少女

少女

今日は

「少女」を見てきました。

評価:(45/100点) – 雰囲気アイドル映画


【あらすじ】

高校生のユキは、親友のアツコをモデルにして小説「ヨルの綱渡り」を書き上げる。しかし小説家崩れの国語教師・小倉によって原稿を盗まれうえに雑誌へ投稿、小倉は新人賞まで獲得してしまう。怒り狂ったユキは小倉へ復讐しようとする。それが、すべての悲劇の始まりだった、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> ユキの執筆とアツコ
※第1ターニングポイント -> シオリが転校してくる
第2幕 -> アツコの罪と夏休み
※第2ターニングポイント -> ユキが「ヨルの綱渡り」を読む
第3幕 -> アツコとユキの仲直り


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【感想】

さて、今日は湊かなえ原作の最新作「少女」を見てきました。観客はほとんどおらず、私以外はみんな学生さんでした。「白ゆき姫殺人事件(2014)」は中年夫婦がいっぱいだったのでちょっとびっくりしました。まぁでも湊かなえさんの映像化したものって題材が高校生が多い印象があるので、ターゲットとしてはちょうどいいのかも知れません。
監督は三島有紀子さん。すごいテレビっぽい(というか堤幸彦っぽい)演出が多いのでテレビ系の人かなとは思いましたがまさかのNHK出身でした。不勉強ながらこの監督の作品を見るのは初めてです。

ここでいつものお約束です。本作は多少サスペンスっぽい要素がありますのでネタバレは驚きを減じてしまう恐れがあります。未見の方はご注意ください。

サスペンスじゃないよ!青春ユリユリ映画だよ!

本作は予告でがっつりサスペンスっぽい雰囲気ーーというかモロに「告白」を意識した雰囲気を出していたので、てっきり本田翼がサイコパスっぽい感じで山本美月を殺しちゃったりするのかなと思いきや、まさかの完全青春友情モノでした。

一応映画的な意味でのメインテーマは「因果応報」の話です。自尊心肥大気味な落伍者・小倉がユキの原稿を盗んだことを発端に、ユキの復讐→オグラ/セイラが自殺→セイラの親友シオリが転校→シオリがユキとアツコを焚き付ける→・・・といった形で次々にイベントが連鎖していきます。そして印象的なセリフとしてユキのおばあちゃんの「因果応報、地獄に落ちろ!」があります。その言葉通り、本作には連鎖するイベントによって「報い」が次々と描かれていきます。一部「それを因果応報って言って良いのか!?」っていう倫理的に引っかかる部分はあるんですが、大枠はこんな感じです。物凄い少ない登場人物達がウソでしょってくらい強烈に絡み合いまくっており、ご都合主義というよりはすごく”戯曲的/寓話的な”抽象性を伴っています。そんなところも含めて、たぶん監督がわざとやってるんですが、全体的に物凄い嘘くさい演出になっています。

そういった”文学的な”要素を背景にして、本作は本田翼と山本美月のダブルヒロインのユリユリした熱い友情が展開されます。ちょっと女子高生役には年齢が厳しいですが、見た目はまったく問題なくちょいとマセた高校生を演じられています。そんな”少女”が青春特有の中2病的な悩みを爆発させて悶々としているわけで、これはもう100%純アイドル映画です。ですので、この2人さえ可愛ければあとは大丈夫です!なんの問題もございません!

しかしだね、、、

しかしですね、、、、本作はあまりにも演出面が古臭いというか、ダサいというか、、、”雰囲気作り”によりすぎています。映画の冒頭と終盤を心象風景みたいな劇場のモノローグ(=寓話性の演出)にしたり、文化祭(体育祭?)の踊りを「運命の糸が絡まり始める」みたいな表現として使ったり、しかもその踊りが完全に観客不在で超無機質だったり、作品自体が中2病的な雰囲気演出のオンパレードです。これですね、最初のイントロだけなら100歩譲ってまぁまぁまぁまぁ、、、、って感じだったんですが、現実の教室シーンまでが同じ方針だったので本気でゲンナリしました。だって、学校だっていってるのに他にクラスがあるのかすらわからなくて猛烈に抽象化されてるんです。

本作はかなり文芸作品を意識しており、あんまり情報量自体は多くありません。だからこそ画作りの合う合わないが結構大事なんです。前述の通り、アイドル2人が可愛くて、全力で走ってて、思いっきり笑顔で泣き笑いしてればそれだけで十分っていう志の映画なんですが、ちょっとあまりにもあんまりかなと思います。ユキの「人が死ぬとこを見てみたい」発言とか、それで実際に難病専門の子供病院に行っちゃうところとか、そういう中2病的な痛々しさをがっつり見せながら、最終的にはそういうのを全部ほっぽり出して「だって青春だし」で片を付けてしまうあたりがとってもアレです。一応最後にこの2人の青春は「了」しないというカットで因果応報を暗喩するわけですが、それも「深くていい話だね」っていう記号としてしか役立っておらず、実際にはホラー映画で最後にオマケが付くのと一緒です(笑)。「高慢と偏見とゾンビ」のラストカットと一緒。本作のは監督の自意識が目立ちまくっており、まだ「高慢と偏見とゾンビ」の方がサービス精神でやってるだけいいかな、とも思ったりします。

ちなみに、本作はいわゆる「いろんな伏線が最後に絡まる!」みたいなものではまったくありません。細かいイベントは連鎖しているもののキャラの関係性には必然がひとつもないので、それこそ「寓話的に少人数を無理やり配置している」という類のものです。

また、ストーリーで言うとどうしてもアツコの「ストーリー上の欲求」が弱いのが気になります。彼女は流されまくっているだけで全然主体性がないんですね。だから彼女のシーンは純粋に「山本美月鑑賞タイム」以外の何物でもありません。アツコには「剣道入学なのに剣道ができない」っていう負い目と、「それによりイジメられたとしても適当に謝ってりゃいいだけだから楽は楽」という葛藤があります。葛藤はありますが、そこから欲求が生まれません。じゃあどうしたいの?っていう部分が無いんです。たまたま流れで痴漢詐欺に加担して、たまたま学校の体育の補習で老人ホームへ行って、たまたま流れでバァちゃん助けて、、、みたいに全部たまたま。唯一アツコが自分から動くのが「ヨルの綱渡りを読みたい!」とタカオに頼むシーンなのですが、ここではじめて「アツコはユキと仲直りしたかった(※というかアツコが勝手に誤解してただけ)」という意思が見てとれます。ところがこれもう2幕目の終わりなんですね。今かよ、、、ていう(笑)。これならアツコの主観シーンを丸々全部カットしちゃって、ユキをメインにして構成したほうがよかったんじゃないかなと思います。ユキには「オグラが自殺したことで人の死を目の前で見たくなる」という欲求があり、ストーリーがちゃんと転がってますから。「人の死」どころか目の前で人が刺されただけでビビって逃げ出しちゃうレベルの「中2病的格好つけ」ですけど(笑)。

でも、やっぱ可愛ければいいじゃん!!

とまぁストーリーや演出部分には不満タラタラなわけですが、一方で俳優さん達をみるとこれ本当にいい感じです。ダブルヒロインのモデルコンビは本当に現実感がないくらい見た目が整っていまして、しかも両名とも物凄い棒読み演技。こういうと悪口みたいですが、この映画の浮世離れした寓話的雰囲気にとてもマッチしています。ストーリーのわざとらしさと演技のわざとらしさが奇跡的にいい感じに合っているので、とっても魅力的です。この時点でアイドルPV映画としては十分じゃないでしょうか?真剣佑や稲垣吾郎もいつもの棒演技ですが、まったく違和感がありません。俳優陣的にラッキーなのか怪しいですが(笑)、テイストの統一はきちんと出来てます。

【まとめ】

たぶん本作に何を期待するかでバッくり評価が別れると思います。もし学園サスペンスや重々しい文芸作品を期待するなら、本作はペラッペラでとてもじゃないですが厳しいです。ただ、もし話に一切期待しないで山本美月や本田翼のファンとして見に行くなら、これはもう絶対見に行ったほうがいいです。むちゃくちゃ魅力的に撮れています。本田翼がちょくちょく菊地凛子に見えますが、それもたぶん棒読み・オカッパ・ちょい吊り目だからでしょう。なんか近作の「SCOOP!」といいこのパターンが多いですが(笑)、「なかなか俳優の魅力を引き出しつつ話も面白い!」っていうのは難しいなというのが率直な感想です。ということで、両ヒロインのファンの方は必見ですよ!両ヒロインに興味が無い映画ファンの方は、そっと記憶から消しときましょう(笑)。

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記事の評価
告白

告白

今週の本命、

二本目は「告白」です。

評価:(75/100点) – 原作のクオリティを考えると相当頑張ってる。


【あらすじ】

1年B組の年度最後の終業式の日、担任教師・森口悠子は生徒に衝撃の告白をする。事故死と見られていた彼女の娘が実は二人の生徒によって殺されたというのだ。さらに彼女は顛末を皆に語った後ですでに犯人に復讐を仕掛けたと宣言する。それを機に、犯人二人を取り巻く環境が大きく変わっていく、、、。

【三幕構成】

第1幕 -> 悠子先生の告白
 ※第1ターニングポイント -> 告白終了。
第2幕 -> 委員長と少年A・少年Bの告白。
 ※第2ターニングポイント -> 少年Bが母を殺す。
第3幕 -> 悠子先生の復讐。


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【感想】

さて、二本目は今週公開映画の本命、中島哲也監督の「告白」です。湊かなえさんによる原作は本屋大賞を獲っており、そこそこ売れているようです。個人的にはあまりに規模が小さすぎるため本屋大賞に価値があるとは思っていないんですが、でも書店受けが良いってのはエンタメ本には大事です。恥ずかしながら原作未読だったため、朝に紀伊國屋で買って、映画見る前まで読んでました。ちょうど原作・第三章の途中ぐらいまで読んで映画を見て、さっき続きを全部読みました。

おさらい:中島哲也監督について

まずはざっと概要を語る上で必要なことを整理しましょう。
中島哲也監督と言いますと、「下妻物語(2004)」以降にその個性を爆発させた感があります。それは当たり障り無い言い方をすればヘンテコで大げさな作風であり、ハッキリ言ってしまえば実相寺昭雄とティム・バートンを足して2で割ったような絵面です。中島哲也監督がCM出身だからなのか、映画的な意味でのメッセージのある/見せたいものがある画面よりも、雰囲気重視の絵作りが目立ちます。そこが生理的にダメっていう人が結構多く、賛否がガッツリ別れることでもおなじみです。

特に私は「嫌われ松子の一生(2006)」は傑作だと思っています。「客観から見ればえげつないことでも主観ではすごくハッピーかも知れない」という所から発展させて、とんでもなくドラッギーな松子の内面を頭がクラクラするような躁状態で描いています。
中島哲也監督は、この「客観」と「主観」、「外見」と「内面」と言う部分にかなり執着・興味があるように見受けられます。それが時としてはちゃめちゃで暴力的な感性を伴ってあふれ出て来てしまうところが彼の特徴であり、そしてそのドラッギーな感覚にヤラれてしまったファンが多く居ます。

原作「告白」について

今しがた読み終わったばかりなので深い読み解きをしていないのはご勘弁下さい。原作は全六章からなり、その中で6人のキャラクターの独白形式の文章が展開されます。第一章は悠子先生、第二章は美月、第三章は少年Bの姉と母親、第四章は少年B、第五章に少年Aが来て、最後は悠子に戻ります。正直小説としてはどうかと思う部分もあるのですが(苦笑)、原作小説の最大の美点は第三章にあると思います。第三章において、少年Bの母は主観全開で悠子先生を糾弾します。それまで悠子先生と美月の独白を読んできた読者には、明らかにこの母が過保護であり自己完結型であり、そして被害妄想傾向にあると分かるようになっています。当ブログでも何度か書いていますが、映画に限らず登場人物が「語り出す」時には必ずその人物の主観が入り、フィルター(=バイアス)が掛かります。それをこの第三章ではかなり分かりやすく提示しています。映画や小説を数多く見ていると常識になってしまうんですが、こういう叙述トリック的な仕掛けが可能なんだという作品形態上の構造を意識させるのにはとても良い方法だと思います。

これは巻末インタビューでも中島監督が語っていますが、原作には「地の文」が無いため、全てのストーリーが誰かしらの主観で語られます。なので極端な話、真実は何所にも無いかも知れないわけです。複数人が同時に語って一致したことは良いとしても、それ以外の事柄は全て完全に自己申告です。だから疑おうと思えば全て疑うことが出来ます。極端な話、少年Bが妄想狂で、目を開けた云々をでっち上げている可能性だってあるわけです。

映画について

さて原作を読んで思うのは、この本は間違いなく中島哲也という個性に合っているということです。なにせ上記のような「主観のみで構成される世界」というのは中島監督の資質そのものです。よくこんなぴったりな本を見つけてきたと感心するほど、本当に中島監督が映画化するためにあるような原作です。しかし一方で、登場人物が延々とグダグダ一人語りをするというのは映画的には完全にアウトです。ですから、本作で忠実な映画化を目指すのはかなり無謀です。では中島監督はどうするか、、、。

これが非常に上手いと思ったのですが、彼は本作で主観と客観を上手に切り分けて演出しているんです。例えば、、、冒頭、約30分に渡って松たか子の「告白」が展開されます。当然ここは小説では一人称語りなのですが、映画では客観視点で描かれます。そして再現映像のような形で主観のイメージ映像が合間合間に入ります。この場面に見られるような「物語の整理」を中島監督は全編で丁寧に行っています。結果として、ラジオドラマの方が向いていそうな原作を上手く映画化出来ていると思います。
映画版ではかなり大規模に原作の内容を変えています。起こっているディティールは一緒なのですが、その細かい部分でキャラクターをよりキ○ガイ方向に振って、可能な限り悠子先生側の論理を強化できるように組み立てています。例えば、少年Bは小説では途中までは理性を保っていますが、映画では引きこもってすぐに発狂します。少年Aも起こした事件の詳細をより具体的に描写し、また「処刑マシーン」という新たな要素を足すことで、より救い難い方向へ持って行きます。

そして腹立ち必至の少年Bの母親・木村佳乃の超自分勝手なモンスターペアレンツぶり。はっきりと「こいつらは酷い目にあって当然だ」という印象を持てるようになっています。そしてウェルテルのキレっぷりと委員長の危ないメンヘラ全開な感じ。「学校では真面目そうな子がゴスロリ私服で出てくると危ない」という邦画のお約束をちゃんと守っています(笑)。もちろんそれは悠子先生といえども例外ではありません。最後の最後に彼女が言うワンフレーズによって、実は彼女の内面も相当キてるという片鱗が見られます。

こういった形で全てのキャラクターをマッドにすることで、本作全体の躁状態・お祭り感を存分に発揮できていると思います。ところが、、、演出が完全に一本調子なのがすごく気になります。とくに音の使い方に顕著なのですが、ほとんど全部の場面で映像と音楽の対位法を用いてきます。一回くらいなら良いんですが、それが本当に何度も何度も繰り返されるため、すっごい嫌気が差してきます。なんか変なCMを見せられてる気分です。また、これは作品上仕方がないのですが、やはり各キャラの告白シーンを全てセリフで説明しようとするため、映画的にはまったく盛り上がりません。

ただ、倫理的な所に話を落ち着けるのではなく、あくまでもエンターテイメントに徹して一種の青春映画にしたててきたのには大拍手を贈りたいです。

【まとめ】

正直に言って、このつまらない原作をこれだけの映画に出来たのだから十分だと思います。細かいストーリーについてはツッコみ所が一杯あります。そもそも少年Aが全然匿名になってないとか、悠子先生はどこで爆発を見たのかとか 少年Bの第2の犯罪は正当防衛だとか etc。でもそれ以上にテンションの高さかがかなり面白かったです。間違いなく見て損はありません。個人的には、シネコン映画できっちりバラバラ殺人の返り血を出しただけで合格です。
オススメです!!!
余談ですが、原作小説は本当につまらないので、下手に読まずに映画を先に見た方が良いと思います(苦笑)。

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