファミリー映画です。ですから極力ネタバレはしないようにいたしますが、少々感づいてしまう恐れもあるため、映画未見の方はできるだけご注意ください。

果たして優等生は魅力的なのか?

まずざっくりと語るならば、本作は大変良く出来たバディ・ムービーです。女性(メス)でか弱く体格的にも小さいが頭脳と工夫で乗り越えるウサギのジュディと、ひねくれ者だけど優しくて頭がキレるキツネのニックのデコボコ・コンビが手がかりを追って事件を解決していく、、、という教科書にでてくるような非常に理想的・類型的なフォーマットです。

そうなんです。先に書いちゃいますと、私の不満点はまさにここ。この一点だけです。「教科書にでてくるような非常に類型的な」よくできた映画。なんというか、毒にも薬にもならない「普通の良い映画」なんです。これは物凄い贅沢な話でして、「飽食の時代ここに極まれり」ってことなんですが(笑)、なんかこう「これっ」っていうチャームポイントがあんまないんですよね。「どうしてもズートピアがまた見たい!」ってなるような魅力的なポイントが、ですね。

全体を通じて凄く良く出来ていて、文句の付け所はほとんどないです。お話的には伏線はちゃんと回収されますし、きちんと「他者を属性で判断するな!」「善人は必ず報われる」という道徳的なテーマになっています。キツネのニックは全然言うほどひねくれても無ければ悪人でもないですし、悪役だってひねくれるだけのきちんとした事情があります。そして、ジュディの性別や体格が原因で捜査が行き詰まるようなこともないです。凄く優しい世界の中で物事が進んでいきます。テーマ自体は人種差別というか「マイノリティvsマジョリティ」という重い民族問題を扱っているわけですが、しかしテイストはどこまでも軽く、そしてとても誠実です。そういった意味で、本作は間違いなく良質なファミリームービーです。

なので、本作を減点式にした場合、まず間違いなくそんな貶す人はいないと思います。大幅にマイナスなポイントって本当にないですから。
一方でこれを逆側から、つまり「良かった所集めの加点式」にするとですね、、、これどうなんでしょうか? 少なくとも私個人的には「70~80点ぐらいかな」というぐらいの温度感なんです。それでも十分に高いですよ。

変な言い方ですが、例えば「ナルニア国物語 第1章(2005)」と「ハリー・ポッターと賢者の石(2001)」のどっちが好き?って聞かれたとしましょう。個人的には、「ナルニア~」のほうが間違いなく映画として出来がいいと思いますが、もう一回みるなら「ハリー・ポッター~」なんですね。それはやっぱりあの3人の仲間うちのワイワイをもっと見たいからです。本作は「ナルニア~」と同じで、なんというか優等生すぎて癖がなさすぎるというか、それこそ何年経っても印象に残るようなシーンがあんまり無くてですね、、、「出来はいいけど、そんないうほど好きでもない」ってところです^^;あくまでも贅沢な無いものねだりです。

とはいえよく出来てるよ!

いきなり「そんな好きじゃない」とか書いといてなんですが(笑)、本作は凄いよく出来てます。これだけは再三再四書いても書きたりません。よく出来てます。劇中のズートピアには、エリアが何個もあって、エリアごとに「ジャングルっぽい」とか「南極っぽい」とか特徴があります。これって要はほとんどディズニーランドなんですね。ディズニーランドにおける「クリッターカントリー」「ファンタジーランド」「トゥモローランド」みたいなテーマエリアがあって。もっというと、ジオラマ的な「遊園地」です。ですから、この世界観の時点で、これはもう箱庭ファンタジーなんだというのをハッキリ表明しているわけです。

そしてこの「遊園地」を舞台に、かわいい動物たちが暴れまわり、しかもいろいろなパロディやギャグをかましてきます。実写だったら間違いなく腹が立つレベルの寒いギャグも、かわいいネズミキャラがやれば途端にキュートになります。そういった意味では、「動物が楽しく住んでいる楽園」っていう設定だけでもう勝ったも同然な作品です(笑)。

事件の解決はサラっとスマートに

本作は「ゾディアック(2007)」のような大真面目なサスペンスではなく、あくまでもコミカルアニメですから、事件はあっさりと解決します。とくに悩むこともなく、ジュデイとニックはほぼ最短距離で事件解決に向かっていくんです。
この作品の一番うまいところはまさにこの「コミカルアニメだからそこはそんな本気でやることないでしょ?」という言い訳を使ってくる部分です。そもそも動物がしゃべって二足歩行する世界なので、細かい部分は別に雑でもいいんです。
これのおかげで話の粗が目立たないというのは間違いないです。ニンジン型レコーダーの耐久性はどうなってんだとか、トイレの下水管が太すぎるだろとか、誰がこんな凄いズートピアを作ったんだとか、そういう所ですね。動物がしゃべって二足方向する世界なんだから、レコーダーの電池とか下水管の太さとかどうでもいいわけです(笑)。とても上手いです。

【まとめ】

表現が難しいんですが、「アニメの持ってる嘘やアラを隠してくれる懐の深さ」を最大限活用した良作だなと思いました。本作を実写でやったらかなりのトンデモ映画になるはずです。逆に言えば、アニメだからこそ出来ることをちゃんとやっているわけで、そりゃあ支持率が高いのは当たり前のことです。テーマが重くて子供向けじゃないんじゃないかという話もありますが、私はこれは大人も楽しめるバリバリの子供向けだと思います。
GW中の時間潰しやデートなら、ちょうどいい湯加減ではないでしょうか。

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コクリコ坂から

コクリコ坂から

どんどん行きますよ!
ということで7月17日はゴロちゃんの奇跡の最新作

コクリコ坂から」でした。

評価:(70/100点) – ボロボロ!?冗談じゃない! 大成長やないけ!!!


【あらすじ】

松崎海は幼くして父を失い、おばあちゃんの下宿を一人で切り盛りしていた。母はアメリカ留学中の医者で、長らく家に帰っていない。
ある日、海は学校でひょんなことから風間俊と出会う。次第に魅かれ合う2人だったが、なんと二人の父親は同じだった、、、、。


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【感想】

7月17日はジブリ最新作にしてプリンス・ゴローのまさかの新作「コクリコ坂から」です。横浜のブルク13で見たんですが、完全に埋まっている大箱は初めてでした。さすがに日テレ・三菱商事・電通という超巨大資本が総力を挙げて大プッシュする映画です。
いきなり結論を書いてしまいますと、前作が前作だったのでものすごいハードルが下がっていた分を差し引いても普通に良く出来てました。もちろん海と俊が好き合うタイミングが分からないとか、ごねてた割には最後に納得するのが早すぎとか色々引っ掛かる部分はあるのですが、しかし決定的に甘酸っぱさがきっちり描けています。
カリチュラタンという古いクラブ棟を舞台にしたちょっと自虐的にも見える学生運動”感”であったり何度も流れる「上を向いて歩こう」だったり、ベタベタすぎてむしろファンタジックに見えてしまう過剰なノスタルジー描写だったりも、これを44歳のプリンス・ゴローが作っているのだと思えば大変微笑ましく感じるのは贔屓しすぎでしょうか?
だって彼の年齢を考えればいわゆる「バブル世代」のど真ん中なわけですよ。しかも親父が親父ですから。そりゃあね、本気でマボだエガだと言っていた流行り病を描くのは無理です。だったらすっごいノスタルジアに落とし込むしかないじゃないですか。元々この作品の企画は親父の方が(いつものサディスティック・ロリコン癖をこじらせて)入れ込んでいたわけで、乱暴に言えば、しかめっつらの不憫な女の子が前向きに頑張ってればそれで万事OKなわけですよ。だから全く問題ありません。ジブリ映画っぽさをきちんと出した上で、普通に良く出来ています。
ただ、こういっては何ですが、やっぱり吾朗氏の作家性みたいなものはあんまり見えないんです。良くも悪くも劣化コピーというか、あくまでも親父の企画を親父っぽくやろうとしてそれなりに出来てるという、、、、、ね、、、、、いろいろあるじゃないですか、この親子(苦笑)。だから一概に「大成長」といっていいかがちょっと分かりません。単品の映画としては、それこそ「平成狸合戦ぽんぽこ」とか「猫の恩返し」あたりと並んでるような感覚です。でも高畑勲がいつの間にかフランス文学者かぶれになって大先生になってしまった今(笑)、ジブリとしては劣化コピーだろうがなんだろうが宮崎駿テイストを受け継いでかつ周りが納得するネームが必要なわけで、それってやっぱりプリンスに白羽の矢がたっちゃうのは仕方が無いと思うんです。本人はすごい嫌でしょうし、間違いなく周りからはマイナス評価スタートで見られるでしょうけど。だからこの映画で一番の見所って言うのは、前作の「ゲド戦記」で才能無いだの二度とでてくるなだの散々な言われようだった(そして私もジブリ美術館の自宅警備員に戻れとか言ってましたがw)ゴロちゃんが、案外なんとかなるかも知れないという希望が見えたってことだと思うんです。劉禅だと思ったら関平だったみたいなw
だから見守る意味でも十分に劇場で見る価値があります。いいじゃない親父っぽくても。いいじゃない親父より下手でも。っていうか親父より上手い監督なんて富野由悠季と出崎統ぐらいだから安心していいですよ。
親父が学生時代にナウシカの企画を虫プロに持ち込んで手塚治虫にボロクソいわれてから反骨心で超進化したって言うのは有名な話です。ゴロちゃんだってゲド戦記でボロクソいわれてからどうしたかっていうのが大事なわけです。少なくとも本作を見る限りではある程度割り切って親父の真似をする限りは化けるかもしれないって分かったので、それで十分だとおもいます。
ということで、オススメです!!! いや、本当に見といた方がいいですよ。10年後に本当に化けてる気がします。

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