人の砂漠

人の砂漠

連休最後の映画は

「人の砂漠」です。

評価:

屑の世界     : 2/100点 – 雰囲気のみ
鏡の調書     : 0/100点 – 雰囲気すら無い
おばあさんが死んだ: 4/100点 – わかりきった出オチ
棄てられた女たちのユートピア: 60/100点 – 小池栄子ってこんなに演技できたっけ?



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【感想】

本作は1980年に出版されたジャーナリスト沢木耕太郎のノンフィクション短編を東京芸大の院生が映画化したものです。なので本作はバリバリの素人映画でして、立ち位置としては大学の映研以上プロ未満といったところでしょうか。ぶっちゃけて言いますともし本作が文化祭でふらっと入った映研の上映会で流れていたら、頑張れって感じで好意的に見られたかも知れません。しかし大学配給とはいえ商業ベースに乗せていますし、しかもプロの俳優をキャスティングしてるのですから、今や彼らは立派なプロです。「素人が撮ったのだから」という甘やかしのエクスキューズを無しにして、酷評させていただきます。

まずは総評として

本作は4つの30分短編からなるオムニバス作品です。4つの作品は全て「人の砂漠」から持ってきていまして、全てに共通するテーマは「人と人との繋がり」です。
まず見ていて最初に気がつくのは、一つ一つの短編が終わるごとに逐一スタッフロールが流れることです。つまり計4回のスタッフロールを見ることになります。あのですね、、、本作は仮にも「人の砂漠」という一本の「オムニバス映画」なんですよ。だったら4本の短編を総括する総合プロデューサーが居るわけですよね? 4本の並び順とかトーン調整とかクオリティのチェックを誰かがやってるはずでしょう? だったら、最後にまとめてスタッフロールを出せ!
逐一スタッフロールが流れる時点で、作り手はこの映画を「”人の砂漠”という一本の映画」にまとめる気が無いという風に私は解釈しました。そんな志なら1本450円の4本立て上映にしろ。
次に、「人の砂漠」を「2010年に」映画にするということの根本的な意味です。原作の「人の砂漠」は1970年代当時の日本における「日の目を見ない端っこの人間」を取材したルポです。そこには残酷だったり、可笑しかったり、平凡だったり、そういった「主役になれない人達」が居るわけです。で、、、今、2010年になって、何故この原作を映画化しようと江口友起氏が企画したんでしょうか?
1970年代のノスタルジーを再現したかったからですか?
2010年になっても通用する普遍的なテーマがあると考え、それを掘り起こしたかったからですか?
この映画を見る限りさっぱり分かりません。後述する各作品にも通じることですが、映画は雰囲気だけで成立するものではありません。そんなものは堤幸彦や本広克之のようなエンタメ監督に任せておけばいい話です。学生でしかも映画を専攻しているのであれば、きちんとテーマと演出を勉強してもらって、我々を、世界中の映画ファンを引っ張るような映画監督を目指してもらいたいです。それに挫折してからでも、コネさえアレばTV局や広告代理店経由でなら映画監督にはなれますから。
最後に、ノンフィクション作品を映画化する手法についてです。ノンフィクションを映画にするためには、再取材してドキュメンタリー映画にするか劇映画に脚色するかの選択が必要です。そしておそらく本作は後者を選んでいます。だったら、各作品にテーマを決めて、嘘や誇張を混ぜながらストーリーを組む必要があります。ここが決定的に弱いです。特に前半3編については視点を決められなかったのが完全に失敗です。

1. 屑の世界

まず、1編目の「屑の世界」です。詳しい描写が無いのでさっぱり分かりませんが、おそらくホームレス達に慕われている屑鉄屋の主人公が、行政に強制移転命令を出された腹いせにマンホールや公園遊具の鉄を盗んで逮捕される話です。
これは本当に酷い雰囲気のみの作品です。そもそも孫がなぜ家出をしたのか?何故屑鉄屋がホームレスに慕われているのか?近隣住人との確執は?移転先に仲間を連れて行けない理由は?
背景が全く描かれないためにキャラクターが全て記号としてしか機能していません。まったく人間に見えませんので魅力なんぞあるはずもなく、何が起きても何の感慨も沸きません。
映画にとって視点の受け皿がいかに大事かが良く分かる反面教師的作品です。

2. 鏡の調書

これが本オムニバスの中で最も酷いです。ある詐欺師のおばちゃんが、田舎の商店街で町内会のおじさん数人とスーパーのレジのおネェチャンを騙す話です。これは演出の方向性を決められていないため終始意味不明な作品になっています。
そもそも本作のプロットは相当面白いはずです。なにせキャラの濃い詐欺師のおばちゃんの話なんですから。
・おばちゃんを格好良いアンチヒーローとして描くのか?
・おばちゃんをどうしようもない極悪人として描くのか?
・またはその振り幅で人間の奥行きを描くのか?
・犯罪サスペンスとして描くのか?
・コメディとして描くのか?
本作を劇映画に落とし込むためには、演出の方向性を決めないと行けません。この作品では方向がグラッグラのため、まったく説得力の無い退屈な映像の羅列になってしまっています。夏木マリの化粧がコントのそれですので、ルックスはコメディ方向に見えます。でも微妙にシリアスな雰囲気覆われていてまったくギャグが入りません。見ていてこの作品を監督がどうしたいかが見えてこないため、こちらも戸惑ったまま見続けることになります。結果的には何も盛り上がらず、何も伝わらない、雰囲気すら作れていない映像の羅列です。ホームビデオ以下。ご愁傷様です。

3. おばあさんが死んだ

これは惜しい作品です。ある母子家庭で性格に問題のある母親が、病気がちな息子の看病を通じて精神を病んでいく話です。まず話全体が完全にラストの出オチのみに向かっていきます。方向性があるだけ「鏡の調書」よりはマシですが、前半で無意味な時系列シャッフルをしてしまうことで出オチが早々にバレてしまい、全て台無しです。時系列シャッフルというのは「オシャレ映画を作るためのカジュアルなツール」ではありません。なんでもかんでも時系列をシャッフルしては逆効果です。また息子の描写が薄いために終盤のインパクトが相当減じています。予定調和過ぎるというか、ベタベタな記号にしか見えません。せっかく向かいの娘さんを盗聴したり気があるそぶりをしたりする描写があるのですから、きちんとそこを積んでいけばもうちょっと良い作品になったと思います。
室井滋はよかったので、もっと親子のすれ違いで母親が追い詰められていく姿を描いた方が良かったです。残念。30分という制約はあるでしょうが、大変惜しいです。

4. 棄てられた女たちのユートピア

これが本作の中で唯一まともに構成された作品です。親に棄てられて自暴自棄になっていた元売春婦が、精神を病んだ人たちの暮らす教会で自分の人生を見つめ直して立ち向かおうとする話です。
不器用な作品ですが、私は結構好きです。
話の根幹は、親に棄てられた「いちこ」の成長物語です。きちんと「いちこ」の内面が描かれていますし、「いちこ」と「香織」と「娘」の関係性の作り方が良く出来ています。娘に説教しながらもその実は自分に説教をしているところなど、なかなか出来ない演出です。
キャラクターを描いて、ストーリーを組んで、きっちり30分にまとまっていますから。4本ともこのスタッフに撮らせた方が良かったのでは?

【まとめ】

ということでざっくりと4編を見てきましたが、はっきりいって劇映画として成立しているのは最後の「棄てられた女たちのユートピア」だけです。とはいえこの「棄てられた女たちのユートピア」がかなり良い作品ですので、見て損は無いと思います。
本作に参加した学生の方達は是非とも良い映画監督を目指していただきたいです。

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